第二十話 「疑惑」
カミラに友達ができた。
おさげの少女リリーちゃんだ。彼女はカミラをいたく気に入ったらしく、しきりにカミラのもとに遊びに行く。
実に喜ばしいことではないか。
カミラもカミラで、リリーちゃんと遊ぶことに抵抗がないようだ。ぎこちないながらも普通にリリーちゃんと遊んでいる。時折、あぶなかっしい場面もあって冷や冷やするが、おおむね及第点と言えよう。
例えば、昨日の夕方。二人で中庭で遊んでいる時のことだ。
リリーちゃんが小石投げで遊んでいた際、カミラは何を思ったかその小石を正確に手刀で真っ二つに割ってみせた。リリーちゃんは「すごーい! 魔法使いみたい!」と無邪気に拍手していたが、俺は背筋が凍った。一歩間違えば、その手刀がリリーちゃんの首筋に向かっていた可能性もある。
それでも、カミラなりに加減を理解しているのだろう。完全に力を抜いて、あくまで「芸当」として見せていた。何より、リリーちゃんを喜ばせようという気持ちから出た行動だったのは評価できる。
また、今朝はリリーちゃんが転んで膝を擦りむいた時、カミラは自分のハンカチを差し出してあげていた。普通なら血を見て興奮してもおかしくないのに、友達を気遣う気持ちの方が勝ったようだ。その仕草は確実にマキシマム家の子供らしからぬ変化を含んでいた。
うん、うん、来て本当によかった。ここは、俺達にとって聖地であったよ。
きっとビトレイ神父の人徳が、カミラの心にも良い影響を与えているのだろう。この調子で行けば、カミラを普通の女の子に更生させることも夢ではない。
……
…………
………………
そう思いたかった。心の底から、そう信じていたかった。
けれど、ここに来て数日が経った今……。
俺の中で燻り続けていた違和感が、もう抑えきれなくなっている。
聖人ビトレイ……。
――奴は聖人じゃない。
いや、わかりきったことを言っているのかもしれん。ただ、信じたかったわけよ。見たくない真実から目を背けてきた。カミラのためにも、ここが本当の聖地であってほしかった。
でも、もう……無理だ。
ここの施設は、慈善団体を謳っているくせに、妙に金回りがいい。神父もその幹部も醜く肥え太っていた。食堂で彼らが食事をする様子を見ていると、まるで貴族の宴会のような豪華さだ。
一方で、子供達には質素な食事しか与えられていない。薄いスープと硬いパン。それでも子供達は文句一つ言わず、感謝して食べている。その姿を見ながら、幹部達は上等な肉料理にワインを合わせて談笑している。
私財を投げうってでも、貧しい者を助ける。そんな姿勢ではない。困窮をよしとしながら救済しているわけではない。これは明らかに、慈善事業を隠れ蓑にした別の目的があるのではないか。
ビトレイ・グ・シャモンサキ……。
もともとはやり手の会社経営者である。シビアな面もあって然るべきだとは思う。経営者としての手腕があったからこそ、これだけの規模の慈善事業を展開できているのだろう。
でも、シビアすぎだろ!
教会の中、特に神父の部屋! 豪華すぎんぞ。どれだけ金をかけてんだよ。銭ゲバもろだしじゃん。
先日、書類を届けるという口実で神父の私室を訪れた際、その豪奢さに目を疑った。東洋の絨毯、高価そうな絵画、金の装飾が施された十字架。そして何より、部屋の隅に鎮座する巨大な金庫。あれは一体何のためにあるのだろうか。
さらに言えば、神父の服装も気になる。確かに法衣は質素に見えるが、よく見ると生地の質が違う。あれは間違いなく高級品だ。そして、時折見える腕時計。あれは確実に数百万はする代物である。
はぁ、はぁ、はぁ、ちくしょう!
