41:雪祭り〈後〉
長めです。
「本当にごめんな……手、痛かったよな。つい嬉しくなって力が入っちまったんだ……」
「い、いえっ、本当に大丈夫ですから……」
––––この状況は、一体なんなんだろう……。
目の前でペコペコと心底申し訳なさそうに頭を下げてくる大柄な男性に苦笑を向けながら、私は少しだけ痛む手首をさすった。
ご主人様とはぐれた後、私はどう見ても堅気ではない男性と、不注意でぶつかってしまった。
それから彼にやや強引に手を引かれてきたのがここ––––祭りのために自治体の方々が集まった運営兼休憩場所である。
何故、こんなところまで連れてこられたのかと言えば、
「––––お、踊り、ですか?」
「ああ」
出してもらった果物のジュースを若干申し訳なく思いながら口に含み、私はそう聞き返していた。
この場所まで移動した時点である程度察しはついていたが、どうやらこの男性––––名をガウタークという彼は、今回の催しの関係者であるらしく、
「祭りの終盤で、舞台に出てほしい」
と、私に頭を下げてきたのだった。
なんでも、この祭りでは夜になると舞台公演が開かれて、始めに複数人の女性が踊りを披露するのだそう。しかし、そのうちの一人が、体調を崩して寝込んでしまった。つまり欠員が出たということだ。
それを埋める代役が立てられず、困っていたところで私がぶつかってきた、ということらしい。
正直意味がわからない。
どうして私なのか、もっといい人なんてごまんといるだろうにと、私はガウターク様の勧誘の意図を考えていた。
「あ、あの、そもそも質問が」
「なんだ」
「どうして、私なんですか? 私なんかが、舞台なんておかしいですよ……」
私に彼の興味を引く何かがあったとは思えない。
それこそ何かの陰謀、例えばご主人様辺りの企みか、なんて考えてしまうが、流石のあの人にだって、祭りの裏側まで手を回すだけの権力はない……はずだ。
ガウターク様は、似合わないにこやかな表情で言った。
「そりゃあ、嬢ちゃんが別嬪さんだから」
「いえっ、そういうお世辞は今はいいのでっ」
「いや、世辞じゃないんだが」
「そういう冗談もいいですっ、本当に意図を教えて下さい」
「だから冗談でもな––––」
「しつこいです!」
「嬢ちゃんがなっ!?」
私はそんな大層な顔立ちではない。そんなのきちんと自覚している。
いつまでも譲ろうとしないガウターク様に、私はだんだん苛立ちを覚え始めていた。
「な、なんでそんなに頑ななんだよ……」
「私の見た目をきちんと理解した上で、褒めてくださるのはご主人様だけですからっ!」
「……ご主人様?」
「え……あ、すみません。本名は、すみかさん、という人で……わ、私が勝手にそう呼んでるだけで……えっと、はい」
言う必要のないことまでしどろもどろに続けると、ガウターク様は黙り込んでしまった。
私がご主人様、なんて呼称を使っているから、引かれてしまったのだろうか。
「なぁ、もしかしてそのスミカって……冒険者のスミカ・タチバナか?」
「! ご主人様のことをご存知なんですかっ!?」
「うぉっ、食いつくな。やっぱ当たりか。じゃあ嬢ちゃんは……ひょっとするとレーナって名前だったりは」
「はい、そうですけど……」
どうして、ご主人様はともかく私の名前まで知っているんだろう。
私の心中の疑問に気付いた訳ではないだろうが、結果的に解となる反応をガウターク様は見せた。
「お、そうかそうか嬢ちゃんがあの……ちなみに俺は、普段は冒険者として、狩りに出てるか飲んだくれてるかの二択で日々を謳歌してる。タチバナの奴とは、偶に世間話する仲だよ。嬢ちゃんの話も聞いてる」
「あっ、冒険者の方でしたか……」
どうりで祭りの役員さんにしては厳かさが振り切れ過ぎていると思っていたのだ。しかも、ご主人様の知り合いであるという。
やっぱりこの祭りにはご主人様も関わっているのではないだろうか。
「あの、もしかしてご主……すみかさんも、この祭りの関係者だったりしますか」
「いや? そんな話は聞かないが」
