第十八話 「カミラに友達を作ろう(前編)」
俺達は、ビトレイ神父のご厚意で教会に住まわせてもらっている。
教会の敷地は実に広大だった。石造りの荘厳な聖堂を中心として、食堂、図書館、宿泊施設、そして緑豊かな中庭が配置されている。まるで小さな街のような規模で、多くの信徒や孤児達が共同生活を営んでいる。
俺達の居住環境は、他の孤児達と比較しても明らかに優遇されていた。専用の部屋が与えられ、栄養価の高い食事が一日三食きちんと提供される。カミラに至っては、美容と健康のためのエステ施術まで受けさせてもらっている始末だ。まさにVIP待遇である。
なぜこれほどまでの厚遇を受けているのか——。
ビトレイ神父にはもちろん聞いた。ビトレイ神父曰く「親から虐待を受けてきた君達は、幸せになる権利がある」と。
……う、うん、嘘は言ってないよ。
そう、俺はマキシマム家の闇をオブラートに包み、ビトレイ神父に懺悔室で相談にのってもらったのである。ビトレイ神父は俺の話を聞いて号泣。少し大げさで芝居臭かった気もしないでもないが、いたく胸を痛めたらしい。
その結果がこの過剰な接待のあらましである。
そう、誰が何を言おうと、俺達兄妹は虐待を受けていたのだ。
……罪悪感が芽生えたが、せっかくのご厚意だ。素直に受け取ろう——すみません、やっぱきついっす。
カミラは、素直に享受しているようだけど、根が小心な俺には絶対無理。俺達にかかる費用があれば、どれだけの難民が救われると思っている!
ビトレイ神父はまた外に出かけている。この件は、ビトレイ神父が戻ってきたら、話し合うつもりだ。
そして、もう一つ気になることがあった。俺達への監視である。
信徒の何人かがローテで俺達の挙動を探っている。さりげなくわからないようにしているつもりだろうけど、プロの俺には丸わかりだ。
監視ねぇ~。
俺達の話を号泣して聞いてくれたビトレイ神父の差し金とは思いたくない。恐らく氏素性のわからない俺達を疑っている幹部の仕業だろう。
多少、不愉快ではある。
だが、俺達は新参者だ。仕方ないと割り切るしかないか。
うんうん、せっかく噂の聖人と一緒にいるのだ。そんな雑事にかまけたくはない。俺はカミラの更生だけを考えてればいい。
では、そのカミラはどうしているかというとだ。
カミラは部屋の窓からぼんやりと外を眺めている。部屋の窓から見えるのは教会内の公園だ。カミラは、公園で遊ぶ子供達の様子を目で追っていた。
そうだよな。
カミラは引きこもりであった。同年代の子供なんて珍しいだろうね。
うん!?
その時、俺の頭に天啓が閃いた。
そうだ。カミラに友達を作ろう!
友達、友人、親友、フレンド、マブダチ……。
言い方は多様にあるが、意味は一つ。
この世界を平穏に暮らしたいと思うのなら、欠かす事のできない存在だ。
人生、楽しい事もあれば辛い事もある。そんな時、親友がいたらどれだけ人生の助けになるだろうか!
そうだよ。家族の愛情だけでは足りない。カミラを闇から救うには、多くの手助けが必要だ。友人の存在がきっとカミラのプラスになるだろう。
カミラを見る。
美少女だ。ビトレイ神父のご厚意のおかげで髪はツヤツヤだし、美しさに磨きがかかっている。
カミラには、暗殺とは無縁の平穏な人生を歩ませたい。
つまり、カミラに友人は必須だ。
ただ、懸念がある。大きな大きな懸念だ。妹に友人を作ると言っても、言葉で言うほど簡単ではない。
俺達一族は、半端ない身体能力を有している。小さい頃、病弱だったカミラでさえ一般人と比較すれば化物級だ。まぁ、ここでカミラを病弱の範囲に入れていいかは微妙だけどね。
とにかくだ。言いたい事は一つ。健全な生活を営むために、友人は欠かせない。
では、どんな友人がよいか?
