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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第四章 紫の愚者編
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第84話 「よく死ぬ男である」


「おや、目が覚めましたか。気分はいかがです?」


 眼を開いたイルミの視界に最初飛び込んできたのはノウレッジその人だった。優男っぷりは相変わらずで、落ち着いた物腰で簡易ベッドの隣に腰掛けている。


「あなたの体内にある、莫大な量の魔の力に異変が生じていました。具体的に述べればその流れが乱れていたんですね。これは自然には起こりえない現象です。——何かあったのでしょうか?」

 

 ノウレッジの問いかけに、イルミは一瞬口を噤んだ。ただ、ノウレッジに静かに見つめられて、少しずつ口を開いていった。


「赤の愚者のとても強い思念を感じたの。あの人は私の姉だから、時折それを感じることがあった。でも今回のような、苛烈な思念は初めて感じたと思う」

 

 イルミの言葉にノウレッジは「ふむ……」と思案顔になった。そして数十秒ほど思考を巡らした後、こう告げた。


「これは完全な推測ですが、あなたは赤の愚者になにか術式を刻まれていませんか? いくら肉親関係でも他人の感情が伝播することなどありえない。可能性があるとすれば、何か特別な繋がりが存在しているときだけです」

 

 さも当然のように赤の愚者との関係を口にしたイルミは「しまった」と口元を手で押さえた。謎の嘔吐感と倦怠感で微睡んでいた思考が急速に復活していく。自身が赤の愚者と血縁関係にあることなど、ほいほいと口にして良いことではなかったはずだ。 

 何かしらの熱に浮かされ、失言を漏らしてしまったとイルミは冷や汗をかく。

 だがノウレッジはそんなイルミの焦燥を杞憂だと笑った。


「ああ、あなたが赤の愚者の妹であることは最初から知っていましたよ。何せ愚者並みの魔の力を保有し、その形質もよく似ていますから」


 よく似ている——それはつまり、比較するとこができるくらい赤の愚者の魔の力を知っているというわけで、


「ここだけの話なんですけどね、彼女が私の初恋の相手なんですよ。おっと、紹介が遅れました。私はパープル・ノウレッジ。基本的にはエンディミオンで勤務している人畜無害の教員ですが、実は紫の愚者という副業も持っておりまして、以後お見知りおきを」


 今度こそイルミは言葉を失った。

 まさかアルテが追い求める獲物がこんな近くにいたとは思ってもみなかったためである。そして、その獲物が自分の恩師であるという現実を直視することができなかったのである。ただ狼を使役するしか能のなかった自分に力を与えてくれたのは間違いなく彼なのだ。


「あなたのお姉さんはその力だけが無闇に畏れられ、世界最強かつ最狂と謳われている。しかしながら私が彼女に畏怖することはたった一つ。その頭脳だけです」


 ノウレッジの声に熱がこもり始めているのはまやかしではない。穏やかな物腰こそそのままだが、内に渦巻いている感情は余りある大きなもの。


「あの人の強さは他に比類なきものだ。けれどもその本質は神染みた英知にある。私がこの世界で唯一、私以上だと認めるのは彼女だけなのです。だからこそ焦がれた時期もありましたが、さすがにそれは若気の至りで今は落ち着いていますよ。ですから引かないでくださいね」


 話が逸れましたね、とノウレッジは照れくさそうに笑った。彼は「さて先ほどの話ですが」と言葉を続ける。


「赤の愚者はおそらく狼の術式をあなたに授けたのではないですか? どういった経緯があったのかは全くわかりませんが、多分そう外した推測ではないはず」


 沈黙は肯定だった。否定も肯定もできなかったが、押し黙ったその姿こそがイルミの内面を雄弁に語っていた。

 たとえ相手が紫の愚者であっても、どこまで姉の話をして良いものか判断がつかなかったのだ。

 その様子を見てノウレッジは優しく口を開いた。


「ご心配なく。あなたと赤の愚者の関係は他人には漏らしませんよ。あなたはずっとそれを周囲に隠して生きてきているみたいですから。だからそこまで警戒なさらないでください。私結構メンタル弱いんですから冷たくされるとかなり堪えます」


