9:朝泣く二人
毎日投稿できてクオリティ保てる人はやはり私生活捨ててるんじゃないかと思った。
「ちくしょう……あいつら絶対取っちめてやる……!」
「まあまあ」
玄関で靴をやや乱暴に履きながら、ご主人様は珍しく苛立っていた。
今日は週に二日の休日の一日目。本来は彼女も羽を休め、屋敷の中でゆっくりするところなのだが、
「休日に緊急で討伐の依頼が舞い込むって、どういうことじゃぁぁぁあっ!!」
つまり、そういうことらしい。
どうやら冒険者ギルドに呼び出されたようだった。
何でも、森の最深部でオーガが複数体出現したらしく、放っておけば近隣の村に被害が及びかねない、というお達しとのことで。
休日出勤を求められた彼女は、それはもう怒り狂っていた。
「怒りの矛先がおかしいです。今回は誰も悪くないじゃないですか」
ギルドの方が直接連絡に来たのがつい先程。
最低限の情報だけ伝えると、すぐにすっ飛んで行ってしまった。なんでも他の近隣の冒険者にも伝えて回らなければならないらしい。疲れて倒れないといいけれど。
ともあれこんなギリギリにやって来たということは、ギルド支部でも切羽詰まって仕事に連絡にと立て込んでいるということ。むしろ同情して然るべきだ。彼らには週二日の休暇など無縁なのだろう。奴隷の重労働に通ずる闇のようなものを感じる。
強いて悪者と定めるならば、発見されたオーガ達だろうか。
「だけどっ……レーナちゃんが近くにいない休日なんていやじゃぁぁぁぁっ!! うわぁぁぁんっ!!」
子供だ。駄々をこねる子供がいる。
「びぇぇぇぇんっ!」
「し、しかも、本当に泣いてる……」
よっぽどショックだったらしい。まぁ、今日は二人で村まで買い物に行こうと約束していたからというのもあるだろうが。……私も少し悲しいし。言わないけど。
「買い物なら来週一緒に行けばいいじゃないですか。今日は私一人で行きますよ」
「うっぐ……ぐすっ」
「お弁当だってあります。それを私だと思って、頑張って下さい」
「レーナちゃんは、お弁当……?」
「そうです。私はお弁当です……あれ?」
「ぐずっ……うん、わかった……わたし我慢する。レーナちゃんのこと、ちゃんと味わって食べるからね……」
「は、はい……?」
なんだかおかしな意味合いになった気がしたが、素直に頷いてくれたので、ご主人様より背の低い私は、精一杯背伸びして頭を撫でてあげる。嬉しそうに頰を緩めた。……うぅん、幼児退行。かわい……くはないよね、うん。
「……ふぅ。そうと決まれば、パパッとやっつけてくるから、待っててくれたまえよ!」
おおう、元気を取り戻すのが早い。見習いたいものだ。
ともあれ本調子とは行かないまでも、ご主人様は立て直したので、見送りの挨拶と行こうか。
もはや意識せずとも浮かべられる笑顔と、振られる手。それらに、言葉を添えて。
「ご主人様、いってらっしゃいませっ」
「うん、行ってきます!」
****
「あら不審者さん。今日は一人かい?」
「は、はい。ご主人様は、本日出かけられているので」
もう随分と前にこの呼称は定着したのに、未だ不審者さん呼ばわりされる度苦笑いを浮かべてしまう。まあ、相手には見えないのだが。
ここは八百屋さん。屋敷より程近い村で、仲睦まじい老夫婦が営んでいるお店である。
この村での私の呼び名は『不審者さん』だ。由来は、その格好からである。
顔を見られたくないからと、頭に装着した麻袋。性別は声質から分かるが、年齢不詳。袋に空いた穴から覗く琥珀色の瞳。不健康な白い肌。謎のエプロンドレス。経歴不明。住処は丘の上の屋敷。そこでの立場も不明。
以上の要素から、村の皆さんから見て私はどうしたって不審者なのだ。
「今日もいつものやつで大丈夫かい? ここまで来るのは暑かったろう、なんならサービスするけど」
「あ、いえ。お気遣いなく……」
とはいえ、不審者呼ばわりはもはや愛称の様なものと化している。危害を加えるでもなく、マナーがなっていないわけでもなく、ただ定期的に村へ訪れては買い物をするだけなので、いつからか村人さんたちは警戒を解いてくれた。
