22.9:至るまでの夢
短め。
暴力等の描写があり、気分を害す可能性があります。読まずにいても進行に話の関係はありません。
夢を見た。
辺りは際限のない暗闇と漆黒であり、その中心にのみ明かりが点いて、白く輝いている。
照らされたそこには、"昔の私"とだれか加虐者がいて。
そして、もう一人の、"今の私"がそれを光の外から眺めている。
異様な光景だ、けれどそれを違和感なく受け取っている自分がいる。
だから、これは夢なのだ。
『なんでお前のような化け物が娘なんだっ!』
『がふ……か、は、ぁっ……』
『私』はお腹を強く蹴られていた。口端が切れて、少し血を吐いた。あぁ、あれは痛かったな。初めて大人から全力で暴力を振るわれたんだ。
舞台は変わる。
数年苦しみながら暮らした生家から、どこか別の薄汚れた廃屋のような小屋。
頰の痩けた男だった。生気の失せた容貌の中、眼球だけを興奮にギラつかせて当時の私を舐めるようにねめつけている。
名目上は親戚とのことだったけれど、真偽の程はわからない。調べる術もなかったし、調べる必要性も感じなかった。
『捨てられたなんて可哀想になぁ』
『ひぎゅっ、がっ、ぐぇっ、ぎゃっ……』
この時は棒で殴られたんだっけ。白く疎ましい肌の至る所が紫に変色した。|彼はそれを舐めるように見つめて恍惚とする変態だった。でも、死んだ目をして私はだんまりだ。
その時点で私はもう、大人から愛情を与えられることを諦めた。苦痛に苦痛を重ねて、主のストレスを発散するためだけの文字通り玩具と化していた。
また舞台は変わる。
その家の男は、毎晩のように何処からか見知らぬ女を呼び寄せ、劣情に塗れた物音と、女の口から漏れているだろう嬌声の混じる不快な空間を生み出していた。
直接その光景を見たことはなかったし、何より見ることも知ることも固く禁じられていたから、実際のところ何をしていたのかは断定できていない。今になってみれば、男女間の行為に走っていたのだろうと容易に想像つくのだが。
私はといえば男の命令してくる品を買いに行っては叩かれ、買いに行っては叩かれと繰り返す日々を送っていた。
『言われた買い物も満足にできねえのかよおい』
『ひっ、あ、ぁあぁあああぁあっ!!』
ある日は煙草の先を押し付けられた。文字通り灼けるような痛みに『私』の意識が白んで点滅する。絶叫するが、それもどこか他人事だった。
強引に外の雪で冷やされた患部には、くっきりと跡が残った。あぁ、あの時は流石に感情を抑えるのが難しかった。もう少しで涙が出て、男の加虐心を煽ってしまうところだったのだ。あれ以上興奮させていたなら、私は殺されていたかもしれない。
生きているだけ幸運、殺されたくなければ相手が満足するまで殴られろ。
そう自分に言い聞かせ、私は耐えに耐え抜いた。
いつの日か、誰に縛られることも殴られることもなく、自由に気ままに生きられたらなと呆然と考えながら。
最後の舞台に切り替わる。
奴隷に堕ちる前の最後の主人は器用な人間だった。
魔の才をご主人様には及ばないまでも持っていて、初級回復魔法の使い手だった。
『決めた。お前が泣くまで甚振ってやる』
『あっ、ぎぃ……が、ふ……』
『軽く傷でもつけてやろうか。そんで、魔法で治しながら別の箇所に別の傷をつけてやる。楽しみだなぁ……なぁ? エルフ擬き』
『……』
『おい、返事しろよ……しろっつってんだろうがよぉ!』
『はい……』
蹴られたな、治されたな。殴られたな、治されたな。叩かれたな、治されたな。引っ張られたな、治されたな。投げ飛ばされたな、治されたな。潰されたな、治されたな。刻まれたな、治されたな。剥がされたな、治されたな。
その頃にはもう、痛みと心の切り離しに慣れてしまっていて。
どれほど痛みを与えても、衝撃によってこぼれ落ちる声以外反応をよこさない死んだ目の私を鼻で笑い、
『つまんねえ玩具だったな』
男は飽きたように私を奴隷商へと売り渡した。
鉄格子の中が私の居場所。今まで何者でもなく点々と様々な家を渡り歩いてきた私には、『奴隷』という名称が、初めて他者から明確に自分の存在を認めてもらえた証明に思えて、少し嬉しかった。
『んなこともできねえのか、このポンコツがぁっ!』
口汚い奴隷商は鞭打ちするけど、それもかなり手加減しているとわかる。
今まで沢山の大人に暴力を振るわれたからか、私は相手の体格や筋肉量なんかを見て、大体どれくらいの痛みで暴力を振るってくるのかわかるようになっていた。
商品だから、与える痛みは最小限に。
大抵の奴隷は、少しでも痛覚を与えればそれが抑止力となり、従順に言うことを聞くようになる。
『……ごめんなさい、もっと励みます』
『ちっ……わかればいい』
ぶっきらぼうに、脂肪のたっぷりついた主人は今日の食糧を置いていった。
自分専用に、粗末とはいえ食べ物を用意してくれる。
今までは誰かの食べ残しばかり食らっていたから、新鮮な感覚だった。
優しい人だと、錯覚に陥ってしまうのも無理はなかった。
最近、ロクに教育されなくなった。
ちょっと前まで、主人は私の価値を少しでも上げようと、苦心しながら、時に申し訳程度の力で私を鞭打ちして勉学や家事を叩き込んでくれていたのに。
私を視界に入れると、嫌なものを見たように舌打ちして、今までにないくらいの強さで鞭を放ってくる。
微かに感じたような気になっていた優しさは、まやかしだった。
––––あぁ、私は……商品ですら無くなったんだ。
商品に深い傷を付けないようにと手加減するのではなく、鬱憤でも晴らすように鞭打ちするのはきっと、私が長らく売れないからだ。
殺処分でもするつもりなのかもしれない。
死にたくはなかった。なかったけど、生き死にを決めるのは私ではない。そんな権利はとっくのとうに剥奪されている。
一度でも、短い期間でも、自由に気ままにやりたいように生きたかったけれど、こんな雁字搦めで権利も体も命も精神も縛り付けられたような人生じゃ、それもままならないし。
ならば、このまま生き続けても意味はないと思った。
心残りといえば、一人でいいから私を認めてくれる誰かに出会って、共に生きてみたかった、なんて。
身の丈に合わないことを、思ったりもした。
認めるどころか、愛してくれる人が現れたのは、本当に奇跡だった。
『レーナちゃん』
その手はポカポカと私の凝り固まった心を溶かして、変化させた。
『あははぁ』
その笑みは、私の胸の心の臓のそのまた奥深くに生まれた淡い感情を刺激した。
『大好き』
胸がきゅぅっと苦しくなる。
なんて幸せなんだろう。
今度は錯覚じゃなく、本当に優しいご主人様がいて、私じゃ持ちきれなくてこぼれ落ちてしまうくらい沢山のかけがえのない宝物をくれる。
ずっとそばにいたいと思うこの気持ちはなんだろう。
もっと抱きしめて欲しいと、彼女を求めるこの気持ちはなんだろう。
初めて会った時から当たり前のように居座るこの気持ちはなんだろう。
あまりに平然と最初から私の中に居座っていたが故に気づかずにいたその気持ち。
『私は、ご主人様が––––』
本日の朝にできれば更新する予定です。




