43:めりくり!〈中〉
午後––––。
辺り一面の銀世界。季節の移ろいの影響で葉を失い、暗く寂しげだった庭の木々も、真っ白な衣を纏ってどこか活き活きとしている気がする。あくまで人間視点の錯覚なのだが。
時折屋根の積雪が落下する音にびくりと驚きながら、私たちは完全防寒装備で雪遊びに興じる。
「ゆきがっせんだー!」
キャッキャと笑いながら、ソフィちゃんは庭に降り積もった雪を集めて始める。
そうしてこんもり溜まったうちから握りこぶし一つ分の塊を掴み取り、私へと向けてきた。
「しょうぶだ、みかちゃん!」
「お? なんだなんだ。この純夏様とやるっての?」
「みかちゃんの顔まっかにしたいの」
「言外に顔だけ狙う発言するのはやめろ」
バチバチと私と彼女の間に火花が散っている中、レーナちゃんは少し離れた位置でせっせと雪だるまをつくりながら、片手を振って呼びかけてくる。
「ご主人様、手加減ですよーっ。全力を出したら雪玉が凶器になります」
「オッケーイ! せいぜい一割くらいまでしか力出さないよー!」
カッチカチに固めた雪玉を全力フルパワーでぶん投げたら、距離次第で生き物の頭くらいは吹っ飛ばせると思う。ゴリラも真っ青な女子力(物理)である。
だから一割。多分、ソフィちゃんと拮抗するくらいの力だ。
「じゃあ、始めるよー」
「はーい」
私は力を抜いて、スローボールを投げる感覚を心がけた。
「そいっ」
弱々しい勢いの雪玉が、ほぼ狙い通りソフィちゃんの服に命中した。
これなら多分、彼女も痛くないはず。
と思ったのだが、
「……いたい」
ソフィちゃんは真顔で短くそう言うと、そのまま下を向いてしゃがみ込んでしまった。
「え?」
血の気が引いていくのを感じる。
いや、いやいやいや。
て、手加減したし、普通に子供が投げるレベルの球だったはずなんだけど……でも、ソフィちゃんはしゃがんでしまった。もしかして泣いてる? そ、そんなに痛かった!?
とにかく、様子変だ。当たりどころが悪かった可能性もある。私は恐る恐る彼女の方へ近づいた。
「え、え、ご、ごめんっ! ソフィちゃんっ、服の下赤くなってたりは––––」
そして様子を伺おうとしたその時、
「……ふ」
「『ふ』?」
笑いを堪えるような声が、小さく聞こえた。
そして––––、
「あはははっ! ひっかかったぁー! くらえーっ!」
「ぶぉふぁっ!?」
いつの間に作り上げていたのか。大量の雪玉を彼女は手にして私へぶつけてきた。そして顔面へクリーンヒット。首元から服の中にも少し入った。
「んぎゃぁづめでぇっ!!」
うら若き乙女が出してはいけない声だったと思う。
まさかこの幼女、私を自分の近くまでおびき寄せるために、痛くも何ともない雪玉を痛いフリしたのか––––?
