プロローグ
俺の名は、リーベル・タス・マキシマム。十七歳。
家族は、全員名うての殺し屋だ。
朝起きて歯を磨いて朝食を食べ、今日のターゲットを確認してから出勤する。そんな、ある意味普通のサラリーマン一家である。ただし、仕事が人殺しというだけで。
……って、全然普通じゃねぇよ!
冷静に考えてみろ。朝食のテーブルで交わされる会話がこれだ。
「おはよう、リーベル。今日もいい天気ね」
「おはよう、母さん。今日のターゲットは?」
「フゴス盗賊団のボス、ガルム・ザ・ブラッディよ。賞金は金貨三千枚」
「了解。昼には片付けて帰ってくる」
「気をつけてね。愛してるわ」
普通の家庭なら「今日は残業があるから遅くなる」とか「PTA会議があるの」とか、そんな会話をするだろ! なんで朝からターゲットの確認してるんだよ!
ただ、殺し屋と言っても誰でも彼でも殺している訳ではない。ターゲットは犯罪者達だ。この世界では、犯罪者には賞金が懸けられている。悪党であればあるほど、その懸けられた額は大きい。国家転覆を企む反逆者なら金貨一万枚、村一つを焼き払った山賊なら金貨五百枚といった具合だ。
それらを狩って財を成したのがマキシマム家だ。
親父も母さんも祖父ちゃんも、都会に出稼ぎに行くノリで犯罪者をハントしていった。誰もが恐れる大悪党を赤子の腕を捻るが如く、簡単に殺していく。王都の酒場では「マキシマムに狙われたら、もう諦めろ」が合言葉になっているらしい。
つまり、ウチに懸けられている懸賞金は、半端ない額ってことだ。どれくらい途方もないかというと、軽く十桁はいく。仮に家族の内一人でも殺せたら、一生遊んで暮らせるだろう。下手すれば、三代遊べるかもね。
だから、危険とわかっていても、賞金目当てに挑戦するバカが後を絶たない。
成功すれば億万長者だ。さらにこの上なく名を上げられる。自分の命を担保にするだけで、極上のサクセスストーリーが待っているのだ。危険とわかりつつも、欲に惑わされる奴らがわんさか沸いてくる。
そんな欲ボケ連中の大半は、二流以下の腕が多い。そういう侵入者達は、うちの執事ズが対処する。まれにいる一流から一流半の活きのいい獲物だけは家族で対応するのだ。
これは、マキシマム家の家訓の一つとなっている。【一日一殺】ってね。
俺の家族を紹介しよう。まずは我が親父から。
親父の名は、ドミニク・レヴィアタン・マキシマム。四十二歳。
武芸百般という言葉では足りない。剣術、槍術、柔術、弓術……ありとあらゆる武を極めている。「武器? 何でもいいよ。素手でも構わない」が口癖だ。
全ての型を知り、全ての極意に通じる。剣でも槍でもナイフでも、箸でも楊枝でも、どんな武器を持たせても親父は一流以上に一流だ。この前なんて、昼食のスパゲティを食べながら、フォークだけで窓から侵入してきた暗殺者三人を瞬殺していた。麺をくるくる巻きながら、だぞ?
もちろん武器が無くても問題なし。拳一つで南極グマを殴り殺せるし、巨大象だってその尋常でない膂力で絞め殺せる。実際、俺が十歳の誕生日プレゼントとして「象と素手で戦ってみたい」とお願いした時、親父は本当に巨大象を素手で倒して見せてくれた。
全身を筋肉で固めていると言ってよい。体脂肪率一パーセント以下、身長は十二尺で二メートルを越す大男だ。丸太のような手足、戦車を思わせる巨体。朝、廊下を歩く足音だけで家全体が微振動する。だからといって、動きが遅いわけでもない。
嘘みたいだろ? あの巨体で、百メートル五秒を切るんだぜ。
面白いのは、そんな親父が家庭では完全にマイホームパパなことだ。母さんには頭が上がらないし、俺や妹には甘い。休日には「今日はどこに行こうか?」と家族サービスに精を出す。ただし、その「どこか」が魔物の巣窟だったり、賞金首のアジトだったりするのがマキシマム家クオリティなのだが。
次に母さんだ。
母さんの名は、エリザベス・クリムゾン・マキシマム。三十八歳。旧姓はクリムゾン伯爵家の令嬢で、親父とは政略結婚……ではなく、恋愛結婚だ。二人が出会ったのは、同じターゲットを狙った暗殺現場だったという、なんともロマンチックな馴れ初めである。
母さんは、レイピアの使い手だ。一秒間に十六刺突以上は朝飯前。母さんが本気で突きを繰り出せば、肉眼では捉えられない。超高速カメラで撮り続けてやっと残像ぐらいか?
