第5話 「サブクエストの方が、メインクエストよりも難易度が高い件について」
古城の中を通される。
途中、壁に大きな穴がいくつもあるのを見つけた。
たぶん五年前に俺があけた穴だろう。こういった光景を目にするたび、自分がここグランディアで狂人として扱われても仕方がないと思った。
自分が犯した行いはしっかりと周囲に刻み込まれているのである。
壁の横穴たちの向こう側、薄暗い観賞用の明かりに照らされた廊下まで来た。
最終的に俺が連れてこられたのは小さな応接室だった。
廊下とは二重の扉で繋がれており、それぞれ門番らしき人物が警護をしている。騎士たちは聖教会の施設に立ち入ることを許されていないのか、いつのまにか付いてこなくなっていた。
イルミも別の応接室で待たされているという。
彼女は表向き吸血鬼ハンターではなく俺の奴隷という扱いだから仕方がないのかもしれない。
「それではのちほど」
俺をここまで案内したクリスは椅子を勧めて扉から出て行った。何でも聖教会の会長職の人間を連れてくるらしい。
思っていたより大事らしいと認識した俺は、緊張を誤魔化すようにテーブルに置かれていた紅茶を口にした。
普段は絶対に口にしないであろう高級な味と香りにちょっとびびる。やっぱり本部と言うこともあって、細かいところまで金が掛かっていそうだ。
「……驚きました。我々に毒殺される可能性を考えなかったのですか。……いや、あなたにはそもそもそのような小細工が通用しませんか」
背後から声がしたので振り返った。するとまたもや美人さんが立っている。一人目の美人さんであるクリスを伴って。
「初めまして、と言うべきでしょうか。とりあえずお初にお目にかかります。ユーリッヒ・ヘルドマンと申します。以後お見知りおきを」
クリスと同じような色をした黒髪を肩口あたりで切りそろえた美人さんだった。この世界の人々特有の白い肌も部屋の照明に照らされて輝いている。
何よりイルミと同じような深紅色の瞳が異彩を放っていた。
「なんでもあなたが五年前の吸血鬼による無差別殺戮をたった一人で解決し、さらには七色の愚者、第七階層、ブルーブリザードを討伐してくださるとか」
テーブルを挟んで対面に腰掛けるヘルドマンが笑った。クリスはその横で直立している。
もう五年来の付き合いになるクリスの、こんな殊勝な様子は初めて見た。
「喜ばしいことです。吸血鬼ハンターを名乗りながら、何かと理由を付けて討伐から逃げ続けるハンターが多い中、あなたは問題はないとは言いませんが精力的に働いてくれています。聖教会を代表して私から感謝を」
ぼやっとしていたらヘルドマンが頭を下げていた。
確かに俺は吸血鬼ハンターとして吸血鬼狩りを続けてはいるが、それはただの自己満足。言うなれば異世界で特別なことをしたいという厨二病めいた痛い感情の延長線なのだ。
異世界に飛ばされて数十年。ひょんなことから吸血鬼から呪いを刻まれ、死ににくく頑丈な体を手に入れた。
これ見よがしに体を鍛え、剣を練習した。そして吸血鬼を狩り続けた。
その結果として今がある。吸血鬼狩りという異世界での遊びにどっぷりとはまった俺はバトルジャンキーになっていた。
吸血鬼専門の。
正直吸血鬼と戦うことを怖くないと思ったことは一度もない。毎度毎度、死んでしまったらどうしよう、という不安もある。
でもそれ以上に、異世界で自由に生きていけるという高揚感が、喜びが遙かに勝っていた。
そんな好き勝手に生きてきた俺をヘルドマンに評価されたことが、とてもムズ痒く、そして誇らしい。
ヘルドマンは続けた。
「さて、ブルーブリザード討伐の子細を伝えるとマクラミンから知らされているようですが、当方聖教会から討伐依頼の受注に関して一つ条件を設けさせて頂きます」
