第66話 「ドキドキ! 初めての出張! 旅行伺は書いた方がいいんですかね?」
こっそり更新します。大変お待たせしました。
会議は長引いた。気がつけば日が昇り始めていた。
折角の休日を不意にした形だが、もともと予定も入っていなかったのでそれほどのものではない。
ただ、会議の内容だけが俺の心境をざわつかせ、会議の結果が俺の眉間に皺を寄せることになった。
「というわけで、アルテミス先生。お話にありましたとおり、対吸血鬼の専門家であるあなたに原因の調査をお願いしたいのです。我らの最大のパトロンたるロマリアーナが五月蝿いのでね。……その他の人員はこちらで手配いたします。此度の騒ぎの原因に吸血鬼の影が見え隠れしている以上、是非引き受けて頂きたい」
会議の最後、上司に当たる講師がそんなことを言った。
断るという選択肢はなかった。
俺の立場というものもあったが、仮にノウレッジの言った噂が本当の事であるならば、青の愚者との闘争を演じた俺自身が現地に赴かなければならないと考えたからだ。
右腕一本を犠牲に捧げて、割と死にかけてようやく瀕死にまで持って行った青色の吸血鬼。
そいつと同じような能力を行使する奴が現れてしまった以上、本人そのものである可能性も含めて、俺に対処する責任がある。
「あの時、殺しきれなかった」という思いが内から湧き出てくる責任感を強く意識させてくるのだ。
「……わかりました。近日中に出発します。その間の私の講義は休講という形でよろしいですね?」
小さく俺が頭を下げたその瞬間が、会議の終了の合図だった。
やれやれ、自分に厄介事が振られなくて良かったと言わんばかりに、皆和やかに談笑しながら会議室を後にしていく。
ただ一人だけ。
キャスバブル・ノウレッジだけが気の毒そうにこちらを気遣いながら、部屋に取り残された俺に付き合っていた。
「あの、アルテミス先生。やっぱりお話の通りになりましたね。僕で良ければ何でも手伝いますよ」
軟派男と心の中で罵ったことが申し訳なく感じるくらいには、彼の態度はこちらの身に染みた。
別に調査の仕事を割り振られたことには何も負の感情を抱いてはいないが、それでもやはりこうやって味方になってくれる人間がいるというのは心強いものがある。
そしてそんな男を無碍にするほど、俺の器量は狭くないはずだ。
うん、たぶん狭くない。
「ありがとうございます。取り敢えずは私の方で準備を進めるので、取り急ぎ頼みたいことは――、ああそうだ。私の講義をあなたのところの生徒さんが何人も受けてくれているので、休講になった私の講義の埋め合わせをお願いしますね」
若干もとの身体よりも豊かになった表情筋を総動員して、友好の笑顔を形作る。
もう三十年以上、叶えられなかった動作を行えるというのは新鮮で気持ちが良かった。
「ええもちろん! いやー、美人さんにそんな笑顔で頼まれちゃったら張り切っちゃいますよ!」
なんだか想像していたよりも人が良いようで、どことなく俺は安心した。
この青年ならイルミのこともしっかりと面倒を見てくれるだろう。
「ではこれで失礼します。いつかきちんとノウレッジ先生にはお礼をしますね」
やっぱり人の第一印象なんてあんまり当てにならないな。
/
翌日、二回目の講義をそれとなく終えて、俺は自室に戻ってきていた。
講義内容は俺との徒手での組み手だったが、それなりに盛り上がりもしたので良しとしよう。
何より初日に噛みついてきたロマリアーナの士官候補生たちが熱心に講義に参加してくれているので、こちらもついつい熱が入ってしまっていた。
「主様、こちらに数日分の着替えと携帯食を詰めております。生水は身体に良くありませんので、必ずこちらの魔導具で濾してからお飲み下さい。あとお湯に数分つけ込むだけで味わうことの出来る紅茶も入れてありますから、ご休憩にどうぞ」
決して小さくはないが、それでも多すぎない手頃な大きさのバックパックヘンリエッタは用意してくれていた。
近日中に出発しなければならない、半島の調査へ向かうための準備だ。
取り敢えずはこれと、いくつかの戦闘用魔導具を取りそろえれば、俺の旅支度は完了となる。
あとは学長あたりが調査人員を揃えて俺に寄越してくれれば、必要なものは全て揃ったということだ。
「ところで主様、差し出がましいようですが、黒の愚者に今回の出張を報告されたのですか?」
最近は随分と板に付いてきた紅茶の用意をテキパキと済ませながら、ヘンリエッタはそんな事を問うてくる。
「ああ、さっきお前が荷物を纏めてくれていた時に少し。増員を送りたいが、レストリアブールの占領政策に人員を割きすぎて難しいらしい。ただ、青の愚者である可能性は限りなく低いから、それほど心配しなくてもいいとは言っていた。往々にして、こういった吸血鬼被害は拡大解釈されて上に報告されるものなんだと」
携帯電話やパソコンなんて便利なものがないこの世界だ。
情報の伝達速度は前の世界に比べて遙かに遅く、不確実である。
