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時刻は午前8時。予定通りの時刻に開演した桜花祭は予想通りの超満員御礼状態で進行した。今やグランドも校舎も桜花ホールも人人人。人。数メートル進むのに数分かかり、手を伸ばせば人に当たり、こければたぶんドミノになる。そんな調子だ。店はどこもかしこも満席で、学園祭特有のコスパの悪いメシでも『飲食物持ち込み不可』の規則でマッハで完売。お好み焼きなど生焼け売ってんじゃないかという回転率である。まさに海に溺れんばかりの人工密度である。
しかしそんな現実にも窒息せず、悠々と、己の世界に没して物騒な火花を散らす少女が一人いた。
桜花学園高等部校舎の屋上。
彼女は午前のVRBに備え、そこで己の火器の具合を確かめていた。
~京太郎による詩的な状況描写~
駆動する仮想世界。展開された固有結界。
サイドテールを狼尾のように靡かせ疾駆する彼女。
両手に握った二揃いの短機関銃。
銃口より奔る二条の火線は次々と人型を食い破る。
硝煙に烟る空気。
炎に揺れる大気。
早乙女美玲。リアルセーラー服とマシンガン。彼女の狩りが匂い立った。
~京太郎による詩的な状況描写~
パララララララララ。
炎がリズミカルに炸裂する。
秒間発射速度20発。一弾倉30発。それを僅か1.5秒でぶち撒けるその凶獣は、早乙女美玲がジャッカルと名付けた短機関銃MP7の高速カスタムである。大の男が両手で御すのもやっとな暴れ馬。それを片手に一丁ずつの2丁持ち。しかも走りながらの曲撃ちであるから、もはや狙うどころの話ではない。まさに空間の一角に散布するような扱いだった。
仮想世界によって普段の十数倍の大きさに拡張された高等部校舎の屋上。固有結界の展開されたそこを早乙女美玲は疾駆しながら、あちらこちらとアトランダムに出現する人型の的を塵に変えていた。
耳をつんざく炸裂音。
明滅する煙火。
奔る火線。
右へ左へ自由自在。時に上に下への変幻自在。猫科の猛獣を思わせるような躍動感と鋭さが彼女から感じられた。いやしかし、と俺は思う。この『学園内で実銃を乱射する』という恐ろしいまでの非日常。いくら仮想世界内の出来事とはいえ、見ているコチラは冷や汗たらたらなのである。ひとまず挨拶などすべく手をあげて
「入念な準備運動じゃないかミレイちゃん。流石に相手がマリサとなるといくら準備してもし過ぎることは……」
と、そこで反射的に振り返る彼女。まさかと怖気が走るよりも先に、灼熱した凶獣の口が二門向けられる。
パララララララララ。
明滅する視界。
駆け抜ける走馬灯。
「まじすこ?」
呟いた時には手遅れだった。向こうに「あ」と目を瞬かせるミレイ嬢を見た時、俺は9mmパラベラムの弾幕をもろに浴びて交通事故のように吹き飛んだ。
「悲報! 俺氏撃たれる! ぶべ」
などと速報しつつ屋上の鉄柵に激しく叩きつけられ、それからベシャリと床にぶっ倒れた。
全身を駆け抜ける衝撃に感覚をなくし、中途に踏まれたイナゴみたいに痙攣する俺。いやいや危ない危ない。咄嗟に痛覚再現機能を切っていなければ、今頃ガチでショック死していただろう。不幸中の幸い。普段の行いに感謝である。そんな具合に地獄で仏を堪能していたら、頭元の方にタッタッタッタと走ってくる少女の影。
「だ、大丈夫だろうか京太郎。その、すまない。てっきりイキの良い的だと勘違いしてしまった」
「い、いや。VRBの練習中に無断で固有結界に侵入し、しかも不用意に話しかけた俺が悪い。明らか悪い。悪いんだけど、ちょっと今だけルーチェをオフにして」
言いながら、サムズ・アップしている俺の手は震えていた。
*
ミレイちゃんこと早乙女ミレイはご覧のように、園田美雪に続く銃刀法違反少女である。腰の裏に装着された2つのホルスター。そこに収まる二頭の凶獣ジャッカル。仮想世界をオフにした今でも黒々と濡れ光るそれは、恐るべきことに本物の短機関銃である。しかしながら銃身には鉛の芯が詰まっているため、発砲機能はない。いわゆる無可動実銃という奴である。故にこの鉄くずが火を吹くのは仮想世界が起動された時のみなので、まぁその意味でリアルな怪我人を出すことはないだろう。これで殴れば別であるが。
