第59話 「さよならアルテ。しばらくお別れです」
一週間、高熱に襲われた。
意識は混濁し、自分が何処で何をしているのかさっぱりわからなかった。
ただ、体中が酷く痛んで、のたうち回ったことだけは覚えている。
それがあんまりにも苦しくて、泣きそうで、
この世界に来て久方ぶりに、
もとの世界に帰りたいと考えていた。
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目が覚めて、ばっちりとあったのは随分と綺麗な顔だった。
真っ白な肌に切れ長の瞳。くっきりと通ったスマートな鼻筋。
イルミによく似た血のように赤い瞳がこちらを覗き込んでいた。
彼女は濡れた手ぬぐいを持っており、丁度俺の顔を優しく拭っているところだった。
「……目覚めましたか。気分は如何です」
その随分と綺麗な顔の持ち主――ユーリッヒ・ヘルドマンは静かに微笑んでいた。
どうして彼女がここにいるのか、なんで彼女に世話されているのかろくに考えないまま、夢うつつのまま俺は答える。
「最悪だ」
ただ感想だけは本音そのものだった。
まだ身体の節々は痛いし、喉が酷く渇く。
高熱のせいか頭痛も辛くて、まともに行動することはちょっとばかり難しそうだった。
「水を飲みましょうか。純度の高い魔の力が含まれた血を溶かした水です。今のあなたならこれを回復力に変えることができるでしょう」
そう言って、彼女は水差しをこちらの口元に当てた。
言われるがまま、それを嚥下すると、鉄臭い味が気にはなったが確かに身体は少しばかり楽になっていった。
「ふふっ。黒の愚者の血を摂取することが許される人間なんて、あなた以外にはクリスくらいしかいませんよ」
ヘルドマンの軽口なんて、もう長いこと聞いていなかったと思う。
いたく懐かしい彼女の調子に、思わず頬が緩んだ。
「あら、そんな顔もして下さるのですね。イルミにもしてやって下さいな。きっと喜ぶと思いますよ」
水差しをテーブルに戻し、彼女はベッド脇に腰掛けた。
その力の強大さとは全く釣り合っていない体重が仄かに感じられる。
「……今人を呼びますね。イルミなんてあなたの容態をいつも気にしていましたよ」
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ヘルドマンがつきっきりでアルテの看病をしていたのには訳があった。
緑の愚者に受けた傷が余りにも多く、吸血鬼ハンターとしての回復力も殆ど追いついていないという問題が発生したとき、黒の愚者がこう提案したのだ。
「常時私から発せられる魔の力の影響下において、回復力を高めましょう」
言うだけならば簡単な、机上の空論だった。
確かに高濃度の魔の力を浴び続ければ、呪いは活性化され回復力の向上が見込める。
一つ目の呪いだけでは不可能だったが、二つ目の呪いを得たお陰で可能になった療法だ。
けれどもそのためには常時、それこそ比喩抜きで24時間ぶっ続けでアルテに魔の力を与え続けなければならない。
少しでも途切れさせてしまえば、体内で魔の力を作ることの出来ないアルテは、活性化した呪いに生命力を吸い上げられて衰弱死してしまう可能性がある。
イルミもレイチェルもそれを鑑みて大反対したが、ヘルドマンの一言で黙らざるを得なかった。
「あら? 私は黒の愚者。そんじょそこらの吸血鬼の魔の力なんて、質でも量でも圧倒していますよ」
ぐうっ、と二人は反論できず、クリスは当然と言わんばかりに頷いていた。
ただ一人、マリアだけが「けっ」と舌打ちを噛ましていたが。
「ちょっとした事情があって、以前の三倍の魔の力を取り戻していますから治療自体も滞りなく進むでしょう」
そこまで言われてしまうと、イルミとレイチェルは何も言い返せなかった。
ただイルミだけがヘルドマンの元へ歩み寄り、その赤い瞳で同色の瞳を睨み付けながらこう告げた。
「アルテに何かあったら、あなた、許さないから」
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そして有言実行は成される。
