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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第四章 紫の愚者編
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第72話 「世界を滅ぼしたたった一人の愚か者」

 ある晴れた日の深夜、魔導力学科の面々は眉間に皺を寄せながら額を突き合わせていた。ただ格好付けの一匹狼を気取っているヘインと、普段から我が道を邁進しているイルミだけが少し離れた所に備え付けられているソファーに腰掛けていた。それでも二人の表情は顔を突き合わせている四人と同じ色を帯びている。


「——さて、年に一度の研究報告の日が近づいてきたんだけど、各々何か発表できるものはあるのかしら?」


 取り纏め役を任されることの多いハンナが重々しく切り出す。彼女の手には卒業要件が記された羊皮紙が握られていた。言わずもがな、何か学園に貢献したと見なされる功績がなければ卒業を認めないという文面が刻まれたものである、


「——僕はまだ駄目だな。筋道は見えてきたけれども、時間が足りていない。今年は研究に専念して、来年の卒業を目指すよ」


 溜息をつきながらアズナが首を横に振った。特待生じゃないから学費も何処かで稼がないとな、と己の懐事情をポツリと零す。

 その次に口を開いたのは、意外なことに普段は滅多に喋ることのないカリーシャとエリーシャの双子だった。 


「わ、私たちは提出だけはしてみようと思う。魔眼を使った魔の力の構造分析を論文にしてみたから」


「ひ、久しぶりの自信作。ノウレッジ先生からも褒めて貰ったから……」


 それは僥倖だな、とアズナは素直に祝福の言葉を口にしていた。ハンナも「そっかー、二人が卒業したら寂しくなるわね−」と微笑んでいる。ただ一人ヘインだけが詰まらなさそうに鼻を鳴らしていたが、本心ではなかったのかすぐに「それだけの大口を叩いて卒業できなければ末代までの笑いものだな」と檄? を飛ばしていた。

 イルミは難しい顔色のまま、唇だけは「おめでとう」と動いている。


「で、私はアズナと同じ。まあ、今の研究に取りかかり始めたのがイルミっちが入ってくる直前だから仕方ないか。前向きに来年こそは、と気合いを入れておくよ。——んで、さっきからふて腐れてるあんたはどうなの? ヘインは?」


 話を振られたロマリアーナの王子は「愚問だ」と語気を強めた。


「従者からついこの間手紙が来た。今帰ったら殺されるそうだ」


 意味の推し量りにくい返答にイルミが首を傾げる。それを見てハンナは「ああ、イルミっちは知らなくても当然か」と補足を口にした。


「ヘインはロマリアーナ国内に敵が多すぎてこちらに逃げてきてるの。だからこいつが卒業するのは国内の政情が好転する時か、兄弟全員が不慮の死を遂げたときだけ。ここはある意味で治外法権だから避難先には丁度良いのよね。ちなみに何年ここにいるんだっけ?」


 ハンナの無遠慮な質問にヘインはぶっきらぼうに答えた。


「五年だ。いい加減飽きたわ」


 それまでヘインのことを口の悪い嫌な奴だ、と評価していたイルミからすれば意外な背景だった。それなりに苦労はしているんだな、と少しだけ同情する。あくまで少しだけだが。


「んでイルミっちは当然まだか。まあまだ数ヶ月。焦る必要は全然ないよ。今のところ座学はほぼパーフェクトだし、実技もトップクラスだもんね。来年の今頃には余裕で卒業しているさ」


 当然まだか——その言葉にイルミはますます眉根を顰めた。

 ある意味でハンナの言葉はイルミに対する信頼の発露ではあったが、イルミはそうまで自分のことを信頼していなかった。とどのつまり、彼女の研究は何一つ進んでいなかったのである。


