第十話 「カミラと食事をしよう!」
……昨日はひどかった。
暗黒街のボス、ボムズを殺し、その取り巻き達も殺し、帰りにはチンピラ達を半殺しにした。一歩間違えば、チンピラ達もあの世へ旅立っていたところだ。
昨日だけで、どれだけの命が露と消えたか。
ふぅ~。
深く重い溜息をつく。
知らなかった。知らなかったよ。
カミラに殺人の禁断症状が現れるとは思いもしなかった。
これって何? カミラには、数日おきに殺人させなければならないってこと?
一般人を襲うなんて論外だし、旅を続けるには、常に悪人のリストアップをしとけってことだよね?
ふざけんな! どれだけ旅のハードル高いんだ。賞金稼ぎやめれねぇじゃねぇかよ!
はぁ、はぁ、はぁ、それにだ。
カミラと俺とで、手加減の意味がこれほど隔絶しているとは思わなかった。
あいつ手加減って意味わかっている?
手加減で人を殺そうとしてんじゃねぇよおお!
俺が飛び蹴りして止めなければ、チンピラ達確実に死んでたから。
首をねじ切られそうになって、チンピラ達すごい恐怖を感じたのだろう。最後には、すげぇ感謝をされたな。涙をだらだら流しながら、悪事は二度としないと必死に誓ってくれた。
うん、改めて考えるとひどい。
この調子で旅を続ければ、いつか悲劇が起きるだろう。それだけは避けなければならない。
カミラの禁断症状、手加減の件も然り。俺は何も知らなかった。これも日頃のコミュニケーション不足が原因である。
よし、今日は、妹と腹を割って話す。
カミラと面と向かって食事をして歓談するのだ。
これまでマキシマム家では、誰それを殺したとか、心臓の抜き方はどうだとか、完全にイカれた奴らの会話しかしていない。
俺は妹と健全な会話をしたいのだ。今こそ、本当の家族のスキンシップを図る。
という次第で俺は、カミラと一緒にとあるレストランの前に来ていた。食事を楽しみながら、会話にいそしもうと思っている。
今朝から街中を歩き回って見つけた、こじんまりとした家族経営風のレストランだ。看板には『トナカイ亭』と書かれており、温かみのある電灯が窓から漏れている。ここなら落ち着いて話ができそうだ。
街の中心部から少し外れた住宅街にあり、客層も地元の人々が中心のようだった。高級レストランほど格式張っておらず、かといって怪しげな店でもない。カミラとの初めての「普通の食事」には最適だろう。
「カミラ、昨日は蹴ってごめんな」
まずは、暴力を振るったことを詫びる。ああしなければ、チンピラの命が確実に消えていたのは確かだ。緊急事態ではあったが、暴力は暴力だからな。変なしこりを残してしまえば、この後のスキンシップに支障が出てしまう。
「なんで謝るの? 僕、お兄ちゃんに蹴られて凄く楽しかったよ」
カミラは心底不思議そうに答える。
うん、ご近所さんが聞いたらとんでもない誤解をされそうだ。
実際、通りがかりの夫婦がぎょっとした顔でこちらを見ている。慌てて視線を逸らしたが、明らかに「あの兄妹、大丈夫なの?」という表情だった。
「カミラ、やめなさい」
「やっぱりお兄ちゃんは違うな。パパもママも全然本気で遊んでくれなかったんだもん。あんなに激しく蹴られて僕、凄くドキドキしたよ」
「よ、よし、この話は終わりだ。さぁ、入るぞ」
通行人が少なくて助かった。
警察を呼ばれる前に、俺達はレストランに入る。
「いらっしゃいませ」
お店のボーイが声をかけてきた。
年の頃は二十代半ばといったところか。清潔感のある白いシャツに黒いベスト、丁寧に撫でつけられた髪。接客のプロとしての品格を感じさせる青年だった。
店内は、そこそこ賑わっている。客層も品があり、少し格式が高く見えた。ドレスコードとかありそうな雰囲気である。
テーブルには白いクロスがかけられ、銀色の食器が整然と並べられている。シャンデリアこそないものの、間接照明が温かな光を放ち、落ち着いた大人の空間を演出していた。
