1─2 孤高の独女
勇者一行の周囲にはすぐに人壁が出来上がった。といっても、すぐに人が入れ替わっているところを見ると本当に一言二言話すだけにしているだろう。もしかしたら面倒が嫌いな勇者が素気無く追い返しているのかもしれない。
依然二つほど離れた席に勇者がいることに変わりはないので、私は緊張して食べ物が喉をうまく通らず水で流し込む始末だ。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
声を抑えて隣に座るマオが心配して顔を覗き込んでくる。マオと自分のことを考えて本当のことは言わない。
すぐ近くに勇者がいると分かった時、マオがどう行動するのか予想もつかない。今は周りを取り囲む群衆が勇者と呼んでいるが、今のマオは食べることを優先している。勇者の話が出ることは予想済みで、本人がいるからだとも思わず勇者の話をしているだけとでも思っているのだろう。
勇者と魔王というマオが接触するということは、同時に私と勇者も接触することになる。それは避けなければ。
「大丈夫だよ。それより他の店に行かない? ちょっと賑やかになってきたみたいだし」
「駄目だ。ここの飯は気に入った、あの巨人もだ! 我はもう満足するまでここを離れんぞ!」
店が気に入っただけならまだしもギレットのことまで気に入っているとなると本当に動かないだろう。無理に連れて行くこともできなくはないが、下手なことを言ってマオが興奮するのは避けなければならない。
仕方なくギレットに追加の料理を頼み、マオを料理にだけ集中するように計らう。できるだけ周りを気にしないようにしてもらうためだ。
依然として横から勇者の声が聞こえてくる。顔を向けまいと思っていても、目だけは正直に釣られている。未練などあるはずもないのに、自分でもなぜ目で追っているのかわからない。
いや、きっと違う。私でも気付かない程ひっそりと勇者への未練があったのだろう。
勇者と一緒に魔王討伐の旅を出来なかったことに対する無念だろうか、勇者が女ばかり連れていることに対する嫉妬だろうか、今なお冷めない勇者の英雄譚に私の名がないことに対する孤独だろうか。すべてかもしれないし別の何かかもしれないけれど、今は嫌な気持ちは持ちたくない。折角近くに勇者がいるんだから。
ようやく勇者を取り囲む人がいなくなった。少し離れたところで勇者一行を見ている人も多いが、さすがに飯時の邪魔をするわけにはいかないと思っているのだろう。食べ終わればまた騒がしくなることは明白なのだが。
間にある壁がなくなったことでいつバレるかと冷や汗を垂らして顔を少し低くする。
「すいません、お食事中に騒がしくしてしまいましたね」
そんな私に話しかけてきたのは一番近い席に座っていた僧侶だ。勇者一行の中で唯一私と面識の無い僧侶だが、その向こうにはバレるわけにはいかないのでお構いなくと手だけで応えた。
「ああ、気にせんでくれ。儂のような店主がいるカウンターじゃから人付き合いが下手な連中がよく座るんじゃ。気にしておらんようじゃし、関わらんでやってくれ」
救いの手くれたのはギレットだ。彼は太い腕で私と僧侶の間に壁を作った。
僧侶はギレットのいう通りにひいてくれたようだ、腕が引かれると僧侶の後頭部が見えた。
「それにしても困りましたわね。私、勇者様が探しておられる方と面識がございませんの。探そうにもお手伝いできそうにありません」
僧侶の声が聞こえる。席が近いのだから当然だ。
どうやら勇者は人を探しているようだ。その人をなんとなくわかる私はどくどくと早くなる鼓動を必死に抑えて聞き耳を立てる。感謝の旅だというのはやはり建前だったようだ。
「ねえ勇者ー、あんた幼馴染でしょ? 家とか知ってるんじゃないの? あたしも一度しか会ってないから正直顔とかあまり覚えてないって」
「私も一度だ。当面頼りになるのはお前だけだぞ勇者。行きそうな場所とか思いつかないのか? そう何日も王都を離れられる訳ではないのだぞ」
