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36:萎れる変態、復活する変態

これの前に一話投稿しています。連続投稿の二話目です。



「……めんねぇ……ひぐ」


 ……なん、だろう。


「レー……ん、ご……んねぇ……」


 大好きな、声が聞こえて。


「レーナちゃん、ひっぐ、ごめんねぇ……」


 ご主人様の、声だ。

 嗚咽らしきものも混じって……泣いてる?


「ごしゅ……じん、さ……?」


 目を開けるとほぼ同時、何か液体のようなもので私の顔がぐちゃぐちゃになっていることが感覚的にわかった。


「ひっ……!? な、なにっ!?」


 どんな状況!? と混乱しながら、私は激しく視線を動かす。

 天井と、置かれた家具の種類や配置でここが私の部屋であるということはわかる。ご主人様が、涙目で私を覗き込むようにベッドの横に座り込んでいることも。


「レ、レーナちゃんっ! 起きたっ!? 大丈夫!? 気分は!? 存命!?」


「い、生きてますし、気分も、普通です……というか、この液体は」


 躊躇いがちに頰に触れる。

 手を見ると、粘着質で透明な液体が、糸を引いて指の間を伸びていて––––。


「あ……ご、ごめんっ! それ、多分私の鼻水と涙が……垂れたやつっ……!!」


「うぇっ!!!?」


 じゃあこの粘液は、はな、みず……?


「やぁっ、ばっちいっ!! ……お風呂、入ったばかり、で……?」


 あれ、というか……。

 記憶に不自然な欠落を感じる。何か、忘れているかがするのだ。

 そもそも、私は湯船に浸かっていたはずで。それから、ご主人様がタオルも巻かずに乱入してきて、それで、それで……。


「私、湯船から出ましたっけ……?」


「……あの、覚えてない?」


「?」


「レーナちゃん……のぼせさせてそのまま失神したの。長い時間、湯船に浸かったままだったから」


「あ……!」


 記憶の欠落にピースがはまる。

 そうだ、ご主人様に裸を見せろだとか、変態的なことを言われたんだ。

 彼女の艶やかな背中と頸を盗み見ていたことも言い当てられて、それを引き合いに出されて、焦って、それで。

 ……そこから今度こそ完全に記憶が途切れている。彼女のいう通りなら、私はその時点でのぼせて意識を手放したのだろう。


「私の、せいだよ。レーナちゃんのお風呂の邪魔して、長引かせたから」


「……」


「ごめんね……後ちょっとで、レーナちゃん浴槽に頭ぶつけて、怪我しちゃうかもしれないところだったんだよ。それに、溺れてたかもしれないし……ごめんね、本当に、ごめん……」


 ご主人様は、心底反省した様子だった。目元が腫れている。目覚めない私を見て泣いていたのだろうか。

 いや、だろうか、ではないか。彼女はずっと泣いていたんだ。私の顔のべちゃべちゃが、それを物語っている。


「……ご主人様が、助けてくれたんですか」


 後ちょっとで、ということは、その直前に助けてくれたということではないのか。

 問うてみると、ご主人様はぶんぶんと手を振りながら首も左右に振り回し、


「い、いやいやっ、助けたとかじゃないよ! 私が原因になったんだからそんなのただのマッチポンプになっちゃうし、私そんなつもりなかったし……それに、それにっ……調子、乗っちゃったの。なんだかんだでお風呂場に入ってくること自体はレーナちゃん嫌がらないし……押せば、裸、見せてもらえるかもって。だから」


「……変態です」


「……ごめん」


 しおらしい態度。らしくないようで、これはご主人様の本来の性格でもあった。

 彼女は強いけど、ちょっぴり弱い。大抵のことは笑って受け止めるけれど、ほんの少しの予想外で、その笑みがこわばってしまうような、年相応の女性で。



 ふと、窓の外を見る。端の方に、真っ赤な半円が浮かんで来ていた。

 私の部屋のベッドからは、早朝は日の出がよく見える。今、それが見えるということは……、


「一晩中、私が起きるのを待っていてくれたんですか」


 そういうことになる。この人は、早起きなんて苦手中の苦手だから。


「だって、私が悪いんだからそんなの当たり前でしょ……一応全身に治癒魔法かけたし、もし朝になっても目覚めなかったりしたら、最悪お医者さん呼ぼうと思ってて……」

 

「……なら、一晩中起きてる意味ないです」


 自分が起きた時に私がまだ目覚めていなければ、そこから行動に移せばいいはず。


「真夜中とかにもし目が覚めた時、何でここにいるのかとか、最低限状況説明しなきゃ、レーナちゃん混乱するかもって思ったから」


「……」


「そ、それにっ、万が一意識失った理由がのぼせたからじゃなかったら……レーナちゃんがもし苦しみ出したりしたら、そばにいてあげなきゃ何も出来ないじゃん!」


「……ばかです」


「……ぅ」


「そんなに落ち込むなら、最初からお風呂に乱入なんてしなければよかったんです」


「……ごめん」


 一際深く、ご主人様は頭を下げた。

 いつの間にか責めるような口調になっていたけど、私はしおらしく謝る姿が見たい訳じゃない。


「顔、上げてください」


「……」


 促されて、ご主人様はしょんぼりした顔を持ち上げる。目は合わせてくれるけど、ひどく申し訳なさそう。

 何か、励ますべきだろうか。

 正直、私がのぼせたのはほぼ彼女のせいではある。

 もし一人でいつも通り入浴できていたなら、まず確実に私はさっさと湯船から上がっていただろうし。エルフは熱湯に強いわけじゃないから、その辺りはちゃんと考えているんだ。

