47:子供は見ちゃダメです
遡ること一日前。
その時の私は、一人清掃活動に精を出していた。
「……ふふっ、ぴかぴかになった」
日差しを反射して軽く輝くシェルフを見て、頰を緩める。
無心でせっせと手を動かせば、それだけ辺りは綺麗になる。自然、気持ちも晴れやかになっていく気がするのだ。
これを楽しいと思わないわけがない。ご主人様は私を度々仕事中毒者だと揶揄うけれど、私にとって家事は半ば遊びや娯楽の類いみたいなものなのだ。充実感を得るための習慣であってむしろ、働かない方が気が狂いそうになる。
それを共感してほしい、とは言わない。自分がどこか歪んでいることくらい、周りと比べてとっくの昔に分かっているから。
ただ、ご主人様はそんな私も好きだと言ってくれるし、仕事ぶりを褒めてくれて、感謝してくれる。
それだけで、もうこれ以上ないくらい幸せで、満足だ。
「……ふふっ」
––––ご主人様、早く帰ってこないかな……。
ちょっと考えごとをするだけでご主人様の顔が浮かんでしまう。
いつもこうだ。我ながら、あの人のことが好きすぎるんじゃないかと思う。
そんな心境で静まり返った居間の中を動き回っていた私の耳にふと、キィ、という木の軋むような音が届いた。玄関扉の開閉が成された音だった。
「––––ただいまっ! レーナちゃんいる!?」
続いて聞こえる少女の声。
「えっ」
それは、今まさしく思い浮かべていた最愛の人の声で。
そんなまさかと、期待と疑問を胸に抱きながら玄関へ向かうと、やはりと言うべきか、まだ日の高いうちだというのに仕事から戻ってきたらしいご主人様が、そこにはいた。
「お、おかえりなさいませっ……えっと、お仕事はどうなさったんですか? それに、その体勢は一体……」
何故か彼女は、何かを背負うようにして前屈みの姿勢を取っていた。
仕事が嫌すぎて早々に帰ってきただけなのか、と一瞬呆れそうになったが、彼女の目が真剣に私を見ていることから、そんな軽い理由故の行動ではないことはすぐに分かった。
「仕事どころじゃなかったのっ、ちょっとこの子見て!」
「"この子"?」
言いながら、彼女はゆっくりと体を回して背中をこちらに向ける。
「この子、森で拾った。目立った傷はもう無いはずなんだけど意識が戻らないの。……レーナちゃん、どうすればいい?」
そこには、肌が翡翠色に淡く光った、小さな三頭身の生命体が眠っていた。
****
ご主人様が背負っていた気を失っている他種族の少女(暫定)は、特に数が少ないとされる妖精族だった。
「妖精さん、死んじゃわないよね……? こんなに小さい子なのに、そんなのやだよ」
「命に関わるようなことにはなっていないと思います、後は安静にしていれば」
通常、こういった場合は医療系の心得のある人物を頼るのが定石だが、他種族とあっては、迂闊にお医者様に診せる訳にもいかない。幸い衰弱しているわけでも、苦痛にもがく様子も見受けられなかったので、様子見として客室で安静にさせることになった。
この時ほど、日々使わない部屋の整理整頓をしていてよかったと思ったことはない。
それから日が沈んでまた昇って。件の妖精様は無事目を覚ました。
「私はスミカって言うんだよ。名字はタチバナ。年は19で、職業は冒険者。……で、隣の激かわマブいプリティキュートな超次元ビューティ少女がレーナちゃんね」
「さ、最後の紹介は要らない気が……いえ。改めまして、レーナです。年は17です。よろしくお願いします、妖精様」
「ご、ご丁寧に……えっと、我が身は名前を持っていないのですが、ヨウセイ、と気軽に読んでいただけると嬉しいのです。年は……えっと、『発生』から今月で十一月目なのですよ」
思えば、まだ互いの名前も満足に知らずにいたので、簡単に自己紹介を済ませる。
「『発生』って……生まれてからってこと?」
「なのですっ」
「えっ、じゃあまだ0歳児ってことじゃん! なのにもうそんなに喋れるんだ! 妖精族すごい!」
賞賛の声を、妖精様は満更でもなさそうに俯きながら受け止めた。
「な、なのです。だから二人よりずっと年下で……様とか、そういう堅苦しい呼び方はちょっと勘弁なのですよ」
「ぷふふーっ、だってさ、レーナちゃんっ」
「……しょっ、初対面の方には、癖なんですから仕方ないじゃないですかっ」
ご主人様は私を肘で突いてくる。こうやってすぐ弄ってくるご主人様はちょっと苦手だ。
「ま、あんまり揶揄うのはダメだよね」
ひとしきり私を揶揄うのも終わると、ご主人様はヨウセイさ……ちゃんの背丈に合わせて屈み––––それでもやはり小さな体なので見下ろす形にはなってしまうが––––、にんまりと破顔した。