「それがさ、家に行っても帰ってないみたいなんだ。手紙は時々きてるらしいけど、場所がめちゃくちゃなんだよなー……できる限り探してみるしかないんだ」
私も時々自分の家に手紙を出している。親に心配をかけるのは申し訳ないのでしているのだが、一方通行の手紙だ。なんせ私は一つのところに長い間いることは稀で、返事がくるころには別のところにいってしまうから。
それでも一度だけ母からの手紙を受け取ったことがある。村から村への道中ですれ違った行商人が、母からの手紙を預かっていたようで、偶然受け取ることができた。内容は私を心配している旨と、適当に折り合いがついたら帰ってくるようにということだった。嬉し泣きというのをこの時初めて経験した。
勇者の探し人、嫌な予感しかしない。私は深い帽子をさらに深く被り直した。
「手紙が最後に届いた場所に向かうというのはどうだ? その近辺を探せば見つかりやすいかもしれん」
「一番新しいのは東の端にある漁師町モルドバから、半月前。けどもう半月前にあった手紙は西の端の漁師町バルナから。魔王領付近の街から来てるのもあった。正直俺でも次にどこに向かうかなんて想像つかないよー」
「西の端から東の端、魔王領付近ってなると海まで渡ってるね。どこにいるか分からないって意味じゃ魔王より厄介じゃん」
チラッとマオの方を伺うと、食べる手を止めて顔を勇者一行の方に向けていた。だが私が邪魔になってよく見えないのか、得意げな顔をした後食べることを再開する。魔王が厄介さの基準になっていることが嬉しいのだろう。分かりやすいやつめ。
「というか、なんであの子のこと探してるの? 幼馴染ってだけでわざわざ祝儀を引き延ばしてまで会うなんてよっぽどのことじゃん。どうして会いたいの?」
魔法使いが言ったことは私も気になることだった。大事な時期に探す人だ、まさか王女との祝儀に参加でもしてほしいのだろうか。理由がいまいち想像し辛い。
聞き耳をたてつつサラダを食べる。野菜を美味しいと思ったことはあまりないが、味がないと思ったのは初めてだ。それだけ私は勇者一行の話に集中しているのだろう。となりのマオが私の許可もなく新しい料理を注文しているのを止められなかった。酒だけは変更させたのだが。
「なんて言えばいいんだろうな、ケリをつけたくて。俺あいつに告白されてたんだ。エリザベス王女とわだかまりなく結婚するために俺はあいつをフリに行かなくちゃいけないんだ!」
ああ、やはり。"私は勇者に会うわけにはいかない"。勇者の話を聞いてより強く思った。
「まあまあ、恋仲の方でしたのね。それはまた、必ず見つけないといけませんわね」
「告白された時に返事をすればよかっただろう。返事を待たせるのは軟弱者のすることだ! 私は常に即日即行蹴散らしているぞ! 私より弱い男は認めない!」
「それって生涯独身でいるって意味じゃん。あんたより強い男なんてもう勇者くらいだよ? 勇者には王女様がいるし……可哀想」
「いっ! いいだろ別に! きっと私のことを好いてくれる王子様がくるはずだ!」
戦士が顔を真っ赤にして怒鳴っている。仲がいい、グループの外から聞いているだけでそう思った。
魔王討伐の旅の中で新興を深めていったのだろう。四人の内二人あるいは三人で困難に立ち向かった語りもよく聞いていた。一人で旅をしていた私にはできない体験をいくつも経験することができたという意味で、その話は羨ましかった。
「主、ほんとに大丈夫か? さっきから箸が進んでおらんぞ」
「ごめん、ちょっと考え事してただけだから、気にしないでいいよ」
「……いつも思っていたことだがいい機会だ、言っておこう。主は一人でなんでも抱え込みすぎだ。悩みがあるなら我に話してみろ、何か助言できることがあるかもしれん」
マオなりに心配してくれているのだろう。覗きこんでくる顔はいつもの傲岸不遜のようすは見て取れず、瞳は純粋に私のことを映していた。マオは時々こういった姿に似合わない大人びた様子を見せることがある。
「ありがとマオ、話せる時がきたら話すからね」