希望を言えば、カミラを優しく包み込めるような母性溢れる人がいい。カミラを導いていけるような優しい子が傍にいてくれたらどんなに助かるか。
もちろんリスクはある。
カミラがうっかり友人を殺そうものなら目も当てられない。友人にも相応の強さが必要だ。
理想は、カミラの攻撃をかるくいなしながらも、親しく説き伏せてくれるような存在だ……。
いや、そんな子供いるわけないだろ!
自分で言ってて悲しくなってきた。
カミラのためを思い、カミラの攻撃から身を守る。
そんな芸当ができるのは、今のところ俺だけだ。
……よし、妥協しよう。
カミラの友人に強さはいらない。カミラの攻撃は全て俺が防ぐ。だから、カミラのためを思ってくれる優しい心さえあればいい。
うん、その条件なら見つかるだろう。
その代わり、俺は二十四時間片時もカミラから目を離せなくなった。
カミラに友人ができるならそのくらいの労力、苦にもならない。
やってやる。やってやるぞ。
カミラの暴走は止めるとして、カミラと俺の身体能力を比較する。
とっさの時に飛び出せる距離として、二、三メートル以内にはいたい。
う~ん、それだと今度は別な問題が浮上してきたぞ。
同じ年代、同じ性別のコミュニティだ。身内とはいえ、年上の異性がいつも傍にいては、友達もできにくいのではないか?
子供達のコミュニティってそういうのシビアだし。
どうしよう?
このジレンマ。
やっぱり、時期尚早かな~。
それにだ。どんなに目を光らせていたとしても、どこかで友人と二人きりになる場面は出てくると思う。
そうなった場合……。
色々、シミュレートしたけど、危険、すべからく危険だ。
……少しテストしてみるか。
「カミラ、あの子達と遊びたいか?」
カミラが振り返る。窓辺に立っていた妹の瞳が、一瞬だけキラリと光った。
「遊びたい!」
いつも通り、元気いっぱりに右手を上げながら肯定する。
まず本人の意思を確認した。友人と遊びたい気持ちはあるようだ。これは予想していた反応だが、改めて聞いてみると嬉しいものだ。カミラにも、普通の子供として友達を欲する心があるのだから。
「カミラは、今まで友達と遊んだことがないよな」
「うん、ない」
当然だ。マキシマム家の屋敷では、基本的に大人しかいなかった。カミラが触れ合ってきたのは、家族と使用人達だけ。同世代の子供と遊んだ経験など皆無に等しい。
「うまく付き合える自信はあるか?」
「大丈夫♪」
ドンと胸を張るカミラ。
自信、満々だな。
なぜそこまで自信満々なんだ?
俺は、不安で不安で恐ろしいというのに。
「兄ちゃんはな、カミラを信用したい」
「うん」
「じゃあ、質問だ。カミラは友達と遊んでいるとするぞ。遊んでいる最中におなかが空いたとする? どうする?」
俺は内心で祈った。頼む、せめて「我慢する」とか「家に帰る」とか、常識的な答えを……。
「殺べる」
「だから殺べるな!」
思わず叫んでしまった。
即答である。一片の迷いもない、堂々たる即答だった。
しかも、カミラの表情は至って真面目だ。まるで「1+1は?」と聞かれて「2」と答えるような、当然の顔をしている。
はぁ、はぁ、はぁ……俺の心が折れそうだ。
いかん、つい頭に血が登ってしまった。冷静になれ。ここで諦めてはダメだ。論理的に、道徳的に諭してあげるのだ。
深呼吸を繰り返し、できるだけ穏やかな口調で続ける。
「カミラ、前にも言ったよな。うちと違って、世の子供達は、弱くてはかない。ちょっと力を入れただけで壊れてしまうって。だから、大切に扱わなければならないんだぞ」
「うん、そうだった」
カミラが神妙に頷く。その様子を見て、少しだけ希望が見えた。完全に忘れていたわけではないようだ。
「思い出したか。じゃあ、おさらいだ。子供は?」
「よわ~い!」
「そう、弱くて儚い存在だ。そんな子供達は?」
「大切にするぅ!」
カミラが右手を挙げて元気よく答えた。その純真無垢な笑顔を見ていると、きっと大丈夫だという気持ちになってくる。
「そうだ。よくできたな」
「えへへ」
俺が頭を撫でると、カミラが嬉しそうに微笑む。この笑顔こそが、俺が守りたいカミラの本当の姿なのだ。
よし、これで理解してくれたはずだ。今度こそ、まともな答えが返ってくるだろう。
「じゃあ、もう一度だけ聞くぞ。カミラが友達と遊んでいる時にお腹が空いたらどうする?」
期待に胸を膨らませて待った。きっと「我慢する」とか「おうちに帰る」とか、そんな健全な答えが——
「半分だけ殺べる!」
「だから人として生きろって!!」
思わずカミラにとび蹴りを食らわしてしまう。
何だその中途半端な妥協案は! しかも、なぜか得意げな顔をしているじゃないか!
