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11:自覚?

「あーん」


 差し出されたスプーン。そこには、ぽわぽわと湯気を上げる、温かなシチューが乗せられていた。夏でも美味しく頂けるのが素敵。

 口元に寄せられたそれは、私の鼻腔を存分に擽り、ほぼ反射的にかぶりつかせる。


「あーん……はふはふ」


 出来立てよそい立てのシチューは熱々で、火傷しそうになるが構わず味わう。

 トロトロのスープに、口の中でほろほろと繊維を崩すお肉。芋も柔らかくなっていて、新鮮な野菜の甘みだって感じられる。美味だ。


「自信作なんです。美味しいですか?」


「おいひいよぅ」


「ありがとうございます、えへへ……あ、お口が汚れちゃってます、綺麗にしましょうね」


「ありがとう」


 布巾で拭われる。気分も口元も少しくすぐったい。まるで介護されているかのようだ。しかし悪い気もしない。


「いえ、私がやりたくてやっていることですから……」


 そうしてレーナちゃんは最近よく見せる幸せそうな笑顔を浮かべた。


「あはは、可愛いかお」


 つい、撫でたくなってしまう。


「ひゃっ……ほっぺ、くすぐったいですよ……」


 頰に触れたら体をよじらせる。が、逃げようとはせず、されるがままになっている。

 恥ずかしがるわりに、別に嫌がるそぶりも見せない。まるで小動物を愛でてるような気分になる。色合い的に一番近いのは子猫ちゃんかな。

 自然と見つめ合うみたいになって、どちらからともなくはにかみ笑いを浮かべた。

 なんだこの甘い空間は、なんてふと思う。

 当たり前のように私たちは今このやり取りをしていたけれど、ちょっと前までレーナちゃんにここまで構ってもらえるなんて、あり得なかったことだ。今までは私がレーナちゃんに一方的に踏み入ってたから。だからこそ、すごく嬉しい。


「もう一口、いかがですか?」


「ください」


「はい。……あーん」


 雰囲気はそのままに、次が放り込まれる。

 そういえば、結局アルップの時も丸ごと八つくらい食べさせられた。もう食べられないと、差し出される赤い果実から顔を背けるたび、しゅんとレーナちゃんは落ち込んだように俯いてしまうので、渋々詰め込むしかなかった。完食後は胃が苦しくて、お腹の傷が開くかと思った。あはは……流石に笑えない冗談だ。

 まぁでも、レーナちゃんのお料理は美味しいから別腹なのだ。いくらでも食べれる。


「あーん……はふあふ……んぐ」


「美味しいですか?」


「おいしいよー」


「えへへ、そう言ってもらえるとすごく嬉しいです」


「あははぁ、それくらいならいくらでも言ってやるともさ。ほれ、もっと喜ぶんじゃ」


「もう……調子いいんですから」


「そういうのは嫌?」


「っ……い、嫌じゃ、ないです……けど」


 レーナちゃんは本当に可愛いなぁ。

 態度の方はだいぶ軟化して素直になってきたのに、やっぱり口調は照れ屋さんのままなのだ。初々しさを失わない精神もいいぞ。



****


 「……」


 それから数時間後。

 体を動かせないというのはひどく不便で退屈だ。

 いや、動かせない、という表現は正確ではないか。一応動かすことはできる。ただし途端に腕の傷が開いて治癒魔法もおじゃんになるが。それ程までに深い傷ではあるのだ、ただ魔法の効果が圧倒的なだけで。

 レーナちゃんは甲斐甲斐しく私の世話をしてくれる。

 さっきだって食事の際は全て手ずから食べさせてくれた。腕を動かす作業が必要になるからだった。そこまで細かく徹底しなくても少しの動作なら傷も開かないと思うのだが、レーナちゃんはその甘ったれた考えを許さない。

