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魔王と十字架  作者: 筒下
偽物と本物
6/10

Episode:05                            

鈴を鳴らし軽い足取りで二人に不安が残されないように胸を張って足早に路地を曲がるところまでステップを踏み気味に行った。

二人から姿が見えなくなる曲がり角で立ち止まってしまった。

そして胸元で小さな拳をか弱くきゅっと締める。

(大丈夫。燐なら大丈夫。でもでも――)

二人がどこで何をしようとしていたのか分からない。でも先刻の緊迫した表情を見て気安い問題ではないのだと直感した。だから今の私に出来ることだけをしよう。

「――なんであそこに行ったんだっけ? まあいっか。燐といいんちょさんのためにごはん作ろ」

奏は何事もなかったように何の意味があったのか何の目的があったのか、忘れ去った。

重く落ちた視線と小さく強く作られた拳がスッといつもの表情、力が抜ける。

「肉じゃがだけじゃなんだし、他何作ろっかなあ。和風で攻めよう!」



少年がそれから抜けると荒野の中塔が一人ぼっちに立っている。出た先は風はなかったが遠くに砂埃がちらほらして静けさが肌に触れる。

先に着いていた少女はポニーテールを右左に揺らし数歩先まで踏み込みそのまま立ち止まる。

燐も一歩ずつ歩みを進めポニーテールの横へ立ち尽くす。

「速く行こう阿澄君」

「ああ。俺たちのクラスメイトの彼女の処へ」

その場にその言葉を言い吐き、二人は駆け足で塔の下へ急ぐ。


少女が浮かぶ液体の入るビーカーの前少女は見ていた。前で話をするモノが三人。一人は小さな子でこちらを見続けている。表情、顔すら判断は出来ないが無気力そうな身体と瞳をしている気がした。

もう二人は、一人は背丈は成人の大人ほどあり見える限りでは身体か服から何本か部屋に入る空調で微かに揺れる。その人にひざま付いている。ぼやけながら外のモノの声がビーカー内に届いた。大人びた声と、甲高いが気持ちの沈んだ少女の声。

「……しんにゅうしゃがふたり。しょうねんしょうじょ。いかがしますか?」

「じゃまだてさせてあげないわ。それよりこれかんじはまおうかな?」

「ええ。それとこのえきゅるりーて、はるひこのまご」

「そっかあ。このあいだのおめい、なしにしてあげてもいいわよ?」

「それって……?」

「あれはあなたのしったいよ。はじしらず。このとうにいっぽたりともいれてはいけませんよ?」

「ありがとうございます。このきをかならず」

ひざま付く少女は立ち上がりこちらの逆方向へ歩いて行った。その子に声をかけて欠かさずに何かを下から優しく投げる。

「これもっていきなさい。わたしのまりょくがこめられているわ。うふふ」

「――はい。必ず存在の力が消えるまでもちこたえます」

そう言って彼女は姿を消し、大人びた女がこちらに近付き一人言う。

「でもふしぎね。しりあるなんばー16のそんざいのちからではほかのものはわすれてるはずなのになんで、まおうのくそむしくんはきたのかしら……。まあいいわ、おおせのままにそんざいがきえるそのときにあなたはしっかりとはたしなさい」

その言葉に返すモノは誰もいなかったがその代わりに女がうふふと笑い続けた。少女はまた薄らと開いた瞳を閉じて時を待ち続ける。


塔の下へは驚くほどに何もなく起こらず容易く辿り着いた。

塔を下から見上げると天を突き破りどこまでも続いているように思える。風が轟音を吐き毛穴から生える産毛すら震えて空気すらも震えている錯覚すらある。普通の家の大きさ程の石の扉は目の前に待ち構え二人の訪れを拒みもせず歓迎もせず堂々とある。

「ひぇ。真下から見ると迫力が違うな……」

「これ如きに感動している暇はないぞ。私は今にでもクラスメイトだと言うことを忘れてしまいそうだ」

葉月は塔を見上げることをせず扉を悔しそうに睨み付ける。

「さあ、早く行こ――ッ!」

葉月が一歩を踏み出したその時。足の行き先から白い何かが地面から噴き出るように天に向かって突き進んだ。踏み出した一歩を退き燐の首根っこを鷲掴みにして少し後退をする。

「な、なんだ! ……これは」

白いそれが風と重力でゆったりと二人の下に舞い降りてきた。それを一枚手に降ろして見る。

「ほうたい?」

白いただの包帯。そう呟くと葉月は燐の懐に裏蹴りを一撃入れて塔の反対側に飛ばした。

「Flame bullet(火炎の弾)」

包帯の途中から燃やし尽くす。みるみる簡単に二つに燃えていき、片方は先端まで直ぐに燃やしてもう片方は根元の方に近づいていく。根元に辿り着いた刹那、先刻よりも多くの包帯が噴出してくる。扉の高さまで昇ると一斉に包帯一本一本が二人に襲い来る。

葉月は先刻の火の弾を一本二本と焼き消していくがその弾よりも包帯の噴き出てくる数は上回り葉月の術を放つ手を巻き束縛して魔法を打てなくなる。葉月はじたばたと振り払おうと抗うがもう片方の手も右足も左足も捕まってしまう。大地から徐々に離れようとする靴底。

燐は直ぐに魔王化し、髪を白紫に変え瞳を真紅に変える。

大地から腰ほどの高さまで浮かばされた時、燐を包帯を魔力の籠った鋭利な手で切り裂く。葉月は着地を凛々しく成功させ、縛られていた包帯を剥ぎ取り手首を愛おしく握る。

だが、二人は行動を休め安堵する暇などなかった。包帯自体は脆く容易に薙ぎ払うことが出来る。しかし量が多すぎた。燐が前衛で包帯を切り裂いていく。葉月は後衛で火の弾を放ち続ける。

二人は魔通の中打開策を模索する。

『このままじゃ押される一方だ。委員長どうする!』

『術者の姿が見えないからどうしようもないのだ!』

燐は切り裂きながら目を動かして術者を捜索する。塔の上、塔の横、何もない荒野。どこにもいない。葉月も後方も確認するが術者の姿は拝めない。

『阿澄君、このままでは勝算はない。一旦後退しよう』

魔通の中、頷き同時に包帯、塔から後退をするが包帯は追うことを止めない。と、思われた。とある一線を超え包帯たちは一枚たりとも近付くことをしなかった。

「どうゆうことだ」

「さ、さあ。でもあそこからは寄って来ないってことは……」

「どうゆうことだ」

「わからん」

「どうゆうことだ」

「……。りずはどう思う?」

十字架から声が二人へ発される。

「ただの時間稼ぎが妥当な線じゃねぇか魔王様。そうでもなけりゃもっと強力な攻撃を仕掛けてくると思うんだぜぇ!」

「ふむ。使い魔君は主人と違って頭がいいな。正解だ」

「委員長分かってたのか!」

ポニーテールを翻して、当たり前だ。と堂々と腕組みをしている。が頬が気のせいか紅潮している気もする。

「それよりバカって言いたかったのか? 貶されてた?」

「時間稼ぎか……。舐められてしまっているな。ふん、あほ」

そう言い捨てると凛と左手を突き出して胸を張る。

「私が突破口を開こう。その隙に中へ」

「え? それじゃ委員長は」

「ふん。大丈夫だ問題ない。と言っておこう。阿澄君が行かなくて誰が行くのだ? 君以外に適任はどこにもいないのだよ」

拳を握るだけで返事は返さない。

「今から言う呪文で早く動ける。それを使って中へ」

耳打ちでそれを伝えると燐は一度首を縦に振る。

「では、行くぞ阿澄君」

「おう! 神速(Godspeed)」

その呪文後全身が暗き魔力の上に白緑の魔力が合わさり輝く。それを見ずに確認して唱える。

「Of one thousand camellia(千の椿)」

椿の花びらが先導を切ってある一線で包帯らと交戦しあい互いにどちらも譲らない戦況。燐はすでに体勢を低くして駆け出し、花びらと包帯の戦場の真下を潜り抜ける。

「Flame bullet(火炎の弾)」

椿の花びらが火の粉のように燃え舞い、包帯は煙のように上空に向かって燃えていく。

燐は燃え盛る上空を気にも留めずただ走る。それは術のせいか残像は少しの間残っている。白緑カラーが噴き出す地点を過ぎると噴き出していた包帯らは二方向に分裂して追い掛けて来る。その距離僅か数センチメートル。扉に辿り着くことは出来たがびくともしない。

