SS2:『かわいい』『二つ結びの手つき』
ショートストーリー二本目です。
****『かわいい』****
「……あの、ご主人様。お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「うん、何かな」
「……いつまで私の頭を撫でているおつもりでしょうか」
「ずっとだよ」
ご主人様に買われて、数ヶ月が経過した。
正直、酷い待遇はそれまでと変わらないと思っていたけれど、彼女はすごく、すごく優しくしてくれるし、ただ家事をやっているだけで感謝されるし、何より初日のうちに私の首輪を外して自由にしてくれた。もう私は奴隷ではない。
––––逃げようと思えば、いつでも逃げられるんだよね……。
首輪による拘束は既に解かれた。その気になれば、夜間でも昼間でも、ご主人様の目を盗んで逃げ出すことは可能だった。
––––でも、私はそれを実行しなかった。
ここに私を虐げる人はいない。家主には地獄から救ってもらった恩義があるし、ややスキンシップが過剰であるものの、それさえ我慢すればとても居心地がいい場所だった。出て行くなんて馬鹿な気は微塵も起きなかった。
「ふふ……本当に綺麗」
「え、えっと……ありがとう、ございます……?」
「なんで疑問形? 面白いなぁもう」
––––私が、面白い?
この頃、彼女は私の頭にご執心のようだった。何故そこまで私の頭、ひいてはつむじを気に入っているのか。
恐る恐る訊ねてみると、
「かわいいよね」
と楽しそうな表情とともに返された。どきりとした。
––––かわいいって、何だろう。
人それぞれの感性によって、その言葉は如何様にも解釈できると思う。
どうやらご主人様の目には、私が"愛くるしい存在"に写っているようなのだ。
でも実際の私は、
「全然可愛くなんて、ないですから……」
「ううん、可愛いよ」
「……可愛いくなんて」
「か、わ、い、い、の!」
「……はい」
こんなやりとりがほぼ毎日。もはやこれは一種の洗脳なのではないかと思う。
そもそも彼女が本気でそう思っているかもわからないし、客観的に見れば私は化物みたいに醜い姿をしている。銀髪も、白い肌も、琥珀色の目も、尖った耳も全部全部嫌いだった。嫌いな、筈だった。
ぬか喜びはしたくない。だからこうして、彼女の褒め言葉を躱して、拒絶してしまう。……今みたいに結局押し切られてしまうとしても。
「でも、今日は逃げないんだね。普段なら顔真っ赤にしてピューって走って行っちゃうのに。どんな心境の変化?」
「!? そ、それは……その」
ぬか喜びはしたくない。したくない、けれど。
生まれて初めてかわいいと言われて嬉しく思ってしまう気持ちは、大切にされて嬉しく思ってしまう気持ちは、捨てきれない。捨てたくない。
妙なジレンマに苛まれながら愛でられる。そんなおかしな日々––––。
「……やっぱり可愛いよ、レーナちゃんは」
****『二つ結びの手つき』****
「お客様、本日はどのような髪型になさいますか?」
「……ご主人様の、お好きなようにしていただければ」
「かしこまりました!」
最近、ご主人様は私の髪型を弄るのにハマっているらしい。
不器用だと自虐する彼女だけれど、髪をまとめる腕前は、中々のものだと素人目には映る。
今日はどんな風にしてくれるんだろう、私はいつしか、このいつまで続くか分からない日課が少しだけ楽しみになっていた。
「じゃあ、二つ結びか三つ編みどっちがいい?」
「えっ……ご主人様が、決めてくださるのではないんですか」
「私は好きな髪型二つに絞ったよ。だからそれを一つに絞るのは、レーナちゃんのお仕事だね」
「私の……お仕事……」
結局最後は、私の意思を尊重してくれる。
意志決定、選択。これが結構、今の私には難しい。
