第60話 「いざ新たなる地へ? 3」
三章のエピローグ的な話になります。
次回からは四章 紫の愚者編になります。よろしくお願いします。
愚者との戦いを終えた後は、新しい土地に赴く。
それがこれからも延々と続くものだと思っていた。
けれどもそのサイクルが四回目を向かえることはない。
理由は二つ。
一つ目は俺の容態だった。
傷は塞がり、ボロボロの中身もそれなりに取り繕うことが出来た。
けれどもヘルドマンからリハビリのお墨付きを貰い、さあ歩こうか、という時に問題が発生したのだ。
「アルテ?」
こちらを見下ろしているレイチェルはどうしたらいいのかわからない、といった風に立ち尽くしていた。
「おいおい、悪ふざけは止めてくれ。いくらボクでも怒るぞ」
ここまで狼狽えている彼女は初めて見たかもしれない。
何となく事象は察しているが、それを認めてしまいたくはないという表情をしていた。
周囲で様子を見守ってくれていたヘルドマンとクリスも言葉を失っている。
「まさか、あなた、立てないのですか?」
無様に床へ倒れ伏した俺を、ヘルドマンが抱き起こしてくれた。
その力を借りて、もう一度立ち上がろうとするが、四肢が全く言うことを効かず何も進展がない。
「……まるで自分の身体じゃないみたいだ」
口から出た言葉は全くの本音だった。
身体にくっついた四肢がただの重しのようなレスポンスを返してくる。いくら力を込めても、動けと命令しても、僅かに指先が振動するだけでそれ以上の動きを制御することが出来なかった。
「……たぶん二つ目の呪いを行使したことによって、肉体が変質したんだと思います。だから以前のような命令の送り方だと、肉体が受け付けないのでしょう」
だらりと垂れ下がった腕を検分しながら、クリスがそう診断した。
確かに筋力が殆ど衰えていないのに、この現象はおかしい。
「ということは?」
続きを促すヘルドマンにクリスは言葉を選んでいるのだろう。途切れ途切れに、慎重に答えた。
「肉体の変質を、身体が、いえ、アルテの脳が理解するだけの時間が必要になります。なにぶん、このような症状は非常に希で、聖教会でも殆ど確認していません。まともに四肢を動かせるようになるには、一年、いや五年、十年は見積もらないと」
十年、と聞いてヘルドマンとレイチェルの表情があからさまに曇った。
けれどもここで狼狽えても仕方が無いと弁えている二人は、努めて冷静に言葉をつないだ。
「……この場にイルミがいないのは不幸中の幸いでしたね。このことは彼女に伏せておきましょう」
ヘルドマンの意見に反論するものはこの場にいなかった。
折角のエンディミオン行きを決意した矢先に、アルテのアクシデントを伝えることは何一つ益にはない。
「まあ、吸血鬼の呪いを受けたものの寿命は非常に長いです。気長に、少しずつ問題を解決していきましょう」
結局のところ、ヘルドマンのその言葉が今の俺の全てだった。
そう、自身の足で立って歩くことも出来ないのだから、新しい土地を開拓云々ではなくなったのだ。
これはヘルドマンの言うとおり、気長にリハビリを繰り返すしかないだろう。四肢が動かないとはいっても、動かし方がわからない、といったような感覚なので、何かきっかけさえ掴めれば一気に動かせそうなのが、少しばかりの慰めか。
で、二つ目の理由。
それがさっきもちらっと話に出てきたイルミのパーティー離脱だ。
彼女からその意思を聞かされた時は、目の前が真っ暗になったが、よくよく考えれば最初からそうするべきだったと考えさせられる事案だった。
エンディミオンはこの世界を放浪していた時に一度だけ立ち寄ったことがある。
確かにあそこは魔の力の使い方を学ぶには最高の環境だと思う。それらを全く使うことの出来なかった頃の俺でさえ、吸血鬼用のトラップを幾つも考えつくことが出来るくらいには、魔導具があちこちに溢れており、それらを発明、生産する人々がひしめいていた。
そういった人々に師事し、自分の魔の力の使い方を考えることはイルミにとって大きなプラスになるだろう。
少なくとも、何かしらの大義があるわけでもない旅に付き合わせるより余程有意義だ。
それに――。
俺が身動きできないこのタイミングこそが、彼女が魔の力を学び直す最善の機会だと考えることも出来る。
何せ今の俺は誰かの手を借りなければベッドから這いずることも出来ない。
それならば俺がレストリアブールなり、そのあたりでだらだらと過ごしている間に、ゆっくりと、それこそ旅の進展を焦ることなくイルミは技量を磨けば良いのだ。
だから切り替えは早かった。
すぐにイルミの門出を祝う言葉を紡ぐことが出来たし、寂しさだって押し殺すことが出来た。
ちょっとばかり色々なことが立て続けに起こりすぎてはいるが、これもまた、人生なのだろう。
「……身体にだけは気をつけて、頑張ってこい」
いや、ほんと、俺が言っても何一つ説得力がないと思うけれどね。
/
イルミの荷造りは時間にして一時間ほどで終わっていた。
もともとそれほど私物を持っていなかった彼女だが、さすがにそれはあんまりだと、クリスが聖教会の支給品をいくつか彼女に手渡していた。
「取りあえず当面の着替えを渡しておく。エンディミオンに行く前に、私と共にグランディアに戻って手続きが終わるまで待っていてくれ。その合間に必要な日常品をグランディアで揃えてしまおう。聖教会の名前を出せば、それなりに値引きも効くはずだ」
