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~マリサによる詩的な状況描写~
パタパタパタ。パタパタパタ。
まるでオセロみたいな手のひら返し。
乾いた荒れ地。
まばゆい炎天。
無味乾燥はさようなら。
パタリと返って大理石。
パタリと返って月の夜。
空も地面も世界の全てが。
パタパタパタ。パタパタパタ。まるでオセロのように返っていく。
世界がオシャレに返ったら。
後は楽しく建築開始。
ドンドン突き立つ見張塔
メキメキ生える小出窓
ドッシリ構える居館と宮廷。
最後はグルリと城壁を立てて。
お堀に跳ね橋渡したら。
素敵なお城の出来上がり。
~マリサによる詩的な状況描写~
ルーチェの結界交代はただそれだけで一つの芸術である。
量子コンピューターにより生成されているこの仮想世界の精度は、文字通り量子単位で比較しても現実世界と等価なのである。なのでそれらをそっくり造り替える結界交代の過程は、神の世界創造にも等しいとさえいる。
目まぐるしく、そして大胆に変わっていく世界模様。
その絶景に皆が言葉を失い息を飲んでいた。
荒涼とした荒れ地に巨大な罫線が走ったと見るや、それがドミノか津波のようにパタパタパタと裏返り始める。入れ替わりで現れたのは艶やかな大理石。あれよあれよという間に、大地には地平の彼方まで大理石が敷き詰められだ。
しかし変革は地面に留まらなかった。
魔法の罫線は地表だけでは飽きたらず空をも走り抜け、やはりパタパタと空模様もひっくり返していく。そうして炎天に変わって現れたのは満点の星空。墜落せんばかりの巨大な月である。いや本当に、狐に摘まれたという古臭い表現を今ここで使いたかった。
そんな感想をもらそうとしたのも束の間。
今度は城が生えてきた。
比喩表現ではない。あちらこちらに、地響きとか地鳴りとかを伴いながら、中世の西洋建築に有りがちな城壁とか見張り塔とかがドカドカ生えてきて、教会とか庭園とかそういう洋館みたいなのもドンドン生えてきて、最後はそれらを囲うようにズゴゴゴゴゴっと城壁がそびえ立ったのである。
展開は行き着く間を与えない。
今度は聴覚である。
これまでの無音をも駆逐するように、世界には管弦楽団による壮大なクラシック音楽が流れ始めた。
これはあれだ。
俺はこの曲を知っている。
えっと。
確か。
ツァラトゥストラはかく語りき、だ。
立ちどころに現れた中世の夜。
完成した西洋の城。
漂う高貴な匂い。
その中にあってミレイちゃんは、まるでドレスコードを誤った珍客のように場違いだった。またその振る舞いもそれに似つかわしく、彼女は『異界に迷い込んでしまった』というような狼狽ぶりで、視線を目まぐるしく動かしている。きっとVRB観戦者も同じことだろう。この城を、この世界を、いま驚愕とともに見渡しているに違いない。
ドン、という重低音。
皆の視線が収束したのは一際立派な居館である。そこの扉が両開きに開いていた。俺は思う。城の造りを順当に考えればあそこが玉座の間に違いない。ならばそこに座して待ち構えているのは、恐らくこの世界の主にして固有結界の展開者――八雲マリサに違いないだろうと。
――さぁ、今度はミレイちゃんが逃げる番だ
等と次の行動を予想していたら、驚くべきことにミレイちゃん。彼女はそこに向かって駈け出した。
観戦者からどよめきが漏れる。基本的に相手の結界内ではただ生き残ることを考えるのがセオリーだ。あちらこちらに気を配り、些細な違和感も見逃さぬよう慎重に隠れ潜むが要求される。
だというのに、ミレイちゃんはマリサに招かれたと知るや、躊躇うこと無く玉座の間へと駆けたのだ。
ひたむきという言葉が似合いそうな、躍動感のあるストライプ。サイドテールが夜風に流れる。いったい彼女は何を考えているのだろう。罠かも知れないとか、15分逃げ切ろうとか、そういう当然の思考は過ぎらなかったのだろうか。