壁には風景画が飾られ、隅の方では小さなグランドピアノが静かなメロディーを奏でている。演奏者は初老の紳士で、その優雅な指さばきが店内の雰囲気をより一層上品なものにしていた。
「あ~食事がしたいんだけど、この服で大丈夫かな?」
俺達の服装は旅装束である。高級そうな店には不釣り合いかもしれない。
「問題ありませんよ」
ボーイはにっこりと笑みを浮かべ返事をすると、席まで案内してくれた。景色が綺麗な窓際の席である。
カミラが小さいから、気を利かしてくれたのかな。
窓の外には小さな庭園が見える。色とりどりの花が咲き乱れ、その中を蝶々が舞っていた。噴水もあり、水の音が心地よく響く。都市部にありながら、自然の美しさを感じられる素晴らしい眺めだった。
俺とカミラはテーブルに座ると、適当に料理を注文した。
メニューを見ると、どれも本格的な料理ばかりだ。フランス料理を基調としながらも、地元の食材を使った創作料理も並んでいる。値段も手頃で、庶民的な店でありながら味にはこだわっているようだ。
「そういえば、朝からろくに飯を食べてなかったよな」
「うん」
「いっぱい食べていいからな。お腹ペコペコだろ」
「ふふ、お兄ちゃんまだ一日だよ。全然我慢できるよ。あと三日だって大丈夫」
カミラは得意げに言う。
うん、そうだな。
俺達一家は、七日絶食したとしても平気で動き回れる。たった一日絶食したからと言って何ほどのこともない。
ただね……空腹を我慢できるのなら、殺人衝動も我慢して欲しかった。そっちは全然耐性ないんだな。
それからしばらくとりとめのない会話をしていると、料理が運ばれてきた。
小牛のフィレステーキ。
出来立てで肉から湯気が出ている。スパイスの香ばしさが鼻腔をくすぐった。付け合わせのマッシュポテトも滑らかで、グレービーソースの深い味わいが期待できそうだ。
美味しそう。
ナイフとフォークを手に取る。ナイフで肉を切り分け、フォークで一刺し、口に運ぶ。
うん、旨い。
肉汁が溢れて舌を刺激する。香辛料と肉が絶妙にマッチしていて、食が進むぞ。シェフの腕前は確かなようだ。肉の焼き加減も絶妙で、外はカリッと中は柔らかく仕上がっている。
さらに二口、三口とフォークで刺して食べる。
カミラは、サーモンのアルミ焼きを注文した。アルミを取り、ナイフとフォークを使って、綺麗に食べ始めた。
誤解しないで欲しい。
カミラは、首チョンパーして喜ぶようなシリアルキラーな子だ。だが、基本的なテーブルマナーは、抑えてある。殺しを生業とする異常な一家ではあるが、こういう教育もちゃんとしてあるのだ。
一応、うちは、爵位も持っている貴族だしね。
マキシマム家は代々、暗殺者でありながら社交界でも重要な位置を占めてきた。表向きは名門貴族として振舞う必要があるため、礼儀作法やマナーについては幼い頃から厳しく躾けられるのだ。
カミラもその例外ではない。パーティーに出席すれば、他の令嬢達と変わらぬ優雅さで社交を楽しむことができる。もちろん、その裏でどれだけの血を流してきたかは、誰も知らないが。
料理は、さらに運ばれてくる。
海老、蟹、帆立などなど……。
どれも新鮮な海の幸を使った一品料理だった。海老のガーリック炒めは香ばしく、蟹のクリームスープは濃厚でありながら上品な味わい。帆立のバター焼きも、素材の甘みが際立っている。
カミラは、行儀よく食事を続けていた。
うんうん、百点満点とはいかないが、十分に貴族令嬢として通じる。
強いて指摘するとしたら、出てくる料理に目移りするらしく、フォークを迷わせているところぐらいかな。好奇心旺盛なカミラらしい。少しマナー違反だが、子供のうちはそれで十分。変に飾るよりずっとよい。
次々と運ばれてくる料理に、カミラの瞳が輝いている。初めて見る料理も多いのだろう。家では質素な食事が基本だったから、こうした豪華な料理は新鮮なのかもしれない。
実に微笑ましいではないか!
