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魔王と十字架  作者: 筒下
偽物と本物
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Episode:04                            

物語が大きくでもないかもですが動き始めます。悪い点良い点含めご教授よろしくお願いいたします。

奏はすっかり午前中睡眠を果たし故に体調もすっかりばっちりグッドな回復を果たしていた。奏は燐をチラ見すると頬を紅潮させたりさせたり目を逸らしたりしていた。燐は少し、否。結構悲しみに浸っていた。そんな中奏は一人心中思っていた。

『お姫様だよ! お姫様抱っこ! どんな顔見せたらいいのよっ!』


そして、時は放課後。燐とフェッロは二人で揃って理事長室へ出向こうと扉の端側に設置されているインターホンを一度鳴らす。時間は立たぬ間にインターホンから理事長こと、玄彦の声が聞こえる。

「おっお? 燐君とフェッロ君かいな? じゃんじゃん入りたまえ」

すると、扉に鍵が掛かっていたのか、カチャとなった。燐が扉を開き二人で中に入るとすでに葉月がソファーに足組をして座り待っていた。右を見ると秘書と思われる女の人が笑顔でお出迎え。手をソファーに差し出して誘導してくれた。その最中燐はいつものやつが始まる。

「諸君待ちに待った時だ。そう彼女の紹介をしよう。彼女は理事長の秘書、黄昏杏たそがれあんず。育ちの良さそうなその美貌の顔立ちに形の整った完成された胸は――」

そこでフェッロの踵が燐の足の甲を踏み潰し、燐は絶句し瞳に黒さは無く真っ白と化す。うずくまり悶えているとフェッロが気が付き

「あれ? リンいくよっ! ふん!」

手を引いたその瞬間燐の視界にはフェッロの白く綺麗な柔肌のみとなった直後、燐の鼻目掛けフェッロの強硬な膝がクリティカルヒット。ただただ燐は痛かった。

二人が大人しく座るとすかさず紅茶の入ったティーカップを丁寧にそっと置く。温かみのある香りが鼻をくすぐった。杏のにっこり笑顔は燐の心をくすぐった。

フェッロは淹れたての紅茶の瞳を輝かせてコクリと飲むと衝撃的だったのか。はにわのように固まった。燐もコクリ。一口唇を濡らす程度に紅茶に触る。

「おぉぉ」


何とも例えることが出来ない。そう、それはヨーロッパの大きな大草原を想像してほしい。そこに立つのは一つのガーデン。中央に洒落たテーブルに椅子。そこには可憐なお嬢様と言えるお方がいるんだ。自分を覆い隠せるほどの白色のつば広帽子、つまりキャペリン。そのお方に駆け寄るゴールデンレトリバー。駆け寄っていくとそれに同調して爽やかな風が丘の方から吹いてくる。草原の草花が宙を舞い踊り可憐なお嬢様はにっこりと笑顔をしてしまった。


「りーんー? おおーい」

フェッロは燐の眼前を手でぶんぶんして燐の意識を確認する。少し経ち燐がそれに気が付く。

「はっ!? ここはだれ? あたしはどこへ?」

「なんだかどこかで聞いたことのあるようなセリフだな。ふっ。まあそんなことより阿澄君。聞いては……いなかったよな。うん」

葉月は一人話し納得して玄彦に、初めからよろしいですか? と、尋ねをした。

玄彦は一つ頷き続けようとしたがフェッロが遮る。

「あれ? なにか話したっけ? んー、思い出せないよ……」

玄彦は咳払いをして続けた。

「ゴホンゴホン。我らは、コノエキュルリーテ。聞いたことはあるかのぉ?」

「まあ名前ならこの間襲ってきた"serialNo.85"が言ってました」

「そうだったか。内情な存じては居らぬのだな。我らはこの近衛町を守護する魔術師の集い。この町の平穏を乱す者達から守おておる。数は驚くほど多いわけではないが腕っぷしは皆立つ者達だ」

そこまで言うと葉月が続けた。

「そして今平穏を脅かす物。フェイク信教。奴らの討伐殲滅。奴らは野放しに出来ぬ」

葉月はそう言うとフェッロを鋭利な目でチラリと見る。フェッロはそれにビクリと肩を跳ねさせる。

「うむ。フェイク信教。それは人の複製から死去。この世界の理から外れた暴挙を行っている。そして阿澄燐君。否、魔王。君の死去も含めな」

燐もフェッロも苦汁を呑んだ直後のような表情を浮かばせる。

「フェイク信教の殲滅。コノエキュルリーテの今現在の主な活動である。次に説明するはそうじゃな。奴らの行動範囲。基本的に近衛町内で収まっておる。理由は不明だがの。ただし過去から現在までこの学園内でと言うことは今日の一件を除けば一度たりとてなかろう。そして、あの包帯纏いし彼女。言動から察するに学園内での紛争はあちらも望んではなかろう」

「ですがお爺様。これからも学園内が安全となるわけではないかと……」

「うむ。葉月の言おうすることも正しかろう」

「あと、あの女。奴は……ご存じなのでしょう?」

葉月は疑いなく疑問を問う。

「うむ。存じておる。名を名乗っておろう。彼女は"serialNo.4"vierフィーア。フェイク信教の98あるモノの"singleNo."にして四天王」

「四天王……」

燐はフェッロを軽く横目で見た。表情は少し暗そうな。そして、その薄い唇を開いては閉じる。

「それらは、いや。"singleNo."は、1から10のモノたちだ。第一世代。それら他のモノと違う点があってだな。存じては……おらんようだな」

燐はその強そうな四天王という言語に怯えているようだった。首から下がる十字架をキュッと握り締め玄彦の言葉を待った。

「……"singleNo."を除く"serialNo."達は、創造の主。彼女らは皆お父様だあ呼んでおる。彼の意、命の通りに基本動く。命令は絶対とな……」

玄彦はどこか悲しげに自身の手を眺める。

「だが、"singleNo."らは命令とは別に自身の想い行動しうる。殺せと命じられても自らが殺さないと想えば殺さず、また自ら想いが合えばそう行動する。が、決して命令では行動をすることは、ない。創造の主はそれらを失敗作と蔑み、新たに第二世代として11から49のモノ。第三世代とし50以降の"afterNo."分別した。第二世代からは創造方法が変わってだな……」

燐は生唾を呑み込み、フェッロはギュッと両手を膝に置き、葉月は変わらぬ表情。

「第一世代は命からの創造。故に自らの考えを持ちいる。そして、回避の為それ以降のモノは、実在の人を二つに分けたのじゃ。本物と偽物と言う所以はそこが関係あるのぉ。それでのぉ、分別じゃが」

玄彦は両肘を立て口元を隠すようにした。となりで秘書の杏が紙芝居みたく低学年が書いたようなお世辞にもうまいと言えない絵を立てる。

「元のモノの劣勢感。言わばコンプレックスじゃ。本体から剥ぎ取り分別。そのコンプレックスが偽物やコピーと言われるモノじゃ。一つのものが欠けているが為に自身で考えることが多少は減り命を聞き入れやすいと言うわけじゃな」

そこで玄彦はフェッロを優しげな瞳で見つめ問う。

「フェッロ・アイネ・フラウ君」

フェッロは何も言わずに首を傾げる。

「君は、創造の主からリズリカミネの護衛を命されていたのぉ?」

「はい? なんで知ってるの?」

「ふふふ。我に知らぬ理はないのだ!」

おおー! と驚愕そのものを表現した顔でフェッロが驚き目を輝かせている。

「と言ってもだ。コノエキュルリーテの情報網から聞いただけのことじゃがな。ふはは!」

天井に向けてふははがはは、と代官様の如く笑う。フェッロは手をパチパチと何やら喜んでいる。

「でだ。他のモノと違う命。何やら引っ掛かりに引っ掛かる。何故故、そのような回りくどいことをしたのか。それはどのような用途があるのか、コノエキュルリーテでも捜査中じゃのぉ」

腕組みをしてふむーと考え込む。そう。なぜか。それはフェッロにも分からない。

燐は、一つ思い出した。黒尽くめの男だ。リズリカミネを欲した男だ。

「あの、理事長。りずを欲した男がいたんですが、あいつはご存じありますか?」

「ん? 初に耳に入れる話だな」

「そうでしたか」

燐が少しばかり俯くと胸にある十字架が白く輝く。そしてそれは実体をテーブルに露わにした。抱き心地の良さそうなピエロのぬいぐるみ。リズリカミネ。リズリカミネは現れると手を上げ玄彦に一言。

「よお! 久しいな近衛の爺さん!」

「いつ以来御目に掛かりましょうか、リズリカミネさん」

「二人はお知り合いなのです?」

リズリカミネは燐に振り向き

「おう、魔王様! 一緒に戦地に立ったこともあったぜぇ!」

「あれは、我がまだ45と若き頃じゃな。あの節はお世話になったのぉ」

「おうおう。お互い様だぜ! 魔王様のことよろしく頼むぜ!」

「当たり前じゃ。奴に顔向け出来ぬからのぉ。しかし、ヘンテコな恰好になってしまったのぉ」

リズリカミネがあれやこれやと言い訳をしていると燐は気付いた。葉月がふるふると小刻みに震えていた。前髪で表情を覗うことは出来ない。

「りず。なんだか楽しそうだね」

フェッロは微笑ましいのか金色の二つに分かれた髪をふわりふわりさせにたにたしている。

次の瞬間。刹那だった。何者かがリズリカミネを回収。ぬお! とリズリカミネは苦しそうだ。

「ぬぐぐぅ……なんだぜ……なにが起こったんだぜぇ……うぅっ」

ぬいぐるみながら表情が誰もが見ても苦しそうに顔を歪ませた。さらにさらに強く。

「なにこれ。かわいぃ……かわいいっ」

聞いたこともない嬌声。その発した者は、近衛葉月だ。顔を火照らせリズリカミネにすりすり。ぎゅうぎゅう。ポニーテールがあっちにふらりこっちにふらり。激しい摩擦運動をしている。

「ぬぉぉぉおお! なんだか目覚めそうだぜぇええ!」

リズリカミネは歪んだ顔が一つもなくなり目が発光し始めた。ぎらぎら。

「委員長ってそんな顔もするんだな、以外だった」

ふへーと蕩けそうな笑みを浮かべる葉月。燐の言葉は耳に入っているのか入ないのか分からない。燐はさらに素直に微笑み追撃する。

「仏頂面ばっかり澄ました顔ばっかだったから、新鮮だ。可愛いじゃん」

その言葉に葉月は体全部を使って反応する。火照っていた頬はさらに紅潮していく。ポニーテールも暴れ狂っていたが落ち着いたと思ったらわさわさと逆立ち始める。そして、脳天のアホ毛がぐるぐるびょんびょんと未だかつてない動きを見せた。