心配させてしまったことを後悔して、宥めるように言った。
マオは不機嫌そうに顔を歪め、周りの様子を伺った後、小さく言葉を紡いだ。
「我が魔王だから話せぬのか?」
もしかしたらマオが私に近付こうとしていたのか、そう考えにいたったときにはマオは私から目を離し目の前の料理に齧り付いていた。私の言葉を聞かないようにでもするためだろうか。
失敗した。マオが誰かに懐くことはないと知っていながら、懐いていなければできない心配を無碍にしてしまったのだ。今更取り返しのつくことではないが、後でお酒でも渡して私から近付いてみよう。
今は勇者一行の話のことが気になる。
再度勇者一行の話に耳を傾けると、戦士の王子様についての話は終わりどこを探すかという話になっていた。これから私の行き先を決めるために重要なことなので聞き逃すわけにはいかない。勇者と鉢合わせしないために記憶する。
「東方面は後回しにする。手紙を見た感じだと滞留してることは少ないみたいだし、もう移動してるって思ってる。まずは北に向かって、北から西へ、さらに南へ行って最後に東に向かう。手掛かりが見つかればしばらく滞在して付近を捜索する。それでも見つからなかったら諦めるしかない」
「あら? 海は渡らないのでございますか? 確かあちらにも行っておられるみたいでしたけれど」
「渡らないというより渡れないよ。無理言って出てきてる旅でもある、海を渡るには日数が圧倒的に足りないんだ。それにこっちの大陸にいるなら俺が旅をしていることはどこかで耳にしてるはず、会いに来てくれないってことは会いたくないってことなんだろ。それも運命だと思って諦めるよ」
「ま、動けなくなるのは勇者だけだし、あたしらが探してあげるから気長に行けばいいじゃん。この街にいるって可能性は? あんた強運あるしもしかしたらすぐ近くにいるかもしれないわよ」
「可能性は最低だ。王都に近い街には殆ど寄ってないみたいだったし、もし来てても今の街の様子で会いに来ないってことは会いたくないってことだろ? あんまり考えたくない」
勇者にこれだけ探されていながら会いにような物好きはいるのだろうか。家に帰るに帰れず修行や旅にでも明け暮れているのか、どこかで子供でも拾って面倒を見ているのか、真っ当な生き方をしていないために女としての感情でも失っているのだろうか。自重気味に私は考察した。
勇者の幸運はよく知っている。今では女神の加護と呼ばれているが、そもそも勇者として選ばれたことが何よりも幸運だ。それ以外の幸運は"勇者"である故に成り立っているのだから。
自分の前に置かれたものはすべて食べ終えたが、マオが新たな注文をしている。今更席を離れれば怪しまれるかもしれないので良いが、ついでとばかりにギレットに酒を頼む。持って帰るために瓶ごとだ。
「この街にいる可能性が低いのであればすぐにでも、明日にでも次の街に向けて出発するか?」
「そうしたいけど、僧侶はこの辺の街は初めてみたいだからもう少し滞在するよ。折角だし楽しんで旅しよう。今まではそんな余裕あんまりなかったし」
「ありがとうございます勇者様。買い物とかを戦士や魔法使いに任せておりましたので、市場というのが初めてなのです! 明日少し見て回ってもよろしいでしょうか?」
「そうだね、僧侶ちゃんはあの子の顔も知らないし、明日の探索はあたし達に任せて楽しんでおいでよ。ね、いいでしょ勇者?」
「いいよ。戦士も魔法使いも行きたいとこがあれば行っていいからね」
やったと喜ぶ魔法使い。買い物の話をしている姿を見る分には可愛らしいが、一度魔法を使えば要塞を一つ消し飛ばすほどの威力を出せるというのだから驚きだ。
三人の中で僧侶が一番年上のはずだ。戦士は私より少し上で、勇者と魔法使いは私と同い年。でも街での楽しみ方を知っている順番になると全く逆になっていそうで面白い。戦士は必要と感じなければ街に出ないだろうし、僧侶に至っては幼いころから教会の外を知らなかったらしい。僧侶がおっとりとしているのは世の中の慌ただしい空気に触れずに育ったからなのかもしれない。