「そう、ですか」
「……それにしてもなぁ」
「なんですか?」
「いや……」
私が脳内でご主人様関与説について考察していると、ガウターク様は私の顔をまじまじと見つめてきた。
「酒場で話に聞いてた『天使』ってのが……まさか嬢ちゃんとはなぁ」
「て、天使……!? だっ、誰ですかそれっ」
「だから嬢ちゃんだよ。しかし、話以上に綺麗で人懐っこそうな顔してるよな。タチバナが入れ込むのも多少はわかるかもしれない」
「入れ込む……? ご主人様は、どんな風に私の話をされるんですか……?」
「ああ。嬢ちゃんに会う前のアイツを見たら多分驚くぞ。最近のタチバナはずっとにまにま締まりのない顔してる」
「––––」
「今までろくに表情動かさなかった奴が、急に笑うようになって、そのくせ何処からか連れてきた同居人の話ばっかりするようになったんだから……おぉぇ、思い出したら気分悪くなってきた。砂糖吐きそう」
「い、いったいどんな目に遭わされたんですか!?」
「生き地獄だ」
****
「はっくしゅん! ……な、なんか悪寒……なんだなんだ、ゴブリンの怨霊か……?」
一応周りを見渡すが、私をつけ狙ったような存在の気配はない。ホントになんなんだ、まさか風邪か。
「と、それよりレーナちゃん探さなきゃ。れぇぇぇなちゃぁぁぁぁん! おいてってごめんねぇぇぇぇどこいっちゃったのぉぉぉぉぉぉ!」
****
「……ヒッ!?」
「ど、どうした、そんな素っ頓狂な声出して」
「……いえ、寒気が少し……」
「……大丈夫か? 冬なんだから、風邪引かないように夜はきちんとあったかい格好して寝るんだぞ?」
袖なしの服を着てる人にだけは言われたくない台詞だった。
でも、声音は優しく気遣わしげなもの。酒場の店主様といい、この村にはその恐そうな見た目とは裏腹に善良な人物が多い。初対面で恐怖を覚えてしまったことに罪悪感が込み上げる。
「お気遣い、ありがとうございます」
「……いや、多分嬢ちゃんが体調でも崩したら、タチバナの奴は酒場で狂乱状態になるだろうからな。ただでさえ気狂いなのにもし酒をひっくり返されでもしたら溜まったもんじゃない」
そう語る彼の瞳は光を失いかけていた。
「……苦労して、らっしゃるんですね」
「……その苦労の元と同居してるやつにそう言ってもらえると、素直に救われた気になる。嬢ちゃんはすごいなぁ、あんなやばい奴とよく一緒に暮らせるもんだ」
「ご主人様は良くない所こそあれ、とっても素敵な人ですからっ」
「……嬢ちゃんも惚気る側の人間だったか」
最後にガウターク様が疲れた顔で小さく呟いたのが気になったが、深く聞かない方がいいような気がした。
先ほどは苛立ってしまったが、この男性とはなんだかんだ気が合いそうだ。
「……あれ、でも待ってください」
「あ? どうした」
「ご主人様って、今でも酒場に通ってらっしゃるんですか?」
『料理の味があまり好みに合わないからもう行かない』なんて、失礼極まりないことを言っていた気がするけれど。
「え……アイツ、嬢ちゃんに話してないのか。じゃあこれ、言っちゃまずい奴だったか……?」
案の定ガウターク様は顔を強張らせる。そうかそうか、私に黙って、酒場へ通っているのか。やましい事でもあるのだろうか。胸の中がもやもやする。
「もう知ってしまいました、ガウターク様は何も悪くありません。それで、加えてお聞きしたいのですが、ご主人様は具体的にどの時間帯に出没しますか?」
落ち着いた調子で訪ねたつもりだったのだが、何故かガウターク様は少し怯んだ顔をした。私の顔を見て。
「タチバナすまん。黙ってたお前が悪い。……えぇと、朝早くの、あいつが森に行く直前の時間帯か、夕方近くの、森から帰ってきた時間帯。なんか料理は食わねえで嬢ちゃんとの惚気話ばっか吐きにくる。店主のヤローなんかそろそろ出禁にしてやるとか言ってた」
「人様に迷惑かけて……それに惚気話って……」
最近は、『日が沈むのが早いから朝早いうちに仕事に行く』なんて言っていたけれど、本当の目的はこれか。
