第94話 「裸どころか多分一番内側まで見てしまっている」
VG94
一度夜が明けて、再び日が沈んだ。昼の間、野営地は皆休息を取っているのか不気味なほど静かだった。昼夜が逆転している月の民たちがもつ独特な生活サイクルにはもう慣れたつもりでいたが、それでも太陽の下に大手を振って出られないのはそれなりにストレスでもある。いつもなら一人でこっそりと日光浴を楽しんだりもしていたものだが、今はイルミやレイチェルと共同生活をしている状況でもあるので大人しく天幕の中で睡眠を取った。
まあ吸血鬼退治が最終目標である今、休息をしっかり取ることは肝要だ。例え寝付きが悪くとも横にはなっておくべきだろう。決してイルミとの一件が気不味くてなかなか寝られないというわけではない。
昼に寝るという習慣が未だに慣れないだけなのだ。
「——おい、おい、大丈夫か?」
ふと誰かに身体を揺すられた。微睡みと覚醒の境でぼんやりしていたら随分と時間を食っていたらしく、心配してくれたレイチェルが起こしに来ていた。
彼女は既に身支度を調えたのか、森を歩き回ることのできる装備を身に纏っていた。つまりいつもの作業着ではなく、カラブリアの街で調達した長袖の綿でできたシャツとズボン、それに馬の皮でできたブーツという出で立ちだ。
「調子が悪いのか? もしそうならば向こうのトップに今日の探索の中止を願い出てこようか?」
こういうことをすらりと言えるから格好良いんだよね、この人。
まあでも、別に体調が悪いわけではないのでその申し出は手で制した。ただ起き上がるタイミングを逸していただけだから調査の開始は全く問題ない。
というかずる休みしたらマリアを怒らせそうであとから怖いし。
「……あまり無理はするなよ。幾ら呪いが刻まれて人より体力や回復力があるとはいえ、お前の身体への負荷は確実にあるんだ。とくにこの半年、格上の存在と闘いすぎている。いつだって限界より上の戦いを強いられている以上、いつ綻びが生まれてもおかしくはないからな」
もう優しすぎて涙がでそう。でも殆どの戦いは自業自得みたいなものなのでそこは反省。無闇矢鱈に他人に喧嘩を売っていたら、この世界では長生きできないのだ。
ぶっちゃけ自分は運だけで生き残ってきた事実が多分にあるように思うし。
「まあお前に言っても詮無きことか。お前がそういう風にしか生きられないというのならば最後まで付き合うだけだ。ほら、早く顔を洗って出てこい。うちの小さいお姫様はもう既にやる気満々で外で待っているぞ」
レイチェルの告げた通り、身支度を調えて天幕から顔を出してみれば、既に聖教会の面々に交じってイルミがスタンバっていた。彼女もまた、レイチェルと同じような格好に加えてエンディミオンで手に入れてきた手袋を装備している。なんでも彼女が魔の力を行使する流れを補助するものだとか。
ただでさえ過剰戦力気味のちみっ子に武器を与えるとか、鬼に金棒どころか虎に羽じゃん。ボンビーも真っ青だよこれ。まあでも味方としてならこの上なく頼りがいがあるので正直助かる。
「アルテ、足は引っ張らないから」
しかも昨日のハプニングがなかったかのように振る舞ってくれるから本当に有り難い。強くて可愛くて性格も良いとか大正義すぎひん?
