Prologue:偽物と本物
――辺は荒野。否、更地。空気は淀みその中に暗いオーラを纏った少年と人間よりひと回り大きな人間が向かい合っている。遠くから人々が不安に恐怖に恐るように見つめる。
少年が天に手をかざすと向かい合っていた人間。大地。遠くから見つめる人々。全てを暗き眩い光が覆う。その時、少年の頬に雫が垂れ少年すら覆った。
――朝。外から小鳥の囀りがまだ目覚めていない少年の脳に朝を運ぶ。ゆっくりと寝ぼけ眼を開け擦りながら起き上がる。
「なんか変な夢だったな」
欠伸を大きくしながら着替えを始める。
「着替えながらで悪いが一番重要なことを説明しなければいけない。皆の衆よく聞くのだ。俺はこの物語の主人公的存在。阿澄燐。近衛ヶ原学園に通う高校2年生。牛ドンドンでバイトをしている。まぁ深い説明は不要だろう」
『ってか深く説明できることがないんだぜぇ』
燐は独り言を言いながら学校の制服に着替えを済ませ机に置いてある十字架のネックレスを首に下げてから居間に向かう。
「お。おっはー燐くん」
「おはよう。母さん早いね。まだ7時なのに」
居間にある時計を指差して少年は彼女に言う。そして、彼女とは逆方向を向き明後日を見て説明を始めるのであった。
「説明しよう。彼女は俺の母親。阿澄盟依。好物は人参のグラッセ。……なに? そんなことよりスリーサイズを教えろだと? まあいいだろう。上から90――」
「燐くん? なに独りでしゃべってるの? いいから早く顔洗って座って。朝ごはん作ったんだからね?」
盟依から冷たい眼差しを背中で浴びたと思ったが用意されて食事を見て寝起きとは思えないくらい食欲が湧き出す。顔を洗い終え再び居間に入ると盟依はニコニコと微笑み「たーんと、お食べー」と手招きする。
「ああ。いっただきます! ……はむはむ、んむ、ゴクッ」
燐は勢いよくハンバーグとご飯を口に入れ飲み込むと一定の時間を開けて頷いて盟依を見つける。
「母さん。……さようならバタリ」
茶碗と箸を持ったまま目を回して倒れる。
「燐くん! ね、あ、どど、どうしよ。大丈夫? 燐くん!」
盟依は燐を揺さぶり起こそうとパニックになっていた。
(そう。母さんは料理が大の苦手。見た目はいつも美味しそうなのだが味は言葉では表すことが出来ない程である)
燐はコップに入った水を一気に飲み干す。
「燐くん。ごめんね? わたしまた失敗だったね」
盟依は小さくしょげていた。そんな彼女の頭に手を優しく乗せ。
「謝らないでくれよ。母さんは女ひとりで俺をこれまで育ててくれたじゃん。家事は俺。母さんの仕事忙しいんだから。ゆっくり覚えればいいさ。焦らないでな」
「燐くん……ありがと」
盟依は目に雫を貯めながら微笑み。燐も微笑み返す。
「ともあれ、もう学校行ってくるよ。今日から来週まで帰らないんだっけか?」
「うん。今日から来週の水曜日までね。いってらっしゃい。朝ごはん買って食べなよ?」
靴を履き終わった燐にカバンをはい。と一言言い手渡し、手を小さく振る。燐は適当に返事をして後ろ目で盟依を見つめ少しばかり照れながら手を上げて、いってきます。と返す。
家から出ると家先に左側を鈴の付いたリボンで結んだ茶色の髪をした少女が立っている。
「彼女は俺の古くから共にいる子。いわゆる幼馴染。無響奏。俺と同じ近衛ヶ原学園の2年生。飼育員で動物から慕われている気がする。うん」
奏が燐に気付き鈴を鳴らしながら振り返り
「燐? なに独り言? いこ」
燐と奏は朝の挨拶をして自然に歩き出す。
「ねー、さっきのなに? なに言ってたの?」
「あーうーん。説明?」
「なんで自分で言ってて疑問形? それより昨日のテレビがさ――」
二人はいつも通り他愛ない会話しながら学園に向かう。
道中で一人の近衛ヶ原学園生とすれ違う。紫苑色の長いポニーテールの彼女。
「おはよ委員長さん」
「奏君に阿澄君。おはよう。今日も仲睦まじいな」
「おはよう、委員長――諸君にはまた説明をしておこう。彼女は近衛ヶ原学園2年5組委員長こと近衛葉月。近衛ヶ原学園の理事長のお孫さん。頭脳明晰、容姿端麗、運動神経抜群。女子男子共に憧れを持つ人は少なくない。そんな彼女は実は……」
「燐。変な説明はいいから、まぁみんなから憧れ慕われてるのは本当のことだけどね」
「阿澄君も奏君も褒め讃えるのは止めたまえ。いくら私でも恥ずかしいな」
このように褒め称えてるのは親しいのかにも礼儀あり。仲が良いからこそのやり取りというわけだ。毎度毎度面白いから燐も奏も悪い気一つしていない。
