第95話 「鮮血の夜」
VG95
「お前の武器はどうする? 今から取りに行くか?」
「いえ、やめておきましょう。この屋敷は奴にとっての巣であり城です。おそらくそう易々とはもう出られないでしょう。最悪、二人ともハンバーグの具にされちゃいますよ」
「ならこれを使え」
はい。どうもこんばんは。絶賛仕事中のアルテです。前回、バラバラスプラッタースリラーになっていたマリアを救出してから、逃げ出した少女を二人で捜索しています。その最中、マリアの鉄槌が村の入り口近くに取り残されていることを思い出し、二人で回収しに行くか提案したんですけれども、もっともらしい理由で却下されちゃいました。まあでもマリアの言っていることは百理くらいあるので大人しく従っときます。術式が隠されている場所が、村の入り口だけとは限らないからね。
そんなわけで、代わりの武器として彼女には予備の短剣を手渡しておいた。本当にいざという時の護身用にではあるけれども、無いよりはマシという判断だ。
「一応礼は言っておきますね。ですが生憎私、剣の腕はさっぱりなので前に飛び出して盾になるくらいしかできませんよ。あなたが信頼を置く黒の愚者ほどの力は無いことを理解して下さいね」
いや、絶対それうそやん。一度真剣に撃ち合ったけれども膂力は完全にあんたが勝ってたやん。スピードはほぼ互角。小手先だけしか私勝ってませんでしたやん。謙遜もいきすぎたら嫌みでっせ。
「なら邪魔だけはするな。盾も不要だ。不用意に死なれると面倒だからな」
お前は少しは謙遜しろ。というか言葉遣い、言い回し、口調、全部赤ん坊からやり直せ。マジでなんなんこの呪い。俺の邪魔しかしないなホント。
「死なれると面倒、ね——了解しました。精々頑張りますよ。……おっとこの部屋から見てきますか」
二人で月明かりだけを頼りに廊下を進んだ。見つけたのは黒檀で出来た重厚そうな扉。何故マリアがこれを選んだのかはさっぱりわからないが、彼女なりの勘なり経験があるのだろう。俺は正直少女が何処に逃げたのかさっぱりわからないので、大人しくマリアに付き従うことにした。
「多分扉を開けていきなり死ぬことはないと思いますが念のため」
そう言いながらマリアは自ら扉を開けた。彼女なりに奇襲は自分が受け止めるのが効率が良いと思っているのだろう。さっき盾役にならなくてもいいと告げたのはやはり全くと言って良いほど伝わっていないようだった。
「——何もいないな」
ドアの向こう側は無人だった。ただ何も気配がないというわけではなく、いつかの時間、あの少女がここにいたことが覗えるだけの痕跡は残されていた。床に散乱した包帯と鮮血、ちいさな赤い足跡たち。食い散らかしたその跡のものまで。腐臭に顔を顰めているのは多分俺だけではないだろう。
「気は進みませんが調べましょう」
ぐるりと部屋を見渡せば天井から魔の力で明かりを得る照明が吊されているのを見つけた。俺自身は魔の力を自分から生み出すことは出来ず、流れを知覚したり、少しばかりの身体能力強化にしか使えないので、点灯はマリアに頼む。
それでももともと調子が悪いのか、照明器具は朧気にしか世界を照らしてくれなかった。
むしろこちらの方が、部屋の四隅などが闇に沈んで不気味なことこの上ない。
「ふむ、なるほど。ここはこの館の主の部屋のようです。寒村をまとめ上げていた名主のようですね。ロマリアーナから派遣されてきた官僚か何かでしょう」
執務机が部屋の隅にある。そしてその机上に散乱していた羊皮紙の書類に目を通していたマリアがそんなことを言った。調度品も、書棚の書籍もなんのこっちゃさっぱり理解ができなかった俺とはえらい違いである。
「となると、この土地は最早誰も生き残っておらず、あの少女以外だれもいないということになる。ただ気になるのはあの少女の出自です。外からここに流れ着き悪逆の限りをつくしたのか、それとも——」
羊皮紙から目を離したマリアがこちらに振り返った。そして見る見る間に目を見開き瞳孔が小さくなっていく。彼女の視線が俺に向いていないのは何となくわかった。だから俺は咄嗟に剣を盾にするよう、振り向きざまに防御行動を取る。
一瞬、両の腕の骨が砕けたかと思った。
「ううううううううううううううううううううううううううううっっっ!!」
赤い瞳と視線が間近で交錯する。今度はこちらが奇襲を仕掛けられる番だった。いつの間にか部屋に入ってきていた少女は鋭く伸びた爪を剥き出しにして俺に飛びかかっていた。
しかも何処にそんな力が秘められているのか、途轍もない怪力で俺が徐々に押されている形である。
え? これやばくない?
