1─3 魔王に相談
マリーと別れた後もずっと剣を振り続けていた。昨日は剣の修行を途中でマオに止められてしまったので、今日は剣に重点をおくことに決めた。勇者一行の戦士の剣を受けて痺れる手で剣を振る。
強かった。思考での斬り結び、たった数合剣を交えただけで実力の差を感じた。あのまま手合わせを続けていれば────あれが本当の戦闘であったら私は殺されていたに違いない。大剣が私の胴を力任せに引き裂かれていたことだろう。
相手が超重量の武器を持って向かってくる想定は常にしていた。だがマリーは私の想定を大きく上回っていた。仮想敵に大幅な上限修正をしなくては。
ふぅと息を吐き集中を研ぎ澄ませる。想定しているのは超重量の武器を持つ相手だけではない。
遠距離から魔法を使ってくる相手、あるいは魔法で身体強化を加えて向かってくる相手、あるいは斬ってもすぐに回復するような相手、あるいは単純に身体能力が高い相手、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは────考えられるだけ全てを想定する。
私は弱い。剣でも魔法でも力で敵わないなら知恵を使う。智は力なり、唯一無限の可能性を秘める力だ。
振って振って振り続け、気がすんだ時にはもうすぐ朝日が昇る頃だった。夢中で剣を振っていたからか、全身汗だらけになっていた。ここまで体を動かすのは街にいる時にしかできない。道中で体力を失うことは死を意味すると思う。
「そうだ、帰りに朝ご飯買って帰ってあげないと。あれだけ食べて寝るのに起きたらすぐに食べたがるんだよねー。あの体のどこに入っているんだろう」
私の朝ご飯はパンを一つだけ。マオは朝から肉を食べたがるが、栄養のことを考えて野菜と卵と少量の肉を買う。これを焼いてパンに乗せれば嫌々ながら食べてくれる。除けるのを面倒がっているだけなのだが、面倒くさいものほどマオには効果がある。
買った食材を片手に持ち、もう片方でパンを口に運ぶ。部屋に着くまでには食べ終えてしまうが、美味しそうに食べるマオを見ているともっと食べたくなるので先に済ませておく。
帰っている最中も集中だけは切らない。朝方ではあるが大通り付近には人が大勢歩いている。早起きしているのか、寝ていないのか定かではない。関所のほうからまだ人が入ってきているのでようやく街に入ることのできた人も少なくないだろう。
突然、ピリピリと何かが肌を撫でる。私だけではないようで周りの人もキョロキョロと周囲を見渡していた。
私は早足で人垣をすり抜ける。さっきの感覚は魔力によるものだ。それも魔法を齧っていない人ですら感じとれるほど高密度に練られている。これほどのことができる者はそう多くない。この街にそれが可能な魔法使いはいない。いるとすれば外から来ている旅人だ。
勇者一行の魔法使いに違いない。外には出ていないだろう、彼女は魔力を溜めるとき必ず部屋の中で行う。王国図書館で籠りっきりでいたかららしい。ピリピリと肌を魔力が撫でている間は魔法使いと接触することはない。
私が早歩きをしているのは魔法使いの魔力で周囲への感覚が乱されているからだ。この時間なら勇者は起きている、出会う可能性があるのだ、極力邪魔がある場所は早く通り抜けてしまいたい。
内心冷や汗を流しながらも何事もなく宿にたどり着く。すでに受付に立っていたスチュアートに調理場を借りて朝食を作り部屋へと向かった。
不機嫌そうなマオと目が合う。いつもなら面倒くさくて起きようともしないのに、今日に限ってはベッドから椅子に移って苛立たし気に揺らしている。不機嫌な理由はおそらく今も肌を刺激する魔力の流れだ。
「遅かったな。……不愉快な魔力の流れを感じるか?」
予想通りだった。私にとっては少し肌がピリピリするだけだが、弱い魔力でも敏感に感じ取れるマオにとってはもっと強い刺激になっているはずだ。
「感じてるよー。ちょっと静電気が流れてるみたいな感じだから不愉快ってほどじゃないけど」
