38:寝落ち、あったかい
おかげさまで総合評価500を越えました。日頃読んでくださっている方々、評価や感想を下さった方々、誠にありがとうございます。
「んあぁ……づがれだよぉ……」
帰路に着きながら、私は濁った声でぼやいた。
秋が訪れ、そしてまた季節は移り変わろうとしている。
夏の名残ある残暑はもう綺麗さっぱりどこかへ去り、日が沈むのはさらに早くなった。
おかげさまで、私の帰宅時間には既に日は沈みつつある。前の世界で帰宅部だった頃は明るいうちから家でゴロゴロできていたのだから、全く学生とはけしからん存在である。
まぁ、私もしょっちゅう仕事休んでるんだけどね。
それで不自由なく生活できてるわけだから、命かけてる対価としてはまあまあ、だろうか。
少なくとも、レーナちゃんと一緒にいる時間は増やせるから、私にとっては内職の次くらいに天職なわけで。
「レーナちゃん……はぁ、レーナちゃんの顔が見たいっ……」
しかし現在の私の精神状態は、末期のそれだった。
本日の仕事は、特別キツかった。
狩るのはいつも通りゴブリンやら群れを成して生息しているモンスターたちだったのだが、今日はその中に『取りこぼし』がいたのだ。
一応説明すると、『取りこぼし』とは人間に狩られず、済んでのところで逃げ果せたモンスターのこと。死線を潜り抜けた彼らは学習し知能を高め、通常個体とは異なる行動を始める。
そんな奴らがわんさかわんさか。こんなことは冒険者を始めて以来初のことだったので、全部狩るのに骨が折れたこと折れたこと。久しぶりにゴブリン相手で傷を食らわされた。涙目になるくらい痛かった。
体にみなぎるレーナちゃん成分をほぼ全部投入したから、もう私はガス欠寸前。早くあの愛らしい顔が見たくて見たくて仕方なかった。
「レーナちゃん……レーナちゃ……ん?」
丘を登り終わろうかというところで、私は遠目にそのシルエットに気がつく。
年の割に小さな身長、ふりふりした服装、長い髪の毛……。
これだけ揃っていて、見間違うはずもなく、
「レーナちゃんっ!」
何を隠そう、愛しのマイハニーだった。
暗くなりつつあるのにどうして軒先なんかに、と一瞬訝しむが、そんなことはどうでもいい。
レーナちゃんがいる。それだけで、枯渇したと思っていた成分の残りがフル投入され、私の脚にパワーがみなぎった。
「れえええなちゃぁぁぁぁぁぁんっ!! ただいまぁーー!!」
私の奇声もとい求愛行動で、レーナちゃんもまたこちらに気がついたらしく、振り向いた。
「? あっ、ご主人様っ! おかえりなさ––––ふぐぐっ!?」
お出迎えの言葉の終わらぬうちに私は彼女の目の前までやって来て、その小さな体を目一杯に抱きすくめた。
「ただいまぁ……成分ちょーだいぃぃ……レーナちゃんがぁっ、レーナちゃんが私の中で枯渇してるのぉぉぉ……」
「ご、ご主人様っ、くるしいっ、くるしいれすっ……くびっ、くび、しまってっ……ぐえぇ」
「––––ハッ!? ご、ごめんよっ!」
い、いけない。レーナちゃん殺しちゃうところだった。
絞め殺されかけたウサギのようにぐったりとしながらも、レーナちゃんは私から離れようとはしなかった。信頼されているんだろうか。
ちょっと力を緩めて呼吸する余裕を確保させてから、もう一度やり直し。
「ただいまっ、レーナちゃん!」
「……ふぅ。お、おかえりなさいませ……」
こうして窒息させられかけるのは何回目でしょうか、と息を整えながら、レーナちゃんはジト目で見つめてくる。
「ご、ごめんよ……ほんっとに悪気はないんだよ」
「……わかってはいますけど。抱きしめられてそのまま死別なんて、私は嫌ですからねっ」
「私だってやだよ……」
あぁ、衝動に任せて私はなんてことをしてしまったのか。折角帰ってきたのに、迂闊にレーナちゃんに触れる空気じゃなくなってしまった。
