16:花植え
短めです。
一人で村へ買い物に行くのにも、もうすっかり慣れたものだ。
何事もなかったように冒険者として復帰したご主人様は平日この屋敷にいない。寂しさがないと言えば嘘になるが、その思いを訴えるのは欲張りが過ぎるというもの。週に二日は側にいてくれるのだ、それ以上は望むまい。
それに私には、新たな仕事ができたのだ。
袋に入った種を一つ取り出し眺めながら、私は頰を緩めた。
目の前には大きな花壇が広がっている。屋敷を全方位から囲うようにして、設置されているそれは、以前まであった雑草を取り除かれて、新たな住人を待ちわびているように思えた。
『日差しが照りつけ始めたら無理せずやめること! レーナちゃんのお肌に毒だし、昼間に倒れられでもしたら誰も助けられないからね!』
ご主人様の言葉である。本来森の奥深くなど、日当たりの悪い場所で暮らすエルフは繊細な種族であり、夏場の直射日光などはあまりにも浴びすぎると倒れてしまう。人間も同じではあるが、明らかにエルフの方が耐性がない。もう季節は過ぎているが、彼女曰く心配なものは心配なのだそうだ。
だからこそ曇り空が多いのは本当に幸いだ。風も冷たいから、長袖にオーバーオールを着てもあまり暑くない。勿論帽子も被っている。
余談として、このオーバーオールは以前借りたのをそのままご主人様が貰い受けることになったものだ。
元々は八百屋の奥さんが子供の頃に着ていたものだったらしいが、だんだんとサイズが合わなくなっていき、押入れに仕舞っていたのをご主人様に渡したのだそう。お金も取らずに譲ってくれるなんて本当に良い人だ。今度御礼に焼き菓子を作って持っていこうと思っている。
閑話休題。
「うぅん……どうしたものかな……」
村で買った植物の子供たちの姿は、様々なタネに球根と多種に渡る。やがて咲き誇る花々の色を想定して、同じ色彩で統一して植えていくのが良いと考えるが、バラバラでもそれはそれで味があるとも思ってしまう。
こんな時ご主人様がいれば意見が分かれるなり同調してくれるなりして何かしらに方向性は固まっていきそうなものだが、
「……なんですぐにご主人様のこと考えちゃうんだろうな」
結局思考の行き着く先はいつもそうだ。私の頭の中は一体どうなっていると言うのだろう。何を考えてもご主人様ご主人様。一度自分で覗いて見てみたいものだ。
庭の手入れの仕方は私に任されている。どちらにせよ、ご主人様の意見は期待できないのだった。彼女曰くそういった美的センスは皆無なのだそうだ。
「……色を統一するところは統一して、バラバラのところはバラバラにしよう」
一人で結論づけられたのは、そんな妥協案だった。
意思決定に弱いのは染み込んだ奴隷根性故だと、誰にでもなく内心言い訳してみる。
****
奴隷としての私は、若干異様な扱いを受けていた。
その理由は勿論他種族の末裔だからだが、他の奴隷より激しく虐げられたこと以外に、一通りの家事をより深く叩き込まれたのだ。容赦の無い奴隷商は、覚えの悪い私をしこたま鞭で打ち付けた。物覚えの悪さは、そうして強引に矯正された。
少しでも技能面での価値を上げ、売り物になるようにと当時の奴隷商は考えたのだろう、既にたらい回しにされ続けて親戚という親戚に使用人のように家事を仕込まれていた私は、奴隷商の指導により一層能力を高めていった。
もっとも、いくら技術を高めたところで、この見た目では誰も買おうとは思わない。結局商人の努力も虚しく、殺処分一歩手前まで追い詰められたというわけだ。全て無駄に終わったと悟った彼は、それまでに無いくらいに怒り狂ったものだ。その時付けられた傷は、ご主人様の力でほぼ癒えたとしても、時折ズキリと痛む。
脂肪を蓄え込んだ件の奴隷商が、なんとか値段を付けようと努力せず、私を処分していたら。
もしご主人様が、あのタイミングで私を買ってくれなかったなら。
もし、私がそのまま親戚の元を転々とし、痛めつけられるだけ痛めつけられて力尽きていたなら。
今、この世に私はいなかった。偶然と必然と一握りの奇跡とで、きっと私は生き長らえた。
「植える間隔は……えぇと……えぇと……」
そんな私にとって、はっきり言って野外の土いじりは専門外だった。人を買ったり雇ったりする人間は、大抵庭師なんかを雇って手入れさせる。奴隷に花壇をいじらせたりはしない。