「つくづく主には魔法の才能が無いな。よほど腹が減っているのだろう、街一帯の魔力が悉く吸い尽くされている。全盛期の我と比べても遜色ないほど膨大な魔力を溜めこもうとしておるわ。平和に侵された世界で必要かどうかは定かではないがな」
「今は魔法使えないのに?」
「ぐぅ……! 昔は使えたのだ! 今は……今は調子が悪いだけだ!」
「はいはいマオは凄いねー。はい朝飯だよー」
「主は我を子供だと思っておらぬか!? 我はこう見えて数百年生きて魔物を支配していた魔王であるぞ! こんなもので……こんな……主よ、今朝はやけに美味しそうなものを作ったな」
私が手に持ったものに気付いたマオは自分のことを横に置く。肉と卵とチーズを焼いたものを野菜を挟んでパンの上に置いただけのものだが、普段よりも良い肉を使っている。その肉にマオが反応しているのだ。よく鼻がきく。
魔王とは到底思えない行動をしていると気付いていない、可愛いものだ。
朝食を手渡すと待っていたとばかりにかぶりついている。大口を開けて一気に食べきると、珍しく上機嫌な様子で立ち上がり私の手を取る。私が朝食をすでに食べていることを知っている、いつもと変わらない朝だ。
「今日は美味しいものを食べに連れて行ってくれるのだろう? それに我は主の相談を聞き届けなければならんしな。時間が惜しい、さぁ行くぞ! 美味しいものが我を待っている!」
「食べ物のほうが私の相談より上なんだね、まあいいんだけどちょっと悲しいなー。でもちょっと待ってね、汗かいちゃったから流してくるよ。服も変えたいしね」
「なら早くしろ! 我はもう待ちきれんぞ!」
はいはいと適当に返事して、汗で張り付いた服を脱ぐ。自慢ではないがそこそこ大きい胸がつっかえてしまうが、構わず脱ぎ取る。全体的なスタイルもかなり良い、"お金を稼ぐのに適した体"だ。
一度下着を含めた衣類を脱いで裸になり、改めて新しい服を着る。その後マオの手をとり、街へでる。
街にいる人の声を聞いておけば勇者に会うことはないだろう。同時に勇者に気をつけることで戦士に会うこともない。魔法使いの行き先も分かっている以上会うことはない。唯一僧侶にだけは会う可能性はあるのだが、彼女とは面識がないので会ったところで問題ないだろう。
大通りを歩いて店を探す。王都の近くでは最も大きな街であるということで、大陸中から美味しいものが舞い込んでいる。勇者一行が来ているということもあってか、露店も多く出ている。それら一つずつにマオは反応している。
何度も来ている私にとっては露店の方が目新しく良いものだが、相談するとなると騒がしく適していない。勇者に発見される可能性もある、できれば人から目につかない個室の店が望ましいだろう。そういう店も私はよく知っている。
「なぁ主、どこへ向かっている? 我はそこらに並ぶものを食べてみたいぞ!」
「もうちょっと先だよー。じゃ、何か買って向かいながら食べよっか?」
「おお! それは名案だ! さすが主、旅に慣れているだけのことはある!」
関係ないんじゃないかな、と思いつつ目についた豚の腸に肉を詰め串に刺して焼いたものをマオの分だけ買う。マオはその肉詰めを美味しそうに頬張り、幸せそうに頬を緩めている。そんなマオを見ているだけでお腹いっぱいになる。
大通りから少し外れた道に入り突き進む。怪しげな飲食店が立ち並ぶ通りを抜けて、一番奥にある店の戸を潜る。
「あら、珍しいもんだね。勇者様がこられているのも驚いたけど、まさかあんたがまたわっちの店にくるなんてねぇ? それに、可愛い子を連れてるじゃないか。あんたに似てるわけでもなし、未来の旦那様かえ? 通りでどんな上客をあてがっても靡かないわけだねぇ」
「別にそんなんじゃありませんよ! 私の知る限りここが一番内緒話がしやすいからって理由だけですぅ! 部屋お借りしますね!」
