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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第四章 紫の愚者編
71/121

第69話 「青く気高き氷の女王(ツンデレ)」

 口減らしで死にかけた貧相な餓鬼。


 それが私を正しく表す言葉だったように思う。

 特別な力など何もなく、ただ飢え死ぬのを待つだけの弱者。

 親に捨てられ村に捨てられ、生きる道をなくした子ども。

 ふらふらとあちこちを彷徨い、最後に辿り着いたのは谷の奥底にあったとある神殿。

 誰もいない廃墟かと思えば、その最奥には傷を癒やす吸血鬼がいた。

 ある狂人に斬られたと自嘲するその人はある気まぐれをみせた。

 

 たぶん、参っていたのだと思う。

 世界最強の一角なのに、何の因果かただの人間に斬りつけられた自分に嫌気が差していたのだろう。


 彼は私の血を吸った。

 死にかけでたいして美味くもないだろうに私の血を吸った。

 そして呪いを刻みつける。

 絶対に定着せず、私が狂い死ぬことを知りながら。


 ——でも運命は成就しなかった。


 この世界、以外と想像がつかないことばかりだ。

 私は生き残った。

 呪いによる回復力でやせ細っていた四肢に力が戻る。 

 そして与えられた力を自覚する。


 多大な魔の力を必要とする代わりに、何処へでも跳んでいける自由を私は手に入れた。


 手に入れたのは空間を跳躍する力。

 思い通りに世界を行き来する外法。


 ティアナ・アルカナハート。


 私はその日、初めてこの世界というものが存外面白いものだと歓喜した。



 01/



 何れ水の流れが収まれば何処かに浮かび上がるか打ち上げられる。

 外気に触れることさえ出来れば、空間転移を使って洞窟から脱出。

 それがティアナの描いていた生き残るための道筋だった。

 ヨルムンガンドの奇襲を受けたことは想定外だったが、水の中に落ちたこと自体にはそこまで危機感を抱いていなかった。

 並の月の民ならば絶望の中で死ぬだけでも、彼女は普通の月の民ではない。

 最早月の民の枠組みを超えて、吸血鬼となりつつある彼女。

 数時間呼吸を止めてさえいれば、何処か外気と触れあうことの出来る空間に流されて、あとは自身の呪いの力を行使するだけだった。

 だからふと目が覚めたときも、ようやく終点まで流れ着いたのかと暢気なことを考えていた。

 ただ、


「……なんでこいつまで流れてきてるわけ?」


 ティアナが流れ着いたのは、縦横二十メートルほどのスペースで形作られた空間だった。流水で鍾乳石が削られた後に、何らかの作用で水が引き形成されたのだろう。幸い空気もあり、魔の力も僅かばかり存在していた。

 もしかしたら、何処かの裂け目が外界に通じているのかもしれない。

 そんな空間の岸に横になっていると気がついたとき、ティアナはふと横を見た。

 するとぷかぷかと水辺に浮かぶ土左衛門——水死体もどきを見つけたのである。

 うつぶせに浮いたそれを引き上げてみれば、間違いなく先ほど気まぐれで共闘した女剣士そののものだった。


「何? あんたまで水に落ちたの?」

 

 べしゃっ、と岸の上方に放り投げる。

 それなりの衝撃があっただろうに、女剣士はぴくりとも身動きを取らなかった。


「バカみたい。折角助かったのに、こんな間抜けな理由で死ぬなんて」


 侮蔑したように足で踏みつける。仰向けに転がしてみれば、一切口元が動いておらず呼吸が停止している様子が覗えた。


「剣も捨て、鎧も外して、何? あの激流を泳ごうとしたわけ? 本当に間抜けね」


 足で何度も胸を踏む。

 しかしながらどれだけ身体を揺さぶられても、剣士は応答しない。


「本当——、間抜け……」


 足が止まった。ティアナが数瞬身動きを止める。

 ただ、その瞳だけがせわしなく中空をうろうろしていて。


「————ああもう! 何であんたが飛び込んできてんのよ! 私なんか助けようとするから死ぬんでしょ! ほんとのほんとにこんな間抜け大嫌い! アキュリスみたいにどうせ死ぬなら武人みたいに潔く死ねば良いのに!」