今回の「物を凍らせる能力」を持った吸血鬼も、何かしら誇張されてエンディミオンに伝えられているのだろう。
おそらく実際は似たような能力を行使することが出来るとか、そんなところだ。
けれども万が一、億が一が存在する以上、油断するわけにはいかない。
ただヘルドマンが「兆が一にもありえない」と言っていたことだけ気にはなるが、愚者だけにはわかる、他の愚者の気配というものがあるのだろうか。
次に話題の一つとして振ってみるのも良いのかもしれない。
「なるほど。主様なら心配はいらないでしょうが、どれほどの剣の達人でもまさか、ということはあります。お気をつけていってらっしゃいませ」
淹れ立ての紅茶を受け取り、のんびりと口に含む。
もとの身体ではそう特別に上手いと感じたことはなかったが、この身体は味覚が情緒豊かなのかこうした嗜好品が美味しく感じられるようになった。
代わりといってはなんだが、グランディアに行って、ヘルドマンに会うまでに吸っていたタバコが全く受け付けなくなってしまったけれど。
あれも気がついたら禁煙に成功していたから不思議なもんだ。
やっぱり、年頃の女の子であるイルミと四六時中共に行動していたのが大きかったのかもしれない。
「……主様。来客です。あと五秒でノックされます」
へえ、今日はチョコチップクッキーなのね、と菓子盛りに手を伸ばしたその瞬間、不意にヘンリエッタが口を開く。
言葉を受けて視線を扉に走らせれば、確かにノックが三回。
何処まで高性能なの、ヘンリエッタちゃん。
「どちらさまでしょうか」
扉の前に立ち、ヘンリエッタが応対する。
手には銀の盆を持っているが、俺は知っている。あの盆の底には小さな短剣が仕込まれていることを。
何処まで仕事人なの、ヘンリエッタちゃん。
「あ、えとキャスバブル・ノウレッジです。理事会で調査に赴くメンバーの選定が終了したのでその名簿を持ってきました」
扉の向こうから聞こえてきたのは、ややくぐもったノウレッジの声だった。
目線だけで、招き入れてくれとジェスチャーを送れば、ヘンリエッタは一つ頷いて扉を開けた。
「えと、さっき言った通りです。調査団の選定が終了しました」
取り敢えず彼を対面の椅子に座らせて、ヘンリエッタの煎れてくれた紅茶を振る舞う。
彼が熱々の紅茶と格闘している傍ら、その選定の名簿とやらを手に取った。
何ともまあ、スピーディーな対応だ。
出張まで三日くらいは猶予があるかと考えていたが、こちらの想像以上にエンディミオンはやる気らしい。
やっぱり、最大の出資者たるロマリアーナ共和国の意向はそう簡単に無視できないか。
「……? これは?」
なんとなく名簿を流し読みし始めていたその時、思わず声が漏れた。
黙読で済ますつもりだったのに、そうはいかなくなったのだ。
そして言葉と同時には既に手が出ていた。紅茶のカップが堅い床に触れて割れ、真紅の熱い液体が足下に広がっていた。
殆ど反射的に、意識しないままにノウレッジの襟首を掴みあげていた。
「あの、アルテミス先生?」
ノウレッジが狼狽える。
例え仮初めの肉体だとしても、人間とは一線を画した筋力が大の男一人を持ち上げているのだ。
この状況で落ち着いていられる奴なんて早々いないだろう。
「言葉を選んで答えて下さい。この名簿、私の目がおかしくなっていなければ『魔導力学科』をはじめとする生徒たちの名前が記載されているんですけれど、これはどういう意味なのでしょう」
ぎりっ、と襟首から首筋へと掴み直す。
あまりこのような強硬手段は取りたくなかったが、イルミたちの安全が掛かっている以上、手加減などしていられない。
頸部への圧迫の苦しみからか、彼はたどたどしげながらも、必死に、慎重に答えを返す。
「か、彼らは今回の騒動で被害を受けた周囲の町や村への復興要員なんです! だからあなたが向かうような、危険地域には赴きません!」
「……当人たちは了承しているのですか?」
圧迫をさらに強くし、嘘や虚言は許さないという姿勢を見せる。
本当、こんなことはしたくないのだ。
特に一度は気を許しても良いかと思った相手には。
「……こういった課外ボランティアは基本的に志願制なんです。それなりに給金も出るので、日雇い感覚で参加する生徒も多いんです。経済的に裕福でもない僕のところの生徒は毎回参加してくれています」
俺に同行はするが、危険地域には赴かず周辺地域のボランティアにつとめる。
決して強制ではなく、彼らの志願である。
理由は経済的に裕福でなく、日雇いの労働として対価を得るため。
なるほど、理に叶っていると思った。
思って、手を静かに離す。さすがにその場に打ち捨てるような外道ではない。努めて優しく、その場に立ち直らさせた。
「そうですか。てっきり生徒たちがかり出されているので、カッとなっちゃいました」
足下の破片を拾い、ヘンリエッタに新しい紅茶を用意するように頼む。
ノウレッジは腰が抜けたのか、俺の対面の椅子に深く腰掛けた。
でもそうか、日雇いのアルバイトか。
もしかして、普段から手渡すお小遣いが足りてなかったのか?