葉月はそっとリズリカミネをテーブルに置き俯き。顔を上げるといつもの澄ました表情が戻っていた。

「ふっ。なにを言ってるにょか。わ、私はか、かか、ん」

止まった。完全停止状態だ。リズリカミネが布のしわの伸ばすようにくいくいとして話をもどした。

「さっきの話だが俺様の意見としちゃ、魔王の力を狙っただけの別に気にもかからない些細な独走的なことだったんじゃねぇか? その後関わりはないし気にすることもないと思うんだぜ!」

リズリカミネは両腕をバサッと天向け仰ぎ断言した。玄彦も、そうじゃなふむ。と納得いったのだろう。

「ともあれ、一通りは話したか?」

「ええ。あと尋ねたいことがあります」

真剣な表情の燐に玄彦も察しゴホンと咳払い一つ。続けよ。と燐は続けた。

「あの……俺は魔王で狙われるのはご存じです。ですが、フェロは、どうするおつもりでしょうか」

フェッロは目を泳がせ少々焦りを見せる。葉月はその言動を聞き、ふっ。と鼻笑いを一つ溢した。

「うむ。そうだったな。それはだな……」

「もしフェロをどうこうするおつもりがあるのなら俺はこの誘いには乗れ―――」

言いかけた時玄彦が妨げ頭を少しばかり掻き続けた。

「我らはフェッロ・アイネ・フラウ君。君も歓迎するぞ」

「ですよね、ならこの誘いはなかったことに……フェロ行くぞ」

燐はフェッロの手を引いて出口へ向かおうとする。が、フェッロが全力ブレーキをかけ

「リンなにいってるの!? ちょちょっと止まってー! りじちょーさんはかんげいするって! リンったら歓迎だよ! 歓喜合切憂いなしだよ!」

途中で立ち止まりフェッロの眼前まで真顔を近付けそして、へ? と疑問符を浮かばせた。

「理事長先生さん。なんとおっしゃいましてございましたので?」

「ふふふ。若きのことを思い出すのぉ」

玄彦は腕組みをして思い出に浸っていた。ソファーに座り偉そうな葉月は浮かない表情で窓越しの茜色に染まりつつある空を眺め瞳に映していた。

「だからのぉ、君達双方ともに我らコノエキュルリーテは大歓迎と言うわけだ。仏頂面の孫を含めな」

再び玄彦が手を差し伸べる。

燐は考え考える。フェッロは燐を下から覗き込むように不安の趣きで見守っている。

少し時が流れる。そして燐が口を開いた。

「―――そうですね。この誘いは俺たちにとっても不利に動かない。むしろ奴らと戦う上ではこちらからお願いしたい―――」

燐はそう言葉を止めるとフェッロの透き通った青くクリアな瞳に吸い込まれそうになる。見入ってしまう。そして続けた。

「―――ですが、コノエキュルリーテはフェイク信教を討伐殲滅が今の目的ですよね。なら俺はまだ入れません」

その断りを聞き葉月は少々首を傾げ驚いている。フェッロも参加するものだと思っていたのか。燐の傍らで、え? と驚愕の表情をしていた。だが、玄彦は表情を変えることはない。

「ほぉ。それはどう思いあろう?」

「ええ。フェロは理事長もご存じ、その討伐目的の団体の一員でもありフェロ自身此処に入ることに躊躇いがある。……はず」

フェッロは首を控えめに縦に振った。

「そして俺には奴らが本当に討伐するべきモノなのか、今はわかりません。だから今フェイク信教の討伐を目的とするこのコノエキュルリーテにはまだ入ることはできません。せっかくのお誘いを断ることになります」

頭を深く下げた燐。フェッロもそれを真似るように小さめではあるが頭を下げる。

「ふっ。そうか、うむうむ」

「お爺様、今此処で!」

葉月が魔力を解放しポニーテールが逆立ちしかける。が、玄彦は否。と一言。

「我らは君、魔王側との敵対なぞ望んではおらぬのだ。葉月その鉄拳! を沈めよ。魔王阿澄燐君」

葉月は、はい。と魔力を沈めポニーテールもふわりと落ち着きを戻す。燐は喉を鳴らすだけだった。

「まあかたっくるしいこたぁやめよやめよぉや。張りつめ過ぎて肩凝ったあー。杏、叩いてくりょ……」

顔を朗らかに緩めて玄彦は拍子抜けのことを言いだした。杏が肩をトントン。

葉月は浮かない顔をし、燐は呆然唖然。肩が落ち込み力なく腕がだらけた。

「だぁだぁだぁ~。んでぇ。あ、そうじゃ、もし阿澄燐魔王君が気持ちの整理付いた時でな。コノエキュルリーテはいつでもどこでも歓迎じゃっ!」

杏の叩く部分は肩から後頭部へと移動していた。

「ええ。俺もこの状況がどんななのかなにが正解なのか今は分からないからってだけですので、その際はよろしくお願いします」

玄彦は、おう! と、親指を立ててグッと突き立てる。燐は背を向けて出口に向かって行く。フェッロも燐を追うようにちょこちょこと付いて行く。扉を閉めようとしたその時、

「ぬぉっ! そうじゃじゃ。我のことは気軽にはるちゃんとか呼んでくれよ。皆気楽に親しげにそう呼ぶものもおるからのぉ」

「いや! さすがにそれは……理事長とお呼びします!」

「むふーつれないなあー」

燐はあははと軽い愛想笑い。フェッロは馴染んだのか別れの言葉を笑顔で放り投げる。

「じゃあね! はるてぃん!」

玄彦は手を上に広げ別れの合図。扉を閉じる。

ガチャ。扉が閉じた。が、燐もフェッロも見てはいなかった。玄彦の吊り上がった不敵な笑みを。


杏が叩き続けていた拳を徐々に脱力し沈めていく。

「お言いにならないでもよかったのでしょうか玄彦様?」

「うむ。彼らは自らで解決を望む。それを妨げるのは良きことではなかろうか。彼らの導きはいずれ来よう」

玄彦は何度か一人頷き納得の満足な表情。リズリカミネは理事長の机の元まで行き玄彦を見てむむっとする。

「近衛の爺さん。何企んでやがるんだぜぇ……」

その問いに玄彦は笑顔で答える。

「ふっふっふ。何も企みはせんわ。なに、そんなおっかなな顔をしなさんな。ほれほれ、主が帰ってしまったぞ」

リズリカミネは布の手で頭を掻く。そして溜息一つ。

「わかったぜ。まあまたよろしくするぜぇ!」

リズリカミネは体全体が白く発光して姿を消した。玄彦は窓際まで行き茜色に沈む夕陽を眺め言葉を洩らす。

「魔王……阿澄、燐君か。っふ。杏、義正に監視を任せい」

杏は御意! と懐から携帯電子機器を取り出し連絡を始めた。玄彦は笑う。ただただ笑っていた。

葉月は、先刻の燐の言動を思い出していた。

『委員長……可愛いよ。(キラリキラキラ。ピカーン)』

(阿澄君……なぜ故あのような……くぅ……はぁ……)

明らかに美化された燐が脳裏をよぎっていたが誰にもそれを妨げることは出来ない。時すでに遅し。



校舎から出ると遠目の飼育所の倉庫前に動物たちの世話を終えたと思われる首にタオルとぶら下げた奏が両腕から伸びる軍手の付いた手いっぱいに段ボールを抱えて千鳥足でふらふらと倉庫に入ろうとしているのが見えた。

「おーい! かなでー!」「やっほーーーい」

駆け寄っていく燐とフェッロ。

どこからともなく聞こえる声に辺りを右左ときょろきょろ。

「かぁなぁでえー。こっちこっちあっちこっちー」

フェッロの甲高い透き通るソプラノで奏は声の発信源を察知して太陽の光を背で受けている二人に気付いたが、逆光で黒い影しか把握できなかった。

(燐とフェロちゃんの声……よね? んー)

目を凝らし黒い姿を見つけると、はっきりとした見覚えのある二人の顔が奏手前数メートルまで迫り来ていた。奏の脳内に本日の記憶が走馬灯の如く走り廻った。

燐とフェッロのキス寸前シーン。目を開けると眼前に燐。体が揺れ浮遊感があると思い目を開けると燐。しかもお姫様抱っこ。全てプレイバック。

奏の顔は夕陽から照らされているのか紅潮してしまくってついには両手から段ボールを離してしまう。

「ぐぇっ! 燐フェロちゃん」

「奏具合良くなったってよかったよ。昼も話しできなかったしさ」

奏は両手をあたふたと行方に戸惑い迷子。ようやく行先がはっきりしたのか首からタオルを分捕り口元鼻先まで覆い隠し表情不明になる。

「どうした! また具合が悪くなったか!?」

近付こうとした燐に奏は止まれと手を広げる。片手は未だ表情を隠している。

「ちがっ! ちがうの! だってだって……」

「だって? やっぱり保健室に連れて」

「二人は……こっ、こいび……と……だから……ぅ」

奏は視線を手放した段ボールを物欲しげに見つめ落とす。その長いまつげ。夕陽に照らされる髪、髪飾り。少し震えてるのか鈴がきらきらと小刻みに輝く。燐はその美しさに見入ってしまう。

「……って、お? こ、こいびと? こいびとって恋人か? カップルか?」

うるうると揺らめく瞳。悔しそうに躊躇い頷く。

呑気な阿呆面でフェッロは燐に物申す。

「こいびとかっぷるって食べ物? おいしい?」

燐はフェッロを見ることもせずに奏との会話に両手を振りに振って付け足す。

「ちがうちがう! そんなんじゃないって! ただの……」

「ただの……?」

落とした顔をそのままに瞳だけ燐に向ける。その瞳の端には雫が溜まっていた。

フェッロは燐の腕をぶるぶると振り、おいしいの? どのくらいおいしい? と連呼。

「……ただの、そう。んー……協定してる友達。うん、普通のどこにでもいる友達だよ!」

「ほんと? 恋人じゃない?」

「断じてちがう。魔王に誓って!」

「ま? まおう? え? どゆこと?」

「えっと、とりあえず普通の友達なだけだから!」

硬直していた肩を力なくスッと緩めて腕から重力に任せだらける。

「ふぅ……よかったよ……ち、ちゅーしようとしてたから……焦ちゃった」

えへへ。と安堵する奏。緩んだ頬、口元。瞳の端に夕陽から照らされはっきりと雫がきらりと輝く。

「はっはっは。焦るなよ。……ちゅー? キス? いつ!?」

「一時限目の休み時間だけど……勘違いだったんだね。よかた」

にっこりとほほ笑む。ふはーと一休み。

燐は脳の記憶回路を穿り返して思い出す。

「えっと……。あ! フェロ! あいつが!」

燐がふと思い出し先刻までおいしいの? と連呼し続けていたフェッロの両肩をぎゅっと鷲掴みぐわんぐわんと揺さぶりをかける。

フェッロはぐるぐる目を回して目が回るーと本当に目をトンボのように回していた。

「ぐぁっ!」

声の発し主、奏を振り見ると漫画のように目が右目は>。左目が<。となり手で持っていたタオルが重力に導かれるままにゆったりと降下していく。それと同調して奏の脚は力なく曲がり落ちそうになる。

