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桜花ホールにあるVRB特設会場は既に寿司詰め。
平素は学園の入学式や始業式といったセレモニーに利用されるここは、シアター形式に配置された500席の椅子と1000インチを超える映画館顔負けのスクリーンを備えた視聴覚室としても機能する。午前8時から超満員御礼の数となった桜花祭の入場者、その関心の全てはいまここに向けられていた。ちなみにVRBのメイン会場はここであるが、他にもVRB観戦用の会場は複数設けられており、そのいずれにおいても空席はゼロである。
午前10時。
マリサからもらったチケットを手に俺が着いた席は桜花ホールの会場中央。舞台を楽しむには絶好の位置取りである。左隣にはミィちゃん、右隣にはミユキ先輩。そしてその隣には――ミレイちゃんの想い人たる加納シキ少年。彼は約束通り席についていた。
「お客さんの整理お疲れだシキ。もちろん最後まで観戦していくよな?」
「うん。早乙女さんがくれたこのチケット、なんだかすごく貴重なものみたいだしね」
ひとまず京太郎銃殺の運命は回避である。
既に出場者のセレモニーとコールは終わったので、入場開始時の喧騒は消え、あたりは静寂が支配し、会場内の照明も落とされていた。否が応でも緊張が高まっていく。皆が固唾を飲んで今か今かとスクリーンを見つめる中、俺はVRB開始前にマリサを激励できなかったことを少し悔やんでいた。ちなみにミィちゃんにもさっきダメ出しされた。
――まぁ、それでも破壊神マリサだからな。心配はしていないのだが。
俺は自分に嘘をついて、スクリーンに灯り始めた明かりに集中する。いよいよ午前のVRB。マリサとミレイちゃんの仮想戦闘遊戯が始まる。それにしても今回の戦場はどこになるのか。まずは皆と同じ期待に胸を膨らませつつ、俺は密かにルーチェを起動し、スクリーンの映し出す仮想世界の内部に没頭した。
*
仮想世界起動。
マリサとミレイの構築した固有結界に観測者として介入。
現実世界への干渉を遮断。
*
一時暗転した視界。沈黙した聴覚。その無感覚の世界を破ったのは、まずは割れんばかりの歓声と拍手。現実世界から送られてくるVRB観戦者のエールが、ルーチェシステムにより仮想世界内に中継されているのだ。反対に現実世界には、こちらの映像情報と音声情報が適宜取得・自動編集されて会場スクリーンに中継されている。世界初の仮想と現実間の生中継であるが、観戦者はこれを超リアル超ハイクオリティなCG演劇だと錯覚している。
さて、俺たち特等席の人間はといえば、
マリサとミレイちゃんと同じ舞台に降り立って、『生』でこの仮想世界を堪能していた。
ジリジリと皮膚を焦がす強い日差しに目が眩む。息を吸えば熱と乾いた砂ホコリで喉がいがいがとした。辺りは見渡す限りに砂色の世界。乾いた土地にひび割れた瓦礫が点在する、荒涼とした廃都市だった。この無味乾燥な世界観、まず間違いなくミレイちゃんの固有結界だろう。
――すると、先制はミレイちゃんの方か。
俺は知らず拳を握る。VRBの戦場となる固有結界は、その展開者を強くバックアップするような世界観を構築する。それゆえ公平を喫して15分毎に結界の交代がなされるが、だいたいが交代前の決着となる。それだけ固有結界の恩恵は決定的なのだ。
――マリサ、何とか逃げ切れよ。
砂塵の吹き荒れる瓦礫の中、二人の姿を探して目を彷徨わせながら俺は祈った。そして程なく、新たに響いてきた歓声と共に俺は彼女の姿を認めた。
