8:陰月を逆巡する
白灰色の通路はうっすらと明るく、歩く者を惑わすかのように奥へと続いていた。
「……………ラト。私はもう駄目だ………」
「しっかりしろ、エド。次の広場はもうすぐだ」
ややげっそりとした陰りある表情で呟くエフィルドを私は無表情のまま励ました。
エフィルドが憂いている原因は、現在攻略中のこの“陰月の迷宮”にある。私も同じくややげっそりとした気分だが、それは仕方がない。
「あ、エド、そこ多分罠だ」
「………は?」
カチリと音がした。
同時に私の足元に穴があき、浮遊感が襲う。
私は、落とし穴の壁を蹴って飛び上がった。
「ラト!」
グイッと後方に引っ張られる。
エフィルドに抱きかかえられた私が見たのは、落とし穴だ。
「………さ、3連続……」
エフィルドの下、私の下、さらに私が進む一歩前と連続して現れた落とし穴を見る。つまり、落とし穴に落ちて上がっても、また落ちる仕様らしい。
エフィルドが無事なのは、落とし穴のサイズが小さいからだ。ちょうど幼い子供が落ちるくらいのサイズである。なので、エフィルドだと十分跨いで避けられる。そして、落とし穴はそれほど底が深くない。1メトくらいだろうか。
さらにいえば、どれも“子供の悪戯”の域を出ない、命に別状のない罠ばかりだ。
「キュッ!」
私の頭の上で、ラビッターが鳴いた。
幾つ目かの落とし穴に落ちたときに、下にいたのが多数のラビッターだった。
大きさは普通のウサギより大きく、ボール大くらいだろうか。丸い体は白くモフモフフワフワ触り心地の良い毛に覆われているからで、長い耳が二本伸びてなければ、毛玉にしか見えない。つぶらな赤い目に、額に小さな角があるれっきとした魔物なのだが、見た目の愛らしさと毛並みの癒やし、大人しい性格から人気がある。
だが、いざという時は角を伸ばし、体当たりで攻撃してくる。集団で襲ってくるのでトラウマレベルの恐怖を味わうと言われている。
落ちた先がそのモフモフ天国。
ある意味、危険な罠だ。
いや、ご褒美か?
ラビッターは子供好きなので、「キュッ」「キュッ」と甘えてくるのが可愛い。思わず、手近なラビッターを抱きしめて満喫してしまった私だ。
そして、ラビッターに埋もれている為に脱出出来ない私を見て、上でなにやら悶えていたエフィルドを私は知っている。
…………早く助けろや!
そんなこんなで、一匹?一羽?……懐いてしまったのが、そのまま私の頭の上をキープして同行しているわけである。ちなみに、何故か、頭の上に乗っていても重くはない。
罠は殆どが落とし穴だ。
中には、フェイクの道や壁から飛び出すバネの玩具、上から落ちてくる物などあった。
その悉くに見事引っ掛かり発動させているのがエフィルドだ。
だが、子供サイズ、悪戯程度の罠に、大人のエフィルドが引っかかってもそれほど被害があるわけではなく、余裕で回避している。
そして、そのとばっちりで罠に嵌まる私がいる。
「だけど!なんで、ラトの嵌まる罠は罠じゃないんだ?!」
ぶーと、頬を膨らましたエフィルド。
そこに“貴公子”などと呼ばれるキラキライケメン冒険者の姿はない。
素を晒しすぎだろう?
私が子供姿からなのか、それとも女性と知っていて偽る必要がないからなのか、やけに子供っぽすぎる。いいのか、それで?
「私の場合は、落ちたら泥水だし、降ってくるのは小石だし、飛んでくるのは可愛くない人形なのに、なんでラトの場合はラビッターだったり、クッションあったり、飴玉だったりするんだ?
何か、ラトが凄く配慮されてる気がする!」
「いや、それ以前に“罠”が子供騙しレベルな点をおかしいと思え」
「ズルい!!」
…………そんなの知らんわ!!
アトラクションじゃないんだぞ?