まるで「お兄ちゃん、私成長したでしょ?」とでも言いたげな、満足そうな表情を浮かべている。
ま、まるで成長していない。いや、むしろ悪化している!
カミラが首をかしげる。その無邪気な表情が、逆に俺の絶望を深くした。
安●先生、普通の兄妹したいです。
俺は心の中で、某漫画の名台詞を呟きながら天を仰いだ。カミラとの道のりは、想像していた以上に険しそうだ……。
この調子では友達作りは当分無理だな……。
でも諦めるわけにはいかない。カミラが本当の意味で人間らしく生きるためには、友人の存在が絶対に必要なのだ。
そうだ。段階的に進めよう。いきなり友達作りは危険すぎる。思えば、カミラは殺し以外に趣味らしい趣味がない。
まずは、一人で遊ぶ趣味を作ってあげよう。殺し以外にも興味が持てる何かが見つけられたら、それは、カミラ教育計画のひとまずの成果と言えるのではないか。
うん、きっと、そうだ。習うよりは慣れろ。まずやれる事はやってみるのだ。
数日後俺は、妹のために一人遊びができるようなおもちゃを市場で探し買った。人形やお手玉といった一般的な女の子が遊ぶ玩具である。
そしてカミラの目の前に買ってきた玩具を並べた。
「さぁ、お腹が空いたらこれで遊ぶんだ」
カミラは、興味深げにそれらを観察している。
いいね、つかみはオッケーかな。
「これ、どうやって遊ぶの?」
カミラが玩具の中から手毬を持ち上げ、そう訊ねてきた。
うむ、最もな質問だ。カミラは、生まれてこのかた玩具で遊んだことがない。当然の反応である。
「ふふ、どうやって遊ぶと思う?」
「えっとね、うんとね……」
カミラは、頭をひねっている。
いいね。まるで大人にクイズを出された子供が懸命に答えを出そうと頑張っている姿に見える。その様は、実に微笑ましい。
「わからないか。じゃあヒントを出そう。その手鞠は、よくはずむぞ」
「はずむ?」
「そうだ。弾力があって地面にぶつけると……ほら、もうわかったな」
「うん、わかった。手鞠を持って……」
「おぉ、そうだ。手鞠を持って、いいぞ。それから?」
「うん、そして……ぶつけるぅ!」
そう言うや、カミラが近くで遊んでいた子供に向かって手鞠を投げた。
やばい!
瞬間、俺の脳裏に最悪のシナリオが浮かんだ。あの手鞠がもし当たったら——子供の頭が木っ端微塵に砕け散る光景が目に浮かぶ。
うぉおおおおい!
