25:覗き見ればそれは愛情〈後〉
私は密かに日記帳へ日々の記録を綴っている。
自分がその日感じたこと考えたことをありのまま書き殴っているので流石にレーナちゃんにも見せるのは恥ずかしく、万一にも中を見られないように存在は隠している。
仕事に出るときは、部屋の施錠だってしているから勝手にレーナちゃんは私の部屋の引き出しを漁ることもできない。完璧だ。そのうち日記帳自体に鍵を掛けられるようにしようと思ってる。
まぁ、勝手に人のもの漁るような子じゃないってわかり切ってるんだけども。念には念を入れる。
––––いつもならきちんと部屋を閉めてから出かけるのに、その日はうっかり施錠し忘れていた。
「やべっ……部屋閉めてないじゃん」
私は青ざめた。
あれ、ていうか日記帳ちゃんと引き出しに仕舞ったっけ。
あの中には、自分でも読み返して引くくらいレーナちゃん好き好きオーラに包まれた文章が詰まっている。
閉め忘れに気づいたのは今さっきで––––腕時計なんて持ってないから太陽の位置から推測した––––多分十二時前だ。レーナちゃんはいつも午後になってから二階の掃除を始めると言っていたので、今から全力で走って帰れば間に合うかもしれない。
そう考えた私は、屋敷へと大急ぎで帰還した。
「た、ただいま……レーナちゃん、二階の掃除してる……?」
一応彼女にやや大きめの声をかけるが、屋敷の中は異様な程に静まり返っていて返事もない。
いや、微かだが何か物音が聞こえる。
上階からだ。ギイギイと、何かが軋むような音が連続している。
怪訝に思いながら私は螺旋階段を登って、発信源と思われる部屋へ向かった。
案の定、マイルームである。扉が半開きで、どうやら中に誰かいるようだ。
「……これ絶対レーナちゃんじゃん……」
余談だが、日本の片田舎に似ているというか、この付近の地域では外出時に自宅を施錠するような習慣が抜け落ちている。誰も泥棒なんてしないらしい。
なぜかいつもの調子で声をかけてはいけない気がして、私はそーっと部屋の中を覗き込んだ。
そしたら、まあ意味不明な光景が目に飛び込んできたわけで。
「……よ、読まれてる」
開かれた状態で机に放置された日記帳。確実に中に目を通された後だ。死にたい。
それだけでもう発狂ものなのに、
「ご主人様っ……ご主人様……っ」
–––––なんですとーーー!?
私の寝床にレーナちゃんがいた。
興奮した様子のレーナちゃんがいた。
私の寝間着の匂いを嗅ぐレーナちゃんがいた。
興奮した様子で、私のベッドの上で、私の寝間着の匂いを嗅ぐ、レーナちゃんが、いた。
–––––何この状況っ!?
「……すんすん」
どんなに吸っても満たされないとばかりに私の寝間着へ鼻を押し付けている。
本来のこの部屋の持ち主である私の存在に気づいた様子はない。
「れ、レーナちゃん……?」
困惑しながらも、私はベッドを占領している女の子に声をかけた。
「……あ」
その時の、この世の終わりを悟ったようなレーナちゃんの絶望顔を、私は忘れることはないだろう。
****
「すみませんでしたっ……寝間着は弁償します……また外部で働いてお金を稼ぎますので、どうか……ご慈悲を……」
「いや、あれは宝物にする。レーナちゃんの匂い着いてそうだから私も後で嗅ぐんだ」
「えぇっ!?」
曰く魔が差したらしい。
その後床に頭を叩きつけて土下座してきたレーナちゃんを責める気にはならず––––言ってしまえばちゃんと窓も扉も施錠しておかなかった上、日記だって読み返したまま油断して机に置きっぱだった、なんていう奇跡の無防備状態を生み出した私も悪い––––ひとまず顔を上げてもらった。
「……読んじゃったかぁ、日記」
「…………読みました……すみません」
「そっかぁ……」
いやぁ、死にたいな!
