第64話 「イルミリアストリアスの疑念」
「で、実際に疑似吸血鬼をバラバラにしてみせたわけか。相変わらずだな。お前は」
講義終了後の小休憩時。
こびりついた疑似吸血鬼の血液を風呂で洗い流すこと三十分。タオルで無駄に長い髪をがしがしと拭っていたら彼はやって来た。
ジェームズ・マクラミン。
丸眼鏡と無精ひげがハンサムな聖教会の男である。
彼は俺から講義の概要を聞いては、何が嬉しいのかにやにやと笑い続けていた。
聖教会のエンディミオン支部に此度転属となったこの男は、ことあるごとに俺の様子を見に訪ねてくるのである。
「アルテミス様、マクラミン様、紅茶でございます」
かちゃり、と物静かにティーカップが俺たち二人の間に置かれた。
流麗で瀟洒な動作で礼をするのは、エメラルドグリーンの瞳を持つ、茶髪のメイドだ。
「なるほど、君がアルテ――じゃなかった。アルテミスが言っていた二体目の魔導人形か。ヘルドマン様も随分と無理をなさったようだ」
マクラミンの驚いたような声色の台詞に、メイドは「お目に掛かれて光栄でございます」と微笑んだ。
実はこのメイド。ついこの間まで俺の文字通り片腕になっていた義手なのである。
原理は俺と殆ど同じで、俺と同じ系統で造られた魔導人形を義手が操作しているのだ。本体も俺と同じレストリアブールに安置されている。
ちなみに名前は義手に付けられていた愛称そのままにヘンリエッタだ。
彼女は一番自然な形で俺をサポートするため、雇われのメイドを完璧に演じきっている。
しかも、この魔導人形以外にも様々な魔導具を操作することが可能なようにレイチェルによって改造が施されており、競技場での鍛錬の時のように身につけたペンダントを使って離れた場所を監視したり、俺に通信したりすることも出来るという万能ぷりだ。
余りに有能すぎて、講義一つまともにこなすことの出来ないこちらが物悲しくなってくる。
「ふむ、紅茶も完璧な温度、香り、色だ。これにシナモンの利いたクッキーでもあれば最高だな」
「ではこちらを。お茶請けにと用意しておきました」
ティーカップの次には小さな籠に盛られたクッキーが出てきた。一つ摘まんで囓ってみれば、ジェームズの所望したとおりのクッキーだった。
え、なにこれ怖い。
「素晴らしい。アルテミスには勿体ないくらいの有能さだ」
「いえ、私はこの素晴らしい主様を手助けするべく、日々精進の毎日でございます」
世辞にもきちんと返せるようで、お父さん嬉しいよ。
まあ今は「ついて」いないし、別に子供作った覚えもないけれど。
「……どうやら心配は杞憂だったようだな。最初お前がここにくると聞いたときには血の雨でも降るのかと思ったが、中々上手いこと擬態しているようじゃないか。生活面のサポートも完璧で、正直羨ましいくらいだ」
ずずっ、と紅茶を啜りながらジェームズはそう評する。
確かに、恐れていた授業崩壊もなく、受講生たちも最後は素直に言うことを聞いていてくれたから、初日の職務としては大成功の部類だろう。
やっぱりあれくらいの大道芸で興味関心をもたせるのが、重要なのだ。
「しかもあれだろ? 疑似吸血鬼の使用をあれだけ渋られていたのに、初回の講義内容を聞いた制作部からもっとじゃんじゃん使ってくれって逆に頼み込まれたんだとか。お前からしたら天国みたいな環境だな」
そう。ジェームズの言うとおり、疑似吸血鬼を講義で使用するのは今回だけにしてくれと、アレを製造していた研究科からは釘を刺されていた。
けれども受講生の誰かから聞いたのか、講義内容を聞きつけた科の主任講師から、新しい疑似吸血鬼の戦闘能力を測るためにどんどん講義で使ってくれても良いと連絡が入ったのだ。
つまりは新規に製造した疑似吸血鬼――ホムンクルスの性能テストをしてもらおうという魂胆なのだろう。
正直これは俺にとっては願ったり叶ったりで二つ返事でOKを出していた。
なんたって講義で使える教材としてはアレは最高だからね。
「とにかく、初日を無事切り抜けたようで何よりだ。お前とはそれなりに長い付き合いだったが、そこまでの社会性を持っていたとは意外だったよ」
取りあえずの目的は果たした、とジェームズは残された紅茶を一気飲みする。