もう信じるのは限界であった。俺は、裏付けを取るべく神父を少しばかり調査することにしたのである。マキシマム家一の才能ある俺にとって、教会のセキュリティーなどあってないようなものだ。
夜中、皆が寝静まった頃を見計らって行動を開始した。
教会の警備は思ったより厳重だった。夜中でも修道士による見回りがあり、一時間おきに巡回している。しかし、そのパターンは三日間の観察で完全に把握済みだ。
修道士の足音が遠ざかったのを確認し、影に紛れて神父の私室へ向かう。廊下の床は古い木材で、少しでも体重をかけると軋む音がする。だが、マキシマム家で鍛えた忍び足の技術で、音もなく移動することができた。
私室の扉は当然鍵がかかっている。しかし、これも想定内だ。ポケットから取り出した針金状の道具で、慎重に鍵を開ける。
カチリ。
微かな音と共に扉が開いた。室内に忍び込み、すぐに扉を閉める。月明かりが差し込む室内は、昼間見たとおりの豪華さだった。
あっというまに忍び込み、金庫の前に到着。
金庫を見る。
昔ながらのダイヤル式の鍵穴タイプだ。最新式のデジタル金庫ではなく、むしろ古典的な作りになっている。恐らく、神父の趣味か、あるいは古いものの方が信頼できるという考えなのだろう。
俺のピッキング技術はそこそこ。俺は殺し屋であって泥棒ではない。最新式の錠前は開けられないのだ。だが、このような古典的なタイプなら何とかなる。
うん、このタイプなら……。
まず、金庫に耳を当てて内部の音を聞く。ダイヤルを回しながら、内部の機構が動く音に集中した。マキシマム家の訓練で磨いた聴覚を最大限に活用する。
カチ、カチ、カチ……。
微細な音の変化を聞き分け、正しい番号を探っていく。これは集中力と忍耐力が必要な作業だ。一つ間違えれば最初からやり直し。そして 時間をかけすぎれば、修道士の見回りに発見される可能性もある。
十分ほど格闘した結果、ついに正しい組み合わせを見つけることができた。
カチリと音が鳴ると、金庫のドアがパカッと開いた。
旧式でよかった。でなければ物理(拳)で開けるしかなかった。さすがに金庫をぶっ壊したら目立ちすぎるからね。
中には宝石に現金、そしていくつかの書類があった。
宝石類は見事なものばかりだ。ルビー、サファイア、ダイヤモンド。それぞれが相当な価値を持つものだと一目でわかる。現金も大量に詰め込まれている。ざっと見ただけでも数千万はありそうだ。
これだけの資産を個人で所有しているのか?
慈善事業の資金ではないのか?
疑念は深まるばかりだ。
宝石、現金は調査の対象外なので、書類を取り出す。
ペラペラと書類をめくり中身を考察していく。
……予想通りだな。この神父さん、なかなかやりやがる。
国からの援助金を着服してやがった。ちょっと書類を見ただけだが、使途不明金の移動が多々見受けられた。本来であれば子供達の食費や教育費に充てられるべき資金が、神父の個人口座に流れている痕跡が明確に残されている。
さらに詳しく調べると、援助金の水増し請求まで行っていることが判明した。実際の入所者数より多く申告し、差額を着服している。これは完全に詐欺行為だ。
おっ!? こいつ、慈善団体を隠れ蓑にして、脱税までしてやがる。
書類の中には、税務署に提出した資料とは明らかに異なる帳簿が含まれていた。表向きの収支と実際の収支が全く違う。これでは税金をまともに払っているはずがない。
さらに読み進めると、経理の操作も発見した。
表向きは慈善事業として運営しているが、実際は相当な利益を上げている。しかし、その利益は適切に税務申告されていない。巧妙な二重帳簿で、税務署を騙しているのだ。
ふつふつと怒りが湧く。騙されたという感が強い。
とにかく裏付けは取れたのだ。
書類を金庫に戻すと、そっとその場をあとにした。証拠を持ち去ることも考えたが、それでは俺が侵入したことがバレてしまう。まずは現状把握が先決だ。
部屋を出る際も、来た時と同様に細心の注意を払った。廊下に人影がないことを確認し、音もなく自分の部屋へ戻る。
はぁ~やっぱりか……。
足取りは重い。期待が大きかっただけに、裏切られた気持ちも強い。ビトレイは聖人なんかじゃない。ただの金に汚い俗物だった。
陰鬱としながら部屋に戻ると、カミラが神父と一緒にいた。
「カミラ君、ここでの生活は慣れたかね」
「は――い♪」
カミラが元気よく返事をしていた。その屈託のない笑顔を見ていると、真実を教えるのが躊躇われる。
脱税野郎が気安く俺の妹に声をかけてんじゃねぇ!
こいつは、金儲けのために聖人の名を利用しているのだ。
善人ぶってるその面をひっぺがしてやろうか?