イルミが言われるままに小さなリュックサックに着替え類を詰め込んでいく中、クリスは彼女の私物の中にアクセサリーケースが一つあるのを見つけた。しかもそれを後生大事にしまい込もうとするので、中身は何だ? と気がつけば問うていた。
それに想定外の反応を返したのはイルミである。
「え? えの、あの、あと、その」
ヘルドマンとマリアの会話に割って入った胆力は果たして何処に行ってしまったのだろうか。
顔を真っ赤にして、誤魔化すようにアクセサリーケースを後ろ手に隠したのを見て、クリスの顔が悪いものに染まっていった。
「ほっほーう、なるほどなるほど。二人で雪山を登ったときはそうでもなかったのに、これはこれは中々どうして」
ゲスな勘ぐりにイルミはクリスを睨み付けることで対応するが、そんなもの暖簾に腕押し。
ますます興味を抱いたクリスがイルミの背後に回り込んで、アクセサリーケースを覗き込んだ。
「どれどれ? おー。余りにも普段から大人しくしているから心配はしていたんだが、君もちゃんと女の子だったんだな。ていうか、あの狂人にこんな贈り物をする思考回路があったのか。もう随分長い付き合いになるが意外だ」
イルミが後生大事に握りしめているのを見て、凡その事情を察する。
首から上の銀細工が意味することをしっかりと理解している彼女は、ぽん、とイルミの頭に手を置いた。
「そのイヤリングを嵌めてエンディミオンに行くと良い。銀細工は魔除けにもなるし、何より君とあの狂人を結びつけてくれる縁結びのようなものだよ。これは」
悪い顔から一転して、面倒見の良い保護者の顔になったクリスはそうイルミに告げた。けれどもイルミは小さく首を横に振ってこう答える。
「駄目よ。なくしたりしたらそれこそ私は立ち直れなくなるわ」
「……なんだそんなことか。だったらこうすれば良い。『誓約:固定対象イルミ、および位置情報付与』」
ぱきん、とイヤリングからガラスが砕けたような音がして、イルミが大層慌てた。だがクリスはそれをなだめすかすと、イヤリングを耳に付けてみろと穏やかに薦めた。
どことなく胡散臭さを感じたイルミだったが、言われるままにそれを嵌める。
するとクリスが直ぐさまそれを外そうとして、もう一度ガラスが砕けたような音がした。
驚いたイルミがクリスの指先を見てみれば、真っ赤にただれた指から煙が上がっている。
「これが誓約の効果だよ。あまり大きなものに付与することは出来ないが、魔の力が滞留しやすい銀細工で、しかもこれくらいの大きさならば、これほどの呪いを付与することも出来る。君以外がイヤリングを外そうとすれば私みたいに指がただれるし……いや、耐性のないものなら吹き飛ぶかもな。要するに君が外そうとしなければもう外れない。それに、紛失したとしても位置情報を私に伝えるよう誓約を練り込んだから、私の元へ来てくれば探すのを手伝うよ」
きらりと、耳元で光るイヤリングにイルミは恐る恐る触れる。
いつかアルテが見せてくれた親愛の証。文字通りの二人の絆。
思えば、これがあったからこそレストリアブールでの生活に耐えられたのかもしれない。
これがあったから、あそこでアルテを救うために死んでも良いと割り切れたのかもしれない。
「……ありがと」
ぶっきらぼうな感謝の言葉だったが、クリスにはちゃんと伝わっていた。
君もずいぶんと成長したな、と再びクリスがイルミをなで回す。
さすがにそれからは逃げ出したイルミだったが、いつかの時のように、敵対心を剥き出しにすることは終ぞなかった。
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しゃりしゃりと、林檎を器用に剥く音がする。
それは目の前に腰掛けたヘルドマンが奏でる音だ。
ただ普通の人のそれと違うのは、彼女はナイフを使うことなく、質量を持った影を器用に使って皮を剥いていることだった。
「……イルミのことが心配ですか?」
ふと、手を止めたヘルドマンがそんなことを聞いてきた。
「出発は明後日です。グランディアに戻る騎竜便が今月はその日だけなので、無理矢理日程をねじ込みました。正直急いている感は否めませんが、彼女の決意が鈍るよりも先に、と考えると仕方が無いことなのかもしれません」
綺麗に切り分けられた林檎が皿にのせられる。その内の一つを楊枝で刺しとった彼女はそれをこちらの口元へ運んできた。
「あなたのいないところで話を進めたことは申し訳なく思っています。だからこそ、私はこの提案をあなたにしようと思います」
与えられた林檎を食べ終わったことを確認すると、口元から零れてしまった果汁まで恭しく世話をしてくれた。
こちらの方が申し訳なさで一杯になるが、ヘルドマンがそれを気にした様子は見せなかった。
「ねえ、アルテ。吸血鬼狩りを今一度お休みして、あなた、エンディミオンの講師になる気はありませんか? もちろんイルミには内緒で」
だからこそ、さらりとそう述べた彼女の言葉の意味を理解するのに、たっぷり数十秒は掛かってしまった。
え?
もう一度言ってくれません?
前言撤回。まったく理解していなかった。
片割れだけが学園パートは話の構成がしんどいです(本音)