「——効率的な魔の力の運用を考えてみたけれど、完全に手詰まっているわ。私には時間がないのに」


 ふと思い起こされるのはアルテの顔だった。

 今でこそ新しい吸血鬼の呪いで四肢を不自由にさせているアルテだが、彼の卓越した精神力と回復力ならば一年もしないうちに完全復活するであろうとイルミは考えている。

 そうなったとき、エンディミオンで燻っている自分は不必要なものとして切り捨てられる可能性はゼロではないのだ。

 アルテが少なからず自分のことを思ってくれていることは、緑の愚者との命を賭けたやり取りの中で知ることが出来たが、だからといって安心できるわけがない。

 何せ、泥棒猫筆頭のレイチェルに始まり、彼の周りには肉食獣のような女性がうろちょろしているのだ。特にヘルドマンはアルテに何を感じているのか、必要以上にべたべたしている気がする。


「とにもかくにも私は何かしらの成果が欲しい。こういうとき、ノウレッジ先生は力になってくれるのかしら」


 これまで必要最低限の関わりしか持ってこなかった担任の名前をイルミは口にする。ただ、その言葉を聞いてアズナを初め、あのヘインですら目を見開いてイルミのことを見ていた。双子のどちらかは「え、何を今更」と口走ってすらいる。

 まさかそんなことが有るはずがないと、ハンナがイルミの両肩を掴んで揺さぶった。


「え、イルミっちてまさかノウレッジ先生になんの相談もなしに研究を進めていたの?」


 イルミは是と返す。


「ええ、講義で聞いた内容を元に、図書館と実験室で研究の方針を固めたわ。体内の魔の力を最小効率で行使する方法を模索しているの。今の私は魔力量にものを言わせて無理矢理行使しているようなものだから、本当に効率が悪いのよ」


 あちゃー、これだから天才肌は突拍子もないわーとハンナが天を仰ぎ見る。

 その横から今度はアズナが口を出してきた。


「この前、ちらりと書きかけの論文を見せて貰ったけれど、あそこまで自分一人で進めたということかい? だとしたら今すぐその論文をもってノウレッジ先生を訪ねるんだ。あの人はあんな適当な感じだけれども、魔の力の研究に関しては一千年に一人の天才だと言われている。僕たちはみんなあの先生の助言を受けて研究を進めているんだ。きっとイルミの目指しているものの役に立つと思うよ」


 そこまで来て、イルミは初めて自身が早合点をしていたことに気がついた。

 これまで学校教育を受けたことのなかったイルミは、てっきり全ての研究を自分で進めなければならないと勘違いしていたのだ。姉が研究者だったと言うこともあるのだろうが、彼女の中の探求する人のイメージは自分自身で全て完結している超人だったのである。

 教授されることはあっても、研究の助言まで頭が回っていなかった。


「——なら直ぐにあの人のところに行ってくるわ。色々有り難う。みんな」


 直ぐにソファーの脇に投げ出していた鞄を背負い、イルミは部屋を出て行った。残された魔導力学科の面々は、それぞれ困惑の色を張り付かせたまま再び顔を突き合わせた。今度はしっかりとヘインも混ざっている。


「なんかあいつ、丸くなったか? もっと俺たちに壁を作っていたと思うぞ。絶対に礼を言うようなタマじゃなかった」


「とんでもなく失礼だけれど、こればっかりはヘインに同意するよ。一緒に村落に物資を運び込むバイトをしたあたりから普通に会話が成立している気がする」


 ヘインとアズナのコメントにハンナが頷いた。


「もともと悪い子じゃないのよ。ちょっと気難しいというか世間知らずというか。根はたぶんとっても優しいと思うな」


「わ、私もそう思う。たまに話に出てくるアルテっていう人が絡んだときはとても怖いけれど」


「同意見だよ姉様。アルテっていう人の話をするときだけは目が据わってるから」


 一同、揃ってイルミが消えていったドアを見る。

 初日からオオカミを召喚してヘインを殺そうとしたイルミだったが、良い意味で自分たちに馴染みつつあるのを実感し始めていた。


「——願わくばこのまま仲良くなって楽しく卒業できたら最高なんだけどな——」


 ハンナの何気ない呟きに、その場にいた全員が頷いていた。



01/



「とうわけで来月末に僕たち講師たちの研究成果報告会があるんですけれど、アルテミス先生の進捗はいかがでしょう?」


 ん? 今なんてった?