果たしてミレイちゃんが到達したのは玉座の間だった。
天井に煌めくシャンデリア。床を走るふかふかの赤絨毯。壁を飾る印象派の西洋画。そこかしこで番を勤めるような彫像たち。目も眩むほど豪華な造りの――しかしその最奥。
何よりも眩しい赤と金の玉座に、世界の主は頬肘をついて足を組み、侵入者を嗜虐の笑みで迎えた。
~京太郎による詩的な容姿解説~
細身を飾るプリンセスライン。
薔薇をかたどる真紅のドレス。
過剰に大きなリボンのチュール。
まるで神の誂えたビスクのよう。
可憐で高貴で美麗で聡明。
私こそがお姫様。
薔薇の玉座にふんぞり返ったツインテールの破壊神。
~京太郎による詩的な容姿解説~
ついに出やがったというべき破壊神の最終形態。それはどう見てもお姫様人形にしか見えない程に飾り立てられた、パーティードレス姿のマリサである。彼女の願望丸出しな逸品。このまえ『いつかウェディングドレスにしようかしら』と何かもじもじしてたので『は、相手見つけてこいやナイチチ』と脳内で漏らしたらシコタマ殴られたのは良い思い出。何の話だ。どうでもいい。
ちなみに某メイド喫茶では『フィナンシェ』と名乗るこの薔薇の姫。
すましていれば倒錯したビスクドールのように美しいというのに、この彼女、足を組んでふんぞり返って、怯えた鼠を見つけた猫のように笑っている。そんなわけで悪魔にしか見えない。彼女は場違いな闖入者ともいうべきミレイちゃんに語りかける。
「ようこそ私の世界へ。ところでミレイ、貴方がいきなり私の目の前までやってくるなんて意外だったわ。逃げないの? あるいは観念したの? それとも今度も囮なのかしら?」
「答える義務はない。いくぞ」
電光石火。閃くような速度でミレイちゃんが抜き払ったのは2丁の短機関銃。銃口は最速最短距離でマリサを狙い――
「待って」
引鉄が引かれるより先にパチンとマリサが指を鳴らすと、微かに周囲が波打ったように見えた。
*
仮想世界設定変更。
マリサの固有結界内にミレイの固有結界の展開を許可。
*
この暴挙に絶句したのは俺だけではないだろう。案の定、世界変容の有り様に言葉を失っていたVRB観戦者たちもこの事態に騒然となった。
【……どういうつもりだ、八雲】
訝るミレイちゃん。固有結界内限定の音声に切り替えてマリサに真意を問いつつも、しかしこの千載一遇の機は逃さない彼女。ミレイちゃんは短機関銃の引鉄を引く代わりに、己の周囲に再び密集陣形のような火器群を展開した。軍神早乙女ミレイとして再びここに見参である。
【腑に落ちないことがあるのよ】
マリサは足を組み替えて言った。
【私が貴方の囮を仕留めて油断していたときなのだけれど、あのときどうして、貴方は私をテクニカルKOまで追いやらなかったのかなって。『護身の型』で警戒していたならまだしても、あれだけ綺麗に不意打ち決められたら私だって敵わない。だからあのまま攻撃を続けていたら、私は間違いなく意識を失って敗北していたわ。どうして貴方は手心を加えたの? なぜリスクを犯してまで私に『敗北を認める』機会を与えたの?】
ふん、と鼻で笑う軍神。
【随分と寝惚けた解釈だな。私がお前に必要以上の暴力を働きたくないからあんなことをしたと思っているのか。目出度いな】
淡々とミレイちゃんは答える。
【私はベオに対する前言撤回をさせるために加減したのだ。それ以上でもそれ以下でもない。勘違いするな。もしもそのことを借りだと考えて、こうして私に固有結界の使用を許可したのなら、とんだ門違いだ。失策だったな】
