39.5:村の童女の黒髪交流
時系列的には祭りの前です。もしかしたら、紛らわしいので一度消してちょうど良い箇所に割込投稿し直すかもしれません。
ブックマーク等、いつもありがとうございます。
前方にその姿を認め、少女は嬉々として駆け出した。
否、少女という表現にはやや語弊があるかもしれない。それほどまでに彼女は年若く、無垢で無邪気な印象を周囲に与えていた。
彼女の名はソフィ。この辺境の村で暮らしている、酒場店主の娘である。
そんなソフィが駆けた先にいるのは、
「れえなおねえさん、こんにちはっ」
「––––わっ!? あっ、ソフィちゃん。こんにちはっ」
驚いた声を上げたのち、背後からの衝撃に黒髪の少女は振り返り、屈託のない笑みをソフィに向けてきた。
黒髪少女の名はレーナ。つい先日まで病気だとかで麻袋を顔から被っていた、不思議な雰囲気を纏う女の子である。
「話しかけてくださるのは凄く嬉しいですけど、後ろから突進されると危ないですよ? 私はともかく、ソフィちゃんが怪我でもしたらと思うとヒヤヒヤします」
「ごめんなさい、れえなおねえさんが見えてうれしかったから」
「ソフィちゃん……」
そうして心底嬉しそうにレーナが頰を緩めるのを、ソフィは呼吸を止めて見つめてしまう。
レーナはとても綺麗だ。まるで精巧な彫刻品のように作り物めいた美貌は、けれどその愛らしい表情に程よく緩和され、血の通った人間であることを証明してくれる。
黒く後ろに流れる髪など、まるで夜空みたいで。
でも、
「––––れえなおねえさんの髪って、ぎんいろじゃ、ないの?」
以前、ちょっぴりだけ、本当に見間違いかもしれないけれど、レーナの髪が偶然麻袋から覗いているのが見えてしまったのだ。
その時見えたのは確かに銀色。宝石のような、まるで人間じゃないみたいな、そんな。
「うぇっ!? な、なんでしょ思うですか!?」
「おちついて?」
何故そんなにも狼狽えるのだろう。ソフィはますます訝しむ。
レーナはもしや、ソフィに何か隠し事をしているのではないだろうか。
「れえなおねえさん、もしかしてかくしごとしてる?」
「え、そ、そんなわけないですよっ」
「ほんとにぃ?」
「……ほんと、です」
「わたしとれえなおねえさん、ともだちだよね?」
「当たり前じゃないですかっ!」
「なのに、かくしごとしてる?」
「……うぅ」
そこで黙ってしまっては肯定しているようなものだ。ソフィはやや不機嫌になって、頰をぷくりと膨らました。
そしてつい、核心を突きかねない言葉を口にする。
「……れえなおねえさんって、もしかしてにんげんじゃないの?」
「えっ」
「にんげんじゃない人たちの、おなかま?」
「ぇ、ぁ……」
ソフィはこの歳にしては物知りだ。そんな彼女が考えたのが、『レーナは人間ではないのかもしれない』可能性だった。
普通の人間は銀髪になんてならない。近い色でも白色や灰色までで、銀の毛は妖精族や長寿族の特権だと、昔母が読んだり聞かせたりしてくれた童謡や童話などから知っていた。
どうしてレーナが今黒髪で、あの時見えたのが銀髪なのかはわからないけれど、ソフィは眼前の少女の狼狽えっぷりから半ば確信して訊ねていた。
「かくしごとって、それなのかな」
「……ち、ちがっ……」
「もしそうでも、わたし、どーでもいいよ」
「っ……」
何かに怯えるようなレーナの表情。どうしてか、彼女がソフィの次の言葉を恐れていることがわかった。
幼き少女は、続けようと思っていた言葉がなるべく優しく聴こえるように心がけ、言った。
「れえなおねえさん、やさしくてかわいくて、わたしだいすき」
「えっ!? ……あ、ぁう……あ、あり、がとうござい、ます……」
レーナはソフィの言葉に頰を朱くしてどもる。
こんなに可愛いのに、そう言われ慣れていないところも不思議だ。
「だからね、ちがくてもだいじょうぶなんだよ」
「––––」
「れえなおねえさんは、れえなおねえさんだよ」
幼子の表現力には限りがある。だからソフィの気持ちが、百パーセントそのままレーナに伝わったかはわからないけれど。
「ありがとう、ございますっ……」
レーナは端正な顔を歪めて涙を零していたから、きっと何かしらの形で心には届いたのだろう。
「れえなおねえさん、どこかいたい? なかないで?」
「いだぐないでずげど、無理でずっ、どまりまぜん……」