 でも、彼女だって悪気があったわけじゃない。それは、今の反省した態度を見ていれば、すぐにわかる。


「えぇと、ご主人様」


「……うん」


「お、落ち込まないで下さい」


「…………うん」


 だめだ、効果がない。このままでは一日中この顔のままかもしれない。


「仕方、ありませんね」


「……?」


 キョトンとした彼女の傍ら、私は深呼吸した。昨夜も、四日前も思っていたことを口にするためだった。


「突然ですが、私は、ご主人様のお体も大好きです。とても綺麗だと思います……」


 小川のような綺麗な頸の線も、程よく肉のついた背中も。

 ご主人様自身が大好きだから、多少美化されて見ているところもあるのだろうけれど、私には彼女の体つきがとても魅力的なものに思えてならなかった。


「はぇっ!?」


 ご主人様は、瞬時に真っ赤になる。私を可愛い、純粋だと称する彼女も、大概だ。

 普段私はこういうことを言わない––––言えないから、その分耐性が無いのだと思う。この瞬間の一部を切り取って、どこかに保存しておきたいくらいだった。


「だから、こっそり見てました。ごめんなさい。そのくせ、私はじろじろと身体を見られるのがあまり好きじゃありません。ちんちくりんで、貧相ですし」


 こんな私を見初めたんだから、ご主人様はやっぱり変態だ。自虐になってしまうけれど幼女趣味だ。


「……」


「私は、ご主人様のお背中と、頸を眺めるのが好きです。とても艶やかです、魅力的です」


「……なんで、そんな褒め殺し」


「ですから、ご主人様も……私の背中と、頸くらいなら、見ても、い、いいです」


「! え、あの」


 ご主人様は、不公平だと言った。

 多分に揶揄う気持ちが混じっていた発言だったけれど、自分だけ見られていることに不満だってあったのだとも思う。いや、勝手に入ってくるのは彼女自身ではあるけれど。


「怒って、ないの?」


 意外そうに目をパチクリさせる様は、拍子抜けした幼子のようで、人好きのする動作だった。


「のぼせさせられたくらいで怒っていたんじゃ、この先やっていけません。ご主人様は、最近どんどん変態化してます。私の沸点も、ご主人様に出会ってから下がりっぱなしではありますけど」


 この間なんて、眠っている時に身体を好き勝手に弄られていたことが判明した。一晩中部屋の前で泣かれて扉も叩かれ続けて仕方なく『添い寝は三日に一回の刑』で手を打ったけれど、このままじゃ変態度合いは上昇する一方だろう。


「……私が変態なのは、事実かもだけど」


「かもじゃないです、完全に事実です。……あんまりいじめないでほしいですけど、それでも、一つ一つに悪意がないことは知っているつもりですから。やるなら、その……程々に、優しく、いじめて下さい……」


「……そっち系の人(マゾヒスト)?」


「違いますっ、妥協案ですっ! この先も……その、ずっと一緒にいるんですから、我慢するところは、我慢しなければいけません」


「ふふ、冗談だよ。……ん、そだね。ずっとずっと、一緒にいるんだもんね」


「はいっ」


 気づけば、先程までのしおらしさは、もう殆ど消えてしまっている。私が怒っていないと知って、本調子に戻ったらしい。現金なことだ。


「でも昨夜は、本当にごめんね。ああいう危ないところでは、もうからかうのやめるよ」


「そうして下さると助かります」


 できれば至る所で揶揄うことをやめてほしいのだけれど、それはきっと無理だ。


「でゅふふっ、ぐふ、でさでさ、背中の洗いっこはしていいってことなのかな? さっきのって」


「笑い方が汚いですよ……でもまぁ、それくらいなら」


「へへ、やったぁ!」


 やっぱり、普段のご主人様が一番だ。

 いじめっ子だとしても、しおらしい彼女よりずっといい。私が好きになったのは、私を引っ張ってくれるような明るいご主人様だから。


「でもおしりを執拗に触ったりしちゃダメですからね」


「……し、しないよぉっ!」


「どうでしょうか」


 目を泳がせた変態に対して、絶対やるつもりだったんだと思いながら、私は頰を緩めた。

 ……そういうことは、せめて心の準備ができるまで待ってほしい。

 いつか、私が大人になれたら、受け入れられると思うから。……いや、流石に上級者向けすぎるのは無理だけども。


「早速今夜一緒に––––」


「後、一緒に入るのはせめて一週間に一度にしてくださいね」


「えー……」

このやり取りを顔べちゃべちゃのままでやってるんだからレベル高いよ銀髪少女。


この後、『そういえば部屋まで運んで寝間着を着せる時に裸見ただろ』とか言い出して一悶着ありますが、余談です。純夏さん同様レーナちゃんも結構面倒くさい人なので。

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