29:夢オチアナザー
蛇足な話でも続くんじゃ。
今まで以上にグダグダで、だらだら亀さん投稿になると思います。もしよければ読んでください。
家族や、幼馴染や、親友のいる、生まれ故郷。
大切な女の子がいるけれど、たったそれだけしか取り柄の見当たらない世界。
橘純夏と、スミカ・タチバナ。
どちらを選ぶかなんて、私には–––––––。
****
クォラ様の問いに、ご主人様は、即答できずに逡巡しているようだった。
「私は……」
その後の言葉が続かない。続けられない。
「わたし、はっ……」
ご主人様の瞳が震えている。どう見ても平静ではなかった。
止めなくては、私は咄嗟にそう考えて彼女の腕を手に取った。
「っ……れえ、なちゃん……」
「落ち着いて下さい。ご主人様……冷静に、冷静になって下さい」
諭すような形になったが、結果的にそれがご主人様を多少なり落ち着かせた。
「––––そ、そだよね! ……ごめん、心配かけたっ」
「あっ……」
パッと彼女は私の手を振り払い、なんでもないというように笑った。少し強張っていた。
––––なんで、こんな時まで笑おうとするんだ。
「……少し、考えさせてもらえませんか」
瞬時に笑みを解き、クォラ様を見据えるご主人様。
そうだ、今の彼女には考える時間が必要なのだ。これ以上、この場で答えを出させようとするのは酷というもの。
それは、眼前の召喚術師にも分かるだろうことで。
私もまたクォラ様に視線を巡らすと、彼女は頷いて、口を開く。
「今日のところは、これくらいにしておこうか」
そして、強い意志を感じさせる瞳で私たち二人を射抜いた。
「貴殿らで、よく、話し合うべきだろう」
****
「……私、帰りたいんだ」
クォラ様は少し離れた所で宿を取るようで、早々に立ち去った。
二人きりになった空間の中で、開口一番にそう始めたのはご主人様だった。
「……煮え切らない、言い方ですね」
何故、『帰る』ではなく、『帰りたい』なのか。
何故、まるで願望を妨げるものがあるかのような口振りで話すのか。
「……ご家族を、愛していらっしゃるのでしょう?」
「……うん」
彼女は頷く。
「……こんな日が来るのを、待ちわびていたのでしょう?」
「…………うん」
なおも頷く。ならば––––、
「なら、帰るべきだと思います。むしろ、何を迷っていると仰るのでしょうか」
今回の降って湧いたような帰還のチャンスは、彼女にとって願っても無い事だったに違いない。
帰りたいのなら、帰ればいい。それが、私の意見で––––。
「……レーナちゃんが、いる」
「––––ぁ」
––––私。
「レーナちゃん……私、レーナちゃんを置いていきたくないよ。でも……帰りたいって、気持ちも大きくて」
「ご主人様……」
「どうすればいいの? レーナちゃん、私、帰ればいいの? ここに、残るべきなの?」
それを決めるのは、私ではなくあなた自身だろうに。
そんなことも、わからなくなってしまったのか。
いつも私を優しく見つめてくれるその黒瞳は、不安に揺れて力が無い。
あなたは、そんなに弱々しい人じゃ、ないはずなのに。
「……帰って下さい」
口が開く。音を発す。
「ぇ––––」
ご主人様の表情が、何故か傷ついたように強張る。
「あなたは、愛するご家族のいる、あちら側へ戻るべきです。私なんて、考慮しなくていいんです。己の赴くまま、進みたいように、進めばいい」
胸がズキンと痛む。何故だろうか、苦しくて、辛い。行かないでと、彼女に縋ろうとする声が聞こえる。
それでも、私が彼女の足枷になるのなら。
「……でも、レーナちゃんが一人に」
「元より私は一人でした。むしろ、この一年が満たされ過ぎていたのです。ご主人様がくれた温かな日々を思い返せば、それだけで胸がまた熱くなります。……それだけで、この先も生きていくことができます」
「……」
「……心配しないで下さいっ、ご主人様。ご主人様は、故郷へ戻って、幸せになって下さい」
「レーナちゃん、でも」
「––––もう、無理しなくていいんですよ」
彼女の言い分は聞かない。言わせない。
もしそれが私の耳に入ってしまえば、行かないでと縋り付いてしまうかもしれないから。
「––––」