ジャキジャキジャキジャキジャキ。空中を漂う一個小隊規模の火力が、暴力執行に備えて薬室に弾丸を送り込む。後は合図一つでマリサは蜂の巣だが、しかしここは彼女の固有結界。簡単にはやられはしないだろう。そしてその点を理解しているからこそ、ミレイちゃんも迂闊には仕掛けない。マリサは【ふぅん】とだけ返答。
【……そ。まぁどちらでもいいわ】
本当にどうでも良さげに、彼女はため息をついた。そして指を一つ立てる。
【それじゃこれが最後の質問。貴方どうしてここに来たの? 自分で遠距離型だと言って、隠れ潜むのがスタイルだと言って、それでこんな風に堂々と姿を晒すなんて矛盾してるじゃない。勝つ気ないの?】
【その前に私から質問だ】
遮るミレイちゃん。ちなみにVRB観戦者にはこの間は無言のにらみ合いと写っている。
【そもそもお前こそどうして囮の私に手心を加えたのだ? 跳躍から放ったあの一撃。いくら足場が悪くても、お前が本気で殴ればベオは跡形も残らなかっただろうに】
ミレイちゃんは最初の破城槌のことが気になるらしい。確かに言われてみればその通りである。なにせ破壊神マリサの一撃必殺。全力でなくとも普通に殴れば、如何な戦闘装甲とはいえ木っ端微塵だったはずだ。原型をトドメたまま墜落するなど、マリサにとれば手心以外の何者でもないだろう。しかし彼女は否定向きに頭をふる。
【あれは手心じゃないわ。自惚れよ。あの程度の力で貴方は敗北を認めるだろうって、たかをくくっていたの。まぁ、その点は考えを改める必要があるわね。ごめんなさい。貴方のことをみくびっていた。そして見直したわ】
マリサの不遜な、しかし真摯な謝罪と敬服にミレイちゃんの目が見開かれる。微かに動揺したのかもしれない。そんな彼女を知ってか知らずかマリサは続ける。
【……それで、貴方の方も答えて。この場に姿を現した理由はなに? ……あ、もしかしてそれを『手心』だと勘違いしてて『借り』を返すつもりできたの? あるいはそのことを私から確認するため?】
というマリサの指摘。図星なのか、少しミレイちゃんの頬が薄桃色に染まった。
【……いや、違う。断じて違う。もう囮を使ってもバレるだろうから、消去法でこの戦い方を選択しただけだ。こ、これ以上、勝手な勘違いをしないでくれ】
何だろう。久しぶりにミレイちゃんに『表情』を見たような気がする。どこか感情に乏しくて、ふと気付けばこちらの様子を伺っていて、『なんぞ?』と尋ねるとどこかにぷいと消えてしまう。見た目だけではなく振る舞いも、ちょっと猫みたいにミステリアスな女の子――早乙女ミレイ。そんな彼女の人らしい『表情』を久しぶりに見たような気がした。
あるいはマリサも俺と同じ感想を持ったのかもしれない。くすりと笑った。
【ま、それもどっちでもいいわ。……さて。そろそろVRBの幕引きにしましょう】
その言葉を最期に、マリサは固有結界内限定の音声を遮断する。そして彼女は『ふぅわり』とドレスをなびかせ、やや大きめの玉座から降り立った。その所作一つが一輪の落花のように美しく、思わず見惚れてしまったとは言うまいぞ。
「さぁ、ミレイ。今ここに貴方の誇る最高の戦闘装甲を召喚なさい。私はそれを一度きりの破城槌で下してみせる」
え、という俺とミレイちゃんの同時ツィートは、VRB観戦者の割れんばかりの歓声に掻き消された。
しばし呆然となった後、俺は頭を抱えた。VRBのラスト、リスクを承知で全力真っ向勝負の提案。確かに演出の盛り上げ方としてこれは悪くない。悪くない。しかしマリサ、どうした。いつもよりサービス精神が旺盛ではないか。何のためにこんなことをしているのだ。まさかミレイちゃんの『乙女心』に仏心を起こしてしまったというのか。
――なんていうか、俺はマリサに勝って欲しいのだが。
ともあれいずれにせよ、今のセリフを中継音声にして流し、観客がここまで盛り上がってしまった以上は引くに引けまい。それはもちろん、ミレイちゃんも同様である。
