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33:真と虚

「……じゃ、かける(・・・)よ」


「……はい」


 ご主人様の手が、私の眼前にかざされる。

 細いけれど、しっかりとした造形のそれには、握ればどんな冷たいものでもたちまち溶かしてしまいそうな……そんな、温かみがある。


「……欺く容貌、欺かれる眼。真実を閉ざし、偽りを映しこむ」


 その声音には感情が灯っていない。意図して抑えていることがわかる。

 ご主人様に似合わぬ、荘厳さのある言葉選び。

 彼女がそれを唱え続けていると、眼前の手に不可視の力が宿るのがわかった。

 温かな、まるでご主人様の本質を表したような、そんな熱を感じる。

 

「色彩変化、形質変化……」


 ふと、視界の端に違和感を感じた。

 瞳をやや上にやると、本来銀色に見えるはずのそれが、光を呑むような漆黒に染まっていて––––。


「幻惑、完了。術式維持……成功」


 それを最後に、かざされていた手は離れ、熱は引いていった。消えゆく彼女の体温に、名残惜しさを感じたのは、ここだけの話。


「お? おー……おお! やったやった! 成功だぁい!」


「ほ、本当ですかっ?」


「ここで嘘言うメリット無し! 鏡見てみ? 普段と違う自分が見えるよ!」


「は、はあ」


 大はしゃぎなご主人様に苦笑しながらも、自分の変化の具合が気になる私は、差し出される手鏡を素早く受け取る。

 写し出される左右真逆の世界。そこには例外なく、左右逆さな私が––––いや。


「わぁ……」


 ––––エルフの特徴の大部分を無くした、私がいた。

 どこからどうみても他種族ではない。おかしな箇所は一つもない人間の少女の顔が、そこには写っていた。


「人間に、なってます」


「術者の私だけじゃなくて術中にいる本人にもかかってる……うん、大成功だね!」


 私の変化を我が事のように喜ぶご主人様。



 これは幻惑魔法の一端。

 目撃者の目を欺く、視覚情報を上書きする効果。

 その、初成功の瞬間だった。




****




 生まれてこのかた一度として愛着を持てなかった自身の容貌に、現在の私は釘付けとなっていた。


 異質な宝石を砕いてまぶしたような銀髪は、ご主人様とお揃いの黒髪に。

 瞳の色は然程変わっていないが、エルフ特有の輝きは取り除かれている。不自然さの無い黄色だ。

 尖った耳はまん丸とした小さなものとなり、肌は健康そうな白色だった。不健康さは、見当たらない。


「ぅ、あ……」


 紛れも無い人間の容姿。いくら渇望してもなれなかったその存在に––––今、私は虚偽の姿だろうと人間になっている。

 ご主人様と同じ色彩の、髪の毛を貰って。

 