倒れる寸前のところで燐はフェッロを突き離し奏の地面との衝突を抱えて防ぐ。安堵して息を漏らす。当の本人は気絶しているらしく意識が分からない。

燐は自身の俊敏な行動に感を成しよくやった。と褒めちぎろうとしていたその時悪寒を感じる。

背後からドスンと言う何かが落下した音を耳に捉える。褒めるのはまた今度にしようと溜息を漏らす。

落下したのはフェッロ。腕を変に曲げ倒れ目をぐるんぐるん。その回転数60spm。つまり一秒に一周回っているそれだけだ。

奏を抱き抱えたまま飼育小屋付近と倉庫に視線をあっちこっち。ぽつりと呟く。

「……さぁてと、やりますか」



時間はそう掛からなかった。

二人を倉庫前のコンクリートに寝かせて飼育器具の入った段ボールをいくつか倉庫にしまい飼育小屋の戸締りを確認。

そのついでに動物たちに愛嬌を売る。が、動物たちはがんがん無視。チンパージンには唾をかけられる。

「なぜ奏にあそこまで懐いて……ってか、ここに来る他の人には懐いて俺にはここまで懐かないのか……。愛は足りてるはずなのに。ぐは」

動物に嫌われるのは結構胸にダメージが負ってしまう。制服の胸元をぎゅっと力なく握る。

最後の確認の小屋にはあの愛しのカワウソちゃん。

「ぬぉぉおお! 久しいなカワウソちゃん!」

可愛らしい鳴き声できゅきゅっと鳴く。隙間から指を入れるとペロペロと指先を舐める。

「かわいい……。この世界にここまでかわいい子がいるか! かわいすぎる!」

ぐへへと指先を舐めさせる燐。歪み落ちそうな頬をスッと戻しては歪み落ちそうになる。それを35回ほど繰り返したところで我に返る。

「はっ! ここまで懐いてくれることがなかったから没頭しすぎてしまった!」

カワウソに惜しみながら指を遠ざけさせカワウソはいやいやと追いかける。

「おうおう追いかけてくれるな。ごめんよ、君とはしばしのお別れなんだ。俺もツライさ、でも……。俺は行かないと。すまないっ」

隙間からスッと指を引き抜きカワウソはきゅぅっと物欲しげな鳴き声を出した。

燐は目を瞑り倉庫に戻ろうと振り返ると小さい物体がそれを遮る。

「なんだ、小さい。なんだ」

目を開けるとそこにはフェッロが堂々とちょこんとそこにいた。金髪が茜色が沈みかけている空から差し掛かる白銀の光が優しく輝かす。

「なんだとはこっちのセリフ。なんだか、ヘンタイ? みたいだったよ。ぐへへだってさ」

先刻の変態、ではなく燐の笑い真似をし始めてちょこんとカゴに顔を向ける。

「まあ? 確かに可愛いけどね! トイトイ」

フェッロは手招きをし始める。するとあろうことかカワウソだけではない動物たちが雄叫びを上げ始めたのだ。略してみればきっと。

『ロリっ子最高!』

だと燐は分かった。フェッロはくるりと二つの尻尾ごと翻しそのまま奏の寝ているところに向かって行った。

そして燐は肩を落として後に続く。

「俺はそんな変態みたいにわらってねぇよ……」

『魔王様……変態みたいに笑ってたぜぇ』


奏は薄れた意識から取り戻し先刻のことを思い出す。

(燐はちがうって言ってたのに……。また動転にて意識不明。恥ずかしいったらありゃしないね)

奏は空気が冷えかかっているのを感じた。

夕方から夜陰に変わり瞼を上げると倉庫の下屋が月明かりから奏を遮っていた。それと同時に額に冷えた物を感じ体を起こすのと一緒に掴み取る。

「ハンカチ? 湿ってる……。あ、燐フェロちゃん」

額にあったのは見覚えのある湿り気のある手拭い。燐の使っている紺色のハンカチだ。

こちらにジト目なフェッロが向かって来るのが見える。その後ろにはなんだかしょぼくれた燐。それは失恋後の九官鳥。

フェッロが現在に復帰した奏を目にして表情が一変。きらきらと満面の笑み。それは恋するタンチョウのように腕をばさばさと羽ばたかせる。

「かぁなぁでっ! おかえり」

奏の下に辿り着くと勢い余り飛びかかり抱きつく。

「うん。もう大丈夫。ただいま」

よしよしと頭をなでなで。フェッロは二つに分かれた尻尾を右に左にぶるぶるぐりぐり。

胸にぐりぐり。もふもふ。ぱふぱふ。

「フェロちゃんだめだよー!」

燐もがっくしと肩を落としていたが奏の元気な姿を目の当たりにし勝手に頬が緩む。

「おう。元気そうで何よりですな」

「燐……。ありがと、ただいま」

胸をぐりぐりされたまま奏は微笑み返す。


帰路。

月が三人の影を作り出した帰路。時刻19時を回ろうとしていた。

申し訳なさそうに奏が一度謝罪。

「二人とも驚迷惑かけちゃったね……」

「いいってことよ。気にすんなってこたぁ」

「うん。ありがと。ハンカチも……」

はい。とハンカチを差し出し返す。ふんと何気に満足そうな声を漏らすのは燐。六つの足音がばらばらに夜陰の中響く。

奏はふと思い出す。疑問を問う。

「そういえばさ。なんであの時間に二人で? 部活もしてないしHR終わったら一目散に二人して……」

少し考えると何かに気付く。燐の口の挿む間もなく。

あうあうとまた動揺にゆらゆら。

「やっぱり二人はこいびきょ!」

鈴をりんりんと激しく鳴らす。瞳からは滝が出来た。このままでは水分不足になってしまう。

「だから断じてちがう! 理事長に呼び出されただけだよ」

その言葉を聞くと奏は安堵し、滝製造を中止する。ほっと胸を撫で下ろす。

「そっか、それだけか。よかった」

「何がいいかは分からないけどそれだけで心配するこたぁないぞ」

「何ってそりゃ私のライバルがふえ……」

「らいばる? ふえ? なんだ?」

「ふえ……ふぇ……。フェロちゃんお腹空いた?」

「すいた! ごはん食べたい……。かなでも一緒」

両手を上げたと思ったら重力任せに腕を落とす。体を左右にふらふらふらふら。

「俺も減ったな。早く帰ろう。そんでメシ三人で食おう」

「わーい、ラーメンラーメン」

ちょんちょんと一歩三歩と前に跳ねる。面白おかしくそれを見て燐と奏は笑い合う。

「フェロ―。ラーメンはまた今度な。栄養が偏り過ぎるからな」

「フェロちゃんラーメン好きなの?」

「初めてうちで食べた物だからかなぁ。それよりさ――」

燐は先刻の話に戻すのであった。ふえの意味は理解できた。ライバルとはどういう意味か。

「らいばるってなんだよ、奏のライバルがフェロなのか?」

奏は俯き考える。二人は立ち止まりフェッロは呑気に進み続ける。

次に発したのは鈴だった。そして続けるように

「ちがうの! 私と燐がライバルで――」

奏は陸上部部員よりも速いと錯覚するスピードで二件先にいたフェッロまで駆け寄りむぎゅーっと柔らかな胸に顔半分を押し付ける。

「むぉ! なに? 柔らかいけど!」

「フェロちゃんは私のものってこと! 燐になんかあげないんだからっ!」

(はて? 俺はフェロを奪い合っていたんだっけか……。思い出せぬ記憶)

「いこ。フェロちゃん」

「ごっごー。ごはんがあたしたちを待っている!」

上機嫌なフェッロと何かに不機嫌そうながらにそのなか機嫌も上々なような奏。

燐は一人とぼとぼ歩き頭を軽く掻く。

「奪い合ってなかったよな……?」



一旦奏は自宅に帰り湯浴び入浴をしにいった。燐とフェッロは軽い服装に着替えるのみにして燐は夕食の宴の準備に専念している。

フェッロはというとソファーにぐだーっとだらけている。

なんだかフェッロが阿澄家を訪ねた初日を遠い日のように感じ重ねて一人笑ってしまう。

「リン、何笑ってるの?」

「いやまあ、始めてうちに来た時もそこで偉そうにしてたなぁって思ってさ」

「えらいから当たり前かな?」

「……。そんなことより」

フェッロは燐に振り返り青く透き通った瞳で燐の後姿を見つめる。

ピーマンとひき肉の炒め物の香りをフライパンから放ちながら燐は淡々と続ける。

「事の整理をすると、普通の人の邪見な部分をフェロの言うお父様が分けてその分けられた存在が"serialNo."たちだろ。それってどうゆうことなんだよ。勝手に分けられたのか?」

「うーん、わかんない」

「フェロは何も聞いてないのか」

「あたしに下されたのはリンの持つリズリカミネの死守、護衛。ただそれだけで知ってることって言ったらこの間話したことくらいではるてぃんから聞いたことはなーんにも知らなかった……」

「お父様? は、隠してたのもだし他の"serialNo."と違う命令をするのもわけわからん。それに本物の代行ってのもどうゆう理屈から代行するのか、その先に何が待ってるのか。今までに代行した"serialNo."ってどうなったかわかるか?」

フェッロは向けていた瞳を自身の膝に落として哀しげに答える。

「ううん。あたしは他の子がどのくらいの力を持っているとか演算泉のお蔭なのかな。わかるのはそれくらいで過去にそうなった子達がどうこうは分からないの」

回転し続ける換気扇を遠くに見るように燐は肩を落とす。

「りずはどう思う? 理事長と少し話してたみたいだったし何か知らないか?」

ネックレスから声が二人に空気を還して届く。

「知らないと言っておくが、いろんな奴を信じすぎないこと。俺様が魔王様に言えることはこれだけだぜぇ」

「なんだか釈然としないなぁ。りず! 君はそれでも僕の使い魔なのか!」

「愚問だぜぇ。俺様の主人はこれからも魔王様唯一無二なんだぜぇ!」

「りず!」「魔王様!」

と十字架をぎゅっと抱きしめしめられる二人。

「二人はいつも仲良しでいいことだね。ね、パイアン」

イヤリングをちょこんと触れる細い指。物凄く上機嫌なフェッロ。ふと燐は思い出す。

「そいや穴抜けの記憶の調子はどう?」

「まだぐちゃぐちゃー。オリジナルの記憶も微かに思い出せそうだったり出せなそうだったり」

「そっかあ。大変そうで……」

「ま、あたしは命令通り護衛し続けるだけだけどね!」

無邪気な笑顔。にひーっと燐に向け燐は横目でマシュマロか餅のようなむにゅっとした柔らかな頬を捉える。

もやもやして、他の"serialNo."と違う命令。一番混乱しているのに無理して無邪気に笑顔を作る。それは心からの笑顔なのか。やっぱり無理しているのか。その無邪気さの中に何が隠されているのか。燐には考えても分からなかった。ただ分かるのは、この子は笑顔がとても似合っている。だから心から笑ってほしい。燐のただの願望だ。

