第70話 「TS乙女ゲーではありません」
次に目が覚めたとき、俺は森の中にいた。
まだ夢から目が覚めていないのか、と周囲に視線を巡らせてみれば微かな血の臭いを鼻が捉える。
吸血鬼ハンター故の性か、慌てて飛び起きれば、少し離れたところに鹿の死体を見つけた。
全快とは言えない体力を総動員し、そこへ這うように辿り着いてみる。
鹿の死体は内臓を抜かれ、丁寧に氷の上に安置されていた。皮も肉から切り取られているのか手に取ってみれば直ぐに剥ぎ取ることが出来た。
しかも氷の傍らには、ご丁寧におれが地下水脈に持ち込んだ荷物まで置かれていた。
もちろんライター代わりに使うことの出来るあの石まで。
「……喰えって事なのか?」
独り言に答える者は誰もいない。微かに魔の力の残滓を周囲から感じることが出来るものの、地下洞窟で出会った少女——ティアナは姿形も見つけることができなかった。
多分、何らかの方法で眠りこけている俺と共に脱出を果たした後、用はもうないと言わんばかりに何処かへ立ち去ったのだろう。
そういう性分の少女だったと、俺は変な納得を覚えた。
「でも食料を残して行ってくれたのは助かる」
一応目が覚めたとはいえ、体力はほぼ底を尽き歩き回ることができるまでそれ相応の時間が掛かるだろう。携帯食料も乏しい中、貴重なカロリー源になりうる肉を残して行ってくれたことは本当に有り難かった。
「また何処かで会えるかな」
鞄に入れていたナイフで肉を削ぎ、発熱の魔導具に翳して火を通す。
これを食べてもう一眠りすればそれ相応に体力が回復する筈だ。
水も気を利かせてくれたのか、鞄の中に入れてあった小さな水筒に汲み取ってくれていた。
何処までも辛辣で冷徹で冷たい彼女だったが、その奥底にある優しさだけは本物だったように思う。
「……さて、火だけ炊いてもう少し寝るか。明日には山を下りて、調査隊に合流しよう。で、ヨルムンガンドがいなくなったことを伝えて、エンディミオンに帰って、のんびり過ごすんだ。もう暫くは出張はいらないや」
手頃な気の幹に背中を預け、瞳を閉じる。
なんだかここ最近眠ってばかりだが、今はどれだけ寝ても寝たりない気分だ。
睡魔は直ぐに訪れる。
手に入れたカロリーをフル活用しようとしているのか、脳みそが早々に意識を手放そうとしているようだった。
でも今はそれすら生に対する実感のように思えて、あらがって見せようとはこれっぽっちも思わない。
ただ、ティアナに礼を告げる事が出来なかった事だけが気がかりだが、この世界で生きている限り再会の機会はいつか訪れるだろう。
誰かが思っているほど、この世界は冷たくはないはずだから。
01/
「……眠ったか」
木の幹にもたれ掛かり、規則正しい息を吐き出しながら睡眠を取るアルテミスをティアナは見下ろしていた。
もう自分が見守る必要はなくなったと、溜息を一つ吐く。
何だかんだ行って随分としぶとい性分の女のようだから、ここから先は一人で元いた場所に辿り着くことができるだろう。
森にいた魔獣は文字通り皆殺しにしてきたものだから、何かに襲われる心配も必要ない。
似合わないことをしてしまったと、自己嫌悪で後頭部を掻きむしるがふとその手が止まる。
それは今まで気がつかなかったある一つの事実に思い至ったから。
「あ、そうか。あの人は私に対してこんな気持ちだったのか。成る程、呪いを刻んで生き残った獲物が気に掛かるのはこういうことだったのか。ならばこいつは私にとっての唯一の眷属というわけか」
合点が言ったと、ティアナは自己嫌悪に歪んでいた表情を少しだけ緩める。
そしてアルテミスに目線を合わせるようにその顔を覗き込んでいた。
「……あんたがもし私の復讐を手伝ってくれるのなら、私が手を焼いてやった甲斐があるというものなんだけれどね」
言葉はそれだけだった。
そこから先、ティアナは無言のまま魔の力を体内に巡らせて、彼女のみが使うことの出来る外法を起動する。
まさしく世界の理から外れた力は音も光もなく、ティアナをその場から消し去って見せた。
彼女が世界の何処に跳んだのか、知る者はティアナ本人だけ。
すやすやと眠りこけるアルテミス——アルテもそんな小さな世界の変化についぞ気がつくことはなかった。
02/
あれからの話を少ししようと思う。
体力も回復し、何とか歩けるようになった俺が、調査隊の拠点まで何とか辿り着いたあとの話だ。
