0:出会い
ボキャ貧に語彙力の救済を。
異世界転移、なんて言葉を耳にしたことはある。
クラスの片隅で楽しそうに話している級友たちがいた。アニメや、漫画の話だと思う。
ああだこうだと激しく議論する姿を見据えれば、とても魅力的な事柄なのだろうということは容易に想像がついた。
まさか、自分が体験することになるとは思いもしなかったけれど。
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目が覚めれば不思議な紋様の上にいた。
「––––はいぃ?」
いや、覚めれば、と言う表現は正確ではないか。ほんの一瞬前、それこそ瞬きをするその瞬間までは私は年の離れた妹と、休日のひと時の中で仲良くテレビを観ていたのだから。
「え、どういうこと……?」
頭上から日光が漏れる。しかし周囲は真っ暗闇。申し訳程度に足元の紋様を囲う松明が複数立てられているが、光源はそれくらいか。
どうやら私は何処かの洞窟にいるらしい。天井は円形にくり抜かれていて、太陽の位置から昼時であることが察せられた。
ここはどこだ、だとか、もしかして寝ちゃって夢でも観てるのかな、なんて頭を回転させながら、あたりを見回せば、約二名私と同様に今目覚めたらしい少年少女が立ち尽くしていた。おお、同志よ。
「勇者の降臨だ」
不意のそんな声に導かれ、方向を探ればその先に奇怪な装いの老人一人。
彼は言った。
「あなた方は勇者様。この世全ての悪を打ち砕くため、ここに召喚されし異界の異能者である。
どうか、この世界の安寧のため、手を貸してほしい」
どういうことだと混乱すれば、まずはあなた方の力を示してほしい、と申される。
なんでも呪文を唱えると力の総量がわかるらしい。
命ぜられるまま、『異能の窓』と呟けば、目の前に大きなスクロールが出現した。
変な夢だなぁ、なんて漠然と考えながら、それを凝視して、
––––種族:人間族 称号:才能溢れる一般人
あれ、勇者じゃなくない? と、自分の称号を再度凝視した。
老人––––改め司祭さんが言うには、私は勇者探知時に他の二人と合わせて誤認された結果召喚された、紛い物の勇者だった。ただの巻き添えじゃないか。
それなりに強いが、この世の悪の根源––––魔王を滅するには至らない、半端者。
司祭はすぐに謝罪した。
こちらの誤りだった。申し訳ない。召喚は呼び寄せるのみの一方的なもので、貴方を元の世界に帰す技術はまだ確立されていないのだ––––。
そこで私はこれが夢ではないのだと悟った。
帰れないってどういうこと? もう家族にも友達にも会えないの? クラスメイトのみーちゃんにも、たえちゃんにも、野上さんにも、お母さんにも、お父さんにも、まだまだ甘えん坊で寂しがり屋な妹の萌香にも。
そんなの、酷い。酷すぎる。
「本当に、申し訳ない……」
罪滅ぼしなのか無難に済ませようとしたのかはわからないけれど、その後私は一人解放され、住む場所と当分の生活費を貰い、一般人として現地在住することになった。
「貴方の才能なら冒険者として生きていくことができるはずだ。生活に困っても、望めばできる限りの補助はすることを約束しよう」
そうして私は無責任に放り出された。
住む場所があって、生きる糧が手に入るとしても、私は独りになってしまった。
いざ頂いた住居は、おおよそ日本の一般的一軒家の数倍は広い木造の豪邸だった。
一目見て木唖然とし、最初に抱いた感想一つ。
『掃除する箇所、絶対多いじゃん……』
喜びよりも、面倒くささの方が大きかった。
明らかに一人暮らしには広すぎる外観で、孤独感も増し増しだった。
「あぁぁぁぁ……広いぃ……掃除する箇所やっぱり多いよぉ……料理作るために度々台所まで行かなきゃいけないのが遠くてめんどくさいし……料理もろくに作れないし」
簡単にこの家の不便さを纏めるとそれ。
他にも、ベッドが大きすぎるだとか、シャンデリアの掃除の仕方がわからないだとか、階段を螺旋状にする必要ないじゃん、とか。
現代日本の一般庶民女子高生には、少々扱いづらい物件だった。
母の偉大さを知った。
掃除の面倒くささ、相当な手間だろうに毎日出される料理。家事、その上子育て。
さらにそれを苦だとは一切言わなかったお母さん。素直に尊敬した。もっと親孝行しておけばよかったな。
最初こそ、習慣化しようと料理の練習だってしたし、近隣住民(とは言っても辺境なのでかなり離れてる)から越してきた挨拶ついでにレシピだって聞き出した。
掃除だってしたし、家事全般抜かりなくやろうとした。
けれども料理は上達せず、家事も一度気が抜けると『明日やればいいや』と後回しにして、やがて滅多にやらなくなった。