 警戒しない材料など何もなかった。だが、紫の愚者と一対一という今現在の状況を鑑みれば、逆らい続けるのも得策とは言えない。

 だからこそ、イルミは必死に言葉を選びながらノウレッジへと向き直った。


「あなたの推測で正解です。私は姉であるアリアダストリス——赤の愚者にあの狼を与えられました。その理由は正直よくわかりません。でも姉は誰かを探しに行かないように、と言っていました」


「? 狼がなぜそのような役割に?」


「多分、この子たちは私の監視も兼ねているんです。私が昔捕まっていたとき、この子たちは門番のように近づく人たちを食い散らかし、私がどこにも連れ出されないように見張っていましたから」


 ならば、とノウレッジは思い浮かんだ疑問を口にした。


「誰を探しに行かないように縛り付けられたのかはわかりますか?」


 ノウレッジの問いにイルミはすぐさま答えなかった。ただそれは誤魔化す方法を考えるが故の間ではなく、純粋にそれが誰だかわからないからこそ生まれた沈黙だ。

 その為彼女はたっぷりと時間をおいてから、静かに答える。


「——わかりません。姉に関係する誰かだとは思いますが、顔も声も何も知らないから」



01/



 最後の場所は廃工場だった。この小さな島で唯一の大きな工場だ。薄っぺらい金属で構成された屋根は至る所が抜け落ちており、光源は何もない。魔の力を感じる視力がなければ、完全な暗闇の中にここはあるのだろう。


「——悪いけどもう転移はほとんどできないわ。魔の力が枯渇しそう」


 額に汗を滲ませながら、俺を抱きかかえたティアナがそう呟いた。彼女は外傷こそないものの、愚者クラスまでため込んでいた魔の力を殆ど使い切ってしまっている。転移という外法には多大な魔の力を消費してしまうのだ。それこそ、黒の愚者という特上の魔の力が含まれている俺の血液を使っても補給が追いつかないほどには。


「どのみちここが最後の決戦場です。ここで仕留めきれなければ我々に未来はないでしょう」


 ノウレッジから受けた指示はここで終わっている。ここから先は、彼の英智を信じてひたすら足搔くしかない。ただひたすらに時間を稼ぐ必要があるのだ。


「ノウレッジはここに辿り着いたらどうにかなると言っていたのよね? あんたはどんな原理であいつを殺そうとしているのか知っているの?」


 ティアナの疑念に俺は「大体は」としか答えられなかった。ノウレッジの説明を一応は受けているが、なけなしの前世界の知識ではその全てを理解することができなかった。というか普通に太陽の時代の技術力は前世界を凌駕しているので俺の科学的知識は殆ど役に立たないと思うけれども。


「ならいいわ。失敗してもあんたが死ぬだけだし」


 洒落にならない罵倒をありがとう。でもティアナの言っていることは間違いではない。

 最悪、奴を殺しきることができないのならば、心中してでもティアナを守り通さなければならないと考えているからだ。

 この子には憎まれているこそすれ、受けた恩はまだまだ返し切れていない。


「嘘よ。冗談よ。死ぬことは許さないわ。最悪、あいつを止められなかったらあんたはノウレッジの所に逃げなさい」


 ——私は何とかなるから。


 そう口にしたティアナはどこか胡乱げな様子だった。魔の力を急速に消費した所為か、若干熱っぽくも感じる。彼女の腕の中で振り返ろうとしたら、ぎゅっと腕に力を入れられてこちらの身体を押さえ込まれた。


「振り返っては駄目よ。奴はもうすぐ来る。あんたは私の事を気遣えるほど強くはないでしょう?」


 彼女の言葉は間違いなかった。 

 工場の巨大な鉄扉が吹き飛んだ。というよりかは、溶解して大穴が空いてしまった。誰がそんなことをしているのか考えるまでもない。物理法則も熱量力学も全て無視した馬鹿げた存在など、今この場では奴以外にありえない。

 ティアナの腕の拘束が解けたのと同時、俺は神もどきに向かって走り出していた。手にはヘルドマンから間借りしている魔の力で構成された剣が一つ。

 無駄だとわかっていても、今この瞬間ばかりはこれで時間を稼ぐ他ない。


「滑稽だな。無駄だとわかっていてもそうすることしかできない。だがその足掻き、嫌いではない」

 

 神もどきの周囲に多数の銃器が出現する。それぞれが奴を止めるためにこちらが用意したものを模しているのか、何処か部品が欠けた歪な形状をしていた。ここにきてわかってきたことは、奴はいわゆる現代兵器というものを変則的に再現して、武力として行使している現実だ。太陽の時代に生まれた神もどきだからこそ成し遂げられる奇跡なのだろう。


