1─1 勇者登場
村から村へ移動する時、一日で移動できない時は野宿で過ごすことがある。万に一回とは言わず、十に八回くらい野宿していた。
長い旅の中で世界中の村を行き来した私には、どれだけの日数がかかるかは知っている。それでも時々途中で野宿を挟む移動をするのは、自分が目的の無い旅人であることを忘れないようにするためだ。
例え長々しく文句を連ねる同行者が増えた所で止めるつもりはない。
「我は休む必要はないのだがな。それに乾燥させた肉は喰い飽きたぞ。新鮮な肉を寄越せ人間」
「はいはい、魔王様は我儘ですねー。でもおかわりはありませんよー」
暖と明かりを取る焚火の向こう側にいるねちっこい同行者の名前は魔王。魔王は勇者に倒された筈なので、名乗っているだけだろう。
魔王であると思えない理由はいくつもあったが、最たるものは、
「それに新鮮な肉が欲しいのなら自分で取ってくださいねー。兎一羽仕留められない内は黙って食べてなさい」
「ぐぬう……我が本来の力を持っていれば、あのような小動物ごときに遅れを取るはずがないというのにっ! ええい、忌々しい!」
そう弱い。弱いことで勇者一行を離れることになった私より数段弱い。
出会って最初の移動で、偶然出くわした猪に勇んで立ち向かい数秒で返り討ちにあっていた。本人は驚いていたが、私から見れば当然だった。背も小さく腕力も無い、魔力を感じることは私にはできないが魔法は使うフリだけ、猪はおろか兎すら倒せないだろう。猪に返り討ちにあった少年を抱えて逃げたのは良い思い出だ。
昔の自分と重なるところがないでもない。懐かしいようなむず痒い感覚がある。
「まあよい。それにしてもだ。主は我を魔王と呼ばないのではなかったか?」
当然だ。魔王という言葉を出すことはできない。折角勇者が平和にした世界で不穏な噂が出回ることは避けておきたい。魔王の噂を聞いて勇者が駆けつければ、どんな顔をして会えばいいか私にはわからない。
だから村の中、人目につく場所では魔王の名前を呼ばず、自分で付けた少年の名前を呼ぶことにしている。
「人がいる場所で魔王なんて呼べないでしょ、人がいない時だけ。それともマオって呼ばれたいのかな?」
マオ。魔王を自称する"彼"に私が付けた呼び名だ。最初の頃は呼んでも反応しなかったが、それ以外では呼ばずにご飯の時も起きる時もピンチの時でもマオ以外で呼ばなかったら、その内反応するようになった。飯抜きに耐えかねたのかどうかは秘密にしているが、案外気に入ってくれている。
今では魔王と呼ばれることに違和感を感じているようでもあった。
「呼べないとはなんだ! 魔王と言えば平伏し崇め奉るものであろう! 勇者に討滅されたとはいえ地位が失墜したわけではないのだぞ!」
「そうですねー、マオは偉いねー」
「馬鹿にするなあ!」
野宿して何回かに一回ある戯れだ。
私が使い古した模造刀を手に取り立ち上がると、マオはいつも通り叫ぶとこを止める。私が剣の修行をする合図ということを理解し、その最中に私が無心になることを知っている。騒いだところで胃に返さないので、体力の無駄遣いを止めたのだ。
「またそれか。ようも飽きもせず続けられるものだな。それに主の剣……いや、主のような雑魚が勇者と関わりなどあるはずもないか」
「馬鹿にしてない? 私だって努力してるんだよ、少しくらい強くなってるんだから」
「実を結ばぬ努力など努力とは呼ばん。無駄な努力はない、至言だな。それに前から言おうと思っていたが、主の剣は見ていてイライラする」
「それは私に言われても困るなー……それに、記憶もないんじゃ理由も分からないし、我慢してもらうしかないなー」
マオには記憶がない。初めて出会った時、マオが知っていたのは自分が魔王であり勇者を憎んでいるということだけ。魔王関連の事柄以外でマオに真っ当な記憶というものはなかった。私の考えでは魔王の記憶がどういう訳かマオの中に移っていたのだと思っている。