周囲のお客さんも俺と同じ気持ちらしい。カミラの食事風景を見て、暖かな目で見守っている。
隣のテーブルの老夫婦が「まあ、お行儀の良いお嬢さんね」と小声で話している。別のテーブルでは、子連れの家族が「うちの子も見習わせたいわ」と感心している。
中年のビジネスマン風の男性も、仕事の疲れを忘れたような穏やかな表情でカミラを見ている。無邪気に食事を楽しむ子供の姿は、大人の心を和ませる不思議な力があるのだ。
これだよ、これ。
これこそ俺が求めていたものだ。
このお店全体を覆う心地よい空間!
よし、下地は十分だ。このまま会話をヒートアップさせていこう。
「カミラ、お魚好きか?」
「うん♪」
カミラは、香ばしい匂いを漂わせるサーモンを頬張りながらにこやかに答える。
その仕草はまさに普通の女の子そのものだった。血なまぐさい家業とは正反対の、平和で幸せな光景。これが本来のカミラの姿なのかもしれない。
「そうか。そうか。カミラがいい子にしてたら、これからもどんどん美味しいお店に連れて行ってやるからな」
「わぁい!」
カミラが笑顔で喜んでいる。
おっ、カミラが食の楽しさに気づいてくれたか!
そうだよ。本来、これが正解なのだ。殺しを楽しむなんて論外も論外、大論外だ。歳相応な少女らしく美味しいものを食べて喜んで欲しい。
グルメへの興味は、人間らしい欲求の一つだ。美味しいものを食べて幸せを感じる。それは、生きることの喜びに直結している。カミラにも、そんな当たり前の幸せを知って欲しかった。
「カミラがそんなに喜んでくれるとはな。うんうん、兄ちゃんも家から連れてきたかいがあったよ」
「うん、僕もお外に出てよかった。楽しい!」
おし! いい感じだ。このままキチガイ一家のことは忘れて欲しい。世の中には、殺しより楽しいことがいっぱいある。それをわからせるチャンスだ。
このいい流れに乗る。
「それじゃあ、次はどこに食べに行こうか? カミラの好きなところでいいぞ」
カミラがグルメにはまるなら、とことん付き合ってやる。
趣味はグルメ。
いいじゃないか!
世界中の名店を食べ歩いても構わない。暗殺家業を忘れてくれるなら、経費で「億」かかろうと安いものさ。
カミラは、俺の話を聞いて楽しそうに考えている。
その表情は本当に無邪気で愛らしい。こんな顔で人を殺すなんて、誰が想像できるだろうか。今のカミラは、ただの可愛い妹でしかない。
「うんとね、え~とね~」
「焦らなくてもいいぞ。ゆっくり考えなさい」
「どこでもいいの?」
「あぁ、兄ちゃんに任せとけ!」
カミラが真剣に考え込んでいる。眉をひそめて、一生懸命に何かを思い出そうとしているようだ。その仕草もまた可愛らしく、俺の心を和ませる。
きっと美味しそうなお店を思い浮かべているのだろう。子供らしい発想で、きっと楽しい提案をしてくれるはずだ。
「じゃあ、軍隊!」
ん!? こ、こやつ今、何を?
「カミラ、そこは食事処じゃないぞ。わかってるよな?」
嫌な予感バリバリだが、あえて抵抗したい。
軍隊って、まさか……。いや、きっと軍隊が経営するレストランとか、軍隊風の内装の店とか、そういう意味だろう。そう信じたい。
「うん、わかってるよ。ご飯はもういいや。もっと軍隊もの殺べたい!」
くっ、やはりか……。
昨日判明したが、カミラの「たべる」は、食するじゃなくKILLするって意味合いが強い。
カミラは可愛いからグルメレポーターにでもなれば、応援してやれたのに。
想像してみる。テレビの料理番組で、愛らしい笑顔を浮かべながら美味しそうに料理を食べるカミラ。「このお肉、とろけるような食感で本当に美味しいです♪」なんて言っている姿を。
……それはそれで、別の意味で怖いかもしれない。
まぁ、そうだよな。そんな簡単にカミラの快楽殺人が治れば苦労しないか。
カミラは、楽しそうに「軍隊! 軍隊!」と連呼する。
その声は無邪気で明るいが、内容が内容だけに周囲の視線が痛い。近くのテーブルの家族が困惑した表情でこちらを見ている。
「カ、カミラ、わかった。わかったから、そんなに騒ぐんじゃない」
「じゃあ軍隊連れてってくれるの!」
冗談じゃない。死ぬ気か?
