1─6 魔王の旅立ち
「勇者、王女様と結婚するんだってね、おめでとう」
最初に本心を伝えた。まぎれもない本心だ。もちろん、嘘ではない。
勇者が驚いた顔をしているが、国を挙げて宣伝していることだ、大陸内で知らぬものはいないだろう。ましてや王国きっての王女と魔王を倒した勇者の婚儀だ、広まらない方がおかしい。
さて勇者の前まできたが、何を言うか考えていない。何も言わずに去ることもできるが、それならばわざわざ来なくてもいいことだ。宿の荷物を取ってマオのところに帰ればよかったのだ。
「勇者は私を探してたるんだよね? 理由は知っているよ。でも今は聞いてあげられない。だって約束したでしょ、魔王を倒した後って」
勇者に近づき、耳元で続ける。
子供の頃の懐かしい匂いを感じた。
「まだ、真の魔王は、倒されていない」
勇者にだけ聞こえるよう囁く。表情を変えなかった勇者はさすがというべきだろうか。取り乱すようなことがあれば周りの群衆が、特に戦士僧侶魔法使いがどう行動することか。その行動によって私が去ることを避けたのだ。
「勇者を倒した魔王は、今は力を失って私といる。でも、魔王より強大な敵がいる」
さすがに勇者はびくりと小さく体を震わせた。
「信じなくてもいいよ。私はこれからその敵を倒しに行く」
"呪いの言葉"を残して勇者から離れる。まだ懐かしい匂いが嗅覚に残り、ほんの少しだけ癒しを与えてくれる。
「それが終われば、ちゃんと返事を聞きに行くよ」
話はそれだけだ。長話をする必要はない。長話の結果、勇者に心を動かされるわけにもいかない。
私の言葉を虚言として断じることも勇者にはできるだろう。だができないはずだ。私が"信じなくていい"と言った以上、勇者は必ず私の言葉を信じる。私と勇者の関係は一言でいえば水と油、互いに反発しあうようになっている。この場合私は油だ、水に比べてかなり他に溶けにくい。
「待ってくれ。真の敵ってなんだ。お前だけでどうにかできるものなのか?」
背を向けた私に勇者が問う。私は振り返らない。
「やるしかないんだよ、旅を続けるために」
「俺の力は必要じゃないか? また一緒に行くことはできないのか?」
「できない。理由もあるけど、それは言えない」
「どうしてだ、俺とお前はずっと一緒にいたじゃないか!」
ずっとじゃないよ。
「勇者の仲間って場所にはもう私の居場所はないから。私は一度離れちゃったからね、今更戻ることはできないよ」
「戻ってこい! 新しい敵がいるっていうなら仲間になったっていいだろ! 俺達はいつだって仲間を集めることから初めただろう!」
"俺達"じゃないよ、勇者だけだよ。
「なら私を仲間にしてみせてよ。仲間にならないという敵を追ってみせてよ。私は勇者の敵になるから」
いつも通り、今までしてきたように、私の心を動かしてみろ。そんな気持ちを残して、私は駆けだした。これ以上話を続ければ心が動かされる危険がある。すでに警告のように脳が去ることを要求していたのだ。
元いた場所まで駆け戻り、そこにいるマオの前で止まる。
予想以上に早く戻ってこられたからかマオが嬉しそうに私を見上げている。
「さあ行こうかマオ。旅を続けに」
「ああ、行こう。主との旅をいつまでも」
いつも通り手を繋いで最初の一歩を踏み出した。
歩きながら昔を、勇者との思い出を考えていた。
未練ではない。最初から未練など塵ほどもなかったのだ。
勇者と初めて出会った時から流されっぱなしの私が初めて自分で選んだ私の道だ。流されていた頃の未練などあるはずもない。
俺と遊ぼう。
出会いは勇者から。一人で呆然と立ちつくしている時に声をかけられた。何かをしていたという訳ではない、ひたすら空に浮かぶ雲の数を数えていたのかもしれない。それほどのことしかできなかった。
私には勇者と出会う少し直前から以前の記憶がない。まるで勇者を基に発生したのではないかとすら思えるくらいだ。
共に遊び、共に学び、共に過ごした毎日は間違いなく今の私に生きている。勇者のことを聞いたからこそ言えることだが、私はきっと最初に勇者の影響を受けた人間なのだろう。出会う以前のことは私に知る由もないことであるが、村にいた誰も彼も勇者の影響を少し受けていたように思える。
で、どうよ?