押して押して押す。叩いて叩く。が、堂々と不動の要塞だ。

包帯が寸前まで近付いた時燐は振り返ることなく叩き続ける。不安なんてものはない。なぜなら頼もしい相棒がいるから。

首元から下がるネックレスが包帯と主の間に光を発光させ姿を具現化させる。手に持つは魔槍。それを振りかざし包帯らを主に近付けまいとする。

「りず! 開かねぇ!」

「押しても叩いてもダメじゃなにかしらしてるんだぜえ!」

それなら、と引いたり横へスライドさせるがやはり不動。

「合言葉とかはどうなんだぜえ?」

「えっと、え? あいころば?」

「なんでも適当に言ってみりゃいいぜ」

「えーっと、じゃあこほん。開けごま?」

そう言うと扉にきざれた模様が光、轟音を立ててゆっくりゆっくりと開き始めた。

「開いちまった! りず!」

背中を向けたまま包帯を切り刻むリズリカミネ。そして遠くから引き付ける少女が叫ぶ。

「阿澄君! 行くんだ!」

「でも委員長は!」

開いていた扉は完全に開き切ったのか動作を止めている。葉月は胸を張って凛とポニーテールを翻しまた叫ぶ。扉に振り返り燐が進もうと踏み込んだその時背後から爆発音と共に地面の破片と砂煙が辺りに噴散する。そこに人の形をした影が現れる。

それは砂煙から直ぐに姿を見せる。"serialNo.53"屋上の一件の彼女だった。彼女は跳び燐の後頭部に拳を殴り込むが燐はしゃがみ込み回避。彼女はそのまま扉の入り口前まで行きその長い水色をひらひらくるくるとその場に回る。

「もう時機彼女は完全形態に変わるまでお二人さん。と、使い魔さん遊んでましょ? あはは楽しみ。扉よ、閉じなさい」

そう言うと扉を背に止まり手を構え魔法陣を生成した。目指す扉は再び轟音を掻き鳴らし閉じようとしていく。

「リリステンプテーション!」

魔法陣から閃光が放たれ燐の背後からは噴き出すことをいつの間にか止めた包帯たちが襲い来る。

「Prison of darkness flame(闇の獄焔)」「おらあっ!」

燐は包帯に手を振りかざし漆黒の炎を放ち、リズリカミネは閃光を突く。包帯は一瞬に黒い炎から燃え消え、閃光は槍から先に進めずこれもまた消え去る。扉はもう閉じる手前数メートルまで迫っていた。包帯は大半が魔王の元へ向かっていた。葉月は間合いを詰めていた。

「Flame bullet(火炎の弾)」

葉月は眼前の包帯の根元に弾を撃ち込みそこから全ての伸びた包帯たちが荒ぶる龍の如く狂い灰となって風に流されていった。葉月は欠かさずにまた跳ぶ。その着地地点、蹴り込み点は魔王だ。軽く蹴り飛ばされる。

「って! なにすんだあ!」

扉に向かって飛んで行って叫んだ。それが彼女の頭上を通り過ぎる手前、彼女は天に魔法陣を翳して閃光術を放とうとする。だがそれに口を挿む。

「君が行かず誰が行くと言うんだ! 走れ阿澄君! 私のことはなんも気にすることはない、今は君よりも強いさ、私は」

そして閃光は放たれた瞬間付けたした。

「Stall of sitting height specified."serialNo.53"(指定座高の失速、"serialNo.53")」

彼女と閃光術はゆっくりゆっくり鈍くなって燐はあっという間に扉の向こうに顔面からいだ。と呻き落ちる。

「走れってか蹴りやがって……」

顔を押さえて立ち上がる。その時失速していた彼女に掛かる魔法が解除され元の速さに戻り上空に向けて閃光が柱を立て消えた。クイッと燐に向かって走り跳ぶ。

「行かせるかぁぁぁああ!」

「それはこっちのセリフだぜぇ?」

彼女の背後から槍の先に魔力が珠を作り出しそれを振り翳し彼女の足元へ投げ込んだ。すると人の肩幅程にシンプルな魔法陣が現れ波動が彼女に当り障る。先刻の閃光の後を追うように彼女が扉の少し上まで空の色と髪の色が同化しながら飛んでしまう。

燐は暗がりの塔の中から手を暗がりに射し込める光を掴もうとするように伸ばす。すでに僅か数センチメートルまで閉まる。

「使い魔君! 君も行きたまえ! Of one thousand camellia(千の椿)」

花びらが彼女含めリズリカミネに押し寄せた。リズリカミネは跳び上がり彼女へ槍を突く。彼女は体勢を整え防御魔法陣で耐え魔法陣を弾きリズリカミネは地面へ落とされる。うまく着地し槍をくるりと一回転。その後花びらが防御魔法陣を失った彼女に奇襲を仕掛ける。

扉は数ミリセンチメートル。最後の言葉が燐の足を動かす。

「明日学園に私たちのクラスメイトと遅刻したら委員長権限で公開処刑だ」

その言葉と共に外で戦っていた相棒が瞬時にネックレスとなって首元に戻ってくる。そしてニヤリと口元で笑い決死の目で語る。

『無遅刻無早退無欠席皆勤賞狙いの僕、当たり前だ』

葉月は笑い返しそして、扉は完全に外と中を遮断した。

燐はどこまでも伸びる螺旋階段の先を睨み付けて駆け出す。


宙に浮いていた彼女が地に足を着ける。葉月に背を向けて閉じた扉を何も出来ずただその絶望にくれるように見る。くるりと水色の長い髪を乱暴にはためかせ葉月を睨み付ける。

「まあ、すぐにあなたを始末すればいい話よね? あはは、shadow Curse(影の呪い)」

魔法陣を片手で構築。黒い魔法陣から黒いドライアイスのように溢れ出す。葉月は腕組みをして鼻で一度笑い見下すように言った。

「しまつ? そうだな、うむ。貴様を始末して早く合流すればいい話ってわけだ」

右手を広げ何かを潰すように握った。噴散していた花弁が魔法陣を張った彼女へ一直線に鋭利に迫っていく。彼女の魔法陣から流れ出る影は地面に溶けていき彼女の影に入り込む。鋭利な花弁が彼女へ到達寸前に地面から黒い何かが一枚一枚を的確に突き刺し花弁は黒く染まり空気に溶け込むように消え、黒い何かは地面に戻っていく。一枚一枚、それを何十、何百と繰り返し全ての花弁が黒くなって空気に溶けた。