「私とあなたは、家族ではありません。あなたは、あなたの愛するご家族のいる場所へ、お帰りください」
「……っ」
返答までには、間があった。
確かな間が、あったのだ。
その最中、幾多もの感情がご主人様の瞳を彩っては通り過ぎてと繰り返した。
悲嘆、躊躇、歓喜、躊躇、戸惑、躊躇、決意、悲哀、躊躇、躊躇––––。
そして最後に残ったのは、強張った彼女の笑みで。
「……私、日本に帰るよ」
その顔はどうにも、喜びに浸っているようには、見えなくて。
罪悪感や、戸惑いや、躊躇いに、なお支配されているようにしか見えなくて。
「……はい。今まで、ありがとうございました」
私は、そんなご主人様の姿を見ていられなくて、一礼を装って彼女を視界から外した。
これでいい。これで、いいはずなのに。
「私こそ、今まで、ありがとね」
どこか、間違えてしまった気がしてならなかった。
翌日、ご主人様は屋敷を去った。
私の短い生涯において二度と、彼女に再会する事は無かった。
死の間際まで、強張ったその表情が瞼の裏にこべりついて剥がれなかった。
****
あれから十年の月日が経った。
「……」
今でも、あの選択が正しかったのか、或いは間違っていたのか、私には判断できずにいる。
「……レーナちゃん」
未だ、鮮烈に私の心へその姿が刻まれたままの愛おしかった少女を呼ぶ。
「……私、帰ってきてよかったのかな」
あの後、私は無事、王都に生まれた送還魔法で日本へ帰還した。
戻ってみると、私の元いた世界は一変していた。
二年前まで確かにあったはずのショッピングモールは跡形もなく無くなっていて、高校になってからほぼ毎日通っていたゲーセンには、見慣れないアーケードゲームが稼働していた。
私の日常の象徴は、いくらかの名残を残して塗り変わっていた。
妹には泣きつかれた。
背が伸び始めたとはいえまだまだ小さかった妹は、二年の歳月を経てどうしようもなく変わってしまっていた。
長かったはずの髪の毛は––––自惚れかもしれないけど––––まるで私を真似るように肩の辺りまでで切り落とされていて、言葉遣いも只々しさが完全に無くなっていたし、お姉ちゃん子から半ば卒業していた。
お父さんも、お母さんも涙ぐみながら私の生還を喜んでくれたけど、どうしてか心が満たされなかった。
高校三年生になった幼馴染にはビンタされた。
心配させやがって、とのことだった。その後すぐに抱きしめられた。
テキトーなようで、思いやりがある女の子だから、二年も心配をかけ続けたのは本当に申し訳なかった。
当然ながら私は行方不明者扱いになっていて、全国的に取り上げられるほどの事件の被害者ということになっていた。
犯人不明で、最後の目撃場所が自宅のリビング。しかも一瞬でそこから消えるようにいなくなったのだ。
一時は神隠しだの、妙なオカルト路線に話が持って行かれていたらしい。
警察の人に色々聞かれたけど、記憶が無いで通した。
異世界へ行ったなんて、気が触れたとしか思われない発言だ。精神病院へ入れられて、また退院後に同じことを聞かれての無限ループだろう。
やがて全ての人からの追求が無くなった頃。
私はなんとか高認に受かり、就職先もなんとか見つけて、社会人デビューを果たした。
今はお母さんとお父さんにお給料で美味しいものを食べさせてあげたりと親孝行しながら、高校生で尚且つ妙なツンデレシスコンになってしまった妹と軽口を応酬する毎日。
順当で平凡な日常だ。あの世界で毎日命がけの稼業に勤しんでいたことが、遠い昔の出来事になりつつある。
家族がいて、今もたまに会って話をする幼馴染がいて。
親友だった人たちとは、疎遠になってしまったけれど。きっと、人間関係とはそんなものなのだ。
大切な人がみんなみんないる世界。
なのに、
「……」
何故、満たされた気にならないのだろう。
週に三度は、夢を見る。
彼女にご主人様と呼ばれ、微笑む彼女を愛でた日常。
彼女の頭を撫でて、暖炉の前で共にぬくぬくと過ごした冬の日々。
彼女と身を寄せ合って、同じ布団で眠った日々。
何もかにもが、長い歳月を経てもなお、私を縛り付けて離してはくれなくて。
「……ねぇ、レーナちゃん」
どうか教えてほしい、私の大好きだった人。
「……答えてよ、お願いだから」
私は、ここに戻ってきてよかったの……?