私のことを他の人に良く話してくれるのは嬉しい。けれど、それで迷惑をかけるのは流石に看過できない。
……決めた。帰ったら一回お話ししないと。
「……同居人がご迷惑をおかけしました」
「……怒った顔も可愛いっていう、あいつの言い分もわからないでもねえけど、普通に怖いな」
****
「ヒィッ! さ、さっきからなんなんだこの寒気っ! ゴブリンの祟りか!? 不意打ちで殺したの根に持ってるのかっ!? 背中晒したお前が悪いんだろバーカ!!」
再度周囲を見回す。誰も私を見てない。強いて言えば、ごく少数の人たちに可哀想な人を見るような目で蔑視されているだろうか。冷たい視線が心を抉る。
「……うぅ、早くレーナちゃんと合流して抱きしめてあったまろう」
寒気の原因がまさか探している彼女であるとは、この時の私には知る由もないのである。
****
「––––で、舞台の方は考えてもらえたか?」
「あ……そ、そういう主旨でしたね」
「いや忘れないでくれよっ。一番端の、一番目立たないところでいい。適当に合わせてくれりゃあいいから」
「……」
正直、あまり私には向かないと思う。
人一倍羞恥心が強いことは自覚しているところだ。今でこそ慣れたとはいえ、最初の頃なんてご主人様に抱きしめられるだけで顔がすごく熱くなっていたくらいだった。そんなのが舞台なんて無理だ。
大人数の前に立つことは確定。やっぱり断ろう、と私が口を開きかけたところで、
「やってくれたら、この祭りで売ってるもんなんでも欲しいの買ってやるぞ」
そんな、魅力的な誘い文句が耳に届いた。
その瞬間、私の脳裏には有耶無耶になってしまった花屋さんの屋台が映し出される。
––––あそこにある種を、なんでも、欲しいのを、買って、もらえる……?
駄目だよ、人前で踊るなんて無理に決まってる! という理性の声を跳ね除け、私は本能に突き動かされた。
「……お花の種でも?」
「あ? そんなのでいいならいくらでも」
「––––やりますっ!」
種の誘惑には勝てなかった。
数秒後に我に返って後悔するのは、語るまでもないワンセットの出来事である。
****
「……レーナちゃん、どこいっちゃったの……」
隣をひょこひょこ歩く小柄な少女を幻視しながら、悲嘆にくれる。
レーナちゃんとはぐれて早数時間。流石に迷子だなんだとふざけている場合では無くなっていた。
もしかしたら人攫いにあった可能性だってゼロではない。最悪の事態を想定し、顔が青くなっていくのを感じる。
「私の、せい……」
私が先走らなければ、今もきっと隣でレーナちゃんは笑っていた。
もし酷い目にあっていたなら、私は自分を許せない。
「……とにかく探さなきゃ……」
そうして、また俯いていた首は前を向く。
すると、たまたま先を歩いていた仲睦まじそうな二人組の観光客の話し声が聞こえてきた。
「なぁオイ聞いたか、舞台の方でなんか可愛い子が踊るらしいぞ。ここいらじゃ珍しいけど長い黒髪の––––」
耳に入った情報はそこまでだった。けれど私の脳内で可愛い黒髪ロングの女の子と検索をかければ、真っ先に出てくるのは、今は姿形を偽った銀色の彼女で。
「レーナちゃん!?!? 今のレーナちゃんの話!!?」
次の瞬間には、二人のうちの片方の肩に手を置いて、強引に引き止めていた。
「うわっ……な、なんだよあんた」
変な奴に絡まれた、と顔に書かれたような表情の観光客だったが、構わない。さらに詰め寄って、話を聞き出す。
「スミカタチバナ十九歳職業冒険者です今しがたあなた方が話していた黒髪の女の子についてお聞きしたいんですけど御協力お願いできますかお願いしますお願いします」
「近い近い近いっ……!」
そうして、いくつかの特徴を聞き出すことに成功した。
曰く、黒く長い髪と、白い肌と、黄色い瞳と、恐ろしく整った容姿を持つ十代半ばの少女であるとか。
「間違いない、レーナちゃんだ……」
断定はできない情報量だが、もう私の中では件の舞台に上がる少女がレーナちゃんでない可能性など、微塵も考慮されていなかった。
