39:雪祭り〈前〉
すみませんでした、時間空きました。次はなるべく早く、もっと早く、お届けできるようにします。遅くとも一週間以内に。
早朝なのである。おねむなのである。
それでも仕事へ行かねばならない––––お父さん、今ならあなたの気持ちが少しは理解できるかもしれません。でも私あんたより早起きしてるかんな! 私なんか毎日命かけてるかんな! ホワイト企業とは違うんじゃい!
ただしまぁ、そんな職業でも我慢して続けられているのは、一つの要因、もとい一人の女の子がいるからで。
「ふぁーぁ。眠い、眠たい、たすけてレーナちゃん」
「今起きたらご主人様の頭を撫でて差し上げますよ」
「はいはーい! 眠気なんて消え去りましたぁ!」
「……現金な人ですね、もう」
「へへっ、レーナ様にナデナデしていただけるならあぁしはなんでも致しますぜ」
「誰ですかそれ……」
もう少ししゃがんでいただけますか、とレーナちゃんが言うのでその通りにすると、頭を撫でる指の感覚を感じた。
「今日もお仕事えらいですね、ご主人様は流石ですね、頑張って下さいね」
「えへ、えへへへ」
絶妙なナデナデ。それが大好きな女の子手ずからのものであるという満足感、幸福感。そして激励褒め言葉の数々。
そうして私は、お仕事モードに切り替わるのである。
****
「いってらっしゃいませっ、ご主人様」
「ん」
いつも通り、玄関まで見送りに来てくれたレーナちゃん。笑顔と共に目を細め、完全に油断しきった様子である。
そこに隙を見出した私は、すかさず顔を近づけ––––彼女の唇に、自分のそれをくっ付ける。
「っん!?」
少し遅れてレーナちゃんが驚いたように呻き声を上げるけど、そんなのは関係ない。強張った体を強く抱きしめる。あ、ちょっと今脛蹴ったでしょ。
「んぅ……ご、しゅひ、ひゃま……あふ」
「んふ……かぁいい」
「ぁぅ……」
やっぱり最初に感じるのは、温かさと柔らかさ。
それはそのうち、胸の内を焦がすような熱に変わって、彼女への想いがより一層キュッと膨らむ。
力一杯抱きしめたいけど、そんなことをしたら彼女は文字通り死んでしまうから。唇を離すと今度は頭に腰にと手を回して、撫でて、さすってと繰り返して、愛おしい気持ちを伝える。何より大切な存在なんだと示す。
「だいすき……だいすきだよ……ほんとにほんとにすきだよ……あいしてる、あいしてる……」
「はぁっ……はぁっ……わた、し、だって……おん、なじ……」
「……うれしい。しあわせ」
そうして愛で続けて、本日分の成分を確保すると、レーナちゃんを解放する。
少し前まで無垢な笑顔を浮かべていただけだったその顔は、潤んだ目と火照った頬が目立つ、どこか背徳的なものに様変わりしていて。
なんだかもうちょっとイタズラしてみたいけれど、もう行かなきゃいけない。
「じゃ、行ってきます」
ボーッとしたままのレーナちゃんにそう声をかけると、彼女はハッと再起動して、口を尖らせた。
「っもうっ……見送る時くらいは不意打ちしないでください……ばかっ」
ぽすん、と弱々しく私にパンチしてくる。ふふ、ほんと可愛いなぁ。この子に可愛くない時なんて存在するのかなぁ……。
「だって、言ったら顔背けるじゃん」
「そむけませんっ」
言いながらぷいっと顔を逸らす。
「なら、もう一回しよ?」
「ぅ…………ご主人様は、ひきょうです」
「ほらね」
「〜〜〜〜!! そっ、そんなだらしない顔をしていては、お仕事の時に危ないですよっ! ほらっ、早く気を引き締め直して行って下さいっ」
かなり雑に誤魔化したな。
確かに結構ひどい顔してるかもしれない。頬が緩んでる自覚はあるし。
「大丈夫、多分仕事中レーナちゃん思い浮かべるたびにこんな顔してると思うから。今のところそれで失敗したことないよ」
「……ぁぅ」
「んっへへぇ、今度こそ行ってきまーす!」
言いたいやりたい放題引っ掻き回して、私は丘の下り道へと向かっていく。
レーナちゃんは赤い顔を下に向けたまま、私の方を向いてはくれない。
急にキスしたりして、怒らせただろうか、不機嫌にさせてしまっただろうか。いいや、そうじゃない。
「…………なるべく早く、帰って来てくださいね……」
小さな小さな、いじらしくて愛おしい、見送りの言葉が確かに聞こえたから。
もしかしたら少しは怒ってるかもだけど、だいたい照れてるだけだって、そうわかる。
「……おうともさ」
当たり前だとも。