祖父ちゃんの伝説、八万人の軍隊に突撃した話に感化されたのだろう。
無謀すぎる。
あれは世界最強と謳われた祖父ちゃんだからできた話だ。俺達兄妹が同じことをしても、せいぜい五万人ぐらいが関の山である。作戦によっては八万人もいけるかもしれないが、それでも大きなリスクがつきまとうだろう……って何を真面目に検討している!
これは論外、検討に値しない話だ。
第一、軍隊は悪人の集団ではない。国を守るために戦う兵士達だ。たとえ敵国の軍隊であっても、彼らには彼らなりの正義がある。無差別に殺していいような存在ではないのだ。
「……カミラ、軍隊はまた今度見学に行こう」
「えぇ~!」
「後で連れて行ってやる」
「後っていつ?」
「いずれな、いずれ」
そう言って、無理やり話を終らせる。
ふ~。
椅子の背もたれにどっとよりかかり、大きく溜息をつく。
そんなに簡単に人は変われないもんな。
わかってたよ。
カミラが三度の飯より殺しが大好きだって。
それでも期待してしまった自分が馬鹿だった。一度の食事で価値観が変わるなら、苦労はしない。
胸の内に、暗雲が漂ってくる。
思わずテーブルをトントンと指で叩いてしまう。
……おっけい。まだ大丈夫。
カミラは、親から強制的に殺しをやらされてただけ。何よりうちに進入してきた暗殺者を返り討ちにしただけである。無辜の民を殺したわけじゃない。
まだまだカミラは救える。
それに、今日の反応で分かったことがある。カミラは確実に食事を楽しんでいた。美味しいものを食べる喜びを理解することはできるのだ。
問題は、その喜びよりも殺しの快楽の方が遥かに勝っているということだが……。
よし、切り口を変えよう。
まずは敵を知り、己を知れば百戦危うからずだ。
カミラの情報収集が先決である。
「カミラは、今までどんな感じだった?」
「どんなって?」
「だから、今までの生活だよ。兄ちゃんは、カミラがどんな風に暮らしていたか知りたい」
パンを千切って口にほおり込み、笑みを浮かべて世間話をする。
趣味、特技、好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きな科目、嫌いな科目……。
カウンセリングをするにあたり、最低限の情報を入手するのだ。
カミラの過去を知ることで、なぜ彼女がこれほどまでに殺しに執着するのか、その原因を探りたかった。
「え~とね、毎日殺べてた」
そうだな。毎日、賞金稼ぎが来てたもんな。
それは知っている。
「そうか。大変だったな」
「ううん、全然大変じゃないよ。つまんなかった。みんな、死んでるんだもん」
悲しいことだが、殺し屋として育てられた俺には、カミラの話が理解できる。
死んでいるとは、つまり目が死んでいるという意味だ。まぁ、侵入者の大半は、家のスケールに圧倒され、度肝を抜かれる。
ましてカミラと戦わせる挑戦者は、万が一を考慮して親父か母さんが選抜する。事前にぼっきりと心の牙を折られてただろうね。
本当に強い相手、カミラを成長させられる相手は、親父や母さんが相手をしてしまう。カミラに回ってくるのは、どうしても二流以下の相手ばかりになる。
それでは確かに面白くないだろう。相手にとっても、カミラにとっても。
「それで他には?」
「あとは鍛錬」
「そっか。最近はどんな鍛錬をしていたんだ?」
「三階から飛び降りてた。すごく退屈だったよ」
「そ、そうか」
「お兄ちゃんは、断崖の絶壁から飛び降りてたんでしょ。いいな~」
そう、俺はカミラの歳になる頃には、高度三百メートル以上もある崖からダイブをしていた。百獣の王ライオンですら我が子を抱いて逃げ出すような高度の崖だ。それも毎日だぞ!