「アルテ! 動いたら死にますよ!」
拳を握りしめたマリアが思いっきり少女の頬を殴りつけた。丁度俺の脇下から身長差を生かして割り込んできた形だ。いつかの手合わせの時にはあれだけ忌々しく感じたこの体格差が今は素直に有り難い。
「うわあああああああああああああああああっっっ!」
常人ならば今の一撃で顔が爆発四散していただろうに、少女は顔中から血を吹き出すだけでまだ生きていた。いや、むしろ怒りをさらに強めてこちらに突っ込んできた。
ただその動きはあまりにも単調で、これまで相手取ってきた強者たちに比べればほぼ児戯に等しいものだった。エリムの突きなど殆ど視認ができなかったのだから。
さきほどは背後を取られるという失態を犯してしまったが、真正面からならば負ける気はしない。
事実、飛びかかってきた少女をそのまま引き倒し、黄金剣を振るって四肢を全て切り離すことができた。
やべ、マリアからはまだ何も言われていないけれど、ちょっとやり過ぎたかも。
「——お見事ですね。成る程、ヘルドマンがあなたを重用するわけだ。取り敢えずはこれでこいつはもう動くことが出来ないでしょう」
新鮮な血だまりに伏す少女をマリアは見下ろした。そしてそのまま足を進めて少女の顔を覗き込む。
「あなたの名はミーシャ。ここの領主の娘ですね?」
マリアの言葉は殆ど確信を持って発せられていた。うそん、なんでそんなことわかるの? 何かのホラーゲームみたいに手記か何か落ちてた? まあこういう展開はよくあるとおもうけれども。
「沈黙は肯定と取られますよ。あなたの父上の机上で見つけました。黄色の愚者を信仰する信徒がよく身につけている紋章ですね。これ」
言って、少女の眼前に何かしらの銀のペンダントのようなものを掲げる。ここからはよく見えないが、それなりに複雑な文様が彫られているようだった。
「少しばかり事情がありまして私この教団には詳しいのですよ。ここは紛い物の不老不死についてよく熱心に研究していたと思います。あなたの父上はここの教団で得られた禁術をあなたに試しましたね?」
なんのことだかちんぷんかんぷんである。ただマリアはもう殆ど答えを得ているようで、尋問というよりかはただの答え合わせをしているような雰囲気を纏っていた。
「人工的に吸血鬼の呪いを付与する術式だ。もちろん正しい手順と、術者の高度な技能が合わされば不可能では無いと思いますが、残念。あなたの父上はただの人だった。凡庸な、普通の人間です」
マリアが少女の首筋に手を伸ばす。そして俺を手招きでちょいちょい、と呼び寄せた。何の意味があるのかと訝しみながら近づいてみれば、マリアは真っ白な少女の首筋を指さしてみせた。ただのか細いうなじとかが見えるだけだったが、直ぐに違和感に気がつく。
「こいつ、呪いの跡がない?」
そう。吸血鬼に呪いを刻まれた者ならば必ず持っている噛み跡が少女にはなかったのだ。俺やアルテミスはチョーカーなどで隠してはいたが、きっちりと牙に噛まれたあとは首筋に残されている。
マリアはこの少女を吸血鬼に呪いを刻まれた被害者だと判断していたが、これでは辻褄があわない。
「なにせ血管に直接流し込む禁術ですからね。首には跡が残りません。代わりにほら」
次にマリアは四肢を失った少女を仰向けに転がした。そして彼女も持っている怪力で服を手際よく引き裂いてしまった。
はい、これで少女の素っ裸みるの三回目。決してロリコンなどではなく、好みのタイプはミステリアスなお姉さんタイプの女性なので推定無罪です。
が、そんなしょうも無い感想は一瞬で吹き飛んでしまう。何故なら少女の左胸の様子が余りにも惨く、直視するに耐えなかったからだ。
「——おい、マリア」
「なんでしょう」
「どうしてこいつは心臓が剥き出しなんだ?」
副作用ですよ、と彼女は自棄気味に笑った。
マリアと俺の視線の先には少女の動きと殆ど連動して淡々と脈打つ、真っ赤な心臓あった。丁度左胸から飛び出す形だ。
「急激な肉体の変化に耐えられず変性を起こしているんです。大抵の人間はこの過程で死亡しグールとなりますが、この少女は運が良かったようで、その過程だけは生き延びた」
それからマリアは自身の推理をつらつらと語った。
「たぶん、この子は父親から虐げられていたんでしょう。大方妾の子か、その辺の侍女との間の子か。いずれにせよ、自身の信仰の実験台にするには丁度良かった」
そしてそのままマリアは開け放たれた扉の向こう側を見る。つられて俺もそちら側を見ると、廊下の突き当たりに一つの肖像画を見つけた。
「あそこに両親とともに描かれている男の子がこの家の正式な跡取りだったはずです。ですが何かしらの要因で死にかけたみたいですね。病気か事故かあるいは別の原因かは知りませんけれど。父親はそんな息子を救うための術を探していた。それが黄色の教団の禁術だったわけです。ただ禁術をいきなり息子に行使するわけにも行かず、始めに血の繋がった丁度良い実験台に試したわけです」
何だそれは。そんなことがあっていいのか?