「やれやれ、わっちの店はそういう店じゃないんだけどねぇ……仕方がないのぉ、愛娘の頼みじゃ聞き入れてやろるわい。一番奥の部屋を使いな、"あんたの部屋"だよ」
「ありがとうございます、レジーナさん」
「わっちのことはママと呼びなっていつも言っておろう? それに我が子が久々に帰ってきたんだ、サービスくらいしてやろうと思うものじゃ」
もう一度お礼を言って奥の部屋に進む。
レジーナは私の本当の母ではない。この店には身寄りのない女が多く、レジーナもそういう娘をどこからか拾ってくることもあった。その娘達の母親代わりとして面倒を見ているとよく言っていた。時に良さそうな男と引き合わせて将来の面倒を見ることもある。
一時期ではあるが私もこの店で働いていたことがあるのだ。その時もレジーナは何も聞かずに私のことを雇ってくれた。何度か男と引き合わされたこともあるが、資金を得るために働いていたので何度惜しまれたかわからない。そういえば、その内の一人に関所で出会った衛兵もいたと思う。何年も前で記憶は曖昧だけど。
奥の部屋につく。私の部屋だ。働いていたときはいつもここを使っていた。
建物の一番奥、そこは店で一番の娘がいる場所でもある。短い期間ではあったが、私はレジーナの店で一番人気があったのだ。
「ここは女を買うところではないのか?」
部屋についた先でマオはすぐに口を開いた。核心を得ている。
「そうだよ。私も自分で稼いだことがあるからね」
「主はどうして我をここに連れてきた? 自慢しようと思っているわけではあるまい」
「そんな気はないよ。……これは幼馴染にも知られたくない私の秘密、マオに知ってほしくてね。……ひいた?」
私の問に間髪入れずマオは「否」と答えた。間を入れないということは本当にひいていない、何にひけばいいのかもわからないような調子だ。
「我は主が過去に何をしていたかはどうでもよい。今の主がそうであっても我は絶対に主を否定しない。魔族を統べる魔王は寛容でなければならないのだ」
「魔王だから私のことを受け入れてくれるんだ」
また間髪入れずに「否」とマオは言った。
「魔王でなくとも、我が主を否定する要素がない。今我の隣にいるのは主だ、それ以外はどうでもよい」
「そ、そっか。嬉しいこと言ってくれるねー」
「ふん。我は主を認めているのだ。魔王軍復活の際は参謀として我の隣に立ってもらう予定だ」
「それは光栄です魔王様」
冗談を言いつつ、部屋に中央に座る。机や椅子はなく低い小さな台と布団が一式だけ、簡素な部屋だが仕事をするにはそれだけでいい。角にある小さな箱には貰い物が詰め込まれているが見せびらかすものでもないだろう。
「ここで美味いものを食べるわけではなさそうだな、ということは相談が先か? こんな場所にわざわざくるということは人に聞かれたくないのか」
「半分正解。ちょっとそこで待っててね」
私はマオを置いて部屋から顔を出す。外で待機していた女に一言二言頼み事をしてからマオの前に戻る。
沈黙。マオは私から話を切り出してくるのを待っている様子だが、今はまだそのときではない。
しばらくすると豪勢な料理を女が運んできてくれた。私はそれを受け取り、女に部屋の前で待つなと言っておく。
「ここでも美味しいものは食べられるんだよねー」
小さな台に山盛りの肉料理を置く。マオは垂らした涎を拭う。今にも食いつきそうな自分を必死に抑えて待っている。
きっと私が食べていいと言うのを待っているのではない。それ以上のことがあるようだ。マオの中では美味しいものよりも僅かにソレの比重が大きいらしい。
だから私は、魔王を自称するマオを正面に見て口を開く。
「私ね、マオが嫌ってる勇者の仲間だったことがあるんだよ」
沈黙。さっきとは違い重苦しい無言だった。無表情になったマオが口を閉ざしたまま私を見ている。何を考えているのか想像もしたくない。
静かさを怖いと思ったのは本当に久し振りのことだ。一人でいることに慣れている私は常に静けさと共にあった。マオと一緒に旅をしたことで孤独の感覚を忘れてしまっていたようだ。マオと、いや"誰か"と旅をすることで私は弱くなってしまう。