もう帰るのか、と問うてみれば「仕事だ」と極シンプルでまっとうな答えが返ってきた。
なるほど、君も忙しいのね。
「また時折様子は見に来る。だがくれくれもやり過ぎるなよ。お前の技や能力は人を惹き付けてやまない魅力があるが、同時に誰かに怖れを生み出す諸刃の剣だ。つまらないことで足を掬われないようにな」
そして去り際、彼はそんな事を言い残していった。
ジェームズへ「それは買いかぶりすぎだ」と告げようとしたが、タッチの差で間に合わず彼は部屋を後にしていた。
「……中々見る目がある人ですね。主様の素晴らしい長所を的確に見抜いておられます」
いやいや、感心しているけれども、君も大概ズレているけどね。
いくら前の身体よりは口が回るようになっても、素直な感想を述べられるだけのコミュニケーション能力なんて最初から持っていなかったから、割といつも通りの毎日だった。
/
初回の「対吸血鬼」の講義が終わった後、「魔導力学科」の面々は全員雁首揃えて、科の研究室に集っていた。
それぞれが備え付けのソファーや椅子に座り、講義の感想をつらつらと述べている。
「アルテミス先生、だっけ? あの人、本当に人間なのか? 人間にあんな動きが出来るのか?」
アズナが未だ信じられない、と声を上げれば、あのヘインが珍しく嫌味抜きに言葉を返していた。
「全く同感だ。俺の取り巻きや護衛連中にもあんな動きを出来る者はいなかった。いや……一人はいたが、そいつは王国最強の剣士で明らかに別格。それに人間族ではなかったぞ」
「でもさ、エリーシャとカリーシャが魔眼で解析を掛けたら完璧に人間だったんでしょ?」
ハンナの言葉に、双子はぶんぶんと首を縦に振った。
「身体を構成する成分、組織の構造、それら全ては人間だった。ね、兄様」
「うん、しかもとんでもない質と量の魔の力も持っていた。あれはやばいよ。姉様」
双子は魔眼と呼ばれる、魔の力を宿した瞳を使って力を行使することの出来る能力を持っていた。エリーシャは相手の種族や身体能力を大まかに測る能力であり、カリーシャは相手の魔の力の総量や性質を見抜く能力だ。
「イルミリアストリアスも相当な魔の力の持ち主だけれども、それの数倍はあった……」
ぶるる、と身を震わせるカリーシャは思わずイルミを見た。
けれどもイルミはそれに反応を返すことがない。ただ口元に指を当てて、何かを考え込むかのように己の膝を見ていた。
「ん? どうしたのイルミっち」
いつの間にか呼びかけが随分とフランクになっているハンナが問うた。
イルミは視線を一瞬そちらに向けるが、再び数秒何かを考えるような表情をして、けれどもすぐに「ううん」と首を横に振った。
「……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ私の知っている人に戦い方が似ていた。けれどもその人はあんなに喋らないし、不良たちに喧嘩を売られたら問答無用で殺していたと思う。それに性別や容姿も全く違うから、同一人物と言うことはあり得ない。でもそれなら、今日の女はどこであの戦い方を学んだんだろうって」
そう、イルミが感じていたのはちょっとした不安だった。
少しだけ戦い方が似ていたと告げたが、それは嘘で、殆どアルテと同じ戦い方を講師の女――アルテミスはしていたのだ。
機動力を最大限活かし、死を恐れずに肉薄し続ける。
そんな戦い方をする人物なんて、この世に一人しかイルミは知らない。
しかもアルテとアルテミス。偶然の一致だろうが、名前がよく似ている。
なら、戦い方と名前がよく似た――けれどもそれ以外は全て似ていない二人は何なのだろうか、と考えたときイルミは己のアルテとの関係に不安を覚えたのだ。
つまり――、
「もしかしたらあの女はアルテ――、私の知っている人の弟子や肉親かもしれない。確証は持てないけれど、何かしらつながりのある人だとずっと考えていた」
そう。アルテが自分の知らない交友関係を持っていることが不安だったのだ。
アルテミスが自分を奴隷出身だと言ったのも良くなかった。イルミからしてみればアルテの奴隷は自分たった一人で、自分以外の奴隷を引き連れていたという事実など到底認めることが出来ない。