さておき。
早乙女ミレイ。
彼女が何者かといえば、それは俺の愛する妹ことミィちゃんの義姉にあたるのだが、しかし俺とミレイちゃんは義兄妹の関係にあるわけではないという、ちょっとややこしい間柄なのである。話せば長くなるので今は割愛しよう。
仮想世界が解除され、身体から痛みが嘘のように消えた今。俺とミレイちゃんは狭くなった屋上の一角に腰をおろしていた。彼女の猫のような目がちらりと俺に向けられる。
「何はともあれよく来てくれたな京太郎、と言いたいところだが、八雲とお前の関係を考えたら陣中見舞いというよりは敵地偵察と考えた方がいいのだろうな」
「いやいや、大きな勘違いだ」
手を振って否定する。
「俺がやってきたのは昨日放課後の件だ。例の極秘ミッションコンプリートの報告だよ」
言って腕を組んでみた。こう言われて心当たりが無いわけない。ミレイちゃんの頬は途端に林檎色。瞳はゆれゆれ。頭に浮かんだのはきっと聖人シキくんの眩しい笑顔に違いない。口の端にちょっとヨダレが出ているのは頂けない。
「そ、そうか。ありがとう。すまない。きちんと渡してくれたのだな。それでその、ど、どうだった。受け取ってくれたか」
等と言いながらミレイちゃん、目を閉じ両手で耳を塞いでいる。聞きたくないのかね君は。突っ込む前に深呼吸を始める彼女。
「ひっひっふー。ひっひっふー。はっはっふー。はっはっふー」
この娘は何を産もうと言うのだろうか。いやはや、ここまでミレイちゃんの初心な反応が見られるとは思わなかった。もはや役得の域かもしれない。よし、ここはイケメン戦士としての務めを果たすとしよう。俺はクールに前髪を払いあげて
「もちろんだとも。しかとVRB特等席のチケットは渡してきた。……ミレイちゃんがこっそり書いている、主題シキのスウィーティーなポエム集も添えて格調高くな」
*
仮想世界起動。
校舎屋上を中心とした半径1kmの球体時空間に固有結界構築。
現実世界への干渉を限定遮断。
*
一瞬、世界が暗転する。よもやという警戒心の発露に世界が追いつくまでコンマ5秒。抜き払われたジャッカルが2門とも、俺をめがけて火を吹いた。
「俺の命は失言一つと等価!?」
パララララララララ。
咄嗟に俺も仮想世界を起動し、すぐさま身体を捻って回避行動。体感速度時速40km程度に軽減された銃弾が頬を掠める。じりっと焦げた匂いに鳥肌が立った。初撃をやり過ごしたがすぐさま第二弾が雨あられと襲い来る。弁解の暇なし。俺は全力で背走した。
「ちきしょう! 話を聞けし銃刀法違反のサイドテール!」
「軍曹と呼べ無礼者! ケツの穴を9パラで拡張してやろうか!」
変なスイッチが入ってやがるぜこの娘、なとど笑いながら泣いている俺。仮想世界内だからこそ許される時速200kmに迫る疾走。コンクリートを踏み抜き、砂塵を巻き起こしながら駆け抜ける。が、すぐ後方。二条の火線が俺の影を食い破っていく。アカン死ぬ。瞬く前に迫る屋上端。衝突寸前、俺は鉄柵を蹴上がるように足をかけて跳躍。華麗な大バック宙返りを決めつつ中高で態勢を立て直す。
「ま、まったミレイちゃん! 冗談だ冗談だ! そんなもの手渡してないし第一『ポエム集』なんてあるわけないでしょ! 俺のでっち上げにそこまで怒るなし! 鎮まり給え鎮まり給え!」
俺の絶叫に、ミレイちゃんは悲鳴で返す。
「仮に渡していなかったとしても、アレを見られた以上は生かしておけない!」
「実在するの!?」
「それを知られた以上は塵も残さない!」
なんで自白したよ!? 突っ込む前に、再装填を終えたジャッカルから再び炎が炸裂する。俺は焦る。超焦る。まずいぞさっきのミレイちゃんによる仮想世界起動。確か現実世界への遮断は限定的なものではなかったか。つまりここで被弾すれば解除後も影響が出る可能性があり、屋上を破壊すればその跡も残る可能性がある。
――いや屋上の心配してる場合じゃくて、俺下手したら死ぬぞ?
