第65話 「青の亡霊」
久方ぶりというわけではないけれども、珍しく一日羽が伸ばせることになったその日。
エンディミオンとロマリアーナのある半島を結ぶ橋上都市「オケアノス」の探検でもするか、と街に繰り出したのがいけなかった。
義手――ヘンリエッタの薦めるままに私服を纏い、ふらふらと市場を彷徨っていたら酔っ払いに絡まれた。
実力的にはエリムの足下にも及ばない、それこそ数秒で鎮圧できそうなメンツだったが、揉め事を起こしたくないという俺の消極的な考えが、手を出すことを躊躇わせていた。
ただ何を勘違いしたのか、調子に乗った男の一人が尻を撫でてきたときは本気でぶん殴ってやろうかと思ったけれど。
何が悲しくて「ひいっ」と女みたいな声をあげなければならないのか。
いや、確かに今は女の身体だけど、それは期間限定であって、心は立派な男のままなのだ。
言わば男なのに男に痴漢されたような心境で、何とも言えない複雑な気持ちになってしまった。
で、そんなこんなでこいつらどうしてやろうかと、そろそろ堪忍袋の緒が切れかけていたその時。聞き慣れた獣の唸り声が聞こえた。
んなまさか、と視線を走らせてみればやっぱりいた。
銀髪赤目。前見たときよりも心なしかちょっとだけ身長が伸びたイルミちゃんである。
彼女は静かに狼を自分の影から呼び出しては酔っ払い三人組にけしかけていた。
あ、これは不味いと一瞬だけ焦ったが、ここ最近は加減や配慮を覚えたのか、けしかけるだけで男たちに問答無用で攻撃させるようなことはなかった。
ならばこのチャンスを逃すまいと、一番手近にいた男へ手刀をたたき込む。
レストリアブールにいたときに、エリムから教えて貰った当て身の技だ。
続いてハイキックを一発。これは昔から俺が得意技にしている体術だ。身長が縮んで若干リーチは短くなっているが、足先が身体に近い分、遠心力を考慮しなくて良いので威力の加減が楽なのだ。
最後はこの身体になってから身につけた、足を使って首をホールドする足技。
腕が短く、しかも非力なので、誰かを締め上げたりするときはこちらの方がいいですよ、とヘルドマンに教えて貰ったのだ。
ちなみにヘルドマンはこの体術を使ったことはないらしい。理由は言わずもがな、強すぎて使う機会がないんだと。
ほんと、人の努力や工夫を指先一つで超えてくる怪物である。
というわけで心の中で宣言したとおり、丁度五秒くらい。
制圧に掛かった時間はそれくらいだった。手加減を随分としたからこんなものだろう。
もしこれで死なれでもしたら大事だが、泡拭いているし痙攣しているし、放っておけば意識も回復するはずだ。
念のためにつま先で突いてみるが、ちゃんとそれにも反応しているので一安心である。
が、一つの懸念事項を排除したとしても、次々と障害が持ち上がってくるのが人生というものである。
倒れ伏した男たちを一通り見回した後、ややあってそちらの方向を見る。
それはイルミがいた場所で、きちんと確認すれば彼女の同級生らしき男女もいた。しかも三人が三人、ばっちりとこちらを見ている。
本当、正体バレしたら駄目だ、という時に限ってエンカウントが増える運命なのだろうか。
「……君たちは私の講義に来てくれていた生徒達か。かっこ悪いところを見せてしまったね」
出来る限り落ち着いた調子で、三人に声を掛ける。
ここでボロを出してしまえば、これまでの計画が全てパーだ。
「そんなに強いのに、どうしてすぐに制圧しなかったんですか? お尻まで触られてヘラヘラして、勿体ないじゃないですか」
疑問の声をあげたのはグループで唯一の少年だった。いや、もう外見的には青年みたいなものか。
さわやかイケメンに誠実さをプラスしたような容姿をしていて、正直羨ましい。
いや、今はそんなことどうでもいい。
問題なのは青年と、その隣の少女だ。
この二人は確かイルミと共に俺の講義を受けに来ていた生徒だったはずだ。
確か名前はアズナとハンナととかいったはず。