瓦礫の一角。数メートルほどのコンクリート片の影に、マリサは息を潜めていた。身体を屈めて気配を殺し、油断なく周囲を伺う彼女。状況の明らかな不利を理解し、自ら打って出こそはしないが、それでもただ逃げに徹するつもりはないらしい。サファイアのような碧眼は鋭く眇められ、全身からは視覚化されそうな程の殺気が立ち上っている(ような気がする)。この在り方、まるで機を伺う狩猟者のようだ。マリサらしいと言えばマリサらしい。のだが。新たに起きた大歓声に、俺は不吉な予感を覚えながら目をやった。そしてその予感をなぞるような姿で、早乙女ミレイは世界の主として君臨した。
~京太郎による詩的な容姿解説~
全身に纏ったクリアブルーの戦闘装甲。
機械仕掛けの獣は熾火のような瞳を動かし、屠るべき獲物を探る。
乾いた砂を踏みしめる鋼の二脚。
背面に揺らめく加速装置の煙火。
両腕に把持された獰猛な大型機関銃。
名を、ベオウルフ。
早乙女ミレイがルーチェで愛用する、真の火器がこれだった。
~京太郎による詩的な容姿解説~
全長3m。重量1トンの戦闘装甲。マジモンの殺戮兵器を引っ張り出してきたミレイちゃんの暴挙に、俺はぶっちゃけドン引きしていた。
――ミレイちゃん、大マジでマリサを『仕留める』気じゃないか。
冗談ではない。いくらここが仮想世界で好き放題暴れても何ら現実に影響を与えないとしても、超えてはならない一線がある。VRBがあくまで学園祭の演目である以上、戦いは節度を護り、互いの阿吽を読みあって試合をしなくてはならない。慣れ合えとは言わないが、もちろん殺し合えというものではない。その意味でミレイちゃんの仕出かしたことはやはり暴挙である。殺戮に特化した短期決戦兵器を持ち込むなど、本気でどうかしているだろう。
不安からマリサに目をやる。すると予想通り、彼女は渋面していた。精々で二丁のマシンガンだと踏んでいたのなら、この反応は当然だろう。しかしそれでも不平不満の類を漏らさないのは、破壊神の意地に違いない。
グオンという低い駆動音。遮蔽越しにマリサを捉えたベオウルフが、最小限の動作で両腕の機関銃を向けた。
ドクンと胸が高鳴る。
「逃げろマリサ!」
届くはずないと分かっている。しかし叫ばずにはいられなかった。
ビリリリリリ――というような布を引き裂くような音。あるいはチェーンソーが唸るような機関音。そんな風に錯覚されるのは毎分1200発でバラ撒かれる8mmモーゼル弾の発射音。排莢口から飛沫のように散っている空薬莢の勢いが、コイツの馬鹿げた発射サイクルを物語る。
吹き荒れる凶獣の名はグロスフスMG42。
独裁者の電動鋸と畏怖された第二次大戦の汎用機関銃である。それを二丁同時の掃討射撃。そんなものの前にはマリサが身を寄せていたコンクリートなど紙屑同然だった。マリサもろとも一瞬にして粉塵と消えた瓦礫。
ダメだったか――と嘆息する。
あまりにも早い決着。先手必勝にして先制必勝。振り返ればVRBではごく平均的な展開と結果だった。いくらマリサのスタイルが迎撃必殺とはいえ、この戦いで先手を譲るのは敗北と同義だったのだ。
しかし項垂れていたのは俺だけらしく、ヒートアップした歓声から彼女の生存を知る。
マリサの在処は弾道が教えてくれた。
再び炸裂する布を引き裂くような発射音。狂ったように明滅する銃口の先は廃ビルの一角。8mmモーゼル弾の嵐はコンクリートを削りながら炸裂し、上へ上へと舐めていく。
その先に、マリサはいた。
壁面を飛ぶように駆け上がり、すぐ背後に迫った死線を振り切っていく。その常人にはあり得ない退避方法に歓声が起きていたのだ。思わずガッツポーズ! をとりかけてやめる。
俺は喜べない。
いや、微塵も嬉しくない。
生存程度で騒いでたまるか。
重力無視って壁面を駆け上がる程度のこと、マリサはルーチェの力を借りずともやってのけるだろう。