孤独は人の心なんて簡単に食い殺してしまう。
レーナちゃんがいるから、私は今日もこうしてハッピーでいられる。
だから私も、できる限りレーナをハッピーにするのだ。寂しい思いは、あんまりさせたくないよね。
****
最近の私には、仕事前にレーナちゃんに内緒で寄っているところがある。
それは勿論浮気相手のところ––––ではなく、そんなことは例えこの世界が滅びようとあり得るはずもなく。
何を隠そう、例の酒場だった。
「らっしゃ––––帰れ」
「ちょっ、客に対してその態度はないでしょう!?」
店の戸を開けて中に入ると、最初に投げかけられた言葉はそんな心無い一言だった。
傷ついた私は、大声を出して喚く。
「なぁにが客だタチバナ。客っつうんは酒なり料理なり一品でも頼んでくれて、売上に貢献してくれる神様のことだろうが」
「わ、私だって、偶には頼んでますし? 偶にはっ」
「入店するなら毎回頼めっつってんだよ!」
そろそろ塩まかねえとな、なんて失礼極まりないことをほざきながら、筋骨隆々強面巨漢––––もとい酒場の店主さんは、私を睨みつけた。全く懐の狭い人だ。
仕方ないので今日はいつもより早く退散してやろう、なんて考えながら、私はカウンター席に着く。
そして、隣に座っていたこれまた別の強面に臆することなく話しかけた。
「ちぇっ、なんだってんだよひどい人だなぁ……ね、ガウタークさんもそー思いますよね」
「帰れ」
「ここの人みんなひどいよ!?」
折角の紅一点だっていうのに、扱いがひどい。
またまたぎゃーぎゃー喚き始めた私に対し、その強面––––名をガウタークと言う彼は、疲れた表情で手元のジョッキを呷り、
「あんたが常識を弁えたやつなら話すのも吝かじゃないだがな……そうそう会うたび惚気話聞かされてたら、俺の精神衛生上よろしくない」
と、言い切った。
「なんでよー! みんな普通に世間話してるじゃん! 私だってレーナちゃんのこと話したいよー!」
そう、私がこの店に通っている理由はレーナちゃんの話を他の客にするためだった。
昨日はどこがどう可愛かったか、あの子と一緒にいられて嬉しいなぁ、幸せだなぁ、だとか。
最初こそドン引きしてくれてやがった皆も、やがては諦めたように死んだ目になって、私の話を聞いてくれるようになった。これが洗脳である。そのうち彼らもレーナちゃんを崇めるようになるだろう。
「俺らはきっちり金払ってここにいるんだ。タチバナも話に混ざりたけりゃ何か頼め。できれば混ざって欲しくないが」
「ぐぐ……世知辛い世の中。はぁ……チキンステーキ下さい」
「……はいよ、今からおめえは神様だ」
客は神様。料理一つ頼む頼まないで剥奪されたり獲得できたり、安い称号である。
「チッ、金で縛られた亡者どもめ……」
「世の中金なんだよ」
「正論ですよはい。世知辛いねホントっ」
****
「祭りですかぁ」
この酒場は、飲んだくれたちの巣窟であると同時に、熟練冒険者たちの情報交換所にもなっている。
そんな中で、いつの間にか私のレーナちゃん語りは数の力で強引に終了させられ、現在は世間話を兼ねた情報交換がなされていた。
「おう、知らなかったのか? ここいらじゃあ、何年かに一度不定期でそういう催しがあるんだ。一応俺はそこの関係者ってことになってる」
「知らなかったです、知り合いはいてもこっちじゃ友達ロクにいないんで!」
「……おう、笑顔で言われるとこっちも反応しづらい」
ドン引きしているガウタークさんは気にしないでおく。
今上がったのは、今度周辺の村の自治体が集まって行う、大きな祭りの話題だった。勿論私は知らなかったですよ。
やれウチの愛娘を肩車して連れて行くだの、やれ嫁さんに日頃の感謝を込めて贈り物をするだのと、頭にヤのつく自由業やってそうな悪人ヅラ達が、揃いも揃って真っ当な事を言っている。
結局のところ、見た目云々関係なくこの酒場にいる冒険者たちは、個性豊かでこそあれ、皆善人なのだ。
「でよ。そのタチバナちゃんの言う、天使ちゃんを一緒に連れてったらどうでい?」
そう私に提案したのは、海賊の下っ端にでもいそうな出っ歯が特徴的な、小柄な中年冒険者だった。
天使ちゃんとは、この酒場でのレーナちゃんの渾名である。いや、普通に現世の天使だからね、あの子。
出っ歯さんが口にしたそれは、素直に名案だと思った。
「あ、レーナちゃんと一緒に! いいですねいいですね! あの子多分お祭りとか行ったことなさそうだし!」