「——これで全員揃いましたね。では参りましょうか」
号令を掛けたのはやはりというべきかこの場で一番偉いマリアだった。彼女の言葉に俺たち三人を除いた全員が姿勢を正し、隊列を形作った。こういう軍隊染みた動きを見るだけで、彼らがどれだけ訓練されてきた人間たちなのかよくわかる。恐らく俺が知らないだけでそれなりに場数も踏んできているのだろう。
「全員が、無事に帰ってこれると最高なのですけれど」
日が暮れて直ぐ。3度目となる聖教会の調査隊がいよいよ動き出した。
01/
調査対象の村は鬱蒼とした木々が続く森の向こう側にあった。殆ど獣道のような、未舗装の踏み固められただけの小道を一行は進んでいく。先頭は俺とマリアで、その後ろをイルミとレイチェル、さらには自律稼働を命じられた赤の魔導人形が続き、真ん中から最後尾に至るまでを同行してきた聖教会の職員たちが固めている形だ。
これが一番死人が出にくいと言ったのは恐らくマリアだったように思う。
「……見えて来ましたね。あれが村の入り口ですよ。ここに来るまで全くと言って良いほど先遣隊たちの痕跡が見つからなかった以上、最悪の事態を想定するべきでしょう」
マリアが指さしたのは木造の門だった。門といっても扉はなく、その周囲に壁があるわけでもない。丁度鳥居のように木の枠が地面にぶっささっているだけだ。ところがそれは不思議と境界というものの存在を教えてくれている。
つまりはこちら側と向こう側。
正気と狂気。
そして生者と死者。
「この辺りの土着宗教のものでしょう。グランディアやカラブリアでは見ない意匠ですね」
巨漢の男、トンザが魔導人形の後ろ側からそんなことを口にした。なるほど、鳥居という例えはあながち間違いではなかったようだ。
「私が知っているものと同類ならば、あの木枠の丁度天井部分に青い布が縛り付けられているはずです。月の光を信仰する彼らはそれを象徴とし、村の安寧を願っている。ですが見たところ、それらしきものは掲げられていない」
「——それは毎日結ばれているものなのか?」
トンザの解説にレイチェルが言葉を投げかけた。トンザは「いえ、」と短く言葉を濁してから応えを口にする。
「日が昇る忌々しい太陽の時間には取り外されています。ですが今はもう夜。信仰の通りならば布が掲げられていなければなりません。それはすなわち、もういつのことかはわかりませんが、その営みが正常に行われていないのでしょう」
回りくどい言い方ではあったが、彼が伝えたいことはよく分かった。多分剣を抜いたのは間違いではないし、事実となりのマリアもここまで軽々と担いできた鉄槌を構え直している。
「——アルテ、先走らないで下さいね。貴方が皆殺しにしてしまうと、調べられるものも調べられなくなる」
いや、そんなことしませんよ。ていうか一人で村に突入するつもりなどさらさらないし。怖くて絶対に無理です。ぶっちゃけこっそりとマリアの後ろをついていこうとしていたくらいだから。
久しぶりの本物の吸血鬼相手の依頼だ。内心かなりビビってはいます。
「取り敢えずは私が一番前になって村に入ります。お二人さん、その狂人の手綱は握っておいて下さいね。確かに吸血鬼討伐が今回の仕事内容になりますが、事情を何も把握できないままに殲滅するなど下の下過ぎますから」
とんでもない念の押されようである。というかレイチェルさん、わざわざ俺の腕を掴まなくても突撃なんてしませんから。イルミちゃんもこっそり狼を召喚して俺の眼前を牽制するように彷徨かせるのはやめてください。
「いきましょう。決して面白いものはないでしょうが、それでもやらなければならないことはあるでしょうから」
マリアが進む。そしてその数メートル後ろを、レイチェルとイルミに押さえつけられながら俺も進む。いや、正直私信用なさ過ぎない? そんなに猪突猛進で生きてきた覚えはそんなにないのだけれど。
「……なるほど。淀んだ空気がここからでもわかる。これは相当厄介な」
マリアの白い革のブーツが湿った土を踏んだ。それは丁度境界を少しばかり越えたところの土。続いて残された足を動かして完全に向こう側に身を置く。
「……あー、しまった。これは悪手だった」
彼女が徐に振り返った。そして両の眼ははっきりと俺を見ていた。口こそそれ以上開かなかったが、瞳に込められた何かはある言葉を雄弁に語っていた。
それは——
あとは任せます。
マリアの姿がかき消える。手にしていた鉄槌が轟音とともに地面にめり込んだ。
否、マリアは消えたのではない。赤い血煙となって霧散したのだ。それが余りにも短すぎる時間内に成されたために、呪い持ちの俺以外に知覚できなかっただけだ。
濡れた地面にマリアだった肉塊がこぼれ落ちる。まだ俺以外に状況を把握している人間はいない。だが本能的にあの肉塊を直ぐに回収しなければ、と思った。
しかしながらこちらの動きは遅かった。寸でのところで間に合わなかった。
再生が始まるよりも先に、マリアを粉々に砕き抜いたナニかがその破片を抱えて恐るべき速度で門から離れていってしまったのだ。おそらくそいつが今回の事件の元凶である。