名簿の丁度最後。
魔導力学科の面々の一番最後尾に刻まれたイルミの名前を見て俺は溜息を吐くしかなかった。
まあ、ノウレッジの口ぶりを聞いていれば俺と行動を共にすることはないみたいだから危険性はそれほどないのだけれど。
だが、次々と降りかかってくる心労の種に頭痛を感じざるを得ないのだった。
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課外ボランティアの話が「魔導力学科」の研究室に室長のヘインの手によって持ち込まれたとき、真っ先に食らいついたのはアズナとハンナだった。
学費と日々の生活費に頭を悩まし続けている二人は、日雇いの知らせが届くたびに、いの一番に参加申し込みをしているのだ。
労働内容が魔獣被害を受けた周囲の町や村の復興活動と肉体労働オンリーだが、そんなことは些事も同然だった。
ハゲタカのように課外ボランティアに興味を示す二人を見て、ヘインは鼻で笑った。
「ふん、これだから庶民共は。浅ましいことこのうえないな」
「はあ? あんただってそんな手持ちあるわけじゃないんでしょう? とっとと名前書きなさいよ」
ヘインの余計な一言をとっとと流し、ハンナは申し込み用の羊皮紙とペンを押しつけた。
押しつけられたヘインは「なんでこんなこと」と言いつつも、王族ならではの流麗な筆体で渋々名前を書き込んでいく。
そんな様子を見て、イルミは「ああ、そこは素直に従うんだ」と変な感心を抱いていた。
「たく、ほんとあんたってば妙なところで格好ばかりつけてるんだから。……で、イルミっちはどうする? 強制参加じゃないし、その日はエンディミオンでゆっくり休む?」
話を振られ、イルミはハンナが手にしていた課外ボランティアの概要を見る。
確かに決して少なくはない給金が支払われており、割が良いと言えば割が良かった。
けれども別に生活に困っているわけでもないので、すぐに参加すると即断するほどでもなかった。
数秒ほど、葛藤の沈黙が訪れる。
そんなとき「ああ、そういえば」と声をあげたのは話を持ってきたヘインだった。
「同地域で行われるエンディミオン側の調査団、責任者があのいけ好かない女講師に決まったそうだぞ。俺たちと行動を共にすることは少ないらしいが、一応伝えてはおく」
言葉を聞いてからのイルミは早かった。
ヘインからとっとと羊皮紙と羽ペンをひったくって、さっさと名前を書き込んだ。ヘインほど流麗ではないが、それなりに綺麗な筆跡だ。
当のヘインは突然のイルミの行動に、「礼儀を知らない平民め」と憤っていたが。
「……イルミっちってアルテミス先生のことが気になるの?」
ころりと態度を変貌させたイルミに対して、ハンナが疑問の声をあげた。
イルミは数秒ばかり虚空に視線を巡らせて、何処か迷いを滲ませるかのような声色で答えた。
「気になるというか、あの人、すごい似てる。私が世界で唯一敬愛するその人に。もしかしたらその人のことを彼女は何か知っているかもしれないからちょっと調べようと思って」
要するに探りをいれるのだ、とイルミは仄めかした。
ハンナもハンナで、「まあ確かにいろいろと気になる人だよね」とイルミの疑問に理解を示して見せた。
「普通さ、吸血鬼狩りを生業とする人たちってものすごく慎重なの。罠を何重にも張り巡らせて、とことん獲物を追い詰めて、ようやく絶対に殺せる、ってときにしか姿は見せない。でもアルテミス先生はそんな定石を全く守っていない。まるで自分を餌にするかのように獲物を挑発して、とことん懐に張り付いていく。そんな命知らずな——まるで狂人みたいな戦い方、普通じゃありえないから」