「ふっ。奇妙なことをする」

「奇妙? こんなにも奇麗なのに」

哀しげに笑うと地面からそれを水滴が落ちるのを逆再生したようにテニスボールくらいの黒い物を一滴浮かばせる。手の上で愛おしそうに見つめる。

「あはは。これはね、影。ですの。こんなことも出来ますよ?」

手に乗る影の一滴を葉月に向かって投げるがそれは葉月まで届くことはなかった。手前で地面に落ちる。

「ふん。届きもせぬではないか。戯言は充分だ。Of one thousand……ッ!」

呪文を唱えている最中奇妙なことが起きていた。眼前に伸びる葉月の影法師が勝手に動いていた。眼前に影法師が浮かび上がり手が伸びる。葉月の首元へ。そして、首を鷲掴まれる。

二つのポニーテールが一つは元気なくだらりと下がり、もう一つは威嚇するフクロウのようになっている。それを生成した彼女が下品に笑う。

「あはは! はははあはは。自分の影に絞殺される気分はどう? ふふ、滑稽ね」

その影の手は徐々に力が増していき、葉月は息すらできなくなってしまう。視界がぼやけ狭まり聴覚には下品は笑い声が反復している。

(自分の影……。自分に殺されるのか、ふ。確かに滑稽だな……)

葉月は閉じかけの瞳の先の自身の影法師を捉えられなくなるほどに視界が遮断され下品な笑い声が言った言葉を聞き視覚聴覚がなくなった。

「命令よ、貴様の本体を絞殺しなさいっ!」



螺旋階段はどこまでも行っても先が見えない。途中途中で扉があったがそこに目指すモノはないと思った。ただただ走り続け普通のビルだったら8階くらいだろうか。そこで躓き体が顔から衝突する。

「いだっ! いでぇ。くそ、どこまで行きゃいいんだよ」

「魔王様、俺様は分かるぜぇ。フェロ嬢ちゃんの場所」

「フェロ嬢ちゃん? 誰だよ」

転んだことは気にもせず再び駆け上がっていく。

「魔王様が助けたい嬢ちゃんだろ? あれ、違ったのかだぜ?」

「いや、僕は名前知らないんだけど……」

「何で知らないんだぜ? あんなによろしくしてたのにどうしてなんだぜ?」

「そんなこと聞かれても分からんよ。逆にどうしてりずは知ってるし覚えてるんだよ。まあいい、それよりどこにいるんだ?」

「このフェロ嬢ちゃんの残糸で分かるか?」

リズリカミネが何をしたのか分からなかったがその質問はイエスだ。魔王の瞳に魔王から伸びる一本の糸。それは上へ上へ続いている。この糸の感じは知っている気がした。懐かしい気がした。

「これはどうゆう」

「フェロ嬢ちゃんの魔力の痕跡だぜぇ。これを辿っていけばそこにいるってわけなんだぜぇ!」

(フェロ……いい響きだ。顔も姿形分からない。でもきっとおしとやかで優しくて可愛い子なんだろうな)

そんな定かでもないことを思い、駆け上がっていく中再び忘れ去ってしまう。


半透明な映像を見ている包帯女、それを余所に背を向けただただビーカーの少女を見つめる少女。

映像には水色の髪の少女が浮かび上がりその隙に塔に入り込んだ魔王の姿。決死に階段を駆け上る。包帯女は退屈そうに溜息一つ。

「侵入許しちゃったかー。もうちょっとやれると思ったんだけどなー」

半透明な映像が消えビーカーから離れ歩いていく包帯女が言い残して部屋の扉から出ていく。

「あなたは時が満ちるまで彼女を見ていてねー。追っ払ってくるよ」

ビーカーを見つめる少女にはその声が聞こえているのか聞こえていないのか反応をせずにただただ見つめ続けるだけだった。

扉が閉じる音。何もない沈黙の中少女はビーカーの少女を見て自分にしか聞こえないほど小さく呟く。

「……なんでお姉さまは……」


螺旋階段の先に途中に糸は入り込んでいた。それを少し下から確認できる。

「もうちょっとだな。ん?」

駆け上がる足が止まってしまう。その扉が開かれ青い光の部屋からあの包帯を纏いし女が堂々と現れた。包帯はそれぞれが意志を持っているかのようにあちらこちらに動き回る。それだけなら足は止まらなかった。扉の向こうに微かに見えた。青い光の中、中心にあったビーカー、その中にいる全裸少女。

「ぜ、ぜんらだった」

燐は絶句してしまう。女の子の裸。最後に見たのは小学生か中学生かの頃の奏。奏の幼い体型を思い出してしまった燐。頭をぶんぶんと左右に振り煩悩をお払いした。

「あらー、意外と速いのね。早漏?」

「えっと、お前は誰だっけか! 誰でもいい! 僕らの大切な子を返してもらう!」

「ふふふ。人の名前はしっかり覚えないとだめですよ魔王くん? 相手になってあげるわ。来なさい!」

燐はその言葉を合図に反対側の包帯女に向かって跳んだのだ。魔力を手に込める。

「Prison of dark――ふぁっ!」

呪文を言いかけた時塔のさらに上から天井が壊れたかとも思うほどの轟音がなり、その音と共にその階から落ちていく。

直ぐに使い魔リズリカミネが実体に具現化。手に持つは銀のチェーン。左手に主を掴み右手でチェーンを投げ刺し落下が止まる。

「りず悪い……。面目ない」

「魔王様(あのお方に似てるよ本当に)後先考えずに全くなんだぜぇ……」

「え?」

「いや、ドジッ子魔王様は俺様の主だってことだぜ!」

「なんだかなあ」

チェーンをキュルキュルと短くして螺旋階段に体を戻した。リズリカミネはピエロのぬいぐるみのままチェーンを上げて下げる。

「それよりフィーアが相手となると大分血戦になることと思うぜぇ?」

「ふぃーあ? あの包帯女か。そう言えばそんな名前だった気がする」

「魔王様は記憶力が元々弱いのか? おばかなんだぜ」

「主人をばかとはバカと言った使い魔のほうがバカなんだぞ」

「ふふふ。そうだったぜ、ばかと言ったほうがバカ。なんだぜ!」

一度俯いたと思えば元気よくニッコリ笑顔で主に微笑む。ニッコリ笑顔とは言っても表情はぬいぐるみなだけに変わってはいないのだけれど。

「行こうぜぇ魔王様!」

「ああ、いや。それよりさりず……」

「なんなんなんだぜぇ?」

目的地に向かおうとした使い魔は振り返り頭の付け根から横に傾げる。

「見ちまったよ」

「だからなにをなんだぜぇ?」

「ぜ、ぜんら」

リズリカミネは言葉を失い主の在るべき姿を見直している。

しばしの空白の時間がリズリカミネにあった。

「行こうぜぇ! 魔王様!」

先に先導を切って螺旋階段を駆け上がっていく使い魔リズリカミネ。

その生き生きとした背中を目の当たりにして主人阿澄燐は思った。

(君も見たいんだな。全裸。いや、もう僕は充分って言うか無抵抗な子を視姦するのは気が引けるって言うかさ、愛がないとね、大事だよ愛)