「この禁術はね、自身と血の繋がった人間にしか行使できないんですよ。ですから必然的にこの娘が使われたわけです。結果はご覧の有様。呪いの制御に失敗し、屋敷の人間どころか村中全ての人間を食らいつくしてしまった」
もし仮にマリアの告げたことが全て真実ならばこの少女もまた被害者ということになる。しかしながらこの子が行った所業は断じて許されていいものではない。
「……アルテ。首をはねずとももうすぐ死にますよ。いくら擬似的な吸血鬼の呪いもちとはいえ、これは致命傷だ」
黄金剣を少女の首に当てた俺を見て、マリアがそう呟いた。彼女はどこか酷く疲れ切った調子で俺たちのことを見ている。
「こいつのしたことは許されるべきではない」
呪いを受けていても言葉は意図したとおりに出た。マリアは「そうですか」と目を伏せた。
そしてやや非難するような声色で言葉を続ける。
「でもこの子はおそらく意図してこうなった訳ではないでしょう。自身の父親の都合に翻弄されただけに違いありません」
少女はもうかすれた息しかしていない。マリアの言うとおりもう数分でこの世を去る。
俺は少女を見下ろしたままマリアに答えた。
「——だからこそだ。どうせ死ぬなら楽に死なせてやれ。このまま冷たくなっていく己と向き合いながら終わる人生なんて余りにも惨すぎる」
本心だった。俺はこの子を許すことも断罪することも出来ない。恐らくそれができるのは直接の被害を被った人たちだけだ。ならばここまで死に追いやった身として、最後の責任を果たさなければならない。
「とんだ憎まれ役ですね。お好きにどうぞ」
もうこちらに興味を失ったのかマリアは溜息を一つ吐き出して俺たちから一歩離れた。
たぶん俺が首を撥ね飛ばすまで動くつもりがないのだろう。
刃が白い首に食い込む。
もうあと少しばかり力を込めればこの依頼は終わる。いや、終わらさなければならないのだ。
剣に力を込めた。
ふと、ヘルドマンの顔が脳裏に浮かんでいた。
彼女は何故か俺を見ていて口を開いた。
01/
おとうさん
02/
術式が砕けた。
それと同時、イルミが注ぎ込んでいた銀の焔が天高く燃え上がった。
まるで墓標のようだな、とレイチェルは静かにそれを見上げる。
「——帰ってきたわ」
自身の生み出した焔には一切興味を持たないまま、イルミが村の中に視線を向ける。すると大小の二人の影がゆっくりとこちらに向かって歩いてくるのが見受けられた。
レイチェルは素直に、見事な手際だな、とアルテに対して一種の尊敬のようなものを抱いた。
「お帰りなさい」
すぐに駆けだして出迎えたいだろうに、二人がこちらに辿り着くのを待ち続けたイルミを見てレイチェルは少しばかり笑った。ただその笑みは一過性のものでしかなく、直ぐにアルテが背負ってきた荷物を見て顔色を変えた。
「生き残りがいたのか?」
イルミもまた、アルテが背負っているものを覗き込んでいる。白いベッドシーツにくるまれたのは血塗れの少女だった。少女は眠っているのか浅い呼吸を繰り返している。ただ外傷らしい外傷は何もなく、白いか細い手足が力なくアルテの肩と腰に回されていた。
「——結局はこの子だけですよ。下手人はアルテの太陽の力で焼き尽くしました。もう骨一つ残っていません」
確かにアルテの持つ太陽の力を遠慮なしに注ぎ込めば、月の民など一溜まりもなく焼け死んでしまう。まだその光景は見たことがないものの、場面を想像してレイチェルは身震いをした。
「マリア様、救助が間に合わず大変申し訳ありません。こちら、代えのお召し物を」
マリアの帰還に喜色を隠せない従者二人が衣服をマリアに渡していた。
見ればマリアは外套一枚を羽織っただけの格好だった。確かに術式で砕かれたのならこうなるよな、とレイチェルはぼんやりと考えていた。
ただイルミだけはどこか詰まらなさそうにそれを見ていたので、マリアが身に纏っている外套がアルテのものだというのにようやく気がついた。彼女は外套を掛けてもらったマリアに嫉妬していたのだ。
「本当、人間らしくなったな。君も」