「だからマオの憎んでる対象に私も含まれてると思うんだけど、"私は"どうすればいいかな?」
身勝手な相談だ。子供にしていい話ではない。
「…………確かに我は主の言う通り勇者を嫌っているし憎んでもいる、その仲間も等しく同じ思いだ。故に勇者の仲間ならば主のことも嫌うし憎む」
閉ざしていた口が開かれる。マオの真剣な目には愚かな私が映し出されていた。
「しかし我は主を嫌いたくないし憎みたくもない。そこで考えてみたのだ、もしも主が我の立場で、我が主と同じことを言ったとき、主がどういうことを言うかをな。それを踏まえて言う。主の好きなようにするがいい」
「えぇ……どどどういうこと」
自分でも驚くことに呆けた声だったと思う。マオが呆れたとでもいうように無表情を崩し、いつもの自信ありげな表情に戻った。
「馬鹿が、主は我を魔王とは認めておらんのだろう? 理由は想像がつく。今の我は魔法も使えぬ上に腕力までそこらの餓鬼と大差ないからだ。だがそれは主にも当てはまることだろう。主は魔法も満足に使えず腕力はそこそこ、剣術も三流で上達の見込みなし。故に我は主を勇者の仲間だとは認めん。嫌うことも憎むことも必要ない、主は主のままやりたいことをすればよい。大体、主を勇者の仲間だと認めれば魔王であることを認められていない我を馬鹿にしているようではないか!」
話し終えるとマオは目の前の料理にがっつく。私の勇気を出した相談が下らないとでもいうように。
内心少しだけ安心する。これまでのマオとの旅の中で、私のことを知ったら離れ離れになってしまうのではないかといつも考えていた。マオと離れることを私は恐れ言わずにいたのだが、話してよかった。
理由については納得できない部分が多いが、私自身思っていることなので無視しよう。
「言いたいことは、んぐ、それだけか、んぐんぐ」
食べるか聞くかどちらかにしてほしい。今日だけはお説教はなしにしよう。
「実は後もう一つあるんだよ、こっちが本当に相談したいことなんだけど……、勇者の旅の目的が実は私っぽいんだけど、会いに行った方がいいかな?」
「主が目的? 勇者が今更主に何の用だ。まさか、我の主を奪いにくるということか! いつもいつも忌々しい勇者め!」
「いやいや私はマオのじゃないよ!? それに理由も分かってたりして、ははは……」
「もったいぶるな、いったい主と勇者の間に何がある?」
「えっと……実は昔勇者に告白しててね、返事は魔王を倒した後って約束して────」
「────会うな」
食べかけの肉を手に持ったままマオが私の言葉を遮った。真剣な目が私を見つめている。
「主は勇者のことが好きなのか?」
マオの質問に即答することはできなかった。
確かに告白した時は好きだった……と思う。それほど昔ではないけど、もう気持ちまで思い出すことはできない。自分にとって勇者は……幼馴染はずっと一緒だったから離れてしまうことを怖がってしまったのかもしれない。かもしれないならいくらでも思えるのだけど、本心だけは分からない。
マオに曖昧なことは言いたくない。言葉が出ない。
「嫌いだと、即答してほしかった。好きだと言われるよりはマシだがな」
「マオがそんなこというなんて珍しいね。もしかして私のこと好きになっちゃったとか」
「馬鹿を言うな。我の隣に平気でいれる人間を手放したくないだけだ。昔の我は近寄るだけで魔族ですら悪影響だったのだからな、魔の塊である竜共ですら私を忌諱し戦慄していたほどだ。そう考えると主はなんというか暢気とか平和ボケとかそういう言葉が当てはまるな」
一発躾けても問題ないのではないかと真剣に考えた。もちろん、物理的に。
「でも勇者に会うことはマオと離れることにならないと思うんだけど、どうしてまた会わない方がいいのかな?」
「……もしかして主は勇者を"ただ魔王を倒す使命を持った英雄"としか認識しておらぬのか?」