「マリア様!」
従者二人が踏み込もうとするのをレイチェルと二人で押しとどめた。これは完全に罠を張られている。恐らく門を潜った瞬間に発動する術式と、下手人の人間離れした身体能力を組み合わせた凶悪な罠だ。このような設置型の術式は、発動のための下準備の手間や、消費する魔の力こそ莫大ではあるが非常に強力なものが多い。
だが、こうも違和感や魔の力の不自然さを周囲に察知させないまま設置されている術式は中々ない。間違いなくこれを用意した者は超一流の魔の力使いということになる。
「すまない。ボクには殆ど見えなかった。あれはどんな術式だ?」
「たぶん足を踏み入れたものを問答無用で圧縮するやつだ。一度だけ、これと似た術式が罠として張られているのを見たことがある。けれどもこれは別格だ。イルミ、解呪できるか?」
焦る従者二人を下がらせ、レイチェルの問いに答える。ここでつくられた死体がどうなるのかも何となく察しがついてはいたが、それは敢えて口にはしなかった。だか仮説が間違っていなければ、いくら不死といえどもマリアが手遅れになる可能性は高い。イルミに解呪を問いかけたのも割と本気でヤバいと感じているからこそだった。
メンバーの中で一番魔の力の扱いに手慣れた彼女がどうもできなければ今回の依頼は完全に詰む。
「——できなくはないわ。多分あの門を起点に術式が周囲に刻まれている。術式ごと門を焼き払えば数分でなんとかなるとおもう」
言って、イルミが腕を振るう。すると銀の炎の渦が門に吸い込まれていった。そして境界を越えたその瞬間に、物理法則を殆ど無視してそれがあらゆる方向から押し縮められていく。あれに巻き込まれたと考えると、マリアの受けたダメージは想像もしたくない。
「待って。アルテ、この術式は門とその周囲を囲うようにしかできていないわ。村の周りは須く駄目だけれども、この上は何もない」
炎を送り込み続けているイルミが重大な事実に気がついてくれる。それはつまり術式は立体的には展開されていないということか。ならば上から入ることができればどうにかなるのかもしれない。
「レイチェル」
「ああ、くそ。正直反対だが君は絶対に言うことを聞いてくれないからな」
勘の良いレイチェルは直ぐに俺が言わんとすることを理解してくれた。だがそれに付け加えておかなければならないことがある。
「それともう一つ。俺以外を絶対に送り込むな。今回の奴は相当手練れだ。正直、二人やそこらの有象無象を気に掛けている余裕はない。術式が解除されたらイルミの言うことを聞いて野営地まで撤退しろ」
言葉はとても汚かったが事実である。マリアを瞬殺する相手なんてもうマジで危ない奴に決まっているのだ。そんな怪物を相手にして、周囲の安全を確保するなど俺には到底できない。彼女達には少しでも速く助けを呼んできて貰いたいくらいだ。
だがこのまま全員で撤退することはできない。
まだマリアが助かる可能性が残されているからこそ、蛮勇をふるってでも頑張らないといけない場面でもあるのだ。
怖くて怖くて仕方がないけれども、逃げ出すわけにはいかない。
「なら私からできることはこれだけだ」
レイチェルが懐から取り出したナイフで自分の指を傷つけた。そしてそれを俺の口に突っ込んでくる。彼女が患う太陽病から得られる、太陽の力の補給だ。全くと言って良いほど使いこなせていない力ではあるが、こうして分け与えて貰えるのは有り難い。
「イルミ、手離せるか?」
レイチェルの問いかけにイルミは振り返ることなく答えた。
「無理。でも私の鞄の中にある私の血をアルテに渡して。ノウレッジ先生から教えてもらった高濃度の魔の力を圧縮したものだから、きっと効果があると思う」
言われて、レイチェルは地面に転がされていたイルミの鞄から小さなガラスの試験管のようなものを取り出した。木片で蓋がされたそれには確かに血のような赤い液体が充填されている。
「これは多分、いざというときに服用するのがいいだろう。効力が強すぎて常人が服用したら発狂するぞ」
ちょっと待ってイルミちゃん。そんな危険アイテムいつの間に制作していたの。いや、気持ちは有り難いんだけれども、ぶっつけ本番でそれを試すのは滅茶苦茶怖いです。
「ではアルテ、健闘を祈る。村を覆う術式は何としてでも解除しておくから、帰り道の心配はするな」
レイチェルの操る赤い魔導人形が、両の手を重ねて地面に膝をついた。上に向けられた手のひらに足を載せると、彼女は小さく微笑んで見せた。
「鳥になってこい。狂人よ」
瞬間、とんでもない重力の変遷を感じて視界が空へと近づいていった。眼下を見れば人気が全く感じられない寒村がおどろおどろしく広がっている。
俺をぶん投げた魔導人形はとても綺麗なフォロースルを描いて、こちらをレイチェルとともに見上げていた。
軌道の頂点はあっという間に過ぎて後は落ちていくだけ。
ねえ、レイチェルさんや。
これ、ちょっと高く打ち上げすぎだと思うんですけれど!?