呟きは誰も聞いていない。けれどもそれで十分だった。ただ想いを寄せる男が無事に帰ってきて、可愛がっている妹分が喜んでいるのならばそれでいいのだ。
「ねえあなたもうその外套はいらないわよね。早く返しなさい」
ただイルミが無表情のまま、まだ着替え終わっていないマリアから外套を剥ぎ取ろうとするのはさすがに止めた。
03/
狂人が少女を殺そうとしたことに驚きはしなかった。
むしろそうしなければ違和感を感じてしまうくらいには、狂人の情け容赦のなさは知っていたつもりだった。
だがそれで納得できるかどうかは別問題だ。マリアは地に伏す少女を見て何とも言えない感情を抱いていた。
これだけの人を殺したのだから、ここで殺されて当然だと考える自分と、
親の都合で怪物に成りはてた少女をここで殺してしまってもいいのかと考える自分だった。
偉そうにことのあらましをべらべらと口にしたが、なんのことはない。ただ少女の境遇が余りにも自分に似ていたからこそ容易に推理することができたのだった。
自身の父親が怪しい術に手を出して娘を怪物に変えてしまった。
それは決して他人事ではなく、マリア自身にも当てはまる宿業だ。
決して同情しているわけではないが、それでも見ていて気持ちの良いものではないというのは仕方のない感情だった。
ただマリアも聖教会で切った張ったを繰り返してきた傑物である。こんな汚れ仕事など数え切れない数をこなしてきたし、もっと胸くそが悪く悲劇的な世界などごまんと見てきた。仕方のないことだと割り切ることは決して難しいものではない。
だが、
「——だからこそだ。どうせ死ぬなら楽に死なせてやれ。このまま冷たくなっていく己と向き合いながら終わる人生なんて余りにも惨すぎる」
何だそれは、と思った。
そんな殊勝な人を気遣うことなど、お前にあってはならないだろうと怒りすら覚えた。
けれども狂人は——いやアルテは本気だった。本気で自身が終わらせなければならないという眼をしていた。
なら好きにすればいいと真剣に言った。
今更人間らしいことを言ったのならば最後まで責任を取れと突き放した。なのに、それなのに。
「なんで、震えているのよ。馬鹿じゃないの」
アルテは苦悶の表情を浮かべていた。いや、表情そのものは殆ど動いていない。それなのに彼が考えていることが手に取るようにわかった。彼は間違いなく少女に同情し、けれども安易に許してはならない現実に絶望して葛藤している。
それが全てわかってしまった。
剣の切っ先が少女の首に食い込んでなお、彼の手は微動だにしない。ただ瞳だけが小刻みに震えている。
「…………」
マリアの葛藤はアルテのそれに比べれば随分と短い時間の内に成された。一瞬、狂人の逆鱗に触れて殺されるかもしれないという思いが頭をよぎったが、アルテならば大丈夫だろうという謎の確信もあった。
一歩離れていたマリアが再び二人に近づく。
「アルテ、あとは私に任せなさい」
マリアが少女の首を掴む。アルテの剣が離れていく。彼女は静かに息を吸い込み、そしてアルテに向き直った。
「このことは他言無用ですよ。まあ、あなたならばきっと言いふらしたりはしないのでしょうけれど」
まず始めに瞳が赤く染まった。少女よりもなお濃い、真紅の瞳をマリアは持っていた。鳶色の瞳は完全になりを潜め、この空間でもっとも鮮やかな赤を形作っている。
さらに小さな口内。白く薄い歯が僅かばかり伸びていた。純粋の吸血鬼に比べるまでもないが、それでも並の月の民よりかは鋭く尖った犬歯が見えた。アルテが息を呑んだのを、マリアはさらに強化された聴覚で感じ取っている。
「——相の子なんですよ。吸血鬼と人間の。普段は肉体を変質させて人間に寄せていますが、こうして吸血鬼に近づくことも出来る。ただそれだけです」
そしてマリアはそのまま少女の首筋に食らいついた。何をしているのか考えるまでもない。呪いを、正しい吸血鬼の呪いを刻みつけようとしているのだ。紛い物とは違う、本物の吸血鬼の呪いを。
吸血は本の数秒で終わった。口端を赤く汚したマリアがアルテを見上げる。
「で、どうします? 私とこの少女、二人分の首をはねますか?」
