19+0.5:はっぴーばーすでーとぅーご主人様 下
無条件に明るくてポジティブな人って、その分裏ではかなり抱え込んでると思うんです。
今日は十の月、十の日。日本の暦でいう十月十日だ。なんとなく『十月十』って私的にはピエロの顔に見えるので、勝手にピエロの日と名付けて呼んでいる。
去年、この世界へやって来て早一年と数ヶ月だ。過ぎればあっという間、けれどあっという間の一言で済ませられないほど、私の日々は鬱々としていた。
最初はただ寂しかった。
孤独感に苛まれて、誰一人知り合いも家族もいないこの環境は、どうしようもなく苦痛だった。
生きるためにはお金が必要だった。そして、不器用な私にできる仕事は数えるほどしかなくて。一番高収入な職業は、常に危険と隣り合わせである『冒険者』だった。
自分の生きる糧を得るため、他の命を刈り取る。それではまるで、私こそが化け物のようではないかと、初めのうちはよく考えたものだ。今でもたまに考える。半年もする頃には、少しも感情を動かさずモンスターを殺められるようになっていたのだから、人間の適応力とは本当に恐ろしい。その分、人前では意識して明るく振る舞うようになっていた。自分はまだ正常だ、とでも己を誤魔化したかったのだろう。
正直、へらへらと笑う自分が少し気持ち悪かった。
辛いことを全てぶちまけられるほど、気の許せる存在がいなかったのも、原因の一つだろう。
––––ここまで長々と胸の内を独白したが、まぁ、つまりあれだ。
「ご主人様っ、お誕生日おめでとうございます……!」
––––この子がいるなら、この世界だって別段悪いものでもないのかもな、なんて思うんだ。
はしゃぐような声と共に、パンッ! と火薬が弾けたような音が響く。
森での戦闘で研ぎ澄ました感覚は屋敷へ帰還したことですっかり解けていて、不覚にも吃驚した。
「ハッピーバースデーです、ご主人様!」
可愛い可愛い同居人が、私にクラッカーを向けて笑った。
****
「す、凄いご馳走だ……よく食費足りたね」
真っ暗だった屋敷の中で、燭台の灯りがともる。
テーブルは、どこから出して来たのか複数個あり、そのいずれにも料理が置かれていた。
大丈夫かな、この子誰かに騙されて借金とかしてないよね? 明らかに私が毎月渡してる食費じゃ足りない量なんだけど。
料理の出来より、真っ先に食費の心配をされたことが堪えたのか、レーナちゃんは長い睫毛と共に目を伏せた。
「迷惑、だったでしょうか……」
ああっ、やめてっ……そんな悲しそうな顔しないで……。
「ち、違うよ! 純粋に気になっただけでっ」
訂正すると、彼女はホッと胸を撫で下ろした。一喜一憂とはこのことか、なんだか申し訳なくなる。
「ご主人様の誕生祝いなのに、ご主人様に頂いたお金で準備をしたら、とんだマッチポンプです。安心して下さい、頂いた食費はちゃんと残っています」
「じゃ、じゃあなんでこんな沢山の料理が……?」
「私が働いて得たお金を使いました」
「レーナちゃんんんんんんっ!!!!!」
「うぎゃぁっ! なんですかぁっ!?」
感極まってその小さな体を強く抱きしめると、僅かにレーナちゃんは身じろぎしたが、すぐ抵抗をやめて背中をさすってくれた。
なんの前触れもなく言い出したかに見えたアルバイト宣言。しかし、よく思い出してみれば思い当たる節があったのだ。
私の誕生日。今の今まで忘れていたが、私は以前何気ない会話の中でレーナちゃんにそれを教えた気がする。
––––律儀に覚えて、祝おうと計画してくれてたのか……。
私は何の期待もしていなかった。レーナちゃんが私を自発的に祝ってくれるイメージなんて湧かなかったし、何より去年とは打って変わって誕生日の夜を大好きな女の子と共に面白おかしく過ごせるというだけで、満足してしまっていたのだ。