すぐ近くに愛しい女の子がいるのに抱きしめられない。そんな虚しすぎる状況に置かれた私の顔を、レーナちゃんはじぃっと見つめて。
「抱きしめたいですか?」
そう、自分の体を一瞥してから、訊いてきた。
「う、うんっ!」
許されるなら。またすぐにその柔らかくて小さくてあったかい体を抱きしめたかった。
「締め殺そうとしませんか?」
「絶対っ」
「じゃあ、どうぞ」
今度は合意の上で。
両手を軽く広げた彼女を、今度は優しく抱いた。
「はぁぁぁぁ、腕に収まる小さい体、くりくりお目目、つむじっ、つむじぃっ……可愛い、可愛いっ……愛してるよぅ」
私が次々発する言葉に対し、不本意なことにレーナちゃんは少し引いていた。
「な、なんだかいつもよりスキンシップが過剰な気がします……何かあったんですか?」
「実は––––」
今日の討伐は特別苦痛と疲労を伴うものだったことを、掻い摘んで説明した。
「私にはよくわかりませんが、大変だったんですね……」
話し終えた私に対しての第一声。優しく労わるような、配慮するようなその声音だけで、私の心は随分と洗われていた。
「うん。痛くて、涙出ちゃって。でも私レーナちゃんと生活のために頑張ったよ」
「偉いです。誰にでもできることじゃないです。やっぱりご主人様は凄い人です」
私を励ますために、わざと過剰に褒め言葉を並べてくれてるんだということはすぐにわかった。
本当に、可愛い上に思いやりもある、最高の女の子だ。
「ふへへぇ、もっと褒めて褒めてぇ」
「甘えん坊さんですね……っと」
レーナちゃんが背伸びをして、上目遣いに前髪を軽く撫でてくれる。
たったそれらのやり取りだけで、胸が苦しくなるくらい幸せを感じて、疲れも幾分マシになるんだから、恋も愛情も恐ろしい薬だった。
****
「綺麗だね」
「はい……」
玄関前で何をやっているんだろう。
そう頭の隅で考えながらも、たった五段の階段に腰を下ろして、私はご主人様と身を寄せ合って夜空を眺めていた。
どうやら彼女は気づいていないようだけれど、今日の彼女の帰宅時間は、いつもより少しだけ遅かった。
何かあったんじゃないかと思って。でもそんな過剰な心配は重たいような気がして。
あくまで玄関前の掃除をしている体を装いながら、私は彼女の帰りを待っていた。
こんなこと、恥ずかしくて言えないけど。
「ご主人様の髪は、さらさらしてますね」
ふと、彼女の頭に手を伸ばし、夜の闇と同化してしまいそうなその髪の毛の感触を確認する。
「レーナちゃんには負けるけどね」
そんなことはない。そもそも、ご主人様と私の髪質は別物だ。
私は癖っぽいのか、さらっとしながらも少しふわりとした毛だけれど、ご主人様の場合は真っ直ぐで一本一本が細い。撫でれば撫でるほど、綺麗にまとまっていくのだ。
それは、彼女がきちんと毎日毎日手入れをかかさないからで。
「ご主人様はご自分のことを女性らしくないと仰いますけど、こういう節々から見つめてみると、きちんと女性らしいです」
その体つきを見ても、私なんかよりよっぽど『女性』だ。
「レーナちゃんは優しいよ。私、酒場なんか行くと女の子扱いされないんだから。見た目はいいけど、中身がダメだーって。よけーなお世話だい! あんたらに評価されたってちっとも嬉しくないんだかんな!」
不機嫌そうに、ご主人様は漏らした。
「そうとう溜まってらっしゃいますね……」
疲れている分、愚痴をこぼしたい気分なのだろう。私相手なら、いくらでもこぼしてくれていい。
でもそれは、まず屋敷に入ってからだ。
「このままじゃ体冷えちゃいますよ。そろそろ中に入りましょう」
「レーナちゃんの体温でちゃんとあったかいもん。へーきだよっ」
「もぅ……そういう恥ずかしい冗談は無しです」
「ほんとだよ。真っ白な肌で、むしろひんやりしてそうなのに、触れるとすごくあったかい……」