ともかく、勇者一行は明日三グループに別れるようだ。
勇者と戦士は探し人の捜索に、魔法使いはこの街にある魔法武器の商店に、僧侶は市場を見て回る。戦士は勇者を一人にさせるわけにはいかないということで勇者についていくようだ。監視の役目でも与えられているのか、名家の出として遠くない日に王となる人に付き添うのかわからないが、生き方にも芯がある人だ。
街にある魔法武器の商店は把握している。魔王討伐の後、急速に数が減ったので場所は簡単に把握できている。魔法使いのことも避けられるだろう。勇者は歩けば話題になるので、勇者と戦士も避けられる。
問題は一人行動が予想できない僧侶だが、私と僧侶に面識はないので例え面と向かって談笑しても問題は起こらないだろう。
私は作戦会議のような会話を聞き、この街で働くことは危険だと考えを改めた。
明日の予定は稼ぎ場所を探すためにあてようと思っていたが、予定が無くなってしまった。
「ねえマオ。明日さ、二人で街を歩こうよ。美味しいとこまだまだあるんだよ」
マオは料理を食べていた手を止めて私の方へ向く。嬉しいという感情を素直に表現できないような顔をしていた。そんな顔をしたマオを愛おしく思い、頬を撫で沿い頭に手を置く。
「少しマオに相談したいこともあるしね」
とウィンクしてやると、表情は一変し傲岸不遜に自信満々な顔になった。機嫌が治ったみたいでホッとする。
「まったく主は仕方のないやつだ。我が聞き届けてやろうではないか」
「ありがと。じゃ、そろそろ帰ろっか? 残ったのは包んで宿で食べようよ」
「うむ。ここでは喋る内容にも苦労するからな。おい巨人! これを包め!」
「はいよ。やれやれ、少しは口の利き方を教えてやればどうじゃ? 儂を恐れんので儂は気に入っておるが、皆が皆儂のようではないんじゃぞ」
「善処します。ごちそう様でした」
残った料理を包んだ袋をギレットから受け取り、代わりにお金を出す。この店はカウンターで出されるものは正規の値段より少し安くなっている。ギレットが直接食材を取ってきているからだが、蓄えが殆どない私にはありがたい。マオの暴言の分少し多めに支払って店を出る。
最後に一度だけちらっと勇者の方に目を向ける。私に気付かず真剣な顔で戦士と明日の算段を立てている。いつも見ていた顔とは違う顔に胸を収めて宿へと戻った。
宿の部屋に戻ると、マオがさっそくベッドの上で包んであった残り物が入った袋を開けて機嫌良く貪る。私はというと今日食べる分は食べているので、椅子に座り頬を膨らませるマオを見つめた。手土産としてもらってきた酒を渡すとより上機嫌になって煽り始めた。
「やはり酒はいい! 主も飲めばよいものを、禁酒は体に毒だぞ!」
「そもそも飲んだことが無いから興味がないんだけどね。マオは酒があると機嫌がいいね」
「無論だ! 酒は神が与えた幸福の水だ。魔王であってもこれを否定することはできぬ! 神を讃える教会が酒を禁止するのだから呆れを通りこし馬鹿にしたくなる!」
グラスに移して飲むなどという手間をかけずに瓶から直接飲むマオは瓶を掲げて今にも踊りだしそうな様相だ。見ている私の方が幸せになる上機嫌っぷりだ。
しかし、何かを思い出したかのようにピタリと止まり、表情を強張らせたマオが私の方へ向いた。真っ直ぐに私を射抜く目は不安と期待が滲んでいる気がする。
「あの場では追及するのを避けたが……主よ。主は我が魔王だから話せぬことがあるのか?」
「あるよ。マオだから話せないことは、私にはある」
即答した。できた。聞かれるかもしれないと予想していたからこそ、さっきと同じ過ちを犯さない。今はマオの他に気を向けることもない。
「我を信頼しておらぬということか?」
「マオはまだ小さいから、信頼とかそういうのじゃないよ。まだ話す時じゃないと私が思うんだ」
「そうか。……それは誰しもが持つものなのか? 主が我だけに特別に持つものではないのだな?」
「そうだよ。多かれ少なかれ人間は誰しも人に話せないことを持ってるよ」