リズリカミネの背中を追うように目的地に向かって駆け上がっていく。そこまではそう時間は掛からなかった。

同じ場所にいるフィーアこと包帯女。再び迎えるのは真逆に位置にいる魔王。

「あらー、意外と速いのね。早漏?」

先刻と同じセリフを言い嘲笑う。何かに気を使っているのかもしれない。

「えーっと、ふぃーあ? 僕らの大切な子を返してもらう!」

「覚えていたのね。ふふふ。相手になってあげるわ。来なさい!」

反射的に身を宙に乗り出しそうになってしまったが頭を軽く振りビシッと言語道断。

「お前の策略は見極めた!」

そう言い放つと螺旋階段を使って半周登り再びビシッと放つ。

「返させてもらう!」

「受けて立つわ!」

包帯女の足手背中から包帯が伸びて燐を襲う。が、燐は後ずさりせず手を前に出し真紅の瞳で睨む。

「Prison of darkness flame(闇の獄焔)」

黒き炎が包帯を燃やすが次々と包帯は新たに出てくる。黒き炎を放ちながら下唇を噛み打開策を練る。

『りず、燃やしても燃やしてもだめじゃ僕が囮になる。だから』

『それはだめだぜぇ!』

『見たいんだろ?』

『ま、魔王様……』

『何も言うな。分かってるから』

真紅の瞳をカッと開き空いている手に魔力を集中させる。イメージじゃなくて辺りの魔力をまずは集める。

放たれる黒き炎以外の魔力が一点に集結していく。集中力は極限に達し刹那にイメージを具現化させる。それは闇に輝く矢。

「Familiar with the arrow hit the darkness, the enemy.(闇、敵を打つ矢となれ)」

歓喜している暇はない。表情一つ変えないまま黒き炎を止め矢と言葉を放つ。

「行け! りず! 全裸が君を待ってるぞ!」

矢は包帯女の心臓に向かって、言葉はリズリカミネの胸に響いて進んだ。

だが、包帯女は背中から伸びる包帯数本で矢を掴み押えばきばきと破壊した。

だが、リズリカミネは立ち尽くしていた。今の間なら扉に向かう隙くらいあった。なのに動くことをしなかった。

「魔王様……」

「なんで行かないんだよ! せっかく隙作ったのに!」

「魔王様は誤解しかしてねぇ。俺様は別に裸とか興味ないし魔王様に行ってほしいんだぜぇ?」

燐は膝をついて真紅の瞳を涙で濡らそうとしていた。そんな主に使い魔は優しく肩に手を置き囁く。

「り、りず。ありがとう。君の想い無駄にしない」

立ち上がり零れる感涙を拭い眼前の目標を再認知し教わった呪文を唱える。

「タイミングは……言わなくても分かるな? 神速(Godspeed)」

「槍よ、思いのまま動け」

魔槍をどこからともなく出しそれに光が籠り、宙を駆け抜ける隼の如く自由奔放に包帯女に向かって行く。

「小賢しい! 魔王くん、君の相手は私のはずだよ?」

十数本に束ねた包帯は槍よりも固く魔槍は容易く弾かれてしまう。包帯女は神速の魔王の眼前にいた。

包帯の下、表情は口元からしか窺えない。魅惑的に歪んだ口元が意味するは余裕の勝機。燐は眼球の真紅が小さくなった気がした。捉えようにもその姿全ては捉えられず歪んだ口元だけを視線に入れてしまう。

「魔王様ッ!(これじゃ何をしても間に合わない――)」

ネックレスに戻り主の元に行くにも、その姿のまま駆け寄るのも、弾かれた魔槍を引き寄せ援護するのも、使い魔は反省強いるしかなかった。

あの時最高のシチュエーションを演出して助け出そうとかそんなんどうでもよかったんだぜぇ。助け出せればよかったのにこれじゃあ魔王様すら……。

駆け出すことさえ出来ないそのぬいぐるみの足。前のめりにそれに触れようとただ手だけが伸びる。遠い遠く届かない。でも口だけは動く、ただの役立たずの口。

「まおうさまぁぁあああああッ!」

燐の右肩を数本に束ねられた包帯が鋭利な刃のようにすんなり貫通してしまった。使い魔は肩を力なく落し、視線は向けているが見えていない。


近い存在になりすぎたかもしれなかったんだぜぇ……。あのお方のように俺様を呼んでくれて、あのお方のように無邪気にあほみたいなこと話して笑って、重ねちまったんだぜぇ。魔王様は魔王様で魔王様じゃあないんだぜぇ。


暗い暗い自身の中。一人形を持たない使い魔は闇に溶けるように沈んでいく。

「ガハッ! ぐっ……。あは、は。貫通しちまってら」

「大丈夫よ。貴方は魔王。こんなことでは死なないわ。うふふ。もっともっともっと! 痛がる顔を拝ませて頂戴? ほらほらほらあっ!」

体に入り込んでいる包帯をぐちゅ、ぐちゅぐちゅと掻き燐の血、肉がぽたり、ぼとっ。

燐は痛かった。だが、笑った。引き攣って笑った。そして一歩一歩また一歩と歩みを扉に向ける。

「あはは。上等だ……。痛いな、痛くてたまらねぇよ。おい、りず。早く来てくれよ……」

リズリカミネは立ち尽くし反応を見せない。

「りず。お前が言うあのお方がどのお方かは知らねぇけどよ。近すぎた? ほざけ。重ねちまった? 重ねんなよ。り、ず……」

「狂ったか。痛みさえ快感か。キモチワルイわね」

そう言い吐き包帯をさらに乱し肉を抉り出す。燐の足元には血と肉が飛散し瞳の真紅と同じ色に染まり上げていた。

「――ッ! はっは、は。お前に痛がる顔を見せて喜ばれるくらいだったら、快感として死んだ方がましだ」

「どこまで自制心を持てられるのか、うふふ。興味が湧いちゃったじゃない。そうゆうことなら……死になさい」

燐の顎を上げて表情の見えない顔の口元がつまらなそうに平淡になって包帯がさらに肉を掻き出しす寸前に力いっぱいに叫んだ。

「――お前の主人は僕だ! 元カレより今カレを大事にしやがれバカたれ!(聞こえろ。頼むりず)」

ぐちゅ、ぼと。と肉が掻き出され落とされた音が塔に響いた。



水中に浮かぶ少女。その中で心中でも浮かんでいる。

リン。りずちゃん。はづき。三人が来てくれた。ありがとう。

でも、無理しちゃだめだよ……。

はづきはよくわからないけど先頭に立って無理しちゃうでしょ……。

リンは絶対いなくなっちゃだめ……。

リンを待つあの子のためにもリンは生きないと……。

だから、あたしなんかよくわからない存在のために来ちゃダメだよ……。



塔の入り口前。

影法師は首を絞め続けた。だが、力は籠っていなかった。徐々に緩まり、葉月の瞳も薄らと開けられ影法師はついに手を完全に放す。

それに動揺を隠せない彼女。

「どうして! 命令よ、絞殺して!」

影法師が揺らり揺らりポニーテールと自身を揺らし召喚主を向き立つ。堂々たる仁王立ち。凛と背筋が良くポニーテールが葉月の顔を燻ぶられる。

(なんだ、とりあえずうざいな。邪魔だ。目障りだ。人の前に立つな。……もしかして?)