食事は酒場で取るようになり、眠るためだけに家へ帰り、後は冒険者として狩りに時間を費やす。
「このままじゃ、ダメだよね……」
やがてそう思い至る。
しかしどうしようか。
料理の上達を待っていたらそのまま人生が終わってしまいそうな勢いであるし(大袈裟じゃない)、最低限の家事はなんとかなるにしても、掃除の手が回らない。
人手不足だ、誰か労力がほしい……。
最近では冒険者として軌道に乗ってきていて、功績も積んでいる。一人暮らしとしては、かなり余裕のある稼ぎだった。ムカつくけれど司祭さんの言う通りになったのだ。
誰か人を雇おうか。
しかしこちらの世界での使用人への給金はそれなりに高いと聞くし、それが嵩めば稼ぎが足りなくなる。
どうしようどうしようと酒場の主人さんに相談すれば、
「そりゃぁオメェ、奴隷買えばいいんじゃね?」
「それだ」
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正直な話、人間を買う、という行為には少し、いやかなり抵抗がある。
けれども背に腹は代えられない。
奴隷は一人辺りの値段(本来はこんな表現だって使いたくない)が然程高くはないと聞くし、一度購入時に金額を払うだけで、それ以降は定期的に給金を支払う必要もない。
食事は一緒に食べればいいし、部屋なんて有り余ってるから、どこか良いところで寝かせてあげよう。
購入後の待遇を考え、拒否感を少しでも紛らわしながら、私は奴隷商の元へと向かった。
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「どんなものをお求めで?」
「えぇと……条件で、絞ってもらえますか?」
「お安いご用で」
人の悪そうな笑みを浮かべながら、ブクブクと太った奴隷商が、胡麻擂りしながら値踏みするように見つめてくる。
「私と同世代くらいで、できれば男性がいいです」
こちらの人々は、少し思想に偏りがある。
神々の信仰の仕方、多種族への強い差別など。
あまり高齢では、考え方が凝り固まっていて、軋轢を生みそうだ。
同世代で男なのは、ただ単純に力仕事も難なくこなしてくれそうだから、だが。
「はあ」
「今すぐ動ける人材で、家事ができれば、もうそれくらいで。……少し敷居が高いですかね」
「ふむふむ……すこぉし見てきますんで、お待ちを」
言い残して商人が裏へ回ってから数分後。
申し訳なさそうな笑みを顔に貼り付けながら、彼は戻ってきた。
「すんません客サン。どうも条件に合致するものは、ウチには居ませんようで」
流石に、家事ができて今すぐ動ける10代の男性なんて条件は、欲張りすぎただろうか。
「どこまで近い人ならいますかね」
「えー……と、十に満たない年の少年二人。後は、客サンと同世代程度で、少女が一人……」
「あー……なるほど」
ここは所謂辺境だ。
王都からの情報網からも外れているし、技術的に遅れている個所も多々ある。
奴隷商など、それこそ近くではここだけだろう。
この世界の、強化された私の脚力なら少し離れた街程度難なく移動できるが、そこで買う場合奴隷の消耗を考えると連れ帰るのは難しい気がした。
ならばここで買うしかない、か。
正直幼い子供と二人きりで暮らしていける自信はない。子供と暮らすのだからそれはつまり親代わりになるということでもあるだろう。妹の相手だってそこそこしていたけれど、それはあくまで姉としてだ。教育の仕方などまるでわからないし、誤った育て方をして性格を歪めてしまったらと考えると恐ろしくなってしまう。
彼が今挙げたのは、私の提示した条件から外れている箇所だから、その三人は総じて個人差こそあれ、家事ができるのだろう。
そしてもう一方の少女。
同世代だと聞かされたから、十四、五歳から十九歳くらいの間の年だろうか。
こちらに来てからは、生きることと孤独感をひと時でも忘れることに必死で、日夜冒険者稼業に勤しんでいたから、同世代の女の子と触れ合った経験は皆無だ。元の世界と距離感は同じでいいのかどうか。扱いに困る。
さて、悩むぞ。
頭を抱えはしないものの、うーうー唸りかけていた私に、商人はたった今何かを思い出したような白々しい表情をして、手を叩いた。
「あー、そうですそうです客サン。少女の方には、少し問題がありましたね……もしご購入されるのなら、格安で取引させていただくんですが」
「格安?」
「へえ。銀貨3枚なんてどうでしょう?」
「ぎっ、銀貨3っ……!?」
それはあまりに安すぎだ。私は頼んだことはないけれど、酒場でジョッキ三杯分エールを注いでもらうのと、大差ない。
人の命の価値とは、そこまで下落するものなのか。
その、少しの問題とやらに必然的に気が回る。