ぶっちゃけた話、俺のことは生死不明かつ行方不明と言うことで処理されていた。
ヨルムンガンドの脅威性故、俺の捜索隊を結成することは適わず、あと一日遅ければ俺は死んだものとして調査隊は本国に帰還していたらしい。
確かにあんな化け物蛇がいつ拠点を襲うのかわからない以上、長居する選択肢はあり得なかったのだろう。
と言うわけで殆どギリギリのタイミングで俺は調査隊と無事に合流することが適ったのである。多分、置いて行かれていたらかなり長い間、一人で森を彷徨っていたかもしれない。
武器や防具は全て洞窟に置いてきてしまったのだから、素手で森の魔獣と殺し合うとか最悪すぎる展開だった。
まあ、偶然というか幸運と言うべきか、拠点に辿り着くまで魔獣達と出会うことはなかったのだけれども。
「——で、これがあの大蛇の死体ですか。見事な切り口ですが、これはあなたが?」
拠点に合流して僅か一日。
俺は地下洞窟に潜入したメンバーともう一度同じ場所を訪れていた。目的は事の顛末の確認と、俺の装備の回収である。
ヘルドマンから借りたあの剣や装備はそれなりのお値打ち品だと思われるので、放置するのが忍びないという何とも情けない理由があるのだけれども、ブラフマン達には愛用の装備だから取りに行きたいと説明しておいた。最初は行き渋っていた彼らだが、蛇を殺したことを伝えると半信半疑でついてきてくれたのだ。
そいでもって、調査隊全員で首から先がちょんぱされた蛇の胴体を見上げているのである。
巨大な頭は地下水脈に流されたのか、それともティアナが回収したのか何処にも見当たらなかった。
あれだけ洞窟中を覆っていた氷も、ティアナが離れた所為か影も形も消えていた。
「まあ、そうですね。詳細は話せませんが私の使うことの出来る技の一つが通用しました。運が良かったのでしょう。二度目は多分死ぬと思います」
ティアナのことは伏せたまま、俺はブラフマン達に事の顛末を説明する。
何やら訳ありな事情がありそうな彼女だったので、その存在は誰にも告げていない。おそらくそれが、俺のすることができる唯一の恩返しだろうから。
「今更あなたの技量を疑うわけがありませんが、しかしこれは神殺しにも等しい偉業ですな。ま、何はともあれあなたが無事で良かった。もしもこの大蛇にあなたが呑まれていたら我々は一生、仲間を見捨てた業に苛まれていたでしょうから。例え兵団を救うためとはいえ、直ぐに撤退をすると決断したことを未だに恥じ入るばかりです」
いや、さすがにあの化け物相手に逃げだそうとするのは至極当然のことだろう。
組織の一員である人間ならば尚更だ。
下手な蛮勇を繰り出していたら、調査団全てが大蛇の腹の中という未来だってあり得たのだから。
「いや、本当に運が良かっただけですよ。あなた方の決断は正しいと思います。とにもかくにも、これだけ巨大な魔獣が巣くっていた事実と、ここ最近の村落に対する魔獣被害の関連は本国及びエンディミオンに報告する必要がありますね」
あくまで推測だが、森の魔獣達が活性化し、周辺の集落に被害を出していたのはこいつらが原因なのでは? と思う。こいつらが餌を森から確保する以上、魔獣達がその脅威から逃れようと麓の村々に侵入するのは至極当然なことだからだ。
噂されていた青い吸血鬼もティアナのことで、たまたまこの周辺で活動していた彼女が誰かに目撃されていたのだろう。
「私も同意見ですな。幸い調査団も殆ど撤収準備を終えているので、今日の日没を持って出発しましょう。本格的な調査はこの話をそれぞれ持ち帰ってからでも遅くはありますまい」
というわけで、あれだけの激闘が嘘のように俺のエンディミオンへの帰還は為った。イルミちゃん達のような、復興支援のために滞在していた学生達も帰路を共にすることが決定し、行きと同じ規模の馬車で道を辿る。
唯一行きと変わっていたのは、馬車の中の雰囲気だろうか。
誰かが持ち込んだのか、特上の酒の瓶が空けられ宴会状態と陥ったのである。
あれだけぴりぴりとした雰囲気を醸していた執政官が別の馬車に乗り込むことになった故の狼藉だ。何でも俺と同じ馬車は勘弁願いたいとブラフマンに漏らしていたらしい。ブラフマンもこれ幸いにと俺と執政官の搭乗する馬車を分け、地下洞窟の調査に向かった部隊だけで馬車を占拠することに相成ったのだ。
「では我らが剣の女神に乾杯!」
照れくさい称号を声高に叫んだブラフマンの声が始まりの合図。杯に並々と注がれた赤い美酒を皆が一気に呷った。