 剣士を片腕で抱き起こす。

 そしてその小さな口に手をねじ込んで空気の通り道を確保。


「あんたなんか、助けるんじゃなかった!」

 

 言って、思い切り息をそこから吹き込んだ。

 続いて中に入った水を少しでも吸い出していく。

 それを何度も何度も繰り返した後に——。


「これで助からなかったら、本当に殺してやるから!」


 胸に手を当て、魔の力を集める。

 既に止まった心臓をたたき起こすように、魔の力を注ぎ込み、

 最後に思い切り、下がったままの肋骨をぶっ叩いてやった。



02/



——そう。剣はそうやって振るの。まあ、あなたが戦うことはないでしょうけれども、領主の夫たる者、少しくらい武芸に長けていたほうが様になるわ。


 誰かが微笑んでいる。


——ねえ、あなたはもとの時間軸に戻りたいと思う? 元の平行世界に戻りたいと思う? 普通の大学生として、コンビニバイトとして毎日を生きていた時が恋しい? あなたをこちらに引きずり込んだ私を憎んでいない?


 誰かが不安げに問いかけている。


——この世界は神に支配されている。いつかの時代の人間が作り上げた機械仕掛けの神に。でも、そうね。あなたとこうしてのんびり過ごしていると、別にそれでも良いかと思えてくるわ。本当、信じられない。少し前まではあれだけ神を殺すことしか考えていなかったのに。


 彼女が優しく微笑んでいる。


——ねえ、○○。とっても大事な話があるの。あなたは私の事を許さないかもしれないけれど、今だけは落ち着いて聞いて欲しい。……私、妊娠したわ。紛れもなくあなたの子どもを。絶対に無理だと思っていたのに、同一存在同士、交配なんて不可能だと思っていたのに、確かにこの身体には新しい命が宿っている。私は、私はどうなってもいい。あなたに殺されても良いと思う。でも、それでも、この子だけはせめて産ませて欲しい。この子だけはこんな世界でも、こんな終わりが見えている世界でも生きていて欲しいの。


 彼女はいつの間にか母になっていて。


——ああ、そうか。これがあいつの選択なのか。私はやっぱり神を殺すべきだった。あいつを野放しにしたばかりに、君とこの子は殺されたのか。


 紅蓮の炎の中、彼女は壮絶に笑って。


——今日から君はもう私とは何も関係のない月の民だ。あの子も何れ、何処かの街で何も知らずに生きていくだろう。もう私は迷わない。もう私は惑わされたりはしない。奪われたものを取り戻すために、神を殺しに行くよ。——ただもし願うのならば、もし君が私を許してくれるのならば、その時はその黄金の剣を携えて私の手を取って欲しい。たぶんそれで、すり切れた私の魂は救われるだろうから。


 いつかの綺麗な満月の日、彼女は姿を消していた。



03/



 視界が急速にピントを結んでいく。

 ぼやけ、微睡んでいた思考もそれに引きずられるようにハッキリしていく。

 

 最初に見たのは、こちらを睨み付ける青い瞳だった。


「——あきれた。鼠みたいな生命力ね。まさかあれで本当に生き返るなんて。それとも紫の奴に教えられた蘇生術が役に立ったのかしら」


 何か夢を見ていた気がした。けれども内容が全く思い出せない。

 ずきずきと痛む頭を押して起き上がってみれば、隣に立っていた少女が何かを投げて寄越してきた。


「一応の保存食よ。私はともかく、人間のお前は必要でしょ」


 布にくるまれたそれは乾燥させた果物だった。水に濡れてふやけてはいるが、噛めば確かな甘みを舌に伝えてくれる。


「——ありがとう。君が助けてくれたの?」

 

 状況的にほぼ確定的だろう。格好つけて飛び込んだまでは良かったものの、俺は全く泳ぐことが出来なかった。不慣れな身体ということもあったのだろうが、何よりあの流れは人が泳いで良いものではない。

 大方意識を失ったまま流れ着いた俺を解放してくれたのだ。この少女は。


「ただの気まぐれに礼を言わないで。不愉快だわ。殺すわよ」


 おぅ。


 取り付く島もない。ツンデレとかそんなものを通り越して普通に殺意満点である。

 まあ、彼女からしたらいらない手間を掛けさせられたから妥当っちゃ妥当なのか?