「き、きたないっ……同情を誘った罠か……!」
「んっへへー! だまされただまされた!」
ニタァ……という粘っこい擬音が付きそうな、子供なのに恐ろしく邪悪な笑みだった。明らかに、悪意を持って私へ雪玉を食らわせにかかってきている。
無邪気だ、ただのお遊びだと侮っていた。その油断を、ソフィちゃんは的確に突いてきたのだ。
私は悟った。
これは闘い。遊びじゃないのだと––––。
「このやろっ……!」
私は一度距離を取って、足元に視線を落とし。雪を確保する。
ぽすっ、ぽすっと度々頭に雪が飛んでくるが、それほど連射速度も威力も高くない。やはりただの女児だ、先のような不意打ちでもない限り恐るるに足らない小童。子供の悪知恵だけでお姉さんと渡り合えると思ったら大間違いである。
雪玉を溜めて、ちょっと経ったら復讐しばばばびびびびびびばばば––––、
「いてっ! うげっ! がっ、ぶっ! ちょっ、がふっ……な、なんっ、かぐふっ、急に雪玉の勢い速ぐ、がっ……!?」
突如、驚異的な連射速度と威力で雪玉飛んできた。
一体何が起きているのか、ソフィちゃんの方を見ると、
「そりゃっ、そりゃっ、そりゃっ、そりゃっ……ふぅ、結構汗かきますね、これ」
「そりゃっ……!」
「あ、最後の投げ方上手でしたよ。その調子です。はいっ、この雪玉も使ってください」
「えへへ、ありがとっ。そりゃっ!」
「レーナちゃん何やってるの!?」
いつの間に寝返ったのか、ソフィちゃんの隣には雪だるまを作っていたはずのレーナちゃんがいた。
彼女は瞬時に雪を掴み、丁度いいサイズ、固さにまで仕上げると、的確な部位を狙って射出してくる。或いはソフィちゃんに手渡す。動作が早すぎてまるで精密機械でも見ているかのような錯覚に陥った。どうやらあの子の器用さは雪合戦にまで応用が利くらしい。
「あっ、はい。ソフィちゃんのお手伝いをしています。雪だるまも作り終わりました」
そう言って、レーナちゃんは先程まで自分のいた位置を指差す。
そちらに視線を向けると、大小様々な雪だるまがずらりと並んでいた。いや作るスピードおかしいだろ。
「手伝いっていうかレーナちゃんが攻撃の要だよねそれ! ただでさえ私今女児レベルの雪玉しか投げられない制限が……」
今の私は意識的に筋力を抑えている状態。それも子供レベルにまでだ。
約束した以上本気は出さない。遊びとは言え約束を反故にはしたくなかった。不意打ちしてくるような汚い幼女とは違うのだ。
「ご主人様は魔法を使えます。その気になれば攻撃し放題じゃないですか。これでも足りないくらい力の差があると思うんです」
「そーだそーだ!」
「私の使えるヤツはどれもロクに攻撃力ないんだよなぁ……」
悲しいかな、私の使用する魔法はどれも攻撃に向かないものばかり。
『治癒』や『幻惑』は雪合戦じゃ無意味だし、『施錠』なんて使ってしまえば私は無敵状態になってしまう。体の周囲に鍵をかければ後は雪玉当たらないんだもん。その分私も近くのものに触れない。
つまりは手から炎を出したり水を出したり、風や土を操ったりなんて典型的な攻撃手段を使うことは到底叶わないのである。仮に出来てもそんなの雪合戦じゃ反則モノだ。
そもそも、殺傷力のある魔法を人に向かって使おうとなんて思えないし、こういう戦いは互いの力が拮抗してこそ楽しいのだ。
つまりこの状況は完全なるイジメ––––。
「つべこべうるさい! みかちゃんかくごぉー!」
「君たち私にどんな恨みがあってこんあばばばばばばばばばばば」
「えへへぇ、くらえくらえ」
「ふふふっ、ふふふふっ」
頭を守りながら蹲った私は、その後二人がかりで雪玉を投げつけられ続け、雪だるまへとその姿を変貌させられたのだった。やっぱりイジメだ。
––––あぁでも、二人とも楽しそう。可愛いな……なら、別にイジメられるのも良いかもなぁ……。
でもってこんな状況でも二人がとても楽しげだったことに充足感を覚える私は、心底病気だった。
****
「うぅ……さささむむいよぅ……」
寒気が止まらない。