「でも本当に凄いですね。あんな怪物を一人で討伐してしまうなんて。あなたは我が祖国の誰よりも優秀な剣士です。もしかしたらあの最上位に匹敵するやも」
若い兵士が真っ赤にした顔で賛辞を口にしてくれる。その瞳にははっきりとした憧れが宿っており、何とも心地の良いものだった。
ただ比較対象に上げられている『最上位』というのは初めて耳にする単語だ。多分その腑に落ちていない心境を悟られたのだろう。俺の横に腰掛けていたブラフマンが酒臭い息を吐き出しながら『最上位』とやらについて語ってくれた。
「『最上位』っていうのはロマリアーナ最強の武人に与えられる称号であります。当代で丁度十代目。しかも初の月の民出身と言うことで民草からいたく人気があるのですよ。先代まではみな亜人や吸血鬼ばかりでしたからな」
ん? とすればロマリアーナを拠点にしているという黄の愚者は別枠ということなんだろうか。さすがに愚者の一人に数えられる人間がロマリアーナの強さの序列に食い込めないというのは不自然だ。
ただその疑問を口にする隙は与えられなかった。
何故なら周囲の兵士達が、空になった俺の杯に次から次へと酒を注いできたからだ。
この世界に来て誰かにここまで歓待される経験がなかった俺は、調子に乗って注がれるままに酒を飲み干した。
仮初めの肉体がウワバミだったのもいけなかった。
ヘルドマンに似た体質なのか、どれだけアルコールを取り込んでも気分が悪くなることがなく、ただただ気持ちがよくなっていった。気が大きくなった俺は周囲にいた兵士達と大いに語らい、騒ぎ、浮かれまくった。
そして自意識が途切れる。
次に目を醒ましたのはエンディミオンに送り届けられてからで、何故か麻で出来た縄で縛り上げられていた。
出迎えてくれたのは魔導力学科のノウレッジ先生で、彼は戦々恐々とした風に俺の縄を解いてくれた。
「いいですか! 絶対に脱いだり暴れたりしないでくださいね!? 暑いからって脱ぐのは絶対にやめてください! もしそんなことをされて、この光景を誰かに見られたら僕がここをクビになってしまうんですからね! 裸踊りは芸でも何でもなく、ただの痴態ですから! とくにあなたみたいな実力者が脱ぎ出すと、服を着せるのも大変苦労するんですからね!」
おぅ。
意識がないときの俺は一体何をしでかしてしまったのだろうか。
気の良い調査隊の面々に麻縄を持ち出させるくらい大暴れしてしまったのだろうか。
まさか、前の世界にいた頃に襲名していた裸王の称号を取り戻してしまったのだろうか。
縄を解き終わったノウレッジ先生も青い顔をしていたが、俺はさらに青い顔をしていたと思う。
ついでに遅れてやってきた頭痛に苛まれて、ふらふらの身体に何とかむち打ちながらノウレッジ先生に向き直った。
「——今日は休みます」
「是非そうしてください」
まさかの即答である。
相当俺のやらかしを聞き及んでいるのか、心なしかちょっと距離を取られているし。
冗談のつもりで口にした言葉だが、どうやら有言実行した方が良いらしい。俺は頭痛を抱えた頭を一つ下げると、覚束ない足取りで自室を目指した。
森の中から拠点に辿り着いたときよりも、こちらの方が気が重いとは本当に人生よくわからないものである。
01/
怪物殺しの勇名はあっというまにエンディミオンを駆け巡った。
何処からか話が漏れたのか、行きゆく先々で地下洞窟での戦いの詳細について問われ、英雄譚を請われた。
このムーブメントは学生よりも、教授陣が顕著だったように思う。
とにかく地下洞窟で相対した大蛇——ヨルムンガンドの詳細を求められるのだ。死体の一部分は持ち帰ってきただろうに、やはり生態が気になるのか生きていた時の動きをとにかく彼らは聞きたがる。
毒は持っているのか、視力は有していたのだろうか、嗅覚は、鳴き声は、と。
多分、それらに律儀に答えすぎたのだと思う。
殆ど前の世界にいた蛇と同じような生態を持っていたものだから、それなりに見解を述べることが出来てしまった。
こいつ、思っていたよりも情報を持っているぞ、と周囲に悟られた俺は空きコマさえあれば質問攻めを受けるという状況に陥ってしまった。
こちとら慣れない授業準備だってあるというのに、まさにてんやわんやである。
良くも悪くもエンディミオンに馴染み始めた毎日に、俺は少しずつ埋もれていった。