 何か水に流された割には全然平気っぽいし。

 もしかしたらこの少女クラスの吸血鬼になれば水の中でも生き残る術を持っているのかもしれない。


「それは大変悪うございました。でも礼くらいいいじゃない。ところで君の名前聞いてもいい? いつまでも君じゃそっけないし」


 とはいえ、言われっぱなしというのも癪なので畳みかけるように名前を聞いてみた。

 まさかあれだけの殺意を向けられておいて、こんなに親しげに近づいてくるとは思わなかったのだろう。少女は少しばかり驚いたように固まっていた。

 

 

 へっへーん。どうだ。お前なんか怖くないからなー。もっと怖い御仁を相手してきたのだこちとら。例えばイルミちゃんとかヘルドマンとか!


「……ほんとのほんとに馬鹿なのね。底なしの馬鹿だわ。やることなすこと全部裏目に出るタイプの馬鹿。周囲にとって一番迷惑を振りまく馬鹿」


 うげげげ。内心ドヤってたら心底呆れられてしまった。ええー、そんな特大の溜息を吐かなくてもいいですやん。

 こちとら以外と傷つきやすいメンタルなんでっせ。


「でもま、今だけはその馬鹿さ加減に目をつぶってやるわ。ティアナ・アルカナハート。呼び方は好きにすればいい」


 そう言って、少女、ティアナは俺の隣に腰掛けた。地下水流に落ちた所為か互いに全身ずぶ濡れではあったが、確かな人の体温を感じる。


「で、あんたはなんて言うの? まさか私だけに名乗らせたわけ?」


 一瞬感じた体温が消し飛ぶほどの殺気を飛ばされる。いや、沸点低すぎませんかねお嬢様。

 でもまあ、人の名前を聞いといてこちらから名乗っていない俺が悪いので、ここは大人しく名前を口にした。

 ただし偽名ではあるけれども。


「アルテ——」

 

 ひゅっ、と何かがぱらぱらと宙を舞う。

 それが鋭く斬られた俺の髪の毛だと気がついたときには、首元に氷で出来た剣が突きつけられていた。


「ミス、です」


 え? どういうこと? そんなに名前を名乗るのが遅かった? 

 だとしたらちょっと殺すのは勘弁して欲しいなーって。


「……ああ、早とちりだったわ。気にしないで」


 何が早とちりなのだろうか。まさかそんなに巫山戯ているように見えたのだろうか。

 結構真面目に名前を答えたつもりなのだけれど。

 ただ俺がしでかしてしまった粗相の正体を聞くことは適わない。

 何故なら、剣を収めたティアナが膝を抱えて頭を伏せてしまったからだ。

 わかりやすすぎる拒絶のポーズである。

 多分、これ今話しかけたらもう一度剣が跳んでくる気がする。今度は間違いなく俺の首に。

 仕方がないので、俺は一緒に流されてきた鞄をごそごそと漁った。

 流された先で何かに使えるかもと、身体に括り付けておいたものだ。


「お、これは使えるかも」


 手に一番最初に触れたのは丸く加工された手のひら大の石だった。

 透明な水晶のようでいて、中心部が赤く染まった石である。これは月の世界では割と当たり前のように使われている魔導具で、魔の力を込めてやれば発熱する代物である。

 要するに携帯カイロだ。

 ただその熱量は込められた魔の力に比例するという性質を持っている。つまりより魔の力を注げば注ぐほど熱量が増大し、物に着火できるくらいには使えるのである。一般的ではないがライターとして使うことも出来るのだ。

 しかも今の俺の身体はヘルドマンの魔の力を間借りすることができる。彼女の魔の力ならこれを俺とティアナの二人で暖が取れるくらいには暖めることができるだろう。


「よっと」


 幸い、地面は流水によって削り取られた砂が溜まっていたため、手頃な穴は素手でも掘れた。

 その穴の中心に石を安置し、魔の力を込める。

 いきなり多量の力を流し込むととんでもない熱量が発言する可能性があったので、あくまでも少しずつ穴を暖めていった。

 そして目論見は見事成功する。


「……暖かいわね。それ、あんたが用意したの」


 相変わらず顔を伏せたままだったが、ティアナがぼそりと口を開いてくれた。

 さすがにとんでもなく強い彼女でも、濡れたままだと寒さを感じるのだろうか。


「ええ。さっきの食べ物のお礼ですよっと」


 穴を挟んで対極に腰掛ける。隣に座らなかったのは、まだティアナの拒絶の姿勢が解かれていなかったから。

 