「あの、ありがとうございましたっ。残りあと僅かですけど、お祭り互いに楽しみましょうねっ」
「お、おう……あ、あんたもな」
散々振り回すような言動を取った挙句にどの口が言うのかという話だが、一応最低限誠意と愛想を持って御礼を告げ、私は駆け出した。
それと、
「なぁ……なんか、あの子も結構可愛くなかったか、押しが強いところといい、あたし結構好みだったんだけど」
「……」
「は!? おいっ、なんで今足踏んだんだよっ」
「……知らないわ。自分で考えなさい」
「りふじんだ!」
「…………この浮気性」
二人は両方とも可愛らしい女の子だった。
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「………着いたっと」
息切れはない。こういう時だけは、強靱な身体をくれた召喚魔法さまさまだと思う。
「はえー、ここも人多すぎ……」
ガヤガヤとした辺境にあるまじき人の波が、視界を支配している。
そんな私達を黒々とした影で覆っているのは、眼前の色とりどり、種類様々な花飾りと、高そうな舞台幕が付いた個性豊かなステージであった。すんごいお金かかってそう。
「レーナちゃん、ホントにいるんだろうか」
冷静になってみれば、奥手なあの子が舞台に上がるなんてこと、まずあり得ない話なのだ。
人見知りするタイプでもないが、だからと言って大人数の前になんて出たら、緊張で顔が真っ赤になってしまう……そんな女の子で。
「そもそも私、レーナちゃんにそんな話一切聞いてないし……」
そこが一番、モヤモヤする。ショーに出るなら、前もって教えてくれても良かったじゃないか。
そうこうするうち、前の方の人混みでわぁっと声が上がった。私のいる後方にまで、すぐに伝播する。
舞台の幕が、上がったのだ。
****
有言してしまったからには引き返せない。私は全力で稽古を始めた。残り数時間しかなかったけれど。
まず、記憶力と観察力を総動員して、見本を見せてくれる踊り子さんの動きを模倣した。
幼少から数々の苦境に立たされた結果、誰かの真似をすることは得意になっていたから、荒削りでも割と早く形にはなった。辛い経験は無駄じゃなかった……!
そこから、助言を頂いて振り付けの誤った部分を微調整したりしていたら、もう舞台の時間はやってきてしまい、
「…………ぅ」
その時が、もう間近に迫っていた。
もう外は暗くなりつつあるのに、ガヤガヤとした人の声が沢山聞こえてくる。それだけでもう、緊張感は込み上げ、うめき声と共に弱音も飛び出てしまいそうだ。
ここは舞台裏。周囲には、同じ作りの衣装を身に纏った踊り子さん複数名が然程気負った様子もなく佇んでいる。流石だな、と思う。
私は直前に放り込まれてきたので、体型に合う大きさの衣装など用意されている訳もなく、無地のワンピースと装飾品だけ着けさせてもらった。端でも目立ちそう。
そんなグダグダ加減が、私の緊張と不安を引き上げにかかってくる。
すると不意に、ぽんぽんと背中を叩かれた。
振り返ると、微笑を浮かべた女性が一人。
「レーナさん、大丈夫よっ」
「受付嬢さん……」
私を励ましてくれたのは、妙齢の女性––––踊り子の一人であると共に、冒険者ギルドの受付嬢を務めているナディアという人だった。この人もご主人様と面識があるらしい。
「もしかしたら、タチバナさんも観に来てるかもしれないわ。外でガウさんたちが走り回って呼び込みしてくれたから」
ガウさんっていう愛称なんだか可愛いな、だとか、あんな容貌の人たちが走り回っていたらかなり混沌とした祭りになりそうだ、なんて考えながら、私はご主人さ––––ぇ。
「うぇっ!? ご、ご主人様が!?」
「だからあなたは––––って、えぇ!? なんでしゃがみこんじゃうの!?」
「そうだ……ご主人様……よくよく考えたら、何にも言わないで結局ここまで来ちゃった……!」
まずい、非常にまずい。何も言わずに舞台に上がったなんて知れたら、ご主人様は多分拗ねる……!