我ながらよくやってたよ。完全に幼児虐待だ。
だが、それが俺を鍛えたのも事実だった。極限状況での判断力、不屈の精神力、そして何より死への恐怖を克服する胆力。それらは全て、あの過酷な訓練の賜物だった。
とはいえ、今思い返せば異常な教育だったのは間違いない。普通の家庭で育った子供なら、確実にトラウマになるレベルの訓練だ。
「カミラ、お前は羨ましがっているようだが、崖から飛び降りたっていいことなんて何もなかったぞ」
「そんなこと ない。僕もやってみたいのに。パパもママも危ないからってさせてくれないんだよ」
「それは親父達が正解だ」
「ちぇ、お兄ちゃんもそう言うんだ。パパもママも代わりに三階から飛び降りてなさいって、全然つまんないよ」
「そ、そうか」
三階から飛び降りても退屈だと言うカミラ。一般人なら即死レベルの高度だというのに。マキシマム家の基準は、やはり常識を超越している。
「電撃も浴びせてくれなかったんだよ。お兄ちゃんは六歳の頃から雷に打たれてたんでしょ」
そう、俺は絶壁から飛び降りることの他に、雷に打たれていた。雷雲が現れたら、避雷針を持って外へ行かされるのだ。
この辺の地域の雷雲は、真っ黒でかなり雷を溜めていた。体感的に一億ボルトぐらいあったんじゃないかな?
最初は死ぬかと思った。全身に激痛が走り、意識を失うことも度々あった。だが、回数を重ねるうちに慣れてきて、最終的には雷を浴びながら戦闘訓練をするまでになった。
……我ながらよく死ななかったよ。完全に幼児虐待だ。いや、そんな言葉じゃ軽すぎだ。幼児虐殺だね。
「あ~カミラ、あれもそんないいもんじゃないぞ」
「そんなことない。僕もやってみたいのに。パパもママも危ないからってさせてくれないんだよ。雷の代わりに滝に打たれてなさいって、全然つまんないよ」
カミラは口をとがらせて不満を言う。
うん、まぁ雷ほどじゃないが、うちの庭にある滝だってなかなかのものだぞ。ナイアガラの滝並にすごい水圧がかかるからな。
マキシマム家の庭園は、一般的な貴族の庭とは根本的に異なる。美しい花々や芸術的な装飾も確かにあるが、その大部分は訓練施設で構成されている。滝も、その一つだった。
人工的に作られたその滝の水圧は、常人なら確実に骨を折るレベル。それでも雷に比べれば安全だと判断されているのだから、マキシマム家の常識の異常さが分かるというものだ。
「カミラ、滝だって捨てたもんじゃないぞ」
「それだけじゃないよ! フグを食べたときも僕だけ仲間外れされたんだよ」
そうだった。うちではフグを内臓まで食べる。要するにテトロドトキシンに対する耐性をつけるのだ。
フグの肝や卵巣に含まれる猛毒。本来なら間違いなく死に至る毒素を、少量ずつ摂取することで体に耐性を作り上げる。これも暗殺者として必要な技能の一つだった。
毒に対する耐性があれば、敵からの毒攻撃を無効化できるし、逆に自分が毒を使う際の安全性も高まる。理にかなった訓練ではあるが、やはり異常だ。
「カミラ、そんなに美味しいものじゃないぞ」
「僕も食べたいよ。それなのにパパもママもだめだって。お腹を壊さないように青酸カリにしときなさいって。甘やかしすぎだよ。僕のポンポン丈夫だよ。差別だ、差別!」
カミラはヒートアップして声高に叫ぶ!