「それはそれはよろしくお願いいたします」

燐はだから笑顔で。

フェッロの後ろまで歩み寄り頭をぽんぽん。優しく叩く。愛しく、儚い戯れ。

フェッロは邪険に表情を変えて置かれた手を即座に叩き落とし立ち上がって燐に向かって指を指す。

偉そうな態度。白いマシュマロの上にグラデーションされ微かに紅潮している頬。凛とはためく黄金の二つの尻尾。

「笑ったり怒ったり忙しいやつだな」

「うるさい! リンのくせにくさいよ!」

「男なんだからくさいのは勘弁していただきたいな」

鬱憤をばうばうするフェッロと対象に燐は失笑しながら頭を掻く。

「カンベンしないもん! こげくさいよ! まったくもう」

ふんっとあからさまに不機嫌を飾るフェッロは尻尾を翻して腕を両組し燐に小さな背中を向ける。まったくもう、と連呼しては、くさいよ! と叱責し続ける。

そんなにくさいか? と燐は自身の服の匂いを嗅ぐが自分の匂いは自分では分からないのが世の常と言えないだろうか。燐はいくらか嗅いでるがまったくもう分からな……

「ちがう。これは!」

燐は背後に邪神の目覚めを感じる。これが魔王の力なのか。

そこには黒く禍々しいこの話の根源。黒いそれは上へ上へ昇り邪のオーラが具現化した錯覚さえ覚える。

燐は愕然として肩を落とし近づく。

「どうしてこんなことに……くっ」

その屑んだ瞳の端には微量の雫が零れるのを耐え忍んでいる。

黒き邪神の根源に手を掛けて摘まみ回す。優しく儚く脆くなった力なき魔王、阿澄燐のその手で。

かち。と一つ音がすると、邪神がみるみる立ち昇り徐々に姿を消していく。

その消え去った足元にはフライパン。そして中には黒い何かが残されていた。

「すまない……。俺のせいだ。俺が悪いんだあああ!」

燐は膝を地につき頭を雑に抱え吠える。そんな声を聴いたのはフェッロ。

「にゃっ! なにごちょ!」

フェッロが振り返り発し主を見るがうなだれ崩れる邪神に敗北した魔王だった。

勝敗は魔王の手によって黒き邪神が葬り去ったものだと思われただろう。だが、彼はひざま付いてしまった。リングに残された奴。奴が邪神なのだ。すなわち勝者は邪神なのだ。

玄関からガチャリと物騒がしくその声を聴いたもう一人が銀の魔法の容器を抱え侵入してくる。

「なにこの匂いと声!」

現れたのは先刻まで湯に浸かっていただろう寝間着姿の奏。髪はしっとり濡れてはいないが錯覚する。いつもと違う点、髪止め、鈴。見慣れない寝間着と程良く実った果実。それに銀の容器、いわゆる鍋。

鍋をテーブルに置き奏は駆け寄りか細い腕で魔王を抱き寄せる。

「ぐっ……。かなでか……。すまない。ガクッ」

虚ろだった瞳は完全完璧に輝きを失う。

「どうしてこんなことに……」

奏は悔しそうに瞳を細めうるうるとさせる。肩の震える横に立つはフェッロ。鼻を摘まみながら一言邪神に指差して少し呆れた表情をする。

「原因はこれだよ……。まったくぅー、ぐぅー」

空腹の鐘の音が辺りに響く。

そして邪悪の根源。

フェッロがお腹を抱えやる気のない歩みでソファーに辿り着いた頃。奏は燐を床にそっと寝かせてフェッロの指差した邪神の本体を目の当たりにする。

「――これは!」

奏は生気のなくなってしまった邪神の生みの主の肩をぽんと一つ叩いて一つ言葉を捨ててフェッロの元へ向かった。

「――料理中は火の下から離れちゃだめじゃん」

邪神の根源。魔王が生み出し生成してしまったもの。言わなずとも分かろう。



「いったっだっきまあーす!」「召し上がれ。と、いただきます」「……いたぁきまぅ」

三者同時に夕食の合言葉。

食卓には、奏が持参した鍋。それとお手軽お気軽さっぽろ五番。

意気揚々とじゅるじゅるりと豪快に口の中に流しラーメンの一名。その向かいには、ほのかに上品に麺を食していく胸に未来も希望もたっぷり溜めこんだ鍋持参張本人。そしてそのさらに向かい側、豪快魔人の横に悲壮感丸出しのアホもとい魔王。

奏は中央に置かれた鍋を開けるため大きすぎない寝間着のお蔭で強調された胸から近づく。いつもならば動けばなる鈴。だがそれは鳴らない。その代わりに燐の脳裏を超刺激するマーベラスな匂いが全身を駆け巡る。

その直後だ。鍋蓋が除外され湯気がわんさか立ち昇ると同時。食欲をさらに促す至高。例えるならそれは、砂漠の中空腹と喉を渇くなか目の前に現れた肉じゃが。

黄金に光るイモ。その輝きの中伝染、導かれるように栗色の肉にコーティングされ細くか弱く軟弱の中存在感を放とうとするこんにゃく。その中ひと際目立ってしまう朱色の天使ニンジン。

フェッロは麺を二三本口に含み垂らしながら豆鉄砲を食らった鳩の如き硬直してしまう。

生気を失いかけていた魔王はみるみるうちに瞳に輝きを戻し頬を蕩けさせて鍋にこんにちわの挨拶。

「奏の作る肉じゃが。なんだか久々だな。やっぱりうまい!」

「ふふふ。燐ったらー。まだ一口も食べてないじゃん」

「匂いで分かる! うまいぞ! いただきます」

大量に鍋と言う大海原から肉肉肉イモニンジンと漁獲していき、むしゃむしゃもぐごくん。

「ほらうまい」

当たり前と肉肉イモ肉と頬を膨らませていく。

「燐ってばさっきからお肉ばっか。お芋と人参は畑の天使なんだよ?」

わーってると肉たちを口に運び続ける。口を閉ざしていた少女が震わせながら恐る恐る尋ね申す。

「……食べていい? いい匂い! 食べるよ? お腹減った! 食べるよ!」

「私の分もう取ってあるからどうぞ」

にっこりにこにこの聖女マリア様が手をだし戦闘開始のゴング代わりのセリフを口にした刹那だった。器用に箸を頭上から鍋にダイブ。目にもとまらぬ速さで鍋の大漁漁獲。次々と皿に移動された獲物たちは移動が済まされたと一安心してはいられなかった。皿に漁獲されているはずの獲物は増えていないように見られる。減ってもいない。が、漁獲は確実に行われているのだ。鍋の中身は一秒一秒過ぎていくと減る一方。よく見ると皿の中身は刹那の箸がただいま、いってきますをする度に変化を伴っていた。