「先手必勝!」


 銃口から弾丸が吹き出してくるよりも先に、その間を擦り抜けて神もどきを袈裟切りにした。だが黒い魔の力で出来た刃はこいつの肌に傷一つ作ることができない。


「——あまり多用はしたくなかったが、お前のすばしっこさは驚異的だな。ならばこれはどうだ?」


 そこで咄嗟に飛び退けたのはまさしくこちらの世界で積み重ねてきた経験則に助けられた形だ。理不尽な死が横行するこの世界では思考を止めたその瞬間に、塵一つ残さないままに消滅させられる。

 実際、俺が立っていたその場所が何かしらの高熱に晒されて赤く溶けていた。あくまでこれは推測になるが、不可視のレーザー光のようなものを照射しているのかもしれない。これならば扉が溶け落ちたり、ティアナの氷の壁が蒸発させられている説明がつく。


「驚いた。これも避けるか。ならばこれは?」


 ただ、距離を開けてしまったのは失策だった。奴の周囲に展開された歪な銃器たちが一斉にこちらを向く。しかもご丁寧にミニガンを模したそれは銃身を高速で回転させて実物そのものの挙動をしていた。数秒回転したそれからはこちらをハンバーグの材料に変えかねない暴力が振るわれるのである。

 が、俺は運が良かった。数秒の時間を稼ぐことができた成果か、じっくりと術式を練り上げたティアナが再び氷の壁を眼前に建ててくれたのである。


「無駄だ」


 ミニガンからマズルフラッシュが吹き出たのと同時、氷の壁に恐るべき量の弾丸が食い込んでいった。先ほどは弾丸が触れた所から氷が全て蒸発させられていた。神もどきもそれを見越してか、特に何かしらの行動をとることなくただ銃弾を壁に撃ちこんでいった。

 しかしながらその目論見は正しくない。

 彼女は、——ティアナは転移して全てを凍らせるだけが能の女ではないのだ。

 ティアナの恐るべき才能はあらゆる状況に適応していくその柔軟さにある。


「こちらを侮ったツケを払って貰うわよ!」


 壁が溶けていく。だがその厚みを減らすことは一向にない。

 なぜならば彼女抉られた壁を再構成するのではなく、飛来する弾丸を凍らせていたからだ。弾丸に触れた所から氷が溶けていっても、壁に激突する一瞬だけ、氷でコーティングすることによって壁本体へのダメージを軽減することはできる。

 言うに安しではあるが、恐るべき動体視力と、瞬時に術式を構成する技量が求められるまさに絶技。青の愚者の後継者に足を踏み入れているだけあって、彼女の戦闘技能は神がかり的なものがあった。

 そして神もどきがその事実に気がつき、次の手を打とうとした時にはこちらの手筈は整っていた。俺は最後の罠を起動させるべく、ここまで酷使してきたリモコンを握りしめる。

 ダイヤルが回され、爆発音が世界に轟く。それは神もどきの足下からだったが、今までのそれとは違い白い何かが間欠泉の如く吹き上がってきた。そしてそれは、


「すごっ、何これ! 魔の力が存在していないのにこの冷気! 太陽の時代はこんなものを造っていたの!?」


 驚愕の言葉はティアナから。彼女は魔の力など一切感じないのに、自身が建てた壁が吹き出る液体によって補強されていく様子に驚いていた。

 それもそのはず。今吹き出ている液体はティアナが作り出す氷の壁よりもさらに温度の低い、人類が作り出したもっとも冷たいものだから。


「——工業用の液体窒素……。これを数百年も保存できるとか太陽の時代の技術力本当に意味不明」


 触れる物を瞬く間に凍らせてしまう魔法の液体。ティアナの作り出した氷の壁によってこちらは守られているが、壁の向こう側は悲惨なことになっている。壁も地面も天井も、もちろん神もどきも冷気の暴力に凍てつかされている。ティアナの氷の権能は奴に通用しないが、太陽の時代に作られた液体窒素なら効果があるというのはノウレッジの弁だ。

 