条件、ときたか。
まあ確かに、高難易度の討伐依頼はいままでも何かしらの制限が設けられている場合が多かった。
もっともポピュラーなのは聖教会の方で管理されている吸血鬼の討伐履歴を開示することだ。俺は最近聖教会によって発行された履歴書を取り出そうと懐を漁った。
しかしその手を別の白い手がやんわりと止めてきた。
言わずもがな、ヘルドマンの手だ。
「あなたの履歴に関してはこちらも十分承知しておりますわ。とても輝かしい実績をお持ちです。ですが私どもが知りたいのは今あなたが七色の愚者に挑む資格を持つかどうか、です」
俺の手を掴んでいたヘルドマンの手がテーブル越しにさらに伸ばされる。首筋を細い指で撫でられた。ひんやりとしていて何だか妙な気分にされる。
ヘルドマンの深紅の瞳と視線が絡み合った。彼女は言葉をとめない。
「私と戦ってあなたの力を証明しなさい。狂人アルテよ。これはあなたの為でもあります」
あれれ、なんか面倒なことになってきた。
つまりあれか? 目の前の美人さん――多分聖教会の偉い人と戦って実力を測る試験に合格しろと?
「よいですね?」
にこり、と 小首を傾げて笑うヘルドマンに返す言葉が見つからなかった。
なるほど、これだけの迫力があれば、クリスも殊勝になるわな。
明日の深夜、月が天頂に上り、城壁の鐘が五度鳴らされたとき。
アルテにはそのように試験の日程が伝えられた。
彼が退出した聖教会の応接室で、今度はヘルドマンとクリスがテーブルを挟み向かい合っていた。
冷めてしまった紅茶を傾けながら、二人は言葉を酌み交わす。
「ふう、私も実物は初めて見ましたが凄まじい圧力ですね。明日の試験が憂鬱ですわ」
滲み出る狂気とも言うべきか、歴戦の吸血鬼ハンターであるアルテから感じ取れる威圧感は他のハンターよりも群を抜いて高かった。
素直に感想を述べるヘルドマンの表情からは疲労が見て取れる。
クリスはヘルドマンが紅茶のカップに口を付けたのと同時、こう告げた。
「お言葉ですがヘルドマン殿。私はあなたが彼を殺してしまわないか、ということを危惧しております」
ヘルドマンの動きが止まる。カップに口を付けたまま、彼女は目線だけをクリスに向けた。
クリスはそんなヘルドマンを無視して続けた。
「彼は我々聖教会にとってなくてはならない人材です。そもそも私はブルーブリザードの討伐依頼を発行することすら反対です。貴重な人材をすり減らす必要はありません」
「それは教会の益を考えて、ですか? それともあなた個人の益ですか?」
ヘルドマンの深紅の瞳が鋭さを伴ってクリスを射貫いた。一瞬気圧されてしまうクリスだが口を噤むまでには至らなかった。
「彼の友人として、そして聖教会の僕として、両方の意味でです。あの狂人は恐ろしく強い。だからこそあなたは手加減が出来ません」
「黙りなさい」
しかしクリスの忠言は一言で切り捨てられた。先ほどまでアルテに見せていた人の良さそうな態度は何処にも見当たらない。
毅然とした刃物のような態度をとるヘルドマンがそこにいた。
「そもそも私は最初から手加減などしません。ブルーブリザードの強さは手加減した私ではなく、全力の私と同等です。ならば全力の私と戦って生き延びなければアルテに未来はないでしょう」
クリスも負けじと言い返す。
「ならばブルーブリザードの討伐依頼を今すぐ取り消してください! 今ならまだ間に合います! 七色の愚者は我々が手を出して良い領域ではないのです!」
神にも等しい七色の愚者の討伐依頼を出したのが、目の前にいるヘルドマンであるということをクリスは知っていた。そこにどの様な思惑が存在しているのか推し量ることは出来ないが、それでも大人しく討伐依頼に賛成することは出来なかった。
