17:はっぴーばーすでーとぅーご主人様 上
頭にちゃんとネタはあるし紙にも大まかにメモってるのに思うように文章にできない不思議。
なんとなーく新聞を読んでいた時のことだった。
この世界は印刷技術があまり発達していないらしい。故に、こちらの新聞は地球のそれの質には程遠いものだ。その割に地球の文化に似たものが数え切れないほど存在しているのだから、謎が深い。案外並行世界か何かなのかもしれない。
文面はといえば、勇者二人が魔王討伐を目指して邁進しているというもの。もうすぐ魔王城に到着! とのことだ。流石に世界規模の問題なだけあって、辺境だろうと情報は回って来るらしい。
別に親しいわけでもない、強いて言えば共にこちらへやって来た同胞というだけの関係だが、親近感は無くもないので、取り敢えず応援はしておこう。
月並みなことしか言えないが……大変そうだけど、頑張っておくれ勇者二人組。
「私、働きたいんですっ」
まぁ、勇者のことは置いておいて。
新聞はテーブルに置いて、お隣の可愛い女の子へと視線を向ける。
両手をキュッと強く握りしめたレーナちゃんが、そこにはいる。
「……あなたは何を言っているんだい?」
私は少し困惑した。
このワーカホリックは、一体何を思いついたというのか。
「えっと……まぁ、続けて?」
「そのままの意味です。私、働きたいんです」
「いやいやいや」
やる気に満ち溢れた様子のところ悪いが、このエプロンドレスの少女はもう十分に労働に浸った日々を送っていた。
最近増えた園芸は勿論、洗濯、掃除、食事の準備、食器洗い、買い出し……パッとあげただけでこれだけのことをしている。掃除だって最低でも屋敷の半分をいつも一日で綺麗にしている。それをほぼ毎日欠かさず、そしてクオリティを落とさず繰り返していた。こと家事をこなす速度に関しては、人外の域に達している。
「レーナちゃん、もう働いてるよね」
そう指摘すると、レーナちゃんは一瞬何言ってんだコイツとばかりに硬直したが、すぐ合点がいったようで、ふるふると首を振った。
「……え、あ、そういう意味じゃないんです。私、御給金の貰える仕事がしたいんです」
「な、に……!?」
それは、つまり。
「ここを出ていきたいということでしょうかっ!?」
「ふぇ!?」
出家か。出家して自由になりたいということなのか。
私という楔から解き放たれて、気ままな生活を送りたいということなのか。
「た、たしかにさ? 私もレーナちゃんが嫌がることしたりとか、大声でうるさくしたりとかもしたよ? くすぐって洗い物の邪魔だってしたし、ついサイズ的に膝の上に乗せたくなっちゃって、無理矢理私の膝に座らせてご飯食べたりとかもあったよ? だけど、まだここにきてから一年も経ってないじゃん? 出て行くっていうのは、そ、早計なんじゃないかなーって、わ、私は思うんだよっ……!?」
「ちょっ……えぇ!? 何か勘違いしてませんか!? わ、私この屋敷から出て行こうだなんて考えたことありませんよ? そ、それに膝の上のだって恥ずかしかっただけで別に嫌だったわけじゃ…………むしろ、嬉しかったんです、けど」
最後に何か付け加えていたような気がしたけど、声が小さすぎて聞こえなかった。
「じゃあ待遇に不満が? 確かに一人で給仕さん十数人分は働いてくれてるし……いつまでもお金払わずに家事させるのも、おかしいか。よし、私の全財産の半分を今からでも御給金として」
「そ、そういう話ではないんです。ご主人様から御給金はいただけません。ここに置いて頂けているだけで、もう十分すぎるくらいなんです」
そう断言する彼女の目に、嘘偽りの色は見当たらない。本当に、現状で満足しているらしい。
けれど、それじゃあ益々わからない。
「……じゃあ、一体どういうことなのさ」
この屋敷は出ずに、働いて御給金が欲しい。けれど私からのは受け取る気がない。
まるでなぞなぞだ、なんて考えながらレーナちゃんがどう返してくるのか静かに待っていると、
「村の方で、短期的に働きたいんです……!」
「……アルバイトかよぉ!」
心配して損したよ!