「命令! 命令よ! なんでこっち見てるの!」

「ふふふ。そうかそうか。わかったぞうむ」

葉月がスッとポニーテールを元気にさせて立ち上がり、影法師の傍らに堂々と仁王立ち。

「な、なにが……。なにがわかったのよ!」

「答えは簡単だ。この影法師」

葉月と影法師は昔からの幼馴染のように親しげに肩を組み合い葉月はニヤリと笑い、影法師はない表情で笑う。

「……私自身なのだからな」

「召喚主人はわたし! なのになんで……」

「だから、答えは簡単なのだ」

「だからなんでっ!」

ふふと嘲笑い満足に言い放つ。

「私だからだ!」

「それを聞いてるんじゃないっ!」

「え? えっとじゃあ私の影だから!」

「そうでもなーいっ!」

「ええっ! じゃあなにを聞きたいのだ? まあいい。最後に教えてやろう」

スタスタと二人とは言えない二人が彼女に向かって歩みを近付く。

「――私はな、人に指図されるのが嫌なんだ!」

「それを聞きたかったの――」

言いかけた時すでに二人の魔法が発動されていた。

「「Stall of sitting height specified."serialNo.53"(指定座高の失速)」」

「のぉぉぉぉよぉぉぉぉぉ!」

それが解除され通常スピードになったときには眼前に二人が近付いていた。

「「Of one thousand camellia(千の椿)」」

彼女の足元に広がる黒い影。それから何本も何十本も影の小さな柱が何回も何十回も生成される。花弁たちは次々と黒く染まり跡形もなく消えゆく。その相手をしている隙に体勢を変える。

「Flame bullet(火炎の弾)」

葉月が弾を3発撃ち込んだ。その後ろに付くは影法師。火の粉をその影で浴びながら接近していく。

彼女が水色の髪の隙間から瞳を葉月に向けてニヤリと不敵な笑み。

「小賢しいわ本当に」

その表情を隠すように影が伸び折れ曲がり火炎の弾向かって進んだ。それは3つに分断しそれぞれの弾に突き刺さり弾は黒く染まって小さく小さく縮小していき彼女の影の圏内にすら届かずに消えた。3つに分断した影が再び一つに纏まり影法師に向かった。

「Falls(下がれ)」

葉月が欠かさずに影法師に援護する。影法師はない実体が浮かび瞬時に後退させられる。それを追っていた影は諦め地面に溶けていった。

「ほんとっ、小賢しいわ。もう終わりにしてあげる。リリス・テンプテーション」

閃光術の魔法陣を地面の広がった影に合わせ溶け込む。すると、影が一点に集まり宙に黒い玉の形を形成して不気味に浮かび上がる。不敵に瞳に輝きを灯さない彼女。

「うふふ。これはね、影。全てを影にする影。触れれば石も樹木も生物も……影になる素晴らしいもの」

輝かない瞳はどこかうっとりとその玉を撫でる。口元から舌を少し出して口元に付いた米を取るかのようにちゅるっと動く。口元から涎が垂れているが気にもしていない。

「なにしてるの? あなたも戻るのよ」

その言葉に影法師は吸い寄せられるように宙を浮いて寄って行ってしまう。

「Falls(下がれ)」

「むだよ? これは影。他の何物でもないの。うふふふふ」

玉の前まで行ってしまった葉月の影法師が止まり地に影を付ける。そして影のポニーテールを可憐に翻し"serialNo.53"に抱き付き身動きを封じる。その彼女の下には影は一つたりともない。

「わかろうか、この行い。貴様に分かろうか」

「くっ! 離しなさい! 戻るのよ! ちょ、離して!」

命令に従わない召喚されし法師。締め付ける召喚主を。葉月は悲しげに笑みを作り高く高く跳んだ。上空から一点を見る。一瞬の無重力ポニーテールが逆さに靡いて葉月は落ちていく。体勢を顔を落下するほうに向けて左手で右手首を握る。

葉月は影法師がこちらを見た気がした。それはどうゆう意味があったのか分からないが、葉月は一度頷き思う。

「また会おう。私の影よ」

落下のスピードは増していき瞳を閉じて息をスッと吸い止める。風を切る音が聞こえていた。が遮断されるほどに集中をする。どこまで落ちたのだろうか。瞳を開けなければ分からない。だが、葉月は閉じ続ける。そして、一線を越えた時に何かが聞こえた気がした。それは水なのか風なのか、何かは分からない。

握った右手首を前に突き出すと同時に叫ぶ。

「近衛流・猫飯ねこまんま

葉月の前なのか、手の前なのか、それはあまりにも大きく分からなかった。一つ言えることはそれは、猫の肉球そのもの。

それを影の玉と水色の髪の彼女と、自分の影法師に向かって叩き付け地面は肉球の形に凹み接着地から波動のように砂埃と風が舞い立ち周囲に掃ける。そこへ舞い下りる女の子葉月。割れた大地に足を着けて黒いモノに歩み寄った。

自分の影法師を抱き抱え膝に頭を乗せる。正面には水色の髪の彼女が神秘的な光を放出させてゆっくりと消失していっていた。

「私の影。痛かったろうに、よく頑張ってくれた。ありがとう」

そう言うと影法師はスッと地面に潜り込んで姿形を無くし葉月は立ち上がった。葉月の影は葉月の足から生えた。

「そして、おかえり私の影」

彼女は半々透明でもう意識はなかった。その光は神秘の塊で幻想的で美しかった。

彼女がどこへ向かったのか葉月には分からない。偽物だとしても、ヒトの形をしていたのだから。頬に伸びた一筋の雫の跡。無意識に合掌をしていた。

空気は冷たいなかどこか暖かみがあって風が冷たいのにどこか涼しくしてくれる。

「阿澄君。私はもう魔力を使いすぎた……。すまない、あとは任せた」

その場に座り込み寝転がってしまう。

太陽がないのに明るく雲もない快晴。そんな空を見て目的を忘れてしまう。

(はて? どしてここに?)

まあいいか。と寝たまま背伸びをして力を抜き瞳を閉じた。



台所に発ち込める肉じゃがの香り。酢飯の鼻をくすぐる香り。食欲をそそる煮込まれる姿煮。その中ふと背筋がぞっとした。

「なに……? 燐?」

もちろん辺りをきょろきょろしても姿はない。火を弱火にして窓から外を見ると雲行きが怪しく雨が降りそうな天気だ。

「今日は雲一つない快晴ってお天気お姉さん言ってたのに……」

カチッとガスを切って純白なエプロンで手を軽く拭ってスタスタと居間の窓扉から庭に出て洗濯物を回収。淀む空を見つめ不安になり瞳は細くなる。

「燐、いいんちょさん。早く……」

ただ祈りを捧げるように呟いた。その祈りを無視し振り払うように雨がぽつりぽつりと落ちてくる。それが頬に当たってやっと降り出したことに気が付き慌てて居間に取り込み軽くぱぱっと肩の雨雫を払い室内に入る。



一つの言葉で此処に戻ってくることが出来た。

暗く沈んでいくのを一言で戻す。

「お前の主人は僕だ! 元カレより今カレを大事にしやがれ」

こんなことはどうでもいいんだぜ。リズリカミネは駆け出す。軽いその身、右手を横にする。

「来い"Venga"」

そう言うとそこへ鷲の如く勢いで留まり包帯女に向かって魔槍を鷲使いのように投げる。

魔槍は主に忠実に燐に刺さる抉る束ねられた包帯を突き破り接点を無くす。

「――くっ!」

包帯女は階段から落ちていきそうに重力任せな少年を取ろうとするが、再び魔槍が一回転して戻り、燐と包帯女の間でぐるぐるぐると回った。

「邪魔だあ!」

身体中から包帯が溢れ向かうが一本たりともその大回転魔槍を潜り抜けることは出来ない。それどころか千切れ千切れ千切れる。

落ちて来る魔王燐を小さなぬいぐるみの姿は優しく衝撃を庇う。意識が明白にならない燐だが、誰が何をして今こうなったかまでは分かった。

「……り、ず……。さ、ん……きゅう。き、っと……はあ、ん。戻ってぇ、く……るって。分かってたぜ!」

無理に笑顔を作る。その額は汗だくで頬は血で塗られ、右肩はぽっかりと穴開き。

「まおうさまぁ。無理するなだぜぇ」

「あ、ぁあ。……ふぅ」

「痛いかまおうさま?」

「まあ……な。痛、くねぇー。わきゃ……ねぇよ」

「そうだな、そうだったぜぇ。魔王様、ちょいと黙っててくれ。第三代時代、治癒玉オボロス」

そう呟くとリズリカミネはピエロの姿を化けさせ光り輝く。そこで燐の意識は遠のきすぐに眼を覚ました。肩を抉られ、肉が飛散していき、死にかけた。

「生きてる……な」

お腹に乗る心地いい重さ。軽くて温かくて。視線を向けるとそこにはピエロのぬいぐるみが乗っている。起きたことに気が付きリズリカミネは首元に頭を擦りつけて優しくキュッと抱きつく。

