55:切り盛りしてる人がいなくなると我が家はこうなるわけで。
「––––ちゃん」
起きてから、なんだかずっと頭が重たい気がした。
心なしか視界はぼんやりとしている気がするし、あまり思考も働かない。
なんだか体も熱い気がするし、どうしたのだろう。
「––––ナちゃん?」
これまたぼんやり自分の異常箇所を確認していると、視界が下に傾いている気がした。
少しずつ少しずつ、床の方へと––––、
「レーナちゃん!」
「……うぇ……?」
よく張った声で呼び止められ、思わずピンと背筋が伸びる。
呻くように短く声を漏らしながら視線を動かすと、ご主人様が、心配そうにこちらを見ている。
––––あぁ……そうだった。ご主人様……隣にいたんだっけ。
ここは居間のソファの上。ご主人様もいつも通り隣に並んで座っている。
そんな今の状況さえも、意識の隅に追いやられていたことに気づき、やはり現状自分はどこかおかしくなっているのだと再確認する。
「……ぼーっとしてるみたいだし、今倒れそうになってたよね」
「ふぇ……はい。そう、みたいですね……」
問いかけに何となく答える私。なんだか他人事のようだけど、本当に実感がないのだ。
曖昧な返答をすると、ご主人様の表情はますます気遣う色で染まっていく。
「……体調不良、だったりする……?」
「えっ、と……なんだか、頭が重くて、熱っぽくて、少し痛いです」
「……んと、ちょっと触らせて?」
「……はい……?」
ご主人様の顔が近づいてくる。それと同時進行に、剣を握っている割に細くしなやかな左手で、彼女は己の前髪を掻き上げた。右の手では、同じように私の前髪を掻き上げる。少しおでこに触れたそれは、ひんやりとしていてとても気持ちが良かった。
「なにを……?」
「くっつけて、体温の感じはかってみるの」
––––くっつけて?
何と何を、と重ねて疑問を口にしようとした途端、ただでさえ近かった彼女の容貌が近づき、最後には私のおでこと、彼女のそれが密着した。
……ぁ。
「……熱い。多分、結構熱高い。これは無理しない方が良さそう」
「……っ」
……たしかに私は体調不良なのかもしれないけれど、今、顔全体を火照らせているのは、それだけが原因ではない気がする。
しかし、いつもみたいに私をからかう訳でもなく、彼女は本当に心配してくれているみたいで。
あなたの顔が近すぎるから照れて熱くなってるんです、なんて、言えっこない。そんな茶化すようなこと、今の真剣な表情に向かって、絶対。
「それは……」
「二階で横になった方がいい」
「そんな……でも、家事とか、しないと……」
洗濯物だって、溜まってはいないけど残ってる。部屋の掃除もしたい。お花の世話だってしなきゃいけないし、他にもたくさん……何より、食事の準備だって。
働かぬ頭で精一杯に抗議しようとすると、ご主人様はソファを降りてしゃがみこみ––––直後にふわりとした浮遊感が私を襲って、視界も幾分か高くなる。
何事かと思えば、これまた近くにご主人様の可愛らしい顔。私の体を横抱きで空中に固定しているのは彼女の腕で、これはご主人様から聞いたことのある、所謂お姫様抱っこというやつ……、
「あはははっ……何言ってるの、そんなのダメだよ? こんな状態のレーナちゃんに家事なんてさせられない」
「え……あの」
「ダメ、だよ?」
なんだろう。いつも通り、ほわんほわん笑った、平和そのものな表情なのに。
そこはかとなく、ご主人様から危ういものを感じる。