俺も何度か手合わせをしたが、レイピアの先が点と線にしか見えなかった。気がついたら服に穴が空いている。でも皮膚には傷一つない。完璧なコントロールだ。
笑い話でなく、まじで時を止めていると俺は睨んでいる。
見かけは深窓の令嬢そのものだ。背中まで延ばされたサラサラの金髪、切れ長の瞳、白い肌に上品な口元。所作も凛として、微笑みは慈愛のオーラを放っている。紅茶を飲む姿は絵画のように美しく、王都の社交界では「薔薇の貴婦人」と呼ばれている。
そんな淑女のお手本みたいなのに、中身は親父に負けず劣らずの化物っぷり。
嘘みたいだろ? こんな虫も殺さない涼やかな顔で、千人以上の賞金首を殺しているんだぜ。しかも、仕事から帰ってきても髪一本乱れていない。「おかえりなさい、お疲れ様でした」と笑顔で迎えてくれる母さんの手に血痕が付いていたりするのだが、本人は全く気にしていない。
母さんの特技は、殺しの最中でも一切表情を変えないことだ。微笑みを浮かべたまま、レイピアでターゲットの急所を正確に貫く。その姿は美しくも恐ろしい。敵も最後まで自分が殺されていることに気づかないらしい。
さらに、現役を退いたとはいえ祖父ちゃんも曲者だ。
祖父ちゃんの名は、アルフレッド・マグヌス・マキシマム。六十五歳。なんでも若い時、単身でいくつか国を潰したとか。国落としの称号は伊達じゃない。八万の軍勢に単身突っ込んでも、平気な顔をして帰ってきたんだとさ。その時の有名な台詞が「ちょっと散歩してきた」である。
リアル某超人漫画の主人公か!
今は隠居の身だが、それでも月に一度は「リハビリ」と称して近所の山賊団を全滅させに行く。「体が鈍らないようにね」と言いながら、一人で百人の敵を相手にするのだ。そして夕方には土産話と山賊の首を持って帰ってくる。
祖父ちゃんの趣味は盆栽と将棋。意外にも文学的な一面もあり、俺が幼い頃はよく昔話を聞かせてくれた。ただし、その昔話の内容が「桃太郎が鬼ヶ島で鬼を皆殺しにする話」だったり「シンデレラが継母を暗殺して王子と結ばれる話」だったりするのがマキシマム家クオリティなのだが。
もちろん家に仕える執事達も一筋縄でいかない強者達だ。家令のエスメラルダは、元はSSランクの賞金稼ぎだった化物だ。親父に挑んで敗北後、その実力を認められて家に雇われることになった。
下っ端執事ですら、他家の筆頭執事の力をはるかに超えるといったら、その化物っぷりがわかるだろう。朝の掃除の時間に、偶然窓から侵入してきた忍者を掃除用具で撃退するのが日常茶飯事だ。
そして最後に、俺の妹を紹介しよう。
妹の名は、カミラ・ローズ・マキシマム。十歳。
見た目は美しい西洋人形のような美少女だ。光輝く銀髪をツインテールにして、ルビーのような真紅の瞳に長い睫、透き通るような白い肌をしている。いつもフリフリのドレスを着ていて、まさに貴族の令嬢という佇まいだ。
だが、その正体は……体術を得意とする暗殺者の卵である。
「おにいちゃん、きょうもおけいこしたの♪ あたらしいわざ、おぼえたよ!」と無邪気な笑顔で報告してくる。カミラは家族の中では一番の新米で、まだまだ未熟な部分が多い。しかし、その分好奇心は人一倍強く、いつも積極的に訓練に励んでいる。
問題は、カミラが仕事を楽しんでしまうことだ。普通の暗殺者なら任務として淡々とこなすところを、彼女は心底楽しそうに取り組む。「きょうのおしごと、どんなひとかなー? たのしみー!」と真紅の瞳をキラキラさせている姿は、美しくも恐ろしい。
カミラの初仕事は八歳の時。小さな盗賊団の偵察任務だったが、「せっかくだから、みんなやっつけちゃうー!」と張り切りすぎて、偵察のはずが殲滅作戦になってしまった。その時の決め台詞は「はい、おしまいー♪ すっごくたのしかった!」だった。
俺はそんな家の長男として生まれた。エリート暗殺一家の跡取り息子だ。
一応、マキシマム家きっての天才ともてはやされている。祖父ちゃんをはじめ両親から、歴代最高の暗殺者になれると期待されているのだ。実際、十五歳で初めて単独任務をこなし、十六歳で王国指名手配犯ランキングトップ100入りの大物を仕留めた。
だが、長男だからって、変に期待されても困る。俺をあんた達化け物と一緒にしないで欲しい。
俺は、三ヶ月前のとある依頼遂行中に事故にあった。詳細は省くが、ターゲットの隠れ家で仕掛けられていた罠に引っかかってしまったのだ。敗因は油断の一言だ。「どうせ雑魚だろう」と高を括っていた自分が悪い。
頭を強く打ち、生死をさまよいながら眠ること一週間……起きてみれば吃驚!