「ご主人様と、お揃いですね……」


 自分の髪なんて、あまり好きじゃなかったはずなのに––––ご主人様の色に染まったというだけで、素直に綺麗だと思えた。我ながら現金な話だ。


「開口一番がそれかぁ」


 彼女は呆れた様子だった。いいじゃないか、別に。


「だって、嬉しいです。大好きな人と、一つでも同じものがあるなんて」


「ほんと、素直になっちゃって……そっかそっか。うん、私も嬉しいよっ! レーナちゃんが、私と同じ髪の色がいいって言ってくれたのっ」


「ふふふん……そんなのは、当たり前です」


 そうだ、この外見は私が希望したものなのだ。

 ご主人様と同じ色の髪が欲しい、と。


「どうする? このまま買い物行く? もう何回か家具とかで実験してるからわかるけど、少なくとも半日は持つよ、この魔法」


 まぁ、色々条件はあるけどね、と付け加える。心なしか誇らしげなご主人様だった。

 それもそうだ、ほんの数週間で、初級とはいえ幻惑魔法の一端を習得したのだから。

 それにはおそらく、一筋縄ではいかない苦労があったはずで。もっと、胸を張っていい偉業だと思う。

 私は与えられるばっかりで、何にもお返しできるものがない。せいぜいが、ご主人様の好物を沢山作るくらいなもの。

 今だって、胸が愛おしさに満たされるばっかりで、何にも、報いる術が思いつかないんだ。


「レーナちゃん今、私にお返ししようなんて考えてないよね?」


「ぇ、な、なんでわかって……」


「おみとーし! 四六時中レーナちゃんのことを考えて養われた私の第六感は、あなたの思考パターンなど五割がたお見通しなのです」


 つまり私の心なんて半分くらいは読まれてしまっているのか。


「第六感……ふぇえ、ご主人様はそんな能力を持ってらしたんですね……だから私の心が」


「ちょ、冗談だからね!? 間に受けないでよっ?」


「えぇ!?」


 なんだ冗談か。ご主人様は強いし何より異界の人だから、未知の力が備わっててもおかしくないかと思ったんだけど……。


「とにかくですよ、マイハニーレーナたん」


「ま、まいは……?」


「愛は見返りなんて求めちゃならないものなのです。あくまで私が思いついて、勝手に始めただけのことだからっ。……あ、でもでもぉ、本当に感激してくれてるなら、私の好きな料理とか、お菓子とかっ……作ってくれても、いいんよ? ハグでもオーケー」


「ふふっ……見返り、求めちゃってるじゃないですか」


「愛するからには同じかそれ以上に愛されたいものなのです。つまり対価は必然」


「矛盾してます」


「恋は我々の尺度では測りきれない病だからね、仕方ない」


「めちゃくちゃですね……」


 そこで茶番じみた掛け合いは終わり、いつのまにか私の中の気負ったような気持ちは綺麗さっぱり霧散していた。

 見返りは求めない……か。それでも愛してはほしい。

 なかなかどうして、矛盾しているようでどこか噛み合った、おかしな思考だと思った。


「じゃ、買い物行こっか」


「あ、いえ! しばらくご主人様と二人きりでいたいです。変わった部分は、どこだろうとご主人様に最初に見てもらいたいですからっ」


 次の休日は朝から晩まで食事にはご主人様の好物を用意することにしよう、と内心張り切りながら、私は彼女の提案を拒否する。


「……打算なしにそう言ってくれてるってわかるから、ほんとすごいよね」


「? 普通ですよっ、こんなの」


「ちょっと前まで照れちゃってたのに……逞しくなったなぁ」


「多分ご主人様のせいです」


「知ってる」


 私の中で形成される感情の多くは、多かれ少なかれご主人様の影響を受けている。

 今では考えられないくらいに、昔の私は笑わなかったし拗ねもしなかったし泣きもしなかった。

 表情のこり固まり具合は、玩具の人形といい勝負だったろう。

 今の私は、ご主人様あっての私なのだ。

 なら、他の人に見られるより先に、ご主人様に全て見てもらいたい。彼女より先に誰かに見られるなんて、そんなの嫌だから。


「じゃあ手始めにスカートたくし上げて中を」


「それは流石に最低です」


「冷たい視線もいいね」


「変態です」



****



 定位置(膝の上)に乗っかりながら、私はご主人様に体を弄くり回されていた。

 流石にスカートの中、は見せられないけれど、それ以外はほぼ全てさらけ出したと思う。彼女がつむじ好きだと言うことも、再確認できた。


「今はまだ視覚情報しか騙せないけど、もうちょっと上達して触覚とかも弄れればなぁ」


「視覚……え、あの?」


「あぁ、レーナちゃんこういう話には免疫ないのか。まぁ、簡単に言うとおさわり厳禁ってこと。周りの目は騙せても感触とかは騙せないから、耳とか触られたらバレちゃう。……私以外に、体触らせちゃダメだからね?」