文字通り化け物染みた魔の力の総量と、この星全ての生き物を圧倒する質を持って、ヘルドマンはアルテに魔の力を与え続けたのだった。
効果はてきめんで、数ヶ月は完治に時間が掛かるとされていた傷の数々は僅か数日で癒えてしまった。
急激に引き上げられた回復力の副作用で、高熱を患ったりもしたがそれもヘルドマンが氷の力を駆使して身体を冷まし続けた。
彼女がいなければどこかで衰弱死していたかもしれないだけに、イルミとレイチェルは取りあえずの幸運に安堵する。
数日経って太陽の毒を取り戻すまでに回復した頃には、レイチェルが包帯の交換を受け持った。
同じ太陽病に侵されているとされている彼女ならば、アルテの血に身を焼かれることがないからだ。
ただその状況にヤキモキした人物が一人だけいる。
アルテの快復は喜ばしいものの、その手助けが何も出来なかったイルミだった。
「というわけで、イルミはお前の世話をしてやりたいんだ。気を遣ってやれ」
ベッドに寝かされた狂人は困ったように、眉根を下げた。
滅多に見せない表情の変化だけに、レイチェルはいいものを見たと笑った。
ヘルドマンがイルミとレイチェルを呼び出してすぐ。
彼女はアルテの容態を二人に伝えた。
受けた傷は決して浅くはないけれども、後遺症やその他の障害は残らないでしょう。
けれども一ヶ月は身動きがとれません。魔の力がまだ馴染みきっていないし、見た目は完治していても中身はボロボロ。ちょっとでも負荷を掛けようものならすぐに吐血して昇天してしまうと。
だからしばらくはあなたたちで世話をしておやりなさい。
私は取りあえずの役目を終えたので、マリアとさまざまな事後処理をしてきます。
彼のことは頼みましたよ。
俄然張り切ったのはイルミだった。
アルテのための食事を手ずから用意し、不器用ながらも起き上がれない彼のためにそれを全て食べさせてやった。
少しでも汗を掻けば着替えを用意し、どこからか水を汲んできては身体を拭いてやった。
あんまりにも甲斐甲斐しすぎるので、アルテはどう振る舞って良いのかわからないまま困惑しているのだ。
「ま、今はボクたちに甘えてゆっくりすればいいさ。聖教会もお前の行動は不問にすると言っているし、しばらくの間はここで療養しよう。幸い、あの三人の規格外な強さのお陰で、建物の被害は最小限に抑えられているからな」
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目が覚めたら暗殺教団がなくなっていた。
何を言っているのか自分でもわからないけれど、それが純然たる事実だった。
てっきり、緑の愚者を殺してしまったから教団が崩壊してしまったのか、とも考えたがレイチェルから聞かされた真実はもっと残酷なものだった。
「……エリム以外は全て殺されたよ。あのヘルドマン――黒の愚者にみんな殺された」
冗談を告げているわけではないことくらい、何となく雰囲気で察した。
たとえ力を失っていても、彼女も立派な愚者の一人。それも序列第三位の強大な愚者だ。
彼女の手に掛かれば、俺が数十人いても蹂躙される自身がある。前回は不意を突けたのと、彼女自身が全力で殺しに掛かってきていないだけで、実力で下せたわけではないのだ。
「でも勘違いしないでくれ。彼女はお前を守るためにこの教団を落とした。彼女が来てくれなければ、私たち三人はエリムに殺されていた」
それもまた事実なのだろう。
朧気ながら、エリムに対して徒手で挑みかかった記憶がある。
イルミに手を出された怒りで、一瞬我を忘れて、怒りのまま真紅の槍に対峙していた。
あそこでヘルドマンが来ていなければと考えると、彼女に怒りを向けるのは筋違いだ。
ただだからといって、気持ちよく納得出来るわけがなかった。
正直言って、もう少し上手くやれなかったのか。何故全員を殺してしまったのか、と問い詰めたい気持ちもある。
けれどもそれが命の恩人に対する態度ではないことくらい理解しているし、彼女からしてみれば敵対関係の組織を一掃したに過ぎないのだ。