「まおうだまあああ!」

「おうおうおう。りずが助けてくれたんだな。ありがとよ」

肩の痛みは一切なくなりその代わりに体全身を心地の良い感覚が巡っている。それは温泉に浸かって癒やされたときのような感覚。ピエロは顔を上げて燐に安堵の文句。

「ばかたれって言う方がバカなんだぜぇ」

その変わることのない表情は気のせいか安堵と瞳には気のせいであろう何かの雫があった。

「ばかはバカだろ? 主人ほっといて棒立ちしっぱとか焦ったわ」

「うるさいバカな魔王様! 俺様だって充電切れとかあるんだぜぇ!」

「充電か。ふふ、もう充電満タンか?」

リズリカミネを軽々と両手で持ち上げ立ち上がる。その最中元気な返事。

「おう! 魔王様。もう大丈夫だぜ! 魔王様!」

「よし! 行くぞりず。僕らの待つ彼女の処へ」

リズリカミネをそっと傍らに置いて魔槍と交戦する包帯女を睨む。それはリズリカミネも。

「纏われし闇(Darkness will clothe)」

真紅の瞳はさらに輝き白紫の髪はふわりと逆立ち右の拳に自身の闇の溢れる魔力が集合していく。

「プラス……」

拳を後ろへ引き魔槍と包帯女へ向かって跳ぶ。

イメージだ。光線。閃光。ビーム。それらを含みさらに強大な力。

例えるならロケットランチャー、いや戦車の大砲。否ミサイル。違う。そう、あの人みたいな強大な、理事長のような月落シ。あれの密集。強大で巨大な一撃。

それをイメージし終わる頃には眼前に魔槍があった。拳に力を込めて会心を打ち込む。

「Value Destruction(価値破壊)」

拳を殴り込む時に刹那にして魔槍は使い魔リズリカミネの元に返り、拳からは暗き闇、混沌の闇でない純粋な闇。それが強大な浸透な閃光となり包帯女を貪る。閃光は包帯女を包み塔の内側から破裂するように外に出ていく。塔の一部が消し飛んだ時轟音が鳴ったはずだがそれよりも魔王の攻撃は轟音を超える鳴動と放っていた。

閃光の道筋には何もなくなり階段、途中にあったろう部屋、塔の壁。全てを破壊し尽していた。否、そこに残るたった一つ。包帯の塊。

「……ふぅ」

魔力の大半を消費してしまったのか先刻魔王から溢れ出していた魔力が溢れておらず溢れるのは荒い息。

「そんな……。もう僕には……」

瞳は怯え魔力の消費しきった魔王は姿を人に戻ってしまう。

眼前には包帯の塊、その正面の一枚が剥がれ落ちると内側の包帯女が口元も歓喜の表情にして息を漏らす。

「びっくりしたわ。これほどの力だとはね……。あと一枚破れてたら私もあの壁のように何も残っていなかったのかしら? うふふ、冗談よ」

何も冗談でもない。冗談じゃないのはこちらのセリフだ。全ての力が抜けていき重力が重く感じ膝を落としてしまう。そんな彼を両手いっぱいに揺さぶるのは使い魔。

「魔王様! こんなとこで諦めちゃだめなんだぜっ! せっかく折角……だぜぇ……」

戦意の失った主の人の瞳を見てリズリカミネもまた戦意がなくなっていく。

塔の中響き渡る包帯女の歓喜の笑い声。

「あきらめえて……諦めてたまるかよ」

膝に手を着き力いっぱいに立ち上がる。はぁ、と息を溢す。

「りず、もっかいやれるよな」

リズリカミネもまた立ちない鼻を擦る。

「やれねぇって言っても魔王様はやるんだぜぇ?」

「……ばかだな」

「お互いにだぜ」

拳と横にいる相棒同志軽く当てて走り出す。

「魔力解放!」

人の形から魔王へと化ける。肩の穴に空気が入り込み涼しささえ感じる。リズリカミネは宙に浮き空中から近付いていく。

「なあーに、さっきの力で敵わなかったのに負けず嫌いね。負けず嫌いは嫌いよ」

包帯たちを燐に誘い襲い狂う。手脚を束縛され身動きが取れなくなる。そして叫んだ。

「りず! やれ!」

包帯女が宙に浮いていったリズリカミネを見ると魔槍に乗って包帯女に突撃専攻を強いていた。紙一重に後退して避ける。だが、狙いがこれではないことを気付くには遅すぎた。魔槍の刃は微かに包帯を切っていて燐の身動きは自由自在。刹那に駆け出す燐の向かう先は彼女のいる扉。

「開けゴマ!」

開かなかった。その隙をついて包帯女が奇襲の包帯を鋭利に数本飛ばしてくる。その手前でリズリカミネは魔槍を階段途中に叩き差す。

「守れグングニル!」

階段の通路いっぱいに曲がった盾の陣が現れ全ての包帯を受け止めた。

「あいことば、あいことば……えー! 何か他あるか?」

思い付かずに一心に扉に蹴りを入れると容易く開き思っていなかったため、おっとおっととなり結局転げてしまう。

「いでで……。合言葉ねえのかよ」

瞳と開くとそこは青い光塗れで実に幻想的な空間。どこからともなく光り輝き部屋を照らす。中央に助けるべくして此処へ訪れた何も纏わない生まれたばかりの姿の少女。筒状のビーカーに入り液体の中無重力を感じさせるくらいに浮いている。

その手前で少女を見つめる少女。こちらの訪れを気にもせずただただ見つめるだけ。

「そうだ、りず!」

部屋から顔をひょっこり出して外の様子を覗う。魔槍から現れし盾が無数の数えるだけ無駄と言えよう、びっしりと敷き詰められた包帯。

「魔王様は早く行ってやるんだぜっ! ここは任せるんだぜっ!」

格好つける小さな可愛らしいピエロの背中がやけに大きく感じる。そっとそのピエロの傍らに立ち言ってやる。

「何恰好つけてんだ、相棒。一緒に行く、に決まってんだろばかたれ」

「ばかっていう魔王様がばかだぜ」

「ふん、そうれもそうだな」

「んなことよりもう耐えられそうにないぜぇ……」

盾に徐々に増え続ける包帯。盾はギシギシと音を放つ。

「Prison of darkness flame(闇の獄焔)」

黒き炎が殴りつけた拳から放たれその瞬間に魔槍がリズリカミネの元に戻り盾は消える。消えたことによって包帯が前進しては黒き炎に圧倒され燃え盛る。だが、炎が進むことはない。むしろ押されていた。拳から放たれる黒き炎は火力をなくしていく。

リズリカミネは魔槍の先に魔力を集中させそれは白色の珠になり消えてしまった黒い炎から襲い来る包帯に突き立てる。珠は少し宙に浮いて進んでいくと接触、その半径1メートルほどの珠に変わる。そこだけ台風、サイクロン、トルネードが起こっている。

「長くはもたねぇぜぇ。早く部屋の中へッ!」

おう。と返事をしバックラン。それはリズリカミネも一緒にだ。だが、はやり言った通り長くはなかった。トルネードは消え残ったそこには何もなかったが直ぐに包帯が押し寄せる。

――間に合わないッ!

