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50:三人家族

「いってきまーす!」


 快活な声が玄関に響く。

 それに応える声、二つ。


「いってらっしゃいませ」


「いってらっしゃいなのです」


「なるべく早く帰るからね、ご飯はみんなで食べようねー!」


 言い残すと、ピューッという擬音でも付きそうな速度で、ご主人様の背中が遠ざかっていく。


 いつも通りの朝。仕事へ向かう背中を見送り、家事をして、一人彼女の帰宅を心待ちにする。


 そんな日常が、一年と少し前に変化した。


「レーナレーナ、お勉強するのですよ」


 隣で同じくご主人様を見送った外見六歳ほどの少女––––スミレちゃんが、くいくいとエプロンの端を引いてくる。

 頰を緩め、少し背の伸びた彼女に向き直ってややしゃがむと、


「じゃあ、今日は絵本を読んでみましょうか」


 そう言って、私は笑いかけた。

 


****


 朝八時。


 ご主人様を見送り、ご飯と食器の片付けを完全に終えたなら、そこから1時間ばかり私はスミレちゃんのお勉強を見る。

 とはいえ、私だって何でもかんでも教えられるほど器用では無いし、さらに言えば一般的水準にも劣る教養しか持ち合わせていない。

 手探りで、ご主人様とも話し合ったりしながら少しずつ。自分なりに教育課程を形にしていくので精一杯で。


「『しょうかんじゅうさまはこうして、おうこくにちえをさ』……あれ、レーナレーナ、これは何て読むのですー?」


 勉強がしたい、と最初に言い出したのはスミレちゃん自身だった。

 何か最終目的があるようだけれど、今はまだ駄目だと教えてくれない。少し寂しい。


「えぇと……『さずけ』、ですね」


「なるほどぉ……『おうこくにちえをさずけました』……やったのですー! 三頁丸々読めたのですよ!」


「おめでとうございます。もうこれくらいの文なら一人で読めそうですね」


「はいなのです先生!」


「スミレちゃんすごいです」


「はいなのです先生!」


「じゃあ、明日はもっと増やしてみましょうか」


「はいなの……うぅ、ま、まだこれくらいの量がいいのですよ……」


「ふふ、冗談です」

 

 一喜一憂するスミレちゃんを見守っていると、胸の中が温かくなるような気がした。



****



「えっと……11! なのです!」


「正解です」


「やったのですー!」


 昼の二時。


 お昼ご飯も終えて、もうすぐおやつの時間になろうかという頃。

 算術に取り組むスミレちゃんを見守りながら、私は少し考えごとをしてみる。


「えっと……位と位で……」


 正直に言えば、私はスミレちゃんとどう接していいものか、よくわからない。

 それは私の育った環境のせいと言っていいのか、ただ単純に私自身の意思疎通を図る能力が低いだけなのか。


「……ナ」


 少なくとも、昔の私ができなかったこと。存在自体を知らず、したいと思うことすら叶わなかったこと。

 私の親が、私にしてくれなかったことを私なりに考えて、できる限りスミレちゃんにしてあげられたなら、と思う。


「レ……ナ、レー……」


 取捨選択をして、自分なりに考えて成長していくのが子供の仕事だとするのなら。

 根本の選択肢を増やしてあげるのが、親の仕事だと私は思うから。


「……レーナ!」


「––––うぇ!? は、はいっ、なんですかスミレちゃん!」


 思考の奥底から引き上げられ、私は素っ頓狂な声を上げる。

 目をやると、気遣わしげな瞳が私を見つめていた。


「なんだかボーッとしてたみたいなのです。もうすぐ三時だから、それを教えようと思ったのですよ」


 時計を見る––––確かに、針は該当の位置を指し示していた。


「え……あ、本当に三時ですね。ご、ごめんなさい、すぐにおやつの準備しますね!」


 彼女はどれほど長く呼びかけてくれていたのか。それを申し訳なく思い、私は走り出して。


「あっ……そんなに急ぐと危な」


 転けた。


「……ぐぎゃっ!」


「…………焦るとおっちょこちょいになるのですよね、レーナって」


 背後から可哀想なものを見たような声で言われ、恥ずかしくて顔が熱くなった。

 ……本当に、親代わりというのは難しい。



****




「とっくせーパーイ、おーいしーおーいしーとっくせーパーイ!」


 下手くそすぎる自作ソングを口ずさみながら、私は帰路を急いでいた。

 背中に背負った普段の荷物に加え、胸に抱いている小包。

 中に入っているのは店主(酒場の)さんが作ってくれた、粉砂糖の沢山まぶされたフルーツパイだ。

 スミレちゃん用に一度作ってくれたのが思いのほか本人にウケて、そのまま店でもメニュー化した何気に人気の商品である。

 俺を菓子職人扱いしやがって、と投げやりに言いつつ、子供用に酒場用にと注文されるたび、若干嬉しそうな表情をする巨漢が何とも愉快だった。


 

 焼きたてをお届けしたくて細心の注意を払いながら屋敷まで走り抜けて、玄関をドカーンと開ける。そのうち扉ぶっ壊れるかもしれない。


「ただいまー!」


 至近距離では鼓膜を破壊しかねない声量で帰還を報告するが、


「……ありり?」


 返事なし。普段なら出迎えてくれないまでも、おかえりの一言くらいは返されるのだが。

 少し寂しさを覚えつつ居間まで向かうと、ソファの上で身を寄せ合って眠る二人の家族の姿があった。


「……寝ちゃってたかぁ」


 すうすうと小さな寝息が聞こえる。私を待っていたら、そのままウトウトして夢の世界に旅立ってしまったというのが、事の顛末だろう。


「かわいい」


 出来立てのパイと二人のささやかな睡眠を天秤にかけ、すぐさま後者を選び取ると、私はテーブルに腰掛けて、頬杖をついた。


「……たまには、私が待ってる側になってみるのもいいよね」


 寝顔を観察するという仕事もあるし、退屈だけは絶対にしない。

 


 その五分後には二人とも目を覚ましたので、まだ温かいパイを食べさせてあげた。

ナンバリング50。とてもキリのいいナンバリングなので何か特別な話にするべきかと悩んだ結果、何気ない日常の描写になりました。


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