慌てて大跳躍した。瞬間最高時速百キロ以上、チータのスピードを超えた反射神経を披露する。周囲の時間が止まったかのような感覚の中、俺は空中で手鞠の軌道を計算し、精密に手を伸ばした。
すんでのところでボールをキャッチする事ができた。手鞠は、俺の手の中で高速に回転し、プスプスと焦げた音を出している。摩擦熱で手のひらがヒリヒリと痛んだ。
「お兄ちゃん、すご〜い!」
カミラが拍手している。完全に見世物だと思っているようだ。
一方、標的にされかけた子供は事態を理解していない。ただ、突然現れた俺の超人的な動きに目を丸くして見つめている。
「な、何今の……?」
「すっげー跳躍力……」
周囲の子供達もざわめき始めた。
はぁ、はぁ、はぁ。や、やばかった。
あやうくカミラがとんでもない過ちを犯すところだった。そして俺も、人前で化物じみた身体能力を披露してしまった。
「……カミラ、それはそうやって遊ぶ物じゃない」
必死に平静を装いながら説明する。
「違うの? でも『ぶつける』って……」
「地面にぶつけるんだよ。人にじゃない」
「あ、そうなんだ」
カミラが納得したような顔を見せる。だが、その表情に安堵したのも束の間——
「じゃあ、こっちか」
そう言ってカミラは、竹とんぼを持つと、今度は回転させながら子供に向かって投げ――。
「こっちに来なさぁああい!」
もはや説明している暇はない。俺はカミラの手を掴み、半ば強引にその場から連れ去った。
「お兄ちゃん、まだ遊んでたのに〜」
「だから人は玩具じゃないって!」
周囲の子供達が、俺達の後ろ姿を呆然と見送っている。きっと「変な兄妹」として記憶に刻まれることだろう。
そうだった。周囲に人がいたら、カミラが暴走した時に困る。
玩具の使い方を間違えて人を殺しました、なんて洒落にならない。
ぶっちゃけ俺達家族の身体能力なら、竹とんぼ一つで人を殺せる。注意すべきだった。
ここじゃだめだ。人気のない静かな場所を探そう。
人のいない場所……。
目を皿にしながら周囲を観察する。
ここはだめだ。ここも人がいる。あぁ、ここもいた。
どんどん人気のない方向へ進んでいく。
そうして……俺は、人っ子一人いない静かな山中まで移動した。
ここなら大丈夫だろう。
「カミラ、今から遊び方を教えてやるからな」
「うん」
カミラが興味深げに俺を見ている。
玩具の中で手毬を取った。
「いいか、よく見ておけよ」
俺は中腰になると、「アンタがたどこさ?」と民謡を歌いながら、手毬をリズミカルに弾ませる。
「……それだけ?」
カミラはつまらなそうだ。
確かに地味だが、これはこれで技術がいる。
「カミラもやってみな? できるかな?」
挑発気味に言って、カミラに手毬を渡す。
「こんなの簡単だよ」
馬鹿にされたと思ったのか、カミラは少し不満そうだ。口を尖らせる。
カミラが手毬を受け取り、小さな手のひらでそれを転がして感触を確かめる。
「それじゃあ、やってみるね」
そう言って、カミラは手毬を軽やかに宙に舞い上げた。
しかし——
瞬間、俺の予感は的中した。
ボンッ!