四六時中レーナちゃんに愛を囁いている私であるが、それでも好意の重みで言えばほんのちょっぴりなのだ。私の恋心の真価は日記帳を捌け口として書き記されているといっても過言ではない。あんまり重い言葉でアプローチして引かれてでもしたら、立ち直れないし。
開き直って前にも増してレーナちゃんにアピールしはいるけど、完全に恋心を包み隠していないわけじゃないのである。
私はもう十八歳なわけで。純粋で初心な乙女って歳でもないし、正直な話レーナちゃんとえっちぃことだってしてみたい。したい、したいんだよ。ほぼ毎晩妄想しながら日記書いてんだよ。虚しいだろ、畜生。
日記帳改め『性癖ノート』と言っても過言ではない代物を、そう言った方面にはあまり詳しくなさそうな女の子に読まれてしまったのだ。
本音をぶちまけてしまえば、こんな感じになる。
ぁぁああぁあああああぁああぁぁぁああっ!!!!
死にたい、悶え死ぬ! レーナちゃん殺して私も死ぬ! むしろ私だけ死ね! あばばばば!!! ……と、まあひどい痴態だ。
それくらい、見られてはいけないものだった。
器用に心の中で床を転げ回って、私は一旦自分を冷静にした。後で思う存分、実際に転げ回ろう。
意外なのは、レーナちゃんが私に対して引いている様子が無いことだ。
受け入れてくれているのか、それとも正しく意味を理解していないだけなのか––––。
「……レーナちゃんは、最後まで読んだんだよね?」
「……すみません」
「気持ち悪いって、思わなかった?」
いや、だって、少し卑猥なことも書いたんだよ?
それに少しも引かないって、そりゃこの子も変態ってことになりますけど?
正直、バレたら軽蔑されるレベルだと思ってた。
なのになんで、あなたは変わらないまま、私を見てくれるんだろう。
「……私は幸せ者だと、思いました」
少し躊躇した様子を見せながらも、キリッとした眼差しで私の目を射抜くレーナちゃん。
「……頭大丈夫?」
やはり変態だったか。
「うぇっ!? だ、だって……あ、あんなことや、こんなことも書いてあって、そ、それってつまり、そういうことをしたいと考えるくらいに、私のことを想って下さっている、ということでは……?」
「超ポジティブ!」
「違うんですか……?」
「違わないけど! 違わないけどさ…………あぁあああぁっ!!」
レーナちゃんすごい。寛容すぎる。もっと好きなっちゃう。そして私は悶え死ぬ!
予想外に私の内心を測った物言いで気恥ずかしくなりながら、私はおっほんと一つ咳をついた。
「と、とりあえず日記の話はやめよう。もれなく私が死ぬ。……で、聞かせてもらうけどなんでレーナちゃんは私の寝間着の匂い嗅いでたの?」
「ひぅっ!?」
レーナちゃんはびくんっと肩を震わせて、顔をカァーッと一気に紅潮させた。なんかエロい。
……どうやら、日記を覗いたこと以上に触れられたくない事柄のようだった。小生としましては日記の方が黒歴史確定なんですがね! なんか寝間着の匂い嗅ぐのなんて別に普通のことなんじゃないかって錯覚しかけたからね、最初!
「……い、言わなきゃいけませんか……」
おおっと、俯いたってダメだ、可愛い顔で怯えるような雰囲気出してもダメだ。私は聞くぞ、聞いちゃうぞ?
「……いや、割と本気で意味不明な光景だったから、差し支えなければ理由ききたい……」
そこで部屋に沈黙が生まれた。ここまでだんまりなレーナちゃんなんて珍しいし、よっぽど言いたくないんだろうけど。
何分かそのまま経過したんじゃないかという長い静寂の後、レーナちゃんは小さくて可愛らしい唇を震わせて、言った。
「……かったんです」
「ふぁい?」
「……びし、かったんです」
「わ、わんもあぷりーず?」
「だからっ……寂しかったんですっ。日記を読んだ後、心がモヤモヤして、何故か寝間着の匂いを嗅いでしまって、そしたらクセになってご主人様を思い浮かべてしまって……急に寂しくなったんです。悪いですかこのヤローっ……!」
「逆ギレ!?」
この女、反省してない……!