濁点の付いた涙声で零しながらレーナはしゃがみ込んでしまう。そうして図らずも、ソフィの身長に沿う体勢になったから、
「……いいこいいこ。いたいのとんでけ、なきむしさんはえがおになーれ」
物知りなソフィの母は、彼女よりもっと物を知っている。
大好きな母に教えてもらったおまじないを、同じかそれ以上に大好きなレーナにかけてあげたら、何故か益々泣きじゃくってしまった。
首を傾げるソフィは、生まれて初めておまじないの効果を疑うのだった。
****
ソフィには少し苦手な人がいる。
スミカ・タチバナ––––馴れ馴れしい態度と、愛嬌ある顔をにやにやと台無しにした表情が特徴の異邦人だ。
そもそも、何かとスミカは胡散臭いのである。ソフィは幼いながらに、それを感じ取っていた。
初めてスミカの姿を村で見たのはもう二年以上前のこと。その時の彼女の表情が、ソフィは忘れられなかった。
無表情。おおよそ感情と呼べるものが全て抜け落ちたような、何を考えているのかわからない顔だ。
そこから何がどうして、現在のような常日頃ニコニコした顔になったのか。
ギャップがありすぎて、どちらが本当のスミカなのかソフィにはわからなかった。だから、得体が知れず自分から近寄りたいとは思えなかった。
レーナに紹介された時も、
「ソフィちゃん、こちらがご主人様です。ご主人様、こちらがソフィちゃんです」
「おっす、私のことはスミカお姉様って呼んでくれていいぞ!」
彼女は、スミカのことを全面的に信用している。無論、ソフィとて大好きなレーナの言い分を疑う気にはなれない。
しかしどうにも、レーナの含む所のない綺麗な笑顔を見た後だと、スミカの笑顔は裏があるように思えてならなかった。
酒場によくやってくるという話を父から聞いて、彼にスミカについて訊ねてみた時は、
「あー……おめえは、あんな風に育っちゃダメだからな?」
「どういういみ?」
「そのまんまだ」
くしゃくしゃ頭を乱暴に撫でるばかりで、深くは答えてもらえず。
当初近寄らない方針を取っていたはずのスミカのことが、少し気になり始めていた。
ある日のことだった。
「おれしってる! おまえのとーちゃんはすげーおくびょーものなんだぞ!」
ソフィがたまに頼まれる母からのおつかいに出ていると、揶揄うような口調で近寄ってくる少年たちがいた。
同年代のガキ大将たちだ。何故かよく、ソフィを笑い者にしようとする。
今回に関しては、父のことを引き合いに出そうと言うらしい。
普段は相手にしないが、流石にカチンときた。
「やめてよ。わたしじゃなくて、パパのことまで言うのはだめ!」
「うっせー! ぼうけんしゃやめて店にひきこもったちきんやろーなんだぞ!」
「やめてってば!」
ソフィは父が臆病者なんかではないことを知っている。ちょっと怖いけれどかっこよくて家族にも友人にも優しい、頼れる父親なのだ。
なのに謂れのない悪口を笑いながら並べられてやるせない気持ちになっていると、彼女はやってきた。
「じゃあ、複数人で固まらなきゃ一人の女の子ともマトモに話せない男の子たちは臆病なチキンやろーじゃないのかー!」
レーナとそっくりな黒髪は肩口までで切り揃えられ、その愛らしい顔立ちは少し怒ったように強張っている。
そうして腕を組んで仁王立ちしているのは、得体の知れない異邦人、スミカ・タチバナだった。
「ホントはこーいうのって自分たちでなんとかするものなんだろうけど、なんだか雲行き怪しかったから乱入しました」
「な、なんだよおまえ!」
「冒険者スミカ・タチバナ、本日はサボ……休日のため、村で散歩していた次第であります。今後お見知り置きを」
突然一回り以上も年上の異性が乱入してきたことで、ガキ大将たちは気圧されている様子だった。
スミカは一瞬にして、ソフィが以前より相手にするのを諦めていた空気を変えてしまった。
「あのね、男の子が寄り集まって一人の女の子虐めるのもどうかと思う」
「うっさい! おまえ関係ないだろ!」
「そこのソフィちゃんは私の大好きな子の大親友だから、割と関係はあります」
「いみわかんないこというな!」
「そっちこそいわれのない悪口言っちゃだめだぞ!」
「ふ、ふんっ、ばかおんなのくせに!」
「バカって言う方がバカなんだぞ。やいやいあほ男ー!」
「うぐぐ……!」
「おうおうどーしたの? もう汚い言葉はおしまい?」