このナンパの言葉にしてはあまりにぞんざいな物言いは、選ばた勇者と認められるために王都へ召喚された時のものだ。連れて行くことのできる一人の従者に私を選んだのだが、当時一心同体と言うほど仲が良かったとはいえムードを考えてもらいたかった。
逆らう理由もなかったので誘いに乗って王都まで付き添っていき、柄にもなくドレスアップして王宮の舞踏会に参加したところまでがいい思い出である。すぐに勇者が王女様に誘われてしまったので隅の方で人を数えていたのだが。
一緒に来いよ。
舞踏会があった次の日、勇者は王国から勇者の称号を与えられた。特に何かを与えられたという訳ではないが、宿や船を優遇される札のようなものを貰っていたような気がする。
仲間集めをするという話を聞いた直後に先ほどの言葉を言われた。栄えある勇者一行最初の仲間として私が選ばれた。ここでも断る理由がないこともあり、流されるまま勇者一行の仲間に加わった。
今思えば少しくらい抵抗してもよかったかと思えるのだが、勇者と口論をしたところでいずれお互いの折り合いをつけて仲間に加わっていただろうから、徒労を省略できてよかった。
仲間になったからと言って関係に変化はなく。ずんずんと先をいく勇者を追いかける毎日だった。
勇者と私はよく対立した。
対立という言葉は、特に人間関係においていわれる場合は仲の悪い印象を与えるように思われるが、仲が悪いという訳ではない。些細なことに対してよく意見の食い違いがあったのだ。
例えば、その頃から修行癖のあった私は一日一回は修行をしたのだが、勇者はとにかく実戦あるのみで修行を嫌うところがあった。修行をするかしないかで揉めに揉めて、結論として私は一人で修行することになった。
他にも色々、食べ物の好き嫌い、寝る時の頭を方向、宿に泊まる際の部屋の場所、些細なことではよく対立することになった。が、大きい目で見れば同じこと意見であった。
修行することも実戦するこも強くなることでは変わらず、栄養を得るために互いの好き嫌いの当て嵌まらないものを食べ、寝る時の部屋を分けて休息する。何をするべきかは一致していたのだ。
これからどうする?
何度となく繰り返し聞いた言葉。何かをする時に勇者は私に確認を取る癖があった。この時も意見が分かれて互いの意見の妥協点を探ることになるのだが、思えば勇者にとって私は行き過ぎぬための枷のようなものだったに違いない。
まあ……行き過ぎてしまっても結果を成功に導くのが勇者なのであるが。
互いに目的とするものに食い違いが起こることはない。これは経験論だ。
真の敵のことに関しても勇者は必ず動くと確信している。
俺はお前と別れることには反対だ。
戦士と魔法使いが仲間になり、勇者一行の中で私の存在意義が失われた。仲間の誰かが私を不要と言った訳ではなく、自ら勇者一行に私が不要だと言ったのだ。元々私が不要だという空気はあり、軋轢を避けるために話を切り出したにすぎないのだが。
この話が出たとき戦士と魔法使いは何も言わず、勇者だけが私が抜けることに反対した。前者について私に驚きはなかった。私が勇者ではなく単なる仲間であるのだから、自分で不要というなら止める理由もないだろう。
後者についても私に驚きはない。勇者の性格を考えれば反対することは目に見えている。強いて驚くことがあったとすれば、勇者がその場で残りの二人を説得しなかったことだ。内心で受け入れるしかないと思っていたに違いない。
多数決をとった結果、私と魔法使いが私の意見に賛成、勇者が反対、驚くことに戦士は中立を選んだ。
「どうした? 楽しそうな顔をしているぞ?」
「昔のことを懐かしんでたんだよ。若かったなーってね」
いかん、顔に出てしまったようだ。
勇者との思い出はまたいづれマオにも話したいものだ。
思い出を思い起こすことを中断した私は次の行き先について考えることにした。
「じゃあ旅も続けることだし、どこに行こうかな?」
「まずは我の城に行こうぞ。我自身知らぬことが多い城だ、主が見ればまた違ったものが見えるかもしれん」
「マオの城、てことは魔王城?」
「人間から見ればそうだ。今はどうなっているか知らんがな」
魔王がいなくなった魔王城それはすでに魔王城ではないんじゃないか、そんなことを考える。
噂では魔王がいなくなった後は王国の調査隊が宝物や資料を求めて滞在している。関係者というより所有者であることを証明できないのであれば無関係と同じだ。最悪城に入ることもできないかもしれない。