「ひゃぅっ!」


 甘い声で囁かれた後、ふぅっと耳に息を吹きかけられ、私は思わず飛び上がりそうになる。


「不意打ちしないで下さいっ。というかっ、そうそう耳に触れてくるような物好きはいませんよ……!」


 そんなことするのはご主人様くらいだ。

 私の体だって……その、ご主人様だけのものだし。


「どうどうっ、レーナちゃん落ち着いて」


「落ち着かせたいなら悪戯しないでくださいっ!」


「へーい。ごめんごめん」


 撫でてあげるから許して、と申し出てくるので、私は仕方なく頭を差し出した。仕方なく、だ。


「よしよし……なんだかんだ言ってもこうして許してくれるんだから、レーナちゃん私に絆されちゃってるよねぇ」


 何をバカな、と反論しようとするが、頭頂部に急に訪れた心地よい感覚に、私の意識は根こそぎ持っていかれそうになる。


「にゃに、ばかにゃこといってるんれすか……ごしゅじんさまは……はれ、なんれしたっけ……ふぃ……きもちいいです……ごしゅじんさまぁ、おじょうずです……」


「ほんと……レーナちゃんはかわいいなぁ」


 ご主人様の技術は神がかっている。気持ちのいい箇所を的確に撫で回してくれるので、普段からの気持ちも相まってどうしようもない多幸感に溺れそうになる。

 意識が、どこかに飛んでいくようだった。


「レーナちゃんのきもちいい箇所はここでしょ、こっちも、それからこの辺りも……」


「ふへへぇ、ごしゅじんさまぁ、だいすきれすぅ……」


「私も大好きだよー」


「うれしいれす……」


 なんだか最近、事あるごとに頭を撫でて誤魔化されている気がしないでもないのだが、そんなやり込められている危機感は気持ち良さに流され、すぐに消えていった。


「えへへ……えへへ……」


「レーナちゃんちょろいなぁ」


 不本意なことを言われた気がしたが、よくわからなかった。



****



「……レーナちゃん大丈夫? ちょっとふらふらしてるけど……本気でやりすぎたかな」


「だいじょうぶ、です……」


 ご主人様に存分に愛でられた後、私はふわふわした気持ちのまま玄関に立っていた。

 彼女の技術は恐ろしい。気持ち良すぎて意識がそのまま帰ってこないかと思った。記憶も曖昧だし、変なことを口走っていなければいいのだけれど、


「ん? なぁに?」


「いえ、別に……」


 ご主人様の様子におかしな点はあまり見られない。ならば、きっと私は何もやらかしていないのだろう。

 それはそうと、今私たちがここにいるのは村に行くためだ。買い物ついでに散歩でもしようと言う話になったのである。

 もちろん私はもう、麻袋なんて被っていない。幻惑魔法がかかっているとはいえ、髪も耳も鼻も口も露出した素顔だった。

 隣にはご主人様。普段なら、私の体を触った後なんてキラキラ輝いた表情をしているのに、今はどこか顔色が優れない気がした。


「あぁ……でもヤダなぁ。今までは顔隠してたけどさ、村に行ったら私だけが独占してきたレーナちゃんの可愛い顔が皆に見られちゃうわけでしょ? 絶対悪い虫がつく……近づいてくる奴には最悪脅迫することだって厭わないけども」


 顔色の理由はそれらしい。最後がやや物騒だったが。

 ご主人様は褒めちぎるが、残念ながら私の容姿は然程整ったものでもない。贔屓目に見ても人並み程度。そんな、人目を惹くような美貌ではないのだ。

 でもまぁ、ご主人様だけに愛される容姿という点では、この見た目で生まれてこられて良かったかもしれない、なんて最近は考えるようになって来ていた。


「ふふっ、ご主人様と違って、私みたいな女なんて見向きもされませんよ」


 彼女はとても愛らしい顔立ちをしている。体型だってすらりとしているのに、女性らしく出る箇所は出ている。男の人なんて、それこそ放っておかないのではないかと思うのだけれど。

 しかし、本人はそうは思っていないようで。


「謙遜もここまでくると腹立たしい……いや、謙遜じゃなくて無自覚なだけなんだけど」


 ブツブツとご主人様は小声で私に文句を垂れる。

 こと容姿の話題に関してはどこまでいっても平行線のままな私たちだった。小さい声じゃなくて、言いたいことがあるならきちんと聞こえるように言ってくれればいいのに。


「……どちらにしろ」


 私の容姿が整っていようが、醜くあろうが。


「造形は似ていても、今の私は本来の私とは別人と言っていい外見です。尖った耳も、人間のそれとかけ離れた瞳も、銀色の髪も、病的な色の肌も……その全てを、知った上で受け入れてくれるのはご主人様だけです。ご主人様、だけなんです」