しかしこのサプライズは満足していた私の心を更に上のステージへと引き上げた。満足に際限はなかった。
結論を言えば、レーナちゃん大好きだ。健気な心が眩しい。嬉しい。嬉しすぎる。
「全然予想してなかった! 祝ってもらえるなんて思ってなかった! あぁ、もうっ、なんていじらしいことするんだよぉっ……! もっと好きになっちゃうじゃん……!」
「う、ぐっ……く、苦しいですよ、少し力緩めて下さい。……ですけどまぁ、今日はご主人様の誕生日です。特別にもう少し抱きしめていていいですよ」
勝気に笑って、レーナちゃんは私を見上げた。なにその表情、すごい可愛い。
「……なんだか態度大きくなってきたね、レーナちゃん」
「ご主人様がすぐ甘やかすからです。ご主人様が悪いんですよ」
生意気言うようになったじゃないか。でも私は甘やかしてるんじゃなくて愛でてるんだよ。
それにしても……あぁ、なんて抱き心地がいい体なんだろう。細身なのに柔らかくて、手とか腕とかにフィットすると言うか、小さくて守ってあげたくなるっていうか……髪もサラサラで撫でるとこれまた気持ちがいい……。
「あの、ご主人様」
「……なぁに?」
「お料理、冷めないうちに食べて欲しいです。ケーキだって用意しました。ロウソク18本ですよ」
あぁ、そうだった。ご馳走つくってくれたんだもんね。……二人で食べきれる量かなぁ。
しかしレーナちゃんの体の誘惑は強い。ずっとこのままでいたくなる。……いや違うな。ずっとこのままでいさせてください。
「ちょっとだけ、もうちょっとだけ」
「もう……仕方のないご主人様ですね」
「仕方ないご主人様のままでいたら、レーナちゃんに構ってもらえるんだもん。レーナちゃんの前ではずっと、仕方ない私でいるよ」
「……本当に、仕方のない人です。私以外にそんな姿見せちゃダメですからね」
「? どういう意味?」
「……ご主人様は時々鈍ちんです」
若干不機嫌そうに顔を歪めてみせた彼女だったけれど、すぐに雰囲気は柔らかいものに戻り、その些細な変化は勘違いだったのではないかと思われた。
今日は不思議と色んな顔をしたレーナちゃんが見られる。はしゃいでいたり、勝気だったり、不機嫌そうにしたり。
どれも可愛くて愛おしいことに変わりはないけれど、普段は見られないものばかりだ。これは誕生日の奇跡という奴かもしれない。レーナちゃんは元より、神様にも感謝しよう。
****
「苦しい……もうダメ、何も入らない」
仕事帰りの空きっ腹には、レーナちゃんの料理がよく沁みた。
最初こそガツガツと口に運んでいたけれど、四つめの大皿を平らげた辺りで胃は既に圧迫状態。五つ目は途中からレーナちゃんに加勢してもらってなんとか平らげたが、なんかもう吐きそうだ。けれど折角私のために作ってくれたのだから、絶対吐き出すわけにはいかなかった。
なお、後二皿残っている。
「……残りは明日に回しますか?」
胃は小さめなレーナちゃんはどちらかといえば食が細い。遠慮しているのかと当初は思ったが、純粋に少食なだけだったようだ。
そんな彼女が今日は珍しく沢山食べてくれた。苦しそうにお腹をさする姿が隣に見受けられると、何故か私は嬉しくなった。
「うん……うぷ」
レーナちゃんの提案に同意すると、私は無性にベッドへ飛び込みたくなった。
あったかい布団、ふかふかのシーツと、満腹感とサプライズで満たされたこの気持ち。
この気分のまま眠れば、さぞいい夢が見られるだろう。
つい一昨日一緒に寝たばかりで、三日に一度という約束を破ることになってしまうが、せっかくの誕生日なのだ。それを盾にして添い寝権を行使したっていいじゃないか。不思議と今日はレーナちゃんも嫌がらない気がした。