「では三つ編み……いえ、やっぱり二つ結び……あ、いえっ、ここは三つ編みが……でも、二つ結びも……」
逐一命令されてばかりいたから、どうにも自分で決断する力が乏しくなっているらしい。たった二つの選択肢なのに、いや、たった二つだからこそ、無限に思考を広げてしまいそうになる。
もっと上手く、意思決定できるようになりたいけれど。
「迷うと饒舌になるね」
「えっ……あ、う、煩いですよね、すみません……静かに考えます……」
「違うよ、沢山喋ってくれて嬉しいの。レーナちゃん口数多い方じゃないからね……ほら、もっと悩んでていいんだよ。あなたの髪型なんだもん」
「……」
この人は私が鈍間でも、怒らないで待っていてくれる。
私をきちんと、対等な人間として扱ってくれる。
「……ありがとう、ございます」
ただ、選ぶのに集中できないから頭をふわふわ撫でるのはやめて欲しかった。
****
そこから決めるまでに、小一時間も費やしてしまった。流石に遅すぎる。
「……ふ、二つ結び。二つ結びで確定でお願いしますっ!」
「うん。自分で決められたね、偉い偉い。……悩んでる仕草も可愛かったなぁ」
「!?」
……そ、そうか、背後にいるんだから当然最中の動作も見られていたのか。少し頰が熱くなる。
「……うぅ」
「じゃあ、結んじゃうね?」
「……はい。……あ、それでっ、あの!」
「なぁに?」
「私、手鏡で見ていてもいいでしょうか! その……ご主人様が、私の髪の毛をまとめてくださるのを」
自分で選んだものが彼女の手で形になっていく様を、この目に焼き付けておきたかった。
「別にいいけど……面白いものでもないよ?」
「それでも、構いません」
****
丁寧に、大事なものを撫でるような手つきで束ねられていく私の髪の毛。
銀色で、凄く不気味な筈なのに。触れるのを躊躇うどころか、大切に扱ってくれるご主人様。
––––ただ髪型を整えてもらってるだけなのに……すごく、どきどきする。
いわば体の一部を彼女に預けているようなもの。考えれば考えるほど、胸が高鳴って、顔が熱くなっていって––––。
「––––はい、完成!」
「……ぇ?」
どこか自慢げな声に、私はハッと我に返った。
鏡をまじまじと見れば、左右同じようにに髪を結われた虚像の自分が、こちらをポカンと見つめて返していた。だいぶほっぺが赤い。
そんな中、不意に背後からご主人様が寄りかかってきて、
「ほら、完成。結び終わったよ、レーナちゃんっ」
「は、はい……ありがとう、ございます……」
「? どうしたの、顔真っ赤……」
心配そうに顔を寄せられ、心臓がまた鼓動を速める。
「いえっ、な、なんでもないですから!」
「……そう?」
なお気遣わしげな視線を振り切り、私は火照る頰に手を当て下を向く。
––––何か、変。ご主人様の顔……見れない……。
私はたまに、名前も知らないこの感情に胸中を埋め尽くされて、おかしくなってしまう時がある。
この気持ちは、一体。
「ほら、二つ結び可愛いね。なんでこんなに可愛い子がこの世に存在できるんだろう……艶々で綺麗な髪の毛と、可愛くてちっちゃい顔が……もうこれ神様の奇跡だよね! 天使だよね! 妖精だよね!」
「は、はぁ……」
「あぁっ、エプロンドレス以外のタイプの服も買ってあげたいなぁ、何着ても絶対似合うよぉ」
絶賛してくれる彼女の声にさえ、曖昧に返事をしてしまう。
ドキドキして、熱くて、苦しくて……でも、それが不思議と心地よくて。
自分の根幹がひっくり返されてしまいそうな熱情を胸に宿し、私はご主人様と目を合わせないように必死で俯いた。
「……ふふっ、可愛いなぁもう」
火照った私を、それ以上に熱のこもった目でご主人様が見ていることなど、全く気づかずに。
三本目の投稿は、夕方六時ごろか夜八時ごろに行うかもしれません。クリスマスに予定なんてない。