ただ、いつかの血生臭い日々とは違った日常は居心地がよく、もう暫くならばこんな生活も悪くないのではないか、と思えるようになっていた。
だからこそ、あんな事件が起こるとは夢にも思っていなかったのである。
02/
彼はロマリアーナの青年将校として、つまりエリートとしての期待を一身に背負い、本国からエンディミオンに派遣された学徒の一人だった。
将来は将官として部隊を率いることを約束された彼は、ごく当たり前にエンディミオンで繰り広げられる教育活動に飛び込んでいった。
図書館に通い詰めては古今東西の軍略を食い散らかし、あらゆる魔の力を使った学問に触れて自身の教養を深めていった。魔獣を研究している科があると聞けば、その生態を丸暗記し自身の手帳へと事細かに見解を刻み込んでいく。
明け方、就寝前には厳しいトレーニングを己に課し、軍人としての健全な肉体を養うことも忘れなかった。ともすれば本国の軍人達よりもハードな負荷を己に課し、肉体を磨きに磨き抜いた。
事実、そんなストイックな生活を続けていた彼の身体は鋼のように引き締まり、女生徒だけでなく男子生徒ですら羨望の眼差しを送るほどである。
だからこそ、そこまであらゆる分野に食指を伸ばし、自身の糧としている彼がその講座に惹き付けられたのは当然のことだった。
ロマリアーナが近い将来に設立を企てている対吸血鬼の部隊研究の先駆けとして開講された対吸血鬼講座。
決して数の多くはない吸血鬼ハンターを講師に迎えて、実戦的な戦いを享受してくれる戦闘講座。
申し込みはあっという間に終わらせた。
ただ、講師の人間が女で奴隷の出であるという情報がもたらされたとき、彼は一抹の不安を抱いていた。出身や性別で人を侮ることが愚者のすることであることくらい理解は出来ていたが、それでも先入観というものはぬぐい去ることができず、果たして本当に為になる、身になる教授が成されるのか疑いを持っていた。
もちろんそんな疑念は彼だけでなく、受講を申し込んだ殆どの人間が抱いていたことであり、彼が特別愚かなわけではない。むしろ彼以外のロマリアーナから派遣されてきた人間達は完全に講師のことを出会う前から舐めきっており、疑念程度で踏みとどまっている彼は特別聡明といえた。特に学生のリーダー格の者達が率先して講師の無能さを吹聴して回っているものだから、そんな風潮は仕方がないことだった。
そして運命の日は予定通りに訪れる。
あらかじめ決められていた開講日の、指定されていた時間帯、定められていた場所。
そこでまさしく彼は運命に出会った。
一目見たときに抱いた感想は美しいな、というものだった。
月夜に光る濡れ髪はもちろん、陶器のように白い肌、鍛え抜かれたレイピアのように細くしなやかな体躯と本当に美しい女だった。
しかしながら感想はそこまで。美しいには美しいが、特にそれ以上心を動かされることはなかった。数多くとは決して言えないが、彼はその出自と身分故にそれなりに美人を目にしてきた人間である。
まあ世界にはこれくらいのレベルならいるだろうと、すぐに容姿に対する興味を失っていた。
むしろ、そんな細くやわな肉体で本当に吸血鬼ハンターなのだろうか、という疑念をますます強めていた。下世話だとは理解しつつも、エンディミオンの関係者をハニートラップで嵌めたのではないか、という疑いすら持っていた。
そんな彼の認識はリーダー格の人間が女に詰め寄ったとき、唐突に終わりを告げる。
例え身の上が怪しいとはいえ一応は目の上である講師に無礼を働く学友を諫めなければ、と青い正義感が思考を塗りつぶしていたからだ。
事実彼は学友を講師から引き離すために一歩前に踏み出していた。
「剣の扱いの講義が詰まらないということで題目を変更しようと思います。思えば初回ですから楽しい講義の方がいいですよね」
ふと女の声が聞こえる。
容姿だけでなく、その声も耳を蕩かしそうな甘い音だった。
「配慮が足りず申し訳ありませんでした。これより剣を使った吸血鬼退治をレクチャーします」
いつの間にかホムンクルス——人造吸血鬼が起動していた。生物兵器への転用すら考えられている強靱な人造生物だ。それらが女に襲いかかったとき、彼はまさしく死の幻覚をはっきりと見ていた。
03/
死の幻覚を見たその刹那、彼は地面に打ち据えられていた。
そして馬乗りにこちらにのし掛かる女と目が合う。
「? あら、君らしくない隙でしたね。今のは。体調でも悪いんですか?」