もう一度、そうかと呟いたマオは目を閉じた。強張っていた顔が解れていくのが見て取れる。今回は失敗せずに済んだ。表には出さず胸の中で息をつく。
再び目を開いたマオは、いつも通りに戻り酒と料理を口に運んでいく。料理か酒がなくなるまでは私に興味も示さないだろう。安心して物思いに耽ることができる。
考えることは勇者のこと、勇者の探し人のことを考える。
世界の英雄にあれだけ思われている。その思いは愛の囁きのようでもあった。誰も幸せになれない恋、決して実らない種。勇者は王女と結婚することが決まっているのだ、今更過去の女に縛られる必要があるのだろうか。
私の中の勇者にしてみれば納得がいく。しかし、世界の英雄として見られる勇者にしてみればあまりにも些細なことだ。
────返事は魔王を倒した後にしよ。だから必ず返事を聞かせてね。
勇者の探し人はきっと愛の告白の後にそんなことを言ったのだろう。勇者の性格を当時一番よく知っていながら、呪いのように言葉を紡いだのだろう。今でもきっと勇者のことを一番よく知っているのは自分だと言いたげに勇者の前に現れることを拒んでいるのだ。分かりきった勇者の返事を聞かないために。
きっと勇者は旅の中で探し人に会うことはできない。相手の気が変わらない限り不可能なことだ。
勇者は旅の経験は多いが、王様の援助を受けながらの旅だ。家にも帰らないという探し人はきっと身一つで旅をしている。難を上手く回避する術は探し人の方に天秤が傾くに決まっている。
たとえすぐ近くをすれ違っていても勇者は気付くことはないだろう。
勇者、元気そうだったなー。
何度も死地を乗り越え、生死の境を彷徨ったことは風の噂で聞いていた。死んだのではないかと思うほど勇者の噂を聞かなかった時期もある。私がどれほど心配していたか、勇者に教えてやりたいくらいだ。
勇者のことばかり考えた。すぐ近くの自称魔王であるマオにこんなことを話せるわけがない。嬉しそうに肉を食らっているマオは勇者を憎んでいるのだから。こんなことを考えていると知られては、どれだけ拗ねられるかわからない。想像すれば面白いほどムキになって魔王について語るマオが想像できて笑ってしまう。
「どうした? 何を笑っている?」
声が少し漏れていたのかマオがこっちを見ている。
「なんでもないよ。いい食べっぷりだなって思ってね」
「やらんぞ。これは我のものだ」
「はいはい、取らないよ」
「ならばよい。それはそうと主よ、そろそろ修行とやらの時間ではないか?」
街に入っても剣を振り魔を練る修行は欠かさず行っている。いつもはマオが寝ている間に外にでてしていたのだが、どうやら気付いていたようだ。意外と敏いマオのことだから気付いているだろうとは思っていたが、マオの方から修行の話をしてくるとは珍しい。
「知ってたんだ。マオが寝たら行くつもりだったんだけど」
「まだ酒も料理もあるから寝るのはしばらく後だ。我のことは気にせず行けばよいだろう。欠かすことができないのだろう?」
「マオを一人にして寂しくならないかなって思って。本当に行ってもいいの?」
「馬鹿にするな! 我は魔王だ! 寂しさなど超越している! さっさとどこかへ行け!」
憤慨したマオを宥め、私は使い古しの剣を持って宿を離れた。ギレットが被せてくれた帽子を深く被り直し、バンダナを一枚持っていく。
大きな街になるほど剣を振ることのできる場所は限られてくる。魔王討伐の後は顕著に分かるようになっていた。剣を振るしか能がない人間には行き辛い世へ変わったのだ。
私は街の外れにある広場に着いた。この街で唯一の剣を振っていい場所だ。大通りの方はまだまだ活気に満ち溢れていたが、ここまでくるとその活気も伝播せず静かなものだった。
風を斬る音が聞こえる。珍しく先客がいるようだ。私は持ってきたバンダナで口元を覆い隠し、目だけが見えるようにして近付いた。