背に腹は変えられなかった。俺は迫り来る銃弾の火雨に右手を差し向ける。現実世界への遮断が限定的ないま、『こんなもの』を発動したら後で何が起こるか分からない。下手すりゃ屋上が吹き飛ぶだろう。だがこのまま死ぬのはさらに嫌だ。
「後始末は土下座ぐらいで済んでくれよ」
俺は目を閉じ、想像でしか見えない『右腕に仕込まれた引鉄』を絞った。
キィン――という耳鳴りにも似た駆動音。同時、腕の血管を血液以外の熱が駆け抜ける。骨を焼くような痛み。知らず歯を食いしばる。そして青白いスパークを伴って右肩から掌まで、一気に『それ』が打ち出された。
バリバリバリという電熱の炸裂する音。真っ青な閃光が銃弾のような速度で射出される。
宙空で衝突する青の閃光と赤の弾幕。その雌雄は一瞬で決する。60発からなる音速の鉛弾は、しかし10000度という架空の熱量で接触前に蒸発し、そのまま稲妻のようにミレイちゃんの足元に着弾。屋上のアスファルトと反応して青く瞬く直前
「現実への干渉を完全遮断しろミレイちゃん!」
叫ぶと同時、真っ青な光が世界で弾けた。目が眩み、かざした手さえ透けるような閃光のあと、落雷のような爆音が大気を鳴動させた。
*
仮想世界と名付けられたルーチェとは何なのか。その問いにそろそろ答えようと思う。端的に言えば、ルーチェとは携帯型の量子コンピュータを使ったシミュレーション装置である。この量子コンピューターと今の一般社会に普及している電子コンピューターとの違いは、まぁ演算速度とデータ保存量が那由多倍ぐらい違うこと以上に、基本設計とその効果が常軌を逸している点にある。量子コンピュータのシミュレーション素材、それは現実世界を構築する最小単位――すなわち量子の完全コピー品であり、その精度も振る舞いも本物のそれと全くの同等である。それが果たしてどんな意味を持つかといえば、それは現実世界と寸分違わぬリアリティをシミュレーションにもたらすに留まらない。ルーチェがシミュレーションで起した出来事は、現実世界に事実だと錯覚されてしまうのだ。故に、この装置はこちらから『固有結界の構築』という明示的な『現実世界への完全遮断』を実行しない限り、ルーチェで起した事は現実の出来事になってしまう。
*
青一色に染まっていた視界が、一瞬だけ暗転する。仮想世界の解除されたシグナルである。それに伴い、俺の十数メートルからの跳躍は現実世界により2m程度のジャンプに再解釈され、俺は屋上アスファルトにすとんと着地する運びとなった。
「お前……加減というのを弁えたらどうだ?」
ミレイちゃんの無事な姿を認めて安堵したのも束の間、彼女の足元からは焦げ臭い煙が漂っていた。彼女はそれをグリグリと踵でもみ消しつつ
「私のルーチェは現実世界への遮断率が98%だ。たとえゼロ距離からお前にジャッカル全弾を打ち込んだとしても、解除後にはかすり傷一つつかない。……それを、現実世界でもアスファルトに焦げ跡つくようなレベルの魔法行使とか、お前は私を殺す気か。やはり八雲マリサからの刺客なのか」
「誓って違うが、いや、本当に申し訳ない。てっきりあの弾幕を浴びたら死ぬもんだと思ってうっかりやってしまった」
チリチリチリと、未だかすかな痺れが残る右手をもみつつ俺は詫びる。本当に自分でもどうかと思う。現実世界に仮想熱量の違和感を持ち帰ってくるなんて、これもうちょっと遮断率が低かったら丸一日神経が麻痺していたかもしれない。
ミレイちゃんは腰のホルスターにジャッカルを収納し、ため息を一つついた。そして校舎内に続く扉の方に歩き始める。
「まぁ、そのあたりは私にも落ち度があるから責めるのはやめにしよう。むしろ八雲とのVRBを前に良い慣らし運転になったと思う。それから、やはりルーチェを起動するときは現実への干渉を完全遮断して固有結果を展開しよう。システムへの負荷が尋常じゃないが、止むを得ない」