要するに不安にも似た嫉妬を感じているのである。
まさかアルテミス=アルテで、奴隷と名乗ったのは過去を詮索されないための詭弁で、戦い方が似ているのは同一人物なのだから当然だという、頭の悪い事実にはイルミはたどり着かなかった。
もっと言ってしまえば「アルテミス」という名前はアルテが女性化――つまりアルテ+Miss(女性)からきていて、ヘルドマンが悪ふざけしてつけた名前だということも、もちろんわからない。
とことん、黒の愚者の遊びに翻弄されてしまっているのだ。
「アルテさん、だっけ? たしかイルミっちが教えてくれた凄腕の吸血鬼ハンターなんだよね。なんでも愚者を四人も倒しているんだとか」
「ロマリアーナでもそいつの話は最近よく出てくる。この世界の神を四柱も屠って見せた化物だとな。最終的にはあの赤の愚者の首を狙っているらしい」
ヘインがそう評してみればイルミはまんざらでもないように微笑んだ。何だかんだいって、アルテ関連になれば結構単純な娘なのである。
けれどもヘインの言葉に満足したのは彼女一人で、他の人物たちは皆身を震わせていた。
「もしもイルミリアストリアスの説が本当だとしたら、それに比肩しうる化物ってことだろ。あの先生は。俺たち、本当に無事に講義を満了できるのか?」
アズナの台詞に双子はしっかりと抱き合って怯えた。
「なら今すぐ受講を取り消そう。兄様。そもそも吸血鬼退治には興味がない」
「その通りだ姉様。あの剣がこちらにむく日はそう遠くないよ姉様」
がくがくぶるぶると口で言い出した二人にハンナは大きな溜息をつく。
彼女は「あのね」と前置きした上で続けた。
「今日受けた講義を思い出しなさいよ。剣の扱い方を懇切丁寧に教えてくれたでしょう? 何をしたらいけないとか、何をすれば怪我をするのか、まで。私たちを殺そうとするような人間が、そんなこと教えてくれないわよ」
ハンナの言葉に、双子は「そうかも」と納得しかけた。
だがそんな雰囲気をぶち壊したのは空気の読めないことで有名なヘインである。
「どうだか。ああやって俺たちを安心させる腹づもりなのかもしれんぞ。それにあれだけの力を有している奴が、そんな大人しくしているとは到底思えんがなな」
ハンナがヘインを睨み付けてももう遅い。双子は再び「ひいっ」と互いを抱きしめ合っており、すっかり怯えきってしまった。
議論がこれ以上進まないことを悟ったアズナは「こんなものか」と頷くと、不毛な議論を終わらせるべくこう続けた。
「とにかくしばらく様子見だろう。どうせハンナはあの講義を途中で投げ出したりしないだろうから、俺は付き合う。お前たちはどうするんだ? ここで受講届けを撤回しても構わないだろう」
真っ先に答えたのはイルミだった。
「私はそもそも吸血鬼の殺し方を学びにきた。だから辞めるなんていう選択肢はありえない」
確かにアルテミスの素性についてはもやもやしたままだが、それとこれとを分けて考えるくらいの分別は、きちんとイルミは持っていた。
例えアルテミスがアルテの旧知だったとしても、それならばとことん自分のために利用してやろうという腹づもりなのである。
アルテのことになると、彼以外にはドライにもリアリストにもなれるちびっこ、それがイルミなのだ。
「ふん、あんな奴隷上がりの女を恐れるなど、俺には許されない。皆まで言わせるな」
もちろんプライドの塊であるヘインが、講師が恐ろしいから講義から逃げ出すという選択肢を取るはずもなかった。
誰も見ていなければ、とっとと逃げおおせていただろうが、人目さえあれば尊大に振る舞うことが出来るのである。
「お前はそうだろうな。で、エリーシャとカリーシャ。お前たちはどうするんだ?」
最後まで口を噤んでいた双子が互いに顔を見合わせる。
沈黙は時間にして数秒のことだった。そしてどちらからともなく口を開いた。
「「……みんながやるなら、やる」」
控えめに言っても、どこまでも後ろ向きな発言だったが、それが双子の常なのでそれを咎める者は誰もいなかった。
全員がそのまま講義を受け続けると決まったところで、その日の臨時会議のようなものはお開きになった。