乾いた破裂音と共に、手毬は見事に粉砕された。ゴムの破片が四方八方に飛び散り、中の綿がふわふわと宙を舞っている。
「あ、あれ……?」
カミラが呆然と自分の手を見つめている。手のひらには、手毬の残骸がわずかに残るのみ。さっきまであった球体は、跡形もなく消失していた。
「お、おかしいな……どうして?」
困惑するカミラの表情は、純粋な疑問に満ちている。彼女にとって、これは予想外の現象だった。マキシマム家の特別製道具に囲まれて育った彼女には、「壊れやすいもの」という概念が希薄なのだ。
「なっ、難しいだろ?」
勘違いするのは、無理もない。普段俺達の身の回りにある食器や家具は、全て特別製の超合金で作られている。最軽量のティーカップでさえ五キロという代物だ。
マキシマム家の日常感覚で一般の品物を扱えば、こうなるのは必然だった。外の世界の「脆さ」を、カミラはまだ理解していないのだ。
……うん、これも早急に対応しないといけない事案である。
今までカミラは外に出たことがなかった。パワーの調整も最低限は習っているだろうけど、外で生活できるほどではないだろう。
「カミラ、手鞠はこれだけある。割らないように注意してやってみろ」
「うん」
案外、難しい事だとわかって少しはカミラの興味を引いたようだ。
ダメ押しと行くか。
マキシマム家一才能ある身体能力を駆使して、手鞠を弾ませた。
手鞠が、殺人球のように弾む。地面が陥没し、ボコボコと穴が開く。それでいて手鞠は破裂しない。
極限のバランス感覚で手鞠を打っているのだ。
カミラはおぉ~と感嘆の声を上げている。
「お兄ちゃん、凄い! こんな遊び方があったんだね。面白そう!」
「そうだ。こんなの序の口だ。これは、遊び方の一端を見せたにすぎない。世の中には、カミラが知らない楽しい事がいっぱい、いっぱいあるんだからな」
「そうなんだね!」
「あぁ、家の中で殺しをやっているだけでは、絶対わからない事だ。あんなの全然つまらない事だからな」
「うん♪」
カミラが頷く。
よし、よし、よ~し。家の仕事を否定し、カミラも納得した。
くっくっ、これは幸先いいぞ。
「さぁ、次はカミラの番だ。やってみろ」
「はーい!」
元気いっぱいに返事をしたカミラに手毬を渡す。
ここは、人気の無い山道だ。めったに人はこない。カミラの殺人球に巻きこまれる事はないだろう。
安心してカミラを見守っていると、風向きが微かに変わった。
その瞬間、俺の本能が警鐘を鳴らした。
空気に混じる獣臭——野性的で粗暴な匂いが、かすかに鼻腔をくすぐる。
五感を研ぎ澄ませ、周囲を探る。静寂の中に潜む異質な存在の気配。遠方から響く低い唸り声が、夜の静寂を破って俺の耳に届いた。
犬でもない。狼でもない。もっと巨大で、もっと凶暴な——
熊だ。
マキシマム家で鍛え上げた聴覚が、徐々に近づく重厚な足音を捉えている。地面を踏みしめる度に響く鈍い振動。その間隔から推測するに、相当な巨体の持ち主だろう。
一方、カミラは相変わらず手毬に夢中で、迫り来る危険に気づく様子もない。
まずい。せっかく熊騒動が落ち着いたというのに。
もしカミラが熊と鉢合わせたら——あの異常な熊への執着が再燃するのは火を見るより明らかだった。
「カミラ」
「な~に?」
カミラは目線も合わせず、手鞠遊びに夢中になっているようだ。
「少し用事を思い出した。しばらくそれで遊んでいろ」
「はーい♪」
「二、三分で戻ってくるから。大人しく待ってるんだぞ」
「ほ~い♪」
カミラ一人残す事に不安を抱いたが、緊急事態である。
カミラの熊に対する執着は異常だ。
ホッキョクグマと遊びたいから北極に行くなんて駄々をこねられたらたまらない。やっと機嫌が直ったばかりなのだ。
だ、大丈夫。
この前、殺べたばかりだし、それほど禁断症状はでていないだろう。
あそこは人気のない山中だ。めったに人はこない。カミラには、大人しくそこにいろと言い含めている。
うん、問題ない、問題な……嘘はつけない。正直に言おう。本当は、さっきから不安でたまらない。
長居はできないな。速攻で終らせる。
ダッシュで熊のもとへ向かった。
★☆★☆★☆
お、終った。
熊騒動にケリをつけた俺は、カミラのもとへ駆け戻っている。
カミラ、大丈夫だよな?
一時間弱……。
色々事情があったとはいえ、家を出て以来初めてカミラから長時間目を離してしまった。
運悪く旅人が通ってカミラに……いやいや、悪い方向に考えすぎだ。ポジティブにいこう、ポジティブに。
といいつつネガティブ思考に陥る自分に自己嫌悪してしまう。
くそ、早々に戻るはずだったのに。
誤算も誤算、大誤算だった。
最近の熊は、野生のカンが鈍っているのだろうか?