――もちろん、こんなもんじゃないよなマリサ。
駆け上がる美しい影に、無責任な期待をする俺である。
銃弾を振りきって屋上まで走破し、少女の姿が視界から消える。機を逃すまいとミレイちゃんの駆るベオウルフは背面の推力装置から炎をあげて、上空へ急上昇。獲物を狩り落とすべく追撃にかかる。
俺は時刻を確認する。結界の交代までは残り9分弱。これが過ぎれば舞台はマリサの構築した固有結界に移行し、形成が逆転する。必勝を期するならば、ミレイちゃんは是が非でもここで仕留めなくてはならない。
屋上まで高度をあげ、何処かに逃走したマリサの姿を捉えるべく、ベオウルフは滞空維持しながら真紅の瞳を動かす。一般的な光学情報だけでなく電磁波や赤外光をも計測可能なこの目は、再び遮蔽越しでも獲物の姿を炙り出すだろう。そうすれば再び両腕のグロスフスMG42が猛威を振るう。
「迎撃必殺って快感よね」
笑いを噛み殺すようなマリサの声。直後にベオウルフの瞳が捉えたのは少女の姿に違いなかったが、それは逃走する哀れな背中ではなく、画面いっぱいに広がる強烈な拳だった。
~京太郎による詩的な状況描写~
空に飛翔した機械仕掛けの猛獣。
屋上に辿り着き、獲物を屠らんと血色の瞳が凝らされる。右へ、左へ。あらゆる情報を可視化する死神の目は、いかなる獲物も逃さない。
そこに炸裂する一撃必殺の正拳。
しなやかに跳躍する影は少女のものだった。
逃走する狩り落とすべき獲物。それがこの瞬間、待ち構えていた天敵へと形を変えていた。
画面の向こうで少女が笑う。
迎撃必殺って快感よねと。
駆け抜ける走馬灯。
あってはならない読み違え。
その代償が破壊神の鉄槌により贖われる。
閃く破城槌。
轟く遠雷のような爆音。
突き抜ける衝撃。
ああ――という悔悟の呻き。
己の外殻が鉄屑に変わる音を聞きながら、早乙女ミレイは墜落した。
~京太郎による詩的な状況描写~
それはまさに一瞬の出来事だった。屋上付近で滞空維持((ホバリング)していたベオウルフに向け、砲弾のような速度で飛び出してきたマリサが、その顔面めがけて必殺の正拳追い突き。
事はそれで決してしまった。
ドン、というより、バコン! だろうか。何度聞いても爆音にしか聞こえない彼女の一撃は、事実として徹甲弾を浴びせたかのようにベオウルフを鉄屑に変えて叩き落とした。
当のマリサは己が葬った猛獣をすぐさま足がかりに跳躍し、華麗な宙返りを決めて再び屋上にふわりと着地。そして狩り落とした獲物が大地に地割れを作ると、彼女は手の甲でツインテールをさらりと流す。
「ごめんなさいね、加減を間違えちゃったわ」
敗者への侮蔑ともとれる勝利宣言のあと、世界を揺るがすような歓声が巻き起こった。
揺れる仮想世界。
洪水のような拍手音。『マリサ樣サイコー!』とか『人間ご卒業おめでとうございます!』とか『ツインテール無双!』とか『破壊神健在!』とか『ウスロミヤ』とか彼女を讃えまくる賞賛で大合唱だった。一個だけ怖いのがあった。
俺は彼女の姿を見上げて呆然とする。声援に応えているのか、愛想を振りまくよう100万ドルの笑顔でウィンクする彼女。その姿に戦慄した。冗談だろう。あり得ない。なんてこった。縞パンだ。じゃなくて。こんなものは強すぎるとか圧倒的とか、そういう以前の問題である。
勝負ありと言えるほどに相手が有利となる相手の固有結界内で、しかも反則スレスレの武器を持ち出してきた相手に対し、たったの一撃で完全勝利する。もはや実力差云々以前に、ギャグかペテンの領域である。
俺は改めて、彼女に惚れなおしてしまった。
――ほんと、スゲーわマリサ。
ようやく現実を受け止めて、俺もまた拍手で手を叩いた――その時である。
パララララララ。