その刹那の箸の使い手の瞳は狂人。狂っているのだ。

「よしおかわ……。え?」

燐が箸を伸ばした時にはすでに遅し。鍋の大海原は鋼の谷だけになっていた。

肩と頭を落とす不運少年。満足満腹少女笑顔百点頬満タン。あられに思う幼馴染。

「ごちそうさまあ! おいしかったよー」

ポンポンと膨れたお腹を満足の象徴とアピールする。

「燐、私の分半分あげるよ?」

「ありがたく遠慮なくもらうよ……」

奏は自身の使用中箸で燐の皿に引っ越しさせる。奏に空腹を助けられ頭が上がらずその瞳には薄らと涙をためているようだ。

「食った食ったー。二人ともおいしかったよ。ありがとね」

ソファーに向かったフェッロが金色の尻尾を翻してむちっとしたマシュマロほっぺを桃色に変色させてにひーっと笑顔。

「奏ほんとにありがとな。なんつーか普通に助かったよ」

「まさか焦がしちゃうなんてね。燐らしくないぞっ。いいから食べよ食べよ」

ちゅるちゅると麺を啜っていく桃色の薄い小さな唇。髪を片方掻き上げはっきりと普段見慣れない正面から耳が露わになる。

燐はなんだか小恥ずかしくなって視線を完全にラーメンに移して照れを覆い隠すようにガツガツラーメンを頬張りあっという間に丼ぶりは空にする。

「ごちそうさん。フェロー。自分で食べた物は自分で片づけなー」

はーい。とソファーからひょこりと丼ぶり皿箸で両手いっぱいにして流しにカチャカチャと置いて再びソファーに舞い戻る。

「ちゅる。ゴクッ。フェロちゃんとなんだか兄妹みたいだね」

うふふと嬉しそうな奏。

「んー、よくわからんけどまぁ妹いたらこんな感じなのかねぇ」

「燐ってば溺愛しそう」

「うん。するだろうな」

「全く迷いのないロリコン……」

「ロリコンではない。小動物を愛でたくなるのは人間の本能だからだ」

「どーだか。私もごちそう様ー」

立ち上がろうとした奏を止めてちょいとばかり格好つける。

「おっと。一応客人だしな。片付けはいいから」

「んじゃ、お言葉に甘えよっかな」

「鍋洗って返すよ」

「ノンノン。明日も使うんだから。もう返してもらう」

「じゃじゃ! 今洗うからよ」

奏は、うーんと考え込んだと思ったらすぐに答えを出せた。

「なら一緒に洗おっか」


スポンジで食器を擦り汚れを落とすのは奏が買って出た。洗い終わった食器を受け取り水気を拭う作業を燐が担当。フェッロはソファーで仔猫のように寝る担当。

無言の中無理に話をしなくてもいい気がした二人。だが、燐は話したかった。

「今日奏と話せてよかったよ。あのまま昔みたいに遠ざかっちゃったら嫌だったし」

「私も話したかったよ? なんか変な誤解だったわけだし……」

「恋人ってやつか。……ありえん。せいぜい妹までしかランクアップ出来ないな」

「らんくあっぷって、ふふ。……燐はさ」

作業する手を止めることなく横目で奏の表情を覗う。もみあげで表情を見ることはできないが気のせいか耳は結構紅潮して赤く染まっている。

「……こいびととかって、したいひとって、……(いるのかなぁ)」

最後の言葉は微かにしか聞こえず燐には届かなかった。

「え? なんつった?」

「だから……(もごもご)」

さらに顔を視線を流しの食器たちに落として表情が読み取れなくなる。判断材料の耳は先刻よりも赤くなっている気がした。

燐が耳を澄ませ少し近付くと奏はビクリと体を跳ねさせて作業スピードが大幅にアップ。すぐさまに食器たちの汚れが消え去り水気のみの残るは拭う作業だけとなった。

奏は流し台下のタオルでさっと拭き取り燐に顔を向けないままフェッロの元に行く。

「フェロちゃん。起きてー。今日は私の家に泊まる? もしよかったらだけだ」

寝ぼけ眼をこしこし。半眼で脳を覚醒させていく。んが? とまだ寝惚けているようだ。

「遅くなってきたし無理は言わないけどさ。よかったら泊まってく?」

脳が覚醒し終わり言っていることの意味を理解したのか、はっとしてぴっとしてクルっと燐に指差す。

「このようなヘンタイのところには泊まらないよ! ふん!」

「なんでそんな怒ってるんだか。そして変態じゃねぇ」

「違うよフェロちゃん。私のおうちに泊まり来ない?」

ぬお。と変な効果音が金髪少女の口から零れる。そして仏頂面だった表情が一変。満面の笑みとはきっとこのことを差すのだろう。

「泊まる!」

「よし、じゃあいこっか。燐お邪魔しました~。また明日」

「リンまたね!」

ぴょんぴょこと玄関に意気揚々と駆ける。待ってーと奏もリビングを後にする。燐は後ろ目に手を振りながら

「また明日なー二人とも」

燐は残りの食器を拭いながら大きな欠伸が出る。台所の時計を確認。時刻20時になろうとしていた。

「風呂まだだったな。ふぁー、ねむ……」




時は夕暮れに遡る。近衛ヶ原学園屋上。

そこには黒のスーツをまともに着ていないネクタイの緩い男が煙草を吹かしていた。

その輝きのない瞳の先には少年一人少女一人。

「ふー……。これの意味ってなにがあるんだか。おりゃかったりぃよ」

煙草を吹かすのは監視目標の阿澄燐。フェッロ・アイネ・フラウのクラス担任。只野義正。

「一応生徒の日常生活なぞ興味もわかねぇ。ふー……」

見ているとイチャイチャ。抱き寄せイチャイチャ。阿澄、くたばれ。

夜陰が訪れた頃阿澄が作業を終えなんやかんや。ここまで計15本。

遠くから後を付ける。ストーカーのように。阿澄家に生徒らが帰宅訪問を見届ける。計20本。

「理事長。もう帰っていいっすよねぇ」

独り言を漏らし煙草を吹かそうと胸ポケットに手を宛がうがそこには空箱。

かったるそうに背中を曲げて阿澄家から遠く学園に向けて歩みを踏んでいく。


義正が帰路を踏んでいる時。夢響家に帰宅訪問の女の子二方。

奏は靴を揃えて礼儀正しく脱ぎ、フェッロは不器用ながら真似て同じように脱ぎ脱ぎ。

「フェロちゃんお風呂まだだったよね? 突き当り左に行って前進!」

「はーい」

とっとっと、と前進していく。その陽気な後姿を見送り笑顔でよし! となんやら気合を入れる。

「ちょっと前に着てた服でいいよね。ふんふんふふん」

フェッロは脱衣所で耳にいるパイアンを優しくツンツン。すると白い柔肌を纏っていた服と二つに結んでいたリボンが全て消え去りパサリと髪はゆったりと空気の抵抗を受けながら重力に任せて肌を隠し始める。

頭を洗っていると背後のドアが開かれる音が浴室に響くがフェッロは泡で目を開けることが出来ず少し混乱。

「だ、だれ! いだっ!」

無理に見開こうとしたのか目元を押さえつける。シャワーから流れ出るお湯の行き先が移動する。狙いはフェッロの後頭部だ。勢いよくお湯が飛散し髪に纏わりついていた泡どもがフェッロの柔肌を露わにする。頭をぶんぶんと振り髪に付く水気を弾け飛ばしていく。

「ぷはっ! だれ!」

背後には全裸の奏が腕で胸を隠すように邪魔をして手にはお湯が流れ出るシャワーがおられた。にひひと悪戯に口元を曲げて笑う。

「私も入ろっかと思って」

「いいけど……。んー」

フェッロは一点を見つめ唸る。その矛先は奏の腕。否! 胸だ。

「フェロちゃん? な、なに?」

「ふん。ふんふん」

一度その大きさを見て頷き、次に自身の胸をわさわさして頷く。そしてその手を奏の胸に指差し一撃。驚いた奏は健全の為防いでいた腕を横に避けてしまう。ついにその桃源郷に指先は辿り着き……むにゅ~ん。潜り込んでしまった。

フェッロは力を抜くと指は押し返されただいましてしまう。それに不服なのか膨れっ面になってもう一度潜乳させる。また弾き返され。もう一度、もう一度と潜乳を続ける。

「ひゃ! やだっ、……んっ。あっ、い、いやあっ! やめ、てよ。ふぇ、ろちゃ……ん」

なにやら蕩けそうな嬌声を発して拒むが体に力がうまく入らずあたふた。

膨れっ面が機嫌不機嫌と交互に変わる。

「な、なにこれー!」

むほむほと新しい言語を開発しながら遠慮なく続ける。しばらく続けると満足したのか満面の笑みを浮かばる。奏は脚を震わせ跪く。前進もガクガクと少し痙攣している。頬額首筋、身体のあちこちに汗なのかシャワーから噴き出るお湯なのか見分けは付かない。

奏は耐えきれず手に持つシャワーをフェッロの顔面に噴射させる。

「あばばばあああ!」

突き続けていた指が離れ奏もフェッロから少し離れる。シャワーに抱きつき体を捩り局部をなんとか隠そうとするが隠せるものはシャワーと自身のみだから限られているのだ。

「もう! フェロちゃんおふざけが過ぎてるよ!」

「えへへ……。ごめん、ついついついすごかったから!」

「そんなすごくないしだから……。やりすぎだよぉ……。だから仕返し! 背中向けて目瞑って」

はい。とご飯を没収された子猫のように静かにしょ気ながら小さな背中を奏に向ける。

よし! と気合を入れてシャワーを掛けてゆっくりと手を近付けてわしゃわしゃとシャンプーをたっぷりとつけて泡立て始める。みるみるうちに長い金髪を覆う。

満足してシャワーを取り流す。

「ぷはぁ! 気持ちよかったあ」

「まだよ。こっちもつけないと髪にダメージ付いちゃうでしょ。第2ラウンド突入ぅ」

コンディショナーをぬりぬり。フェッロは少し鼻を利かせてくんくん。

「ん、これ奏と同じ匂いする!」

「まあ私の使ってるやつだからねー。はいおっけい。流すよ」

疑問符を浮かべるとすぐにお湯が脳天からコンディショナーを流していく。がフェッロは目を開けてたままだった。

「いだいっ! だだだ!」

「流すって言ったんだから目瞑ってよ」

うふふと笑みが零れてしまう。

(妹がいたらこんな感じなのかなー、楽しいな。って燐もこんな感じだったのかな)

流し切るとフェッロは自身の髪を横に少し伸ばして嬉しそうに笑顔が出来る。

「ねえ! これすごいね! なんかいつもと違うよ!」

「そうゆうものなの。元々痛んでなかったから使ってるものだと思ってたけど使ってないの?」

「うーんわかんない」

「そっか、次身体洗おっか。腕出して」

泡立てを終えたスポンジで優しくこしこし。フェッロはくすぐったいのか少し体を捩る。次々に洗う部位を変えていく。腕、脇、背中、腰、お腹。その後局部へ移動しそうになった時。

ひぃっ! と悲鳴気味た声を漏らすと頬いや顔耳を真っ赤に変色させる。

「そこは自分でできるよーっ!」


奏は一足先に浴槽に逃げ込み悪戯にフェッロが洗っているのを横から眺める。

「仕返しって言ったでしょ? お相子ね」

「もうもうもう! かなでもう! 仕返しでも、もうもうもう!」

仔牛が鳴き声を発しながら恥ずかしいようでざざっと洗い切る。ぷいと奏の入った浴槽から逆を向いて拗ねた子猫。

「もうもう! ばかなで! ふんだ!」

「はいはいごめんね。一緒に入ろ」

ツンツンと後ろから仔猫の肩を突く。恐る恐る振り返り一つ頷く。


奏の前にフェッロが同じ方向を見て寄り掛かっている。何度かフェッロが少し前に揺れ奏に寄り掛かることを繰り返す。

「奏はあたしとリンが恋人だと嫌?」

「きゅ! 急になに?」

「恋人じゃないしあんなヘンタイはこっちからお断り! だから大丈夫!」

「だ、だだだだいじょうぶって。べ、べえべべ別に」

「分かってるってば。かなではリンのことがすぅ――」

「べべべ別に大好きなんかじゃないもん!」

目をくるくる回して頬を湯のせいかなにのせいか紅潮させて焦る焦る。

「だいすきまでは言ってないよ? やっぱりだいすきなんだ!」

「え! えとえっと。まま、まあ? 嫌いか大好きって言われたらだ、だだ大好きだけど」

「だいだいだいだいすきなの? 相当すきなんだ」

「えええ! ちが、ちがう」

「じゃきらいだった?」

「それもちが……。あぅ。好きです……。燐が好きですー!」

浴室に大きく反響して残響が耳に残る。大きなため息をして全身の甲ばらせた力を一気に抜き去る。

「……でもフェロちゃんもなんだかんだ一緒によくいるし、どなの?」

フェッロは大きく笑って奏に横顔を見せる。

「まったくないよ。その辺に落ちてる小石のほうがまし! リンには、かなでが似合ってると思うよ」

「小さな外見の割には結構お茶目なんだから……」

あははと笑い続け身体を前へ奏へと繰り返す。むにゅん。むにゅん。

「フェロちゃん。もしかしてずっとやってるそれ……」

「あ、うん。柔らかくて気持ちいいよ。ソファーよりソファー!」

「よくわかんないよ……。温まったし出よっか」

二人は出てフェッロは奏の用意したお古のパジャマに着替えて奏の部屋で二人して一緒のベットに入り姉妹のように横になる。

「今日はなんだかいろいろあって疲れちゃったよ。ふん……」

「私も午前中寝てたけどちょっと疲れちゃった。夜更かしはお肌の強敵だし寝よ寝よ。……ぐぅぐぅ」

「ねるのはやっ!」

フェッロは目を瞑り睡魔に身も脳も任せにして遠ざかる意識。今日という日を終えた。




小鳥たちの朝の合唱。

燐はすでに身支度を済ませ火の元の確認をし弁当2つと学校ガバンを手に持ち玄関に向かおうとすると来客を諭す音が家内に鳴った。鍵を開ければ髪を鈴付きリボンで結んだ少女が変わらぬ笑みでお出迎え。

「おはよーさん」「おはよ」

互いに挨拶を済ませると足りないモノを感じる。

奏は可愛らしい塊の苦笑いで昨夜の宴の話をする。

「昨日はお呼ばれしちゃってごめんね」

「肉じゃがうまかったし無問題よ。あれがなかったら寂しかったしな、むしろありがとう。それよりあいつの姿見えないけど先行ったのか?」

奏はなに食わぬ表情のまま疑問符だけを浮かべてるだけだ。

「ほら昨日一緒にメシ食った、えっと……」

忘れるはずがない。ないのだが名前が出来ない。名前だけではない可愛らしい白い顔小学生と見分けがつかないほど小さい体、印象的な髪。それは分かる、ような気がするがどうゆう顔なのかどうゆう声なのか燐には分からなかった。