それに、あの人の前で失敗したら、恥ずかしさはひとしおで。
「……どんどん不安が増していく」
「ああああっ、もう! レーナさん練習じゃあとっても上手く踊れてたんだから! ほんの数時間前まで何も知らなかったとは思えないくらいよ!」
「あはははっ……受付嬢さん。本番と練習は別物ですよ。練習でできたことが必ずしも本番でできるとは限らないんですよわかりますか、あははははは……」
「人格が崩壊してきてる……って、もう時間! とにかく、頑張るしか無いんだからねレーナさん! 多少失敗したって観客さんたちは誰も気づかないわ! そもそも振り付けを知らないんだからっ!」
後半は言っていることが正直励ましになっていなかったが、去り際の彼女には小さく礼を告げておく。
いくら私が壊れていこうと、舞台は始まる。
––––やるしかないんだ……快諾した時点でもう、私に逃げ道なんてないんだから。
各配置に着くように指示を受け、もうどうにでもなれと私は持ち上がっていく幕の外を見つめ–––––、
「ぁ」
––––その光景に、一瞬世界から音が消え、時間が停止したように思えた。
––––人、人、人、人、人、人、人、人、人、人。
眼前に溢れんばかりに敷き詰められた、人間の顔。
その一つ一つに付いた双眸が、例外なく此方へと向けられている。
––––数えきれないほどの人間が、私を、私たちを見ている。
「う、あ……」
頭はすぐに真っ白になった。
踊らなければならないことだけは覚えている。けれど、振り付けが、何一つ思い出せない。吹き飛んでしまっている。
––––どうするどうすればどうしたら––––。
他の踊り子たちは、既に体を動かし始めている。固まっているのは、私だけ。
『あの子どうしたんだ?』『ガチガチで踊ってないじゃん』『早く踊れよ』
そのうち、恐らくは私に対して向けられた言葉が、客席から耳に届いた。
「ご、ごめ……なさ……」
何に対して謝っているのか。
自分の口から出た言葉さえ、どこか他人事だった。
踊りたくても、わからない。どうすればいいのかわからない。
相も変わらず頭は真っ白で、指先一つ満足に動かすことができない。
このままでは、舞台を台無しにしてしまう。いや既に、台無しにしつつあって––––。
「レーナちゃん、ファイトだよっ」
––––声が、聞こえた気がした。
綺麗な声。明るくハキハキとした喋り方と相まって無邪気な印象を覚える、安心感を与えてくれる、そんな––––、
「ご主人、様……」
彼女が、見ているかもしれない。今の声は、幻聴なんかじゃないのかもしれない。応援されたの、かもしれない。
そう思うだけで、不思議と体の硬直が弱まった。頭も、働きを取り戻していく。
単純なものだった。ただ、綺麗に踊りきれたなら、ご主人様は私を褒めてくれるだろうか、なんて都合のいいことを考え始めた。それだけで、私は平静を取り戻しつつあった。
「ふぅ……はぁ……」
深呼吸を一つして。
できる––––そう確信した私は、ずいぶん遅れたスタートを切った。
****
茫然と立ち尽くしていたレーナちゃんは、不意にキョロキョロと辺りを見回すと、やがて真剣な面持ちで踊り始めた。
「……届いた、みたい」
魔法の形は千差万別。初級魔法を基盤として、それ以上は行使者の解釈によって様々な効果をもたらす。
じゃあ例えば、違う世界から来た人間が、本来鍵の開閉をすることしかできない魔法を好き勝手に弄くったとしたら?