 ——決して殺されそうになったのが怖いわけではない。


「さっきも言ったけれど、私の気まぐれに一々礼を言わないで。本当にむかつくわね」


 ——怖いわけではない。


「別にいいじゃないか。礼くらい。——ところでさ、これからどうする? 見たところ、この空間から外に出る方法が全く思いつかないんだけれど」


 見渡してみればここは地下水流によって作られた洞窟であることがハッキリと解る。しかしながらその出入り口は水没しており、そこからの脱出は不可能だ。

 ただここも何処からか魔の力が流れ込んでいるのか、視力の確保だけはできていた。

 何とも不思議な空間である。


「さあね。私は時間さえ経てばいくつか脱出方法を持っているけれども、あんたは先に飢え死ぬかもね」


「そ、そんな冷たいこと言わないでよ」


 うー、中々距離を詰められない少女である。

 普通、こうやって遭難したときは手を取り合って困難に立ち向かうのが定石だと思うのだけれども。

 まあ、俺と彼女じゃ実力差がありすぎて足手纏いにしかならないのは事実か。


「ふん、そんなに死にたくないのなら私に血を吸わせなさい。私の持つ脱出方法には多大な魔の力を必要とするの。でも、今それは残念ながら枯渇している。回復には数ヶ月かかるでしょうね。けれどもあんたの血を吸えば話は別。少しばかり魔の力の回復を早めることができるわ」


 ティアナは脱出方法の詳細を語らなかった。しかしながら嘘を吐いているようには見えない。恐らく彼女は本気で血さえ有ればここから直ぐに出られると考えている。


「——ま、そんなことできるわけないか」


 嘲笑のように、いや、というよりかは投げやりになったかのようにティアナは笑みを零していた。どうせ不可能なのだからと、視線が雄弁に物語っている。

 必要とはいえ、吸血鬼に血を吸わすことなど出来ないだろうと笑っていた。


「——えと、本当に血を吸わせたら脱出できるの?」


 だからこそ俺の問いは予想外だったのだろう。今度こそ何を馬鹿なことを言っているのだ? と目を見開いていた。

 彼女の拒絶の姿勢を解くためには今畳みかけるしかないと、俺は言葉を重ねた。


「脱出できると約束できるのなら血をあげる。こんな私の血で良いなら吸っても良いよ。——できれば呪いは刻まない方向でってのは無理かな? いや、それは無理か」


 ただこの場合、呪いを受けることは仕方ないと割り切るしかないだろう。ティアナが協力してくれなければ、俺はここから一生出ることができないのだから。三つ目の呪いを受けて無事でいられるかは未知数だったが、ここで餓死する未来よりかは賭けてみる価値がある。


「私はあなたを頼るほかない。だからお願いします。血をあげるから私を助けて」


 思えば、こんなかたちで素直に誰かに頭を下げることができたのは初めてかもしれない。呪いで碌に話すことが出来ず、歯がゆい思いをし続けてきた俺からしてみれば何と気持ちの良いことだろうか。まあ、頼み込んでいることは随分と情けないものなのだけれども。それはそれ。これはこれなのだ。


「…………あっそ。なら大人しく血を吸われたら良いわ。ただ呪いを上書きされて狂い死にしれも恨まないことね」


 まさか俺の本体が既に呪いを二つ刻まれているとは夢にも思っていないティアナが嘯いた。さすがにおつむが普段から足りていない俺でも、この事実は伏せておいた方が良いことくらい理解できる。