必死こいて徹夜で受講生の名前は覚えたのだ。だから恐らく間違ってはいないだろう。
で、何が問題なのかってこの二人とイルミに対する応対を一つ間違えれば、今回の騒ぎが学園に知られてしまい、最悪解雇まであり得ることである。
まさか暴力事件を起こした職員を雇ってくれるほど、エンディミオンもお人好しではあるまい。
何度も訪れる退職の危機に正直冷や汗が止まらなかった。
「――あんまり不祥事を起こすと、ここをクビになると思ったんです。だから穏便に済ませようとした。ただ、君たちが巻き込まれるんだったら話は別です。教育上、素行の宜しくない三人組には退場願いました」
ぐるぐると色々と言い訳を考えてはみたが、妙案は何も浮かばなかった。
だからもう言い訳せずにゲロった。なんでとっとと手を出さなかったのか、どうして急に手を出したのか、全ての理由を洗いざらい吐いた。
三人を巻き込みたくなかったというのは本当だ。
こればかりは嘘偽りのない本音である。
「今日のことは学園には黙っておいてくれると嬉しいかな。代わりに食事でも何でも奢りますよ」
もちろん買収は忘れない。
この子たちが貧乏の苦学生であることは既にリサーチ済みなのだ。
イルミは小金を持っているかもしれないが、自分からそれほど贅沢しないことも知っている。
対する俺は聖教会の報奨金に加えて、学園講師としての給与まで貰っているのだ。ちょっとやそっとの高級店くらいなら食べさせてやるだけの財力はある。
「な、ならアルテミス先生。この先の市場でカラーボっていう上手い料理が食えるところがあるんです。そこに行きませんか?」
おおっ。さすがイケメン。
真っ先に店の提案が出来るあたり、コミュ力も高そうだ。
ぶっちゃけ俺とは正反対の人種だが、今の気遣いだけでポイント高いぞ。
「へえ、聞いたことがない料理ですね。楽しみです」
もちろん彼の提案に乗らないという選択肢はなかった。
ここは無理矢理にでも同調して、速やかに買収を行い、学園からの追放を阻止する場面なのだ。
今起きたことはとっとと忘れろ、という意味も込めて、アズナとハンナをどんどん引っ張っていく。
幸いな事に彼らは切り替えが早いのか、すんなりと俺の後をついてきてくれた。
ただ、一人、イルミだけがじっとこちらを見つめて、数歩後ろをついてきている。
その視線には明らかな疑念と不満が見え透けていて、ほんの少しだけ怖かった。
まさかバレたか、と最悪の事態を恐れもしたが、すぐに追求をしてこないあたり、確証は持てていないのかもしくは別のことを考えているのか。
彼女の思考が後者であることを祈りつつ、人通りの多いその通りを三人の生徒を連れ立って、俺は進んでいった。
/
その人物の素性を探るには食事のマナーを見れば良い、というのはアズナがこれまでの人生で培ってきた処世術のようなものだった。
だからこそ、アルテミスが食事の誘いをしてきたときには、この機会は渡りに船だと考えていた。
カラーボ――茹でた麺にチーズと卵黄のソースを絡めただけのシンプルな料理だが、平民から貴族まで幅広い階級の人々が口にするそれは、当該人物の出自を探るのにはある意味でうってつけのものだった。
「へえ、凄く美味しそうですね」
さらに盛られたそれを輝く目で見つめているのが、出自を探ろうとするアルテミスである。
彼女は全員に料理が行き渡ったことを確認すると、「頂きます」と両手を合わせながら一言告げた。
もちろんアズナはその瞬間を見逃さない。
食前の挨拶というのはその人物の生まれを如実に現しているものであり、一番特定が容易な動作だからだ。
だが彼は疑問符をあげることしか出来なかった。
何故ならその動作が、それまで一度も見たことのない、随分と奇特なものだったからだ。
「さあさあ、皆さんも暖かいうちに食べちゃいましょう。へえ、これカラーボっていうんだ。ふーん」
そんなアズナの驚きを露程も感じていないアルテミスは、スプーンとフォークを手にとって料理に手を付け始めた。