「ちょっとベッドいこう。多分ただの風邪だと思うけど、それにしたって微熱とは言えないレベルで体温高いし、油断は禁物。ほっぺもまっかっか。なんだか顔つきもぼんやりして見える。目とかとろんとしてるしさ。口調も覚束ない感じするし、何より周りが見えてない。どこかに座らせてたらまた倒れちゃいそうだし、やっぱり横になった方がいいよ。一応お医者さんも呼んで軽く検査してもらおっか。その後は、今日1日でも、何日間かでも、家事も何も全部お休みにして、身体休まなきゃ。付きっ切りで看病するからね。スミレちゃんにも頑張ってもらおう。ソフィちゃんも呼んだ方がレーナちゃん元気出るかな? まあ、うるさくならない程度にお見舞いしてもらうのもいいかもね。……とにかく、ここでいつまでも話してたらどんどん具合悪くなっちゃうかもしれないよね。レーナちゃんが苦しそうなところなんて見たくないよ。……だから、ね? 私の言うこと聞いて、大人しく、静かに、ゆっくり、お休みしようね? ……それで、いいよね?」
「……は、はひ……」
直後の血走りかけた目で早口にまくし立てられ、その迫力に私は首をコクコクと縦に動かすことしかできなかった。
「うん、いい子いい子。ゆっくり少しずつ、元気になろうね」
「あ、あの……っ、じぶんで、歩けます、から。下ろし––––」
「だーめ」
「……うぅ」
頭をふわふわと撫でられつつ、そのまま二階に運搬されていく私。
熱一つでここまで過保護になるご主人様もかなりあれだと思うけれど……それ以上に、そんな彼女の行動に、大切にされているのだと改めて実感して胸を温かくする私だって、相当なものだと思った。
****
遊びから帰ってきたスミレちゃんにはレーナちゃんの様子を見ていてもらい、私はお医者さんを呼びに出かけた。
「風邪でしょうね。安静にしましょう」
連れてきた彼の診断結果は、まあ予想通り。
しかし、だからといって落ち着いていられるほど私は自分をコントロールできなくて。
お医者さんを見送って、レーナちゃんもようやく寝息を立て始めた頃。
「でも、あの人の言ってた風邪って私の知ってる風邪と同じなのかな……え、あれ、え、どうしよう。どうしようどうしようどうしようっ! 一応聞くけど、風邪って、あの熱出て咳して苦しくなるあれだよね!? 名前が同じってだけで実はこの世界特有の不治の病じゃないよね! レーナちゃんしんじゃやだぁぁ!!」
私は決壊した。
「し、知る限り、風邪は不治の病とかじゃないはずなのですよ。だから、レーナもきっとすぐ元気溌剌に」
「そんなのわかんないじゃん! 断言できないかもじゃん! 嘘つき!」
「自分で聞いてきたくせにコイツ理不尽なのですよ!」
他人の目が無くなった途端、貼り付けていた虚勢が剥がれ、目からは涙が、口からは乱暴な言葉が、次から次へととめどなく溢れ出していく。
病気、悪化、死––––嫌な想像が次から次へと湧いては積もって負のシンキングスパイラルにはまっていると、小さな手が私の口をそっと塞いだ。
その行動の主たるスミレちゃんは、小さな声で私を咎めてきて、
「これ以上は……一度落ち着くのです、スミカ。レーナが起きてしまうのですよっ」
「あ……ご、ごめん」
––––そうだ。近くには、寝ているレーナちゃんがいるのだ。起こしちゃいけない。
頰を張って表情を引き締めると、とスミレちゃんが相変わらず歳に似合わない微妙な表情のまま、苦笑した。
「一回、落ち着く。酷いこと言ってごめんなさい」
「別に怒ってないのです。スミカがレーナだいすきなことなんて、もう今更すぎるお話なのですよ。心配して当然なのです」
でもそれより話し合うべきなのはこれからのことなのです、とスミレちゃんは佇まいを整えて、私に向き直った。
その通り、問題は山積みだ。
「家事に」
「買い出しに」
「看病のための、お腹に優しい料理に」
「……私たちじゃ、手に負えない」
レーナちゃんが続けてきた屋敷の環境維持プラス、彼女の看病。
女子力無いよウーマン二人では、正直無理難題も良いところだった。
だから––––助っ人を呼ぶ。
続きます。




