第80話 「いつか来た道とこれからの道」
お待たせしました。
これからの遺跡探索はこれまでの遺跡探索と全く違った意味を持っていた。
「――今までの探索はいわばあなたに対するテストでした。正直、実力が伴っていなければ防御機構そのものにたどり着くことも叶いませんから」
手にする荷物はそれまでと同じ。人員も等しく。ただ目的と心意気だけが異なるもの。
「今日はアルテミスの肉体を使ってアレを確認してもらいます。ところでレストリアブールにあるあなたの本体はこちらにこれそうですか?」
ノウレッジ――紫の愚者の問いかけに俺は「一応」と答える。
「ヘルドマンが病み明けということでクリスに騎竜で送ってもらう手はずになっています。理由に関してはノウレッジ先生のアドバイス通り、吸血鬼殺しに太陽の力を使うことのできる肉体が必要になった、と言っています」
「何か怪しまれましたか?」
「いいえ。何故かなによりも優先して手配してくれました。ヘルドマンとクリスには頭が上がりません」
俺の言葉にノウレッジは苦笑で返す。
「信頼されているようで何よりです。では行きましょうか」
これまでそうしてきたように、不思議な扉をくぐって地下を目指す。進む道のりも殆ど同じ。ただし違うのは距離。今まで半日程度で探索を終えていたのが、今回は日にち単位で最深部を目指すという。
「もともと私は流浪の吸血鬼だったのです。ですがある時、ふとした瞬間にこの世界の裏側に触れてしまいここを拠点にしなければならなくなった」
世界の秘密に触れたその時のことをノウレッジはつらつらと語っていく。俺は彼の後ろに続きながら、黙って耳を傾け続けた。
「昔から太陽の時代の遺跡を巡るのが好きだったのです。今は亡き世界の形に惹かれて、狂ったようにあらゆる遺跡を練り歩いたんですよ。そしてある時、私は海を渡りました」
ノウレッジは振り向かなかった。
「この大陸の西側。いつかの時代、ヴィンランドやフロンティアと呼ばれた地があります。太陽の時代、世界で最も強大で多様な文明が花開いた地です。海の向こう側にあるその大陸の存在は書物で知りました。まだ若かった私はいろいろと無理を押し通して、一人だけいた同志とともに海を越えました」
同志? とこちらが問いかけるよりも先に、ノウレッジは補足を加えてくれた。
「太陽の時代の復興を目指した女性がいたのですよ。彼女は西の大陸にその時代の何かが残されていることを期待して私と旅をしました。そしてちょっとした航海の果て、私たちはそこへと辿り着いた」
ノウレッジの視線はいつかの思い出を探るように宙に固定されている。
遠い昔を懐かしむような、それでいて悲しい思い出に触れるかのような。
「端的に言えば地獄でした。太陽の時代が滅亡したその瞬間に時が止まってしまったかのように、何もかもが残されていたのです。あなたも見たでしょう? ここの下で石化した人々を。アメ――いえ、西の大陸ではあれとは比較にならない規模の人々が今もなお絶望を晒しているのです。月の時代になっても朽ちることなくただ永遠に取り残されていた――」
太陽の時代は技術力が進みすぎ、人々が傲慢に染まり果てたから、神に滅ぼされたとされている。だが無辜の民すべてがその贖罪を果たす必要は本当にあったのだろうか。
神とやらが罪の償いを求めたのだとしたらそれこそ傲慢のような気がする。
「同志とはそのあとに分かれました。袂は同じですが、それぞれ違った道を進んでいます。彼女も息災だと良いのですがね」
ふと、余りにも高い地下空間の天井を見上げた。そういえばここから遠く離れていない場所でイルミたちも地下に潜っている。彼女も俺と別れ、違う道を歩む時がくるのだろうか。
いや、それよりも今回の探索がつつがなく終わることを願った方がいいだろう。俺とノウレッジはもちろん、イルミたちも絶対に安全だとは言い切れないだろうから。
「さて、アルテミス先生――いえ、アルテさん。長い長い1日になりそうですよ」
獣たちの息遣いが耳に届く。もうすっかり慣れきってしまったこの身体は淀みなく剣を抜かせてくれた。俺が少し腰をかがめたその時が始まりの合図。
01/
口の中を流れていく真紅の血は、何処か懐かしい味がした。
仮の執務室は、クリスが行使した声による魔の力によって暴風が過ぎ去った後の如く凄惨たるものと化している。棚は粉砕され、本はそのことごとくが引き裂かれていた。床には大きく抉り取られた跡が残っており、窓ガラスは須くが木板と釘で封印されている。
そして、その一角には真新しい二つの椅子が、備え付けられていた。
室内に存在する唯一無事な調度品だ。