狂人、というワードにイルミはぴくり、と肩を震わせた。
恋は盲目と言うべきか、ここ最近はアルテのことを全肯定し続けてきた彼女だからこそ、完全に忘却に押しやっていた言葉だった。
そうだ。
世間一般で考えれば、アルテは狂人と呼ばれる類いの人間だったのだ。
そんな狂人とよく似た戦い方を貫く彼女もまた、十分狂人の可能性がある。
怖じ気づいた訳ではないが、それでもイルミはそっとアルテミスに対する警戒度を引き上げた。
そして、ますます件の怪しい女とアルテの関係性について疑いを持つのだった。
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エンディミオンを馬車隊で出発したのは、日が暮れて直ぐのことだった。
頭の痛い名簿を渡されてから僅か二日で、俺はロマリアーナ領に向かう馬車の中にいた。
恐らくロマリアーナから派遣されてきたのであろう兵士たちと共に、薄暗い車内で身を寄せ合っている。
ただその居心地は最悪の一言。
何故なら乗り合わせた兵士たちが皆、こちらに一切視線を向けようとしないのだ。それどころか、時折こそこそと仲間内だけで言葉を交わし合い、完全にハブにされている感覚がある。
折角ある程度自由に話すことの出来る体を手に入れたのだから、ちょっとばかりは無駄話で時間を潰してみたかったが、どうやらその望みは叶いそうにない。
ほら、義手ちゃん——ヘンリエッタから貰ったクッキーがあるからみんなで食べようよ。
それでさ、好きな女の子のタイプとかについて語り合おうよ。
俺? 俺はさ、おっぱいでかいけど、何処か儚げな雰囲気のある長髪美人がいいかな。
あ、あとトランプに似たカードゲームもあるよ。
大富豪やろう大富豪。8切り、イレブン・バッグなんでもありでさ。
アホか。
無言のまま数時間が経過したとき、俺は思わずため息を吐いていた。
そもそもここにいる兵士たちは支援とは名ばかりの、エンディミオンの調査隊を監視する部隊だ。
エンディミオンに対する最大出資者はロマリアーナだが、だからといってエンディミオンが完全にロマリアーナの傘下というわけではないことくらい、俺にだって理解できている。
エンディミオンはどうやってロマリアーナから金を引き出そうか虎視眈々と考えているし、ロマリアーナも自分たちが望む研究を如何にエンディミオンにやらせるかあれこれ策を巡らせている。
言わばこの調査隊は両陣営の最前線のようなものだ。
自分たちの研究成果を独占したいエンディミオンと、それを何とか横取りしたいロマリアーナの鬩ぎ合いなのだ。
前日、ノウレッジがこちらに告げた言葉が思い起こされる。
「ロマリアーナの兵士には気をつけてください。露骨に妨害してくることはないでしょうが、それでも幾ばくかの横やりは入れてくるでしょう。今回、エンディミオンがあなたを派遣したがっているのは、吸血鬼の専門家であることはもちろんですが、何よりロマリアーナ側にその素性を知られていないことが大きいのです」
最初、ノウレッジが何を言っているのか俺のちっぽけな脳みそでは全く理解出来なかった。
だが彼は根気よく粘り強く言葉を重ねた。
「もし今回の騒動に吸血鬼が関わっているのだとしたら、死体であれ生体であれ、その身柄を回収するのはエンディミオンにとって大きな収穫になります。特にロマリアーナに命じられてホムンクルスを作っている学科は大喜びでしょうね。ですが、ロマリアーナはそれを面白いとは決して思わないでしょう」
???????
あれ? ホムンクルスの制作がロマリアーナの意向なら全く問題ないんじゃないの?