暖炉の前で両手を突き出しながら、私は身を震わせた。
原因は確実に昼間やられた人柱雪達磨のせいだろう。
ソフィちゃんは、気遣わしげに私を見る。
「みかちゃん、だいじょうぶ?」
「誰のせいだと思ってやがる……!」
「??」
よくもまあヌケヌケと……多分彼女としては遊びだったのだろうが、私は全身を冷たく真っ白な衣に覆われて、危うく死ぬかと思ったのだ。いつか罪の意識に苛まれて償ってくれることを切に願う。
「––––準備、できましたよ」
早々に下準備と調理を始めたレーナちゃんが居間にやってくる。
存外早く夕食にありつけそうだった。
「くちゅっ……うぅ、風邪ひいたかもぉ」
「あ……ご、ごめんなさい、ご主人様……私たちが雪だるまにしたからですよね……。つい、楽しくなってしまって」
「ごめんね、みかちゃん!」
レーナちゃんは本当に申し訳なさそうだから良いとして、ソフィちゃんは半笑いだ。こいつやっぱり性格悪いのでは……。
「くちゅんっ、くちゅんっ! ……うぅ、もし熱が出た時、レーナちゃんがつきっきりで看病してくれるなら許す……」
「看病します!」
「えへへ、なら良ふちゅんっ!」
「みかちゃんくしゃみかわいい」
「っちゅん! ……そ、そう? ふへへ、な、なんか恥ずかしいな……」
そ、そうやっておだててご機嫌取りするつもりか? ふ、ふん。惑わされないんだからねっ。
でも確かに、日本でも幼馴染(♀)に『普段ヘラヘラしててウザいけどギャップ萌え狙えるかもな!』とか言われたことあった気がする。余計なお世話だ。
「と、とにかくこの話題はもういいや! ご飯食べたい。冷ましたら我が家のコックさんに悪いしね」
「そうですね。もう夕食にしちゃいましょうか」
「お腹ぺこぺこ」
「あっ、育ち盛りなのにそれはいけないです……!」
「じゃあ私食器出しとくね」
「はいっ、お願いしますね」
私でも食器運ぶのくらいは手伝える。むしろ、女子力がゴミクズカスな私の運用方法はそれくらいしかない。
戸棚から大皿と小皿各種を取り出して、レーナちゃんの後ろを付いて台所へ向かう。
「おぉ、おいしそう」
要望通り作ってくれた皮パリパリのチキンステーキが、お皿に盛られていく。芳ばしい香りが鼻腔をくすぐり、お腹が鳴りそうになった。
不意にレーナちゃんは不安げに睫毛を伏せてから、わたしを見上げる。
「ソフィちゃんは、美味しく食べてくれるでしょうか……」
まだ気にしてたのか。
彼女の料理の比較対象を酒場のしょっぱい料理くらいしか知らない私だ。レーナちゃんの料理は適度で薄い健康的な味付けだけど、もしかしたらこの地域の人たちは、濃い味付けを好むのかもしれない。
でも、そんなの関係ないと思うのだ。
「近所の大好きなお姉さんがわざわざ作ってくれたものだよ? 私なら大喜びで食べるね」
大事なのは味よりまず気持ちだ。勿論美味しいに越したことはないけれど、『誰かが自分のために作ってくれた』という事実が、とてつもないスパイスになる……なんていうのは、私が言うにはカッコつけすぎか。
少なくとも私は、レーナちゃんの料理が一つの例外もなく激マズだったとしても、毎日美味しく食べることができると思う。
「そういうもの、なんでしょうか」
「そういうもんだよ、気負わなくていいの」
「わっ」
安心させるように頭を撫でてあげたら、表情が少しほぐれたように思えた。
不安なことがあったらどんどん打ち明けてくれていいのだ。私なんかで良ければ、いくらでも話相手になりますとも。
「……なんでしょう、不思議な気分です」
「というと?」
「……あの、笑わないで聞いて欲しいんですけど……ご主人様がいて、私がいて、ソフィちゃんがいるじゃないですか」
「うん」
「親子って……こんな風、なのかな、なんて。お、おかしいですよね。ご主人様も私も同じ性別なのに……」
「……」
彼女のはにかんだ表情は、いつもの照れ笑いに似ていたけれど、全く別のものだったように思う。
両親の愛情を知らないレーナちゃん。そんなこの子は、親と子という関係に対して、一体どんな感慨を抱いているのか。