ここは大人しく、俺が全てを呑み込むしかないのだろう。
「ほら、果物を剥いてやったぞ。これを食べてもう少し寝ろ。今は混乱しているかもしれないが、取りあえずの安全はお前のお陰でもたらされた。……本当に感謝している。身を挺して僕たちを緑の愚者から守ってくれたこと、一生忘れるものか」
レイチェルが差し出した林檎のような果物を口に含む。
ニコニコと笑った彼女をその時見て、自分がイシュタルを殺したことにそれなりに意味はあったのだと思えた。
そうでなければ――、そうでないのならば、
今すぐにでも、何もかもを、捨てて、もとの世界に帰りたいと絶望していただろうから。
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「民衆の抵抗はそれほどありません。あなたの黒の愚者というネームバリューに怯えているようですね。もともと緑の愚者を崇拝していた都市ですが、彼女個人への崇拝ではなかったのが幸いしました。もしそうなら私たちとこの都市で血みどろの紛争になっていたでしょう」
「……結局のところ、臆病な愚者が手に入れたのはあの若造の愛だけですか。崇拝ですら自分を覆う緑の愚者というイコンに奪われていた。何て空虚な在り方。遅かれ早かれいつかは崩壊していた砂上の楼閣そのもの」
「ところでヘルドマン。捉えたエリムとかいう戦士はどうしますか? レストリアブールとの停戦交渉を行う相手としては実力も気概も足りません。生かしておいては何の益もないでしょう」
ヘルドマンとマリア、二人の議論はエリムの処遇に及んでいた。マリアが意見を述べたように、ほぼ廃人同然となってしまった彼とは政治交渉を行うことが出来なかったのだ。
けれどもそんな二人の間に割って入った人物がいる。
周囲の聖教会の職員がその無謀さに小さな悲鳴を上げたが、彼女はそんなこと何処吹く風だった。
「殺しては駄目。あんなでも、彼はアルテの友人」
イルミだった。彼女はアルテに洗濯した着替えを届けたあと、単身聖教会の宿営地に乗り込んできたのだ。
暗殺教団の本部の中庭に陣取った宿営地には見張りも当然いたが、ヘルドマンの名を出すと殆ど顔パスで通過することが出来た。
「友人て、もう友情関係は破綻しているでしょうに。アルテがもし彼のことを思っていても、エリムはそうではありませんよ。ヘルドマンがいらんことをしたせいで、こちらに対する憎悪に凝り固まっています」
マリアが呆れた声色でイルミを諭す。
今は聖堂地下の牢屋につながれて大人しくしてはいるが、いつその牙をこちらに向けてくるかわかったものではない。
けれどもイルミはあくまで主張を譲らなかった。
「駄目。彼の処遇はアルテに決めさせて」
じっと、マリアはイルミを見る。
見た目こそは幼い少女だが、その覇気は百戦錬磨のそれ。あまたの吸血鬼を文字通り粉砕し、聖教会のナンバーツーまで上り詰めていった文字通りの怪物。
そんな偉人の視線を真っ向から受けても、イルミは動揺一つ見せなかった。
まるで己の欲求が全て正しいと確信しているかのような態度。
まあ、あの狂人の側に四六時中いたら私の視線如きでは怯えませんか。
そんなことをつらつらと述べたかと思うと、マリアは溜息を一つ吐いた。そしてヘルドマンに今一度向き合うと、やれやれといった風にこう言った。
「取りあえず、エリムの処遇は保留にしましょう。狂人が目覚めたら彼に決めさせます」
「あら、アルテならとっくの昔に目覚めていますよ」
沈黙が数秒世界を支配する。
いつもはあまり空気を読むことが出来ないイルミでも、あ、これはちょっと不味い、と顔を顰めた。
マリアの表情がみるみる険しくなっていく。
「何処までも人をおちょくってくれるのですね。このアンポンタン」
「あら、あれほどアルテにご執心だったのに、耳の遠いこと」
「容態が不安定だから近づくな、と釘を刺したのは誰ですか。そうか、そうですか。通りでこの子やあの赤毛の娘が慌ただしくしていると思いました」