いかんともしがたい実力の差があるにもかかわらず、襲い掛かってくる、襲い掛かってくる。
それも一頭じゃなくて群れでだからね。
まぁ、それでも俺にかかれば造作もない。マキシマム家の血はマジで半端じゃないからね。一ダース単位で襲ってきても、ものの数分で片付ける自信はある。
ツキノワグマ三十匹……。
ここまでは想定の範囲だった。
ただ、予想外な伏兵がいたんだよ。
小熊だ。
K・O・G・U・M・A!
やられたね。母熊を守ろうと、いい感じにまとわりついてくるのだ。蹴飛ばすわけにはいかず、一頭一頭丁寧に巣穴へ戻してやったよ。
この前、カミラに付き合って無闇に熊狩りなんてやったからね。自責の念もあって、乱暴にできなかったのである。
うん、世の中なんとままならないことか!
予想外の事態に備えるべきだった。リスク管理は大切ってこと。
よく考えれば、小熊がいたから親熊もナーバスになって、襲ってきたのだ。あの場合は、カミラを連れて、こちらが立ち去るべきだった。
熊の縄張りに入った俺らが悪かったんだし。
軽率だった。
自問自答、反省しながらカミラがいる山道へと戻った。
既に日は暮れ、周囲は真っ暗である。
カミラは、いない。でも、気配はするな。
「カミラ、いるか?」
暗闇に向かって声をかける。
「お兄ちゃん、お帰り」
林の裏側から返事が返ってきた。
ん!? 移動したか。
なぜ?
……まぁ、いいか。別にその場で手鞠を打っていなきゃいけない決まりはない。
「ただいま、カミラ」
声のした方角へ移動する。
カミラがいた。
カミラは、ぽんぽんとリズミカルに手毬を弾ませていた。
よかった。普通に遊んでいるだけだね。
最悪の結果を想像してしまったが、杞憂だった。
お! リズミカルにやれてるじゃないか。
手毬は、等間隔ではずんでいる。
うまくなってるぞ。
力加減を間違えて破裂させてた時とは、大違いだ。
カミラに近づき、肩に手をかける。
「カミラ、うまくなったじゃないか――っって、それ生首じゃねぇええええか!」
カミラは、「アンタがたどこさ」と口ずさみながら、手毬代わりに生首を弾ませているのだ。
リズミカルに、実にリズミカルに。
ポンポンポンと、まるで何の変哲もない手毬のように、人間の頭部が地面に叩きつけられている。
その生首は恐怖に歪んだ表情を浮かべており、死後硬直で口が半開きになっていた。暗闇の中でその白い歯がギラリと光る様は、まさに悪夢そのものだった。
「ア、アンタがた、まじでどこの人だよ?」
思わず、恐怖に歪んだ表情の生首に話しかけてしまった。もちろん答えは返ってこない。ただ、その虚ろな瞳が俺を見つめているような気がして、背筋に寒気が走った。
「な、な、な、な、にがあった?」
答えを聞くのが恐ろしい。だが、聞かなければならない。
もしかして、通りがかりの商人を襲ったのではないか。罪のない旅人が、カミラの犠牲になってしまったのではないか。
そんな最悪のシナリオが頭をよぎり、問う口も自然と震えてしまう。
「うん、お兄ちゃんが前に言ってた『せいとうボーエイ』だよ」
カミラが無邪気に答える。その表情は実に晴れやかで、まるで先生に褒められた生徒のような得意顔だった。
「こいつ僕の手毬を壊したんだ」
「壊したって、もう少し具体的に!」
俺の声は裏返った。状況を整理しなければ。冷静に、冷静に事実を確認するのだ。
「えっとね、僕がこいつの鼻の骨を折ったの。そしたらそいつ、置いてた僕の手鞠を壊したの!」
カミラが両手をひらひらと動かしながら説明する。その仕草がやけに可愛らしくて、余計に状況のシュールさが際立った。
「だから、どうして首チョンパーしたんだ!」
「うん、だってそいつ僕の手鞠を全部壊したんだよ。持ってたのは破裂しちゃったし、代わりを見つけなきゃね♪」
カミラがにこやかに説明する。まるで壊れたおもちゃの代用品を見つけたかのような、当然といった表情だった。
手鞠が無くなったから、生首を手毬代わりにする……。
どんだけサイコなんだよ。
思わず天を仰いだ。満天の星空が、まるで俺の絶望を嘲笑うかのように輝いていた。
カミラの価値観では、おもちゃが壊れたら代用品を探すのは当然の行為。そして、たまたまそこに転がっていた生首が、手毬と同じくらいの大きさで弾むから使った。
ただそれだけの話なのだ。
恐ろしいほどに単純で、恐ろしいほどに狂気に満ちた論理だった。
冷静だ。冷静になるんだ。
まだカミラが悪いと決まったわけではあるまい。
情状酌量の余地がないか、真相を究明するのだ。
「カミラ、なぜそいつを殴った?」
「僕をゆーかいしようとしたから」
誘拐!
