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27:道化の決壊

 ご主人様は笑顔で即答した。


「私、帰りません!」


 けれども、私は気づいた。

 即答するまでのほんの一瞬、彼女の表情にいくつもの葛藤が混じったことを。

 悲嘆、諦観、失望、希望、愛情、決意。

 その瞬間、彼女は大切なものを振るいにかけて、一方を切り捨てたのだと。

 心なしか意外そうな顔で、クォラ様は確認する。


「……本当に、いいのか? 先程言った『穴』同様、帰還魔法も制御が不安定だ。今はなんとか他の術師たちが司祭の指示に合わせてコントロールしているが、それも持ってひと月前後だ。それを逃せば、ほぼ間違いなく貴殿は二度と元いた世界へ帰還することが叶わなくなる。気が変わった、なんていうのは無しだ」


「それでも––––」


「……」


「––––それでも私、頭の中で切り捨てられちゃったんです、家族を」


 微かに、クォラ様は表情を崩した。

 

「個人的な興味だ……詳細を尋ねても、良いだろうか」


「……レーナちゃんと、大好きな家族。それを天秤にかけたら、すぐにレーナちゃんに傾きました。どちらか選ぶなら、やっぱりレーナちゃんで……最初は寂しさを紛らわしたかっただけかもしれないけど、今は本当に、本当にこの子が好きですから」


 嬉しいような、悲しいような、そんな入り混じった表情で、ご主人様は語る。


「……ご主人様」


 思わず私はご主人様を呼んだ。

 私を見た彼女は、屈託無く笑っていた。


「……それが、悔いのない貴殿の選択か」


 それが最後の忠告だった。

 ご主人様は、戯けたように首を振った。


「いやいや、悔いなんていくらでも残ります。悔いが完全にない選択なんてないです。だって、迷った時点で選ばなかった方の人生にも幸せがあるってわかってるって事ですから。……あくまで、レーナちゃんと一緒にいること以外、スミカ・タチバナ(今の私)には考えられなかっただけです」


 クォラ様は瞠目し、やがて目を瞑って、また開けた。


「ふっ……勇者と誤認された一般人と聞いて、どんなものかと思っていたが……」


 面白いものを見たような、という表現が的確な、表情だったと思う。


「存外、貴殿が勇者をやっていても、魔王を倒していたかもしれないな」


「えぇ、そんなの無理ですよー!」


「少なくともあの、肩書きと才能ばかりを無駄に持った勇者たちよりは、余程貴殿の方が精神的に上手(うわて)だ」


「私なんて、レーナちゃんに嫌われたと思うだけで本人の前で大泣きしかけるくらい弱いですけどねっ」


「良いと思うが。愛する者にこそ、弱味は見せるべきものだ」


 いつの間にか雑談のようになってしまった。

 ……なんだろう、クォラ様とご主人様が、なんだか仲よさげになっている気がする。

 ある種の危機感(・・・・・・・)を覚えた私は、その柔らかい雰囲気に割って入った。


「ご、ご主人様っ……お話が済んだのならっ、えっと、クゥバ様には、お引き取りを……!」


 クォラ様は凛とした雰囲気を持ち、整った顔立ちをした美人である。あまり親しくさせたら、いくらご主人様でも惹かれてしまう可能性がある。そんなのはダメだ。


「え? まあ、話すこともないね」


 ご主人様は首肯し、クォラ様へ目配せした。

 何気ない動作の中に、打ち解けたような気配を感じ、胸が苦しくなる。


「……ふむ、貴殿の人柄に興味が湧いてきたところだったが……悪いな。邪魔者は退散する」


「……ふぇ」


 白髪の麗人は、私の瞳を射抜いて言った。

 ば、バレてるのか……?

 クォラ様は腰を上げて一礼し、客間を出て行く。

 私はその背中を見送ろうと追いかけるが、急に彼女は振り返って私に耳元で囁いた。


「……他種族差別は根強い。苦労が絶えないだろうが、タチバナ殿同様、他種族を受け入れている人間も一定数存在する。何も、人間全てが貴殿らを拒んでいるわけではないんだ……だから、頑張れ」


 励ますつもりだったのだろうか。確かに、私は……私たち(他種族)は、虐げられる側の人種だ。

 だけど、


「その他一定数の方々にわざわざ認めてもらおうとは思いません。私には……もう、これ以上ないくらい私を肯定してくれる大切な方がいます」


「……そうか。愛されているんだな」


 その時初めて、彼女は仕事用の顔を取り払ってにこやかに笑った気がした。

 いい人……なのかな? まぁ、良くも悪くもいい人止まりだ。ご主人様以上に素晴らしい女性はこの世にいないのだから。


「ちょっと! ちょっとちょっと! 私のレーナちゃんなんですけどぉ! ちょっかい出さないでくださいよ!」


 後ろの人が何か騒がしい。あなただってさっきクォラ様と楽しげに話してたじゃないか。おあいこだよ。


「……貴殿の逆鱗に触れるようなことは決してしていない。たとえ意図して何か行動に移ろうと、貴殿らの仲を切り離せるほど狡猾な人物はまずいないだろうさ。……確かに、愛らしく可憐な容貌をしているがな」