けれどもその動作でさえ、アズナを少なからず驚かせた。
彼女はスプーンの上で麺をフォークに巻き始めたのだ。
これは深皿で提供される麺料理のマナーであり、貴族階級以外には余り知られていないマナーでもある。
現に、イルミとハンナは行儀は良いもののフォークだけを使って料理を楽しんでいた。スプーンは麺を食べ終わった後のスープを食べるものだと考えているのである。
「ん? 君は食べないのかい?」
にこにこと微笑みながらアルテミスが問うてきた。
ここで観察していたことを気取られてはいけないと、アズナは「すいません。先生と食べるの、なんか緊張して」と言い訳を零した。
ハンナが「鼻の下伸ばしてんじゃないわよ」とからかってくるが、今はそれどころじゃなかった。
それから凝視してはならないと、ちらちらアルテミスの様子を伺いながら彼は食事を進めた。
けれども頭の中に渦巻き始めた疑念が気になって、ろくに味も楽しめない。
アルテミスは、彼女は本当に奴隷出身なのだろうか。
突然現れた彼女は、一体どこの出身なのだろうか。
一度膨れあがった疑問は止まるところを知らなかった。
せめて何かしらの糸口だけは手に入れたいと、食事も終わろうかというその時、彼はアルテミスに問うていた。
「先生は奴隷の出身だそうですけれど、これまでどこで暮らしていたんですか?」
その質問にはイルミとハンナも食いついていた。それまで黙々と料理を口にしていた二人がじっとアルテミスの答えを待つ。
彼女は「言っても良いのかな」と困ったように笑っていたが、アズナが視線を反らさない様子を見て、観念したのかややあって答えた。
「定住地は残念ながらありませんでした。世界をあっちへふらふら。こっちへふらふらと。生まれはよくわかりません。気がつけば人に売られて、気がつけば吸血鬼を殺す術を身につけていた」
そう言って、アルテミスはその濡れ髪を掻き上げた。そして三人へ首筋をそっと見せつける。
吸血鬼ハンターが吸血鬼ハンターたる所以。
この世界の絶対強者に刻みつけられた呪いの傷痕を見せつけたのだ。
「……正直、『対吸血鬼学』の講義を受講することはお勧めしません。こんな呪いを刻みつけられて、地獄の苦しみに耐え抜いて、それでも殆どが呪いに馴染めずに狂死して、ようやく奴らと同じ土台に立てる。いや、足下には届くと言ったくらいですか。だから呪いすら持たないあなたたちが私の講義を満了したとして、奴らへの刃を手に入れたことにはならないのです」
アルテミスの告げたとおり、吸血鬼の呪いというものは一部の幸運な、もしくは並外れた身体能力を持つものだけが手に入れることの出来る非効率な力だ。しかもそれを手に入れたところで吸血鬼を殺すことができるという確証は得られない。
血反吐を吐くような鍛錬の暁に、ようやっとまともにやり合うことが出来るのだ。
君たちは本当に、こんなつまらない家業をやりたいのか。
彼女の鳶色の瞳がそう問うているように見えて、三人は息を呑んだ。
それぞれ食事の手を止め、アルテミスの逃れられない視線に耐える。一番最初に、そんな彼女の疑問に答えることができたのはイルミだった。
「別に、そこまで手取り足取りあなたに助けて貰おうとは思わない。呪いが無くても、力が及ばなくとも、あなたから吸収した知識をどう使うのかは私たちの勝手」
ともすれば反抗的とも取られかねないイルミの言葉にアズナとハンナは大層慌てた。
ハンナはイルミがこれ以上喋らないよう、彼女の口をしっかりと押さえて弁明する。
「あ、あのイルミっちはなんていうか素直って言うか、ヘインと似たところがあるというか、ああ、そうだ。この子悪い子じゃないんです」
支離滅裂で相当意味不明な台詞だったが、アルテミスが気を悪くするようなことはなかった。
ただ彼女は「そうですか」と満足そうに笑って、懐から数枚の金貨を取り出した。
「エンディミオンに戻って仕事をしなければならないことを思い出しました。これで四人分の代金を支払っておいて下さい。お釣りはデザートでも買えば良いでしょう。同じ科の子にお土産を買うのもポイントが高いですよ」