そうとなれば話は変わってくる。
俺は生首をカミラから受け取り、まじまじと観察した。
俺の頭の中には、世界各国の賞金首リストが入っている。
こいつは、そのデータベースに該当しない。
犯罪者じゃないのか、あるいは下っ端で賞金がかけられていないのか。
後者ならば!
生首の胴体らしき死体を捜し、そのシャツをはだく。
ん!?
胸元に十字に団子がクロスした印を見つけた。
このタトゥーは、見覚えがあるぞ。
人身売買組織タンゴの構成員だ。
なるほど。
確かにここは人気がないとはいえ、タンゴの勢力圏といえば勢力圏だ。こいつらは運よく、獲物を見つけたと思って、カミラにちょっかいをかけてしまったと。
それが最悪の運だとも知らずに……。
「お兄ちゃんがこういう時は無視しなさいって言ったから、最初は無視してたんだよ。そしたら、こいつ僕の手鞠遊びを邪魔してきたんだ。ひどいよね」
その生首は、恐怖で顔が歪んでいる。
そうだろうな。
声かけた幼い子供がシリアルキラーだったのだ。
どれだけ恐怖だっただろうか?
バカな奴らだ。まぁ、犯罪人だから、それ以上の感情はないけどね。
とにかくカミラにフォローを入れなければならない。
手毬遊びを誤解しかねん。
「カミラ、手毬遊びは人でしちゃだめだからな」
「どうして? こいつが僕の手毬を壊したんだよ。ゆーかいしようとした悪人だよ。悪人なら殺べていいんだよね?」
「うん、そうだけど、生首で遊ぶのはだめだ」
人形遊びも禁止だな。下手をしたら、死体でやりかねない。
「ちぇ。じゃあ、あとは何して遊べばいいの?」
カミラが純粋な目で尋ねてくる。
残った玩具は、ダルマ落とし、剣玉、黒ヒゲ危機一髪……。
どれも人間でやれそうなラインナップである。
「……もういいから、兄ちゃんと遊ぼうな」
「わ~い!」
それから妹と組み手をした。
ドカッ、バキッっと静かな夜に強烈な打撃音が響いていく。
妹は容赦なく急所を打ち付けてくる。速くて重い、常人なら百回は即死しているだろう。相変わらず血の繋がった兄貴だろうと遠慮のない攻撃だ。
いいんだけどね。これでも俺はマキシマム家一、才能あるみたいだし。
しかし……今日の一件で改めて実感した。
カミラの更生は、想像以上に困難な道のりになりそうだ。
友達作りはまだまだ先の話。まずは基本的な常識から教え込む必要がある。
でも諦めない。カミラが本当の意味で幸せになれるその日まで、俺は何度でも立ち上がってみせる。
兄として、それが俺の使命なのだから。
暗い夜空の下で響く格闘音。それは、カミラの未来への希望と現実の厳しさを同時に物語っていた。