「入れるかなー……魔王城って別の大陸だし、もう少しこの大陸で何かないかな?」
「否、我としては一度居城へ戻り、武器の一つや二つ手にしておきたい。いつまでも主だけに戦わせるわけにはいかんだろう」
どうしても魔王城に戻りたいようだ。私には家に帰りたいと思う心は殆どないので理解できないが、対抗できる武器があるというなら行くことも悪くない。……のだが。
「何日かかるかわからないんだよねー、だからこっちでできることは先に済ませておこうよ。戻ってくるにも同じくらいの日にちがかかるんだから」
「時間はいくらでもあろう? 旅が長くなることに異論はない」
どうしても、どうしても魔王城に戻りたいようだ。海を渡って大陸を渡り、かつて君臨していた魔王城に。
魔王城に戻ることに関しては私にも異論はない。旅が長くなることについてもだ。……だが。
「この大陸でまだできることがあるかもしれないよ? 何か思いつかない?」
「城に帰りそれから考えればよかろう。……主よ、何か隠しておらぬか?」
「べ、別に……何も隠してはいない、よ?」
海を渡ることになりそうだ。一度だけではすまないくらいに海を渡らなければならないようだ。
もちろん私に海を渡った経験はある。吐き気を覚えるほど不安定な船に数日揺らされて、時折海の魔物を退治しつつ海賊にも備えて耐えたのは懐かしい日のこと。大半の時間を船の倉庫の奥で隠れて蹲り、御産に耐える妊婦のごとく閉口していたのは口にださない。
「……まさか主よ」
マオの訝しむ目が刺さる。そんな目で私を見ないでくれ、うっかり船が苦手だなどと言ってしまいかねない。
「待って、分かった。魔王城に向かおう。船が必要だね、まずは港町に行こう!」
「う、うむ。では早く行くぞ」
どうやら深い詮索は避けられたようだ。助かった。後はどうにかして船に乗るまでに対策を考えなくては。船で弱っている私をマオに見られるのは恥ずかしい。
乙女である私には恥ずかしいと思うことが多々あるのだ。
魔王城のある大陸に船を出している港町に向かうことにする。大陸の真ん中近くにある街からなので、数日はかかるはずだが、問題の大きさから考えると多いとは言いにくい。私は船というものが本当に苦手なのだ。
「勇者は何を話してきた?」
不意にマオが口を開いた。気になっていたが切り出しにくかったのだろう。
「告白しなおしてきたよ」
「…………」
無言が痛い。
「答えは聞かなかったよ。その代わり、私は勇者の敵だって言ってきたよ。これでマオと一緒にいてもおかしくないよね?」
そうだなとマオが小声で嬉しそうに言ったことは聞き逃さない。
同じ気持ちであることの確認もできたことで、今後の勇者一行の行動予測を話しておくことにしよう。
「勇者は私達を追ってくるはずだよ。……ううん、私達もだけど真の敵を探しにいくと思うんだ。私なら不可能なことでも勇者ならできるはず、だから私達は勇者から逃げつつ勇者の動向を追うよ」
「勇者の手を借りるというのか? 我でも可能かもしれんぞ」
「マオならできるだろうね。でもそれだと旅が忙しものになっちゃう。マオと一緒の旅なんだから楽しく行きたいもん」
「一理ある、か。であるなら勇者の手を借りるのも悪くない。我も……主とは楽しく旅をしたいからな」
照れながら言うマオが可愛い。言うときに少し繋いだ手に力をこめるところも堪らなく愛おしい。
と、何を思ったのかマオが立ち止まり私を見上げた。
どうしたのだろう。
「楽しい旅をするために、一つ言っておかねばならんことがある。大事な話だ」
「聞くよ、何かな?」
「すまなかった。我は主を疑ってしまった、あまつさえ我は主を拒絶し傷つけた。誤ってすむことでは」
「いいよ、許す」
「ない……なに。そんな簡単に許すのか?」
「マオが言ったことならなんでも受け入れるよ。それに、私も謝らないと」
私は少し低い位置にあるマオの目を見た。
「手を掴めなくてごめん。拒絶されても私はマオの手を掴んでいるべきだった。だからもう離さないよ。離されても拒絶されても何度でもマオの手を掴みにいくからね」
「それこそ気にするな。もう我が主の手を離れることはない。主が離れようとしても掴みとってくれるわ」
それは頼もしそう。一度試してみたいものだが、機会はないだろう。
「絶対に手放さないよ」
「我もだ」
お互いぎゅっと手を強く握り合わせ、信頼を預けあった。