「ご主人様」
私が同居人を抱き枕にする算段を立てていると、レーナちゃんは赤い顔で私を呼んだ。
「うん? どうしたのレーナちゃん」
「ちょっと待ってて下さい」
それだけ言い残すと、彼女は隣室へと消えていった。待ってろってどういうことだろう。
それから五分もしないうちにレーナちゃんは戻ってくる。リボンの装飾がついた箱を、手に持って。
「へ?」
「市販の物より縫い目は荒いですし、なにぶん初めてだったので細部なんかは下手くそですが、それでもその……私にできる最大限の贈り物です」
「へ? へ?」
「いつもお疲れさまです、ご主人様。粗悪な品ではありますが、宜しければお受け取り下さい」
「ぷ、プレゼントってこと? 私に!?」
「今日誕生日のご主人様以外に誰がいるんですか……」
呆れた顔をしながら、レーナちゃんは箱を手渡してくる。
「へへへ……開けてもいいのかな」
「もうそれはご主人様のものですから、どうぞ」
「えへへ、えへへ……!」
嬉しいなぁ、何が入ってるんだろう? お祝いの準備は料理で終わりかと思ってた。まさかプレゼントまで用意してくれるなんて。今までの人生で最高の誕生日だ。
リボンを慎重に解いて、箱の包装紙も綺麗に剥ぐ。この箱も、包装紙も、リボンも、一生の宝物にしよう。そして墓場まで持ち込んでやる。
ノロノロとした動作で装飾品を全て取り除く。そして最後に蓋を開ければ––––。
真っ白なマフラーと、赤い手袋が入っていた。
「もしかして、手作り?」
市販の品がどうこうと言っていたけれど、つまりそういうことなのだろうか。
レーナちゃんはコクリと恥ずかしそうに頷いた。
「下手くそですみません……日頃の感謝を込めるなら、手製が一番だと思って。……気に入らなければ、捨てて構いませんよ」
俯いてしまった。人に何かを手作りするのはとても勇気のいることだと聞いたことがあるけれど、それはレーナちゃんも同じらしかった。
下手くそと謙遜するけど、言われなければ手作りだとわからないレベルの品だった。これで初めて作ったなんて、彼女の手先の器用さは規格外だ。
無地でシンプルな作りは、どんな服装でも浮かずに着けるすることが出来そうで、下手な柄物よりずっと好ましいデザインだった。
「捨てないし、下手くそじゃないよ。凄く上手。これからの冬場に手袋は有り難いし、マフラーなんて、レーナちゃんの肌みたいに真っ白で、レーナちゃんが首に巻きついてくれるみたいだよ!」
「それ実際にやったら窒息しますよね」
「あくまで例えだから間に受けないでね?」
それにしても、手作りか。嬉しいなぁ、そんな誕生日プレゼント、生まれて初めてもらったよ。両親にも、友達にも、贈られてくるものといえば既製品だったから。
「ぇ……ご、ご主人様っ、何故、泣いていらっしゃるのでしょうか」
レーナちゃんが急に慌てだして、何事かと目元を拭ったら、指が湿った。
その正体は、涙腺から溢れた雫だった。
「ぇ……わ、私、泣いてる? あれ、あ、あはは……悲しくないのに、なんでだろ……おかしいねっ、あはははっ……」
すぐに顔は隠した。レーナちゃんが駆け寄ろうとしたけれど、腕で制した。
レーナちゃんの前でだけは泣きたくなかった。
不要に心配はかけたくないし、むしろ私は心配したい側。強い自分でいたくて、頼ってもらえる自分でありたかった。傲慢かもしれないけれど、レーナちゃんのことを常に引っ張る側でいたいのに……。
結果、無理に笑みを浮かべてしまう。どうだ、この世界に来てから幾度も重ねたこの偽りの笑顔は。時折自分自身さえ騙せるくらいに、真に迫って––––、
「無理に、笑わなくていいんですよ」
「……ぁ」
見抜かれて、いる。