意地悪な質問だと、マリアは嗤った。アルテは何も言わないまま剣を腰紐に結わえつける。やがて納刀が終われば何も言わないままに部屋から出て行ってしまった。
理解は出来ても許容はできないということかしら。大層吸血鬼を恨んでいるみたいだから当然と言えば当然よね。
呪いの定着を確認しながらマリアはそんなことを考えた。やはり少しばかりアルテに気を許しすぎたか、と反省もした。不思議とこの短い共闘の中で奇妙な繋がりを感じてはいたが、どうやら自分はそれを過信しすぎたようだ。
しかしながら——、
「これを使え」
「わぷっ」
少女を静かに見守ること数分。いきなり頭から何かを被せられた。それがベッドシーツを剥ぎ取ったものであることには直ぐに気がついた。ただそれの意図すること、そしていつのまにか戻ってきていたアルテを見てマリアは困惑の色を深める。
「? どういうことですか」
「そいつを連れて行くんだろう? まさか素っ裸のまま連れて行くのか?」
そう言って、アルテはマリアの隣にどかっ、と腰を下ろした。彼はあまり興味が無いのか少女には目もくれず、ここに持ち込んでいた水筒から水を飲んでいた。
おそらくあとはマリアに全部任せる気なのだろう。
——っ、この男は!
意味もわからなく何故か腹立たしいと思った。けれどもそれは心底不快を感じたときのそれとは違い、どこか心地よさすら感じさせられる苛立ちだった。自分のことを顎で使おうとするアルテをマリアは睨み付ける。
「私じゃ背負えないから、あんたが背負いなさいよ!」
マリアの権能故か、少女の四肢は小さいながらも再生を始めている。呼吸は安定し、さきほどまで死の淵にいたことが嘘のようだった。マリアは手早くそんな少女にシーツを巻き付けると、そのままアルテの背中を思い切り引っぱたいた。
ちょっと前なら絶対にあり得ないやり取り。
それでもマリアは、アルテがそんなことで気分を害さないことがわかっていた。
「こんな感じでいいか?」
「莫迦! もっと深く背負ってあげなさい! 小麦の詰まった袋じゃないんだから!」
二人して屋敷を後にする。
アルテはマリアの小言のような口調にも怒りを示すことなく、ただ淡々と歩みを進めていた。ただどことなく余裕が感じられるのはおそらくマリアの勘違いではないだろう。背中の荷物は増えこそすれ、そこに乗っていた何かはもう見る影もない。
「なあマリア。この子はこのあとどうなる?」
「一応、事実確認のための尋問は行いますがまあ成果はでないでしょうね。その後は呪いの定着具合やどれだけ正気を取り戻したかで判断しますよ。心配せずとも一度助けた以上は無碍にはしません」
「そうか、ならよかった」
もうその言葉が意外だとは思わなかった。
たぶんそれが本心であることをマリアは知っていたから。
それから村の入り口に近づくにつれて互いの口数は減っていく。それぞれ待っている人たちのことを思い出し、どちらからともなく無言になった。
マリアは何となく勿体ないな、と思った。
「外套、洗って返しますね」
「? ああ好きにしてくれ」
最後の会話はそれだけ。やがてそれぞれイルミとレイチェル、従者二人に取り囲まれて二人の距離は離れた。いつの間にか山麓の向こう側から朝日が昇り始めている。忌々しい太陽を避けようと皆がフードを着込む中、アルテだけがぼんやりとその様子を眺めていた。
「様になりますね」
「おや、今何と?」
ユズハの問いにマリアは何でもありませんよ、と首を振った。そして着替え終わった聖教会の服装を翻し、野営地に続く道を一人歩き始める。その後ろをユズハが続き、トンザは少女を大事そうに抱えて後を追った。アルテとイルミ、そしてレイチェルはまだ何かしらのやり取りを続けており、時折レイチェルがイルミを宥めている様子が見て取れた。
ちらりと一瞬だけ振り返ったマリアだったが、直ぐに前に向き直り道を進んでいく。
「まあそれなりに楽しい一夜でした」
こうして長くも短い、血塗れの夜は終わりを告げたのである。
丁度季節が秋を過ぎようとしていた、少しばかり肌寒い朝だった。
 