大体マオの言う通りのことを思っている。
勇者という名前は国王が個人に与えるものだ。それを示すことで様々な便宜を図られることになっている。魔王を倒すために余計なことを一切省いていけるための措置で、良くも悪くも便利だ。余計なことを省いてしまえば危険を避けて魔王の近くまで簡単にいくことができるだろうが、危険を経験しないまま魔王に挑むことの方が危険だ。
「まさか知らずに勇者の仲間を自称したとはな。…………いいか? 本当の勇者というのは女神から祝福を受けてなるものだ、どこぞの国王から与えられるものではない。女神から勇者の称号を与えられる者の条件は一つ、"人の心を動かせる者"だ。我を倒した勇者以外は単独か王国の精鋭と一緒だったが、最後の勇者は自分で仲間を見つけてきたそうではないか。世界の敵を倒す死の危険が伴う旅に付き添う者はそうはいまい、それができたということは奴が正真正銘女神から祝福を受けた勇者ということだ」
「う、うん?」
「その勇者に会えば、主の心は必ず動く。僅かでも主が我から離れる可能性があるなら会う必要はない」
人の心を動かす者、勇者。
最初の戦士は家の柵があり旅の同行を何度も断られていた。嫁入り前の娘を傷物にしたくないという親の気持ちもあり、一時は屋敷への出入りも禁止された。しかし勇者が戦士の婚約者が既に魔の手に堕ちたことを知って戦士と共にその魔を打ち払ったことで、戦士に正義感に火がついて旅の同行を強行したのだ。
次の魔法使いは戦士の仲間入りから少し間が開く。解読不能の古代文字で封印されていた古代遺跡の洞窟に行き当たった勇者は引き返して解読できる人を探し回り、王国図書館でようやく古代文字を修めた魔法使いと出会った。図書館の外へ出たくないという理由から拒否されたのだが、勇者の粘り強い説得と現物の古代遺跡を見れるということで同行してくれた。古代遺跡の探索を終える頃には更なる知識を得るには最適という理由で、その後も同行してくれるようになっていた。
僧侶については風の噂でしか聞いたことがないが、勇者が教会最深部に封じ込められていた竜を説得したから仲間になったとかだった気がする。意味は分からないが私には勇者にしかできなかったのだろうと思えるのだ。
人の心を動かしていると言われれば、そうなのか。
「主よ、一度しか言わんから心して聞け。我は主と離れたくない、主のことを信頼している。だから、勇者に会おうとは考えるな」
「好きにすればいいとか言ってたのに、それだけはダメなんだね」
「当然だ! 我は傍若無人の魔王である! 主が言ったではないか、我は勇者が嫌いだ。嫌いなものを主に勧めたりはせん」
言いたいことはなんとなく分かった。勇者には会わないようにしよう。
「分かったよ。私愛されてるなー」
「愛してなどおらんと言っておるだろうが! ……まったく、料理が不味くなった、別のところに移動しろ」
「はいはい、じゃあ残ったのは包んでもらう?」
「不要だ。食べきってしまう」
言うが早いが用意された料理に片っ端から手を伸ばして平らげてしまった。小さな体のどこに入っているか不思議で仕方がない。気にしても答えはでないのだけど。
マオが料理を食べきり私の手を取る。いつも通りのことで今朝もしていたことだが、今は少しだけ気恥ずかしい。
「おろ、もう行くのかえ?」
別の場所に設けてある出口にレジーナがいた。今は客足が少ないのだろう、手元に置いてある灰皿には山盛りの吸い殻が積まれている。
私はタバコは吸わないが、あれだけの量を短時間で吸うことができるのだろうかと真剣に考えてみたい。いつも思っているが今回も後回しにする。
「はい。ありがとうございます」
「またいつでも寄ってくりゃれ? 娘の成長を見るのがわっちの数少ない楽しみなのじゃ。そっちの坊も遠路せんと来られよ」
「うむ! 世話になったな蛇女!」