「んなとこより。委員長はどこ行くんだ? 忘れ物?」
委員長さんは学園とは逆方向に向かっていた。誰もがそう思うだろう。
「まぁ忘れ物か。うん、そんなとこだな。二人共遅刻しないようにな。でわ」
「委員長さんも早くしなよ。また後でねー」
二人は葉月と別れ学園に向かう。少ししたところで燐はふと振り返るがすでに葉月の姿はなかった。
「どうしたの燐?」
「んー委員長もういないからさ」
「家がすぐそこなんじゃない?」
「まぁそうか。でも」
「なにー? ストーカーは犯罪です」
「ストーカーじゃねぇよ! でも」
奏は燐が言葉を続けようとしているのを妨げ続ける。
「委員長さんのことそんな知りたいの? ツーン」
奏はジト目で燐を冷酷に見つめる。
「ツーンってなんだよ。ま、遅刻してまう。行こうぜ」
二人は再び歩みを踏む。
二人が教室に着き別々に席に向かう。道中でニヤつきまくっているそいつが話し掛けてくる。
「むほほぉーおはようござんす燐師匠」
「なんかむかつく挨拶だな。おはよう……」
返事を返しながらそいつの一つ後ろの席に座る。
「目の前でにやけっぱのこいつはこう見えても俺の古くからのもう一人の幼馴染。本堂了。これといって説明がないな。それに諸君も興味が微塵もないだろ? もういいだろ」
了はにやけ面が濁っていき苦笑して
「はっはっは……なんかすごい辛くなってきたぞ。燐。俺はそんな子に育てたつもりはありません!」
「俺は了に育てられたつもりねぇよ! 俺は――母さんに育ててもらってるんだ!」
その発言を聞きクラス一同が凍りつきコソコソと言葉が発される。マザコン? と
そんな状況で了は燐の肩をポンと叩き、俺はわかってるぞ。と頷く。そして学園全体にチャイムが鳴り響く。すると、みんな自身の席に戻り座り最後の一人が座ったところでドアが開きなんとも言えないくらい退屈そうな男が髪をくしゃりとさせながら教卓に立つ。と、委員長の葉月が号令する。
「起立。礼。着席」
それに合わせてクラス一同同一の動きと元気な活気のある挨拶。かったるそうな挨拶。しているのか分からないくらいな挨拶。色々な挨拶が同時にされ着席したところで退屈に見える男が挨拶を返す。
「うぉー……おはさんです。休みいる? いないね。今日は通常な日です。えーっとあとは……臨機応変にみなさんがんばってくださいーおわり」
いつも通り適当すぎるホームルームが終わろうとしている。そんななか燐が小さく始めるのだ。
「諸君。重要人物でもないが紹介くらいしといてやろう。彼は見ての通りこのクラスの担任教師だ。名を只野義正。独身一人暮らしの三十五歳のそろそろ危ないおっさんであるのは言わないことにしておこう。プライバシーのしんが」
「阿澄ー文句あるなら放課後職員室な。面倒だが致し方ない」
「すんません。勘弁してください」
「今回だけ勘弁してやっけど気ぃつけろなー面倒だから、委員長号令よろし」
葉月の号令後クラス中が賑やかに騒がしくなる。こうして燐は日常を続けていくのだ。
時は授業も終わり放課後。部活動には無所属の燐は茜色に溶け込む太陽を眺め教室を後にしバイト先に向かおうとしていた。途中で太陽の逆光で本物の姿色は分からないが髪を二つに分けた長い尻尾の女の子だろう。少女は旧校舎の屋上で髪をはためかせていた。燐はその見えない姿に見入ってしまう。――美。歓喜していた。すると、後ろから声がする。
「きゅー、きゅきゅ? きゅー」
可愛らしいその声。燐の脳内に姿が創造される。まるで幼女のようだ。振り返り声の持ち主の姿を見る。
そこにはカワウソが。
「かわうそ? ……カワウソとは、ネコ目イタチ科カワウソ亜科に属する哺乳動物。ニホンカワウソはレッドリストに載ったはずだったのに。……逢えたね。ニコリ」
燐はカワウソに微笑みかける。その顔を見てカワウソを抱いた女の子が失笑してしまう。
「ふふ。燐ったら、可愛いでしょ。この子赤ちゃんなんだよ」
奏はぴょんぴょんと小さく飛び跳ねると共に鈴の音が響く。
「この間言ってたカワウソの赤ちゃんか。へへへ、可愛いなぁ」
燐はカワウソを指で突きいじる。それに同調するようにきゅきゅっと鳴く。
「俺バイトだし行くよ。飼育員さんファイト!」
「うん。燐もバイトファイト。ばいばい」
燐は奏と別れ学園を後にした。
その後、アルバイトも日常通りに変わらずに接客、調理を熟し時刻は21時。帰宅するのであった。