勇者が倒したはずの魔王が存在しているわけがないのだから。
しかし何を言われよう私は剣を振る。使い古した模造刀、握り潰した柄、模造刀故斬ったことのない刀身が焚火の灯りを反射して鈍く光る。
私はこの光が好きだ。私にだけ当てられたスポットライトのようにも感じるからだ。ついぞ光の当たる場所にいられなかった私に丁度良い小さく淡い光だ。
シュッ────。
空を斬る鋭い音。我流で鍛え続けた醜い技であろうと音だけは変わらない。
何度も音が鳴る。
縦割り。胴薙ぎ。斬り上げ。袈裟斬り。斬り払い。絶え間なく連続で模造刀を振り続ける。振っている間は無心になれる。余計なことは考えない。
目の前に立つ架空の相手を見据え、相手の攻撃を避けて受けて反撃する。
相手も我流。剣術として成立していないのでどう来るかは剣術の達人ほど先が読めない剣筋。
しかし私は分かる。少なかったがこの相手の剣を見続け覚えてきた。"彼"の剣を真似たものが私の剣術。我流に我流を重ねて自分だけの唯一にした。
"彼"は強い。己を信じ、仲間を信じ、敵すらも信じて、道を切り開いた。
我流を極め、"魔王ですら討ち取った彼"はいつだって私の目標だ。
「やはり……主の剣は見ていて反吐がでる。音が五月蠅くて眠れやしない」
いつもは無視して眠るマオが口を挟む。
無心から帰ってきた私は一瞬マオが喋ったことに気づかなかったが、見渡してへの字に口を曲げたマオを見つける。マオが私の修行中に喋ったことは久しぶりだった。初めて会った時以来かもしれない、そしてその時も同じようなことを言っていたかもしれない。
「珍しいですね、マオが私の修行中に喋りかけてくるなんて」
「それは違う。いつも話しかけていたが主が反応することが稀なのだ。夜も遅いしそろそろ眠らんか?」
「いつも言ってるけど野営の時は寝ないって言ってるでしょ。いつ魔物が襲ってくるか分からないんだから」
魔物。魔王が生んだ人類の敵。奴らに知能は無く、人を襲い無尽蔵に増え続ける。
勇者が魔王を討伐したことで劇的に数は減っているが、生き残っている魔物も少なからずいる。その中で第二の魔王が生まれると言われているが、今のところ統制された行動は確認されていないため誕生していないのだろう。
魔物は人間の多いところには近付かない。これは知能ではなく本能だ。奴らは本能で人間が多いところでは返り討ちに合うことを知っているのだ。
魔王が討伐される前の旅ではよく襲われた。村から村への移動を一人で、しかもか弱い女性が野宿しているというなら格好の的だ。多数で襲われれば逃げ、少数でもできる限り戦闘を避け逃げる。本来魔物は人の手ではあまる存在なのだ。
野宿ではそういう危険があるということを体は忘れてくれない。
「魔物は魔王の部下であろう。我がいる限り襲われる訳あるまい」
「そうだねー。じゃあもうちょっと鍛錬したら寝るから先に寝ててよ」
「貴様の剣の音が五月蠅くて眠れんと言っておるだろう」
「……分かった分かった。剣を振るのは止めるよ」
やれやれと溜息をついて模造刀を地面に突き立てる。刃を削ってあるとはいっても形は剣、突き立てるくらいのことは余裕でできる。
座った私は心を落ち着かせて今度は魔力を練る。
「今度はそれか。魔力もないくせに魔法を使おうなどと烏滸がましい」
「つ、使えない訳じゃないもん! 焚火の火だって魔法でつけたんだよ!」
「小さい火で葉を燃やしただけであろう。まさしく種火といったところか、しかもそれが限界とは聞いて厭きれるわ。攻撃も防御も治癒すらできないなら何のために魔法を鍛えるんだ?」
「ぐぬぬ……。何も言い返せないっ! はっ、集中集中」
剣も魔法も三流だと私は言う。しかし、魔法に関しては三流では済まない。