「う、うっせっ! このっ……あばずれっ」
「はいはい、あばずれで結構だよーだ」
村の大人たちのように説教するでもなく、まるで自分自身が子供の立場に立ったような煽り方で、スミカはガキ大将と張り合っていた。今まで体験した事のない責め方を年上からされて、少年たちも困惑している。
「まぁ、悪ふざけはこれくらいにしてさ。君たちは、ソフィちゃんにごめんなさいってするべきじゃないかって私は思うの。私も今、君のことバカにしたの謝るからさっ」
「な、なんでおれらが……」
「わざと酷いこと言ってソフィちゃんに嫌な思いさせたでしょ。ねぇ、ソフィちゃんは嫌じゃなかった?」
急に話を振られて、ソフィは僅かに狼狽える。
が、それもほんの一瞬だけ。すぐに父を侮辱された怒りがこみ上げ、首を縦に振った。
「い、いやだった!」
「ほぉらぁ」
「ぐっ……」
そこで完全に少年たちは押し黙ってしまう。
スミカは彼らが謝るのを待っていて、ソフィはこの場がどう決着づくのかをじっと見ていた。
そして、
「くそっ、おれぜってぇあやまんないからな! お、おぼえてろよこのあほー!」
「あっ、こらまて!」
悪態をつきながらガキ大将が走り去り、それに続いてその他取り巻きたちもぴゅーっと逃げていった。
できれば謝って欲しかった、というのがソフィの本音だった。
それはスミカも同じようで、少年たちが去っていく方向をもどかしそうに見ていた。
「あの……余計なお世話だったかな。ごめん、流石にあの子たちのやり方は卑怯だと思ったし、店主さんが酷く言われてるのがちょっとカチンと来ちゃって」
二人きりになって、スミカはソフィに話しかけてきた。
先程までとは打って変わって冷静な口調になっていて、ソフィは驚いた。
「う、ううん……たすけてくれて、ありがとう」
「できれば、ちゃんと頭を下げさせるところまで行きたかったんだけど……ん。まぁ、どういたしまして! 御礼は受け取っておく!」
かと思えばまた笑った。くるくる変わる表情だと、ソフィは興味深げにスミカの顔を見つめた。
「一応ね。ソフィちゃんのお父さんは、臆病者でもチキンやろーでもないよ」
「ん、しってるよ。わるぐち言われてかなしかったし、むねのところもやもやしたもんっ」
「うん。あの人、すごくいい人だもんね。ロクにお店の売上に貢献してない私を、なんだかんだ言って、受け入れてくれてるし。レーナちゃんにも優しくしてくれるし。つい私は軽口叩いちゃうけどさ……」
「うんっ。パパはやさしいもん!」
ソフィには事情がよくわからなかったけれど、スミカが父のことを良く言ってくれていることは理解できて、娘として鼻が高かった。えっへん、と胸を張る。
「……それにしたって、好きな女の子の気を引きたいなら、もっと良いやり方あるだろうになぁ」
「どういういみ?」
「あ、ううん。何でもないよ! あの少年たちは、後で自分たちのやり方に後悔するだろうなって思っただけ」
「ふーん……」
会話はそこで一旦途切れる。
スミカは何も言わずに、ニコニコとソフィを見つめている。なんだか無性に気恥ずかしかった。
「…………レーナちゃんには負けるけど、ソフィちゃんも可愛いなぁ。抱きしめてみたい」
「へ?」
「いや、何も言ってない。本当だ、すみかうそつかない」
じゃ、じゃあ私は帰るから、とスミカは挙動不審気味にすたすた歩いて行ってしまった。
去っていく背中を見ながら、よくわかんない人だな、とソフィは思った。
不意に現れてガキ大将と張り合ったり、かと思えば急に大人びた表情でソフィを気遣ったり。
一体、どれが本当のスミカなのか。
––––いいや、そもそもその考え自体が間違っているのかもしれない。
初めて見かけた時の無表情なスミカも、子供っぽい笑顔のスミカも、年相応に大人びたスミカも。
どれもこれもが本物で、スミカを形作っている要素なのではないか。
ソフィはまだ、スミカのことをほとんど知らない。ソフィとて、いわれのない偏見で物を言われて嫌な思いをしたばかりではないか。
「……もっと、おはなししてみようかな」
少なくとも、怖い人じゃないことはわかったから。
今度からは見かけたら声をかけようと決めて、ソフィは少し気分を良くしておつかいを再開したのだった。
それから彼女がスミカのことを、『良い人だけどちょっと面倒くさい』と認識するようになるまで、然程時間はかからなかった。