背中の寸前手前まで来ていた。燐とリズリカミネが部屋に着くためには時間も距離も足りない。二人は振り返り戦闘態勢を取ったその刹那、眼前に黒の何かが割り込んで包帯がこちらに来ることはなかった。

「――お前、この間の黒尽くめゲイ!」

「ゲイではないが。久しいな」

微動だにしない黒尽くめの男。だが男の眼前に何かが鋭利に動いているように見え狂う包帯は千切れ続ける。

「行くんだ。阿澄燐君」

「なんで手助けする。お前は僕の敵じゃないのか?」

「今回は阿澄燐君、君が此処でやられてしまうのはわたしとしては面白くないのだよ。君は生きてくれないと困る。停戦協定というやつさ」

「礼は言わないぞ」

そう言い残し部屋に向かって駆け出した。リズリカミネは何を思うかその大きな背中を見つめる。

「魔王の使い魔リズリカミネよ。任せたぞ」

「言われなくてもんなことは昔からやってるんだぜぇ」

リズリカミネも主を追いかけ駆けて行った。二人は部屋に籠り扉を占めたのを確認して日本刀を上から振り下ろす。包帯は根元まで切れて襲い狂うモノは無くなる。包帯女は一歩後ずさりをして男の無気力そうな威圧が深く読み取れない。

「黒い黒いゴキブリみたいに人の家に無断で侵入して害するとはホントに汚い奴。畜殺してあげる」

「戯れる相手としては、フィーア。不足なし」

包帯をぎゅるんぎゅるんと数本鞭のように荒ぶる。男は魔力、オーラが無くただの人として日本刀を振るう。一本一本確実に転結を付いているのか触れれば触れるだけの本数が重力に呼ばれるようにひらりと落ちていく。


室内に無事に侵入を果たした二人。扉を閉じれば外の戦闘の音はおろか部屋には二人の足音と液体からたまに出る泡の音のみがカツカツ、ぽにょぽにょ、ぶくぶく。

ビーカーに近付きその手前の少女は振り返ることはない。その下まで寄るとその美しさがさらに眼球の裏を刺激する。

「……綺麗だ」

青色の光が液体を神秘的に浸透させ中にいる少女の髪はふわりふわり落ち着いて浮く。見覚えのない顔。見覚えのない身体。見覚えのない髪。それら全ては神秘的に液体から輝きを貰い透き通る。それはあまりにも神秘すぎる。

「助けに来たよ」

閉ざした瞳は開けることはない。返事を返したのはビーカーの少女を見つめる少女。

「もうじき終わる」

淡泊なその声。表情は変わらず無表情な黒目碧。

「くろめ、あおい……。終わるってどうゆうことだ」

間を空けてつむんだ口を開く。

「存在の力。もう消えなくなる。そうすれば彼女の代行は終了しそれを覚えているモノはいなくなる。そして完全の存在になれる」

「そんざいのちから? どうゆうことだ」

「貴方方は不可思議。もう覚えていないはずなのになぜ此処に訪れたのか」

辺りの青色の光に負けることなく濃い青い色の瞳が一途に問う。

「どうして分からない存在のためにここまでするのか? 偽物の彼女をどうしてそこまで」

「そうだったのか、僕にも分からないよそんなん。でもなんだろうな、本能的に助けないといけない。救わないといけない。大切だから、覚えていないでもクラスメイトだから……」

分からない。でも助けに来たんだ。今は相棒が教えてくれた名前すら覚えていない。

「約束もしたしな。さあ、奏も委員長も待ってる。帰るぞ」

液体の中浮遊感を漂わせる少女は反応せず永遠の眠りに付いた白雪姫のように美しく、仔猫のように愛らしい。燐はビーカーに手を翳し唱える。

「Value Destruction(価値破壊)」

魔王の手から闇がビーカーに浸透し、全てを包むとガラスが消え液体と共に少女が地に足を力なく着いて燐に向かって倒れ落ちて来る。その子を優しく両腕で抱き留める。その光景を黒目碧は変わらない瞳で見続ける。殺意もなく敵意もなかった。

腕で眠る少女はゆっくりゆっくりと長い睫が動き瞳が露わになる。その瞳は透き通る薄い青色で吸い込まれそうになっていく。見惚れていると少女の小さな口が小さく動く。

「――りん……。きれくれたんだぁ……」

少女はか細く笑顔を作ると眉を寄せて燐の肩の穴の開いた服の肌を擦ってまた笑う。

「むりしちゃって……そこまでしちゃだめだよ……?」

「ああ。ごめん。でも助けないとって思ったらな」

「まったく、もう……」

「もう大丈夫だぞ」

静かに首を横に振ってか弱く笑う。

「あたしはもういなくなっちゃうから……。もういいよ。なんで泣いてるの」

燐の頬に触れる冷たくなった手。その手が燐の瞳から零れる雫を拭う。手が力なく落ちかけるのを燐はそっと包み手元に視線を落とす。少女の手の甲に零れる涙。一滴一滴間隔を開けずに落ちていく。その甲は透けていき燐の手のひらが透けて見え始めた。身体、顔、髪を視線を騒がすと前進が薄く透ける。

「これって……」

「これが存在の力が消えるっていうこと」

淡泊な声を発するのは二人を見下ろす黒目碧。さらに薄く薄くなっていく。

「いくな……。行かないでくれっ!」

「あたしは……、どこにも、いかな……いよ……」

「頼む……。行かないでくれ……。消えないでくれ……」

薄く消えかかる小さな少女を強くまた強く抱きしめる。

「……いた、い。よ……」

「……りず。なにか、なにか方法ないのか……」

次のリズリカミネの言葉にハッと聞き耳を立てた。

「魔王様、存在の力が必要ってことは二つの方法があるんだぜぇ?」

「それは……?」

「一つ、他者の存在の力を与えることだぜ。これはその与えた者が存在の力が減り確実に寿命すら減らしていくんだぜぇ」

それなら僕の力を与えればいい話だ。と思ったが服をきゅっと掴む。その子はダメと首を振っている。

「そして、もう一つ。魔王契約だぜぇ」

「まおうけいやく……?」

「ああ、魔王契約をすれば魔王様が消えない限りフェロ嬢ちゃんは存在の力を維持できるんだぜぇ」

「しよう! 今すぐにでもしよう!」

んー、と唸るピエロに顔を近付けるとピエロは言った。

「そのためにはだな……。体液免疫を交換していなければいけないんだぜぇ」

「たいえ? なんだ?」

その間に少女の姿は半々半々透明と半々してもしきれないほどに辺りから差し込める青い光が浸透している。

「血の交換だとか、重く言えば交尾だぜ」

「え? え、えぇぇぇええ! 無理でしょダメでしょ黄色い帯が必要になっちゃうって!」

「まあ落ち着け魔王様。軽く済ませるなら最低接吻だぜぇ」

「せせせせせせせせせ、きすか!」

燐は小さな透明な桃色の唇を見つけ魅入る。魅入っている暇はない。さらに透明度は増していく。

喉が周囲に分かるほどにゴクリと鳴る。

「やるしかねえんだな」

「ぶちゅっと一思いにやっちまうんだぜ!」

顔を近付けると少女は燐に乗せた手を人差し指を立てて口の行き先を邪魔する。

「だ、め……だよ。かなでにおこられちゃう……」

その人差し指を優しく握り下ろし魔王と少女の唇は重なった。

もうすでに姿形は肉眼に捉えることは出来ず透明なのか消えてしまったのか分からない。だが、その腕には実体が感じ取れる。口先にも今だ重なり続ける暖かみ柔らかみがある。

「魔王様、体液を交換しないと魔王契約はできないんだぜぇ!」

『まじか! そそそ、それは!』

その間に腕にある実体すら消えていく浮遊しそうな感覚が浸る。燐は目をぎゅっと閉じて思い切って少女にほんの少しだけ滑り込ませた。

「使い魔より許し得るは十一代魔王契約と汝共有の彼方、プレアデスの導きより契約せよ。魔王阿澄燐、契約の汝フェッロ・アイネ・フラウ。今此処に共有を果たせ――」

燐の下に紫に淀み可憐な魔法陣が現れゆったりと回っている。辺りの青い光に負けないほどに輝く。その明るさに燐は真紅の瞳を開ける。口元をそれから離すと体液が一本伸びてすぐ絶たれる。