席を立ってしまった彼女を呼び止めることは三人には出来なかった。
取り敢えずはなます切りにされなかったという安堵を感じ、アルテミスという人物は自分たちが考えているよりも鷹揚で、ひょうきんな性格をしているのだという評価を下していた。
ただ、テーブルに残された食事代とするには余りにも多すぎる金貨をどう処理すれば良いのか、頭を悩ませることになった。
アズナだけ、「やはり奴隷ではなく貴族階級なのか」とそのズレた金銭感覚を深読みしすぎてはいたが。
/
いらんこと言ってしまう前にとっとと逃げちゃおう。
そんな超絶後ろ向き且つ、ダメダメな考えのもと、お金だけ置いて三人から退散した。
こちらが考えている以上に、三人が俺の素性に興味津々で、あんまり話しすぎているとボロを出してしまいそうだったのだ。
一応、ヘルドマンが考えてくれたカバーストーリーを暗記してはいるもののあんまりべらべら話すようなものではないだろう。
ちょっと多めにお金を置きすぎたきらいもあるが、イルミへの小遣いと考えれば全く懐も痛くない。
ていうか、四人でいくらとか正直よくわからんし。
「一時間後に職員会議の連絡が届いておりますよ。主様」
で、自室に逃げ帰って早々、義手――じゃなかった。今はヘンリエッタか――がそんなことを教えてくれた。
確か今日は一日フリーだった筈だと返答すれば、「臨時で決まったそうです。出席可能な人だけ出て欲しいと」とのこと。
言葉尻を捉えれば、休んでても問題ないのだろうけれど、少しでも勤務態度を稼がなければならない俺にサボるという選択肢は存在せず、慌てて会議の支度を始めた。
女性の正装なんててんでわからなかったが、ヘンリエッタが用意してくれたシャツとスカートに身を包んで部屋を後にする。
なんか出かけ際に火打ち石を打たれたが、いつのどこの常識が彼女に書き込まれているのか気になるワンシーンではあった。
まあ、彼女の奇行なんて今に始まったことではないのだけれど。
さんざん悩ませられ続けてきた、可愛い? 奇行だ。
「おや、これはこれはアルテミス先生。今日は休暇と聞きましたが、わざわざ来て頂けるとは。嬉しい限りです」
一人で歩く石造りの床面が広がる廊下。
薄暗い照明に照らされたそこで、声を掛けられた。
何処か軽薄な印象を与える、けれども軽すぎない絶妙な男の声色だ。
だが、
「え、えーと」
講義に参加する生徒の名は覚えていても、同僚の名前まで覚えているとは限らない。
声の持ち主もご多分に漏れず、その要望を見定めても名前やパーソナルデータが出てくることはなかった。
「あらら、いやー、美人さんに名前を忘れられていると辛いなー。ほら、私ですよ。私。キャスバブルです。キャスバブル・ノウレッジ。魔導力学科の主任講師ですよ」
ああ、そう言えばそんな感じの名前を名簿で見た気がする。
イルミが所属している科の人間ということで何となく覚えていたのだ。
そうか。この男がうちに可愛いイルミの面倒を見てくれる講師なわけか。
アズナとかいう子に似て、なかなかのイケメンじゃないか。
モンスターペアレントというわけではないが、あんまり変なことをしたら斬り捨ててしまうかもしれない。
「あわわわ。そんな殺気飛ばさないで下さいよー。ナンパじゃありませんて。それだけ綺麗なお顔をされていたら、男がみんな獣に見えるかもしれませんが」
ナンパなんて疑ってないし、そもそも俺男だし。
いや、けれどもこいつの軟派なところに対して殺気を飛ばしたのだから、あながち間違いじゃないか。
「それでですね、よろしければ僕と一緒に会議室に向かいませんか? ここの廊下、一人で進むにはちょっと不気味で苦手なんですよ」
軟派というか、軟弱というか、余りにも情けない言葉を投げかけられて、俺は思わず呆れてしまった。
たぶんその心情が表情に出ていたのだろう。
ノウレッジは「すいません、すいません」と平身低頭、頭を下げ続けていた。