基本的な攻撃魔法は使えない。炎を出そうとすれば小さな火が指先に灯り、水を出そうとすれば掌に水が溜まり、雷を出そうとすれば全身に微弱な静電気が流れる。基礎にすら達していない。そして今でそれだけだった。
私の魔法はここで打ち止めであるかのように成長しない。
「まあ、それなら良い。本当の魔法使いが練れば魔力が擦れて五月蠅いからな。主の魔力は子守歌のように静かでむしろ心地良いくらいだからな」
「あははー……絶対褒めてないよねソレ。褒められるものでもないけど、結構傷ついてるんだよ!」
「思ったことを言ったまでだ、主が傷つこうが我にはどうでも良い。我は寝る、主も飽きたら寝るが良い」
マオが横になる。最初から野宿で寝ることに抵抗はないようだった。魔王だとするならこれもおかしいことだ。マオの中では魔王とは威厳のある存在であるはずだが、威厳ある存在が野宿に慣れているなど笑い話である。
寝ているマオは歳相応、といっても歳不詳であるのだが、童顔そのままの幼い子供だ。柄にもなく保護欲のようなものが湧いてくる。まるで反抗期の子供のような気持ちだ。
無論、腹を痛めて子供を産んだことなどないのだが。
マオが寝てから私は魔力を練ることに集中する。
魔力を齧る人ならば腹の中に魔力の塊があるような感覚を持てるようだが、私はどれだけ頑張っても腹の皮膚が少しむず痒いくらいだ。限界まで魔力を溜めてそれだけだ。私は最弱の魔法しか使えないのではなく、保持魔力の絶対量が圧倒的に少ないのだ。魔力を齧っていない人間でさえ、努力すれば私よりも魔力を集めることができることだろう。
保持魔力の絶対量を多くすることは鍛錬により可能だ。故に私はこれを鍛え続けている。無理だと分かっていれば諦めたのかと言われれば、そうでもない。頑張ってはいるが努力ではない、修行とはいうが鍛えるためではない。諦めるとか諦めないとか、そういうものではないのだ。
感覚でいえば握り拳どころか指先の爪ぐらいの魔力を掌に移す。毎日していた修行のおかげで簡単にできる。
魔力を物質へ変換する。今回は水に。
「──やっぱり、これだけしか溜まらないか」
掌に少しだけ溜まった水を見て息を吐く。
保持魔力の絶対量もさることながら、変換する効率も悪い。燃費が悪いと言い換えることもできる。勇者一行の魔法使いが十の魔力で千の事象を引き起こせるとしたら、私は百の魔力で一の事象しか起こせない。貯蔵変換放出、どれをとっても最低ラインだ。
時々、自分が優れている人間であったならと思うことがある。
勇者一行から離れることもなくおそらく勇者と並んで勇者を討伐していたのかもしれない。そして今頃は他の勇者一行のように王国首都でもてはやされていただろう。
そして想像しては笑ってしまう。そんな未来が来ていたら私は恐縮して逃げ回っていただろう。
もう一度魔力を溜める。一度で止めることはない。
まだまだ夜は長いのだ。マオは寝ろというが、やはり野宿は怖いものだという認識があるので寝られない。朝までひたすら何時間も魔力を練り続け、時間も忘れて没頭する。
熱中することは得意だ。頭を空にして心を無にする。一度経験すれば感覚が分かっているので、意図的に行うには簡単になった。一度目はもちろん勇者一行から離れることになった時なのだが。
その後ひたすら練っては溜めて変換するを続けて、気が付いたら朝になっていた。こんな状態なら敵が襲ってきても対応できないのではないかとマオに言われたが、それは別の話だ。むしろ集中している分より敵意を敏感になっている。
没頭できるようになったからこそ、様々な危険を事前に避けることができた。私の数少ない長所でもある。
「そろそろマオを起こさないと。……まずは朝ご飯の準備だね。いつも匂いで起きてるし」
「────おはよう。我の悪口を言われた気がしたのだが」
「どんな地獄耳!? いやほら悪口なんて全然言ってないよ? マオは拗ねると鬱陶しいから」