二人に流れる空気が険悪なのを感じ取って、イルミが一歩後退する。
けれどもまだ己の目的を完全に果たしていない、と気がついた彼女はもう一度二人の間に割って入って見せた。
周囲の聖教会の職員たちは、こんどは「おおっ」と感心の声を上げた。
「ねえ、ヘルドマン」
「いえ、ちょっと後にしてくれますか。このちみっこをどうにかしてから、ゆっくり用件を聞きます」
「ふん、そればかりは同意できますね。このスカポンタンを更正させたらいくらでもその機会をあげます。まあ、スカポンタンに話を聞く余裕があればですが」
ああ、これがクリスの言っていた主人の悪癖なんだな、とイルミは思った。
だがそんなことは自分に関係ないと、ある意味で究極的に空気の読まない彼女は二人のやりとりを無視してこう告げる。
「ヘルドマン、わたし、エンディミオンに行きたいわ」
顔を極至近距離で見合わせていた二人がイルミを見る。
まるで予想をしていなかった用件に、目を丸くしていた。
遠巻きに様子を見守っていたクリスが「あはは」と笑った。
この二人の餓鬼みたいな喧嘩を止められる人がこの世界にはいたんだな、と。
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魔導教院都市エンディミオン。
それはヘルドマンが居住するグランディアから見て、南に位置する半島の先にある学園都市だ。
レストリアブールから見れば丁度西に当たる。
人口は十万人ほど。一万人の学生と、五百人弱の教院と研究員、そして学園都市で商いを行う人々が数万人。残りは古くからそこに暮らしている市井の人々だ。
この世界でもっとも魔の力を使った技術が進んでいる都市とも言われており、魔導人形のシュトラウトランドと並んで、その道の人間からしてみれば一生に一度は訪れてみたい都市となっている。
学園の規模はとてつもなく巨大で、半島の先にある島丸々が学園の敷地となっている。半島とは太陽の時代に造られたという巨大な橋と結ばれており、橋の上にも街並みが広がっているという発展ぶりだ。
学園では主に魔の力を使った技術開発と、魔の力に関する知識の研究が行われており、それらを学びたいという人々が世界中から集っている。
「でも驚きましたね。クリスから聞いたところによると、あなたは一度エンディミオンへの入学を断っていますよね」
場所を移して、ヘルドマンとマリア、そしてイルミとクリスは、宿営地を離れて人気の少ない教団の執務室に顔を揃えていた。
イルミを中心に、三人が面談を行うという形だ。
「あの時はアルテについていこうと思ったから」
「なるほど。ここにきて心変わりしましたか。……確かあの学園への入学条件は魔の力を行使することが出来ること、だけでしたっけ。条件だけならば誰でも入学できますけれど……」
ヘルドマンの言葉に、クリスが応える。
「問題はその費用です。学費はピンからキリですが、その額に応じて受けられる教育の質も変動します。イルミクラスならばそれなりの額を積まねばならないかと」
「別に私のポケットマネーで補填するのは吝かではないのですけれど、そうなると少々手続きが面倒ですね。あなた自身はどれだけ持っています?」
問われて、イルミは懐から革袋を取り出した。
シュトラウトランドの賭け事で手に入れた賞金の残りだ。幾分かはこれまでの生活費に充ててしまったが、まだそれなりには残っている。
「うーん、入学の頭金くらいなら足りるでしょうか。けれどもあちらでの生活費を考えると全然足りませんね。ではクリス、私から残りを補填しておきましょうか」
中身を検分したヘルドマンがそう提案したが、クリスは困ったように首を振った。
「残念ながらヘルドマン様、口座の残高はまだまだ莫大なものがあるのですが、狂人の魔導人形を取り寄せたり、騎竜便を呼びつけたりなどして、かなりの額を消費しました。それで、その、ジョン様――聖教長からこれ以上の散財を控えるようにお達しが来ているのです。これ以上お金を引き出されると、グランディアの銀行が破綻してしまうのだとか」