聞き慣れたリズミカルな発射音。閃いた火線はマリサの足場に炸裂し、彼女を地上へ落下させる。ち、という舌打ちを吐き捨てて着地するマリサ。視線の先には、黒煙をあげる鉄屑より這い出てきた早乙女ミレイの姿があった。
VRB続行の展開を知り、新たな歓声に湧く仮想世界。しかしマリサの瞳から読み取れるのは、いまや高揚した戦意ではなく明らかな侮蔑と不機嫌である。破壊神は腕を組んで斜に構えた。
【ねぇミレイ。貴方どういうつもりかしら?】
現実世界に届くことはない、固有結界内限定の音声で彼女は語りかける。
【VRBの事前打ち合わせで決めたわよね。私は素手で、貴方は個人携行火器でやるって。だから貴方に固有結界を譲ってあげたのだけれど、それを破ってあんな戦闘装甲を持ち出して来て、あげく敗北状態から不意打ち攻撃まで仕掛けてくる。……理由を説明してくれるかしら?】
マリサの糾弾は至極真っ当なものだった。返答内容によってはVRBの運営責任者である副学園長からミレイちゃんは失格が言い渡され、この演目はマリサの勝利で強制終了となるだろう。
故にミレイちゃんは、如何なる意図があったとしても、たとえ嘘をつくことになろうとも、この返答には慎重にならなくてはならない。
だというのに。
【私は負けていない】
聞き違いかと思うほどの陳腐な返答をし、短機関銃ジャッカルの銃口をマリサに向けた。サファイア色の瞳が信じられないとばかりに眇められる。
パララララララ。
閃光がリズミカルに乱舞する。9mmパラベラムの作る弾幕は、つい先までマリサのいた後方の瓦礫に炸裂し、砂煙と火花を爆ぜらせた。
彼女は消えた――ようにミレイちゃんには見えたかもしれない。
しかし観測者たる俺にはハッキリと見えている。瞬間移動と錯覚するほど、神業か芸術の域まで高められたマリサの歩法。喧嘩空手の運足。それで一息に距離を詰めたマリサは、ミレイちゃんの懐深くで構えを完了させていた。
既に右手は深く引きこまれ、しなった竹のように十全に力を蓄えている。踏みしめた足が大地に放射状の亀裂を生み、彼女の身体が固定されていた。
少女が笑う。
【どんな意地を張っているのか知らないけれど、いいわ。買ってあげるわよ。その喧嘩】
遂に、満を持して放たれる正真正銘の破城槌。
繰り出される拳が螺旋の突風を伴い、触れもしない周囲をもろとも消し飛ばす破壊神の鉄槌。先のように足場のない不完全な一撃ではない。初動から終了まで全てが完璧な、会心にして渾身の一撃である。
「死にはしないけど、痛いわよ」
衝突の先に、案ずるほどの未来はなかった。
突き出された拳。そこから螺旋の衝撃が発生し、大地をえぐりながら駆け抜けた。豪と唸る嵐。既にそれが災害規模の破壊。竜巻を寝かせたような崩壊が少女を襲う。
が、これはただの前兆である。
瓦礫を塵のように吹き飛ばす一撃でさえ、破壊神にすれば前座に過ぎない。本命とも言うべき破壊の衝撃が、いま、遠雷の音を伴って爆ぜた。比喩表現抜き。文字通りにマリサの拳で爆発が起きる。榴弾炸裂かと錯覚する緋色の爆炎。それが球形に湧くや否や、世界が点滅した。
~京太郎による詩的な状況描写~
少女の前に墜落したのは隕石か。
折り目正しく突き出された拳の前。
そこに展開する、世界の空白みたいなクレーター。
跡には炎と煙と埃と暗闇。
少女の名残は欠片もなし。
当然の結末。
当然の帰結。
破城の跡には何も残らない。何も残さない。
それを確認し、徒労のようなため息を一つ。
気怠くツインテールをかき上げる美しい破壊神。
そんな彼女の頭上に向けて。
死の嵐が降り注いできた。
~京太郎による詩的な状況描写~
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