小首を傾げる女——アルテミスに対して彼は首を横に振って謝罪を口にしていた。
「いえ、少しばかり先生とお会いしたときのことを思い出しておりました。このヴォルフガングの油断をお叱り下さい」
アルテミスは手にしていた短剣を鞘に戻し、彼——ヴォルフガングから身体を離す。今彼らはエンディミオンに備え付けられた訓練場で相対していた。
「ええぇ……、まさか組み手の最中にそんな恥ずかしい思い出を振り返られるとか正直かなりショックなんですけれど。自分でもあれは大人げなかったな、と最近は思うようになりましたし」
「はい、全ては私の未熟さ故です。ですのでそのような無駄な思考を抱けぬよう、徹底的にしごいて下さい」
「——うーん、本当は一人一人交代で組み手をする予定だったんだけれど、君以外はダウンしているし別にいっか。うん、いいよ。かかっておいで」
アルテミスが周囲を見渡してみれば、そこには死屍累々といった体で対吸血鬼講座を受講している生徒達が転がっていた。意識は何とか保っているものの、皆が皆アルテミスに投げ飛ばされ打ち据えられた結果、指先一つ動かすことができないほど疲弊していたのだ。
唯一の例外が未だに自分の足で立っているヴォルフガングなのである。
ちなみにイルミはもう動けないフリをしてじっとそんな二人の様子を伺っていた。
「ご指導痛み入ります。では、いざ」
刃を潰した剣を携え、ヴォルフガングが突進する。鋼のように鍛えた剣撃は吸い込まれるようにアルテミスに向かっていった。
ただそれは彼女がヴォルフガングの腕をするりと巻き取ることで、あらぬ方向に反らされてしまう。
「くっ!」
「はい、実戦ならば今のカウンターで腕をもぎ取られます。あいつら吸血鬼はクッキーを砕く感覚でこちらの肉体を破壊してきますからね」
アルテミスががら空きになっていたヴォルフガングの脇腹を拳で打った。相当手加減されていなければこれでも内臓が破壊されて死に至っていただろう。
「でも速度はなかなかのものがありますし、度胸も十分。いいですね、私好みのスタイルです」
何度も肉を撃たれながら、ヴォルフガングは何とかアルテミスに食らいついていく。少しでも引き離されれば失望されてしまうと言わんばかりに、執念で肉薄していく。
「けれどこれ以上は明日以降に響くので、ここいらで終わりですね」
ふと視界が天を向いた。
投げられたのだ、と理解したのは背中に突き刺さる大地の衝撃があったから。
いつかの焼き直しのように、アルテミスがヴォルフガングの堅い肉体の上に座り込んだ。
「……では今日はここまで。各自のんびり身体を休めて、明日以降に備えましょう。次の授業は二日後です。座学を行いますから、翡翠の講義室に筆記用具を持って集合して下さい。では解散」
アルテミスがヴォルフガングの上から立ち上がる。
ふと彼の巌のような手がアルテミスの腕を掴んでいた。
あら、まだ諦めがついていないのか、と駄々っ子を見る母親の眼差しを受けてしまう。
しかしながら全身を打ち据えられた痛みと熱に浮かされた彼はそんな視線なんてどうでもよかった。ただ本能の赴くままに、これまで少しずつ醸成し育て上げてきた思いを口にしていた。
それは周囲で何とか起き上がろうとしていた全ての受講生を石像に変えてしまう、破壊力抜群の言葉。
「アルテミス先生」
「はいはい、何でしょう。先生このあとノウレッジ先生と飲み会なんですけれど」
ノウレッジ——という軟派な講師の名前を聞いて最後の堰が壊れた。
彼の、ヴォルフガングの馬鹿真面目な気性が全てをぶち壊した。
「お慕いしています。アルテミス先生。いつかあなたのお眼鏡に適う日が来たらあなたに私の妻になってもらいたいと思います。必ずや強くなり、あなたを超えて見せます。ですからどうか、その日まで待って貰えますか」
大馬鹿野郎による大馬鹿野郎への魂の告白だった。
04/
ぼくアルテミスちゃんことアルテくん。
異世界に来て初めて告白してきたのが、筋骨隆々の闘いの化け物みたいな男だったんだけれど。
金髪を角刈りにして彫りが深いイケメンで、高身長高学歴高身分の乙女ゲーみたいな男だったんだけれど。
嘘やん。
うそやん。
うそやって。
嘘と言ってお願い神様。
別作品でTS恋愛は取り扱っていますけれど、本作品はそこに着地点など一切存在しないので念のため。
同性愛的展開はないです。念のため。
 