奏は疑問符を浮かべたまま訳のわからないことを口にする。

「昨日一緒にご飯食べたのぉ? 燐と私だけだよ?」

燐は分からない。一緒にいたはずなのだが記憶では二人でご飯を食べてその後奏は一人で帰った。記憶ではそうだ。のはずだが。腑に落ちない。

「んー、そうだったよな」

「燐ってばまだ寝坊助さんだね。ほらほら行くよ」

阿澄家から先導を切って路地に向かった。燐も腑に落ちなかったが気にすることさえ忘れてしまった。


学園に着いた二人。いつも通りクラスメイトたちと挨拶を交わすなか紫苑色のポニーテールを左右に振りながら寄ってきた委員長。

「阿澄君、奏君おはよう。ん?」

二人で返事し返すと葉月は何やら悩み始める。んー、と唸った結果。

「いや、なんでもない。気にするな」

と一言置き去りにして自身の席へ向かっていった。奏でも燐お互いの席へ向かう。

道中、席に辿り着く一つ手前、了のいつも通り普通な表情にやけている

「おうおうおはようござんす燐師匠。オシドリ夫婦本日も仲睦まじいですのお」

「ああ、おはよう。なあにがおしどり夫婦だ。ったく」

燐が席に着き横目で奏と瑠奈が話しをするのを見る。

そりゃ学園内でも人気はあるほうだ。そのお陰もあって1年生の頃は男子から疎まれることだって少なくなかったさ。それよりも僕自体、奏に釣り合うような男じゃない。

奏のゆったりと揺れる鈴からちょこちょこ覗かせる笑顔を見て思った。それとその間に位置する空間。何もない。それはそうだ。このクラスは37人縦横6の席に窓際最後尾に燐の席があるのだから。だか足りなさを感じる。それは燐だけではなかったようだ。

「なあーんかよくわからんのだがよ、燐」

「なんだ?」

「そこって元から空席だっけか? まだ寝惚けてるようだ」

燐の横の何もない空間を指差し頭を掻きながら前を向く。

「んー。俺もそんな夢みたなあ」

「奇遇の極みでござますな。なんかよー、クラス自体もいつも通りなんだがやけに静かに感じるんだ。ホームシックならぬクラスシックか?」

まずいな。と何やら焦りを感じているようだ。それもそうだ。元々クラス大好き学園大好きやっほーいな性格ではないからだ。

学園の始まりを告げるチャイムの大きな音が響き切ると担任がいつものかったるいアピールをしながら教室に入り委員長が号令して出席確認。

「うーっす。みんないるな。いつも通りみなさん今日も1日頑張って学園生活を謳歌してください、おわり」

そしてすぐに委員長の号令でホームルーム終了。いやみんな揃ってないだろ。いやみんな37人いるけど。いるからいいのか。と燐は一人また納得する。

授業も昼休みも放課後になってもいつもと変わらない。放課後になる頃には燐の謎めいた妄想夢物語は幕を閉じていた。

一時限目が終わった休み時間次もまた不可思議な発言をする者もいたのだ。だがその者もその次の休み時間には何一つ気に掛けていなかった。

「うーちーのーいとしのー……ありゃ? 誰じゃったか。持ち帰りたい!」

「何をだ。俺か?」

「戯け小僧」

瑠奈は燐の席の横で立ち止まりはてはてと奏の元へ帰って行ったのだ。今日のみんなはどこかおかしかったりでもそれらはすぐに忘れてしまって日常に戻るのだ。

燐はバイトがあったため校内をぶらぶらしていた。了は用事あるそうで一人足早に帰宅したからだ。

飼育小屋で幼馴染の姿を捉え駆け寄った。

「お、燐。今日はバイトだっけか。ファイトー」

軍手を付けた手が拳を作り天高く上がった。一応もなにも乗っておー、と掛け声を出す。

「なんか動物たち元気ない?」

「うん。今日はみんななんか元気ないね、今日のクラスみたい……」

どこか雰囲気が似てると思ったら日中の2年5組だ。なぜかみんな分からないが元気がないような気がした。

「……昨日あんな雄叫び上げてたのにな」

「そうなの?」

「ああ。あれ? 奏じゃなかったか?」

「昨日は私は倒れちゃったから燐が作業してくれてたじゃん」

「あ、ああ。そうだな。んー、でも。んー」

カゴの中でしょんぼり雰囲気なカワウソを見つめ考え込む。

動物たちに好かれてないのにあんな雄叫びを? 奏でもないとしたら一体……。

脳裏にふと一瞬だけ月夜の銀光に輝く二つに分かれた尻尾髪をした幼き少女。肌は白くイヤリングをしているその少女。黄金の髪を持つ少女が浮かんでは消えた。

だが一瞬だけだった。すぐに記憶の棚を開けても同じ姿を思い出すことが出来ない。

「ま、バイト行くわ。飼育員ふぁいとー」

「ばいばーい」

後ろ目に軍手を装備した女の子に手を振ってバイト先牛ドンドンに向かった。

バイト中は何も気にすることもなく時間が過ぎていく。シフトの休みの確認をし、先輩方にお先に上がると帰宅した。

帰路の途中特に変哲のない道。月明かりが優しく周囲を照らし街灯が燐の姿をはっきりさせた時。訪れた。

首筋に付けられた刃物。冷静な人は状況判断し刃物が本物かどうかを確認するかもしれない。そうでない人はただあたふたするかもしれない。だが燐はどちらでもない。汗一つ流さず呼吸も狂わせず淡泊に言う。

「日本刀」

「ごめーとう!」

それは日本刀。そりゃわかるだろう。なぜならつい最近同じ出来事があったから。

「んでまたこのネックレスが目的か?」

「ふっふっふ。まあ言わなずともよいかな、燐君なら分かりえよう」

(こいつがりずを欲しがる。すなわちこちらに関係ある人間なのだと今なら分かる。今ならこの状況だって一人で乗り切れる。……? まて僕。なんで今なら一人でなんだ。以前はどうこいつから逃げたんだ。思いだせねぇ)

虚ろに必死に思い出そうと顰める。戦闘の意志は皆無だった。それに男は飽きたのかただの気紛れだったのか刃を下げて小さく溜息を溢した。

「今の君はつまらんな。またの機会にするとしよう。今日は今日と言う日をよく振り返るんだな」

そう言い残して男は夜陰へと姿を暗まし消えた。燐は立ち尽くし手を額に置いて歯軋りをした。

その夜は中々眠りに付けなかった。男の残した言葉。今日を振り返る。思い出そうとすればクラスの言動行動に納得いかないことを思い出せる。だが気を抜くとすぐに忘れてしまう。

「ったく。なんなんだ。一体。あの時に浮かんだ子。あー、思い出せねぇ」

頭を抱えるが思い出せなかった。ふと夜空に寂しく一人ぼっちな月を見て安らぐ。

明日は学園は休みだ。バイトも休みだ。燐は思い付く。

「とりあえず行動あるのみだよな」

そう思うと月明りが優しく眠気を誘い燐は気付く間もなく眠りに付いていた。


翌日土曜日時刻にして7時。燐は制服に着替えすでに学園の正門を通っている最中。

休日早朝なのにも関わらず門を遮るものは何もない。門だけではなかった。燐の向かっている所までの道には鍵一つ掛けられてはいなかった。

「不用心なのか、来るのが分かっていたかのような……」

ネックレスを握り締めリズリカミネに問う。

『いいように使ってるとか思われないよな?』

『全然大丈夫だろうよ。むしろ使い捨てでいいんだぜぇ!』

『使い捨てはしないよ』

握り締めていた手を解き前にあるインターホンを鳴らした。すぐに聞いたことのある女性の声がインターホンから聞こえる。

「阿澄燐様ですね。お待ちしてました。開けましたのでどうぞ」

カチャと一つなり扉を引く。その中には理事長の秘書黄昏杏が凛々しく立っていた。お辞儀もされる。

「只今玄彦様は睡眠中ですのでそちらに腰掛けてお待ちくださいませ」

なんとも丁寧口調でどうも。たじろいながら前と同じ所に座る。すぐさまに洒落たティーカップに紅茶が注がれる。

「ああ、どうも」

くるりと回れ右をして端の部屋、秘書室。ドアには理事長立入禁止と書かれた部屋に入っていった。

燐は一人待たされるかと不安に思ったが少しすると秘書杏が戻って燐の向かい側に座ったのだ。気まずい。非常に気まずい。無意識の中ティーカップが空になる。すると注がれる紅茶。

「えっと理事長は?」

「阿澄燐様が訪れると先日からここで待ち惚けをしてつい5時間程前に眠りに付きました」

「そうでしたか……」

気まずい。空。注がれる。空、注がれる。空注がれる。空注がれる。残ってる注がれる。

ティーカップの端に口元を付けるまま5分が過ぎた時だ。8時30分の学園チャイムが鳴り響いた時だ。

秘書室の逆サイドにあるなにも表示のない扉が開かれそこからは、江戸時代の寝間着のような恰好をした侍。否理事長がやっと現れる。

「おー、魔王君。なにやら水難の相が出ている顔をしておるのぉ」

「もう手遅れです……(ちゃぷちゃぷ)」

「はっはっは。杏、戯れるのは構わんが手加減をせい」

「御意」

「んで、魔王君。話があるのだろ?」

玄彦は背中を向けて窓から校庭、近衛町を眺める。

「ええ。先日の誘いとはかけ離れていることを先に謝罪します。すみません」

「構わん構わん。いいじゃよ、ではどのような?」

「えっとですね、確信はないのですが。昨日、クラスでちょっと気に掛かることがありまして」

ほうと一つ興味を少し示した返しがある。

「実際にはいないのですが、今までそこにいたかのような発言が少々ありまして、それと僕の記憶と事実が辻褄が合い難くて。それで自分なりに考えたのですが、やっぱりそこには以前誰かいたんです」

「ふむ。それで我らに手助けを要求しにきた。とな?」

「まあ早い話はそうです」

「ふん。証拠はあるのかのぉ?」

「証拠……。事実は確かに元からいない。記憶だってみんないないとされてる。でも違う。物的証拠はないです。でも真実は俺の中にある記憶、思い出、感覚。それが導いてくれる。始めて魔法関連に巻き込まれた時。俺は魔王の力が無かった。でもなぜか乗り切った。次に"serialNo."との戦闘。その時魔王に覚醒しました。でもなんで。どうゆう想いがあの時の俺を覚醒に導いてくれたのか。自分の死? 違う。確かにいたんです。そこに……俺の守るモノが」