事故前にはなかった記憶が実装されていた。俺は元日本人で、田中太郎という名前のどこにでもいる大学生だったようだ。二十一歳で工学部の三年生。アニメとゲームが趣味の、いわゆるオタクだった。死因は覚えていないが、多分トラックに轢かれたか何かだろう。よくある転生パターンだ。
その瞬間の混乱は、筆舌に尽くし難い。
突然脳裏に浮かんだ記憶の数々。
大学の講義室で友人とバカ話をしている俺。コンビニでバイトをしながら、客への愛想笑いを浮かべている俺。アニメを見ながら「このヒロインは俺の嫁」と一人でニヤニヤしている俺。
平和で当たり前だった日常。友人との他愛もない会話。バイトに講義に、恋愛に悩む普通の大学生活。そんな記憶が、殺人技術と血なまぐさい修行の記憶と混在する。
頭の中で二つの人格がせめぎ合った。
殺し屋リーベルは冷徹で完璧な暗殺マシン。三歳で初殺しを経験し、感情を排して任務を遂行する。血を見ても動じない。人を殺すことに何の躊躇もない。
一方、田中太郎は「人を殺してはいけない」という当たり前の倫理観を持つ平凡な青年。虫一匹殺すのにも罪悪感を覚える。暴力を嫌い、平和を愛する。
この正反対の価値観が、俺の脳内で激突した。
しばらくの間、俺は自分が何者なのかわからなくなった。鏡を見ても、そこに映っているのが殺し屋なのか大学生なのか判別がつかない。手に血が付いていないか何度も確認し、今まで殺してきた人数を数えて愕然とする。
「人を殺してはいけない」という当たり前の倫理観が、爆発的に膨らんだ。今まで何の疑問も持たずにやってきた「お仕事」が、急に恐ろしいものに思えてきた。
前世の記憶と共に、現代日本の知識も蘇ったのだ
。平和な社会、人権思想、法治国家の概念……そして何より、人を殺すことの重大さ。
でだ。ここからが本題である。
俺が今、一番悩んでいるのは価値観の逆転だ。前世の記憶が蘇り、俺の脳に、戦後民主主義教育がもろに詰まった平和でアットホームな思考がインストールされてしまった。
改めて自分を取り巻く環境を見つめ直してみる。
おかしいだろ。ウチの家!
なぜ、生まれたばかりの赤子を崖から突き落とす!
覚えている。あれは俺が生後九ヶ月の時……ハイハイを覚えたとたんに、崖から突き落とされたのだ。「獅子は我が子を千仞の谷に落とす」ということわざがある。ウチでは、まじでそれをやるんだよ。乳幼児がハイハイをしながら、崖を登ってくるんだぜ。それをカメラを持った両親が笑顔で迎える。
「リーベル、頑張って!」
「そうだ、あと少しだ!」
どんだけシュールなんだよ!
ふざけんな! 怪我したらどうするんだ!
……そりゃ怪我なんてしなかったけどさ。俺もキャッキャッ言いながら崖を登った記憶がある。その時の光景は、写真で撮って家族の思い出アルバムに追加された。俺も含めて全員笑顔で、微笑ましい家族写真みたいだけどさ。
基本おかしいからね。常識的にアウトだよ!
一歳の誕生日プレゼントは「毒耐性向上薬」だった。要するに毒だ。一歳児に毒を飲ませるなよ! でも、おかげで今では大抵の毒は効かない体になっている。
二歳の時には「隠れんぼ」と称して、魔物の森に一人で放り込まれた。三日三晩、一人でサバイバルしろというのだ。しかも、「見つかったら負けよ」と言われて、家族全員で俺を探しに来る。隠れながら魔物と戦い、食料を確保し、寝床を作る。二歳児がやることか!