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アルテミスの講義は翌日にはエンディミオン中で噂の的になっていた。
彼女に楯突いた不良生徒を斬り捨てただとか、疑似吸血鬼たちをバラバラにしたとか、血塗れのまま講義を続けただとか。
殆どが事実なだけに、噂が広まるスピードはかなり速かった。
特に講義を受けたロマリアーナの士官候補生たちが噂を否定しなかった影響が大きかった。
普段から尊大な態度で周囲に威張り散らしていた彼らが、「対吸血鬼学」の話になるとてんで大人しくなっていったので、周囲はますます確信を深めたのだ。
「でもさ、アルテミス先生って本当に美人だよな。人形みたいな造形の人、初めて見た」
講義等の課内活動が休みの安息日。
エンディミオンの誰もが都市部に繰り出すか、室内で余暇を楽しむかを、行っているその日、アズナとハンナ、そしてイルミは市場を歩いていた。
エンディミオンとロマリアーナのある半島を結ぶ橋上都市「オケアノス」に買い出しに訪れていたのだ。
最初、イルミは自室で自習に明け暮れようとしていたが、部屋に訪れたハンナが彼女を引っ張り出したのだ。
イルミもイルミで、足りない日用品を補充できるならいいか、と渋々それについていった。
途中、アズナも合流して三人のショッピングが始まっていたのである。
「たしかにねー。どこにあれだけの筋肉がついているんだか。普通、人の頭ってそう簡単には取れないよ」
ハンナの首をもぎ取るような動作を見て、アズナは「うえっ」と顔を顰めた。
彼なりにあのスプラッターな光景は目に焼き付いて離れないのだ。
「……筋力もたぶんあるけれど、何より技術だと思う。こう、骨と骨の間に短剣を突き立てて、それを支点に……足を上手く使ったのかな? 私たちが思っているほど力は使っていない」
「成る程ね。私たちの中で一番修羅場慣れしているイルミっちがそういうんならそうなのかもね」
そこからは取り留めのない話ばかりだった。
最近は研究が進まないだの、「魔導力学科」の研究費が削られそうだの、ヘインがまた間抜けな魔導具を作ろうとしているだの。
あとは主任のノウレッジ教授がサボってばっかりで、最近まともに顔を見ていないだとか。
主にハンナとアズナが会話をし、時折話を振られたイルミが答えるという図式が成り立ち始めた。
が、ふとその時何処からか怒鳴り声が三人の耳に届く。
面倒ごとに巻き込まれる前に、退散するかとアズナが進路の転換を進言しようとすれば、「静かに」とハンナに口を塞がれた。
「おい、どうしたんだ?」
「ねえ、見てあれ」
避難混じりのアズナの言葉だったが、ハンナが鋭く指さしたのを見て、彼はそちらの方角を見る。
すると丁度三人の進行方向の屋台で、酔っ払い三人が誰かに絡んでいるのが見えた。
それだけなら別段珍しくもない、橋上都市の光景だったがその中心人物が問題だった。
男三人に囲まれ、困ったようにはにかみ続けるその人は、噂の渦中の人物であるアルテミスだったのだ。
「うえ、まじかよ」
驚くアズナと余り興味がなさそうなイルミを引っ張って、ハンナはこっそりとその騒ぎに近づいていった。
そして丁度アルテミスからは死角の場所を陣取り、四人のやり取りに耳を傾ける。
「――だから、私は商売女じゃないんです。他を当たってくれませんか?」
「ああ? そんな誘った格好をして何言ってんだ。てめえ? 金は出すって言ってんだろ」
頭三つは大柄な男に詰め寄られて、アルテミスはその場から一歩引いた。
確かに男の言うとおり、アルテミスの格好はノースリーブのシャツに短めのスカートと、売春婦と間違われないこともないものだった。
「なあ、姉ちゃん。痛い目見る前に大人しくついてきた方がいいぜ」
アルテミスの背後にいた男が下卑た笑みを浮かべながら、彼女の尻を撫でた。「ひぃっ」と彼女がその場で竦み上がったのを見て、三人の男が大笑いをする。
「見たか? お前達。この姉ちゃん、こんな良い身体して反応はおぼこだぜ?」
「いいねえ、俺たちで優しく男を教えてやろうじゃないか」
じりじりと距離を詰めてくる男達にアルテミスは涙目になりながら、おろおろと周囲を見回す。