「後悔の味を知らないようだな、八雲」
ミレイちゃんが閃光に包まれるのはその言葉と同時だった。
~京太郎による詩的な容姿解説~
少女の体躯を覆い始める凛々しき蒼の装甲。
流線型のフォルムは洗練されたスポーツカーを彷彿とさせる。
頭部に灯る熾火のような瞳。
立ち所に現れる機械仕掛けの獣。
再来する獣人型の蒼き戦闘装甲。
しかし変容は留まらない。
獣が猛る。
全身の血液を憎悪で煮え立たせたように、ベオが吠える。
異変の予兆。災厄の前兆。まずは形となって、隆起が背中に生じ始める。
推力装置が翼のように肥大化する。
雄々しく、雄大に、羽化するように。新たに吹き荒れた炎は、風を掴む翼膜のようだ。
口蓋の形が鋭角に尖り、龍を彷彿とさせる異形に変わる。
地鳴りのように唸りあげる神話の翼竜。
今やその風格は野卑な獣と呼べはしない。
~京太郎による詩的な容姿解説~
「改めて紹介しよう。これが軍神の駆る真の戦闘装甲『ESUTUXETTO』だ」
大歓声。割れんばかりの大歓声。仮想世界が揺れるほどの大音量が雪崩れ込んでくる。西洋の城のど真ん中。そこにラスボスの風格たっぷりな機械仕掛けのドラゴンが出現。対するは固有結界を展開する破壊神マリサ。いや、演出目的ならこの流れは大成功だ。俺も鳥肌が立っている。脳内は変な物質で溢れかえっているだろう。しかし戦術的なことを言えば、これはマリサにとって致命的な失敗だった。
ベオウルフESUTUXETTO。ミユキ先輩をして二度と戦いたくないと渋面させた大量破壊兵器。これまでミレイちゃんの扱ってきた武器は現代兵器だが、コイツの主兵装は近未来武器。電磁熱線砲と呼ばれる不可視にして不可避の光粒子弾を射出するチートウェポンだ。なにせその弾速は光と同等。かわし方を考えるのは相対性理論に喧嘩売るようなものだ。
重厚な音を立てて、背部に収めた巨剣を抜き払うような所作で構えて見せたのが件の主兵装。長大な鉄板を思わせる無機質な形状。青白いスパークを銃身に滾らせるそれが電磁熱線砲だ。
射出イコール敗北確定というその銃口を、距離20mに満たぬ位置から向けられた八雲マリサ。しかし彼女は怯える素振りは塵ほども見せない。
「前言撤回するわ。素敵ね、そのデザイン」
そうして喧嘩空手のスタイルで半身に構える彼女は、あくまで意気軒昂な様子。その余裕を不審に思ったのか、あるいは今頃になっての『前言撤回』に動揺したのか、やや上ずった声でミレイちゃんが語りかける。
「まさか……かわせる自信でもあるのか、この一撃が」
「弾速が光速なんでしょ? 無理に決まってるじゃない。だから撃たせない」
今のマリサに勝機があるとすればそこである。チートウェポンにはチートウェポンなりの欠点があり、電磁熱線砲におけるそれは発射ラグだ。弾丸となる光粒子は極めて状態不安定なため、引鉄を引いてから生成と装填が行われる。故に発射を見極めてからそれを阻止するのは不可能ではない。
とは言え、その間はたったの2秒である。
そしてマリサとミレイちゃんの距離は20m。発射を合図にベストタイミングで駆けても10mを1秒で走破する計算だが、それは破壊神の脚力を持ってしても到達可能かは怪しい。駆けは五分と言ったところだろう。
「確認するのは無粋だが一応聞いておく。『合図』はこいつの引鉄だな」
「もちろんよ。そしていつでもどうぞ」
「ならばいまだ。勝たせてもらう八雲」
たった三つのセリフでVRBの決勝が開始され、仮想世界は洪水のような音声に揺れた。
*
結論から言えばこのマリサは電磁熱線砲の発射を許し、身体を大きく穿たれ蒸発し、また彼女の拳はミレイちゃんの駆るベオウルフESUTUXETTOに届くことはなかった。
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