立っているのは女だ。並みの男よりも背が高く、振っている剣はさらに長く大きい。人以上の重量があるであろう大剣をまるで小枝でも振るように扱っている。そんな馬鹿げたことができる人を私は一人しか知らない。
「ぬ、敵か?」
こちらのことに気が付いた女は私に問い掛ける。大人びているというより固い喋り方だ。あの時から持っている大剣以外何も変わっていない。
「敵じゃないです。私も剣を振りにきたんです」
私が言うと、女は再度大剣を振り始めた。敵でないのなら構わないとでも言うように。
女の剣は一流だ。それは剣技そのものが上流階級が嗜むものであるのと同時に、腕前のことも指している。私があの剣には辿り着けない、三流のこの身では人生を何度やり直しても不可能だ。
女と並び私も剣を振る。風を斬る音は隣から聞こえてくる音より醜く耳につく。普段は気にならないのだが、こうして隣で一流の剣を振られては否が応でも比較してしまう。
「お前は」
女が話しかけてきた。大剣を振ることをやめないまま、気になるからという風情だ。
「お前は私に会いにきたのか? 勇者と一緒に魔王を討伐した戦士の私に」
問い掛け。おそらく街に来てから近寄ってきたものは全員それが目的だったのだろう。
勇者一行の戦士。それは女としても剣士としても高嶺の花。摘み取るために何人の男あるいは剣士が挑戦したのか、両手の指では数えられないほどいるだろう。それゆえに、私が何も聞かず興味もないといった様子で剣を振り始めたから気になった、そんな感じに違いない。
この戦士以外であったなら自意識過剰だと罵るところだが、彼女は自分を過大評価せず冷静に分析しての結果として受け取ることができる。自分の力も知らないものが剣を振り続けることなどできないのだ。
「会いにきたというのは確かにそうだよ。あなたは私の、全ての剣士の目標だから。だから修行の邪魔はしないの。あなたは常に先頭に立っていてもらいたいから」
「なるほど。悪かったな修行の邪魔をしてしまったようだ。礼というには物騒だが、一つ手合わせしてみないか? お前の言う先頭に立つ私には、さらに前を行く者が見えている。さらに先が見たいのであれば手始めに私くらい追い抜いて見せろ」
「恐悦至極。ですが、それだと私ばかりに得がありますよ?」
「では、私が勝てばお前の顔を見せてもらうとしよう。それだけ大層に顔を隠しているんだ、よほど見せられない理由があると見える。見せられないというのであれば無理強いはせん。私と手合わせすることに感謝を言うものは久しぶりだ、それだけで満足している」
当然だ。いくら修行の一環としての手合わせで世界最強の剣士を相手にするものか。同じ力を持つもの同士でなければ意味がない。
私が手合わせを受けたのは、穀潰しと呼ばれていた時から成長できているか体験したかったからだ。その相手として戦士は申し分のない相手だ。
そして、いくら三流の剣しか持ちえない私でも、それなりに意地と矜持がある。多少の危険があろうと受けてたとうと思うのだ。証明として、勇者に出会う可能性を少しあげる。
「分かったよ。約束する。あなたが勝てば私の素顔を見せるよ」
「ふっ。お前はやはり"私の前を行く剣士"だな」
私が正眼で構え、戦士も大剣を横に構える。もう手合わせは始まっているのだ。
迂闊に飛び込めば圧倒的な重量の前に一撃で決められてしまう。ゆえに相手が動きを見てから動くしかない。戦士は大胆に前を開けているが、それは一撃を確実に守りきれるという自信の表れだ。大剣は持って動くには不利だ。
しかし私は戦士が何かを合図に必ず動いてくると直感していた。強大な敵を前にし続けた戦士が、守りに徹するはずがないのだ。
思考の中で交錯する。一歩どころか身じろぎ一つしていないのに、手には戦士の一戟を感じていた。
あとどれくらい待てばいいだろうか。始まってからのどれくらいの時間がたったか忘れた中で、構え合ったまま不動の二人は、外れた時間の中で幾重にも斬り結んでいる。
私と戦士の間に風が流れる。ふわりと巻き上げられた落ち葉が中間で舞い、一瞬二人の目と目を繋ぐ線を横切った。
ギッ! シャォオン!