ふんふん。と頷く玄彦。

「魔王君。君の言いたいことは分かった。でも確実性のないことに我らは動けないのだよ」

予想通りの答えに燐はただ俯いてしまい諦めて帰ろうとした時玄彦が口を動かし遮る。

「それが無なことと言えてもなお進むのか?」

「勘違いなのかもしれない。それでも……記憶が違うと言っても……」

その後にはなにも言えなかった。だが玄彦は諭し天を眺めて言う。

「うむ、真実。いいのぉ。戦いに……ゆくのじゃろ?」

その通りだ。何を救いどこにいるのかも分からない。でも確かにいたんだ。だから一つ小さく長く頷いた。

「ならば少しの間。我が稽古をつけてやろうかのぉ」

燐は振り返りその少年のように悪餓鬼のような笑顔を目の当たりにしてほっと胸を撫で下ろす。


場所は屋上。人目が付かないいことが一番の理由だ。

玄彦はスーツに着替えて燐に向き合う。杏は一人屋上の出入り口付近で棒立ち。

「では、始めに今の阿澄燐君の実力をみせてもらおうかの」

「えっと、魔術とか一切勉学してませんけどどうしましょう」

「なあーに、魔王の力でカバーしきれとるのじゃ。気にしなくとも体術から何まで全力でぶつけてくるのじゃよ」

「分かりました。魔力解放!」

刹那にして魔力が溢れ返り髪が白紫に瞳は透き通る赤色に変わった。体術の体勢に構えを取り足に力を込め踏ん張る。そして、玄彦に向かって飛ぶ。

第一撃目右手ストレート。容易く片手で払われる。そのまま勢いを殺さず二撃目左踵落とし。二本の指で衝撃を殺されるがそのまま燐の身体は宙を舞う。三撃目右足蹴り。眼前まで届きそうだったが衝撃を殺していたはずの指二本で止められる。

一旦遠くへ後退。知っている魔法呪文を唱える。

「Familiar with the arrow hit the darkness, the enemy.(闇、敵を打つ矢となれ)」

燐から放出され続けていた暗きオーラが燐の手前まで集合して一本の矢の形になりかける。だが、形はしっかりと形成されぬまま消失しそうになる。その形のない矢を放った。が、玄彦の手前で消失してしまう。玄彦の髪を靡かせる優雅な風を作っただけだった。

体勢を屈めて両手両足に暗き魔力を集結させる。

駆け込み右手左手と交互にジョブストレートアッパーと繰り出すが全てをぎりぎりの紙一重で涼しげに交わされる。

玄彦は顎に手を乗せてふむふむと観察をする。

「なるほどのぉ。大抵分かりえたぞ」

そう言うと燐の手首をぎゅいっと掴み取り攻撃を強制終了させる。

「やっぱり理事長……。強いです……」

「いや、我が強きではないのぉ。主、魔王君が戦い慣れをしておらぬだけじゃ」

確かに燐がまともに戦闘をしたのはこれまであの時くらい……。したことがなかった。

魔王覚醒の時は誰かに助けてもらった。包帯女が現れた時は戦ったっていうよりも止めた。が正しかった。つまり実践経験値0。

「戦闘を重ねれば重ねるだけ経験と言う力を持てるのじゃ。まぁそれに魔力コントロールはからっきしへっぽこじゃのぉ」

「うぅ……。返せる言葉がありません」

「まあ人は皆経験することで向上するからのぉ。まあ今回は実践を経験より魔力コントロールを上達させることにするかの。魔力の生成はよくイメージと言われとるがそれも一理あるのだなのぉ。その前段階として形のイメージだけでなく魔力の流れを読み取りながらそれを自分の思い通りに支配するんじゃ」

自身から溢れ出る魔力を自分の手のように一点に向けて集合させ支配していく。

「まずは形は考えないで流れをっと」

溢れ出る魔力が一点に集中していき暗き魔力は白銀の輝きを生み出し始めた時より強く一点に波動を作り集まっていく。

玄彦はうむ。と納得して腕組みをし見守る。

「そして形を……」

一本の棒状に変えていこうとするが捩れる。

「もっとイメージを固めるのじゃ。強く固く魔法をイメージじゃのぉ。そして支配するのじゃ」

捩れていた魔力の化身が徐々にはっきりとしてく。

(もっと鋭く、固く、支配する……)

捩れは消えはっきりと一直線の矢が創造される。

「でけた!」

安堵すると矢は光を放ち消えてしまう。

燐は肩を撫で下ろし息を漏らす。

「うむうむ。コツは掴めそうじゃのぉ」

一応。と遠慮がちに謙遜し、淡々と繰り返し5度程している最中に遠くで見ていた杏の携帯がお茶目なオリジナリティー溢れる森野熊さんのメロディーが鳴る。

燐は淡々と玄彦に見守られながら魔力を具現化させ続ける。電話が終わった杏が刹那に玄彦の傍らに移動して耳打ちをする。

玄彦は表情を変えずふむふむと二回頷き魔力に集合体をツンと突き消す。

多少具現化が出来ていたからか燐は不機嫌なしかめ面を作った。

「調子良さそうな時に申し訳ないのぉ。だが用意が出来てしまったのじゃよ」

「そうでしたか。ありがとうござ」

「じゃがのぉ。最後に今日のお浚いだけしようかの。使い魔リズリカミネよちょいとばかし此方へ来てはくれぬか?」

そう聞くとリズリカミネは十字架を白く光らせはるひこの下へピエロの姿で具現化し現れる。

「なんなんだぜぇ?」

「うむ。使い魔よ、黙って見守ってくれることを希望するぞ。杏君。よいか?」

杏は傍らで一つ頷き綺麗に手入れされた爪の生える手を前に翳す。玄彦は息を肺いっぱいに吸い込む。

「お、おい。近衛の坊主。なにをする気だ――」

肺に吸い込んだ空気を全て吐き出し切りながら叫ぶ。その声は近衛町全域に響き渡る。

「―――コノエキュルリーテ! 月落シを発動する! 防衛警戒レベル2!」

鳥たちはざわめき逃げ飛ぶ。飼い犬たちはリールに繋がれ逃げようとするが吠えるだけ。近衛ヶ原学園飼育小屋の動物たちもざわめき。それに感化され人々を不安が胸を過ぎる。

「つきおとし……? なんですか理事長それは」

地響きが近衛町を掻き鳴らす。電信柱から垂れ繋がる電線が揺れ、木々は木の葉をばさばさと払い落ちる。

近衛町全域に青白い光の円が地面から天に向かって光を繋ぐ。その円に当たる5つの駅付近からより強く輝きが放たれる。径道楽駅、径賀潮駅、径本駅、径屯歩目駅、筒木駅。その5つの強き光が互いに一直線に光を結び合い近衛町全域に大きなシンプルな魔法陣が完成される。

「さあ。魔王阿澄燐君。これを止めてみよ。さもなくばこの町全てが潰されよう」

上空天高く指を差す。

そこには月そのものがある。いつも呑気に高台から展望している月と違って恐ろしく大きく次第に太陽の光すら近衛町に届かなくなってしまう。人々動物たち近衛町に住まう全てが恐怖して怯え始め絶望にのめり込む。

「さあ、さあ、さあ! この町の恐怖不安混沌が君に集まろう。それを使いあの月を壊し破戒し君がこの町を救えよう!」

「こ、こんなもん……」

チートってレベルを当に超えている。魔術の発動時間のスピード。玄彦は息を切らしていることもしなければ魔王の眼で見ても魔力の消費すら多くないように感じる。

近衛町の生きとし生ける全ての恐怖が中心の魔王の元へ集まる。

「これって。……くっ」

人々の恐怖する声が脳に直接響く。リズリカミネは魔王に集まる闇にすぐに気付き駆け寄ろうとするがそれを杏の束縛の壁が防ぐ。

「おい! これをどけろ! このままじゃ魔王様が呑み込まれちまうぜっ!」

束縛の壁を綿の入った手で強く叩く。何度も何度も、だが微動だにすることがない。

空気を割り天を砕く轟音が空気を使い窮屈にする。

「こ、れ……は。このま、ちの。きょ、ふが……」

老若男女犬猫鳥木々大地。近衛町全てが恐怖している。それら全てが魔王に集結する。


怖いコワイこわい恐い怖い恐イコワい恐い恐い恐い怖怖恐恐怖恐怖恐怖恐怖怖恐恐怖い

燐の胸を弄り掻き乱し、嗚咽と汗が溢れる。


径道楽駅同時刻。近衛葉月は天に召喚され堕ちる月を目にして落ち着いた表情で自身のすべきことを口から一人漏らす。

「我々コノエキュルリーテは事が終わり次第するだけか。阿澄君、頑張るのだぞ」

葉月は学園の方向を見つめて願う。その思いが届くには恐怖があまりにも多かった。だが祈った。


「おい! 早くどけえっ! こうなったら強行突破させてもらうぜ近衛の坊主」

リズリカミネは可愛らしい小さな腕を横に出してそこへ矛を召喚する。それを壁へ構え一振り。すると難なく切れる。が、玄彦がリズリカミネに手を翳し魔力を具現化させる。それは強固な光り輝く壁の箱。リズリカミネを密閉して身動きを取れなくする。

「此処は黙っていてはくれぬだろうか、使い魔よ。彼の真意、辿り着かせよう」

「だめなんだぜぇ。まだ早すぎるんだぜ。魔王様の器はまだこれほどの闇を受け止められるほど大きくないんだぜ!」

リズリカミネが叫び止めるように言うがそれは止まることをしない。流れ狂う闇は魔王に勝手に導かれる。


恐いコワイ怖いこわい怖い恐怖い怖イコワい恐怖い恐怖怖イ怖い恐コワイ怖怖い恐恐い怖イ怖い恐怖イこわい恐コワイ怖怖い恐怖い恐恐助けてコワイ怖恐コワイ怖怖イこわい怖い恐怖い恐コワイ怖コワい恐怖い恐怖恐コワい恐怖い恐コワい恐怖い恐怖怖寂しいコワい恐怖い恐怖怖い恐怖イこわい恐コワイ怖い怖い恐怖イこわい恐コワイ怖イこわい恐怖いコワイ怖い


赤子の泣き声、少年少女の叫び。成人者の悲鳴、中年者の啜り泣き。老人の悔み、死者の怨念。全ての闇が魔王に入り込む。その器は溢れ返り零れ流れる。

全てのモノの声が脳裏で反響し続け嗚咽に耐えられずにいる。固唾が口元から零れ赤く透き通る瞳から透明な涙が垂れ流れ全ての闇に脳を押さえつける。

リズリカミネが魔王様と叫び続けるが燐には届きそうで届かない。

脳を押さえつける手に力がなくなり体勢はそのまま重力任せに腕を落とす。

燐は薄れる意識の中近衛町の声を一人一人聞いていた。赤ん坊から老人、死者まで。男女共に。動物たちも恐怖で怯え続けている。

クラスメイトたちの声、バイト先の人の声、見知ったスーパー駅の売店、学園の購買のおばちゃんの声。幼馴染の声。

『燐。こんな時にどこに……。怖いよ燐』

そしてその薄れ今にも消えかかる意識で燐は一つの声を聴く。知っているけど知らない。聞いていたけど聞いたことのない。見覚えのないけど見ていたい。そんな存在の一人の声は他のモノの恐怖とは違っていた。