良い話を聞いた。仕事を終えて屋敷に帰ったら、レーナちゃんを誘ってみよう。
その後もいくつか情報を仕入れた私は、軽く周囲の悪人ヅラたちに会釈して、店主さんにも頭を下げて、店の出ることにした。
ドアノブに手をかけたところで、不意に気になった事を口にする。
「あれそういえば、店主さんも何か屋台出すんですか?」
「ん……あぁ、うちは軽めの食いもんを売る。酒なんてもんだしゃあ暴力沙汰になることもあり得るからな」
「じゃあ店主さんのところは客来ませんね!」
「おめぇホント人煽るの得意だな……」
次も来るなら何か注文しろよ、と去り際に店主さんに釘を刺されながら、私は酒場を後にし、森へと向かった。
****
その日の夜である。
「お祭り、ですか? はい、知ってますよ。でも……」
祭りの話を提案すると、レーナちゃんはもっと目を輝かせてくれると思ったのに、見せた表情はどこか優れないものだった。
「もしかして、幻惑魔法の効果、気にしてる?」
「あ……はい……」
コクリと残念そうに頷く。
レーナちゃんは、そのままの姿で人前に出たら、周囲の人々に差別されるどころか、最悪物理的な危害を加えられる。人間にとって、他種族とはそういう存在で。
だから私は、彼女のために幻惑魔法を覚えて、エルフの特徴を擬似的に消し去ることに成功した。
ただし以前行使したそれは、他者が体に強く触れるだけで解けてしまうような、やわっちいもので。村を歩く際も、細心の注意を払った上でのことだった。
おそらく彼女は、祭りの人混みに揉まれて、大人数の前で幻惑魔法が解けてしまうのを恐れているのだろう。
だがなレーナちゃん。私がそのまま、何も対策していないと思っていたのかい?
「あのねぇ、レーナちゃん。私だって、家にいる時ずっとゴロゴロしてたわけじゃあないんだよ?」
「それは、はい。ご主人様が魔法の勉強も頑張っていらっしゃることは、重々承知の上ですけど……」
「だからさ。初めて掛けた時に比べて、私も成長してるの」
「え、っと?」
「私無駄に魔力あるからさ。どうやったら初歩の幻惑魔法でも、効果を長持ちさせられるかって考えて、何回も何回も重ねがけすればいいって気づいたんだ。結果から言えばそれは大成功。多分、全身くまなくベタベタ触られても自然消滅で一週間は持つし、即刻解除することもできるよ」
「え、じゃあもしかして……」
だんだんと、彼女の瞳に光明が宿っていく。
そうそう、私はその目が見たかったんだ––––。
「ん、祭りで人混みに呑まれても魔法が解ける心配はないよ。今のレーナちゃんなら何処へだって行ける。私が一緒で嫌じゃなければっていう前提付きだけどね」
「そんなことあり得ないですっ!」
即答だった。
レーナちゃんはテーブルの上に上半身だけ乗り出して、私の目をじぃっと射抜いたまま、興奮した様子で続ける。
「ご主人様と一緒が嫌なんてあり得ないですっ! 何処かへ行くならむしろご主人様が一緒じゃなきゃ嫌ですっ!」
「お、おう。興奮の上喜んでくれてるのはわかったけど、とりあえず椅子の上でジャンプするのはやめようか。ますますレーナちゃんが幼可愛く見える」
その興奮度合いに合わせてか、彼女はとうとう椅子の上に立ってぴょんぴょん飛び跳ねていた。
本人はどうやら必死さゆえ、あまり自覚がなかったようで、
「あ……ご、ごめんなさい。つい……」
足元を見てほんのり赤面すると、素直に座った。
一旦レーナちゃんが落ち着くのを待ってから、私は再度口を開く。
「じゃあ、勿論祭りは行くよね」
「はいっ! お祭り行きたいですっ」
「よし決まり。楽しみだね、どんな屋台があるんだろうね」
「きっと珍しいお花の種が売っています」
「どんな方面に向けたお祭りよ、それ?」
「この地域一帯のお花好きの方々です」
「いやいや、それよりきっと美味しいものが––––」
「可愛いお花の苗も––––」
そうしてレーナちゃんの興奮は私にも伝染して、気づけば二人で祭りのイメージを語り合い始めていた。
やれお花だ、やれ食べ物だ。思い思いに言葉を交わすその行為が、どうしようもなく楽しくて。
「楽しみだね」
「はいっ、ご主人様と一緒に行けるのがっ」
「そっち? お祭り自体は?」
「それもそうですけど、本命はご主人様がそばにいる事ですっ」
こんな嬉しいことをニコニコしながら言ってくれるこの子が、やっぱりどうしようもなく好きで。
「私も、おんなじっ」
お祭りの日が、待ち遠しかった。