まるでアルテが何かしらの生け贄に捧げられているような気がして、納得できなかったのだ。
「いえ、取り消しません。ブルーブリザードの討伐依頼は必ずや彼に成功させてもらいます。それに彼には試験と告げましたが、実質明日の模擬戦は練習試合みたいなものです。私とアルテ、互いに命に関わることなくブルーブリザードの討伐に向けた、良い試金石となるでしょう」
これで話は終わりだ、と言わんばかりにヘルドマンは立ち上がった。
あ、とクリスが手を伸ばしかけるが、その手がヘルドマンに届く前に彼女は応接室から出て行った。
残されたクリスは血の滲まんばかりに拳を握りしめ、閉じてしまった応接室の扉を睨み続けていた。
グランディアの古城は太陽の時代に栄えた人間族の王によって築かれたという伝説がある。
度重なる戦争に心を痛めていた王は、外敵の侵入を完璧に防ぐため古城の周りに何周もの外壁を置いたのだとか。
グランディアの町のグレードはその外周によって変化する。
古城に一番近い外周の中は領主の側近たちが暮らしている裕福な屋敷が多い。逆に一番外まで行けば貧民街やら犯罪者やらろくでも無いようなのが多数暮らしている。
俺とイルミは二人して古城の西側にある大きな塔で寝泊まりするように聖教会から申しつけられた。そこから街を眺めると夜の闇に家々の灯りが映えていた。
この世界の住人は基本的に灯りなしでも視力を維持することが出来るが、見栄えを気にするのか一応照明器具は存在している。
あと三時間ほどで日が昇るということもあって、出歩いている人々もまばらになってきた。
完全に日が昇ってしまえば人通りはほぼ完全になくなるのだろう。
と、どうでもいいことをつらつら考え、いわゆる現実逃避に俺は浸っていた。
まさか七色の愚者の討伐前にこんな試練があるとは夢にも思っていなかったのである。
ユーリッヒ・ヘルドマン。
実のところ、俺は彼女の実力を何一つとして知らない。
というか彼女がどういう役職の人間なのかも正確にはわからない。あのクリスが連れてきて大人しくしていたわけだから、会長職の人間であることはわかる。
だが数年前までは別の人間が会長を務めていたし、代替わりをしたという噂も聞いていない。
つまるところヘルドマンのプロフィールを俺は何一つとして手に入れていないのだ。
しかしながら俺と戦って試験をすると言ってのけているわけだから、少なくとも異能を持った吸血鬼ハンターよりは間違いなく強いのだろう。
この世界は魔の力の影響もあってか、もといた世界より遙かに化け物染みた強さをもつ人間が多すぎる。その上位存在である吸血鬼は言わずもがなだ。
俺は幸か不幸かこちらの世界に来てすぐに吸血鬼の呪いを刻まれたため、今までなんとか生きてくることが出来た。
それなりに強くなってはいると自負しているし、実際実績も重ねてきた。
そんな俺のことを聖教会も熟知しているだろうから、ヘルドマンは俺を試験することができるくらいの能力を持っていることになる。
しかもあの口ぶりだ。
さっきも言ったとおり月の民特有の、化け物染みた強さを有していると予想した方がいいだろう。
さすがに七色の愚者レベルの強さではないだろうが、油断すれば試験不合格になりかねない。
俺は万全を期すため、眠り支度を始めているイルミに一言告げて、部屋の傍らで準備してきた荷物の紐を解くのだった。
と、意気込んだのは良かったものの、途中でふと、こんな疑問が湧いてきた。
あれ? 俺より強い可能性が高いのなら、ヘルドマンがブルーブリザードを殺せばいいんじゃね?
今思えば、この疑問についてもう少し思考を傾けるべきだった。
疑問の答えは翌日の試験で綺麗さっぱり氷解することになる。多大なる後悔を伴って。