だって吸血鬼の身柄をゲットできたら研究が捗るんでしょ? 両者にとってWINWINじゃん。
そんな俺の疑問を汲み取ったのだろう。
ノウレッジは「本当に頭の痛い話ですが」と前置きしてこう続けた。
「確かにその通りではあります。ですが、ロマリアーナはそうなったときのエンディミオンの暴走を恐れているのですよ。あくまでロマリアーナは自分たちが思い描いたロードマップに従ってエンディミオンに研究を進めさせたいのです。決してこちらが意図しない動きを辿らないように神経を尖らせているのですよ。もちろんこちら——エンディミオンは全く逆のことを考えています。ロマリアーナからは資金を絞れるだけ絞って、自分たちの思うがままに研究成果を欲しているのです」
ああ、何となくわかってきたぞ。
つまりエンディミオンは言うことを聞いているフリをしていて、その内実好き勝手にやっている。
で、それを理解しているロマリアーナはどうにかしてこちらの手綱を握ろうとしているわけだ。
成る程なるほど。馬鹿な俺でもようやく理解が出来た。
でもあれだな。
こんな話をされても、俺は正直どうしたらいいのん?
「しいて言うならロマリアーナの兵士に油断なさらないでください。それだけでも十分です。何より——あなた自身が大事なくこちらに戻ってくることが一番重要なことでしょうか」
あらやだイケメン! 素敵! 抱いて!
って今の体じゃ洒落にならんな。前言撤回。やっぱりイケメンは嫌い。
けれどもノウレッジのその純粋で思いやりに溢れた言葉に感動したのは事実だ。
丁寧な忠告はもとより、こうして身を案じてくれるのは素直に嬉しい。
せめてこの綺麗な思い出を大事にして、この陰鬱な旅路を誤魔化しましょうかね。
最近、唯一の友達とは絶縁してしまったばかりだし。
「アルテミス殿、調査隊の拠点に到着いたしました。降車の準備をお願いします」
と、そんなくだらないことをつらつらと考えていたら突然声を掛けられてしまった。馬車に乗り込んでから初めての会話がこれである。
何処まで事務的やねんと苛立ちすら覚えてしまうが、ここで反抗しても仕方がないので黙って頷く。
「到着して装備を整えられましたら直ぐに調査に赴きたいと考えておりますので、そのつもりで」
いやいや一服ぐらいさせてよと視線を寄越してみても、取り付く島もなかった。さすが職業軍人たち。融通の利かなさは天下一品なのである。
「あ、アルテミス先生。お疲れ様です。私たちはこのままこのベースキャンプで復興作業のお手伝いをさせてもらう手筈になっています」
馬車を降りて初めに声を掛けてきたのは、エンディミオンでの教え子の一人だった。
たしかハンナだっけ。アズナと並んで学科の纏め役だった記憶がある。
視線を彼女の方へと向けてみれば、背後ではアズナを初めとした「魔導力学科」の面々が荷物の積み卸しを行っているのが見えた。
基本的に学科のメンバーは全員参加のようだ。そんなに懐事情が寂しいんかいな。
「先生はこのあとは?」
暗に予定を聞かれたので馬鹿正直に「調査だよ」と答えておく。
まさかこんなに早くから動くと思っていなかったのか、「え? もうですか」とハンナは驚きを隠せていなかった。
まあそうでしょうね。
「お体の方は大丈夫なのですか」
「仕事だから仕方ないね」
それ以上、ハンナは何も追求してこなかった。
ただお気をつけてと、頭を一つ下げられて終わりである。
あんまり長話になってもロマリアーナの兵士たちの圧力が増すだけなので丁度よいと言えば丁度よかった。
ついでにこちらをじっと見つめるイルミからも逃げる口実が出来て有り難さすら覚える。
あのちみっこ、やけにこちらに目を向けることが多いものだからドキドキが止まらないのだ。
「ではアルテミス殿、魔獣の最後の目撃情報はここから北の森になっております。魔獣は見つけ次第、討伐か捕獲。吸血鬼に関しても同様です」
拠点の中央広場に向かってみれば既にロマリアーナの兵士たちが整然とした隊列でこちらを待っていた。
剣を背負い込み、数々の魔導具を手にした俺に完全武装の兵士たちがぞろぞろと連なっていく。
正直一人にしてもらいたいくらいだけれども、そうはいかないのだろう。
彼らはぴったりと俺の行く末を辿った。
空を見上げれば月は既に天頂にある。
だが森の中は生い茂った木々に覆われて漆黒の闇が広がるばかり。
魔の力自体はどうやら満ちあふれているようで、兵士たちが魔導ランプを手に取る様子はない。
俺自身もレストリアブールて手に入れた魔の力を使って森の暗闇を何とか見通していく。
即席の、やたら人数だけが多いパーティー。
果たしてここにいる人間のどれだけが無事に森を出てこられるのかはわからないが、それでも少ない犠牲に収まることを願って、俺は一歩目を踏み出していた。