でもそれってさ……匂いだけで私を連想しちゃうくらい、レーナちゃん私のこと気に入ってるってことじゃないのかな。
「レーナちゃん、もしかして私のこと結構好き?」
「ふぁっ!? ……え、えと……そうなん、でしょう、か……」
語気が尻すぼみになって、やがて弱々しく消えていった。
いつもは一貫して『わからない』の一点張りなのに。
「え、ど、どーしたのっ、レーナちゃん!」
場違いにテンションの高い声で尋ねてしまう。
なんだよそれ。期待しちゃうじゃん。好きって、言ってもらえるかもしれないって思っちゃうじゃん。
「日記を読んでから、なんですけど……胸の中、モヤモヤするんです……」
なんか精神的に不安定になってるみたいで、押せばそのまま倒せちゃいそうな危うさがある。……押しちゃおうかな。
チラチラ私の顔見てはほっぺを朱く染めて逸らしてって繰り返してるし、今日のこの子は本当にどうしちゃったんだ。
「……これって、好きって気持ちなんでしょうか……」
茫然と胸に手を当てて尋ねてくるけど、相手の気持ちなんて客観的には測れないものだ。
「いや、レーナちゃんの気持ちはレーナちゃんにしかわからないし……私に聞かれても」
「……胸が、ドキドキします」
「……」
「私を抱きしめる時、ご主人様の心臓も今の私と同じくらいドクドク脈打っていました。それが、『好き』ってことなんですか?」
「……」
「これが『好き』なら、私はご主人様が好きです。ずっとずっと大好き、だったみたいです……」
震えながら涙目で訴えかけてくる様は、小動物じみていてめっちゃ可愛い。……かわいい、んだけどさ。
人の日記勝手に読んだり、人の寝間着の匂い嗅いだりして自分の気持ちに気付くって、なんか、すごく台無しだと思うんだ。
「……レーナちゃんって、隠れ変態?」
「!? な、な……っ」
今までずっとアプローチしてた自分がバカに思えてくるような、そんな瞬間だった。
なら最初っから、正攻法じゃなくて私の匂いをもっといっぱい嗅がせておけばよかったー! とか。
下ネタも交えて本気で口説き落とそうとすればよかったー! なんて。
結果論だけど、そう思わされてしまう。
思わされちゃう、けど、
「ありがとう、レーナちゃん」
ただただすごく、嬉しいのも、事実で。
表立った変化は乏しかったけど、きっと私のアプローチは全部この子の中に届いてた。だから今回実を結んだ。そう、考えることにする。
「すごく好きだよ」
「! わたしもっ、私も好きです……ま、まだよくわかりませんがっ」
「レーナちゃん、締まらないなぁ」
なんとなく、よしよしといつもの感覚で頭を撫でてみる。
いつもは最初に少し抵抗して見せるのに、従順に頭を差し出してくれた。
「ふぁぁ……」
そして一瞬で骨抜きになって、レーナちゃんは無防備になる。すごく幸せそう。心を隔ててた壁が一つ無くなったような感じがする。
しばらく髪の感触を堪能し、こんなものだろうといつもの感覚で頭から手を離すと、
「あ……そんな」
名残惜しそうに自分から離れていく手を見つめてるレーナちゃん。目が潤んでてなんかかわいそう。
手を斜め上に挙げる。彼女の視線も物欲しそうにそれについていく。
斜めに下ろす。また物欲しそうに視線がついてくる。
––––これは……もしかして。
もう一回撫でてみる。
「ふぁぁぁ……」
離す。
「あっ……ひどい……」
撫でる。
「ふぁぁっ……」
離す。
「あぁっ……って、ご主人様遊ばないでくださいっ」
「バレちったか」
咎められたので、手をヒラヒラして謝る。
レーナちゃんには悪いけど中々これ楽しいぞ。恋心って人を無防備にするんだね。
「……ね。他の場所とか……撫でたら、怒る?」
「他の、場所? …………っ!?」
意味が伝わったみたいで––––やっぱりむっつりじゃん––––レーナちゃんは十分赤い顔をもっと染める。全身の血液が顔に集まっていてもおかしくないような顔色だ。