『ご主人様、幸せになって下さい』
世界の垣根を超えて、そんな声が聞こえた気がした。
常に側にあった筈の懐かしい美声は、もう遠く離れた場所にある。
幸せとは何なのか、もう私にはわからなかった。
****
「––––てな、夢を見たんだけど」
朝食の席で、ご主人様はそんな話を持ち出した。
もきゅもきゅと肉料理を頬張り、飲み込んで紡ぐ彼女は、その夢をあくまで夢としか捉えていないようで、まるで真剣味のない語り口だった。
「へ、私もその夢見ました……」
妙に現実味を帯びた悪夢だったと記憶している。
「え、まじで」
「まじです」
すごい偶然だ、とご主人様は破顔した。僅かに表情が強張ってもいたのを、私は見逃さない。
「無理に笑わなくてもいいと言いました。耐え難い時は泣いてください」
「……ん、ごめん。泣きたくなった時は可愛いお胸貸してね」
「言い方が卑猥です」
––––可能性の上では、きっとその道もあり得ただろう。
ご主人様は故郷へ帰還し、私は一人生きていく。
まあ、私はエルフの容貌を持っているから、きっとロクな職に就く事も出来ず、すぐに死ぬだろうが。
ご主人様は、元の世界で幸せに––––、
『私は、ここに戻ってきてよかったの……?』
––––幸せに、なれたのだろうか。
あくまで概要が同じだったというだけで、ご主人様の見た夢と私の見た夢は全くの別物かもしれない。私の、願望が多分に含まれた最低な代物だったのかもしれない。
「ご主人様は、元の世界に戻ったら、幸せになれたと思いますか?」
それは夢の内容の確認も同義だった。
「逆に聞くけど、レーナちゃんは私のいない世界で幸せになれる?」
「……質問に質問で返しますか」
「ごめんってば。で、どう?」
「あり得ません」
断言するに決まっている。
「生まれてこの方幸せを感じたことがなかった私に幸せをくれたのは、紛れも無いご主人様です。ご主人様のいない場所に、私の幸せはあり得ません」
知識の上でしか『幸せ』を知らなかった。私はレーナになって初めて人の温もり、思いやり、幸せ、愛を感じた。体験し、それを自分の感情へと落とし込み、理解して実感した。
私がつい饒舌に答えると、ご主人様はびしぃっと私に人差し指を向け、不敵な表情をする。
「そ。そーいうことよ」
「……へ?」
「たしかに、私は幸せになれるかもね。でも、レーナちゃんがいないとなると、それだけで幸せゲージは九割九分九厘くらい減少かなぁ」
「ほとんど無くなりますね」
「無くなっちゃうんだよねぇ」
我ながらよくもまあここまで一個人に入れ込んだもんだ、とご主人様は輝かしいばかりの笑みを浮かべる。
「だから、これから先、どんなに大きなものとレーナちゃんを天秤にかけるようなことが起きたって、私は迷わずレーナちゃんを選ぶ。絶対の絶対に、ね」
私と過ごす日々は、どうあっても捨てがたいものだと、ご主人様は重ねる。
「……そんなの、わからないですよ」
例えば……あり得ないし、本当に例えばだけれど、私を捨てればこの国の王様になれるなんて言われたら、ご主人様は迷わず私の手を取れるだろうか。
「わかるんですねぇ、これが。口ではなんとでも言えるけど、だからこそ力説してやるんだ。私は、レーナちゃんからは、何があろうと、離れない! 言霊ってやつよ。言ってれば実現する。なんとでも言えるんならさ、だからこそなんとでも大胆に言い切って、言霊に祈りを乗せるんだよ」
––––いつまでもいつまでも、レーナちゃんと一緒にいられるように、ってね。
自信満々に言い切る様は、いっそ清々しい。そして、私は恥ずかしい。
「ご主人様はすごいです。常に己に自信を持っているように見受けられます。私には真似できません」
「それは買い被り。レーナちゃんだって、自信満々なことの一つや二つあるはず」
「そうでしょうか」
言われて少し考えてみる。
例えば、手料理一つにしても、ご主人様に一々美味しいと言っていただかないと、調理に失敗したのではないかと悪く考えてしまう。
そんな私に、自信を持てる事柄など、果たしてあっただろうか……?