「遠慮しなくていいのに。……はい、これ。レテスとキュビツとマトトとガリイクと……」
紙袋を手渡しされ、中身を念のため教えてもらう。
代金を支払い、たとえ見えないとわかっていても、薄く笑顔を浮かべて頭を下げた。
「ありがとうございます、来週もまた来ますね」
「えぇ、またいらっしゃい」
顔を見せなくても、この村の人たちは優しい。
****
通りを歩くだけで、何人もの人から声がかかる。
「不審者さーん! 寄ってかないかー?」
「あ、いえ! 今日は食材の買い出しだけですので!」
「おーい不審者さん! 麻袋の下どうなってるのー?」
「……ひ、秘密です」
「わぁっ、ふしんしゃさんだぁ! ふくろとっていーい?」
「ダメですっ」
「お、不審者さんいい所に! これ、サービスだから。またウチにも寄ってくれよ!」
「わっ、ありがとうございます」
****
「疲れた……」
村の端にある小さな遊び場。
簡易的な木造アスレチックのあるそのスペースの片隅で、私はベンチに座り込んで息をついていた。
この頃は体力がどんどん減っていくばかりだ。少し歩き続けるだけで、消耗してしまう。
元々、同じ年の同性に比べ、体力には自信があったのだ。奴隷時代の労働環境は劣悪で、少ない食料の中で常人の何倍もの仕事をこなさなければならないから、必然忍耐力も上がり、足には筋肉こそ栄養不足で付かなかったものの、確かにしなやかになっていた。
それがどうだろう。これではまるで、幼少期に戻ったようだった。力仕事も最近はロクにしていない––––というよりご主人様にさせて貰えない、の方が正しいか––––から、下手をすれば村娘より筋力がないかもしれない。
しかし、疲弊する身体とは裏腹に、心はそんな事実に喜びを覚えていた。
「ふぅ……ちょっとのことで疲れるってことは、それだけ良い環境で暮らせてるって、こと……」
金持ちの子女にまるで体力がないのは、周囲の環境に著しく恵まれているからだ。
私はご主人様に出会うことができた。彼女とともに暮らせて……それに比べるなら、労働能力を一部失ったことなど、些細な問題だろう。私にはまだ家事をこなす力は残っている。彼女の役に立てる。
この身体能力の低下は、ご主人様との繋がりの証でもある。大切にされている、庇護されていると実感できるのだ。
「本当に、いいところ」
呟きながら、遊具に群がってきゃっきゃとはしゃぐ子供たちを眺める。
本当にこの辺境の地は温かくて優しい場所だ。
顔も見せない私に親切にしてくれる人が沢山いて、子供が縛られることなく辺りを駆け回れて、そして何よりご主人様がいる。
この平和な村の中で、麻袋を外して顔を晒せばどうなるかなど自明の理だが、それが普通の人間の反応。ご主人様が異常なだけ。
顔を見せなければ、村の方々も私に親切にしてくれる、そして深く踏み入ってもこないだろう。
だから、私はご主人様にだけ、心を開くのだ。
****
屋敷へ戻る頃には辺りは真っ暗。これは、ご主人様の方が先に帰って来ているだろう。
「夕飯遅くなっちゃうかなぁ……ご主人様お腹空かせてるよね……」
ならば急がねばなるまい。休日出勤で苛立っていたし、彼女の好物を沢山作って機嫌を直してあげねば。
「ただいま帰りま……あれ?」
言いながら扉を引こうとするが、ガチャンと固定されている。まだ、帰って来ていない?
まさか、と思いながら私は足元のマットの下を探る。
いつもの場所に、鍵があった。
「え……」
それを抜き取り、ノブに挿しこみ、屋敷へ入る。やはり、灯りもついていない。本当に帰って来ていない。
「ご主人様……」
オーガの討伐に、苦戦しているのだろうか。たとえ何があろうと、彼女は夕方には屋敷へ帰ってくるのだが。
以前ご主人様はこの周辺の中でも、かなりの技量と強さを誇る冒険者だという話を本人から聞いたことがある。
変な嘘をつく時もある可笑しな人だが、そう言った己の立場などの重要な情報に関してははぐらかす事こそあれ、虚偽の申告をする人ではなかった。
もしご主人様でさえ手に負えないレベルのモンスターが出現したとしたら? ……今頃、彼女は?