「誤魔化そうとして新たに悪口を言っておるぞ! 我は子供のように拗ねるなどしない!」
朝から元気なことだが、マオの睡眠は体力の回復などではなく怠惰からくるサボりに近い。睡眠をやめれば当然のように完全に頭が覚醒に戻るのだ。
立ち上がったマオは伸びあがって固まった筋肉を解す。
朝御飯は用意された干し肉に二人で齧りつく。噛みちぎりにくいものなので食べる量を少なく済ませることができるのだが、噛みちぎりにくくて一苦労いる。マオは干し肉があまり好きではないようだが、食べるためにナイフで細かく切って口に運んでいる。
「今日には大きい街に着くんだったか? 美味しいものはあるのか?」
「王都に近いから結構賑やかだよー。でも今お金が無いから美味しいものはまた今度ね」
「なんだと! それではなんの為に行くというのだ!」
「なんのためにって言われても意味なんてないよ? しいて言うなら勇者の話が聞けたらいいなって思ってねー。王都が近いし、きっといっぱい話されてるだろうし」
「勇者の話などどうでもよいわ! いつも我が魔王の話をしているではないか!」
勇者の話をだすとマオは拗ねる。理由は聞くと「宿敵の話など聞きたくない!」とのことらしい。魔王設定は一体どこから考えついたのか見当もつかないが、よほど勇者というものが嫌いだということは感じ取れる。
とはいえ本気で行くこと自体を嫌がっていない。最初に美味しいものを食べられるかもしれないと仄めかしているからだが、この美味しいもので釣る方法は最近分かった。マオは美味しいものに目がないのだ。直接勇者に会うわけではないので、自分が我慢すれば食べられると思っているのだろう。食べるかどうかは私がお金をだすかどうかに掛かっているというのに。
付け加えると、私はマオには甘い。一回くらいなら食べさせてあげるつもりなのだが。
「魔王の話は聞き飽きちゃった」
「ぐぬう……まあよい。街までは後どれくらいだ?」
「そうだねー、ここからだと日が落ちる前には着けるかな? ぎりぎりで関所くらい、間に合わなかったら関所の前で野宿だね」
「美味しいものを前にして野宿とは拷問ではないか! こうしてはおれん、さっさと行くぞ!」
「急ぐ旅でもないし、焦らない焦らない。それにマオ一人だと迷子になっちゃうよー」
即座に立ちあ帰り駆けだそうとしたマオを引き留め、荷物を纏める。移動するときに野宿することにしているので荷物は多い。これでも最初の頃はもっとあったのだが、今でも人一人分くらいの重さだ。私はその荷物を担ぎ、マオの手を取り歩く。ちなみにマオは荷物を持っていない、彼は尊大だが非力なのだ。
重たい荷物もあったので走りたくはなかったので、急かすマオを無視して歩き続けて十数刻。目的の街に辿り着いたのだが、日は完全に落ちて関所は当然の業務を終え門は閉まっている時間だった。
が、どういう訳か門はまだ開いて関所は人を受け入れている。何回か関所の前で野宿した経験のある私から見て不思議な光景だった。
割り込もうと駄々をこねるマオを連れて関所を潜るための列の最後尾に加わり、近くの荷馬車で来ている恰幅のいい商人に話しかける。ついでに手軽に食べられる果物を買うことを忘れずに。
「すいません、旅の者なのですが、今日は何かあるのでしょうか?」
「おや? 何も知らずに来られたのですか? でしたら中々良い運の持ち主だ! いいですか、今この街にはとある高貴なお方が来訪されているのです! 誰だと思いますか?」
商人は興奮気味に質問してくるが、私の記憶では祭の時期ではないはずだ。高貴なお方と言われれば王族だろうか、いやそれだと関所はいつもより早く閉まる気がする。貴族、しかしこんなことをする気前のいい貴族がいるとは思えない。
悩んでしばらくして分からないという表情をしてしまっていたのか、商人は剣を抜くフリをしながら答えを教えてくれた。そのフリだけで、私は何となく誰が来ているか予想ができた。独特な剣を抜くフリは私の動作とよく似ていたから。