「……に、日記みたいなこと……ですか?」
「そう」
「今は、まだちょっと難しい、です……」
「……そっか、そだよね」
首を振られる。まぁ、そんなものだろう。
いくら『そーいうこと』への理解が寛容でも、レーナちゃんはやっぱり純粋な子だと思う。
今のまんまだと、頭を撫でたり、抱きしめたり、くすぐったりするくらいが限界だろうな。流石に、無理やりはよくない。
まぁ、今はそれくらいで十分だ。
無自覚だった気持ちが少しだけ花開いたからなのか、レーナちゃんの瞳には今まで見たことのない種類の熱がこもっている。見つめ合うだけで脈動が更に速くなる。
ここまで進展するのに一年かかった。はてさて、まだまだ淡いその恋心をもっと濃くするのに、どれくらいの時間がかかるのか。
あわゆくば、私なしじゃ生きていけないくらいにしたい。
だって私の方が、もうとっくに精神的にも生活的にもレーナちゃん無しじゃ生きられない状態になってるんだから。
どうせなるなら、共依存。片方だけが猛烈に好きなんて、ちょっと寂しい。
最初はちょっとでもレーナちゃんに好きになってもらえたらそれで十分だったのに、欲求は増えて深まっていくばかり。限りがない。無際限。
全部全部、かわいいレーナちゃん悪いんだ。
「絶対逃がさない」
「……どこにも逃げませんよ?」
「レーナちゃんは、私のものになるの」
「私は、元々ご主人様のものでしたけど」
「じゃ、過去形じゃなくて、また私のものになってほしい。奴隷じゃなくて、恋人とかがいい。今よりもっと縛り付けちゃうかもしれないけどさ」
「……」
逡巡が、あったんだと思う。
自分の過去とか、価値だとか、資格とか、私との釣り合いだとか。
如何にも、レーナちゃんが考えそうな、的外れな躊躇い。
それら全てをどう組み伏したのか、流石にそこまではわからないし、いくらか折り合いをつけるための妥協もあったのかもしれない。
だって、最後に残ったのは、私に恋してくれている、熱のこもった瞳だったから。
「……はい。恋人、いいと思います」
「っ……あぁ」
––––駄目だ、好きすぎる。言葉じゃ言い表せない。不可能だ。
いつかみたいに、つむじに口づけを落とした。
でもあの時と明確に違うことがあって、
「……またそんなところに。ご主人様は旋毛が好きですね……変な人です」
若干照れてはいるものの、もう、レーナちゃんは私の行為に過剰な反応を見せなくなっていた。
少し虚しく感じてしまうのは、私の我儘だ。
「レーナちゃんなら、どこだろうと好きだよ」
「っ……あぅ」
まぁ、完全に耐性が付いたわけでもないみたいだけどさ。
そうそう人は変わらない、そのまま旋毛に唇で攻撃し続けると、やがて耐えられなくなったレーナちゃんはじたばたもがき始めるのだった。
好きな人が自分を好きになってくれる。
相思相愛とは、なんと甘美で素敵な響きなのか。
––––なんてことない、春の昼下がりのことだった。
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最低限の装飾品しか付いていない無骨な馬車が、辺境の地を駆ける。
旅行の時期でもないというのに馬車が来るとは何事だと村人たちは少し騒めくが、車輪は止まらずそのまま村を抜け、外れの小さな丘へと向かっていく。
方向からして、目的地になりそうな建造物は一つしかない。
経歴不明な少女二人が暮らしている古びた屋敷だった。
「……かの勇者と同郷の人間、か」
馬車に乗り込んでいる堅物そうな女が小さく呟いた。
その声は、車輪が小石を弾く音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
謎の女性は二、三話であっさりいなくなると思います。それはそうと日記って万能なんだな(白目)