彼女の瞳はいつの間にか、真摯に私へ向けられていた。
「……ぅ」
「暖炉に当たってるより、このままの方がずっと心も体もポカポカするよ……」
「……ご主人様が茶化さずにそこまで仰ってくださるなんて、なんだか珍しいですね」
「あ……ごめんね。ちょっと冗談言う気力が湧かないや。思ったより体に負担かかったっぽい……」
「……大丈夫、なんですか?」
「うん、一晩寝れば多分へっちゃら。心配しなくても、明日にはいつものすみかちゃんだから安心してね……」
そこで、しばしの沈黙が訪れる。
私は自発的な話題提供があまり得意じゃない。そして沈黙も苦手ではない。その上何より、相手はご主人様だ。
こんな騒がしくないひと時も、悪くないと思える。
「はぁ……ほんと私、レーナちゃんだいすきだなぁ」
「……い、いきなりですねっ」
心底疲れ切って、本当に冗談を言う余裕も無いのだろう。心に浮かんだ言葉をそのままに紡いでいるようなその様子は、私の心を温めた。
「……だいぶ慣れましたけど、それでも直球で来られると照れるんですから」
「ん、知ってる。耳真っ赤だもん」
「うぇっ!? う、嘘っ」
慌てて耳に手をやる。夜風には不自然なくらい熱い。
火照ったようなその熱は、きっと指摘通りその部位を朱く染めていて。
今まで気がつかずにいた自分の間抜けさ加減に、顔を両手で塞ぎたくなった。多分、耳同様私の顔も真っ赤だ。
「うぅぅ……!」
****
「ん、知ってる。耳真っ赤だもん」
どうやら本人は気づいていなかったらしい。
指摘されて初めて慌て始め、その拍子に顔色の方も決壊。結果として、耳も顔も全部真っ赤になってしまった。
「なんか面白い……一日の疲れが半自動的に労われていく」
愚痴を溢す気も薄れてきた……この子がもたらす癒し効果は本当に凄い……。
「ね、眠たいんですかっ?」
またしても配慮を含んだ声。しかし羞恥心を引きずってか少し裏返っているのが、ツボだった。
頰を緩めて少し顎を引き、私は目をこすった。
「うん……実はちょっと、まぶた重い、かも」
「やっぱりすぐに中に入りましょう」
流石にこれ以上座ってるのも難しいかもしれない。船を漕ぎ始めそうな私は、今度は素直に了解した。
「……うん。先、お風呂もらうね」
「湯船で眠らないで下さいね」
「お湯浴びたら目ぇ覚めるからだいじょぶよ……」
このまま眠ったら恐らく朝まで起きられない。そんな強い眠気の波をなんとか意志力で食い止めながら、私は立ち上がり、覚束ない足取りで玄関をくぐった。
そして––––、
「やっ、ぱ……も……げん、かい」
「あ、ちょ、ご主人様っ」
外で寝ることでの、凍死の危機は脱した。暖炉で温まった空気は玄関近くまで微かに流れてきていて、その心地よい温度に私はあっさり眠気を受け入れてしまった。
「ご主人様っ、ここで眠っちゃダメですよっ!」
レーナちゃんが何か言ってる。
––––ごめんね、もう立てそうもないや。
足にも腕にも力が籠められない。いや、籠める気力が湧かない、というべきか。
だんだんと、視界もぼんやりしてきて、意識が遠のいていくのを感じる。
そうして本当に意識の最後の断片を手放そうとしたその時、
「––––もう、本当に仕方ない人なんですから」
その声と感触は、妙に鮮明に感じられた。
頰に触れた、柔らかく少し湿った……それでいて熱い感触。
「っ……ふふっ、今なら、バレませんよね」
悪戯に成功した子供のような、そんな声。
––––バレバレ。詰めが甘いよ、レーナちゃん……。
「だいすきです。おやすみなさいませ」
––––ん。私も……だい、す……き……。
今度こそ、完全に思考も意識も暗闇に沈む。
そうして、起きた後に彼女を揶揄う材料を一つ手にして、私は再び目覚める時を楽しみに眠った。
明日も一日、いい日になればいいなぁ。