 彼女は魔の力を介さない再生能力を有しています。電気という太陽の時代によく使用されたエネルギーが再生能力の源なんですね。でそのエネルギーを我々の想像も付かない莫大な演算式で制御しているんですが、この電気というエネルギーは冷やされたものには作用がとても強くて、いかな神もどきといえども演算式で制御しきれなくなるんですね。つまりは暴走してしまうわけで、暴走させてしまえば神もどきの中にある安全を司る演算式が作動して活動停止に追い込まれる筈です。


 その後も何かしらつらつらと説明してくれたが、ほとんど理解できなかった。だがおそらく彼が説明してくれたことは事実だろう。工場内にストックされていた液体窒素が殆ど気化したその時、壁の向こう側にあったのは白い人型の柱だ。もちろんそれは微動だにしないままである。


「勝ったの?」


 ティアナの呟きが、静寂に包まれた工場内に反響する。先ほどまでの轟音たちが嘘のように周囲は静まりかえっていた。神もどきによる破滅的な暴力はもうそこにはなく、あるのは俺とティアナの息づかいだけ。


「わかりません。ですが、これで止まってくれないともう手の打ちようが」


 ティアナに壁の一部を解除して貰い、白い人影に近づく。凍てついた氷の柱はひどく不透明でその向こう側を窺い知ることはできない。

 俺は生唾を一つ飲み込んで、胸元からあるものを取り出した。それは地下探索を始めた初期に手に入れたハンドガンと呼ばれるもの。

 スライドを引いて恐る恐る構える。弾丸が込められていることはもう随分前に確認している。使い方がこれで間違えていなければ引き金さえ引き絞れば弾丸は発射されるだろう。


 葛藤は一瞬だった。


 スライドが後退し、乾いた銃声が工場内に響き渡る。足下に流れている白い冷気の中に真鍮色の薬莢が落ちていった。

 人型の柱は堰を切ったかのように粉々に砕け散り、その形を無に帰していく。

 今この瞬間、神もどきとの殺し合いが終了したことを理解した。


「さすがにここまでバラバラにされたら生きてはいないでしょうね」


 液体金属で身体を構成でもされていない限り、それはないだろう。見た感じ、身体の構造は普通の人間と同じように見えたし。


「……一度戻りましょうか。もう転移は使えないから徒歩になるけれど」


 魔の力を殆ど使い切ったティアナが踵を返す。ここから先のことはノウレッジとは取り決めていなかった。ただイルミの容体のことも考えればティアナの言葉に反対する理由などなかった。

 ハンドガンを腰元のベルトに差し、ティアナのあとを追う。

 ふと、足の力が抜けた感じがした。見れば右足がべっとりと温かい何かで濡れていた。

 ティアナが振り返る。彼女は蔓延した冷気に遮られて、この匂いに気がついていなかった。

 視界が徐々に下がっていく。もう立っていることすらできない。開いた脇腹の穴から流れでる血潮は足下に赤い水たまりをつくっている。


「————!!」


 彼女が何かを叫んだ。けれどももう、この身体から声を発することができなくなっていた。

 景色が真っ黒になっていく。意識が遠のいていく。

 慌てたティアナに抱き留められたのと同時、俺は肉体から精神を強制的に切り離されていた。



01/



「成る程。あちらとのパスが切断されたのかと思えば、こちらに戻ってこられたのですね。狂人よ」


 視界が暗転したと思ったら眼下に雲海が広がっていた。何を言っているのかわからないとおもうが、俺も何をされているのかわからない。ていうか何これ? 僕浮いてる?


「あなただけ連れてエンディミオンに先行しようとした考えは間違っていなかったようです。というかあなた、数千メートルの上空を移動しているというのに一切狼狽えてくれないんですね。少しばかり、それを楽しみにしていたのに」


 背後から抱きすくめられているため顔こそは見られないが、耳には呆れた調子の声が届いていた。聞き間違えるはずもない、これまで随分と世話になってきたヘルドマンのそれである。ということはつまり、今俺はヘルドマンに連れられて空を飛んでいるということか。

 まあ、黒の愚者で何でもありの御仁だからこんなこともできるのだろう。

 ぶっちゃけ死ぬほど怖いけれど、ヘルドマンが俺を落とすとも思えないし、第一呪いのお陰で一切顔に出ていないという。


「——不思議だな。これだけの高空なのに息が苦しくなければ風も感じない」


 ただし態度に出ていないだけで内心はびびりっぱなしである。今口にした疑問もハッキリさせておかないと恐ろしくてたまらない疑問を口にしただけだ。決して知的好奇心とかそんなものではなく、自身の生命維持に必要な事象を問うているのである。