「いやー、今年度の賞与や研究費、そもそも雇用が継続されるかが掛かった大事な報告会ですからね、いやでも気合いが入っちゃいます」


 おいおいおいおいおい、爽やかな顔で何言ってくれてんだこのイケメン。完全に初耳のとんでもない案件きたよこれ。初任者の俺はもちろんそんな報告会、全く知らなかったんだけれども。

 研究成果なんて人工吸血鬼を効率よくぶち殺しました、くらいしかないんですけどー。

 夏休み明けに自分の知らない宿題を他のクラスメイトが提出し始めたときくらいの衝撃を受けてるんですけどー。

 僕の執務室でお茶でも飲みませんか、と誘われたらとんでもない爆弾を落とされたんですけど!


「きっとアルテミス先生なら僕の想像の及ばない視点で研究を進められているのでしょうね」


 やめろ。ハードルを勝手にあげるのはやめろ。その持ち上げ方は俺の心によく効く。

 だからキラキラとした視線をこちらに向けないでくれ。ノウレッジ。

 そんな目で俺を見ないで。


「——じ、じつは何も用意してないんですよ。なにぶん初任なもので全く研究が進んでいません」


 いたたまれなくなった俺はあっさりと事情をゲロった。虚勢を張るだけのガッツがなかった。

 人間、正直が一番である。


「で、ですから今から何とかそれらしきものを用意してみます」


 なに、学生時代は得意だったよ。一夜漬け。レポートなんて当日の朝にちょちょいのちょいさ。

 ごめん、嘘。

 基本的に諦めて出してなかったよ。

 だって無理なもんは無理だもん。


「なら、私の行っている研究を手伝って、二人の共同研究と言うことで報告会に参加しませんか?」


 何も報告できる研究を持っていないということで頭を抱えていた俺に対し、ノウレッジは気の毒げに口を開いた。

 正直同情心からでた言葉だろうが、今の俺にとっては何よりも有り難い申し出だ。だって何となくで講師をしている俺がエンディミオンの知の巨人たちを納得させる研究報告なんてできるはずがないんだもん。

 だからそこから先はまさに即答。


「します! します! 何でもします! どれだけコキ使われても、何をされても我慢しますから! だからどうか見捨てないで!」


 ほぼ抱きつく勢いで食いついてしまった。だがそれだけ俺も必死なのだ。


「わっ! わわっ! そんなにひっつかないでください! 誰かに見られたらどうするんですか! ただでさえ前回の裸踊り事件であらぬ噂が立っているというのに!」


 研究者肌で非力の癖に、意外に感じるほどの馬鹿力で俺は引き剥がされた。まあ、この体とても体重が軽いからね。多分、もともとの体の三分の二くらいの体重しかないだろうし。

 ノウレッジは俺に引っ張られて乱れた衣服を整えると、咳払い一つ零して口を開いた。


「ごほん、実は私、このエンディミオンで太陽の時代に関する遺構の研究をしているのですよ。専門は魔の力を活用した様々な能力行使の研究ですが、それと平行して太陽の時代に使われていた失われた技術の研究もエンディミオンから依託されているのです。門外漢と言えば門外漢なのですが、雇われの身ですから文句は言えません」


 ならあれか? 俺が使うことのできる太陽の力を貸せとでもいうのだろうか。いや、でもノウレッジは俺の本来の姿や能力を知らないはず。

 

 ――あぶな。アルテミスの設定を忘れていらんことを口走りそうになったわ。


 呪いが届かないせいか、口が軽くなってしまっている。これはかなり気を付けなければ。

 そして俺の予想通り、ノウレッジの申し出は俺本体の能力には全く関係のないものだった。


「――あなたのその戦闘力を貸していただきたいのです。私自身、心得がないわけではないのですが、遺構の研究には危険な遺跡に赴く必要がありますから。そこで遭遇しうる魔物の類から私を護衛していただきたい。もちろん、共同研究者としてあなたを推挙する以外にも、正当な報酬をお約束します」