回転していた魔法陣はスッと一点に纏まり実体のなくなった少女に溶けるように入り込む。

すると、実体重み姿形のなかった少女が紫の光を纏って白い肌、小さな顔、力なくだらける黄金の髪、長い睫が生える瞳、小さく開いた小さな唇。

全ての記憶が走馬灯のように甦る。始めてあったこと、転入してきた日の無表情、それから日常の日々、長くはなかったけれどどれも楽しかった思い出たち。

腕の中小さく縮こまる少女を見つめてそっと囁く。

「待たせたな。フェッロ――」

「待たせたな……じゃ」

フェッロは笑顔で優しく微笑んだように思えたが頬どころか顔全体を真っ赤に変える。

「……ないわよおっ!」

鉄槌の拳がアッパーをフライング。燐もフライアウェイ。フェッロは唾をそこらにぺっぺっぺっと穿いて苦い苦汁を飲んだ表情で感涙を浮かべていた。

「かんるいじゃないわよおっ!」

もう一撃ストレートジャブがヒットして後ろに倒れ込んでしまった。腕で自身の局部と胸元を隠して頭をしゃべる度に振ると黄金の髪が青い光を呑み込みながらひらりひらり。

「もうもう! なんで、き、ききキィーッ! は、はあ、裸また見られ……ッ! まったくもうもうもう!」

燐は自分の上着をフェッロに投げ渡しそっぽを向いてフェッロを見ないようにした。その肩部分に穴の開いた上着を着て満更な表情をした。


部屋の外、塔の中、螺旋階段。

男は先刻から立ち位置は変わっておらず包帯を切り裂き包帯女の包帯は止まる。

「存在の力甦ったようだな。ささ、私はこれにておさらばしようか」

男は日本刀を自身の横の何もないところを切る。すると、空間に切れ目が入る。包帯女はくっと声を漏らし一本の包帯を男に向かって吸い寄せるように一直線に辿っていく。男はその割れ目に一歩足を入れた時。

「おっとそうだ。軽い気持ちであの子の周りに近付かないほうが君の主のためと忠告しておくよ。アディオース」

包帯が男の手を掴み取った。だが割れ目は腕を残して閉ざしてしまう。途中から身体を失った腕は重力に任せて落ちていく。そう思われたが黒き染まりポッと消え去ってしまい、包帯は目標がなくなってたわむ。


塔の下眠りに付く女の子が一人なにかの衝撃で目を覚ます。

「おっと、眠ってしまっていたな。フェロ君。うん。阿澄君やってくれたな」

満足に笑みを溢して扉の前に立ち、風がふわっとポニーテールを翻す。

「帰る準備をしておこう」

脳裏に入ったとき同様に演算を始める。


台所に香る様々な食欲を促す香り。陽気な鼻歌が音符を出して奏でられる。

「ふふ~ん、ふっふ~。早く三人来ないかな~ふっふっふ~。あ、にわか雨だったのかな」

台所の小窓から覗かせる天空は雲が所々掃けてその間から陽の光が近衛町に光を差していた。先刻までの不気味さが消えて奏は何かに安堵して言葉を漏らす。

「……フェロちゃん」


燐は立ち上がり幼い背丈の小さな頭に手を乗せてニッコリと笑う。

「さあ帰ろうぜ」

乗せた手をペシッと払われて不機嫌に言う。その表情は怒っているように口をへの字に変えて頬を紅潮させている。

「のせるなあ!」

「おうおう、行こうぜ」

手を引き出入り口に向かう。フェッロは先ほどまで自分が入っていたビーカーなのか黒目碧なのか悲壮感を現した表情で見つめ続けている。だが、目的の出入り口が開かれそこから包帯女が姿を見せる。

「くそっ。どうしようかりず」

「いや待つんだぜ魔王様。殺気がないように感じ取れるぜ?」

真紅の魔王の瞳に力を込めると幻想的に眼球が煌き燐の瞳に映るのは、闇。だがリズリカミネが言った通り包帯女にはそれが見えない。

そうこうしている間に黒目碧が包帯女のもとにいた。二人の会話はあまり聞き取れなかったが聞こえる限りはこうだ。

「"serialNo.16"の存在の力が失われる前に魔王契約をした」

「なんで止めなかったの?」

「見ているようにと命令されたから」

「……そうね、ごめんなさい」

形勢逆転とはこのことを言うのだろう。包帯女は次に燐らに言葉を継げた。

「今回は完全に敗北だわ。命令は存在の力が消え完全形態にするためのものだった。それが出来なくなった今私たちがあんたらを討つことはないわ。さあ行きなさい」

包帯女は燐らと扉の間から横に避けてその身体から包帯を数本ひらひらと力なく風の行くまま流れる。

燐は何も言わず、同じくリズリカミネも何も言わずに十字架のネックレスの姿になって燐の首元にぶら下がり、フェッロも何も言わずだがただ瞳は悲しそうに細くその視線の先にどこにも視線を渡さない黒目碧。


彼女らは本当に何もして来なかった。螺旋階段を使わずに中央の吹き抜けからゆったりと降りる。閉じた扉に合言葉を言うと開けた風景の前に葉月が瞳を閉じ凛々しくポニーテールを靡かせていた。

「よ」

「はづき……」

「阿澄君にフェロ君、おかえり」

「はづきは……そのえっと……」

「フェロ君。君のことは偽物と罵り邪見に扱ってしまったことを詫びよう。でもだ、私はこうして阿澄君と助けに参った。それはつまりだな」

あほ毛ごと髪をくしゃくしゃとして紅潮した頬を向けてはプイッと背を向けた。

「倒すべき相手の前にクラスメイトなのだ、私の大切な。な」

「は、づき……」

「記憶がないときにそう思ってたと言うときはつまり、うむ。そうゆうことなのだ」

フェッロは肩をふるふると振らして何かに耐えているようだった。燐が背中を軽く押してあげる。その勢い以上に葉月の背中に抱きつき、その瞳の端に雫を溜めて笑みを溢しまくる。

「はづきはづき、はづきっ!」

はづきはづきとそれしか覚えていない子供のように無邪気に笑ってポニーテールからその表情を出して隠してを繰り返して笑顔。

「お? どうしたのだフェロ君」

「知らない分からないでも嬉しいからっ! はーづーきっ!」

驚きフェッロの顔を後ろ目に見ては燐に助け船を求めるように顔を見たりしてどんどん頬が茜色に染まっていく。

「あはは。はづきなんかかわいい!」

「かわいいだと! フェロ君だって可愛いぞ!」

愛らしい仔猫を可愛がるようにフェッロの長い髪をなでなで。

「さあ帰ろう。奏君が待ってる」

「かなでが?」

「ああ、昨日の肉じゃが作っといてくれてるぞ」

燐が近付き口元を満足に曲げてそっと言った。

葉月が座標固定、時間軸一致確認、二つの空間の空間座標合致、歪みの確立正当を済ませ此処に入ったように入口を生成した。

三人はその先の見えない入り口を潜り近衛町に帰った。

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