答えは、変な魔法が出来上がる、だ。
––––その気になれば、人間なんでもできるんだなぁ。
声に鍵をかけて閉じ込めて、舞台目掛けてぶん投げる。最後にレーナちゃんの前で開く。
正直音にまで魔法で干渉できるのかは五分五分だったが、案外どうにでもなるようだった。
中級施錠魔法、と言ったところだろうか。そう名付けるにはもはや原型を留めていない気がするけれども。
「とにかくがんばれっ、レーナちゃん……!」
彼女が舞台の上にいた時、やっぱり驚いたし、そのことを知らされていなかった疎外感もあった。
だけど、あんな迷子みたいな不安そうな顔されたら、そんなの吹き飛んじゃうに決まってるじゃん。
事情は後で聞く。多分、何かあって今あの子はああなってるんだと思うから。
「それにしても」
––––すごいなぁ……。
レーナちゃんが、いやレーナちゃんたちが踊っている舞は、幻想的な美に包まれていた。
軽やかで、まるで獣のようだった開幕は、少しずつ重厚な動作、落ち着きのあるそれへと移り変わっていく。
全身を扱っての生の主張は猛々しくあり、同時に華やかさすら纏っていた。
表題は『人の一生』。産声を上げた瞬間から、その命を終えるまでを表現しているのだという。
皆、次第にその美しさに惹かれ、声一つ漏らさず見入っていく。
語彙力の無い私では上手く表現することもできない、これ以上言葉にしようとするのは烏滸がましいと思うまでであり、
「ぁ……雪」
ほわりほわりと、ゆるやかな速度で、白い粒が空から落ちてきていた。今年二度目の雪だ。
天から授けられた思わぬ演出により、舞台はより一層引き立てられる。
中でも、端っこなのに強烈に印象を残していくレーナちゃんは異様だった。
家事の時特有のキレキレな動きはそれ以上のものに昇華し、あの小さな体のどこにエネルギーを隠し持っていたのか、衰えずクオリティを保ち続けて舞っている。
最初の硬直の失態などすぐに返上して、観客を虜にしていた。
「無理は、しないでね」
既に日は沈み、月が闇を支配している中。
雪降る夜に、鋭く可憐に舞う美しき少女。
惜しむらくは、彼女本来の姿で踊っているところが見られなかったことか。銀色の髪が雪に映えてさぞファンタジックだったろうに。
「……まぁ、後で屋敷で踊ってもらうのもいいかもっ」
それこそ私だけの特権だ。この場に集まった観客のうち誰一人として見ることは叶わない。
まぁ、どうせ見たところで、ホントのレーナちゃんの可愛さがわからないセンスの無い奴らなんだけどさ。
「うむむ……でもあの黒髪も美しい……ぜひぜひ、写真に収めたいところなのだが……」
残念なことに、この世界にはカメラがない。だからレーナちゃんの姿を保存する術は無く––––、
「いや、待てよ……?」
……音を閉じ込められたんだから、視覚情報もイケるんじゃね……?