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話を聞くと、どうやら、レーナちゃんには買いたいものができたらしい。それなら私が買ってあげると言ったが、それでは意味が無いのだそう。
あくまで自分の稼いだお金で、というのが前提なのだ。
「つい最近知ったばかりで、間に合うかもわからないのですが……」
何やら意味深なことを言っていたが、稀に見る執念深さで半日かけて説得されてしまい、結局無理をしないという条件でアルバイトを許すことにした。何だか子供に強請られる親になった気分だった、悪くない。
「それなら大丈夫です。数時間程度のもので探すので、家事は今まで通りこなしてみせます!」
なんか恐ろしいことさらっと言ったよこの子。レーナちゃんはアルバイトと掛け持ちで、家事もきっちり取り零しなくこなすつもりらしかった。本当に、無理はしないでくれよ。それが一番心配なんだよなぁ。
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つい先日、ご主人様との何気ない雑談の中でとても重要なことを聞いた。
『もう十の月が近いよねぇ。私の故郷と同じ月の数え方なら、もうすぐ誕生月だなぁ』
どうやらご主人様はもうすぐ十八歳になるらしい。本当に何気なく昔を思い出すように言っていたので、何か贈り物を期待したわけでも、意識させたいわけでもないようだった。
しかし、聞いてしまったからにはもう忘れることも意識せずにいることもできない。
誕生日だ。年に一度の祝いの日だ。うんとご馳走を作らなければいけないし、何か贈り物も必要な大切な一日だ。
今まで生きてきた人生分の感謝を込めても足りないくらいに、私はご主人様へ恩がある。恩返しなど到底できるものではないが、ほんの少しでも報いることができたならと思った。
『レーナちゃんがいてくれるから、今年は誕生日独りじゃないんだね……嬉しいなぁ」
そこまで言うと、ご主人様は話題を変えてしまった。数ヶ月の付き合いで見慣れた笑顔に僅かな寂寥感が混じっているのに気づいてしまうと、額面通り喜んでいるようには思えなかった。
お金が沢山必要だ。
何か形あるものを贈りたい。感謝の気持ちを形にしたい。
折角の誕生日なのだから、寂しさなんて忘れて欲しい。
けれどご主人様から費用の援助を受けてしまっては、ただのマッチポンプだ。相手のお金で買ったものを相手に贈るなんて話にもならない。
ならば私は探すしかなかった。
誕生月の贈り物に必要な金額が貯まるまで、短期間雇ってくれる場所を。
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「レーナさんなら、いいよ」
「へ?」
村へ行き、まずは八百屋さんの老夫婦に、人手は足りているかと尋ねた。足りていなければ、雇って欲しいとも。
理由を聞かれて正直に答えれば、奥さんはニコリと笑って受け入れてくれた。
なんだか、呆気ないというか……」
「レーナさんはいい子だしね。確かにいつも変な袋を被ってはいるけど、礼儀正しいし、悪さをしたわけでもない。いいよ、明日からでも入れるかい?」
「は……はいっ。あの……ありがとうございますっ」
いつからか、『不審者さん』の呼称で呼ばれることは無くなっていた。
ご主人様が村に来ると大きな声で私の名前を呼ぶので、村の皆さんが覚えてしまったというのが一番だろうが、最近周囲から私に向けられる視線はより温かくなったように思える。完全に無害であると、信頼された証だった。
「それに、その綺麗な声で客引きしてくれたら、売り上げも上がるかもしれないしねぇ」
ねぇ、と奥さんが裏にいる旦那さんを呼ぶと、旦那さんも短く、あぁ、と応えた。
互いが互いに理解し合っている。長年連れ添った夫婦だからと言うべきか、旦那さんも私を雇うことに異議はないらしかった。
少し、涙が出そうになった。
「ありがとうございます」
改めてお礼を言うと、奥さんはいいのよ、と破顔した。
もう一度、涙が出そうになった。
この信頼だって、ご主人様がいたからこそ得られたものに違いないのだから。
私は、絶対に報いなければいけないのだ。
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「んぅ〜! やっぱりレーナちゃんのお料理は何回食べても飽きないなぁ! 何かくふうしてたりするの?」
「同じ料理でも、周期的に味を変えています。次にこれを出すときはあの調味料を少なめに、次に出すときは多めに、といった具合でしょうか。お仕事でお疲れでしょうし、できる限り食事を楽しんでいただきたいので」
「めっちゃ良妻だ!?」
「ふふふ……照れます。ご主人様がこうして褒めてくださるので、私もやる気が出るんです」
私は自然に笑みを浮かべた。
「それで、あの、短期仕事の件なのですが」
そう切り出して、私は八百屋さんの老夫婦が快く雇用してくれたことを話した。
ご主人様がいるから私も村の方々に受け入れられたこと。いつの間にか、呼称が変わっていたこと。
全部全部ご主人様のお陰なのだと、私は感謝を述べた。
「それ、レーナちゃんの日頃の行いが良いからだからね。勘違いしないでね!」