それぞれの椅子には聖教会のシスターであるクリスと、その主人であるヘルドマンが座していた。ヘルドマンは向かいに座るクリスへと身体を伸ばし、その指先を口に含んでいる。
「——久方ぶりですね。こうしてヘルドマン様が私の血を摂取されるのは。狂人に焼かれたときですら自力で回復されておりましたが」
クリスの呟きに、ヘルドマンは指から口を離して答えた。
「あれは言っても表層だけですから。でも今回ばかりはごほっ、内臓の三割を破壊されました。あの女、横隔膜から下の臓器を根こそぎかき混ぜてくれましたからね……げほっ」
咳を時折零しながらも、ヘルドマンは懸命にクリスの血を啜り取った。牙から直接吸血していない分、魔の力の回復効率は良くないが、それでも早急に回復しなければならない事情がある。
「しかし狂人——アルテの奴も忙しい男ですね。『直ぐに本来の肉体を送って欲しい』とはあなたのことを便利屋と考えている節があるかもしれません。今度、叱りつけておきます」
「……やめておきなさい。私は今以外にあなたの血を見たくはないわ。それに彼には大きな借りがまたできました。あの人が間に合っていなければ死していたのは赤の眷属ではなく私だったでしょう」
ヘルドマンはスカートの中にアルテを潜ませるという奇策をもって赤の眷属を下して見せた。逆に言えばそうでもしなければ押し負けていた可能性も非常に高かったということになる。彼女は改めて赤の愚者が有する力の巨大さを痛感していた。
「でも、一人殺しました。アルテのお陰でまた一つ、あの女の死へと近づくことができたのです。狂人でも結構。あれを殺せるのならばどんなものでも利用して見せますよ」
血を啜り終えたヘルドマンが絞り出すように口を開いた。ナイフで切り裂いた自身の指先を治療するクリスは何も言葉を返すことができない。
「——最近、両親のことをよく考えるんです。あの人たちはどんな人たちだったのか。どんな風に私を育ててくれていたのか。どんな愛情を注いでくれていたのか。どれもこれも全て、霞が掛かったように思い出せないんですけれども」
ヘルドマンが立ち上がる。彼女は床に脱ぎ捨てていた外套を拾い上げて袖を通す。
「明日にはここを引き払いましょう。あとのことはジョンとマリアが何とかしてくれます。エンディミオンには私がアルテの肉体を届けます。ついでにアルテミスの方の肉体も回収してしまいましょう。いくら不要品だったとはいえ、あれも聖教会の機密事項ではありますから」
02/
地下に広がる廃墟の一角。湧き水が存在しているのか、清潔な水が噴き出しているポイントがあった。
そこで俺たちはそれぞれの水筒に水分を補給したり、多量に浴びてしまった返り血を洗い流していた。
「――いくらあなたの中身が男性とはいえ、そうあっけからんと服を脱がれるとさすがに困惑しますよ」
獣の血が滴るシャツをバシャバシャと洗濯していたらノウレッジは困ったように笑っていた。一応、最低限のTPOとしトップレスにはならないように下着だけは残しているがビジュアル的にはあまりよろしくないらしい。
「でも不浄の魔獣の血をそのままにしておくわけにはいかないじゃないですか。消毒に使える酒も無限ではありませんから少しでも節約しないと」
俺の言い訳を聞いてノウレッジはあっさりと引き下がる。彼もそこまでこだわりはないのか、すぐに視線を自身の手元に向けて何か作業を始めていた。
おそらく消耗した魔導具などを点検しているのだろう。
エンディミオンを出発してはや半日。既に俺たちは、今まで二人では足を踏み入れてこなかった領域まで進んできていた。
巣くっている魔獣たちも、心なしか今まで相対してきたそれらより手強く感じる。さすがにあの二匹の大蛇ほどではないが、油断をすればすぐに四肢を切り裂かれ腸をむさぼり尽くされてしまうだろう。
ノウレッジが試験と称して俺を連れ回していた理由がよくわかる。その経験がなければ対人戦に特化しすぎた俺の戦い方は何一つ通用していなかったに違いない。
ぱんっ、とシャツから水気を飛ばし、廃墟から垂れ下がっている鉄棒に引っかける。
真下にはいつか青い少女と使った暖を取るための魔導具を設置。即席の乾燥機だ。
「思っていたよりも順調に行程が進んでいます。この調子なら明日には最深部に到達できるでしょう」
地図に何かを書き込んでいたノウレッジが喜色の声をあげる。万全の準備をしているとはいえ、この地下探索はなかなかの負担だ。それが早く終わるという見通しを告げられ、俺は素直に喜んだ。
「なら二日後にはまたエンディミオンに戻れそうですね」
ノウレッジは地図を丁寧にたたみながら「ええ」と小さくうなずく。