一瞬、笑顔が硬直してしまった。その隙を逃さぬとばかりにレーナちゃんは畳み掛けた。
「私が見ているからと無理に笑うのだけはやめてください。ここはご主人様の家なんです。ご主人様が本心をひた隠しにしていい場所のはずがありません。私のせいで、ご主人様が本音を漏らさないなんて、そんなの悲しすぎます」
どうやらこの子は私の知ってる以上に、私のことを見てくれていたらしい。それこそ、笑顔の見分けが効くくらいには。
嬉しいけれど、今この瞬間は少し複雑なような。
「レーナちゃんのせいだなんて……そんなの、あるわけないよ! そうじゃなくて……だって、その……なんだか、泣くなんて情けない、し……」
レーナちゃんに頼ってほしいなんて考えていながら。レーナちゃんに依存していながら。彼女を頼ろうとしなかったのは他でもない私だった。彼女を抱きしめたり、撫でたり、その華奢な手を握ったり。その存在に癒されたことは幾度もあれど、決して、胸の内を明かそうとはしなかった。
だって、かっこ悪いから。最初に比べて見違えるように明るくなった彼女に、幻滅されたくなかった。
「ご主人様は優しくて、お強くて、ちょっぴり悪戯好きなところはありますが、尊敬に値する方です。少しくらい、それこそ情けないところの一つや二つあったっていいと思います」
本当に、よく言うようになった。
自分の意思が希薄だと当初は思ったが、そんなものは間違いだった。
その胸の内に、きちんとした自分の意思、価値観をこの子は持っている。
あるいは、ここでの生活が、彼女の自意識を高めることに繋がったのだろうか。私は役立てたのだろうか。
「……」
「私はご主人様に依存し始めているのに、ご主人様は私に何も打ち明けようとしてくれません。どうしたらその寂しそうな表情を打ち消せますか。どうしたらご主人様を心から笑わせることができますか。知りたいんです、教えて欲しいです、ご主人様のこと……」
「––––教えたとしてっ!」
自分でも震えていることがあからさまにわかる声で、彼女の訴えを遮った。
「教えたとして……幻滅しないって、約束してくれる? 何を言っても、信じてくれる……?」
「幻滅なんてできるはずがありません。それに、私は元よりご主人様を信じていますから。実はご主人様がすでにお亡くなりになっている身だと言われても、ちょっぴりしか疑いません」
ちょっぴりは疑うんじゃないかよ。
全く疑わない、と言われるより妙に現実的で、思わず毒気が抜かれてしまった。
こうもピシリと即答されてしまっては、もう塞きとめることさえ馬鹿馬鹿しくなってしまう。幻滅しない、じゃなくて、幻滅できるはずがない、か。いやはや今日のレーナちゃんには、本当に敵わないや。
最初の一声が大事だと思ったから、大きく深呼吸をして。それから私は、言葉を紡いだ。
「……あのねっ!」
「……はい」
「私、ほんとはこの世界の人間じゃないんだ」
「はい」
「勇者と間違われて、違う世界から召喚されて来て。帰る方法は無いって言われて。自分を知ってる人が誰もいないって状況が、どうしようもなく不安で寂しくて」
「はい。……はい」
意を決して、かくかくしかじか辿々しく、私は今日に至るまでに押し隠して来た感情を吐露し始めた。
その間レーナちゃんは一度も目を逸らさず、最後まで頷きながら聞いてくれた。それが何より嬉しかった。
****
「今まで、お疲れ様でした」
私が全てをゲロって椅子の上でぐったりしていると、レーナちゃんはそっと呟いた。
「え?」
「私は口が達者ではありませんし、気の利いたことは何一つ言えません。だから、ありのままに伝えたいことを伝えます」
「……」
「この世界へ……私の元へ来てくださって、ありがとうございました」
「っ」