「大方我々の戦費を捻出したから、国庫に金が残されていないんでしょう。これだから書面にしか存在しない財産は嫌いです。よく人間たちはそれで我慢できますね」
ヘルドマンの吐き捨てるような言葉にマリアが笑った。
「はん、頭の古い吸血鬼様には高尚な貨幣経済というものが理解できないようですね。けれどもまあ、ヘルドマンの財産が動かせないのなら、狂人の財産を動かしては? 彼の青の愚者討伐で稼いだ報奨金は殆ど手付かずのまま残されているでしょう?」
今度はイルミが提案を否定する側だった。
「それは駄目。アルテのお金はアルテのもの。もしお金が足りないのなら、特待生扱いで入学をする」
そもそも最初からイルミは誰かの財産を当てにはしていなかった。
自身の持ち分が全然足りていないことを理解していた彼女は、ちゃんと抜け道を考えていたのだ。
「特待生って……。いや、確かにイルミの実力なら間違いなく選ばれるだろうけど、本当にいいのか?」
クリスの懸念の意味をヘルドマンとマリアは理解できなかった。
そのため、クリスはその二人に向き直って特待生の条件を述べる。
「確かに特待生は学費免除や生活費の援助が受けられます。簡単な日給の仕事をこなせば生活も容易でしょう。けれどもその卒業要件が問題なのです。エンディミオンに対して何かしらの貢献を果たすことの出来る研究成果を提出できなければ、卒業認められませんから。少なく見積もっても数年はアルテと離ればなれになるのです」
先程のように、ヘルドマンとマリア、二人はイルミを驚いたような目線で見た。
この四六時中、アルテ、アルテと言って離れない少女がそんな提案をしてくるのが信じられなかったのだ。
イルミは自分に向けられる視線の意味を理解しているのか、二人にはこう返した。
「もとより覚悟の上。エンディミオンに行って私は魔の力の扱いを学びたい。そしてアルテを助けたい。もう、彼が一人で傷つくのは見たくないから」
/
次に目が覚めたとき、この世で二番目と三番目におっかない二人と、その従者、そしてイルミとレイチェルが揃ってこちらを見下ろしていた。
「……私が刻んだ奴隷の刻印、まだ残ってはいるんですね。刻み直して見ましょうか」
「ぶち殺しますよ」
「お二方、お言葉ですが狂人の前ではお控え下さい」
マリアがこちらの右頬をぺたぺたと触り、ヘルドマンがその手を万力のような握力で締め上げていた。
いや、締め上げるというより文字通りへし折っていた。彼女の細い白い指の間から、白い骨が飛び出ている。
その傷はマリアの能力なのか、すぐに回復していたが。
「久しぶりだな。アルテ。シュトラウトランドの聖教会以来か。あの時のお前の一撃、随分と効いたぞ」
相変わらる「できる女」オーラの凄まじいクリスである。ヘルドマンの従者に聖教会のシスターにと、マルチな才能が相変わらず羨ましい。
彼女はこちらの顔色を暫し覗き込んで、容態が安定していることを確認すると、背後に控えていたイルミの背をそっと押した。
「ほら、自分の口から告げるんだろ?」
何がなにやらわからないまま、ぼんやりとしていると眼前にイルミが立った。
見たところ怪我や病気をしている風ではなく、それとなく安心した。
「ごめんね。アルテ、まだ起き上がれないのに」
言葉は謝罪から。
けれどもこの傷は自分から受けに行ったものなので、彼女の謝罪をそのまま受け取ることは出来なかった。
「気にするな。お前は気にしなくて良い」
相も変わらずぶっきらぼうだけれども、言いたいことは言えていると思う。
イルミは一言、ありがとう、と微笑んだ。
そして数秒経って何か意を決したかのように、至極真面目な顔で言葉を続けた。
彼女の話す内容は、俺が全く予想していなかった、文字通りの晴天の霹靂だ。
「私、しばらくあなたから離れることにした。私、あなたのために外の世界で修行をしてくる。もう、あなたに守られるだけの私でいたくない」
その瞬間の気持ちは、突然の別れを突きつけられた恋人の気持ちによく似ていたのかもしれない。