「っ……そんなこと、あるわけない」
一瞬、嫌な想像をした。
駄目だ、言霊もあれば想像が現実と化すことすらこの世にはある。望まぬ事柄など、思考に浮かべることさえ害悪だ。
私がするべきは、彼女が無事に帰ってくることを信じて、
「ご主人様……」
ただ、待ち続けることだ。
****
夜通し起きて鳥の囀りを耳にしたことなど、それこそ数える程しかない。
奴隷には稀にあることだが、ここへ来てからは不眠などあり得なかった。
「ご主人様……」
日は昇る。鳥は鳴く、羽ばたく。けれどもあの、邪気の無い元気な声だけは、聞こえない。
彼女はまだ戻ってこない。流石にこれはおかしい。
「ご主人様っ……」
オーガはどうなったのだろう。何体出現したのだろう。何人の冒険者が討伐へ赴いたのだろう。
森はどれほど広いのか。木々に阻まれ上手く身動きを取れないということもあり得る。本来の実力通りに立ち回れないことも考えられる。
彼女はそこでどう戦ったのか。満足にやり合えるのか。圧倒されてしまわないのだろうか。
そもそも彼女には荷が重いのではないだろうか。まだ誰がどう見ても十代の非力な少女だ。いくら強くとも幼い。彼女は複数体の化け物を相手に、果たして戦意を失わずにいられるのか。
そもそも彼女が一晩屋敷を空けたことなど、一度も無かった。あり得なかった。彼女は何より、私と共に囲う夜の食卓を楽しみにしてくれたから。
彼女は無事なのか。
彼女は何か大怪我をしたのでは無いか。
彼女は今苦しんでいるのでは無いか。
彼女は、彼女は、彼女は––––。
濁流の如く嫌な予感の群れが、思考を侵食する。もはや帰宅が遅れる理由など、アクシデントが起きた以外にあり得ないと言わんばかりに負のイメージに晒される。
––––彼女は、今ちゃんと生きているのだろうか。
オーガに、殺されてなんていないだろうか。
もしこの想像が、現実のものになってしまったら。
「また独りに戻されるなんて、嫌だっ……」
それは心の叫びだった。寝不足で覇気は無い、けれど偽らざる本心だった。
私を檻から連れ出して、鬱陶しいくらいに撫でたり、抱きしめたり。親でさえ教えてくれなかった熱を、私に刻み込んだくせに。愛情を、刻み込んだくせに。
与えるだけ与えて依存させておいて、急にいなくなるなんて最低だ。
やっと出会えた、たった一人きりの理解者なのに、最低だ。
「ご主人様なんて––––!」
喪失感に正気を忘れ、思ってもいないことをぶちまけようとしたその時。
バァァァン、と扉の開け放たれる音がした。
「––––ただいまぁー!! いやぁ、手こずった手こずった! あいつら数十秒おきに無際限かってくらい湧いてくるんだもん。結局枯渇するまでぶっ殺してたら朝になっちゃったぁー!!」
「……ふぇぇ?」
間髪入れず、やけにハイテンションな女の声が玄関より居間まで響き渡る。
「あ……」
次の瞬間、私は何かに取り憑かれたように、重い頭を振りながら、一心不乱に音源へ駆け始めていた。
「––––ご主人様っ!?」
角を曲がって玄関へ躍り出ると、
「はい、そうです。私がご主人様です。……ただいまぁ、レーナちゃん。ちょっと遅くなっちゃった。あはは……ごめん、心配させたかな」
全身血みどろの彼女が、そこにいた。
相当に疲弊している。返り血以外にもよく見れば顔にも腕にも足にも裂傷だらけで血だらけだ。緊急性の重症でもないが、流血を放っておけば、失血死しかねない大怪我だった。
テンションの高さは、寝不足であること以外にもおそらくは虚勢を張っているからだろう。
無事ではない、怪我まで負っている。
けれど、生きて帰ってきてくれた。
「う、あぁ……ぁ、ぅあぁああっ……!」
「うぇっ!? レーナちゃんなんで泣くの!?」
「だっでぇっ、帰って……がえっで、ぎっ、ぎで、ぐれ、だがらぁぁぁ……!」
私は情けなく泣き崩れる。
なんてことはない、いつも通り仕事をこなして、ご主人様が帰ってきただけのこと。なのに。
私は安心したのか足に力が入らなくなってその場にへたり込むと、ご主人様もしゃがんで頭を撫でてくれた。
「随分、心配させちゃったんだね」
「死んでしまったかと……!」
大袈裟に考えすぎだったのかもしれない。けれど、私たちが出会って、一晩まるまるご主人様が屋敷へ帰らなかったことなど、この数ヶ月に一度たりともなかったのだ。不安にもなる、嫌な想像だってする。
「今回はあくまで数の暴力だったからね……別に、三メートル級のオーガ10体程度とかなら瞬殺できたんだけど……」
「ご主人様ぁ……ご主人様ぁっ、本当に、よかったぁっ」
ご主人様の言っている言葉なんて耳に入らない。ただただ安心して、その熱を、体温を確かめるだけの行為に夢中になってしまう。
「うぅ……」
寂しかった。凄く人肌が恋しい。
初めて彼女を自分から抱きしめる。あったかい。血の臭いに混じって、微かに優しい香りもする。胸の中までポカポカして、最高に幸せだった。
「あらら……今朝のレーナちゃんは、ずいぶんと、甘え、んぼ、さ……ん……」
「へ?」
ご主人様はそれを言い切ることなく、唐突に膝を崩して倒れ込んだ。正面に抱きついていた私は、彼女に押し潰されてしまう。
「ぐぇっ! ……へ、あれ? ご主人様……?」
「……」
「ご主人様っ、ご主人様っ! どうしたんですかっ!」
返事がない。
私を道連れに倒れ込んだご主人様。彼女の下敷き状態からなんとか這って抜け出す。
「ご主人様っ! ごしゅっ……へ?」
「zzz……」
「……えぇ」
我が家の大黒柱様は、疲れ切った顔で睡眠をとっていた。なんだ……急に倒れるから焦ったじゃないか。
「もう……ご主人様は」
「むにゃむにゃ」
「……はぁ。おかえりなさいませ、ご主人様。本当に、心配したんですからね」
簡単に処置して、お医者様にも一応見てもらおう。
寝不足で思考の鈍い頭でなんとかそこまで考えると、私は緊張感の抜けた表情で眠る彼女の頭を軽く撫でた。