予想以上に深く考え込んでしまった私に、ご主人様は助け舟でも出すように尋ねてきた。
「じゃあさ、レーナちゃん。レーナちゃんは、私に愛されてると思う?」
ご主人様に、愛されているか?
ほんの少し前まで別のことで頭をぐるぐる働かせていたのが功を奏したか、むしろ真っさらな状態でありのまま答えることができた。
「そう……ですね、はい。ご主人様は、私のことをとても大事に扱ってくださいます」
「ふふっ、なんだ自信満々なことあるじゃん」
「あ……」
本当だ。ごく自然に、私はご主人様の愛を絶対的なものだと認識していた。
こんな私にも、どうやら自信を持てることは存在するらしい。まぁ、明らかにご主人様のおかげだけれど。
試すような悪戯っぽい顔で、ご主人様は私の瞳を覗き込んだ。
「愛情がきちんと伝わってて嬉しいけどさ。万が一、私がレーナちゃんに嘘しか吐いてなかったら、どうするよ? 毎日毎日好き好き言ってくるような軽々しい変な女だよ? 疑ったことない?」
変な人だという自覚はあったらしい。
でも、そもそも異界の住人だったのだから価値観に違いがあって当然だし、むしろそんなところも好きだ。それに疑うも何も、
「ご主人様はそこまで器用な方ではありませんよ?」
この人は、本人が思っている以上に単純だ。
それがわかっているからこそ、私は彼女の言葉が嘘ではないと確信して、接することができている。
「ほほーう、言ってくれるねぇ。証拠はあるのかな?」
余裕たっぷりな様子だけど、残念ながら私は不動の根拠を握っているんだ。
「誕生日に私が贈った手編みの粗悪品なんかで涙を流してくださる方が、器用なわけないじゃないですか」
「はぶっ!?」
ご主人様は朝食を吹き出しかけた。
「あ、ぁああの時はすっごい嬉しかったんだもん! い、いきなり号泣シーン持ち出すなんて卑怯だぞ! 忘れろっ、忘れろよおい!」
「ふふん、絶対忘れませんっ」
「の"お"お"お"お"お"お"っ!!!!」
ご主人様は顔を紅潮させて悶え始めた。奇声もあげている。女の人が出していい声ではない。
どうやら彼女は、涙を流したことを恥ずべきことだと考えているらしい。恥ずかしげもなく抱擁してきたりするくせに、羞恥の基準がよくわからない。
「真っ赤なご主人様も可愛いですよ」
「っ……このっ、人の十八番をっ……!」
「ふふふんっ」
してやった気分だった。普段のご主人様の気持ちが分かる気がした。確かに、真っ赤に染まった顔で、しかも目を潤ませながら大好きな人が睨んできたら、何やらクるものがある。
「……してやられた気分だよ」
「普段の私の気持ちが少しはわかりましたか。これに懲りたらもう少し揶揄い方を優しく––––」
「絶対仕返ししてやる」
「……そうなりますか」
「とーっ!」
ご主人様は言いながら、私を抱きしめた。
こうされてしまうと、もう私に勝ち目はない。筋力的にも、体格差的にも、精神的にも。あぁ、どんな風に仕返しされてしまうのだろう。少し楽しみにしている自分が恨めしい。
「にっししし!」
––––まぁでも、どうしたって、この人には無邪気に笑っているのが一番似合う。
「可愛いって耳元でずっと繰り返しながら全身撫で回してやる」
「ひっ……!?」
––––手加減というものを知って欲しくはあるが。
「……お、お手柔らかに」
「やだ! かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわ––––」
結局のところ、なんだかんだ夢だの元の世界だのと持ち出して、私を愛でたかっただけなのではないかと、されるがままになりながら思った。……あ、そこ気持ちいいかも……。
もしもは、あくまでもしもであり、これからも続いていく時間の流れとは関係のないものだ。
選択しなかった未来のことなんて考えるのも烏滸がましい。そんなの、選ばれなかったものたちへの冒涜だ。
だから私は、目の前の大切な人だけを見続ける。
だから私も、私を選んでくれた彼女を、行く末まで支え続ける。
いつまでもいつまでも、レーナちゃんを、愛し続けるのだ。
あくまでも夢。純夏がレーナちゃんを捨てることはあり得ません。文字通り心を支えてくれている存在です。