けれども、誰もが厄介ごとに首を突っ込みたくはないのか、目を逸らすばかりで助けようとするものはいなかった。
ただ、一人だけ。
一人だけ無表情のまま、魔の力を操作した者がいた。
「殺しちゃ駄目。適当に追い払って」
そう、イルミである。
彼女の影はその言葉を受け、一瞬で質量を持ち、二匹の狼に変態する。狼たちは主人の命令を速やかに実行するべく三人の男達に飛び掛かった。
「うおっ! なんだこいつ!」
突然の大きな獣の出現に男達は浮き足だった。
それを見て、おろおろと戸惑うばかりだったアルテミスの雰囲気が一変し、近場にいた男の首筋に素早く手刀を叩き込んだ。
続いて、二人目の男を頭部へのハイキックでノックアウトし、三人目はいつか疑似吸血鬼にやったみたいに、その場で飛び上がって男の首を両足でホールド、そのまま締め落としてしまった。
数秒も経たないうちに意識を失ってしまった三人組を尻目に、アルテミスはイルミ達を見た。
「……君たちは私の講義に来てくれていた生徒達か。かっこ悪いところを見せてしまったね」
失敗した、と頭を掻く美人講師に対してアズナは疑問の声を上げた。
「そんなに強いのに、どうしてすぐに制圧しなかったんですか? お尻まで触られてヘラヘラして、勿体ないじゃないですか」
アズナの疑問はハンナもイルミも抱いていた疑問だった。
実力的には比べるべくもない男達に何を遠慮していたのか、と三人は不思議で仕方がなかった。
アルテミスはしばらくの間、罰が悪そうに髪を弄っていたが、「余り言いふらさないでね」と前置きして、口を開いた。
「――あんまり不祥事を起こすと、ここをクビになると思ったんです。だから穏便に済ませようとした。ただ、君たちが巻き込まれるんだったら話は別です。教育上、素行の宜しくない三人組には退場願いました」
大丈夫、死んではいないとアルテミスはつま先で一人の男を蹴飛ばした。
呻き声を上げているからには一応生きてはいるのだろう。
「今日のことは学園には黙っておいてくれると嬉しいかな。代わりに食事でも何でも奢りますよ」
言って、アルテミスは三人に笑いかけた。
ついこの間、疑似吸血鬼相手に見せていた凄惨な笑みとは違った、どことなく優しげな笑みだった。
三人とも、アルテミスのことはそれなりには警戒していたが、その笑顔を見て何処か毒気が抜かれていくのを感じていた。
もしかしたら、噂にされているほど、自分たちが思い込んでいたほど、悪い人物ではないのかもしれないと思っていた。
「な、ならアルテミス先生。この先の市場でカラーボっていう上手い料理が食えるところがあるんです。そこに行きませんか?」
真っ先に返答したのはアズナだった。
彼は余り沈黙を続けるのは良くないと察して、慌てて声を出していた。若干裏返りはしていたが、それをアルテミスが気にした様子はない。
ハンナもそれが良いと提案に乗っかった。
ただイルミだけが無言のまま、アルテミスの鳶色の瞳をじっと見つめ、使い魔の二匹の狼を影の中に戻していた。
「へえ、聞いたことがない料理ですね。楽しみです」
案内して下さい、と歩き始めるアルテミスを見て、取りあえずアズナとハンナは安堵の溜息を吐いた。
警戒心はだいぶ薄れてはいるが、まだその得体の知れなさに不安を感じているのは事実なのだ。
だが、これから行動を少しばかり共にすることで見えてくるものもあるんじゃないか、とちょっとした期待感も抱いていた。
「卵黄とチーズを混ぜ合わせたソースで食べる麺料理で、ロマリアーナではよく食べられているそうですよ」
取り留めもない会話を再会しながら、アズナとハンナ、そしてアルテミスが歩を進める。
それらにやや遅れて、イルミが無言のままついて行った。
彼女は静かに、けれども注意深くアルテミスの挙動を観察している。
「歩き方……違う。体重移動……違う。表情、別人。でも、あの戦い方はまるで――」
見れば見るほど、己が愛した狂人と同じ戦い方を持っていて、
けれども関われば関わるほど、狂人とあまりにも違いすぎる人物像にわけがわからなくなって、
イルミはエンディミオンに来て始めて、言いようのない不安と焦燥に駆られていた。