 果たしてヘルドマンは普通に答えてくれた。


「どちらも魔の力で構成した結界に護られているからですよ。私とあなたが初めて闘ったとき、練兵場を覆っていた透明な壁があったでしょう? あれを周囲に展開しています。風を受け流し、空気を閉じ込めているのです。一度気まぐれで飛んでみたとき、酸欠で苦しかったので改良してみたんですよ」


 人類が数多の時間と予算を掛けて実現した与圧というシステムを一個人で再現しないでください。折角こちらの世界の非常識にも慣れてきたと思っていたのに、個人で出来ることのバグりっぷりには驚かされぱなしである。

 でも余計なことは口にしない。何故ならヘルドマンが気まぐれで腕の力を緩めた瞬間、パラシュートなし高空ダイブが開始されるから。彼女の機嫌を損ねた瞬間に死が確定するのである。


「ところでアルテ、あなたにエンディミオンで何があったのか教えてくれませんか? あなたがこうして目を覚ました以上、向こうで何かがあったのでしょう?」


 ヘルドマンの腕の中、つらつらとここ最近のエンディミオンでの近況を語った。一瞬、ティアナのことは誤魔化すべきかと迷ったが、あとからバレた方が怖いので全ての出来事を洗いざらい吐き出したと思う。

 時間にして凡そ五分。

 俺からの全ての報告を聞いたヘルドマンは「そうですか」と暫く思考にふけった。

 そして、幾層もの雲が背後に流れていったとき、彼女は徐に口を開いた。


「もうあなたはアルテミスの身体に戻らない方が良いかもしれませんね。このままアルテとしてエンディミオンに戻るのがよろしいでしょう」


 なんとなく彼女の言わんとしていることはわかる。だが一応、何故なのかと問うてみた。すると帰ってきた返答はおよそ予想通りのもの。


「ーーアルテミスの肉体はつい先程死亡しました。死因は失血です」


 ぶっちゃけわかっていたことだ。リモート機銃の合間を抜けたその時、ほぼ致命傷を受けてしまっていた。ノウレッジからもらった応急キットの魔導具で誤魔化してはいたが、限界はすぐに訪れたようだ。

 むしろよく持った方だろう。


「ただし、魔導人形の活動限界そのものはまだ少しばかり猶予があります。なのであなたはこのままエンディミオンに戻り、私はアルテミスの操作を引き継ごうと思います」


 ん? それはどういうことだ?


「私の魔の力を使って無理やり動かすのですよ。それこそグールのようにね。魔導人形が生きているように見せかけるくらい造作のないことです。おそらく人形の体を物理的に破壊し尽くされない限り動かすことはできるはずです」


 それはつまり、俺がエンディミオンに元の肉体で向かっている間、アルテミスを動かしてくれるということか。一応神もどきは殺したはずだが、万が一ということもある。向こうに投入できる戦力がある以上、使わない手はないだろう。


「なら早急に頼む。ところで俺とお前の今ここにある肉体はあとどれくらいでエンディミオンに辿り着ける?」


 ヘルドマンは即答した。


「あと半刻ほどです。私は今から並列思考でアルテミスを操作します。一応あなたとの受け答えくらいならできますが、あまり複雑な思考はできませんのであしからず」


 そう言ってヘルドマンは黙り込んだ。おそらくアルテミスの肉体の操作を開始したのだろう。向こうで何かあればおそらく俺よりもうまいこと立ち回ってくれるに違いない。

 月の光に照らされた雲海が、足元から背後へと流れていく。ヘルドマンの展開してくれている障壁越しに聞こえるのは遙か世界の高見にある風の声だけ。

 ヘルドマンを邪魔してはならぬと、ただ静かに景色を視界に流れさせていく。

 

 地下世界から天空に登った先、そこにあった空気たちは澄んでいい匂いがしていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お疲れ様でした。 >俺よりもうまいこと立ち回ってくれるに違いない。 ヘルドマンが、アルテミスの身体でとんでもない爆弾発言しそうな気がしないでもない(笑) 「あんたは私のものなんだか…
[一言] 更新ありがとうございます。 ヘルドマンがツンデレさんをいじめないといいのですが。 また楽しみにしております。
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