「勇者様ですよ! 王女様とのご結婚が決まったとのことで最後に感謝の旅に行かれるそうです! 戦士様も魔法使い様も僧侶様もご同行されているみたいで、今この街は世界で一番安全だと言われてます! 勇者様を一目見ようと人が集まるものですから、このように今日に限り関所は常に開放されているのです!」
「へえ、勇者様が! それではこんなに人が多いのにも納得ですね」
でしょうでしょうと興奮する商人の前で、私は別のことを考えていた。
『王女様との結婚が決まった』ということは、簡単には王都を出ることは難しいだろう。それでもこうして出てきている、感謝の旅というのも納得させるための方便だろう。
隣でマオが露骨に嫌な顔をしている。
「勇者様はいつまでこの街におられる予定かわかりますか?」
「滞在期間は言われてないようです。ご来訪されたのが昨日ですので、しばらく滞在するつもりかもしれませんな」
「勇者様を見に来た人はこんな人が多い中でいついなくなるか分からない勇者様を探さなければならないのですか、手が折れそうですね」
「いやいや、勇者様を探すのは簡単ですよ。街に入って一番騒がしいところへ行けばよいのです。そこに必ず勇者様がおられますからね。お嬢さんも折角ですので一度探してみてはどうでしょう?」
「そうですね、時間があれば探してみます」
そう言って商人から目を離し、隣で拗ねているマオの手を握る。
「どうも、会えそうにないからこのまま入るよ。勇者が出ていくまで野宿なんてしたくないからね」
「構わん。人が多いのは鬱陶しいが、美味しいものを食うため我慢してやる」
声を潜めてマオが言う。美味しいもので釣っておいてよかったと思った。マオが勇者嫌いを美味しいもので我慢している、ピーマンを食べられない子供が初めてピーマンを食べた瞬間に立ち会ったかのような感動だ。
街に入ることに少しでも反対されたら勇者がいない王都にでも行こうかと思っていたが、休憩が挟めるのは楽なのでいい。しばらく滞在してお金を稼ごう。今なら給料の羽振りもよくなっているはずだ。
しばらく待ってようやく私達の番になった。
関所では来た目的と持ち物の検査がある。怪しいものがあればその時点で投獄されることになるのだが、何度も街に来ているなら顔パスのようなことになる。特に今回のように人が多ければあまり時間をかけずに進めるだろう。
「おや? 久しぶりだね。今回はどれくらい滞在する予定かな?」
顔見知りになった衛兵が声をかけてきた。稀に顔を知らない新人にあたって、背負っている荷物を広げることもあるので、今回は運がいい。
「しばらく滞在しますよ。勇者様が来られてるらしいですから、稼ぎ時かなと思いまして」
「はは、勇者様よりお金か。なら大通りの店は止めておけ、見たところもう人を雇ってる。少し奥に入ったらまだ募集してるかもな。ま、お祭り状態だ、まずは楽しんでいってくれ」
「はい、ありがとうございます」
「それとだな……気になっていたのだが、そっちの子はお前の子供か?」
マオとこの街に来たのは初めてなので、当然マオのことを聞かれるとは思ったが、予想の斜め上をいく質問だった。
ちらっとマオのことを見ると、勇者のことを離されたときより嫌な顔をしている。反抗期かなと思い頭をがしがしと乱暴に撫でてやると余計に嫌な顔をした。
「いえ、親戚の子供を預かっているのですよ。可愛い子には旅をさせよってことらしいです」
「そうでしたか、よかった。引き留めて悪かったな」
「いえ、御苦労様です。マオ行くよ」
マオの手を引いて街へと入り、なるほどと納得する。人が溢れていて祭ではないのに祭の中に入ったような熱気だ。背の低いマオから手を離せばすぐに迷子になってしまう。しっかりと手を握りなおして一直線に貫く大通りから路地に入る。