 どうやら、種族どころか私の容姿までこの人には筒抜けらしい。お世辞も上手い。ならばやはり不要だろうかと、麻袋を取り払った。

 折れ曲がっていた耳がピンと伸び、長髪も遮る物が無くなって背中へと流れ落ちる。


「……やはり。貴殿はとても、愛きょ––––」


「だーめー! カッコつけたようなこと言うな! うちの子はあげない! 私の! 私のだからっ! 私が先に見つけたの! 恋人なの!」


 ヤキモチを焼いたようにご主人様は私を抱き寄せ、クォラ様をうがーっと唸りながら威嚇した。敬語、敬語取れてますよご主人様。

 なんだろう……考えることは一緒だなぁ……。

 ご主人様に庇われながら、私はしみじみと思った。

 私だって、急に仲良くなったみたいな二人を見て不安な気持ちになった。

 だから、


「私は、ご主人様のもので……ご主人様は、私のものです」


 絶対、誰にも渡さないのだ。





「……俺にも一応選ぶ権利はあると思うのだが」


「はぁ!? レーナちゃんじゃ物足りないって言うの!? こんなに可愛いのに……謝れ! レーナちゃんに謝れよぅ!」


「……貴殿はどう答えようと突っかかってくるな。生憎と、こちらも想い人がいる」


「絶対その人よりレーナちゃんのが可愛い!」


「……戯れ言を。俺の恋人の方が上だとも」


「レーナちゃんのがうえー!」


 そういう話はせめて本人のいないところでしてほしい。




****


 クォラ様は、あっさりと帰っていった。

 曰く、


「帰りを待っている人がいるのでな」


 らしい。

 おそらく、件の恋人様だろう。


「ふぅ……分からず屋な邪魔者はいなくなったな! さぁ、またイチャイチャしよー!」


 あっかんべーしながら、駆けて小さくなっていく馬車を見送るご主人様。

 本当に、最後まで凛とした姿勢を崩さないまま、用件だけ済ませて去ってしまった。

 ああいう方はきっと私生活もキッチリしているのだろう。うちの人にも少しだけ、見習ってほしい。

 ご主人様はくるりと体を反転して、屋敷の中に戻ろうとして、


「……ぁ、あ、れ……?」


 ポロポロと、大粒の涙を流し始めた。


「え、あ、わた、わたし、泣いて……?」


 自分が泣いていることに戸惑っている様子だ。


「……ご主人様」


 ––––そりゃあ、わからないわけがない。

 クォラ様とのやり取りの途中から、彼女の態度は少し不自然だった。

 急にクォラ様と仲良くなったように(・・・)親しげに明るく振る舞い始めたり、かと思えばやたら声高に彼女に突っかかって見たり。

 無理して明るい態度で徹していたのは、明白だった。


「あ……あ、ははぁっ……だめ、だなあっ……わたしぃっ。やっぱり、家族にもうっ、あえっ……あえないの、かな、しくてぇっ……! 大切な人、みんなっ……切り、捨ててっ……レーナちゃっ、えらっ……選んだ、のにぃっ……! わたじぃ、じぶん、がっでだぁっ……!」


「……ご主人様。無理に喋ろうとしなくて、いいんですよ」


 言われなくても知ってるさ、あなたがご家族をとても愛していることなんて。

 この屋敷に来てから、幾度となくご主人様からあちら側の話を聞いた。愛嬌のある妹様のことをとても大事にしていること、いつも家事をしてくれていたお母様に感謝していること、家族のために働いていたお父様に感謝していること。

 当たり前に不自由ない日々を過ごせていたのは、全て他者のおかげだったこと。独りになって、やっとそれを自覚したこと。

 きっと、ご家族以外にも、大切な人は沢山いたのだろう。

 日記でさえも、元の世界への想いを綴っている頁がいくつもあったのだから、思いの大きさは相当なものだったに違いない。

 何度も何度も帰還を夢見た彼女の生まれ故郷。

 それが、目と鼻の先にあって。

 それでもご主人様は、私を選んでくれた。


「うぅっ、う、うぅ……ふ、ぐぅっ……!」


 鼻を啜っている。ちり紙を取りに行く間も惜しくて、私はハンカチを渡した。


「どうぞ」


「ありがどうっ……」


 こちらを選んだことを、後悔していませんか……? 私なんかで、良かったんですか……?

 そう聞くことが、一番私らしい気がした。

 私らしく、後ろ向きで、彼女が後悔してると思い込んだような、勝手な質問。

 それは否定だ。侮辱だ。彼女の選択を貶めかねない愚考だ。

 だから、この道を選んで良かったって、もっと強く思えるようなことを、私らしくない前向きなことを、口にした。


「……私を、選んでくれてありがとうございました」


「れぇな、ぢゃんんっ……」


「大好きです……ずっと、ずっと……本当に。絶対、私を選んでくれたことを、後悔なんてさせませんから」


 これは誓いだ。私は私を愛してくれるあなたを、決して後悔なんてさせない。私をこれまで幸せにしてくれた分、私もまた、あなたを幸せにできるように全力で尽くし続けると。


「……わだじもぉっ、だいずぎだよぉっ……!」


「……はい、知ってますよ」


 そっと、しゃがみこんでしまったご主人様の背中をさすってやる。

 それを境に、堰を切ったように滂沱の涙が溢れ出していた。

 あなたの涙は嫌いだ。でも、今は思う存分泣いてほしい。

 雫が、ポタリポタリと雨のように地面を濡らしていた。

レーナちゃんが覚えた危機感は二種類でした。


なお、件の日記は最初の一年の頁全部読んだら下手な人間だと発狂するとか何とか。

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