まあ、ここまで頼み込まれると断りづらくなるのも人情というものだ。
俺自身も一人でふらふらと校内を歩き回ることは慣れていないので、丁度良いと言えば丁度良い。
「わかりました。なにぶん新人ですから、場所もはっきりとはわかっていません。案内をお願いできますか」
「はい! もちろんよろこんで!」
わーい、と無駄に喜ぶノウレッジを尻目に俺は再び歩を進めた。
それからは二人して廊下を進む。目指す先はエンディミオンの丁度中心に位置する、講師達が普段滞在している中央棟だ。
棟には特大の会議室もあり、職員会議や催しが行われるときはそこに集合する手筈になっている。
ここに勤め始めたときに受け取った冊子には確かそのような説明がなされていた。
「……そう言えば、アルテミス先生。あなた、今回の緊急会議の議題はご存じですか?」
突如振られた話題に思わず足を止めた。
確かに点数稼ぎのために部屋を飛び出したまでは良いが、会議内容までは全く理解していなかった。
この口ぶりなら、ノウレッジは何か知っているのだろうか。
「ノウレッジ先生は何か上から聞かされているのですか?」
だから素直に教えを請う。
特に何も考えていない、条件反射的な応対。
けれどもそんな応対を受けた彼の口調は、酷く堅くて真剣なものだった。
「『橋上都市オケアノス』のさらに向こう側、半島の南端の森で魔獣の活動が酷く活発になっているんですよ。それの被害が徐々にこちらにも向き始めていて、おそらくそれの対策会議だと思います」
魔獣――、吸血鬼とはまた違った人々の脅威になりうる獣たちだ。
騎竜や砂竜もいってしまえば魔獣のようなものだが、あちらは飼い慣らされている分安全ではある。
魔の力を糧にする獣言ってしまえばわかりやすいか。
「そう言えば、先生は大層お強いんだとか。もしかしたら対策部隊に選出されるかもしれませんよ」
ふと、ノウレッジが零したそんな言葉。
それに俺は首を横に振ることで答えた。
「まさか、私は吸血鬼の専門家。言わば人型を殺すことに長けた人間です。魔獣の相手がつとまるほど専門性も能力もありませんよ」
嘘ではない、本当の事だ。
こちらにきて三十年弱。対吸血鬼の技術は磨き続けてきたが、魔獣対策なんて考えたこともなかった。
単純にこちらとサイズや身体の動きが違いすぎて、相手をするのには骨が折れすぎることもある。
大体、魔獣の駆除なんて一国の専門の軍隊が受け持つ、一大事業なのだ。俺のような個人事業主が口を挟む余地など存在しない。
「なるほど。確かに吸血鬼と魔獣は全く違ったカテゴリの生き物ですもんね。でもね、これは割とオフレコでお願いしたい情報なんですけれど」
そう言って、ノウレッジがこちらに身を乗り出してきた。ご丁寧に口元に手を当てて、内緒話だぞ、とジェスチャーまでしている。
そこまで気を許したわけではないが、仕様がないので耳を貸した。
「今回も魔獣たちが暴れている原因なんですけどね、どこぞの吸血鬼が魔獣狩りをしているかららしいんですよ。なんでも、あらゆる物体を凍らし破壊してしまう恐ろしい能力を持っているんだとか」
瞬間、身体が反応していた。
ノウレッジから距離を取り、口元に手を当ててそんなことはあり得ないと口走りそうになる。
こちらの行動が理解できていない彼はきょとん、と目を見開いていた。
嘘だ、あいつは殺したはず。
思い起こすのは、青の世界に生きたこの世界の頂点の男。
右腕を犠牲にして、ようやっと殺すことの出来た、氷の貴人。
けれどもこの世界で、すべてを凍らす暴君など、あいつしかありえない。
「青の愚者、ブルーブリザード……」
ノウレッジには聞こえないよう、小さく吐いた呟きは石造りの廊下に消えていった。
思わぬ場所で出会ってしまった宿敵の亡霊に、仮初めの肉体の背筋が凍っていく。
「あの? アルテミス先生?」
それからしばらく。
ノウレッジに言葉を投げかけられるまで、俺は呆然とその場に立ち尽くしていた。