しかし、存外ご主人様は厳しい口調で、私の感謝を受け取ってはくれなかった。
「……どういうことですか?」
「最近は私が付き添って村に行く回数も結構減ってたでしょ。ここ数ヶ月で村の皆に信用されたのは、紛れもなく、レーナちゃん自身の人柄がいいからだよ。レーナちゃんの力なんだよ」
「私の……力……?」
そんなバカな、エルフの私にそんな力はない。人に疎まれることは得意でも、懇意になるのはどうしようもなく不得意なのだ。ご主人様のような存在すること自体が奇跡といっていい例外以外、本当の私を見て笑いかけてくれる者はいない。
「人は付き合ううちに見た目だけじゃなくて性格なんかも見てくれるようになるものだから。レーナちゃんの顔は麻袋で見えなくても、皆は態度を見てくれてる。『エルフだから』とかそういうしがらみ抜きに、ただのレーナちゃんを見てくれてるんだよ」
「ただの私、ですか。……そう、なのでしょうか……」
「そうなの! あのねぇ、何でもかんでもご主人様のお陰ご主人様のお陰って私を煽てるみたいに持ち上げるの、レーナちゃんの悪い癖だからね。自分が思ってる以上に、レーナちゃんて凄いんだから。謙遜は美徳だけど少しずつでも自覚していかないと、聞く人次第じゃ嫌味みたいに取られちゃうよ」
「そ、それは嫌です……」
無為に悪意は生みたくない。できることなら、出会う人々皆に笑っていてほしい。エルフの血を引くこの身に実現は難しいからこそ、強く願い望むのだ。
「でしょ? 自己評価アップは自分に自信を持つことにも繋がるの。例えば手っ取り早い話だと、自分に暗示をかけてみるとかどう? ほら、私に続いて繰り返してみて。私は凄い……私は凄い……」
「わ、私は凄い……私は、凄い……」
「そう。私は凄い……とてつもなく可愛い……世界一可愛い……なんでこんな可愛い生き物に生まれてしまったんだ……はぁ、レーナちゃんは可愛いなぁ」
「私は凄い……とてつもなく可愛い……世界一可愛い……なんでこんな可愛い生き……って、これじゃあ私はただの自己愛盛んな変人じゃないですか! しかも一番最後はご主人様の心の声でしょうっ」
「あははぁ、バレちったね。素直に私の言った通り行動しちゃうところも、やっぱりレーナちゃんは可愛い」
「……酷いです。弄ばれました。なんですぐ私で遊ぶんですか、やめてほしいです」
「これが私だから直しようがないぞ」
「そんなことで誇らないで下さいっ!」
えっへんと胸を張るご主人様に、私はつい強く言い返してしまった。
「もう……本当に、本当にご主人様はっ……」
けれど大声を出したら、なんだかモヤモヤしていたものが少しは薄れた気がする。やっぱり、ご主人様は凄い。こうなることさえ実は予想済みだったのではないだろうか。言っても買いかぶり過ぎだと一蹴されてしまうのだろうが。
煽てるみたいだと本人に言われてしまったけれど、私は本心でご主人様を尊敬している。私が受けた暖かいものは全て、例えご主人様のあずかり知らぬところのものであろうと、本を正せば彼女と出会ったことで生まれたものだから。
ご主人様がいなければ私はとうにこの世に存在しない身。私が今日笑って過ごせたという事実も彼女のおかげ。
いつか自分に自信を持てる日が来たとしても、私はきっとご主人様を尊敬することをやめない。
「怒らないでよもうー、可愛いなぁ」
「怒ってないですからっ……はぅっ……な、撫でないでください! それに私は可愛くもないです! ……もう、私は掃除をして来ます! だから離してください!」
「あらら、ツンツンしちゃったよ」
頭を撫でられるのは大好きだけど、ちょっぴり苦手でもある。
労わるような、女の人なのに硬めの掌が頭を伝って、やけにつむじを弄るのが好きみたいで、それもやっぱり気持ちよくて、あったかい気持ちになって、無性に甘えたくなって。
思えば今までの人生の中で誰かに目一杯甘えられたことはなかった。だからこそ無意識下で、甘える対象を求めているのかもしれない。
たまに制御できなくなりそうになるから、やるなら程々にしてほしかった。
「まあとにかく、自分のペースでゆっくり、だよ? 焦らないで、少しずつ自分を評価できるようになっていこうね」
「……はい」
「外で見聞きしたことでも、相談したいことでも、何かあったらいつでも言ってほしい。二十四時間いつでも聞くよ」
そう言ってテーブルに肘をつけてココアを口に含んだご主人様は、そのまま新聞紙に視線を戻してしまった。
いつもいつもおかしな事を口走る人だけれど。急に真面目になったりする、つかみどころのない人だけれど。
そんな彼女が、私はどうしようもなく好ましかった。
自分に自信を持つ、か。
こうした助言の繰り返しで、きっと私は変わっていける。
そう思わせる何かが、彼女の言葉にはあった。
「ふふっ」
やっぱり贈り物、うんと良いものにしなきゃだよね。ご馳走も、沢山作るんだ。
「何笑ってるのー?」
「な、なんでもありません」
何も言わないで準備したら、ご主人様吃驚するかな? きっとするよね。
日頃私で遊んでいるのだ、少しくらい、心臓に悪いことをしたっていいに決まってる。
これはいわば、お祝いであり報いなのだ。
恩と感謝と、日頃の鬱憤ばらしを綯い交ぜにした。