 三つ目ばっちこい、とか言ったら間違いなく呆れられて放置されるか、変なところで怒りを買って殺されるだけである。


「まったく、あんたみたいな超弩級の馬鹿が生き残っているなんて、この世の最たる不条理だわ」


 二人を分かっていた穴を迂回してティアナが俺の前に立つ。彼女はとん、と俺を押し倒すとそのまま身体全体でのし掛かってきた。今は能力を行使していないのか、それとも行使するだけの力が残されていないのか、いつか感じた強烈な冷気はなりを潜めている。

 ティアナが口を開く。鋭い犬歯が目に映る。


「もしもこれが終わって生き残っていたら、ちょっとだけあんたのことを可愛がってやってもいいかもね」


 耳元で聞こえたのはそんな言葉。

 続いて首の皮膚を切り裂く痛み。

 この世界に降りたって通算三度めの吸血は、

 

 やっぱり滅茶苦茶痛かった。



 04/



 私を地獄からすくい上げた人は割とあっさりと死んだ。

 自身を傷つけた狂人に再戦を挑み、負けた。

 太陽の毒を流し込まれて、身を焼かれて死んだ。


 多分、私があの人の仇を取る必要はないのだろう。


 狂人が卑怯な手を使ったのならともかく、遠目から見ていた私からしても二人は死力を尽くし合ったと思う。

 その証拠に、あの人は戦いの結果に満足していた。

 自身の死が狂人の腕一本と等価ならば、戦った価値があったと笑いながら死んだ。

 その気持ちは今になってみればなんとなくわかる。

 あの人は世界最強の一角に数えられる吸血鬼だったが、狂人が自身よりも格上であることを理解していた。

 プライドの高い人だからこそ、相手と自分の力関係にとても敏感だった。

 認めたくはなかったのだろうけれども、狂人が一歩上手であることを知っていたのだ。

 だからこそ、狂人の身を傷つけ犠牲を強いたことに喜び、悔いなく朽ちていった。

 幸せだったのかもしれない。

 嬉しかったのかもしれない。

 だから私の気持ちは考えてくれなかった。


 一人おいて行かれる私の気持ちは汲み取られなかった。



05/



 幸い、今度は意識を失わなかった。血管の中を這い回られるような痛みにのたうち回ったが、意識だけはハッキリとしていた。

 無様に暴れ回ったことは覚えている。

 噛まれた喉を掻きむしり、呻き声をあげていた。

 何とか小康状態に回復したときには、起き上がる気力すら失って、荒い息を吐きながら四肢を投げ出す何かに変わり果てていた。

 ティアナはそんな俺の額に手を当てて、冷徹に状況を分析した。


「ふーん、定着したんだ。驚いたわね。二度目は楽なのかしら」


 二度目どころか三度目なんですけれどもね。しかも苦痛のあまり、こちとら減らず口をたたく余裕すらないんですけどね。


「でもお前の血は中々美味だったわよ。それにかなりの魔の力の密度だったから、この調子なら一日二日で私の魔の力も回復するわ」


 そりゃあ、性質的にはヘルドマンの魔の力なのだから月の民にとっては最上級のご馳走だろう。ていうか、これでティアナの魔の力が回復しなければ俺の捨て身の献身は一体何なんだ、という話になる。


「ま、それまでに死なないよう精々頑張りなさい。あんたが死んだら死体は永遠この場所に置き去りにしてやるわ」


 えー、それは正直勘弁願いたい。こんな何処とも分からない地下洞窟に放置されるなんて、死んでも死にきれん。

 

 俺の視線だけの抗議は通じたのか通じなかったのかはわからない。

 ただティアナはじっと数秒だけこちらを見た後、徐にもう一度額に手をかざしてきた。

 続いてひんやりと心地の良い感触が額から伝わってくる。


「……余計なこと言ったらこのまま脳まで凍らせて殺すから」


 それから先、視線が合わせられることはなかった。そっぽを向いた彼女はただ俺の額に手を触れたまま、その場に座り込んでいる。

 呪いの定着に伴い、高熱を帯びていた身体が少しずつ癒やされていく。


 ありがとうの言葉は残念ながら絞り出すことはできなかった。

 だが、明日か明後日ここを出ることができたのなら、その時に伝えればいいのだ、と己に言い聞かせて瞳を閉じる。

 次にどんな夢を見るのかはわからない。

 けれども不思議と、心地の良い夢を見るのだという予感だけが身体に満ちていた。

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