彼女の笑顔は尊いくらいに綺麗だった。こちらもあちらも全て含めた世界の中で、どんな存在より、一際美しく輝いていた。
きゅんと、胸の奥が締まるような感覚に襲われる。
やばい。すっごい……かわいい。
私の話に全部耳を傾けてくれたから、レーナちゃんへの愛が加速したが故にそう見えるだけなのかもしれなかったけれど。
そんなの、感謝するのは私の方なのに。
「来てくれたのは……レーナちゃんの方じゃん。レーナちゃんがただ隣にいてくれるだけで、私がどれだけ、救われてると思ってんのさ……」
「……ただで隣にいるつもりはありません。ご主人様の抱く気持ちは隠さず教えて欲しいです。ですから––––」
「なら、レーナちゃん。私はあなたが大好きです」
「……はい? えっと、家族愛の話、でしょうか?」
「違う」
この気持ちは、ずっと前に伝えた。けれど、きっとレーナちゃんには正しく伝わっていなくて。彼女の言う『好き』と、私の言う『好き』は別物だから。……だから、私は胸の中でより一層膨れ上がったこの恋情を、今一度最愛の女の子へぶつけた。
「家族なんて建前で、私はずっと下心しかなかった。最初に一目惚れして、あり得ないくらい可愛いレーナちゃんを好きになった」
同性相手にこんな気持ち変だって思ったけど、不思議と拒否感もなくて、これが私なんだってストンと納得できた。
「恋愛感情を持って、レーナちゃんのことが好きなの。大好きなの。今はもうどれが一番の理由かわからないくらい沢山の要素であなたのことが大好きで……抑えられないくらい、愛してて。同じくらい、愛してもらいたくて」
「……」
「前にも好きって言ったけど、あの時は恋愛感情云々は伝えなかったし、だからちゃんと伝わってなかったかもしれないから、もう一回言った。これが、隠さずに伝えた私の気持ち。まだまだ言い足りないけどね」
なるべく笑って言い切ったけど、正直怖くて心が潰れそうだった。
拒絶されたくない、受け入れられたい、遠ざけられたくない。
常識的に考えて、レーナちゃんが私のことを恋愛対象としてみてくれてることの方があり得なくて、だから拒絶される未来ばかりが見えていた。
つい勢いで言ってしまったけれど、もし軽蔑されたらどうしよう。死にたくなってしまうかもしれない。絶望の底が深すぎて、心がどんな形に落ち着くか、見当もつかない。
返事が聞きたくて、そして同時に返事は聞きたくないような、と相反する気持ちを胸に内包しながら、私は数十秒の沈黙を耐えた。
「……わかんないです」
その結果、帰ってきた返事は、あからさまに困った様子の表情に添えられていた。
あぁ、もう。やっぱりダメだったじゃん。
「わかんないです、わかんないですけど……胸の中がほわほわして、なんだか嬉しいような、切ないような……変な気分です。顔が、にやけそうになって止まらなくって……」
……あれ?
なんだか、様子がおかしい?
やんわりと遠ざけられるのかと思ったけど、もしかして、これは……。
「それは、レーナちゃんも私のこと好きだって、こと? 期待しても、いいの?」
脈ありって解釈でいいのかな……?
「……わかんないです……全然、わからなくって……」
ふるふると凄く必死な様子で首を振る彼女は、自分の胸の内を測りかねてもどかしく思っているように見えた。
「この気持ちは、ご主人様に抱きしめられている時の満足感に似ています。でもそれよりずっと大きくて……今この瞬間を幸せだと、そう思えるような不思議な気持ちなんです」
不可思議で未知の感情をその手に掴むように胸元で握り拳を作ったレーナちゃんだったが、私はそんな動作よりも、今の発言に引っかかるものがあった気がして、そちらに気を取られていた。
……『ご主人様に抱きしめられている時の満足感』、だと?