一応、命懸けの探索なんだが。
私は、溜め息を吐いた。
“陰月の迷宮”と呼ばれるここは、“迷宮”の名の通り、道が入り組み迷いやすい。罠の他には、行き止まりや隠された道などがある。
1月の[明夜月]の広場を出て、次の広場に辿り着いたのは、時計で確認する限り1日掛かった。
ちなみに、“2月”の広場は[粉砂糖月]の名に相応しい真っ白な雪景色だった。どうなっているのかは分からないが、本物の雪だ。そして、凍えるほどに寒かった。
さすが、“氷”を属性に持つ月である。
あまりの寒さと冷たさに、一応、何かないか調べたが早々に広場を出た。
入口と出口が違うらしく、中に入ると入ってきた道が閉じる仕組みになっているらしい。
「次は13月[薄霧雨月]………つまり、晩秋だな」
迷路や罠に手こずって、次の広場に着いたのも1日半ほど掛かってしまった。
秋の裏月である13月は、灰色の広場だった。
冬ではない。晩秋の暗さを表すような濃い常緑樹の森に底冷えするような冷たさ。視界を遮る薄い霧雨に、白い道も灰色に変わっていた。
「中央に、小さな広場があり噴水があるのは、1月、2月と変わらないな」
「ここに来ると、入ってきた道が閉じるみたいだね。この中央の噴水を通る事が条件かな?」
エフィルドが指摘する。
「そうかもしれないな」
私は頷いた。
「しかし、休憩するにしても、これじゃあゆっくり休めないよ」
「敵対生物がいない分、まだマシだろう?」
「今は出なくても、分からないよ。私としては、一度ゆっくり休息を取らないといけないと思う。私はともかく、ラト、今の君は“子供”だろ?かなり消耗しているんじゃないかい?」
私は、肩を竦めた。
正直、かなり疲れているのは確かだ。
通路で何度か休憩しているが、見張りをエフィルドに任せて爆睡してしまっている。大人に比べると、子供の体力の無さは予想以上だった。
だからと言って、それを認めてしまうのは嫌だった。30過ぎ男の意地である。
認めたら、精神まで“子供”になってしまうようで怖いのだ。
「………とりあえず、通路で一旦休憩しよう」
私は、広場の出口に歩き出した。
エフィルドは何か言いかけたが、大きく息を吐くとすぐに私の後をついて来る。
私たちは、再び入り組み、気の休まることのない迷宮に戻った。
次の14月[薄闇布月]は、晩秋の小春日和を思わせる広場だった。紅葉が終わり、金から茶色に染まる枯れ葉の木々が美しい。空気は冷たく、冬前の寒さだが、降り注ぐ日差しは暖かい。
「どこから日差しが………?」
「それよりやっぱり寒い!ここも長居は無理だよ」
両腕をさするエフィルド。
確かに、天気は良くても13月よりも冬寄りなのだ。
そもそも、外は“5月”なのだ。
昔より気候がはっきりしていないとはいえ、昼間は夏日の暑さになることが時々あり、夜は肌寒さが残る。全体に言えば、カラリとした気候で過ごしやすい季節である。
遺跡に入るとなれば、それなりに厚手の丈夫な衣服に多少の防寒用の外套などを用意するが、それでも冬の防寒とは違うのだ。
「ふむ。次は“夏”の裏月になるな」
「夏っぽい広場なら、さっき見たよね?」
「だが、出口が違うからな。上手く見つかればいいんだが………」
出口に向かいながら、私は確認する。
“夏”の裏月は、9月の[深満月]と10月の[黒砂糖月]だ。
暑さがどうか分からないが、気候的には落ち着いた季節のはずだから、休憩できるかもしれない。
「そろそろ、いい加減に休まないとヤバい……」
私は呟く。
この広場に来る途中め通路で何度か休憩を挟んでいるが、比較的短い時間で移動している。一度は、広場で簡易結界を張ってきちんと休まなければバテてしまう。
簡易結界は、通路などの狭い場所では使えないのが難点なのだ。