 素直に誠実な男だな、と思った。

 俺の足下を見て、無理矢理にでも連れて行けばいいのに報酬まで弾んでくれるという。そういう真面目なところが、エンディミオンの生徒たちに受けているのかもしれない。

 もちろん俺の返答なんて分かり切ったつまらないものだった。


「こちらこそ喜んで。精一杯努めますからどうか見捨てないでください」


 冗談混じりに差し出した手をノウレッジが握り返してくる。取りあえずは契約成立。書面などなくとも、この男が約束を違えることはないだろう。


「――ところで」


 ふと、疑問が湧いた。「これでいつもはたどり着けない深部まで足を運べる」と喜んでいたノウレッジが「なんです?」と首を傾げる。

 俺はとくに深慮も何もないままに、無遠慮に口を開いていた。


「その遺跡とやらはどこにあるんです?」


 ノウレッジの返答は至極単純なもの。


「この下ですよ。このエンディミオン自体が、太陽の時代の町の上に立っているんです。ですから地下に向かうと言うことになりますね」



02/



 何を馬鹿なことをしているのだろうと、イルミはノウレッジとアルテミスのやりとりを扉の隙間から見ていた。

 魔導力学科の面々に勧められるまま、ノウレッジのもとを訪ねたイルミが見たのは姦しい声をあげてノウレッジにまとわりつくアルテミスの姿だった。

 どこかアルテと似た何かを持つこの女。

 しかしながら正確や言動は天と地ほども似通っておらず、もしアルテとアルテミスが邂逅したら、アルテがそのまま黄金剣で叩ききってしまうくらいには軽薄な言動と性格をしていた。

 ただ、それでも完全に嫌いになれないくらいにはアルテミスはアルテに似通った部分があるのである。


「ではまた日取りの詳細を教えてください。ノウレッジ先生の邪魔をする魔物なんて全部切り捨ててやりますから」


 笑顔と仏頂面という違いはあるものの、言動はどちらも血なまぐさく物騒で。


「では失礼します。――おっと、君は確かイルミリアストリアスさんかな? どうしたの? ノウレッジ先生に用事?」


 扉の前でアルテミスとノウレッジのやりとりが終わるのをじっと待っていたイルミを、アルテミスが見定める。こちらを見下ろす鳶色の瞳は、アルテの黒い瞳と色の違いこそあれど、そこから感じられる親愛の情は確かにあって。


「まあ、いろいろと大変だろうけれども頑張ってね」


 その笑顔はいつもイルミが夢想する、アルテのそれが現実になったかのような暖かさがあった。


 結局、イルミが何か言葉を返す前にアルテミスはノウレッジの執務室から去っていった。

 彼女から感じる違和感の正体を掴みきれないまま、イルミはノウレッジの執務室の扉を叩く。

 入室を許可されたイルミは静かにそこへ足を踏み入れた。


「おっと、今度はファンタジスタさんですか」


「イルミでいいです。ファンタジスタの家名は好きではありません」


「そうですか。私はあなたにぴったりな家名だと思うのですけれど、いろいろと事情はあるのでしょう」


 言って、ノウレッジは執務室の机についた。数多の羊皮紙の書類に埋もれた、インクの匂いが染み着いた黒檀の机だ。

 イルミはそれを挟んで彼の目の前に立つ。


「私に研究の教授をお願いしたいのです。独学で進めてきましたが、壁に行き着いてしまいました」


 イルミは脇に抱えていた羊皮紙の束をノウレッジに差し出した。彼は言葉を発するよりも先にそれを受け取り素早く目を通す。


「――なるほど、魔の力の現実世界への発露に関する研究ですか。効率性を重視し、正確さと効力の大きさを追求する。良い着眼点だと思います」


 賛辞は自然と放たれていた。せわしなく動くノウレッジの瞳は、流麗な筆跡で刻まれたイルミの思考の流れを確実に追っていく。


「理論の構築は完璧だと思います。イルミさんの類希なる素質と経験に裏打ちされた美しい理論です。あなたの抱える千の魔の力は万の試行錯誤に勝るでしょう」

 