うん、やめろ。もういい。お腹いっぱいだ。
こんな公共の場所でマキシマム家の闇を話すんじゃない。
ほら、周囲のお客さんも見てみろ。
さっきまで微笑ましく見守っていた人々の表情が、見る見るうちに変わっていく。困惑、不安、そして明らかな警戒心。
崖から飛び降りるとか、電撃を浴びるとか、荒唐無稽で信じちゃいないだろうけど、危ない話をする変な兄妹だとドン引きしている。
老夫婦は顔を見合わせてひそひそと話している。子連れの家族は、自分の子供をカミラから遠ざけるように席を移動させている。ビジネスマンは新聞で顔を隠しているが、明らかにこちらを警戒している。
あれだけ暖かかった空気も、こんなにさめざめだ。
これだよ、これがマキシマム家の闇だよ。ただ話をするだけでも、周囲に悪意しか撒かない。
飛び出してきて正解だな。
何代にもわたって、殺し屋家業をしてきたつけだ。子々孫々まで不幸だよ。
カミラの話を聞いて改めて思った。
これは酷い。酷すぎだろ。
仮に俺がマキシマム家の党首になったら、絶対に殺しを廃業してやる。まっさきに家族全員の殺人許可証を破棄させてやるもんね。
まぁ、継いだりはしないけどさ。
とにかく、妹の意識改革だ。上は両親から始まり下は末端の使用人に至るまで、息を吸うように暗殺をしてきた。こんな環境で育ったのだ。妹の会話が偏るのも当然である。
なんとしても妹の洗脳を解かなければならない。
そのためには、どうすればいいだろうか?
会話はもちろんする。だけど、やっぱりセラピストとかいたらベストだろうね。カウンセリングのプロに診てもらうのも手かもしれない。
もちろんセラピストが殺べられないように、俺が隣で監視してなければいけないけどね。
精神科医や心理カウンセラー。この世界にもそういう職業はあるはずだ。人の心の病を癒やす専門家。カミラにも、そうした専門的な治療が必要かもしれない。
ただし、問題がある。カミラの異常性を理解してくれる専門家がいるかどうか。そして、その専門家がカミラに殺されずに済むかどうか。
そうやって考え事に没頭していると、周囲からヒソヒソと話が聞こえた。まだ俺達の噂をしているね。
まぁ、あれだけ変な話をしていたらな。
変に目立ってしまった。
こういう時、耳がいいのも考えものだ。聞きたくないことまで聞こえてくる。ちなみにどんな噂をしているかというと「家出」「非行」「虐待」の三つだね。
おぉ、奇しくも当たっているじゃないか。そう俺達は親の虐待から逃げてきているのだ。
……警察に通報されたら面倒だな。
客の会話を盗み聞きしながら、様子を探る。善意の誰かが通報に走れば、すぐにレストランを出なければならない。
そうして会話を盗み聞きしていると、ある貴婦人のグループから「聖人」というキーワードが聞こえてきた。
現代の生きた聖人。
難民を救う英雄。
子供達の救世主。
ん!? これって、この聖人に話を聞いてもらったら効果があるんじゃないか?
おぉ、おぉ!!
思いつきに身が震える。
聖人と呼ばれるほどの人物なら、きっと慈愛に満ちた人格者のはずだ。そんな人物とカミラを会わせれば、何かが変わるかもしれない。
殺しと血に塗れた世界しか知らないカミラに、本当の愛と平和を教えてくれる存在。それこそが、カミラの救いになるのではないだろうか。
今まで様々な方法を試してきたが、どれも効果がなかった。だが、真の聖人ならば違うかもしれない。人の心を癒やし、道を示す力を持った存在。カミラのような歪んだ魂をも救ってくれる可能性がある。
希望の光が見えた気がした。長いトンネルの向こうに、ようやく出口が見えたような感覚だった。
カミラの更生への新たな道筋。それは、俺一人の力では限界があった。だが、聖人という存在なら、俺にはできないことを成し遂げてくれるかもしれない。
こうしちゃいられない。
思わず席を立ち、聖人の話をしていた客の前まで移動した。
「な、なに?」
貴婦人達は、驚いている。
まぁ、噂をしていた当人がいきなり現れたらね。
マナー違反かもしれないが、なりふり構っていられない。
カミラの未来がかかっているのだ。この機会を逃すわけにはいかない。
「突然すみません。ぜひ、その話を詳しく聞かせてくれませんか!」
俺は、貴婦人に頭を下げて頼んだのだった。