幾分か人は少なくなるが、それでもいつも来ていた時より多い。人を避けていつも利用している宿へ向かう。そこは大通りからかなり離れたところにあるので、これだけ人が来ていても空き部屋くらいはあるだろう。
「おい! まだ美味しいものを食べとらんぞ!」
「後で食べに行きますよー、それより早く荷物を置きたいんです。重そうに見えるでしょ? これ本当に重いんですから!」
早く美味しいものを食べたいマオは大通りの方へ引っ張るが、非力なマオには負けるわけがない。ぐいぐいとマオを引っ張り、宿へ辿りついた。
中に入るといつも優しい宿の女房が受付に立っていた。
「や、こりゃまた珍しいお客さんじゃないか! あんたも勇者様を見に来たのかい?」
「いえ、たまたまですよ。でも折角なので久しぶりにどこかで稼ごうかなと思いまして。部屋空いてますか?」
女房と抱擁を交わし挨拶。
「空いてるよ。でも一部屋になっちゃうけどいいかい? 珍しく一人旅ではないようだけど……というか誰だいこの可愛い子は、あんたの子供にしては大きいけど」
「親戚の子です。なので一部屋で大丈夫ですよ。お世話になります、スチュアートさん」
「何かあったら遠慮なく言っとくれ!」
スチュアートから鍵を貰い部屋へ行く。大きな荷物を置いて中から街を観光するための服を取り出し着替える。マオも部屋の中にいるのだが女性が裸に近い状態であっても気にすることはない。恥ずかしいことはあるか聞いたら、『恥とは何か』と聞き返してきた。知らない感覚なのだろう。子供でも恥という言葉自体は知っているはずなのに。
着替えを終えると待っていたと言わんばかりに目を輝かせ、私の手を取る。好き勝手にできないようにお金の類はすべて私が管理している。何度かマオが私の寝ている隙に盗もうとしたことがあったが、私はそもそも寝ることが少ないし眠りも浅い。すべてが未遂に終わり結局諦めた。つまり飲み食いするためには私が一緒に行く必要がある。
マオに急かされまた大通りに戻った私は細心の注意を人の声に傾ける。少しでも勇者の話があれば近づかないようにするためだ。
「主! アレは何だ! む!? あっちのアレも気になるぞ!」
魔王以外のことにまったく知識のないマオからしてみれば目に見えるものすべてが新鮮で興味の引くものなのだろう、大通りに出てからずっと「あれはなんだ」「これはなんだ」と聞いてくる。適当に答えながら目的の店に向かう。
何度も訪れていれば行きつけの店というものができる。久しぶりにきたのだから折角なのでその店に向かっている。
着いた先は大通りに面していて繁盛している酒屋だ。中に入り奥あるカウンターに進む。大きな店で大きなカウンターだが、中にいる店主の男は体を小さくして接客している。
図体がよく強面のためカウンターに座るのは慣れてきた常連客だけだ。出される飯も酒も美味しいものが揃えられ、店内も賑わっているにも関わらず数席のカウンターには空席が目立っている。
私がカウンターに近づくと岩のような仏頂面を向けてくる。私のことがはっきりと認識できたのか、水とジュースを用意して端の席に置いてくれた。
「久しぶりじゃな。魔王討伐の後以来かの? いつもに比べて随分と早い。それに、珍しく一人じゃないとは。────腹でも痛めたか?」
「セクハラで怒るよ? というか聞く人みんな私の子供か疑うけど、私ってそういう女に見られてたりするのかな? 地味にショックだよ……」
「まあそういうでない。何年もふらふらと旅してる女が、しばらく顔を見せない間に子供を連れていたら誰だって下種の勘繰りをしたくなるものじゃろう。それで、本当のところはどうなんじゃ?」
「親戚の子供です。美味しいもの食べたいって言うから連れてきたのに、他の店に行っちゃうよ?」
「ほぅ、親戚の子供と……まぁそういうことにしておいてやろう。お前はいつも通りサラダと肉じゃな、そっちの坊主はどうする?」