 一通り眼を通したのか、ノウレッジは羊皮紙の束をイルミに返した。それを受け取ったイルミはじっと視線をノウレッジに定めながら言葉をつなぐ。


「でも肝心の結論が見えてきません。私の中に渦巻く魔の力を効率よく行使する方法はわかりました。ですがそれは魔の力を垂れ流しているだけで、この世界に何も影響を引き起こしていない。それでは意味がありません」


 イルミらしからぬ早口で放たれた言葉はそれだけ彼女の必死さを表していた。アルテとともに生きるために、アルテとともに歩き続けるために、早急に実力を付けなければならないという焦りが彼女を突き動かしている。

 緑の愚者の時のように、二度と足を引っ張ることは許されないし、イルミは許せなかった。


「――言い換えればそれだけ継続的に魔の力を出力する事ができるということですから、研究成果としては十分すぎると思いますけれどね。これでも十分卒業が認められるでしょう。ですがあなたはそれで満足はしなさそうですね」


 言って、ノウレッジは席を立つ。

 彼は執務室の壁面に掛けられていた黒板の前でチョークを手にした。


「魔の力というのは僕からしたら願いの力です。月の世界の住人が殆ど当たり前のように行使している力ですが謎もまた多い。ですから私はそれを願いの力と定義した」


 黒板に踊る文字は「希望」


「本来私たち月の民は、太陽の下にでることができないか弱い種族にすぎません。それがここまでの繁栄を謳歌することができているのはまさにこの魔の力を行使することができたから。我々の生き残りたいという願いを、希望を叶えたのはこの力なのです」


 一度ノウレッジはイルミに振り返った。


「これを魔力と言い換える人々もいますが私は反対です。むしろこの力は魔というよりかは神が我々に与えた恩寵のようにも思います。ですから聖の力と言った方が本来は正しいのかも」


「――神とは七色の愚者のことですか?」


 イルミの疑問にノウレッジは「うーん」と唸った。


「彼らの力は確かに強大ですが、それすなわち神とは言えません。所詮彼らは強いだけの吸血鬼。神になる力も資格もない。ただし、人々の信仰を集めるものが神ならば、神とも言えなくはないでしょうか。いわゆる亜神というべきなのかも。ただまあ、彼らがこの世界に満ちている魔の力を生み出したかというと、それは明確に否定することができます」


 どういうことなのか、とイルミは視線だけで問うていた。ノウレッジは「なに、簡単なことですよ」と笑う。


「彼らが魔の力を自在に生み出すことができるのならば、序列なんてものは存在しないはずなんです。彼らの序列は魔の力の強大さに比していますからね。一位と七位の差なんて笑ってしまうくらいあるのに、七位の愚者は自身の魔の力を高めることはできなかった。其れ即ち、彼らの魔の力というものは天性のものであり、彼らが一から作り出したものではないと言うこと。ならば彼らが魔の力の創造主だとは考えにくいでしょう」


 だが、とイルミは反論する。


「すべての愚者が神でなくとも赤の愚者は? あの愚者は他の愚者をすべて束ねてもなおそれすらねじ伏せる力を持っている。それなら、赤の愚者が他の愚者に力を与えたとは考えられないのですか?」


「まるで赤の愚者を直接見てきたような物言いですね」

 

 しまった、とイルミは息を呑んだ。話にのめり込むあまりアルテにすら語ったことのないいらぬことを口走ってしまった。自身が赤の愚者――アリアダストリスの肉親であることは誰にも語ったことのない事実だ。直接的な言及はまだしていないとはいえ、知恵者のノウレッジがその事実にたどり着いてしまう馬脚を晒してしまった。