「おいおい、私は天才か……?」
曖昧な仮説から、私はある行動に移ったのだった。
****
まさか、あのダンスが私とはぐれてからのわずか数時間で覚えて仕上げたものだとは思わなかった。
改めて、レーナちゃんのスペックの高さを恐ろしく感じながら、私は花の種が入った袋を眺めてニヤニヤしている銀髪の少女を見つめた。
「ふふふん……この子たちは、また今度大事に植えてあげるんですっ。大切に育てますっ」
時刻はもうすぐ日付を跨ぐ頃合いだろうか。
興奮冷めやらぬ私と、花の種の愛でている彼女は、珍しく夜更かしをしていた。
「お花のタネ眺めてるだけでこんなに幸せそうなんだから、まったく植物に嫉妬しちゃうよ私」
「えへへ、お花は可愛いんですよ、えへへ」
「レーナちゃんも可愛いよ」
「えへへ、大切に育てるんです、えへへ」
「お、おう」
……多分私の声は半分も耳に入っていないんだと思う。よっぽど嬉しいんだろうな、可愛い。
あの後、私はその後の舞台そっちのけでレーナちゃんに近寄ろうとする悪漢どもから彼女を保護し、それまでの経緯を聞いた。
まさか、花の種のためだけに舞台に上がったなんて聞いた時は思わず噴き出しそうになったが、むくれられたら嫌なので、笑いを堪えながらよく頑張ったねと頭を撫でてあげた。満足げに喉を鳴らす姿はとても愛らしかった。とりあえずガウタークさん、あんたはちょっと話があるよ。
「とりあえず、もうそろそろ寝よ? 私はともかく、レーナちゃんは早い時間帯から家事したいんでしょ?」
軽く肩を叩くと、レーナちゃんの瞳の焦点が帰ってきた。
「はっ……そ、そうですね。ごめんなさい、買ってもらった時からずっとこのタネが嬉しく––––えへへへへ」
「ダメだ、この子はもう手遅れだ」
「はっ……ま、まずいですっ。タネのことが頭から離れません……!」
「代わりに持っててあげよっか?」
「自分で持ってます……!」
でもまぁ、このタネは彼女の数時間の努力の結晶だ。きっと、器用なこの子だから私なんかじゃ真似できないような方法で、踊りだってマスターしたに違いない。生半可な姿勢では少なくともなかったはず。
「まあ私も、昨日は良いものが撮れたんだよねぇ」
「?」
そう言いながら、私はポケットからそれを取り出す。
「じゃーん」
「えっと……? ……な、なんですかその絵!?」
「絵じゃないよぉ、施錠魔法で視覚情報を閉じ込めて作った写真だよぉ」
私の施錠魔法で、音を閉じ込めて舞台の上のレーナちゃんにまで届けることができた。
ならば音以外の概念も、解釈の仕方次第では閉じ込めることが可能なのではないか、と考えたのだ。
いや、まさかこんなことまでできるとは思わなかった。もう完全に『施錠』はご都合主義魔法と化している。
閉じ込めた視覚情報を貼り付ける為のベースは、ちょっと値が張る羊皮紙を使った。我ながらホレボレするくらいの解像度である。まぁ、私の視力に依存してるからなんだけど。
写っているのは当然レーナちゃん。それも、昨夜の踊りの真っ最中の時である。可愛い、可愛い……!
「〜〜〜〜!! こ、これっ、昨日のっ、わた、私じゃないですかぁっ!!」
「うん、そーだよ。あんまりにも綺麗だったからその場でまた施錠魔法の解釈弄くって撮っちゃった❤️」
「撮っちゃった、じゃないですよっ。うぅ……あんな恥ずかしいの保存しないでくださいぃ! あれはその場の勢いで引き受けちゃっただけで……あんな大人数の前で踊りきれたのだって、ほぼ奇跡で……!」
「えー、だってお祭りだよ? その時の普段と違うレーナちゃんだよ? 撮るっしょ」
「意味わからないですよっ! こんなのっ、燃やしてやる……!」
「ぎゃあぁぁぁぉぉぁぁぁっ!! やめろ小娘っ! 記念すべき、この世界での写真の第1枚目なんだぞ!」
「そんなの知ったことじゃありませんっ! これは、残しちゃいけない負の歴史です……!」
「イヤァァッー!!」
ちゃんと羊皮紙の方は弁償しますからっ、と清々しい笑みを浮かべ、レーナちゃんは無慈悲に写真を暖炉へ投げうった。しかし涙を流す私は内心ほくそ笑む。
––––残念だったなレーナちゃん、スペアはまだ二十枚ほど作ってあるのだ……。
教えたら全部燃やされそうなので胸の内に留め、私はショックを受けたフリをして倒れ込んだ。
これからの盗撮ライフが楽しみである。
変態に技術と才能と発想力を持たせすぎた結果。