一歩から全力で駆けだし振りかぶって打ち下ろされた戦士の大剣を私は寸でのところで横にいなした。
速い。超重量の剣を持っているとは思えないほどの身のこなし。大剣による不利が、戦士には一切不利になっていない。
私は横に剣を横に薙ぐ。戦士の腹に狙いを定めた。
キィンッ。
私の剣は振り下ろされたまま地面に突き立つ大剣に受け止められた。
大剣の陰に隠れた戦士が次に何をするか考える。それは致命的な隙となってしまった。
戦士はあろうことか地面に突き立つ大剣を、抉るように振り上げたのだ。
地面を割りながら大剣が迫る。回避することは不可能。
ならば────
衝突の寸前私は大剣との間に剣を割り込ませ自ら後ろに跳ぶ。
大剣の重たい衝撃を剣で感じながら、一人ではあり得ない距離を後ろに跳躍した。
大剣を掲げた戦士が私を見ている。追撃はしないようだ。
着地した私は痺れる手で剣を構えなおした。手の痺れ以外に外傷はない。
「すまんな。どうも加減が難しい」
手合わせである以上、相手を殺してはならない。さっきの攻撃は私を殺せるだけの威力があった故に追撃はしなかった、そういうことだろう。
無茶な剣を振る。自分の腕力と大剣の頑強さに自信がなければできない攻撃だ。
「いいですよ。その大剣で加減は難しいでしょうし、加減されるなら死んだ方がマシです」
「ははっ、言うではないか」
呆れたように笑った戦士は大剣を下ろし、緊張の糸を切った。
「私の負けだ。反則をした以上、勝ちを名乗る気は毛頭ない。残念だがお前の顔は諦めよう」
「もう終わりでいいの?」
「よい。どうやらお前も本気が出せぬようだし、仕舞にしよう」
大剣を肩に担いだ戦士は、残念そうに肩を竦ませる。
戦士の言う通り、私は本気をだすことはできない。いつもの剣技を使わずに一流の剣技の真似事をしていたのを感づかれたようだ。
いつもの剣技を使えるはずがない。なぜならアレは世界広しといえど勇者しか使っていないものなのだから。戦士を相手にそれが使えるはずがないのだ。
「すいません、でした」
「よい。……やれやれ、お前が男であったならと悔やむばかりだ」
身を翻して背を向けた戦士。生涯独身と笑われていた姿を思い出して思わず頬がひきつった。
「いつか会えますよ、あなたよりも強い王子様が」
「────名乗り忘れていたな。私の名はエレオノーレ・ローズマリー・ローランド。勝利の褒美としてマリーと呼ぶことを許可しよう。親しい者しか呼ばぬ名だ」
「ありがたく頂戴します、マリー」
私は元から知っている名を呼ぶ。マリーは肩越しに私を見て、それから考えを打ち消すように首を振って歩き去っていった。勘の鋭いマリーのことだ、きっと私に何か感じたのだろう。それを言わないのは、マリーが負けたからだ。負けた者に反論の権利はない。
私はマリーの後ろ姿が消えるまでその姿を目で追い続けていた。