 ただイルミの恐れは杞憂に終わった。

 ノウレッジは其れ以上イルミを追求することなく、持論を述べ始めたのだ。


「確かに彼女ならば可能性はゼロではないかもしれませんね。あの愚者は明らかに他の愚者に比べて異質です。傲慢で不遜、絶対強者の彼女ですがその振る舞いや思想は謎が多い。得体の知れなさでも間違いなくトップでしょう。なら、彼女は創造神かそれに類するものの使徒でそれらの意志に即して動いているとも考えられる。つまり私の説を補正するならば、魔の力を生み出したのはこの世界の神か、赤の愚者ということに」


 イルミは黙して語らなかった。 

 それが不自然な挙動であることはわかりつつも、これ以上ノウレッジに追求されることを警戒したのだ。


「おっと、話が脱線しましたね。本題はあなたの研究の帰結に関してでした。なら私からできるアドバイスは一つです」


 ノウレッジは黒板に書かれた「希望」のワードを何度も白線で囲った。


「希望を抱きなさい。イルミイラストリアス・A・ファンタジスタ。あなたにとっての希望を思い浮かべ、それを明確なイメージにするのです。それがあなたがもっとも効率よく、かつ自然に世界に刻みつけることができる奇蹟となるでしょう」


 要領はつかめなかった。ノウレッジの言葉の意味も殆ど理解できなかった。けれどもイルミは何故かノウレッジの語る「希望」という言葉がすとんと胸に落ち着いて妙な納得を覚えていた。

 これが教授に長けた人間の言葉というものなのだろうか。

 全てを語ることはなくとも、道は示された気がした。


「――ありがとうございます。先生。また、きます」


 イルミは頭を一つ下げたあと、静かに執務室を後にしていった。残されたのはチョークを手にしたノウレッジのみ。

 彼はそれをそっと黒板の棚にしまいこむと、羊皮紙に埋もれた自身の机に腰掛けた。

 そして、イルミと――アルテが消えていった扉を優しく見つめる。


「――アリア、君は君自身の願いに絶望していたけれども、少しだけ抱いていた希望は確かに芽吹いているよ。この世界は君の庇護なしに回り始めている。なら、君が滅ぼしてしまった世界はきっと君のことを許し、君を救世主とたたえるだろう。――少なくとも僕は、君を愚か者と罵ったりはしない。その被虐にまみれた俗称は君にふさわしくないからね」     



03/



 夜明けの直前、その女は砂漠を一人歩いていた。薄汚れた麻でできた外套を身に纏い、舞い散る砂塵から身を守るためにフードを目深にかぶっている。

 彼女は時折星の位置と「腕時計」を照らし合わせながら目的の場所を探していた。


「――最後の記録が正しければ、ここにあれはあるはず」


 ふと女が足を止める。

 彼女が立ったのは何の変哲もない砂漠の海だった。

 幾臆層も積み重なった粒子が、黄土色の乾いた景色を形作っている。


「あの日、彼らはここにいた。ならば間違いなくここにあれはある」


 女は自分に言い聞かせるように、納得させるように何度も言葉を呟いていた。だがそれも長くは続かず、やがて膝を折り、その白い手を冷たい砂の中へと埋め込む。


「私たちの最後の「希望」 されど、顕現してしまった絶望はここにある」


 女が手先に魔の力を送った。それは世界をスカーレットに塗りつぶす鮮血が如き赤で、その質量は世界を壊すには余剰すぎるもの。


「ようやく時はきた。ならば私たちが必死に世界から隠し続けてきたお前にもようやく出番がきたんだ」


 砂嵐が巻き起こる。自然に発生する砂嵐とは違い、局所的に真上へと吹き上がる極大の砂嵐だ。巻き上げられた砂の粒子は成層圏外へと追放され、二度とこの星に戻ってくることはない。


