第1話「偶然殺してしまいまして」
やってしまった。
都心にほど近い繁華街のビルの間に挟まれた細い路地で河目俊樹はそう思った。
「あぁ~なんでこうなるだ~・・・」
唸りながら頭を抱えてみるが、なんというかどこか嘘くさい感じがする。むしろ今すべき反応をなんとかやっているという感じだ。
「う~ん。今までいろんなことがあったけどこれは初めての展開だな。困ったな~」
そう言いながらも俊樹の声色からは何一つ困ったという感じが何一つ伝わらない。「やってしまった」という割には何一つ。俊樹の目の前には、胸にナイフが突き刺さり血まみれで倒れている男がいるというのに。そしてそれをやったのは河目自身だというのに。文字通り「殺ってしまった」というのに。俊樹の言葉には何一つ感情がこもっていない。
「どうしようかな・・・」
俊樹の声色からは「人を殺してしまった」という後悔よりも「どうやって死体を処理しよう」という考えが疑えた。殺してしまったことについては何一つ思うところがないようだ。
そもそもなぜこの状況になってしまったのかを説明するには少し時間を戻さなければならない。今から10分ほど前。
俊樹はいつも通り通っている高校を後にし、帰路についていた。
俊樹には「家族」と呼ばれるものが存在していない。それは俊樹自身が言っていることで、実際は家に帰れば「家族」はいる。父も母も妹も兄もいる。俊樹も彼らのことを「家族」と思っている。顔が似ている、性格が似ている、血がつながっている。「家族」というには十分すぎる理由がある。だが俊樹にはどうしても心の底から彼らのことを「家族」と認識することができない。それは小さいことから思い続けていた一つの疑念。確証のない疑念。
それは家族に限ったことではなかった。「友達」という存在も心の底から思った相手はこれまで生きていた中で一度いない。俊樹は孤独ではなかった。むしろいつも彼の周りには人がいた。「友達」と呼べる存在はかなり多いほうだろう。それでも俊樹は「友達」と心から思っている人間はいないのだ。
「家族」も「友達」も彼の中では存在していない。頭では理解しても認識できない。矛盾しているが、それが河目俊樹という人間の心だった。
それでも人間関係は大事にするべきだとは感覚的に知っていたので面白くもない話に笑い、合わせたくもない会話を合わせ、乗りたくもない相談に乗り、やりたくもない部活もやった。おかげで完璧な作り笑いも作ることができ人間関係は良好だ。
中学3年の冬。高校受験を合格し、家でささやかなパーティーを行っていた時に俊樹は感じた。正確には「おめでとう」と家族全員に言われいつもの満面の作り笑いを浮かべていた時に。
ああ、僕は誰にも理解されないな、と。
俊樹の人生はすべて偽りでできていた。できるだけ他人と同じような没個性を貫き、関わりたくもない人種の人間ともかかわり、他人とすべての成績を合わせるようにした。「家族」も「友達」も偽って。
そんな彼が「家族」のもとへ帰ろうとしていた時、その男は現れた。
「おい」
呼び止められ振り返るとそこには無造作に伸ばしたぼさぼさの髪に無精ひげを生やした、一言で言ってしまえば「不潔」という印象の男が立っていた。そして男の手にはバタフライナイフが握られていた。男は意味不明で訳の分からない要領の得ない話を大声でわめき散らしていた。この時点で逃げるべきだが俊樹は「あのナイフ百均で売ってたな」と場違いなことを思っていた。俊樹には決定的に危機感が欠落していた。
ひとしきり叫び終えると男は俊樹に向かって切りかかっていった。ここで逃げればまだよかったのかもしれない。だが俊樹はそれをしなかった。男の手からナイフを奪い、そして何のためらいもなく男の胸にナイフを突き刺した。それが10分ほど前の出来事である。
そして今に至る。
「あれだな、人を殺すと死体の処理がめんどくさいな」
殺したことに何一つ反省も恐怖も思わない俊樹はそんなことを考えていた。
「やあ、ごきげんよう」
後ろから声をかけられた。一瞬ビクリと体を震わせた。
まずい、見られた?
俊樹はそう思った。だが次の瞬間には
まあ、殺せばいいか。
と次の殺人計画に頭を移行していた。
まず振り返った瞬間に走りだして相手の喉を刺す。そうすれば声も出せなくなるしそのまま死ぬから一石二鳥だ。
そう決断し俊樹は振り返った。
そこにいたのは喪服を着た細身の男だった。メガネをかけ、黒い手袋をしている。20代半ばと推測できたが、今の俊樹にとってはそれはどうでもいい情報であった。
振り返ったと同時に走りだし、男の喉元に向かってナイフを突き出した。
「死体の処理を手伝おう。」
ナイフは喉元に触れる直前で止まった。さらに喪服の男は続ける。
「ワゴン車があるからそれに乗せて行こう。後ろのシートは外してあるからそこに積めばいい。」
「・・・・・・」
「ナイフを下ろしてくれ。危ないだろ?」
俊樹は言われるままナイフを下ろす。
なんだこいつは?
死んだ人間を見た人間の反応は俊樹自身も知っていた。経験があった。しかもこれは殺人現場だ。だがこの喪服の男の反応は知らないものだった。興味深そうに死体に目を見ていた。やがてそれに飽きたのか死体を触り始めた。
「なに見ているんだい?早く君も手伝いたまえ。」
そうとう怪しい誘いではあったが、死体を処理したいのは本心だったので、結局俊樹はその喪服の男の誘いに乗ることにした。