ミレイちゃんは手の甲をさすりながら言う。ところで、仮想世界が起こす現実への影響。それを遮断する方法は実にシンプルなのである。量子には音や光のように波としての性質があるので、ルーチェでの行動実行後、すぐに『逆位相』の量子をぶち当ててやれば、その影響は現実に波及する間もなく掻き消える。今の技術でいえばノイズキャンセリング機能で外の音を遮断するヘッドホンのようなものである。そして、ミレイちゃんの言う『システムへの負荷が尋常じゃない』というのはこのことである。ルーチェで起した出来事を掻き消すには、それと同等のエネルギーを持つ逆位相の出来事をぶち当てる。そういうことなのだ。単純な計算はできないが、最低でも倍の演算負荷がかかる。
「なぁ、京太郎。それでその、加納くんは来てくれると言っていたか?」
扉に手をかけてミレイちゃんは言う。そういえば、こういう話の途中だったなと思い出す。ミッションの依頼主は背を向けているため表情こそ伺うことはできないが、真っ赤になった耳たぶなどから心境を推察することはできる。俺は彼女の背中に頷いた。
「ああ、まず間違いなく来る。来なきゃ俺が蜂の巣にされるってお願いしといたからな」
「……そうか。じゃぁ八雲には悪いが今回は本気で勝たせてもらう」
ミレイちゃんの口調に静かな戦意高揚が感じられた。またそれを象徴するように、彼女の拳がぎゅっと固められている。恋する乙女の一途な気持ち。真っ直ぐ、強く、触れれば火傷しそうなほど熱い。まるで燃える鉄芯である。俺は思った。普段は無口で冷静なミレイちゃんがこれである。マリサは苦戦するかもしれない。
「俺はじゃぁ、精々マリサを応援するとしようか。こういうのはフェアにな」
「なぁ、京太郎。お前は八雲のことをどう思っているのだ?」
そのまま去っていくかと思いきや、そこでミレイちゃんは振り返った。その顔はいつものようにミルク色で、猫のように大きな目も冷めている。さっきのフワフワとした感じはない。彼女の狼尾のようなサイドテールが風になびいた時、その口元が静かに動いた。
「好きか?」
「好きだな」
迷うほどのことはない。なので即答である。
「どんな風に好きなのだ? 友人としてか? 家族としてか? 異性としてか?」
首を傾げる彼女。質問の意図は分からないが、答えられない問いでもない。そんなわけで俺は腕を組んで答える。
「マリサなら、全部ひっくるめて好きだぞ。友人として頼りになるし、今となっちゃ家族としてかけがえないし、女の子としてもまぁ、な」
「それを本人に伝えたことはあるか?」
せっかくクールに決めたのに、ここで腕を解いて頬を掻いてしまう。目も逸らしてあっち向き。あの100万ドルの笑みを想像してしまい、声や匂いを想像してしまい、なんだか今のセリフが急に恥ずかしくなったのだ。思春期恐るべし。しかし今更無言になるのはなお格好悪いだろう。歯切れの悪いながらも、俺は真摯な言葉で続ける。
「……いや、面と向かって言ったことはないな。ハードル高いし」
と。気付けば俺は火照った耳を摘んでいた。おいおい乙女か俺は。そんな姿がやはり滑稽だったのだろう、くすりと微笑んだのはミレイちゃんだった。
「もしも言うとしても、今日のVRBが終わってからにして欲しい」
彼女はそれを言い残して、ようやく校舎に続く扉から消えた。行き先はもちろんVRB会場の桜花ホール。本日のメインイベントの一つである。ちらとスマホの時刻を確認。気付けば開始15分前だった。バタンと扉の閉まる音。それでやや冷静になった俺はいつもの癖で腕を組む。
「ん~む、何だか何かの背中を押されたような、あるいはからかわれたような、それとも一人相撲でもしたような。よくわからないがこそばゆいではないか」
理由は分からないがミレイちゃんのすぐ後を追うのを躊躇ってしまい、俺は5分程度の間を置いてから屋上を離れることにした。手近な鉄柵によりかかり、人でごった返すグランドを望む。彼らの行き先はもちろん一方向。中等部校舎の隣に突っ立った円筒形の建造物。桜花ホールである。
「陣中見舞い……。そう言えばマリサの方に行かなかったけど、アイツ怒ってるかな」
人の作る海流を見下ろしながら、かすかな不安をツィートした。