「でもぉ……」


 それだけのことなんだ。なのに、ご主人様はそんなにも不安そうにしている。

 万が一、いや無量大数が一に私に悪い虫がつきそうになろうが、そんなものは払いのけてみせる。偽りの私に寄ってくる人間なんて、どうでもいい。ご主人様だけが、私の唯一の人だから。


「今の私がいくら人の視界に入ろうと、本来の私はご主人様だけのものですよ」


「そっ、か。そだね。ん、その通りだ!」


 ひとまず納得してくれたらしかった。

 けれどそこで話は終わらない。ご主人様は、私をおちょくる術を見つけた顔になる。……何か良からぬことに気がついた雰囲気だ。


「でもさぁ……その言い分だと、私はレーナちゃんだけのものじゃないってことになるね」


「えっ……ど、どうしてっ?」


「だって私、村で普通に顔出してるよ? 幻惑魔法使ってない」


「へっ!?」


 言われてみなくても、そうだ。

 幻惑魔法を使っているから本来の顔はご主人様にしか見せない。私の素顔を知っていて、独占しているのは彼女だけ。それを、私がご主人様だけのものであるという根拠とした。

 その言い分ではたしかに、村で素顔を晒している彼女は、私だけのものではなくなるわけで……、


「……もうっ、ご主人様、意地悪です!」


 揚げ足取りのような悪辣な指摘だ。それに対しての私の反応をご主人様が楽しんでいることなんてとっくに分かりきっているのに、つい過剰に返してしまう自分が憎い。


「にっへへ、じょーだん。私はレーナちゃんだけの私だかんね。要らないって言っても押し売りするから!」


「本当に、ご主人様は……」


 酷い揶揄い方だってするし、冗談ばかり言うし、結構意地悪だし、優しいだけじゃないし、家事もろくに出来ないし。後、変態だし。

 良いところ以外に、悪いところがいくつもだってあるけれど。


「要らないわけ、ないじゃないですか」


 私の恩人。恋人。家族。

 それら全てを引っくるめた、大切で大好きな人だから。

 押し売りされたら、迷わず全部買い取る。押し売りされなくたって無理矢理買ってやる。ご主人様は私のものだ。


「ん。そういってくれるって思ってた」


「試すなんて、本当に酷いです」


 そうして、どちらからともなく指を絡めた。

 俗に言う恋人繋ぎというもの。キュッと掌を締め、相手の体温を感じる。


「あったかいねぇ」


「暑いくらいですね、夏ですし」


「うん、そだね。夏なんだから、暑くて当然だよね」


「はい!」


 高鳴る胸はともかく、火照るような体の熱は、季節のせいにして。

 にへにへとふざけたような笑みを互いに浮かべながら。そして、脈動を加速させながら。


「行こっか」


「行きましょうか」


 私たちは、足を揃えて屋敷を出た。

 久しぶりに何の憂いもなく浴びる日光は、蒸し暑さを加味しても、気持ちのいいものだった。

「もうちょい魔法が上達したら、色んなシチュエーション楽しめるよなぁ……背が高くなったレーナちゃんに膝枕してもらったり、何ならレーナちゃんに猫耳とか生やさせてもいいかも……あっ! 私自身がレーナちゃんになって、『ご主人様愛してます』とか鏡見ながら言っちゃってみたりするのもいいな……へへへ、自給自足……でも本物には敵わないなぁ……まぁこれだけ挙げても今の私じゃできることなんてたかが知れてるし……目の高さとか、ほんとはない体のパーツの感覚とか擬似的に作り出したり騙したりしなきゃだし、凝ったものにすればその分制限時間も短くなるし……でもでも、しかしっ、私はケモノのしっぽと耳がついたレーナちゃんが限られた時間でも実現するならその可能性を追求したい! 語尾にニャンとか付けさせてみたりぃ……いってらっしゃいにゃん……おかえりなさいにゃん……大好きにゃん……ふふ、ふふふふふふふ……夢が膨らむ……待ってろ猫耳レーナちゃん」




「なんだろう、すごい寒気がする……」




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


頭撫でるだけで相手の意識を飛ばしかけるとか何者だ。



活動報告の通り、二、三週間投稿休んでいます。が、今回のようにひょっこり戻ってくることがまたあるかもしれないので、その際はどうかよろしくお願いします。


ブックマーク&評価いつもありがとうございます。

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