「アルテミス先生は――いえ、アルテさんはきっと戻ることができますよ」
何かが引っかかった。だがその違和感の正体に気がつくよりも先にノウレッジが何かを眼前に突き出してきたのでそちらに意識が集中していく。
「高カロリーの保存食です。あなたのその体はいわゆる魔導人形ですが、中の構造はヒトとほとんど同じ。最高のパフォーマンスを維持するためには食事も必要でしょう?」
ドライフルーツでも押し固めているのか、酸味のきいた甘いクッキーのような食べ物だった。しかも魔の力が込められているらしく、一口かじれば欠乏していた体内のそれが目に見えて回復していく。本当、何でも持っている未来の猫型うんちゃらのような御仁だ。まあ四次元ポケットを持っているのはヘルドマンだけれども。いつもお世話になっているヘルえもんだ。いや、ユーリッヒだからユリえもんか。
「――さて、あなたのシャツが乾くまでしばらくのんびりしましょうか。時間にして小一時間あるかないかですが、休息するに越したことはありませんから」
初めて出会ったときに感じた胡散臭さと頼りなさは残しつつ、ノウレッジは微笑む。
これが聞きしに勝る七色の愚者の一人だというのだから、本当、世界は不思議だらけだ。
もしかしたら、最終目標の赤の愚者も案外話のわかる人なのかもしれない。
03/
イルミは夢を見る。
それは少しだけ昔の話。
まだ太陽の力を操る狂人と、最愛の人と出会う前の、世界を知らない小さな人形だった頃の話だ。
「――少し野暮用ができたので、あなたはしばらくの間ここで暮らしてください。いずれ、きっと、おそらく彼が迎えに来るでしょうから」
優しげな言葉と裏腹に、たった一人の血のつながった姉はイルミを鎖で繋いでいった。しかも生半可な生き物が近づけぬよう、狼の使い魔を影に縫い付けて。
なぜ彼女がわざわざ鎖で地下に幽閉していったのかはわからない。
まあ、今でこそおかしな待遇だと感じることができるが、当時は特に感慨もなく受け入れていたのだから、イルミはその理由を追及するつもりはなくしている。
世話係には彼女を信奉していたある宗教の集団があてがわれた。
彼らは崇拝する赤の愚者の妹ということもあってかイルミのことを大層敬い甲斐甲斐しく世話をしていたが、決してその身に触れることも近づくこともなかった。
というよりかはできなかった。不可能だった。
影に縫い付けられた巨大な狼たちは、近づく生命を全て貪り尽くす呪いそのものだったのだ。
ひとたび彼女に近づいた者たちはすべからく骨のかけら一つ残すことなくこの世界から消えていった。
唯一の例外はそれこそ彼女を救い出してくれたアルテとクリスのペアぐらいである。
話を戻そう。
彼女の姉はイルミの四肢を鎖で締め上げながらつらつらと言葉を漏らした。
「あなたと彼が出会ったとき、あなたはどう感じるのでしょうね。あの月明かりの草原の下で彼を初めて目にした私のように、なんて貧相で間抜けな面構えなんだと笑うのかしら」
彼が誰のことを指しているのか、イルミにはわからない。まだアルテには出会えていない。でも今思えば、あのとき姉が告げていた人物は間違いなく最愛の男のことである。
「それとも少し前の私のように、――いえ、もうこの話はお仕舞いにしましょう。だって、もう私には彼が視えない。この世界の何処に生きているのかもわからないのだから」
ついに鎖に固定されてしまった。理由は全くもって定かではないが、イルミは囚われの身となった。
「ごめんなさい。苦しいわよね。でもこうでもしないときっとあなたはわたしのように世界中を探し続けることになってしまうから」
イルミは夢の終わりを予感する。
何故ならばこれまで見てきた同じような夢たちは大体ここで途切れていたから。
そう、彼女はここから先を観たことがない。
いつも鎖で繋がれ切ったところで目が覚めていたのだ。
だからこそ、今日は驚いた。夢が覚める気配は一向に訪れることなく、それまで観たことのない続きが再生され始めたのだから。
「私は神を殺しにいくわ。理由は至極単純。復讐よ。伴侶と娘との三人で生きていけるのならば良いと思っていたのに、臆病な神様はそれすら許してくれなかった。わざわざ私のコピーの眷属たちをけしかけて、紅蓮の業火で全部なかったことにしてくれた」
眼前の姉は――アリアダストリスは苦しげに息を一つ吐き出す。彼女の内に渦巻いている激情がそうさせているのか、滞留する赤い魔の力が震えていた。
「――あの人は娘を守ろうとして心臓を貫かれていた。娘は魂の半分を殺され尽くして、でも残されたほんの少しの力を振り絞って父の亡骸と逃げ出していたわ。たった10にも満たない小さな娘が。父親の体を引き摺っていたの」