三歳の時に初めて人を殺した。思春期どころかまだ反抗期も始まっていない子供に「殺し」を覚えさせるなんて鬼畜外道である。
相手は村を襲った山賊の一人だった。親父が捕らえてきて、「リーベル、やってみるか?」と短剣を差し出した。
「パパ、これで何をするの?」
「このおじさんは悪い人だから、やっつけるんだ」
「やっつける?」
「そう、こうやって……」
親父の手ほどきで、俺は山賊の心臓を一刺しにした。
ミスって反撃されたらどうするんだ。下手したらこっちが死んでたぞ。よしんば殺されなかったとしても、ショックで心が壊れてたかもしれないのに。
……そりゃ怪我なんてしなかったけどさ。トラウマどころか次の日に普通に飯も食えてたし。殺した直後も心音、脈拍ともに正常だった。
ってか三歩歩いたら、もうターゲットを気にもしていなかった。初めて殺した相手だぞ。少しは気にしてもいいはずなのに。
うん、前世を思い出す前の俺、マジでやばいね。どんな三歳児やねん。
四歳の時は「お使い」で隣国まで一人旅。もちろん護衛なしだ。「道中で襲われても自分で何とかしなさい」と言われた。結局、盗賊に三回、魔物に五回襲われたが、全部返り討ちにして帰ってきた。お土産は盗賊の首と魔物の素材だった。
五歳の時は「夏休みの宿題」で、賞金首を一人捕まえてこいと言われた。しかも「生け捕りで」という条件付きだ。殺すより生け捕りの方が難しいことを、五歳児が理解できるわけがない。でも、なぜかやってしまった昔の俺。
とにかくだ。そんな感じで、誰がどう見てもウチは、虐待一家である。世間に明るみに出たら、新聞や週刊誌がバンバン叩いていた事案だよ。
ただね、両親は、普通に俺達に愛情を持っているみたいだから、ややこしい。子供達を立派な暗殺者に育てるって、ガチで言ってるんだよ。
「リーベル、お前は我が家の誇りだ」
「あなたなら必ず歴代最高の暗殺者になれるわ」
「孫よ、お前の成長が楽しみじゃ」
こんな感じで、本気で期待している。愛情も本物だ。俺が怪我をすれば心配するし、成功すれば心から喜ぶ。ただ、その愛情の示し方が完全に狂っているだけで。
親父の愛情表現:「息子よ、もっと強くなれ!」と言って、巨大魔物と素手で戦わせる。
母さんの愛情表現:「リーベル、お疲れ様」と言って、毒入りお茶を差し出す(毒耐性強化のため)。
祖父ちゃんの愛情表現:「孫よ、今日は特別に秘伝を教えてやろう」と言って、禁断の暗殺術を伝授する。
妹のカミラに至っては「おにいちゃん、だーいすきー♪」と言って、新しく覚えた関節技を試そうとする。「いたくしないからー、おにいちゃんでれんしゅうさせて!」と言いながら、明らかに危険な技をかけようとしてくる。甘えた声で言われると断りにくいが、愛情が重すぎるんだよ!
親父や母さん、祖父ちゃん……皆、手遅れだ。
俺には彼らを説得する自信がない。奴らは、思想が凝りに凝り固まっている。仮に俺が、友愛や平和、ガンジー主義を唱えようものなら、病気にかかったと心配されるだろうね。
「リーベル、熱でもあるのか?」
「まあ、可哀想に。きっと任務で頭を打ったのね」
「孫よ、しばらく休養を取った方がよいぞ」
こんな反応が目に浮かぶ。
……まぁ、実際に頭を打って記憶が戻ったんだけどさ。
それでもなんとか折り合いをつけたんだよ。
この世界では、俺たちがやっているのは正義の執行なのだ。警察や軍隊では手に負えない悪党を退治している。言ってみれば、正義のヒーローみたいなものだ。そう自分に言い聞かせて、なんとか平静を保っている。
だが、一人だけ、どうしても放っておけない存在がいる。
カミラだ。
せめて兄として、妹の教育だけはきちんとしてやらればいかんと思っている。
俺が責任を持って、カミラを淑女に育てねばなるまい。前述のように両親に任せては、妹の人生が終わるから。
このまま放置すれば、カミラは確実に人格が歪む。いや、もう既に相当歪んでいる。十歳にして殺しを楽しむなんて、明らかに異常だ。
でも、まだ間に合う。カミラはまだ子供だ。正しい教育を受けさせれば、きっと普通の女の子になれるはずだ。
俺の前世の知識を活かして、カミラを救わなければならない。
それが、転生した俺の使命なのかもしれない。