黒い感情が心を支配する。今すぐにでも、この偽善者の正体を暴いてやりたい衝動に駆られた。
「カミラさん、トリートメントの時間ですよ。こちらに」
「はーい♪」
俺がビトレイ神父に手を伸ばそうとした、その時、麗しの美女ソフィアさんが現れた。どうやらカミラの髪のお手入れの時間になったらしい。
相変わらずお美しい。
にっこりと笑みを浮かべるその顔は、天使そのものである。
「ソフィアさん……」
「あら、リーベルさん、そこにいらしたんですね」
「は、はい」
「ふふ、どうしたんですか? そんなに照れなくてもいいんですよ」
ソフィアさんの天使の声に俺の黒い感情は、いつのまにか霧散していた。
やはり、この人は別格だ。
そうだよ。俺は何を考えていた。
ぶんぶんと頭をふって否定する。
シュトライト教の教示、いや、ソフィアさんの言葉を思い出せ。
人の善を信じなさい。さすれば道は開かれん、ってね。
そう、ものは考えようだ。
確かに、手段は褒められたものではない。しかし、この教会で救われている子供達は事実として存在する。彼らにとって、ここは間違いなく安住の地なのだ。彼らの笑顔は嘘じゃない。カミラが初めて見せる友情も、リリーちゃんとの純粋な交流も本物だ。
脱税は糾弾すべき――それは青臭い正義感かもしれない。完璧な人間などこの世に存在しないのだから。俺だって人殺しの家系に生まれ、数え切れないほどの血を浴びてきた。そんな俺に、他人を裁く資格があるのだろうか?
黙認するべきかもしれない。
いわゆる必要悪という奴だ。純粋な善意じゃなかったのはがっかりだけど、まだ普通だ。殺し屋一家よりはマシマシ。
それにだ。真実は、誰にもわからないよ。
例えば、脱税してまで金を稼いでいるのも、一人でも多くの子供達を養うためなのかもしれない。正義を振りかざしても、腹は膨れぬ。子供達のために、あえて汚名を被っているのなら立派だよ。
そうだ、きっとそうに違いない。俺は勝手に邪推していただけなのだ。カミラの更生という目的のためにも、ここは理想の場所のはずだ。そうでなければ困る。
ま、まだだ。まだ俺は信じるぞ。ソフィアさんの笑顔を思い出せ。
一旦、ビトレイの脱税については忘れ、真摯な目で神父を見つめる。
余計なフィルターをかけてたら真実はわからない。先入観を排除して、もう一度この人を見てみよう。
ぎろりと神父の脂ぎった顔を見る。
たらふく食っているな。節制してその分を貧しい人達に分け与えようとは思わないのか。
しかし、よく考えてみれば、リーダーたる者、体力が大事だ。倒れたら経営も何もあったものじゃない。体調管理も指導者の重要な責務の一つ。
おぉ、そう考えれば幹部達のでっぷりとした肉つきにも一応の理由があるではないか!
栄養状態が悪ければ、正しい判断もできないだろう。子供達の世話も満足にできない。彼らが健康でいることが、結果的に子供達のためにもなるのだ。
他にも俺が知らないだけで何か理由があるのかもしれない。なんたってあのソフィアさんがいる施設だ。あの大女優が全てを捨ててまでいる聖地だぞ。
きっと俺の見えないところで、素晴らしい善行が行われているに違いない。
「ソフィアさん、俺ここでの生活に満足しています。子供達が笑顔に溢れているこの場所を守りたい。だから、もっともっとお手伝いをしたいと思っています」
心からの言葉だった。疑念はあるが、それでもここで笑顔を見せている子供達は本物だ。その笑顔を守ることができるなら、多少の不正など目をつぶってもいいではないか。
「あらあら、リーベルさんは本当に敬虔な人ですね。お若いのに感心します。ねぇ、神父様もそう思いません?」
「まことに。将来楽しみな若者です」
ビトレイ神父とソフィアさんがふっふっと笑い合っている。
その瞬間、二人の表情がほんの一瞬だけ変わったのを俺は見逃さなかった。ソフィアさんの微笑みの奥で何かが蠢き、ビトレイの口元には下卑た満足感が浮かんだ。
なんだろう。この下卑た笑い。
信じろ、信じるのだ。そう自分に言い聞かせても、ゲロ以下の臭いがプンプンしてきてたまらない。
いや、違う。ソフィアさんがそんなはずはない。きっと俺の勘違いだ。
だが、ビトレイは違う。この下卑た笑い方は、本当に子供達を救おうとしている人間の表情じゃない。必要悪なんかじゃない。こいつは純粋に子供達を食い物にしているだけだ。
やっぱり脱税野郎は、糾弾すべきだね。
こんな調子でいたら、そのうち査察が入って、ソフィアさんや教会の子供達まで巻き添えになる可能性がある。そうなってからでは遅い。
翌日からは、更に注意深く周囲を観察することにした。神父の行動パターン、幹部達の会話をもっと詳しく調べる必要がある。
脱税だけで済むはずがない。もっと悪質な事をしているに違いない。更に証拠を集めて、必ず告発してやる。
ソフィアさんには申し訳ないが、ビトレイの真実を見極めなければならない。