「――ああ、ただいま。やっぱり君たちはあの日のままここにいたんだ」


 ぱらぱらと、幾分かの砂が彼女の足下に落ちたとき、世界の光景は一変していた。

 視界を埋め尽くしていた黄土色の海は灰色の海に変化していた。莫大な量の砂は全て空の向こう側へと吹き飛ばされ、その下に埋もれていた構造物が姿を現していたのだ。


「紅い海と呼ばれたここも今となっては砂漠のど真ん中。けれども極度に乾燥した気候が君たちを時間の経過による崩壊から守り通した。中々どうして、世界の気候分布の変化も無碍にはできないな」


 ふっ、と女は足に力を込めた。そして軽やかに跳躍を見せ、ざっと一キロほど前方に飛んだ。文字通り、飛び上がった。

 眼下を数多の灰色の瓦礫が通り過ぎ、その中でも一際大きなそれに音もなく着地。


「何年ぶりかは忘れてしまったよ。でもこの感触は覚えているよ。『バラク・オバマ』」


 彼女の顔を隠していたフードはいつの間にかはだけていた。登り始めた黄金色の朝日に照らされて、月のような銀色の髪が風に揺れた。血よりも赤い瞳が足下の青黒い「アスファルト」を、そして周囲に鎮座するフネたちを見た。


「そこにいるのは「あかぎ」 君は「グラーフ・ツェペリン」 あれは「アドミラル・コロリョーフ」かな。「鎮遠」も「アルジュナ」も「サンソン」もいる。本当にあの時のままだ」


 ふらりと彼女はその場に腰掛ける。


「原子力空母4隻と原子力潜水艦2隻、通常動力空母8隻を連結させて電力を吸い出すなんて今思えば私も浅はかだったか。だがそうしなければ私たちはただ滅びを待つだけだった」


 彼女は、アリアダストリスはそっと手を甲板の上に置いた。遙か昔の記憶を頼りに、それらへ語りかけるべき言葉を紡ぐ。


「アクセスコード:オペレーションメサイア。管理者番号0721001。検索:デウス・エクス・マキナ オルタナティブ」


 瞬間、足下の遙か下で何かが動いた。

 それは大地そのものを揺るがす振動となって、世界に轟音を刻みつける。

 アリアダストリスは船体を傾斜させ、横転しつつあった「バラク・オバマ」から飛び降りると、「真下」からせり上がってきた円柱状の構造物に足をつけた。


「――驚いた。永久電池とはいえ、まだ電力を持っていたのか。最悪、黄色の奴を無理矢理にでも連れてこないといけないかと考えていたけど何とかなるかも」


 円柱が制止したのはそれから数時間経過した頃だった。

 すっかり日がの昇りきった砂漠のど真ん中に、直径二キロ、高さに至ってはどれほどのものかはかり知ることもできない柱が出現していた。

 アリアダストリスはその頂上で、眼下に広がる砂漠を見渡していた。


「本当に海そのものが蒸発してしまったのか。外海は無事とは言え、あの人の故郷はその姿をとどめていないだろうな。どうしよう、もしその事実を伝えたら嫌われちゃうかな」


 ぱたりと仰向きに倒れ、円柱の頂上部分の中心でアリアダストは空を見た。成層圏が近いのか、世界はダークブルーに染まっている。


「いや、もともと好かれてはいなかったのかな。あの子がいなければ破綻してたからなー、私たちの関係。でももうわかんないからいっか。今はあいつを殺すだけだ。それさえやり遂げれば、あの人はこの世界で生きていける」


 紅い瞳を閉じ、意識を微睡みの中に追いやる。

 眠気は全く感じないのに、今は少し眠りたかった。


「愚者は愚者らしく最後までピエロであれ。あの人のことは賢者のノウレッジが上手くやってくれる。私は愚か者らしく道化を演じて見せようじゃないか」


 アリアダストの世界には誰もいない。誰も存在していない。ただ一人、円柱のど真ん中で彼女はいよいよ夢に身を任せていった。 

割と核心に近づきつつあります。

気力の続く限り更新できたら幸いです。

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