「その、少し問題がある、とは?」
「あぁ、とーぜんそこですよね。実はソイツ、エルフの先祖返りでしてねぇ……悪目立ちして、誰も買いたがらないんですわ。他種族差別の多いこのご時世、貴族サマなんぞは周りに亜人趣味、なんて思われたかないですからね」
「エルフ……」
小耳に挟んだことくらいはある。こちらでもそうだが、日本でも。
たしかRPGゲームなんかに使われやすいキャラクターだったという記憶。後は、耳が尖ってる? あまりサブカルチャーに詳しくないため、それ以上は記憶の引っ張り出しようがない。
「どうしましょう? じつは、売れもしないのに餌代だけは嵩むんで、不良品として、殺処分しようか迷っていまして……」
「殺……!? それってっ」
殺人じゃないか、と言いかけて呑み込む。
この世界ではこれが常識、当たり前なのだ。奴隷に堕ちたものは、もう人とは扱われない。
それでも、
「あっ……あの、やっぱりその子、一回見せてもらえませんか……?」
一度生き死にの選択の余地を委ねられて、回避できる術を持っているのなら、見捨てられる訳ないじゃないか。
「お安いご用で」
下卑た笑みを浮かべた奴隷商が、それこそ同じ人間であるとは、思えなかった。
****
「こちらで。……おい、早く来い」
「……はい、主様」
ローブで顔を意図的に隠されたその人物は、痩せ細って見るに耐えない有様だった。
腕、足はまるで小枝のよう。鎖骨など、浮き出てしまっている。
ひどく痛々しい。
「……初めまして。商品番号07です」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
内容の残酷さのせい、ではない。もちろんそれもあるだろうが、
「……客サン? どうされたんで?」
「ぇぁっ……? あ、あぁ、いえ、なんでもないです……」
少女の声が、あまりに綺麗だった。
鈴の音のような声とは、まさしくこのことを言うのではないか。
心地よい高音、まるで妖精が囁いたように美しいそれは、人間離れしていて、同性の私でも聞き惚れてしまうほど。
彼女が違う種族の血を引いているのだと、再認識させられた。
「それじゃぁ、顔、出しますね」
「は、はい」
バサリと後ろへ布が落とされれば、素顔が露わになる。
「っ……」
彼女はまさしく花の妖精のようだった。
––––こんなのは、反則だ。
手入れされていないであろうボサボサとした長髪は、それでも非生物的な色合いで、銀色で、まるで宝石を砕いてまぶしたように輝いている。
顔立ちも、やはり薄汚れてはいるが、整いすぎているくらいに整っていて、小さな口、痩せて痛々しい頰、大きく丸い琥珀色の眼、長い睫毛など、生気のないそれらは、だからこそというべきか、良くも悪くも人間離れしたその美貌を、痛々しく映えさせている。
有り体に言えば、とてつもなく綺麗で、可愛らしい。
鼓動が速くなる。顔が熱くなる。
一体どうしたというのだろう。
「……?」
怪訝そうに私を見るその眼。
まるで全てを諦めてしまったかのように悲観的で絶望的で感情が抜け落ちてしまったかのようなそれを見て抱いた感想は、『勿体無い』だった。
こんなに可愛い女の子なのに。こんなに綺麗なのに。
このまま絶望を抱いたまま『処分』されちゃうなんて、そんなのあんまりだ。
「あなたは、そのままでいいの?」
何気なく口をついた問いだった。
見るからに酷い環境で細々と生きている彼女は、現状を不幸だと感じているのか、否か。
「……っ」
尋ねられた彼女は僅かに息を呑んだ。
それだけで、何故か彼女の気持ちがほんの少しわかった気がした。
この子は現状を良しとしていない。変えたいと思っていて、それでもなお自分が無力だとわかっているから、何もできなくて。
––––手を、差し伸べよう。
感情が抜け落ちてるんじゃない。ただひた隠しにしているだけなのだ。
この子の笑っている姿が見たいと思った。楽しそうに、幸せに微笑んでる姿が。
––––うん、決めた。
「この子を下さい」
瞬間、吃驚したように大きくてまんまるな可愛い目を瞬かせた彼女が見えた。
まずは一つしてやったり。
これから一つずつ、あなたが色んな表情を浮かべられるようにしてあげるから、覚悟しててね。
特に私にはメリットなんてないかもしれない。
彼女はエルフの先祖返り。他種族差別の激しいこの国––––いやこの世界では、デメリットだって、あるのかもしれない。
それでもその時の私の心を支配していたのは、『幸せにしてあげたい』という、同性に抱くには些か奇妙な感慨だった。
文量は安定しません。極端な話、一万字行く話もあるかもしれませんし、千文字足らずの話もあるかもしれません。