 曰く心配させないで欲しい、とのことだ。切なげにそう言われてしまっては、私は何も言えなくなる。やや過剰だとは思うけれど。

 その他、お椀に直接顔を突っ込めば自力で食べられないこともなかったが、文明人として最低限度のプライドが私にその行為を許さなかった。

 無事食事が終わった後も、家事が一つ終わるたびに、レーナちゃんは私の元へニコニコしながら様子を見にやって来る。

 何度かそんなやりとりを繰り返した頃、しばらく私の様子を伺っていた心配性な彼女は、不意に船をこぎ始め、最後にはベッドの隅に腕を乗せて眠ってしまった。


「すぅ……すぅ……」


 顔は横に向けて寝ているため、すやすやと気持ちよさそうな整った顔立ちが、視界へ飛び込んで来る。


「疲れてた、からだよね」


 誰に肯定して欲しかったかもわからないその問いは、返答もなく搔き消える。

 よく見れば、レーナちゃんの目の下には薄く隈ができている。昨夜からよく寝ていなかったのかもしれない。白い肌に合わないその黒ずみは、私の心をチクリと痛ませた。


「……心配してくれてありがとう」


 規則正しく上下する背中を軽く撫でてやる。少しだけ目元が緩んだように思えた。

 しかし心配してくれる人がいるというのは、やはり良いものだ。当人たちにしてみれば、勘弁してくれと言いたいところだろうが。

 こちらとて極力迷惑はかけたくないけれど、かけたらかけたで思いやってもらえるのが嬉しい。人の心は複雑なのだ。


「……はなれないで……くださぃ……そばに……」


 寝言だ。夢の中の誰に向かって言っているのだろうか。

 私に向かってだと良いな。言われなくても絶対離れたりしないけどさ。

 自分に送られたものと判断して、勝手に返事をする。


「離れないともさ。レーナちゃんがいなくちゃ私は寂しくて死んじゃうよ」


 本当は寝言に返事するのは良くないと聞くけれど、寝言にしか明確に本音を表してくれない人が相手なら、致し方ないと思う。

 甲斐甲斐しくしてくれるのは嬉しいけれど、もっと言葉でも表して欲しいよ。


「……えへへぇ……」


 聞こえたわけじゃないだろうけど、頰の緩んだのが見えた。夢の中の私は上手くやっているようだね、グッジョブ。

 レーナちゃんの頭の中にいるもう一人の自分を労うように、柔らかな銀髪に優しく触れた。

 初めて撫でた時の感触だってよーく覚えている。その時はゴワゴワで、髪も傷んでお世辞にも触り心地は良くなかった。よくぞここまで綺麗な長髪に戻せたものだ。もはや何らかの方法で宝石を絹のような繊維に作り変えたと言われても疑わない。それに合わせての恐ろしく整った容貌。人の手で生み出される美術品など足元にも及ばぬほどの、圧倒的美の暴力。可愛さの権化。まだまだ背も小さくて美より愛嬌の側面が強い彼女だ。これからもっと綺麗になるだろう。やれやれ魔性の女め。


「……おっと」


 そこで不意に、私の腹部からきゅぅーっと鈍い音が鳴った。……本当に呑気な体だ、どうやら空腹らしい。

 窓の外は、見れば朱色の光が西の空を包み始めている。もう夕方、それも夜を間近に控えた逢魔時の頃合い。

 ––––ちょっとくらい、何か摘んでもいいよ、ね……?

 夕食まで持ちそうにない。レーナちゃんは昼食、私の身体を気遣ってあまりボリューミーなものは用意してくれなかったので、普段身体を動かしている分、ちと物足りなかったのだ。

 お台所に行ってみよう。少し食料を漁るだけだ、大丈夫大丈夫……。

 するすると物音を極力立てずに寝床を出ると、


「どこへ行くんですか、ご主人様……?」


 パチリと開いたその綺麗な琥珀色の瞳が、不安げに私を見ていた。起こしてしまったのか。

 そんな段ボールとともに見捨てられる寸前の子猫みたいな目で見ないで。なんだか悪いことしようとしたみたいじゃないか。……事実盗み食いは悪いことなのだが。


「えぇと、その……お腹が減ったので」


 なんだか恥ずかしくなって頰を指で掻きながら言う。食い意地張っててすみません。


「それって…………えっ、もう夕方なんですかっ!? すみません、気づかずに居眠りなんてしてしまってっ。すぐに何かご用意します、待っていてください……!」


「あ……」


 窓の外を一瞥した後、やや乱れていた銀髪や、服装を手早く整え、有無を言わさずレーナちゃんはパタパタと部屋を出て行く。

 本当はもう少し長く、そしてちゃんとした場所で寝かせてあげたかった。物音に敏感な子なのだろう、奴隷時代の生活の名残なのかそれとも生まれながらなのか。ともあれ次があれば気をつけよう。