満たされて育った私には、軽々しく何か言う資格は無いように思えた。冒涜にも等しい行為に思えた。
––––それなのに、笑えるわけないんだよなぁ。
「え、っと」
どう答えるべきか少し思案して、私は口を開いた。
「……レーナちゃんと私がお父さんお母さんで、ソフィちゃんが娘、ってこと?」
「……そんな感じです」
「ふーん……まぁ私からしたら、レーナちゃんもちっちゃくて可愛い女の子––––いてっ」
「し、身長の話で茶化さないでくださいっ、年齢と、関係性を尊重してくださいっ」
「いたいいたいいたい」
ぽかぽかと潤んだ目で叩いてくるレーナちゃん。実際のところ、彼女の柔らかい手から放たれる打撃には、痛覚はまるで発生しない。
「……ふむっ!?」
しばらくやられるがままでいた後、なんとなしに彼女の両腕を掴み、引き寄せる。
体勢を崩して簡単に私の胸の中に収まってしまった小さくて可愛い女の子の耳元に、私は小さく囁いた。
「レーナちゃんは、私との子供欲しいの?」
「うぇっ!? い、いきなりなんでそんなっ」
「流れ的にいきなりではなかったと思うんですがね」
私的には、子供が欲しいという気持ちは少なからずある。レーナちゃんの子なら、男の子でも女の子でも心底綺麗に育ってくれるだろうし、きっと真面目で純粋で、可愛くて揶揄い甲斐のある子になる。
この子はそこのところ、どう思うんだろう。
「……あ、あの、その」
レーナちゃんはいくらか目を泳がせると、観念したように上目遣いで私を見つめ、朱い顔で首肯した。
「で、ですけど……私たちでは、こ、子作りはできないのでは……」
「っ!!」
やばいっす。至近距離から朱い顔で大好きな子に子作りとか言われたら、めっちゃやばいっす。エロいっす。
内心大興奮なのをひた隠しにして、私はなんでも無いように頷いた。
「そうなんだよねぇ……子供云々は聞いてみたかっただけ」
「……そうですか。急に深い話題になって驚きました」
少しだけ、レーナちゃんの表情が残念そうに見えたのは、きっと私の気のせいだろう。
もし私が男だったら、彼女をお母さんにしてあげられたのかな、なんて考えてみる。まあ詮の無い話だ、だからと言って男になりたい訳でも無い。
それに私はおんなじ性別だったから、レーナちゃんを好きになったのかもしれないし。
たらればもしもの話ほど、不毛なものは無い。
でも、
「もし子作りできたら、したい?」
「ま、まだその話題続くんですかっ、もういいでしょうっ、離してくださいっ……ごはんっ、ごはんにしましょう……っ」
「はーい。ソフィちゃんも待ってるしね」
ばたばた暴れ始めたので、仕方なく解放してあげる。
レーナちゃんはそそくさと私から距離を取ると、頰を紅く染めたまま、ピシッと人差し指を向けてきた。
「そうですよ、ソフィちゃんが待っています。ですから、ご主人様は少し黙っていてください」
「うわぁ、酷いこと言うね」
「喋るならせめて恥ずかしいことは禁止です!」
「はいはーい」
「……もぅ」
照れ顔は、数あるレーナちゃんの可愛い表情の中でも上位に食い込むレベルだからもっと見たかった、なんて言えない。
でもま、実はこっそりポケットに常備してる羊皮紙と『施錠』で写真作っといたんだよね……へへ、レーナちゃん隠し撮りコレクションファイルがまた分厚くなるぜ。
「それに私は……今この瞬間が幸せで、とっても満足していますからっ。これ以上なんて望みませんよ」
「……そっか」
大輪の花が咲いたような、そんな可愛らしくて綺麗な笑み。
数ある表情の中でも、一番好きなのはやはり笑顔であった。勿論写真に収めておく。
でも私としては、もっとレーナちゃんに幸せを感じて欲しい。毎日笑みを絶やさずに過ごして欲しい。
満足と妥協は紙一重で。やっぱり、上があるならそれを更に目指すべきで。
レーナちゃんが現状以上を望まないって言うなら、私がもっともっと幸せを甘受させて、今のままじゃ満足できないよう幸せの幅を広げてやりたい。
傲慢かもしれないけど、それが私の生き甲斐で、役目だと思うのです。