02/
何かが自身の内臓を食んでいる。
そう認識したとき、いよいよこれは失敗したとマリアは出せない溜息を吐いた。肺の再生が追いついておらず呼吸もままならない中、どういう原理か彼女の意識だけははっきりと下手人の存在を捉えていた。
「——すごい、食べても食べてもなくならないわ。こんなのはじめて」
でしょうね、とマリアは下手人の言葉を受け止める。周囲の空間ごと挽きつぶされて小さくなった肉片として彼女は下手人に攫われていた。そして村の一番大きな屋敷の一室で再生を開始。下手人は当初は酷く驚いていたものの、直ぐに食欲に負けたのか回復していく肉片を片っ端から自分の胃袋に流し込み始めたのだ。
再生速度がやや上回り頭部や上半身の形は復元できているものの、内臓の詰まった下半身を取り戻さない限り十全の力を発揮することができないでいた。
「……ごふっ、もうそろそろお腹は満たされたんじゃないですか? 今解放するならば許してあげないこともないですよ」
咀嚼音と水を啜る音が世界を満たすこと幾ばくか。肺が復活したのに合わせてマリアが口を開いた。下手人は貪り尽くしていた血の池から顔を上げ、赤い瞳でマリアの青白い顔を覗き込む。
「いいえ、だめよ。食べても食べても私のお腹はいっぱいにならないの。食べ続けないと空腹で死んでしまうわ」
「——そうやって村の人間も、ここに来た聖教会の人間も罠に嵌めて食い殺してきたのですか。全く度し難い」
月を覆っていた雲が風に流される。屋敷の分厚い硝子を突き抜けて青い光が世界を照らしていった。まず始めにマリアから流れ出したあらゆる赤が黒く輝き、最後に彼女を口に含み続ける下手人が浮かび上がった。
金の絹のような髪を長く伸ばし、秀麗な顔つきと均整のとれた体つきをした美しい少女がそこにはいた。
「あなた、生まれながらの吸血鬼ではないですね。むしろその逆、吸血鬼から呪いを受けて生き残った希有な存在だ。ですが刻まれた呪いに支配されている。大方暴食か何かの呪いなのでしょうけれど」
マリアは少女の正体を看破していた。彼女は本物の吸血鬼を何度も見てきた。そして一番近しいところにその存在がいたこともある。だからこそ眼前の悪鬼が、正しい意味での鬼でないことにはすぐに気がついていた。
「どうでもいいじゃない。そんなこと。だってこんなにも美味しいのだから。あなた最高よ。子どもみたいな柔らかさなのに、食べても食べてもなくならないんだもの。子どもってとても美味しいのにすぐなくなっちゃうから」
こいつはどうしようもないな、とマリアは今度こそ本物の溜息を吐いた。血の泡混じりのそれだったが、心の底からの呆れが形になったものだった。
だがそれは、これまで飄々としていた少女の態度を豹変させるにあまりある行為だった。
「今、私の事を馬鹿にしたわね」
瞬間、呪いに裏付けられた怪力で心臓を鷲づかみにされた。折角復活した皮膚と筋肉、そして肋骨を砕かれ、直接心臓を握りしめられた。
思わぬ激痛にマリアが声にならない叫びを上げる。
「いつだってみんなそうだった。あの人もあの人もそしてこの人も、いつも私の事を馬鹿にして虐めるのよ。もう絶対に許してやらない」
血流を乱されマリアの意識が覚醒と断絶を繰り返す。心の臓に圧力を加えられる度に自分ではない何者かのような醜い叫びが口から零れた。
「もう一度死んじゃえ」
今度は心臓から悲鳴が上がる。筋肉特有の弾力が限界に達し、もう少しの力加減で破裂するところまでくる。マリアは少女を睨み付けた。少女はそんな些細な抵抗に歓喜し、幾ばくか心臓を弄ぶ。
「……ばーか。そうやってくだらない事をしているから周囲の気配すら読み取れないのよ」
挑発的なマリアの笑みに影が差す。何故なら硝子に届いていた月の光が遮られたから。
では一体ナニに遮られた?