 しかし、

 

「なんで、ちょっと顔赤かったんだろ……?」


 部屋を出る彼女の丸い頰は、ほんのり赤らんで見えた。

 恥ずかしい夢でも、見たのだろうか。


****


『離れないともさ。レーナちゃんがいなくちゃ私は寂しくて死んじゃうよ』


 微睡む中で聞こえたそのセリフは、ご主人様らしく優しすぎる響きを孕んでいた。


『……えへへぇ……』


 ––––寂しいのは、離れたくないのは、私だけじゃないんだ……。

 独りは寂しく寒々しいものだ。しかし今まで生きてきた中で特別心を許せる存在がいた試しがない私には、少しばかりご主人様の優しさが温かすぎた。とろとろに溶かされてしまいそうになる。

 依存して、無意識に甘えそうになってしまうのも、仕方のないこと。

 特に彼女への依存は、今回の件で拍車をかけて肥大化したように思う。

 彼女がいつも無事に帰って来るとは限らない。場合によっては腕の一本を失って帰るかもしれないし、最悪生還もできないかもしれない。それを身を以て知った。そんな稼業、そんな職業なのだ、冒険者とは。

 血溜まりの中へ倒れて動かなくなった主を想像して、恐ろしくなる。

 ––––常に一緒にいたいなんて考えは、私のただのワガママだ。

 でも、せめてこの二週間のあいだだけは。

 側にいさせて欲しい、孤独感を埋めさせて欲しい。

 そうすれば、また以前のようにご主人様を毎朝見送れるようになるはずだから。


「さっき……頭、撫でてもらえた……えへへ、えへへぇ……」


 曖昧な意識の中でも確かに感じられた彼女の手の温もりを思い出す。

 ほんの些細なことのはずなのに、こんなに幸せなのは何故?

 ダメだ、最近私のほっぺたはなんだか調子がおかしい。すぐ緩む、すく変な顔になる。元々化け物顔ではあるけども。


「ふへへぇ……」


 以前のように引き締める事ができないのだ、ちょっと気を抜いて、ちょっとご主人様のことを考えると……えへ、えへへ……。

 歴代の主人達の暴力にも耐えてきた歴戦のほっぺたであるはずだった。全身に走る痛みにも完璧に耐え抜き、ピクリとも動かさず乗り切ってきた百戦錬磨のほっぺたのはずだった。

 それが、何故ちょっと優しくて彫りが浅い愛らしい顔立ちでいつも笑ってくれて私を気にかけてくれて離れないと言ってくれた程度の同性のスキンシップに、負けてしまうのか。


「ご飯作らなきゃなのに……ご主人様が頭から離れない……なんで……?」


 今まで彼女に撫でられて照れることはあっても、ここまで重症になることはなかった。近頃は、むしろ慣れて受け流せるようにすらなっていた。

 頭がマトモに動かない。バカになっている、ご主人様のことしか考えられなくなっている。


「くるしい……胸の中、きゅってなっちゃう……」


 私の身に何が起きているというのか。比喩なんかじゃない、物理的な締め上げるような痛みに、胸の深くが悲鳴を上げている。

 そして、キュンと締まるようなその感覚の中に、僅かな心地よさがある矛盾。

 この痛みは何で、このニヤけるような気持ちはなんなのか。平静じゃいられない。ご主人様のことを考えずにはいられない。もしや何らかの呪術か病なのか?

 正体がわからず、けれど怯えに繋がるような不安な痛みでもなく。

 その日は困惑するまま、ご主人様の顔もロクに見られず終わった。

もうとっくに数々の行動がレーナちゃんの琴線に触れまくっていたところへいつも通りご主人様が優しくしたので、何気ない一幕で気持ちが決壊しました。優しさと善意に弱い子です。

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