こんなことなら、花屋さんに育て方でも聞いてくるんだった。
しかし今から村まで行くのは非効率が過ぎる。万策尽きたとはこのことか。私は無知であり、花壇を前にするとあまりに無力だった……。
私にとてつもない期待を寄せている様子だったご主人様に、『奴隷は花を植えたりしない』という常識を告げることがなんだか酷に思えて、私は結局何も言えなかったのである。
言ってしまえば、失望されるのが怖かったのだと思う。
「……うぁぁっ、もう。全然わかんないよ……」
そのまま何も考えずに地面に倒れ込んで寝そべりたい衝動に襲われたが、生憎とここは芝生でも何でもなく、寝れば土で汚れるし洗濯の手間も増える。労働の量が増えるのはまあ、ご褒美とも言えるのだけれど。自分から衣服を汚すのは、何か違う気がする。
物覚えこそ早くなったが、それはあくまで受動的に何かをこなすのが多少上手くなっただけのこと。能動的に思考し、新たな事柄を実行するのは苦手だった。
––––しかし、まぁ、
「自分一人でやらなきゃ、何も決められないまま変わらないよね……」
ご主人様は、何ヶ月も前に言った。
私はもう奴隷じゃない。ご主人様の家族であると。
春のあの日、私は確かに奴隷をやめたのだ。
『家事をしてほしい』と、お願いこそされた。けれどもそれは命令じゃない。私は確かに、自分の意思でこの屋敷に残った。自分の意思で彼女を『ご主人様』と呼び、この家で暮らすことを決めた。
そんなの後から取って付けたこじつけだ、なんて言ってしまえばおしまいだけど。
それは確かに私に初めて許された自己の決定、意思の決定だったと思うから。
「やるんだっ……打倒、花壇っ」
座り込みそうになっていた足を鼓舞して強く地面を踏みしめ、私は片腕を高く掲げた。闘う相手があまりにちっぽけだった。
人生を左右する選択すら出来たのなら、タネや球根の植え方を自分で考えて選択し、実行することなど造作もないに違いないのだ。……ち、違いないのだ。
––––さて。ではまず、
「アネモネとデイジー、どっち先に植えよう……?」
前途多難だった。
****
「お、おわったぁ……」
初心者も同然なので、買う種と球根の数は合わせて二十個ほどに抑えておいた。上手くいったらもっと買っていいかご主人様に聞いてみよう。
「アネモネに、デイジー。ワスレナグサに、ミヤコワスレ……!」
一つ一つ植えた場所を確認しながら、様子を見る。
あぁ、早く生えてこないだろうか。確か、どれも春には咲く花だったはずだから、上手く咲くタイミングが重なれば、小さな花畑が生まれるということだ。
楽しみだ、自分の意思で決めて作り上げた花畑。お水はきちんとあげて、肥料も与えよう。
早く春にならないかな。
まだ秋になったばかりだというのに、そんなせっかちな気持ちになる。
どんなに綺麗な花を咲かせるんだろう。ご主人様にも見せたいな。ご主人様と一緒に見たいな。
「––––おーい、レーナちゃーん!」
そうして春の花々に想いを馳せているうち、遠くから彼女の声が聞こえた。
もう夕方になってしまったらしい。早く道具を片付けて夕飯の準備を––––って。
「……どうしよう、夕ご飯つくってないっ!!」
しまった、やってしまった、土いじりに集中し過ぎて基本の家事しかやっていない。
彼女––––ご主人様はすでにすぐ近くまでやって来ていた。もう取り繕う時間は残っていない。正直に言うしかなかった。
「レーナちゃん、まだ作業してたんだ?」
夕食が出来ていることを少しも疑っていない様子でご主人様は話しかけてくる。
「は、はい」
「どう? 植えられた?」
「はいっ! それはもう! ……ですが」
「ですが、何?」
「お夕飯、作り忘れました」
「……」
ご主人様は、硬直した。
「……レーナちゃん、デコピンしていい?」
「……気の済むまで、どうぞ」
その夜、ペシペシと奇妙な音が、屋敷の中で鳴り続けたという。
番外編って需要あるのかな。ていうかこの作品自体需要あるのかな?
レーナちゃんがもし地球にいたらという体で書いたifの話が一応あったりはするんですけども、投稿しない方がいいのかなーとか考えたりします。
追記)ブックマーク60件ありがとうございます。