少女が咄嗟に振り返る。でも間に合わない。黄金色の切っ先は既に硝子を綺麗に切り裂いていた。
室内に飛び込んできた狂人が手にした剣を不可視の速度で振るった。
02/
駄目だ、数センチ浅かった!
想像以上のスプラッターな光景に一瞬足が竦んでしまったパンピーのアルテです。どうもこんばんは、死ね!
下手人とおぼしき少女がマリアのモツを口端に引っ付けたまま、マリアを嬲っていたものだからSAN値は大幅減少、即首撥ねアタック決行である。こういう時は幾ら外見が可愛かろうと、情けを掛けた瞬間にこちらが死ぬと決まっているのだ。そんな見えすいたフラグ、回収するわけにはいかない!
——けれどもその一撃は、頸椎を半分ばかり切り裂いただけで首を完全に落とすまではいかなかった。
一瞬殺せたかも、と期待するが直ぐに傷口が塞がってこちらを睨み付けてきた少女を見て強襲失敗を察する。
「ちっ!」
少女が扉を蹴破って部屋から飛び出していく。すぐに追うかどうか逡巡するが、まずはマリアを救助しなければと思い至り、すぐにそちらに向き直る。すると再生即咀嚼のコンボから解放されたマリアが恐るべきスピードで自身の肉体を再構築して見せた。
ただ彼女の衣服は圧縮の際に塵と消えたので、一夜を待たずして別の少女の真っ裸を見てしまうハメになった。
え? ナニ? 世界が社会的に殺しに来てる?
「使え」
纏っていた外套をマリアの頭上から被せる。
できる男アルテは二日連続で少女の生まれたままの姿をまじまじと観察したりはしないのだ。こらそこ、そもそもできる人間はこんなスケベなことしないとか言うな。
「わぷっ、もっと丁寧に扱ってくれてもバチはあたらないですよ」
減らず口を叩きながらも直ぐにマリアは外套を身に纏う。なんか余計に犯罪臭がする気がしないでもないけれども、言わぬが仏何も言わずに黙っておく。
「入り口の術式は解除できたんですか?」
「いや、まだだ。今イルミが力技で壊そうとしているが、果たしてどうなるか」
「まああの子なら何とかするでしょう。それより先にあいつを殺しますよ。あれは世界にでてはいけないものだ」
「やはり吸血鬼か?」
「——いいえ、あれは吸血鬼に襲われて呪いが発現したただの人です。ですが理性が崩壊し、本能が暴走した殆どグールのようなものでしょう」
まじか、それは朗報だ。やっぱ敵は吸血鬼でないことに超したことはないのだから。
見た感じ、そこまで戦闘能力は高くなさそうだし。
03/
正直なところ、室内に飛び込むや否や剣を振るったアルテにマリアは驚いた。
たとえ所業が幾ら凶悪であろうと、姿形は幼い少女そのものの存在の首を撥ねようとした彼が少しばかり怖かった。
やはり狂人は狂っているのか、と警戒心を引き上げたその瞬間、乱雑に外套を投げつけられた。見れば自身が一糸も纏っていないことに気がつき、僅かながら顔が赤くなる。
しかしながらここで騒いでも仕方がないと、大人しくそれを身に纏った。
そして、よく分からない複雑な感情を抱いたまま、狂人のことを観察していたら彼から疑問を投げかけられた。
「やはり吸血鬼か?」
それまで殆ど無意識にやり取りをしていた自我が引き戻される。マリアは率直に答えるべきか迷った。だがここで誤魔化しても意味はないと直ぐに答えを告げる。
「——いいえ、あれは吸血鬼に襲われて呪いが発現したただの人です。ですが理性が崩壊し、本能が暴走した殆どグールのようなものでしょう」
見るからに落胆している様子が狂人から見て取れた。あれほど臨戦態勢を整え、強ばっていた筋肉が露骨に弛緩したのである。
何故かマリアはその様子をみて、無性に腹が立った。ぶっちゃけムカついた。
だから小さく狂人の足を蹴っ飛ばした。
何となくこうでもしなければ、裸を見られた事実も、依頼に落胆した彼の態度も許せない気がしたのだ。
だがこの狂人、そんなマリアの些細な抵抗をあろうことか無視して、部屋から出て行ったのである。いよいよマリアは頭に血が上って、慌てて狂人の後を追った。
どうしてかその時、彼女は不倶戴天の敵である黒い吸血鬼のことを思い出していた。