「––––じゃあ、私は君のことヨウセイちゃんって呼ぶねっ」
「ちゃ、ちゃん付け……なの、ですね」
「あれ、嫌だった? ……あー、ごめん。もしかして君男の子? え、でも声とかも可愛い感じだし……」
「へ、ちょ、ちっ、違うのですよ失礼なっ! ヨウセイはれっきとした女なのです! 今のは、ちょっと……だ、誰かに親しみのある名で呼ばれたことなんて、無かったので……反応してしまっただけなのですよっ」
「……ご家族にも?」
「––––家族と呼べる存在は他の人族と違っていないのですよ。妖精族は、『種子』から『発生』するので」
「……」
まるで気にした風でもないヨウセイちゃんだったが、ご主人様は少し悲しそうに黙り込んでしまう。
あっけらかんとした様子で言い切る辺り、ヨウセイちゃんにとって、血縁者がいないのは至極当たり前のことなのだろう。寂しさも孤独感も、一切感じられない。
種族間の認識の違いが垣間見えたが、ご主人様はすぐに持ち直すと真面目な面持ちで口を開いた。
「それで、本題に入ってもいいかな」
「なんなのです?」
「ヨウセイちゃんは……どうしてゴブリンに囲まれてたの? 心当たり、もしあるなら聞いても良いかな」
「え、あ、そ、それは……」
「あっ、話したくないならいいんだけどね」
「いえっ! 話す、話すのですよ……」
ヨウセイちゃんは僅かに躊躇したが、かぶりを振って俯くと、おずおずと口を開いた。
「……スミカの、真似をしていたのですよ」
「私の真似?」
ご主人様が続きを急かさない程度に訊き返すと、ヨウセイちゃんは本格的に己のことを語り始めた。
「ヨウセイは、代々森の観測をしている妖精族の末裔なのですよ」
自分が代々森を見守ってきた、老樹の洞に宿る妖精族の末裔であること。
先祖代々記憶を受け継いでおり、言語能力や簡単な倫理観はそこから身につけたらしいこと。
する事もなく退屈していたところにご主人様が現れて、その驚異的な身体能力による狩りを見て、 高揚感と好奇心を覚えたこと。
「私なんか、見てて楽しかったの?」
一通り話し終えたところにご主人様がそう投げかけると、ヨウセイちゃんはここへ来て初めて見せる子供らしい輝きを瞳に帯させ、饒舌になった。
「……なのです。物陰から見た、たっくさん剣を振ってズババッ! と邪悪な小鬼たちを切り裂いて、すぱすぱっと首を断って、漆黒の髪の毛に返り血をぶしゃー! と浴びたスミカの姿が、もうこれ以上無いくらいに格好良くて……!」
「そんなので興奮しちゃダメですよ!?」
身振り手振りでその当時の興奮を表現しようとするその姿は、中々に微笑ましい。
その興奮が、モンスターを虐殺する現場に対するものでなかったなら、という前提がつくけれど。
「つい感化されて、ヨウセイもそんな風に魔のモノたちを懲らしめてやりたいなと思って群れに突撃した次第なのです……結果、返り討ちにあって」
「………追われる羽目になった、と」
「……なのです」
計画性が無いというか、幼さ故に無謀というか、わんぱくというか。
「ご主人様は、一体どんな風に狩りしてるんですか……」
「……ちょ、調子がいい時は獲物の臓物引き裂いて高笑いしてる。まさか人に見られてたとは」
「……うわぁ」
ヨウセイちゃんの雰囲気は、何処と無く柔らかいというか幼いというか、先祖の記憶を受け継いでいるにしても、まだ精神的に子供であることが何となくわかる。
そんな子に、ゴブリンの単独殺戮をじっくり見せてしまっていたのだとすると、それはもう成長に悪影響どころではない。
一種の精神汚染とすら言えるだろう。
当事者たる黒髪の虐殺者も、責任を感じてか冷や汗をダラダラかいている。
「よ、ヨウセイちゃん。せめてこれからは、あんまり、私が戦ってるとこ見ないでほしい、うん。主に教育に悪い的な意味で」
「何故なのです?」
「何故って……あんまり小さいうちから血とか死体とか沢山見てたら、やっぱり命の価値観歪んじゃうよ」
「これでも基本的な価値観は先代までの妖精たちに倣っているのですが……そういうものなのでしょうか」
「そういうものだよ」
いやに実感が伴った声音でご主人様が答えると、ヨウセイちゃんは少し残念そうにしながらも、渋々頷いた。
「……それはそうと」
「?」
「ヨウセイも聞きたいこと……というか、スミカとレーナに折り入ってお願いがあるのですというか」
「お願い?」
「なのですっ」
コクリと首肯すると、ヨウセイちゃんはこうべを垂れながら、
「……ヨウセイを、ここに置いて頂きたいのです……!」
と、頼みこんできた。
話が中々進まないですね……
ブックマークに評価等、いつもありがとうございます。励みになっております。