「……私に抱きしめられるの、いつも嫌がってるように見えたけど。……あれって演技だったの?」
「へ? あ……あぁぁああぁあぁっ……!」
私に指摘されて初めて自分が失言していたことに気づいたらしく、紅潮した顔を両手で隠してレーナちゃんは床に座り込んでしまった。耳まで真っ赤だから恥ずかしがってるのは誤魔化せてない。頭隠して耳隠さずだ。
「演技だったんだ」
「ちがっ……違くてぇっ! え、演技とかじゃ……恥ずかしくて素直になれなかっただけで、本当にそれだけでっ!」
必死に否定する声は、もう鼻声だった。
可哀想だから、今はもうこれ以上追求しないで背中をさすってあげる。でもまたいつか、追求するつもりだ。鬼畜と罵りたくば罵れ。私はレーナちゃんの本心が知りたい。
「……まぁでも、そっか。少なくとも、レーナちゃんは私の気持ち聞いても、嫌な気はしなかったんだ」
「うぅ……はい。それだけは、確かです。だからもう勘弁してくださいぃ……恥ずかしくて死にます……!」
「うん、わかった。今はそれだけ聞ければいいや」
「ふぇ?」
背中をさすっていた手が無くなったことに気付いたようで、レーナちゃんはそぉーっと両手を外して、顔を出した。
涙目で真っ赤で前髪が乱れていて。結構酷い顔をしていた。それでも可愛く見えてしまうのは、もうどうしようもなく惚れた弱みだった。
「その代わり」
「……?」
「すぐに私無しじゃ生きていけないくらいデレデレにしてやる! 覚悟してろよ!」
「はい!?」
宣戦布告だ。私はレーナちゃんから信頼の更に上の感情––––愛情を、必ず勝ち取ってみせる。
拒絶されないというなら、それを利用しない手はない。
過去も好意も全てぶち撒けた今の私は、もう怖いものなど無いくらいに開き直っていた。
もうやってやるもんね! 遠ざけられないなら、ウザいくらい擦り寄ってやるもんね! 嫌でも意識するようになるまで洗脳してやる!
「村でもラブラブアピールしてやるもんね! レーナちゃんのことお姫様抱っこしたまま村中駆け回ってやるもんね!」
「それはやめてくださいっ!?」
哀れなレーナちゃん。それが嫌なら早く私を好きになるのだ。
色々吹っ切れすぎた私の高笑いが響く屋敷の中で、レーナちゃんは顔を真っ青にしていた。
それでも若干満更でも無さそうにして見えたのは、きっと私の気のせいではない。
19.5:おしくらまんじゅう
****
「私のこと、早く好きになってっ」
啖呵を切ったその次の日から、ご主人様は豹変した。
性格の根本はそのままに、けれどやたら顔が近くなった。やたら体を擦り寄らせてくるようになった。
「ご主人様……暑いです……冬場が近いのにとても暑いです……」
現在も、彼女は二人用のソファの上で私の側へ体を寄せてきていた。胸元の柔らかいものが腕に当たって、不覚にも顔が熱くなる。
「おしくらまんじゅうって言って、私の故郷でも有名なものなの。寒い時に寄り添って互いの体温で温め合うんだよ。『おしくらまんじゅぅ押されて泣くな』ってね!」
「ご主人様の故郷の方々は頭がおかしいです」
「そんなことないよぅ。みんなやってることだからさ! 全然健全! 別に私がただレーナちゃんにくっつきたくてやってるわけじゃないんだよ! 勘違いしちゃダメだからね! むぎゅーっ!」
言いながら、腕の拘束が強まった。これで更に逃げ出せる可能性は低くなった。元より彼女の怪力を前に逃げおおせる可能性は零に等しい。
「つまり私にただくっつきたいだけなんですね、よくわかりました。とりあえず離してください」
「やだっ! 離れたくない! ずっと一緒にいなきゃダメ!」
「ご主人様、困ります……」
冷たくあしらっているように見えるかもしれないが、こうでもしないと雰囲気が甘すぎて呑まれてしまいそうになるのだ。砂糖対応には塩対応。ようは打ち消しているのだ。そうでもしないとご主人様があまりに愛らしく見えてしまって理性が飛びそうになる。
ご主人様も、それを察しているからこそ、より一層私の理性に揺さぶりをかけるのだ。
––––負けちゃ、ダメだ。
安易な気持ちで、ご主人様の想いに応えてはいけない。
その場の流れでなんて以ての外だ。ご主人様に強く想ってもらえていることは、彼女の誕生日によぉくわかった。だからこそ、本当に彼女を好きだと思えるまで、返事は心に留めておく。
だから、
「レーナちゃん、私のこと好きー?」
「……わかりません」
今はまだ、そう答える。
いつの日か、『わかりません』が『好き』に変わりますようにと、私は強く祈った。
じゃないとほんとに、私の理性が消えて無くなる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
甘いものに少量塩ふりかけても、むしろ甘味は増すんだよなぁ……