たった一人の名を泣きながら呼び、自身への恐怖不安後悔の闇。他者へ対することでなく自身への。その声を最後に燐の意識は途切れる。


『―――リン。助けて……。怖いよ、あたしはいったい……』


魔王の瞳に輝きはなく透き通る赤色だけが虚ろにあった。溢れ狂う闇が魔王を呑み込み放出される。

「杏君! 束縛しきるのだぞ!」

御意。と両手を魔王に翳し先刻の束縛の壁で魔王を箱状に覆う。その中で闇が暴れ狂う。だが強硬な箱からは闇は零れることはない。

「ま、まおうさまぁぁぁああ!」

「時間切れかのぉ。杏君やりたまえ」

杏はその掛け声を待っていたかのように左手を天から堕ちる月に向かって指差し一撃放つ。

「黄昏の幻想郷(Evening dystopia)」

神々しい黄金の輝きの珠が生成され月へ向かって伸びる。届くと月が粉々に砕け散り光の粉が近衛町全域に振り落ちていく。

リズリカミネを束縛する壁の箱はそれが起こると消え去る。リズリカミネは急に消失し少しばかりよろけて主の元へ駆け寄る。

「魔王様! 魔王様! おっぱい姉ちゃんこれを解除しろ!」

箱の中で狂う闇に呑まれた魔王が虚ろのまま。玄彦は、もうよい。と杏に命令の停止をする。

「仰せのままに」

杏が翳した手を下ろすと束縛の箱がスッと消え去り隙を盗んだように闇が周囲に溶け込もうとする。だが、リズリカミネもその隙を盗み十字架のネックレスに化け魔王の首元に返る。すると、闇の放出がなくなり魔王は魔王の姿を維持しなくなり白紫の髪と真紅の瞳は素に戻り燐は正面から倒れ込んでしまう。

「杏君。我はもうゆこう。事後処理よろしく頼もお」

そう言い残すと玄彦は屋上から下りて行った。


葉月は月が光の粉に変わり降り注ぐのを確認して近衛ヶ原学園シンボルマーク型の通信機器でコノエキュルリーテの通信に一声かける。

「では、私たちの任務を致しましょうか皆様」

学園マークから返事が数人から返ってくる。

『はいはーい。ちょちょっとぱぱっとしましょ』『同時でないと意味をなさないからな。葉月殿頼みましたよ』『早くしてくれ……』『これ任務ですぞ。ピシッとせんか』『まぁまぁ、いつものことですから。葉月ちゃんお願いね』

「はい。では、記憶抹消開始」

そう呟くと近衛町全域に光る大きな魔法陣が再び輝き町中の人々生物が一瞬と固まり先刻の異端が無かったことにされる。それに対して人々は何一つ不思議に思わない。

(阿澄君。とりあえずはお疲れ様と言ったところかな)

抹消が終了し通信が再び入る。コノエキュルリーテからお疲れ様と労いし合い葉月は径道楽駅を後にした。



額に感じるひんやりとした冷気湿り気。重い瞼を開けると見覚えのある天井があった。

そこは近衛ヶ原学園保健室。

燐の傍らに見守るは学園保健室の天使騎馬雀。目を覚ましたことを喜ぶように寝ていた少年に優しく笑みを向ける。

「お。起きたな色男お」

「なんでここに?」

「それは杏ちゃんが担いできてね。急に意識のない色男君を連れてきたものだからびっくりしちゃったよー」

「色男ってもしかしなくても俺ですか、止めてください……」

体を起こして肩をすぼめる。

「あなたは王子様なんだから色男じゃない?」

「なんの王子ですか、それに王子イコール色男では決してないと思います」

先刻の疲れを思い出すようにため息を溢す。気を遣ったのか雀は立ち上がり一言掛けて保健室を出ていく。

「しっかり守ってあげなさいよ(奏ちゃんとか特にね)」

「はい(魔王のこと知ってるのかな、ここの教師だしありえるな)」

ドアが閉まり室内に誰も気配がないことを確認して口を開く。

「りず、ありがとな。意識なくなったってことは呑まれちまったんだろ」

「呑まれる前に助けられず合わせる顔がねぇぜ、すまねぇ」

「俺がもっと強かったらよかっただけなんだ。謝るなって。それよか闇の中で誰か分からない。知らない聞いたことのない声で俺を呼んでた、助けてって。あれは……」

呑まれる瞬間に微かに小さくだが大きく聞こえた声。知らない人からの救援要請。

「この町じゃない別の所だぜぇ。遠いけど近い。近い故に遠い」

「魔王様はそれでどうしたいんだ?」

燐は黙っていた。もちろん決まっているから。僕が大切にしたかったモノ。守りたいモノ。はっきりとは断言出来ない。それでも彼女の処へ。

リズリカミネは鼻で笑うように納得して続けた。

「愚問だったぜぇ魔王様」

燐の口を閉ざしたままベッドから降りる。そして晴れ渡る空を優しく輝く瞳で睨み付けるように歩みを進めた。


燐はある道路で立ち止まる。そこはあの黒尽くめの男と対峙した変哲のない道路。風が髪を優しく揺らがし猛暑前の涼しい日、太陽の暖かさが心地いい。

「りず。ここから行けそうかな。でもどうやってあっちに行けば?」

「あちら側は結界でも断封でもない別の空間なんだぜ。行くにしても魔王様の知識じゃ扉を開くことも出来ないんだぜぇ」

場所は合っている。魔王化の時、呑まれる寸前の声は別空間からの声だとは分かった。だがそちらに行く術が今の燐には欠けている。

もう一歩。そうすれば届く。自身の知識量の無さへの悔しさで歯軋りと拳に無意識に力が入ってしまう。

そうすると、背後から軽い足音と共に凛々しい声が耳に届く。

「阿澄君。行くのだろ?」

振り返るとそれは委員長葉月。堂々と仁王立ちに腕組みをして凛々しく紫苑色のポニーテールが風に優しく靡かせている。

「いいんちょう」

「阿澄君の知識ではまだ開けないだろう。座標軸空間転移時間誤差判別空間転移時の衝撃歪み全てを計算から割り出し魔力コンソールからセパレート」

「委員長は行けるのか開けるのか?」

「ふん、愚問に過ぎないな。私を誰だと思っている? 委員長だぞ!」

「そうだった。ありがとう。開いてくれるか? あとはひとりで――」

葉月は燐の横に逆方向を向いて堂々と立ち口を挟む。

「私も行くぞもちろん」

「で、でも委員長には関係な」

葉月に顔を向けると、人差し指で開いたばかりの口を塞ぐように寸前で止める。その距離僅か紙一重。

「関係ならあるぞ」

塞いだ指をスッと下ろしポニーテールを燐に向けて振りあほ毛がしょ気てはぐるると元気になりまたしょ気て沁々続ける。

「もちろん。私のクラスメイトだからな、記憶すらないが私のこの可愛い子センサーがそう伝えるのだ。彼女とは何やら仲違いしそうになったと思う」

もちろん確証なんて存在しない。クラス名簿、ロッカー、席すらない。

「阿澄君。君が教えてくれたろう。クラスメイトなのだからと」

「そうだったっけか?」

ふん。と鼻を鳴らして手を前に突き出すと、風が背中を押しているような錯覚を覚え二人の服、髪を靡かせる。

風と共に声が響き渡った。

「――燐!」

駆け足と共に、待ってと強く響かさる。二人が顔だけを振り返すと髪の鈴がシャンシャンと鳴らして息を切らす奏。息を整える

「ふぅ。あれいいんちょさん? 燐……私も連れてって!」

「……。それは出来ない。ごめん」

「でも、でも! 私は、……」

奏は分からずにいる。燐も葉月も。奏は俯き地に張られたコンクリートに視線を落とす。

奏の肩にぽんと優しく燐の手が置かれた。顔を上げると笑顔で歯を見せつける燐。

「奏は帰ってまた肉じゃが作っておいてくれよ。またって言い方もおかしいな」

あははとわざとっぽく頭を掻き笑う。その笑顔にほっと程良い胸を撫で下ろす。

「うん。いっぱい作るね。いいんちょさんも一緒によかったら食べようね?」

「ふふふ。お手並み拝見させて頂こう」

「任せて! じゃあ行くね」

再び視線は落ちる。だがその先に燐がしゃがみ込み下から覗き込む。

「肉いっぱい頼む!」

可笑しなことを頼まれうふふと自然と笑みが零れる。

(安心させてくれてありがと。どこに行くのか、何しに行くのかわからない。けど、がんばっ)

半眼だったが潤んだ瞳をぱっと開きくるくると二回転。足より身体を顔を前に突き出して元気に言った。

「燐もいいんちょさんも、ファイト!」

二人は一つ頷いてそれを見て軽く駆け去っていく。奏は路地を曲がる振り返ることはなく二人は見守り続けた。見送り辺りには二人だけとなり葉月が再び何もない行き先に向かって手を伸ばす。

「行こうか阿澄君」

「ああ。クラスメイトのあの子を救いに……」

葉月が瞳を閉じる。脳裏で演算式が構築されていく。座標固定、時間軸一致確認、二つの空間の空間座標合致、歪みの確立正当。

空間に一本筋の白い光が通りそこに先の見えることのない空間の裂け目が出来る。

(この先に……。守りたい彼女がいる――)

葉月が一足先に口を閉ざしたまま入り込み直に姿が裂け目に呑み込まれ消える。

燐も後を追う。一歩一歩躊躇わず迷わず一身に。

そして、そこには誰もいなくなった。



そこは特に何があるわけでもない。青い光がどこからか部屋全体を照らし合っている。あるモノはただ部屋の中央に大きな筒状のビーカーのようなモノ。

それに奥から生えるホースが数本伸びている。

筒状のその中には透明の液体か、辺りから入る青い光が色の判別を複雑にしていた。

そして、それを手前で見つめる黒髪の少女が一人。その瞳は周囲の青い光からより青色に映る。

その瞳の先に無重力に浮いているような身軽さな少女。

か細い腕から伸びる小さな手。小さな足から細い太股、付け根の臀部は小ぶりて未発達の桃。若干曲線を作ったくびれ、発達途上の上向きの小さな胸。そこから下へすべすべそうな肌。可愛らしく小さく凹みがある臍。閉じた瞳から生える長い睫。なにも付いていない小さな小さな耳。

水中のなか少女の目元には微かに涙が零れているように思える。

長い髪があちらこちらと優柔不断にゆったり泳いでいる。

その意識が明白にならぬなか少女は夢を見返している。

少年とその幼馴染と過ごした数日、たった数日の想い出。クラスメイトたちとの入学日の本物の記憶。代行が始まった時の痛感。他愛ない触れ合いをした遊んだ夜。怒ることもあった。悲しかったことだってあった。自分の存在が分からなかった。偽物。なのに彼はそれを知っても普通のヒトとなんら変わらずに接してくれた。変な気遣いがあったこともある。本物の記憶にもあたしの記憶にも。彼といるとき、あたしは心から笑えた。彼といるとき心から安らぎがあった。彼は今どこで何をしてるのかな……。あたしは冷たく寂しくて、あの場所に戻りたくて、こんなに冷たい場所は嫌で。

震えもしない身体。瞳は開けようとしてもピクリとも動かない。彼に願いを一心に思う。


―――リン。助けて……。怖いよ、あたしはいったい……。

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