「……のぅ、いくら他人の子とはいえ躾けぐらいすればどうじゃ? それにこの坊……いや、考えても詮無いことじゃな」
「本当に申し訳ありません……。マオ行くよ!」
レジーナに手を振って別れを告げる。次はいつ来るかわからないが、この街に来たときはできるだけ顔を出すようにしよう。
外に出て最初に感じたのは大通りの方が今朝より騒がしくなっているということだ。
おそらく勇者が街を歩いているのだろう。一人でも見つかればそこから派生して行くもので、完全に見つからないのは不可能だ。
大通りに入るのは危険だと判断した私は近くの店を思い出すことにする。幸い客を連れて外を出歩くのは日常茶飯事だったので近くの店も大抵行ったことがある。随分と店が変わっているが、美味しいと思える店程長く続いていくものだ。
マオの手を引き小道を縫って歩く。すぐ近くに美味しい店があったはずだ、そんなに遠くないしマオも我慢できるだろう。
そして、出会った。あるいは出会ってしまった。
「おかしいわ……ここはつい先ほど通った気がいたします」
白の修道服をきた僧侶がいた。もちろん見覚えがある勇者一行の僧侶だった。どうやら道に迷っているようだ。騒がしい方に行けば自然と大きな通りに出て誰かが勇者に引き合わせてくれるはずだが、そういった思考は持ち合わせていないようだ。
話しかけるか避けて通るか悩む。避けて通るという考えもあるだろうけど、今僧侶がいるのは目的の店の前だ。何よりマオがどう出るか心配してしまう。
「主よどうした? 早く行くぞ」
私の葛藤を知らずにマオが急かす。私のことを暢気だとか平和ボケしているとか言っていたが、マオの方がぴったりなのではないかと思う。勿論口に出すことはないのだが。
仕方なく今の状況を話すことにする。
「実はお店はすぐそこなんだけど、その店の前に困ってる人がいてどうしようかなって」
「困っているのなら助ければ良いだろう。主は困っている人間を放っておける性格はしておらんのだろ?」
確かにマオの言う通りだ。マオのことを引き連れている時点でそう思われるのは仕方がない。けれどマオと僧侶を会わせることに私は悩んでいるのだ。
「おい、そこに突っ立っている人間! お前だ! 我の連れがお前を放っておけんようだ、手を貸そう!」
マオが僧侶を呼ぶ。行動が早い。私は考えることを放棄して僧侶に近付いた。
僧侶は私の方を見て心底安堵したように両手を胸の前で重ねて祈りの姿をとる。体を神に捧げ続けたということもあって様になっている。
「まあありがとうございます! 私この街に来たのは初めてでございまして、道に迷ってしまったようなのです。この道にはあまり人も通りませんので困っていたのですよ。あなたに会えた神の導きに感謝いたします」
「いえいえ、私で良ければお力になります。どこに行きたいのでしょうか?」
「行先があるわけではないのですが……お恥ずかしながら朝からずっと迷子になっておりまして、お腹が空いてしまっているのです。ですので……」
「では我らと共にくるといい! 主は美味しいものは何でも知っている!」
「いや、マオ。それだと私が食いしん坊に聞こえ」
「ご一緒してもよろしいのですか!? 神に感謝します、良き巡り合わせをしていただいたことに」
「じゃ、じゃあ! 行きましょうか! といっても目の前のお店なんですけど」
人通りが少ないので口数が多くなっているマオが口を滑らせる前に僧侶の手を引く。両手に花ではなく、両手に爆弾を抱えた気分だ。
出会ったのが僧侶で助かった。これが魔法使いや勇者と戦士だとしたら大変なことになっていたかもしれない。
「それはそうと、人間。我とどこかで会ったことはないか? その顔に見覚えがある気がするのだが……」
「どうでしょう? 私には覚えがありません。でもきっとそれも神のお導きでございますよ」
引いている手の両側から火を付けようとしているのではないかという会話が聞こえてくる。
私はただ導火線に火が付かないことを、神にも魔王にも祈るばかりだ。