何かの間違いだと思った。これは自身も妄想だと思い込もうとした。
だが眼前の姉から感じる殺意はあまりにも生々しく、イルミは過去を夢として観ている現実を否定することができない。
「あなたの姪――私の娘は紫の愚者に任せたわ。彼ならば上手く彼女を隠してくれるだろうから」
すっ、とアリアダストリスがイルミから一歩離れた。彼女は無言のまま、魔の力を練り上げて式を組み立て始める。あまりに複雑な術式故にその効用は全くもって不明だった。
「おしゃべりがすぎたわね。どうせすべてあなたには忘れてもらうというのに、少し感傷的になってしまったのかしら。今から護身用の猟犬をあなたに縫い付けるわ。これはあなたの原初の記憶を封じ込める封印でもある。――恨まないでね。神の目を欺くには本当の私を知っている人間をこの世界に残しておく訳にはいかないの。でもまたいつか会いに来るわ。あなたが彼とどんな道を歩んでいくのかだけは見ていたいから」
術式がイルミに流れ込んでいく。痛みはない。ただ頭の中にある何か大事なモノが押さえ込められていく感覚だけがあった。
アリアダストリスが悲しげに笑った。
「さようなら。彼を愛していた私」
体を揺さぶられる。
重いまぶたが開けばこちらを覗き込んでいる銀髪の双子の姿が見えた。
カリーシャとエリーシャは「おはよう」とどちらからともなくイルミに声をかけていた。
「ごめんなさい。寝過ぎたわ。交代の時間よね」
エリーシャから手渡された濡れタオルで顔を拭きながらイルミは起き上がる。カリーシャは「その通り」とイルミの言葉を肯定していた。
「昨日見つかった壁画の模写、アズナがほとんど終わらせてくれたよ。彼、絵が上手いから。ハンナはそれとは反対にとても苦戦していた。あれは正直何描いているかわかんないかも。――イルミはヘインと二人きりになるけど大丈夫?」
エンディミオンの生徒の半数以上が投入されているのはあらたな遺跡の発掘だった。
何でも大変貴重な太陽の時代の遺跡らしく、ロマリアーナの介入を嫌った学園が文字通りなりふり構わず発掘作業を行っている。
学生たちも莫大な報奨金が約束されているとあってか、大人しくエンディミオン側の指示に従っている状況だ。
イルミたちを含む魔導力学科の生徒たちは遺跡の壁画の記録を任されていた。
だが見つかった壁画の量があまりにも膨大ということもあってか、昼夜交代24時間で模写する羽目になっている。
こんなことなら適当な理由をつけて学園に残っておけばよかったと、イルミは若干後悔していた。
金に釣られた訳ではないが、いたずらに太陽の時代の遺跡に興味を持ってしまったのはいけなかった。
「ヘインは先に向かったから。昨日と同じ場所をお願いします」
双子たちの声を背に受けながら、イルミは持ち場に足を向ける。
魔の力で稼働する照灯が多数並べられた区域が、彼女たちの任された区画だった。
「あ、イルミっちだ。おはよう」
ふわあ、と大きなあくびをかみ殺しながら、イルミの姿を見定めたハンナが声を上げた。その横では既に模写を始めているヘインと、道具の片付けを行っているアズナがいた。
ハンナはイルミの近くに立つと、面白いものを見つけたんだ、と耳打ちを繰り出してきた。
「このへんに落ちていた本に描いてあったんだけれども、ここに住んでいた昔の人、蛆虫の湧いたチーズを食べていたみたい。文字はさっぱりだったけれど、絵が描いてあったの。すごいよね、太陽の時代。私は絶対に無理だ」
あなたでなくても絶対にいやだ、とイルミは眉を顰めた。
だが蛆虫チーズに関する何かを言葉にするでもなく、彼女はハンナに一言「お疲れ様」と告げてヘインの隣に立った。
「なんだ貴様か。早く作業を始めろ。今日中にこの一面を写し取るぞ」
「言われなくてもわかっているわ」
堅い石畳の上に腰掛けたイルミは、近くに置いてあった麻で作られた紙に、手持ちの木炭で線を走らせていく。
「だが酔狂よな。太陽の時代の人間は半裸の精密な女の絵をこうもでかでかと書き記していたのか。売春宿かなんかだったのか」
ヘインの言葉にイルミは応えない。ヘインもヘインで返答など期待していないのか、すぐに黙々と木炭を動かし始めた。
イルミはふと壁画をぼんやりと見上げた。
それの意味するところは全くもってわからないが、ヘインの言うとおり本物と見間違えんばかりのリアルな絵だった。
たぶん、それをアルテが見上げたのなら彼はこう言っただろう。
これは、映画のポスターだと。
実は一話ストックしているので、明日も投稿しようと思います。