聞かれてマオは私の方を見る。街で、というより人がいる場面での発言は私が禁止している。思わず出てしまったという発言には目を瞑っているが、明確に意図して言葉を出すときは必ず私の許可を得るようにしている。
何を言うかわからないので、耳打ちする。
「魔王とか危ないこと言わないなら喋ってもいいよ」
「心得た。おい巨人! 我は肉と酒を所望する!」
「はいよ。ちょっと待ってな」
マオに許可を与えるのではなかったと思ったが後の祭りだ。怒られなかっただけよかったとしよう。
ただ、一つだけ訂正しておく箇所があったので訂正しておく。
「ギレットさーん! お酒はジュースに変更で、その分肉を増やしといてください」
「はいよー」
「待て! お祭りなんだ酒ぐらい飲んでもよいではないか!」
「ダメダメ、マオは子供なんだからお酒は禁止! 私の目が黒い内は許しませーん!」
その後はぐちぐちと言われる反論を無視していると、巨人のようなギレットが戻ってきたところで口を閉じる。言い続けて料理をお預けされることを恐れたのか、出てきた料理が美味しそうで愚痴の優先順位が下げられたのか、どちらか気になったが静かになったので聞かないことにする。
マオの前に山盛りの肉、私の前にサラダと小さな肉。私の方が圧倒的に量が少ないが、接触制限をしている。昔からの癖で修行の一環として続けている。健康で頑強な体を維持するために食事は重要だと思ったからだが、元々小食だったのか抵抗は少なく今でも続けられている。
マオに心配されたことがある。心配などしないと思っていたので、単純に嬉しかった。子供を見守る親の気持ちだ。
すっかり私の摂食制限を気にしなくなってしまっているが、時々気遣うように顔を向けている。
「勇者を見にきたというわけではなさそうじゃな」
料理を持ってきたまま目の前に居座るギレットが言う。
カウンターにいた他の客はいなくなっている。少し疑問に思ったが、元々あまり埋まることがないので気にしない。
「たまたま勇者様が来る時に来ちゃったみたい。運が良いのか悪いのかって……あ、良いのかな」
「なるほど、積極的に会いたいとは思っていないようじゃの。では老婆心ではあるが……」
ギレットは大きな腕をカウンター越しに伸ばし、私とマオの頭に深い帽子を被せた。マオは気分よく肉を口に運び続ける。
意味が分からずにギレットを見ると人差し指を口の前で立て、喋るなと合図した。
次に聞こえた声で、私は凍り付く。
「やっと空いてる席みつけた! おーい、みんな! ここが空いてるぞ!」
久しぶりに聞く声は、いつも聞いていたものより大人びていた。しかし幼さの残る独特の喋り方は忘れようもない。本当に懐かしい、思わず泣きそうになるのをグッと堪え、できるだけさりげなく一つ二つ離れた席に座るグループを見た。
「そう急くな、少しは落ち着いたらどうだ。お前はもうすぐ王家に入るのだぞ! シャキッとせんか!」
武に長けた名家の出で一流の剣技を持つ戦士。魔王までの道のりで最も多くの死地を最前線で切り抜け、その武技を天下に知らしめた全ての剣士の頂点の女。
「いいじゃない放っておけば。王家に入ったら我慢することになるんだし、今だけはあいつの好きなようにさせてあげましょうよ」
王都にある王立図書館の司書長であり最高の叡智と呼ばれる魔法使い。すべての魔法を旅の道中で修め、魔王の魔法でさえ相打ったと語られるほど人類魔法史における英雄的女。
「元気が有り余っているのは良いことでございますよ。彼がああいう調子ですから私達もこれまで救われてきたのですから」
王都で認められた唯一の宗教の総本山で身を清めた僧侶。聖水が染みついた体はあらゆる呪詛を受け付けず、捧げ続けた信仰は治せぬ傷さえ塞ぐ奇跡さえ起こした聖女。
そして、そして────
「おーい! 早くしろよー! もう背中と腹がくっついちまいそうだ!」
魔王を倒した勇者が、そこにいた。